一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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ライライとインシェン

 

 久方ぶりに手を合わせることとなった盲目の人斬りは、相変わらず本当に盲目なのか疑わしくなるほど動きに迷いが無かった。

 

「そらよぉ!」

 

 その男、周音沈(ジョウ・インシェン)が放った真下からの斬り上げを、ライライは交差させた双刀の又で受け止めた。

 

 インシェンの細く長い黒刃が上へ振り抜かれ、胴体が丸見えになる。その隙を突く形で、ライライはすかさず双刀の片方でインシェンへ刺しにかかった。

 

 しかし、惜しい。インシェンはライライが攻勢に入る寸前に後ろへ跳ね、間合いを遠ざけてしまった。ライライの刀が空気を裂く。

 

 さらに黒い刀身を丹田辺りへ引き戻したインシェンは、身体を一瞬極限までちぢこませ、そこから一気に伸ばす勢いで刺突を走らせてきた。

 

 ライライはもう片方の刀を黒い刃へ擦りつける。その摩擦で刺突の行き先を歪め、左耳のすぐ近くを素通りさせた。刺突を避けたことで、我が身が自然と敵の刀の間合いに入る。

 

 首元めがけて刀を振るうライライ。だがインシェンは深くうつむいて頭を太刀筋の下にくぐらせて避けた。そこから回転しながら退き、黒い刀で薙いできた。それも双刀で防ぐ。

 

 両者が、遠間(とおま)の関係になった。

 

「相変わらず防御と逃げだけはぁ一丁前だぁ。さすがは鉄壁の防御を誇る【刮脚(かっきゃく)】の双刀術とぉ言ったとこかぁ」

 

 インシェンが余裕の表情と声でそう言った。

 

 対し、ライライは何も言えなかった。

 

 もうかれこれ十分は剣を交えているというのに、未だにかすり傷の一つも与えられていない。その焦りが心を支配しつつあった。

 

 やはりこの男は手ごわい。純粋な技の練度は、自分の数段上をいっている。

 

 おまけにこの男は、相手の【気】の揺らぎ方から攻撃の意思を判断し、その上で一拍子速く対処できるという特異な【聴気法】を持っている。そのせいで、いまだに一度も攻撃を当てられていない。

 

 インシェンは再び刀を構えた。

 

「だがぁ、それだけだぁ。【刮脚】の売りはぁ、変幻自在の蹴りだぁ。おたくはその蹴りでぇ、いまだに俺を一回も傷つけられてねぇぞぉ? ユァンフイの娘兼弟子とは思えねぇぜぇ。これが鷹が鳶を生むってやつかぁ、おいぃ」

 

「――っ。…………」

 

 あんまりな物言いにカッとなりそうになるが、気持ちを懸命に鎮静化させる。

 

 しかしインシェンは、構わず言いつのってくる。

 

「もし俺の目の前にいるのがぁユァンフイだったら、俺はもうくたばってるかぁ、あるいは逃げてるかだぁ。そのどちらでもなぁい、それはつまり、どういう意味だろぉねぇ……くくくっ」

 

「――言わせておけばっ!」 

 

 ライライはそう言って飛び出したが、心はきちんと落ち着いている。心を乱して勝てるような相手ではないと、ちゃんと分かっているからだ。

 

 インシェンもまた、こちらの心の機微が読める。やけっぱちになって突っ込んできたわけではないと分かるはずだから、舐めてかからないはず。

 

 両者の間合いが衝突。途端、一対の銀閃と一筋の黒閃が、あらゆる軌跡を描いて幾度もぶつかり合った。

 

 立ち位置を何度も変え、縦横無尽な剣戟を繰り広げる二人。

 

 武器の数が多い分、ライライの方が有利のはずだ。しかしインシェンの剣さばきは、そんな差などもろともしない密なる防御を見せ、そこからさらに斬りかえしてくる余力も見せた。

 

「ほらほらぁ、どうしたよ二刀流ぅ!? 二刀の利を活かせてねぇぞぉ!? そぉれぇ!」

 

