一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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赤黒い憎悪

 

 ボクがここ――【熙禁城(ききんじょう)】地下にある避難場にたどり着くまでの道のりは、意外とさくさく進んだ。

 

 

 

 まず、【熙禁城】の正門前まで大急ぎで来た。当然ながら非常時なので衛兵や護衛官らが厳重に警備していたが、ライライから貰った紋章を見せると、裏戸からすんなり中へ通してくれた。

 

 問題は「外廷」に入ってからだった。

 まず、あの黒服が言っていた「地下の避難場」へ行く方法が分からなかったのだ。

 なのでボクは、外廷の中を当てもなく探し回るしかなかった。

 

 けれど、その問題はすぐに解決した。

 『混元宮(こんげんぐう)』……謁見の間として使われていたその建物だけが、他の建物よりも警備の数がちょっと多かったのだ。

 

 ボクは『混元宮』へ行き、紋章を見せ、通すよう訴えた。

 

 しかし、ここの警備の護衛官は慎重派なようで、どういう用件であるのかと訊いてきた。……見方を変えれば、慎重ということはつまり、それだけ『混元宮』が皇族の居場所に近いってことだ。

 

 ボクは悩んだが、一瞬で素敵な方便(ウソ)を思いつき、口に出した。

 

「実はボクは、チュエ殿下から極秘に連絡係を任ぜられた身なんだ。皇帝陛下に大至急お伝えしなければならない情報があるゆえ、お通し願うよ」

 

 対し、護衛官らはいぶかしげな表情を浮かべ、

 

「その情報とは何だ? 言ってみろ」 

 

「言ったら極秘にならないでしょ」

 

 もっともらしい意見を返す。

 

 護衛官らは信じるべきか疑うべきか、判断がつかない様子だった。知らされていない身としては、「極秘の連絡係」なんて聞いても信じられない。だが、ボクの持つ紋章の力は本物なので、疑いきることができない……彼らの心中はこんなところかな。

 

 あともう一押し必要だと感じたボクは、護衛官の一人に抱きついて、涙を蓄えた上目遣いで懇願した。

 

「お願いだよ! 通しておくれよ! もしこの任務を達成できなかったら、国は終わるかもしれない! 仮に賊を撃退できたとしても、任務をきちんとこなさなかった咎(とが)できっとボクは首チョンパだよぉ! もしここで門前払いならどのみちボクの人生オシマイだ!! なぁ頼むよぉ、なんでもするからぁ!!」

 

 我ながらナイス演技力だった。役者でもやろうかな。

 

 もっともらしい言葉で理詰めにされ、情にほだされ、さらに緊急事態であることを強調されるという三連撃で、ようやく護衛官は折れて『混元宮』の中へ通してくれた。

 

 謁見の間。

 

 だが、玉座の位置が、もとの位置より横にずれていた。

 

 見ると、もともと玉座があった位置には――地下へ続く階段があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで至る経緯は以上だ。

 

 しかし、長い一本道を抜け、たどり着いた先にあった地下の広間には、予想の斜め上をいく光景が広がっていた。

 

 ……いや、予想はしていた。最悪の事態として。

 

 ただ、その「最悪の事態」をもたらした人物が、驚くほど意外な人物だったのだ。

 

 ボクははっきりこの眼で見たのだ――護衛隊隊長のジンクンさんが、リーエンさんを斬りつけるところを。

 

 それだけじゃない。合計六人の護衛官が、血を流してこと切れていた。

 

 リーエンさんは今、皇族のお歴々を壁際で包み込むようにして抱きしめている。戦えなくなっても、せめて肉の壁として役立とうとしている。

 

 ジンクンさんは折れた自分の剣を投げ捨て、無感情な顔でこちらを見ていた。

 

「なにやってんだよお前っ!!」

 

 慇懃な言葉遣いなど忘れ、敵意を込めた声と視線で護衛隊隊長を射る。

 

「決まっているだろう。そこにいる蛆虫共を駆除しようとしているのだ」

 

 ジンクンさんは淡々とのたまった。その口調と態度は、初めて会った時の忠臣然としたものとはかけ離れていた。

 

