一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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最後の希望

 

 二束の白い光芒が、日中のように明るい地下室を駆け巡り、何度もぶつかり合う。

 

 それらは、琳弓宝(リン・ゴンバオ)裴立恩(ペイ・リーエン)が振る剣光だった。

 

 皇太子の煌天橋(ファン・ティエンチャオ)は、壁際でその悲しき戦いを見守っていた。

 

 かつて自分が尊敬した人物を「賊」として斬り捨てなければいけないことに、リーエンは内心で苦しんでいることだろう。しかし、目の前のリーエンの切り傷が混じった顔には、そんな事はおくびにも出ていない。ただ、与えられた任をこなそうという冷淡さがあった。

 

 けれども、どれだけ心を殺して一心に当たろうとも、現実は非情だった。

 

 無傷なゴンバオ、ところどころ細かい切り傷が付いたリーエン。この二人の違いを見れば、力の差は歴然だろう。

 

 

 

 ――二人の戦いは、どう贔屓目で見たとしても、ゴンバオに軍配が上がるだろう。

 

 

 

 単純な技の練度や功力では、二人にそれほど差はあるまい。

 

 ただ、ゴンバオの武法【琳泉把(りんせんは)】が強すぎるのだ。

 

 まるで、自分たちより早く流れる時間の中に身を置いたがごとき、異質な速度……衛兵の報告の通りだった。

 

 リーエンが一手行う時間に、ゴンバオは七手分の動きが行える——リーエンは戦いの過程でその技の原理を見抜いた。

 

 しかし、分かっただけだ。どのようにそれを破ればいいのかが分かったのとは別問題。

 

 リーエンが使う【心意盤陽把(しんいばんようは)】は、【琳泉把】とあまりにも相性が悪すぎた。

 

 陰と陽を入れ替える――その意識的速度を肉体に及ぼすことで、重心を「陽」と見なし、それを左右の足で交互に入れ替える速度を高める。

 

 しかし、その陰陽転換がいかに早かろうと、相手は己が一歩踏み出す時間に七歩も踏み出せるのだ。

 

 無論、【心意盤陽把】にも【箭踏(せんとう)】という奥の手があった。遠い位置を「陽」と見なし、陰陽転換の速度を用いてそこへ瞬間移動のごとく重心を移す。修行を重ねれば重ねるほど、移動出来る距離は遠くなる。宮廷護衛隊次席の実力を誇るリーエンならば、その長さも推して知るべしだ。

 

 その【箭踏】を用いて、ゴンバオが「七歩動く時間」で移動できる距離よりも遠くに踏み出す。そうすれば、ゴンバオから逃げることもできるし、移動しそうな位置へ一瞬で先回りすることだって出来た。

 

 それが無かったら、リーエンはとっくの昔に血祭りにあげられていたことだろう。

 

 が、「奥の手を使ってようやく互角に近い」では話にならないのだ。

 

 まして【箭踏】は、他の技に比べて体力の消費が激しい。そう何度も連続できるものではない。

 

 結果的に、リーエンは劣勢だった。

 

 このままでは遅かれ早かれ敗北するだろう。

 

 武法の素人である自分がそれを分かっていて、リーエンに分からないはずはないだろう。

 

 だからこそ、それをどう脱却するのかを考えるはず。皇帝の肉壁たる宮廷護衛隊に「諦める」という選択肢はないからだ。

 

 逃げることは無論、不可能だ。元来た通路はすでに鉄格子で塞がれている。ここから地上へ逃げる出口があるはずだが、自分たちはそれがどこにあるのか知らない。探そうにも、ゴンバオがそれを許すとも思えない。

 

 つまり、自分たち皇族の運命は、リーエンの肩に委ねられている。

 

 不意に、二人の間合いが大きく離れた。

 

 そこから再び攻めるのかと思いきや、リーエンは腰を落とし、右手の剣を真っ直ぐ前に伸ばして構えた。

 

 その瞳には、我が身を粉砕させてでも眼前の敵を滅ぼさんとする、決死の覚悟が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはやこれが最後の一撃になるだろうと、リーエンは確信する。

 

 現在のジリ貧な攻防から脱する唯一の方法。

 

 それは、一撃で決着を付けることだ。

 

 防御をかなぐり捨て、攻めることのみに全意識と体術を集中させ、確実に敵を葬る。

 

 だからこそリーエンは、その構えを取った。

 

 剣は後ろに引かず、前に真っ直ぐ伸ばしきる構え。少しでも速く切っ先を敵に到達させるためだ。

 

 その剣尖を「陽」と考え、ゴンバオの心臓をその「次なる到達点」とみなす。

 

 つまり【箭踏】の要領で、神速の刺突を送るのだ。

 

 皇族を亡き者にせんと飛び掛かる輩へ瞬時に近づく。もともと【箭踏】はそのための技である。

 

 戦うためではなく、護るための技。

 

 今こそ、その真価を発揮する時に他ならない。

 

 ――護る。この身に代えても。

 

 それが、自分の使命なのだから。

 

「貴様……捨て身のつもりだな?」 

 

 ゴンバオは、少しだけ驚いた様子で口にした。

 

 リーエンは答えない。沈黙で是をしめす。

 

「……よかろう。ならば我輩も次で確実に貴様を斬り、【煕禁城(ききんじょう)】を墓標としてくれよう」

 

 ゴンバオもまた静かな殺気をまとい、剣を前にして構えた。

 

 地下室が静まり返る。

 

 誰一人として音を立てない。

 

 静寂が極限までに達した、次の瞬間。

 

 二つの強風が同時に吹いた。

 

「「()!!」」

 