 時折反撃してくるインシェンの刃を受け流しつつ、

 

「蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 ただ、同じことを何度もぶつぶつと呟いていた。

 

 自分の心にある雑念をこそぎ落とし、ただ「蹴る」という精神のみに研ぎ澄ませていく。そうして純粋なる「蹴る」という意識を完成させる。純粋な意識から発せられる技は、どんな技よりも速い。

 

 それこそが【無影脚(むえいきゃく)】。

 

 ライライは今まで、誰の邪魔も無い、止まった状態でしかそれを発動させることができなかった。だがこの三ヶ月の間、暇を見つけてはそれを改善する修練をしていた。

 

 結果、この【刮脚】の双刀術を使いながらなら、【無影脚】を発動させることができるようになった。

 

 【刮脚】の双刀術は『六合攔刀(ろくごうらんとう)』と呼ばれる。斬ることよりも、守ることに優れた刀術だ。それによって相手の刃を防御しつつ、隙を見つけて蹴りかかる。それが主な戦法だ。

 

 この刃の結界の中でなら、比較的安心して【無影脚】の準備ができる。

 

 ――無論だが、【無影脚】を発動させたところで、それだけではインシェンに勝つ見込みは薄いだろう。それは馬湯煙(マー・タンイェン)の屋敷での戦いで身をもって経験済みだ。

 

 しかしながら、その時の戦いからは、得たものもあった。

 

「――――蹴る」

 

 精神に、最後の一削りを与えた。

 

 途端、心が針のように細められたような感覚を味わった。今繰り広げている剣戟さえも、他人事のように感じられる。

 

 ぶつかり合う太刀筋。双刀の一本と黒い刀が力をぶつけ合い、一瞬だが"居着いた"瞬間を狙い、「蹴った」。

 

「うぉっ?」

 

 狙ったのはインシェンの右肩。身体の末端に神速の一蹴りを浴びた金眼の男は、それによってもんどりを打った。

 

 いわば「自分以外の力に踊らされた状態」に陥ったインシェンめがけて、ライライはもう二度「蹴った」。今度は両端を狙った蹴りだった。

 

 インシェンは合計三発の蹴りを受けても体勢を取り戻したが、ガクッと膝を屈しかけた。後に放った二発の蹴りは、左右側面を高速で蹴り込むものだった。一瞬で放たれた矛盾する力によって体の中に強い振動が生まれ、インシェンの体内を揺さぶっているのだ。【響脚(きょうきゃく)】という蹴りだ。 

 

()ッッ!!!」

 

 とはいえ、その振動波も、インシェンがひとたび呼吸で体内に波動を生み出して相殺してしまった。

 

 けれど、それでいい。たった一瞬隙ができればそれでいい。

 

 すでにライライは近づき、刀の一本を振るっていた。体重を乗せて放たれた太刀筋を、インシェンは苗刀の(みね)に手を添えて受け止めた。それによって力がぶつかり合い、居着いた瞬間を狙ってもう一度「蹴った」。

 

 転がるインシェン。しかし受け身を取る。そこへすかさずライライは石畳の破片を「蹴った」。破片が矢のごとき速力を得て真っ直ぐ飛ぶ。インシェンは腕で顔を守ってそれを防ぐ。それとほぼ同時に腕ごと「蹴った」。

 

 またも蹴り転がされた敵を、ライライはなおも追う。

 

 ――シンスイの戦法が、参考になっていた。

 

 馬湯煙(マー・タンイェン)の屋敷で、シンスイはこの男と戦った。

 

 シンスイはその時、あらゆる方法でインシェンを「硬直状態」に追い込み、そこを攻めるという戦法をとっていた。

 

 たとえ相手の「攻撃してくる意思」を察知し、いち早く反撃ができたとしても、自分の重心が安定していなかったり、変なところに力が入ってうまく動けなかったする「硬直状態」であったなら、その察知は宝の持ち腐れで終わる。動けないなら、対処のしようがないからだ。

 