 怒りと戸惑い。それらを半々心に秘めながら、ボクはすがるような怒鳴り声で詰問した。

 

「お前ふざけんなよ!! どうしてだ!? あんたは、皇族を守ることに命をかけているんじゃなかったのか!? 護衛官って立場に、誇りを持っていたんじゃなかったのか!? そのあんたが、どうして皇族と、自分を慕ってくれていた部下を手にかけてる!? 答えろ、この馬鹿野郎っ!!」

 

「貴様に見せた忠臣の顔など、全て演技に決まっているだろう。……我輩は一瞬たりとも、この連中のために命をかけたいなどと思ったことはないのである。この騒乱を引き起こしている者の正体、貴様ならば概ね検討はついているのであろう? 【雷帝】の一番弟子よ」

 

 ボクは喉を鳴らし、口元をこわばらせながら言った。

 

「……『琳泉郷(りんせんごう)』」

 

「その通りだ。黒服を着て暴れまわっている連中は、みな朝廷になにかしらの不満を持った者たちだ。我輩はそんな連中に数年前から【琳泉把(りんせんは)】をこっそりと教え、今回の騒乱を起こさせた」

 

 ギリギリと、拳が握られる。

 

「そうか……お前が「首領」か」

 

「誰にそれを聞いたんだ? ふん、まあ良い。ご名答だよ李星穂(リー・シンスイ)。我が真名は琳弓宝(リン・ゴンバオ)。察しの通り、朝廷の魔手によって滅ぼされた『琳泉郷』唯一の生き残りだ」

 

 ボクは驚きで喉元を緊張させた。

 

 【琳泉郷】の生き残りであることはすでに感づいていた。

 

 問題は、その名前に聞き覚えがあるということだ。

 

 その名前は――【琳泉郷】の村長(むらおさ)の息子と全く同じだからだ。

 

 レイフォン師匠に【琳泉把】を教えたのは、コイツの父。つまり師匠とこの男は師兄弟。

 

 だが、今更そんなのはささいな事。

 

 いずれにせよ、ボクがこれからやるべきことはただ一つ。

 

「やかましい。お前にくれてやるのは――コイツだけだっ!!」

 

 空気を穿つように鋭く駆け出し、一気にジンクンさん――否、ゴンバオに押し迫った。

 

 震脚で倍加させた体重を拳に込めて叩き込む基本の正拳突き【衝捶】を、身体のど真ん中めがけて打ち放った。

 

 しかし、拳に空虚な感触が訪れるとともに、周囲六ヶ所から衝撃を浴びた。

 

「がぁっ……!!」

 

 速い。ボクが一発打つ間に、六回は打たれた。地上で暴れまわっている黒服とは、明らかに桁外れな数値だ。

 

 たたらを踏みながら、ボクは石床を見た。ゴンバオのものである血の足跡のうち、一番水気がある……つまり新しいものは「六つ」。それらは、先ほどまでのボクの立ち位置を囲む形でべったり付いていた。

 

 ――六拍子。

 

 それが、この男が「一拍子」の中に圧縮できる拍子の数だと断定。

 

 五拍子しか圧縮できないボクより一つ速い。

 

 それに対して、気後れする時間さえ与えられない。

 

「ぐがあぁっ!?」

 

 ゴンバオの姿が消えた、と思った途端に一瞬で周囲から打ち込まれた六連撃。

 

 速すぎる。当たり前だが、とても目では追えない。追えても反応できない。

 

 同じ土俵に入らない者には一切の反撃を許さない、相対的な「最速」。

 

 ——けれど、【琳泉把】だって完璧じゃない。

 

 ゴンバオが姿を現した途端、ボクはそこへ突っ込んだ。

 

 【琳泉把】を歩き終えた瞬間、ほんの一瞬だけ足元が硬直する。それを「断絶」と呼ぶ。そこを狙うつもりだった。

 

 とはいえ、弱点に対策をもうけない訳がない。「断絶」の最中に我が身を守る手段も、当然【琳泉把】には存在する。踏み込みに交えて放たれた正拳【衝捶】を、ゴンバオは腕で下から上へ掬(すく)い上げるよう受け流した。