 リーエンは【箭踏】を発動した。

 

 途端、切っ先とゴンバオの胸との距離が、引き合うような速度で縮まった。

 

 相手の肉体の一部を「陽」とみなしたこの一突きを避けることが極めて難しいことを、元護衛隊隊長たる彼はよく分かっている。ゆえに避けようとはせず、斬撃を側面からぶつけて剣を叩き折ろうとしてきた。

 

 だが、リーエンもまた、そう来るであろうことは予想していた。

 

 ゆえに、間合い同士が重なった瞬間に【箭踏】を中断し、真っ直ぐに向けていた剣先を後方へ引いた。

 

 リーエンの間合いが狭まり、剣を真っ二つに叩き折るはずだったゴンバオの太刀筋も下から上を素通りするだけで終わった。

 

 その剣技に泡を食ったであろうゴンバオの僅かな隙を狙い、今度こそリーエンは攻撃を仕掛けた。後方に引いた剣を、深い踏み込みに合わせて水平に走らせた。

 

 当たる。そう確信した。

 

 しかし、それは確信ではなく、願望で終わることとなった。

 

「……なっ」 

 

 剣が――途中で半ばから真っ二つに折れた。

 

 何が起こった。

 

 見ると、折れた箇所には、ゴンバオの左拳があった。刃に比べて脆い剣の腹へ、拳を鋭く叩きつけて折ったのだろう。

 

 そうして考えているうちに、リーエンの左肩から右腰にかけて刃が素早く撫でた。

 

「あ……!」

 

 吹き出す血しぶき。

 焼けるような痛み。

 不可解な現象に対する不気味さ。

 ――敗北の実感。

 

 刃の入った深さからして、これは戦闘不能に陥るほどの負傷だ。長年のカンがそう訴えた。

 

 負けたのだ、自分は。

 

 護れなかった。この国の旗印たる尊き者たちを。

 

 だけど、諦めきれなかった。

 

 自分が護ることを諦めるのは、死んだときだ。それまでには、どれだけみっともないとしても、希望的観測でも、可能性に賭けたいと思った。

 

 もうこの傷では勝つことは不可能。

 

 ならば、せめて、その剣を折ってやる。

 

「うおおおおおおおお――――!!」

 

 リーエンは、身体に残った気力を全て絞り出すように雄叫びを発し、折れた刃に全身の力を込めて振った。

 

 その刃は、ゴンバオの剣の半ばに直撃。耳が痛くなるような金属音とともに、剣身が分断した。

 

 腹を蹴られ、地面をみっともなく転がされるリーエン。その衝撃で、溢れ出す血の量が増える。

 

 しかし、それでもぎこちなく立ち上がる。

 

 ゴンバオではなく、壁際に立つ皇族の元へ歩んでいく。

 

 三人の皇族を、リーエンは両腕で抱きしめるように包み込み、壁に押し付けた。

 

「リーエン、君は……」

 

 皇太子が、気遣わしい声で呟く。こちらの考えを読んでいるかのような声だった。

 

「御三方……血で汚れる、でしょうが……辛抱…………なさって、ください……」

 

 そう。自分は肉の盾。最期の最期まで、この身を盾として使う。

 

 剣を折ったのは、刺突で自分を貫通して皇族を刺させないためだ。

 

 このまま死ぬまで皇族を守り続け、助けが駆けつけるのを待つ。

 

 バカな希望的観測だ。そんなことが叶う確率など、限りなく薄いというのに。

 

 しかし、もはやリーエンにできることは、祈ることだけだ。

 

 誰でも良い。ゴンバオを止められるくらいの武法士に駆け付けてきて欲しい。

 

 リーエンは薄れゆく意識の中、ひたすらに祈り続けた。

 

 誰か、誰か、誰か——

 

 

 

 

 

 巨岩が高速で鉄の扉にぶつかったような、けたたましい轟音が地下全体に響いた。

 

 

 

 

 

 耳を刺すほどの音に、リーエンを含む、地下室の誰もがその音源へ振り返った。

 

「あ……!」

 

 それを見て、リーエンは確信する——己の祈りが通じたことを。

 

 目に映るのは、見るも無惨に内側へひしゃげて破られた、鉄格子。

 

 その内側で、深く腰を落とした掌打の形で立っている、三つ編みの少女。

 

 それは、リーエンが数知る武法士の中で、最強とも呼べる面々に顔を連ねる一人。

 

(リー)……星穂(シンスイ)

 

 太い三つ編み一本を尻尾のように垂らした小柄な美少女の姿を、虚ろになりかけた瞳に映した。

 

 すでに満身創痍だというのに、その口元が希望でほころぶ。

 

 ——彼女ならば、できるかもしれない。

 

 武林において最強最悪の名を欲しいままにした【雷帝】。その一番弟子たる彼女ならば、この男……ゴンバオに匹敵するかもしれない。

 

 自分の腕の中にいるこの尊き方々を、救ってくれるかもしれない。

 

 この奇跡に心から感謝しつつ、リーエンは救いを願う信徒のように請うた。

 

(リー)女士……貴女に、恥を……忍んで…………お願いが、あります……」

 

「……はい」

 

「私は……もはやこれまで、でしょう…………だから……どうか…………」

 

 リーエンは最後の力を振り絞り、一番言いたい言葉を強く発した。

 

「どうか、皇族の方々を……この国を、救ってください。貴女しか、いないのです……!!」

 

 対し、小さな救世主は、迷いの無い口調ではっきり返した。

 

「——そのためにここに来た」

 

 その答えに安堵しきったリーエンは、満足げに微笑んだ。

 

 


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