 ライライもまた、そのシンスイの戦法に倣った。それだけの話だ。

 

「どっかで見た戦法だなぁ、(とんび)のお嬢ちゃぁん!!」

 

 だが、相手もそれだけで押し通せるほど甘くない。受け身から迅速に立ち上がり、近づくライライめがけて虹色に輝く黒刃を振るった。

 

 再び剣戟対決。金属がぶつかり合う耳の痛い音が幾度も連鎖。

 

 やはり、インシェンも馬鹿ではなかった。こちらがどういう戦術を仕掛けてくるのかが分かった今、何も対策を取らないなんてことがあるわけがなかった。余計な部位に力が入って「硬直」しないよう、滑らかで粘るような剣さばきに変えてライライの双刀を防いでいた。

 

 この短時間で慣れ親しんだ動きの質を変化させ、なおかつそれを使いこなして見せているインシェン。流石は刀一本で裏の世界に伝説を生み出した【虹刃(こうじん)】なだけはある。

 

 けれど、ひるんでもいられない。

 

 "【虹刃】ごとき"倒せなければ、父以上の武人になるなど荒唐無稽。笑止千万。抱腹絶倒。失笑噴飯。

 

 だからこそ、ライライは剣戟の間にがら空きとなったインシェンの胴体を見ながら「蹴った」。

 

「おみ足もらったぜぇぇぇ!!」

 

 これまでの例に洩れず、こちらの攻撃の意思を察知したインシェンは、がら空きの胴体を覆うようにして刃を振り上げた。【硬気功】による防御さえ許さないその一太刀に当たれば、ライライの美脚は途中から切断されていただろう。

 

 だが――誰が「胴体を狙う」なんて言った?

 

 自分は確かに隙を見つけ、それを蹴った。しかし、それは胴体ではない。

 

 左肘だ。

 

「っ」

 

 インシェンが、間近に落ちた落雷に驚いたような顔をした。

 肘には、衝撃を受けると前腕部に稲妻が走ったようなしびれを訴える部位が存在する。刀を強く握る手である左腕にそれを感じたであろうインシェンは、柄を握る手を一瞬緩めた。

 

 左足でインシェンの手元を「蹴る」。――手と刀の柄がとうとう離れた。

 右足で苗刀の刃の腹を「蹴る」。――数々の血を浴びてきたであろう【虹刃】が、半ばから二つに折れた。

 

 脅威の一つであった【虹刃】を破壊した。これでこちらの勝利の機運は濃くなった。

 

 もはや何も守るモノがなくなったインシェンめがけて、ライライは双刀を放った。

 

 勝てる。そのはずだった。

 

 

 

 ライライの持つ一対の双刀が、ひとりでに崩れた(・・・・・・・・)

 

 

 

「……え」

 

 まるで包丁で切られた大根のように、双刀の刀身に切れ目が入り、そこからバラバラになったのだ。

 

 宙を舞う刀の破片と、血のしずく。

 

 自分の右肩から左脇腹にかけて、血の湧き出る極細の筋ができていた。

 

 斬られた。

 

 そんな馬鹿な。もう奴の武器は折った。なのにどうして。

 

 まだ何か武器を隠し持っていたのか。そう思ってインシェンの手元を見るが――素手だった。

 

 訳が分からぬまま数歩たたらを踏んで退き、止まり、ようやく焼けつくような痛みを自覚した。

 

 身を焦がすような苦痛。それを紛らすように、浅い呼吸を繰り返す我が身。

 

 すでに【無影脚】は解けていた。

 

 前に立つインシェンは、右へ、左へ、交互に揺れながら、幽鬼のようにこちらに歩み寄ってくる。

 

 何か気味が悪い。そう感じたライライは、ほぼ柄だけになった役立たずの双刀の一本を投げつける。

 

 インシェンはぶらぶら揺らしていた素手の左腕を、光のような俊敏さで振った。

 

 途切れた双刀が、さらに細切れになった。

 