 

 右腕が持ち上げられる。だが、ボクは右肘を曲げて"するり"と前腕部とゴンバオの腕を滑らせ、懐深く踏み入る足さばきに合わせて肘打ちを叩き込もうと試みる。

 

 しかし、いま一歩遅かった。その【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】が直撃する寸前に、ゴンバオの硬直が解けた。その姿が消え、肘が空を穿つ。

 

 これからまた、周囲から見えない速度で連撃を受けるのだろう。

 

 だが、それは織り込み済みで、策もあった。震脚で踏み込んですぐその足を強く捻り込んだ。台風のような螺旋状の勢いが一瞬で全身にまとわりつき、身体を鋭く横へ展開させた。

 

 そんなボクに殴りかかったゴンバオは、大地の力で強化された螺旋勁に巻きとられ、重心を崩し、何も無い虚空に突然姿を現した。……螺旋の力の伝達は恐ろしく速い。足底をひねり始めた時点でトコロテンが波打つように一気に全身を覆う。たとえ相対的に最速になれる【琳泉把】であっても、触れればその力の流れに巻き込まれ、能力が強制終了する。

 

「はぁっ!!」

 

 重心の安定を崩したゴンバオめがけて【衝捶】を叩き込んだ。

 

 当たった。しかし……手ごたえが無い。吹っ飛ぶ勢いも弱い。

 

 案の定、ゴンバオは倒れることなく、地面に足を擦らせて勢いを殺した。

 

 ボクは重い目で敵を見る。

 

「……溶かしたな」

 

「よくわかったな、小娘」

 

 挑戦的にうそぶくゴンバオ。衝突する寸前に拳に掌を当てて手前へ引き、さらに重心も後ろへ引いて威力を大幅に「溶かした」のだ。

 

「だが……大したものであるな、小娘。リーエンとて、我輩とここまで上手く立ち回れはしなかった。流石は、【雷帝】の門弟といったところか」

 

 ボクは答えない。黙ってゴンバオを見据え続ける。

 

「……一方で、妙なところがある。お前も大したものであるが、リーエンとて相当な修羅場をくぐり抜けた強者。純粋な技巧でも貴様と同等か、あるいはそれ以上と見ている」

 

「だからどうしたんだ」

 

「妙なのである。貴様とそれほど実力の離れていないはずのリーエンが、防戦一方な戦いしか出来なかったのだ。が、貴様は奴以上に我輩と立ち回れている。そう——まるで我輩の武法がどのようなものであるのか、最初から知っていたかのようだ」

 

 企むように口端を吊り上げるゴンバオを見て、ボクは確信した。

 

 コイツは間違いなく知っている。

 

 ボクが【琳泉把】の使い手であることを。

 

 だがそれはよくよく考えれば当然のこと。ボクの師匠は、【琳泉郷】の村長……つまりコイツの親父さんから【琳泉把】を学んだのだから。

 

 その時に師匠とコイツが顔馴染みになっていたとしても、何ら不思議ではない。

 

「そんなものではなかろう、お前の力は。言っておくが、今のままでは我輩に勝つことは不可能であるぞ? 死にたくなければ出し惜しみなどせず、全力を出し尽くすがいい」

 

 それを知ったうえで、ボクに【琳泉把】を出すよう、暗に促してきている。

 

 だが、それに乗る気はない。

 

「買い被り過ぎだ」

 

「そうか。ならば死んで後悔しろ」

 

 言うやいなや、またもゴンバオの姿が消失。

 

 それにタイミングをぴったり合わせる形で、ボクは両腕で顔を守り、【硬気功】で背中を硬化させた。

 

 途端、全方向からマシンガンを撃ち込まれたように、全身のあらゆる場所に衝撃が叩き込まれた。防御が間に合ったおかげで大したダメージはなかったが、背中に浴びた最後の一発には特別重さが込められていたため、前のめりに弾き飛ばされた。

 