「久しぶりだなぁ……「こいつ」を使うのはぁ。さっきまでは鳶だのなんだの言ったがぁ、失礼を詫びるぜぇ。おたく、前よりずぅっとユァンフイに近づいてるぜぇ」  

 

 今まで自分を認めなかったインシェンから飛び出した、称賛の言葉。

 

 しかし、それに喜ぶことはできなかった。むしろ、武器を折られてもなお悠々としたその態度に、胸騒ぎさえ覚えた。足が一歩退がる。

 

 何より、今の奇怪な技だ。素手なのに、鋼鉄の物質を紙屑同然に切り刻むという、正体不明の技。

 

 インシェンは再び、稲光のごとき速度で左腕を真横へ走らせた。左腕が通り過ぎた位置にあった民家の石壁が――細切れになった。

 

「イカしてんだろぉ、この斬れ味ぃ。物体ってなぁ、音速に達すっとぉ、衝撃波を生み出すんだぁ。例えばぁ、鞭を振った時に鳴る破裂音はぁ、その衝撃波の音なのさぁ。腕をその鞭みてぇに音速で振って衝撃波を起こすんだがぁ、その時にちょこっと指の操作を工夫するとぉ、衝撃波の形を変えられんのさぁ。つまりぃ、あれだぁ。特殊な指の動きでぇ、衝撃波を刃物みてぇな形に変えてぇ、見えない刃物にするんだぁ」

 

 細切れになった石壁の欠片がインシェンになだれ込む。だがインシェンの両腕が閃光と化して間合いの中を駆けめぐった瞬間、それらの欠片はさらに細かく切り刻まれ、砂利同然となった。

 

「俺はぁ、こいつを【不見刃(ふけんじん)】って呼んでるよぉ。いつかぁ、おたくの親父に仕返しするために作った技なんだがぁ、まさか娘であるおたくに使うことになるたぁ、因果だねぇ」

 

 その強力な技に、ライライは脅威を感じると同時に、親近感を覚えた。

 

 父を殺した男【雷帝】に報復するために、自分は【無影脚】を編み出した。

 

 それとおなじように、この男もまた父に仕返しをするために、あの技を作ったのだ。

 

 自分とこの男は、似ていた。

 

 しかし、今、決定的な違いがある。

 

 それは――自分の方が圧倒的不利であるということだ。

 

「それにしても、やってくれたなぁ、お嬢ちゃぁん。【磁系鉄(じけいてつ)】てなぁ加工にも金がかかるんだぁ。だからぁ、弁償しろたぁ言わねぇからぁ……この技の実験台になってくれやぁ!!」

 

 インシェンが加速する。

 

 間合いに入ってしまったら終わりだ。あっという間に輪切りにされる。なので、今は逃げるしかない。

 

 その両腕を閃光じみた速度で振り回してくるインシェン。それから懸命に逃れるライライ。

 

 動くたびに体の傷が痛みを訴えるが、それからは意識をそらす。

 

 逃げる。逃げる。逃げる。

 

「蹴る……蹴る……蹴る……」

 

 その最中、再び【無影脚】を発動させるべく、精神を研ぎ澄ませていく。

 

 痛みから意識をそらしつつ、それをしばらく繰り返すことで、奇跡的に【無影脚】を再発動させることができた。

 

「それそれそぉれぇ!!」 

 

 インシェンは滅茶苦茶に両腕を走らせる。その過程で、端にある石壁がバラバラの切れ端と化していく。

 

 ライライはその大小無数の切れ端の中で、小さめのものを「蹴った」。その切れ端がインシェンに向かっていく。

 

 両腕で顔を覆い、石つぶてを防ぐインシェン。

 

 腕が封じられているその瞬間を狙い、「蹴ろう」とした。

 

「忘れてねぇかぁ、俺のもう一つの「能力」をぉ!?」

 

 が、蹴りの直前、インシェンは立ち位置を横へ滑らせ、ライライの狙っていた場所から外れてしまった。

 

 ――しまった。【不見刃】にばかり気を取られていたせいで、もう一つの脅威である「攻撃の意思の感知」の能力から意識がそれてしまっていた。

 

 時すでに遅し。蹴りはもう真っ直ぐ伸びてしまっていた。

 

 インシェンの腕の一本が、閃きと化す。

 

 足を斬られる。

 

 そう思った瞬間、落下の最中だった大きな石の切れ端がその蹴り足に乗っかった。それによって、蹴り足が否応なしに素早く下ろされた。

 

 その嬉しい誤算のおかげで、インシェンの不可視の刃ははずれた。

 

 ――しかしながら、じぶんはその嬉しい誤算を有効活用することができなかった。

 

 ライライの蹴り足に乗っかった大きな切れ端は、そのまま足を地面に落下させ、地面と切れ端とで足を下敷きにした。

 

「あぐっ……!」

 

 ミシッ、と関節から音がした気がした。少しだけだが、関節が変な方向に曲がったようだ。

 

 痛むが、戦闘不能というわけではない。まだ立てる。戦える。

 

 しかし、石に足を取られた状態から立ち直らせてくれるほど、親切心にあふれた相手ではない。

 

「さよぉならぁ、お嬢ちゃん。あの世でぇ、親父と仲良くやりなぁ」

 

 インシェンが、自分のすぐ前に立っていた。

 

 万事休す。

 

 いや、まだだ。最後まであきらめるな。

 死ぬ寸前まで、すべての手を使い尽くせ。

 心を燃やせ。

 四肢を爆発させろ。

 たとえ無茶でもいい。

 この男を倒すことだけを精神に宿し、出来る限りのことをして自分を使い尽くせ。

 バラバラになってもいい。

 廃人になってもいい。

 命を刈り取られるその寸前まで、武法士であることをやめるな。

 

 蹴れ、蹴れ、蹴れ、蹴れ、蹴れ、蹴れ、蹴れ、蹴れ、蹴れ、蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ蹴れ―― 

 

「――――――――――――蹴れ」

 

 自然と、自分の口からそんな言葉が出てきた。

 

 瞬間、意識が闇の底へストンと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝った。

 殺した。

 首を斬った。

 

 

 

 ――嘘をつけ。

 

 

 

 ならばなぜ、自分はあの娘から遠ざかっている?

 なぜ、腹に焼けるような痛みが宿っている?

 なぜ、あの娘は死んでいない?

 

 首を斬ろうとした瞬間、反撃されたからだ。

 

 目が見えずとも、インシェンは音で分かった。ライライが石壁の破片に足を取られ、身動きが取れない状態であったことが。

 

 もはや勝負は決した。そんな油断にも似た確信を抱いた瞬間、自分の腹を蹴飛ばしたのだ。

 

 攻撃を受けたことはまだ良い。それは油断していたこちらに原因があるだろうから。

 

 

 

 問題は――その攻撃の「予兆」が読めなかったことだ。

 

 

 

 インシェンは、相手の【気】の揺らぎから攻撃の意思を読み取ることで、その相手が動く一拍子前から回避やら反撃やらで先手を取ることができる。

 

 だが、今、それが読めなかった。

 

 相手の攻撃の予兆が読めるからこそ、インシェンは今まで見えている者以上に優位に立てていたのだ。それが読めなければ、暗闇の中から突然矢が飛んでくるようなものだ。目以外でなら知覚できるが、その反応はやはり【気】を読んだ時よりは遅れる。

 

 重心の均衡を取り戻してから、インシェンは【聴気法】でライライの【気】を感じ取った。

 

 

 

 炎。

 

 

 

 ライライの【気】は、まるで常に油を注がれている炎のごとく燃え盛っていた。

 

 それは、相手が攻撃の意思を思い浮かべた時に、一瞬見せる反応そのものだった。

 

 だが、今のライライの【気】には——その攻撃の意思が“常に”出ていた。

 

 どんなに攻撃的な人間でも、その【気】に揺らぎ方には必ず「緩急」がある。だから、常に攻撃の意思を発し続けるなんてできない。

 

 それができるのは、異常者だけだ。

 