 倒れてしまうと、立ち上がるのに時間を食ってしまい、そこが大きな隙となる。なのでボクは両手で着地し、腕をバネにして前へ回転。円周の流れで足を地につけて立ち上がった。いわゆるハンドスプリングの要領だ。

 

 ゴンバオは、一瞬の「断絶」状態に入っていた。その僅かだが貴重な隙を利用して、ボクは丹田に【気】を集中し、震脚と同時にそれを炸裂させた。

 

 【炸丹(さくたん)】で威力を増幅された震脚は、床の石材を広く粉砕。舞い上がった無数の破片がゴンバオにぶちまけられる。

 

「ぬっ……」

 

 奴は両腕で、破片から顔を守る。

 

 ボクはガレキの雨の流れに乗る形で、そんなゴンバオの懐近くまで到達する。地を思い切り蹴っ飛ばして爆進。強烈な震脚に合わせて拳を真っ直ぐ突きのばす【衝捶】で、ガラ空きの胴体を貫きにかかった。

 

 しかしながら、流石は腐っても護衛隊隊長になった男だ。ボクの狙いにすぐに気づいたようで、こちらの放った拳を下から蹴り上げた。そのまま蹴り足の軌道を変え、ボクの胸部へ蹴撃を放つ。

 

 ボクは素早く斜め前へ立ち位置を移動させ、当たる寸前でことなきを得た。そのまますれ違いざま、【衝捶】を放とうと試みる。

 

 が、次の瞬間、ゴンバオの姿が消えた。

 

「ぐはっ!?」

 

 背後に叩きつけられる衝撃。

 

 【衝捶】を行う途中の勢いも相まって、ボクは大きく前へ転がされた。

 

 転がって受け身をとる。足と地面の摩擦で残りの勢いを封殺する。ボクが最初に破壊した鉄格子の前あたりで止まった。

 

 ボクは足元に落ちていた細かい床の破片を一瞬でかき集め、前にばら撒いた。ゴンバオが腕で両眼を押さえた状態で止まる。その数瞬の隙を使い、ボクは部屋の直角へと全速力で移動した。

 

 ゴンバオが再び動き出そうとしたが、ボクの立っている場所を見て、やめた。……流石は元護衛官だ。ボクの手前へ来るたび幅が狭まるこの直角では、攻撃を進ませられる面積もまた狭まり、軌道は「真っ直ぐ」に限定される。いかに神速の【琳泉把】といえど、どの辺りからどんな攻撃が来るのかが分かっていれば脅威ではない。自ら死地に飛び込む愚かな行為と悟ったのだ。

 

「そうか……是が非でも「あれ」を出したくないというわけであるか」

 

 その元護衛官は、独り言のように呟く。

 

「ならば、さっさと「本命」を狙うとしよう」

 

 言って、ゴンバオは——皇族へ目を向けた。

 

 ボクの心臓が早鐘を打った。まずい、あいつ、皇族を先に殺す気だ。

 

 壁で皇族を抱きしめるようにして守っているリーエンさんからは、まだ【気】が感じられるため、生きていると分かる。でも、もう戦える状態じゃない。今ゴンバオに近づかれれば、全員容易にくびり殺されるだろう。

 

「やめろっ!」

 

 ボクの静止を聞き流し、ゴンバオは一瞬で皇族のもとへと近寄り、リーエンさんの首根っこを掴んだ。

 

 走り出さなければ。しかし、ここからあの場所まで結構な距離があった。ボクが駆けてたどり着くよりも速く、あいつの握力がリーエンさんの頸椎を粉砕するだろう。

 

 あそこまで一瞬でたどり着く方法はただ一つ——【琳泉把】。

 

 だが、あれは禁拳だ。使う事自体がご法度。まして皇族の御前である。

 

 もし使えば、ボクは間違いなく罰を受ける。

 

 だが、リーエンさんだって、いつ命を落としてもおかしくない状態だ。

 

 ――もう、ボクに選択肢など、無かった。

 

 

 

 覚悟を決めた次の瞬間、世界が灰色に包まれた。

 

 

 

 ボクの目の焦点に灰色のインクを一滴こぼし、それが一瞬で空間全体に染み渡ったように、世界は何もかもが灰色に染め上げられた。

 