 その異常者が、目の前にいた。

 

「おいおいおいぃ……どうしちまったんだぃ?」 

 

 ライライにそう尋ねる。少し震えた声だった。

 

 しかし、返事が返ってこない。

 

「そんな足じゃぁもう無理だろぉ? もぉやめときなぁ。所詮おたくはユァンフイに届く器じゃぁなかったのさぁ。諦めてぇあの世に行ったほうがぁずっと楽だぜぇ?」

 

 そんな挑発じみた言葉にも、彼女は【気】の燃え方を少しも変えない。まるで聞こえていないかのように。

 

 ――意識が飛んでいる。

 

 【気】を燃やしながら、ライライが急迫してきた。

 

「ぐはっ!?」 

 

 再び神速の蹴りを受ける。足がちょっと動いたと思った瞬間には、胴体を貫くような衝撃がぶち当たっていた。それほどの速さ。

 

 ――速すぎる。

 

 それは、ライライの【無影脚】を散々経験した者にとっては、今更過ぎる感想だった。

 

 インシェンが、物理的速度に脅威を覚えている——それは、【気】を読んだ上で一拍子速い動きで対処できていたインシェンにとって、あり得ないことであり、あってはならないことであった。

 

 だが、仕方がないではないか。

 

 

 

 "読めない"のだから。

 

 

 

 常に攻撃の意思で【気】が揺らいでいる人間。

 

 そんな奴から、どうやって「予兆」を読めばいい?

 

 インシェンは焦った。焦る間もなく敗北したシンスイとの一戦では味わえなかった感覚だ。茨のツタが足から徐々に上半身へと絡み付いてくるような、気味の悪い焦燥感。

 

「ごぉっ!?」 

 

 光のごとき速度で、ライライの蹴りが右上腕に直撃。

 

 激痛が走るが、やられてばかりでもいられない。左腕を音速で外から内へ薙ぎ、指先周辺にまとわせた空気の刃でライライの首筋を狙う。

 

「ぐぅっ……!!」

 

 が、その空気の刃は、首筋の肌を浅く切るだけで終わった。自分の【不見刃】と同等以上の速度で放たれたライライの右足が、こちらの左上腕部を内から外へ払うように蹴りつけたからだ。矛盾した方向同士の力がぶつかり合い、インシェンの尺骨に深い亀裂が入った。

 

 インシェンは見せた隙は微かなものだったが、ライライが仕掛けるのには十分長い隙だった。

 

 それからは、もはやされるがままだった。

 

 あらゆる方向から、流星のごとき速さと鋭さの蹴りがこちらの五体に殺到。竜巻に入ったような勢いであっという間にインシェンをズタボロにしてしまう。

 

 対処したかったが、どうしようもなかった。

 

 自分は今まで、目が見えないという足かせを、鋭い【聴気法】で補ってきたのだ。相手の攻撃の意思をあらかじめ感知できれば、一拍子速い段階から対処ができる。その能力で、自分は名を上げてきたのだ。

 

 だが、ライライの【気】は、常に攻撃の意思を持っている。だからこそ、「一拍子速い段階から対処ができる」という能力は意味をなさない。

 

 であれば、今のインシェンはただの盲人だった。むしろ目が見えないことが、これ以上ないほどの弱点になっている。

 

 ――この娘の心には今、「敵を倒す」ことしか無いのだろう。

 

 【無影脚】を発動させた状態で、自分をそんな精神状態に追い込んだ。それら二つの要素が結びつき、今の状態に至るというわけだ。

 

 自分の意識を、【気】の揺らぎの状態に影響を及ぼすほどまでに操作できる者は、非常に限られている。よほどの大名人くらいだ。それこそ、武林に雷鳴のごとく名を轟かせた【雷帝】のような。

 

 この娘の父、宮淵輝(ゴン・ユァンフイ)にさえ、ソレはできなかった。

 

 つまりライライは今、一定の分野においては父を完全に超えてしまったことになる。

 

 ――天才。

 

 自分は、とんだ読み間違いをしていた。

 

 鷹が鳶を生んだわけでも、鷹が鷹を生んだわけでもない。

 

 鷹が、この鳳凰を生んだのだ。

 

 すでにインシェンの身体は、目も当てられないほどにボロボロとなっていた。骨も何本か折れているだろう。

 

 不意に、雨あられのごとき蹴りが、ぴたりと止んだ。

 

 それは、嵐の前の、ほんのわずかな静けさだった。

 

 ライライの【気】が、正気を取り戻した揺らぎ方を見せる。かと思えば、丹田に【気】の塊を生み出し、

 

「ハッ!!」

 

 それを爆発させると同時に、蹴りを真っ直ぐ放った。

 

 【炸丹】を交えて放たれたその一蹴りは、凄まじい勢いと鋭さを兼備し――インシェンの胴体を貫いた。 

 

「がほっ……!!」

 

 自分の体内を異物が通過する、気味の悪い感覚。身を引き裂くような痛み。

 

 滝のように血を吐き出した。

 

 おおよそ、生きてはいられない損傷だった。

 

 ――ああ、終わった。ここで、自分の人生は幕を下ろすのだ。

 

 なかなか悪くない人生だった。常に全力で、己が身を使い尽くして生きてきた。

 

 最期も、病に冒されて徐々に腐っていくような死に方ではなく、自分を超えた武法士の手にかかって「パッ」と死ねるのだ。

 

 惜しむらくは、最期まで視力が戻らなかったことだ。

 

 自分は今まで多くの強敵と刃を交えてきたが、自分はそんな彼らの顔を全く知らない。

 

 惜しいことと言えば、それくらいか。

 

 つまりそれ以外は、良い人生だったわけだ。

 

 なら、それでいいか。

 

 さぁ、俺を早くあの世へ連れてってくれぇ。もぉ死ぬほど痛ぇんだぁ。

 

 そう思った時だった。

 

 

 

 

 

 病で視力を失った幼少期以降、白い(もや)がかかった風景にしか見えなかった視界に――色彩が浮かび上がった(・・・・・・・・・・)のは。

 

 

 

 

 

 ――おいおいぃ、マジかよぉ。

 ――最期の最期で、こんな我が儘がぁ叶うたぁよぉ。

 ――太っ腹ぁ、過ぎやしねぇかぁ?

 

 信じられなかった。

 

 自分の眼が、視力を取り戻しているのだ。

 

 視界に浮かび上がった色彩は、視界の端から徐々に色とりどりに広がっていき、街路を描いていく。

 

 やがて、自分と真っ向から見つめ合う女の姿を作り上げる。

 

 彼女の持ち上がった足はこちらへ真っ直ぐ伸びており、こちらの腹を貫いていた。

 

 つまり、彼女が宮莱莱(ゴン・ライライ)ということだ。

 

 

 

 美しい。

 

 

 

 大人の女の色香を宿しつつも、少女のような真っ直ぐな志を忘れていないような、そんな顔立ちをした美女が目の前にいた。

 

 胸が高鳴る。顔が熱い。息が苦しい。しかし、自分の全身を業火のごとく焼いている激痛さえ忘れてしまうほど、それは心地よい息苦しさだった。

 

 それが初恋であると、インシェンは自覚した。

 

 なんということだろう。最期の最期で目が見えるようになっただけでなく、初めて知る気持ちさえ与えてくれるとは。

 

 もう、何も思い残すことはない。

 

 インシェンは、満面の笑みを浮かべて、かすれた声で言った。

 

「あぁ、嬢ちゃん……いやぁ、ライライ、だったなぁ」

 

「……ええ」

 

「おたくとはぁ…………もっと違う形で出会いたかったぜぇ」

 

「……そうね」

 

 ライライは真顔で言った。

 

 インシェンは、肉体から魂が抜け落ちるまで、その想い人の顔をひたすら見つめ続けた。

 

 

 

 

 ――――それが、【虹刃】と呼ばれた男の最期だった。

 


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