 「灰色の世界」の流れは、ものすごく緩慢。

 

 その世界でただ一人、色彩を持つボクだけが、普通の速度で動ける。

 

 ——【琳泉把】が今、発動した。

 

 ボクがこの世界を一度に歩ける歩数は、五歩まで。

 

 なので、出来るだけ大きな歩幅で進む。

 

 一歩、二歩、三歩、四歩目を踏み出してから跳躍。——途端、世界が色彩を取り戻す。【琳泉把】は地と足が離れると、自動で中断される。歩法ありきの技術だからだ。

 

 しかし、限界である「五歩」全てを使い切っていなければ、足の硬直による「断絶」は発生しない。

 

 つまり、足は動く。

 

 ボクは跳躍の慣性に従ってゴンバオに肉薄し、その脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐっ……」

 

 敵の唸りは軽い。やや威力不足が否めない蹴りだったが、それでもリーエンさんから引き離すことには成功した。

 

 ゴンバオが後方へたたらを踏む。そんな風にバランスを崩している間にボクはすぐさま着地し、再び【琳泉把】を発動。再び緩慢な灰一色の世界に訪れ、その中でボクはゴンバオめがけて四歩進み、五歩目を踏み出すのと同時に拳を打ち込んだ。——世界が元の色と速さを取り戻す。

 

 ボクに限界である「五拍子」を出し切ったことで、足元に刹那の硬直が起こる。しかしゴンバオは拳の勁をまともに食らって大きく後方へ押し流されていたので、反撃の心配は無い。

 

 ……やっぱり、【琳泉把】の勁撃は威力が物足りない。ここに【打雷把】の勁撃を加味できれば、鬼に金棒なのに。

 

「げほっ、ごほっ! …………くくっ、くふふふふ……!」

 

 咳を交えながら、噛み殺したような笑いをもらすゴンバオ。

 

 次の瞬間、俯かせていた顔をバッと上げた。その壮年の顔には、心底愉快そうな表情がくっついていた。

 

「面白い! 面白いぞ李星穂(リー・シンスイ)!! やはり貴様も「同門」だったか!! ははっ、はははははは!!」

 

 「同門」。その発言のせいだろう。皇族の方々の驚愕しきった視線が、ボクに突き刺さるのを感じる。

 

 その視線に痛みを覚えつつも、ボクは否定しなかった。

 

「……そうだ。ボクとあんたは同門だ。あんた、【琳泉郷】の村長の息子だろう? ボクの師匠は、あんたの親父さんから【琳泉把】を学んだんだ。さらに師匠からボクに伝承が与えられた。それだけの話だ」

 

「我輩も貴様の師と同じく、父上から武法を学んだ。つまり我輩は、貴様の師伯(おじ)というわけだ」

 

 おもむろに、ゴンバオは掌を前に出した。まるでその手を取れとばかりに。

 

 親愛の情を感じさせる微笑が、ボクへ向けられる。

 

「どうだ、李星穂(リー・シンスイ)? 今からでも遅くはない。我輩の仲間にならぬか? 武法における同門の絆は血と同じくらい濃い。まして、この世で【琳泉把】の真伝を知る者は我輩と義理の娘、そしてお前の三人だけだ。そこの害虫どもに凌辱し尽くされた【琳泉把】の正統なる伝承を、今こそ復活させようではないか!」

 

「……ああ。たしかに、ボクとお前は同門だよ――事実上はね」

 

 ボクは片足を引いて半身の立ち方になり、慣れ親しんだ構えを取って「敵対」の意思を表した。

 

 構えた前手の指先越しに、ゴンバオを睥睨する。

 

「そう、「事実上」だ。罪の無い人達を大勢殺し、今まさに皇族をも殺そうとしているロクでも無いお前を、ボクは同門とは死んでも思わない」

 

 指先の延長線上にいるゴンバオもまた、親愛の笑みを消し、愚か者をあざける眼光を向けてきた。

 

「愚かな選択をしたな、小娘。生き残る最後の好機を自ら潰すとは。では代わりに親愛ではなく――死をくれてやろう」

 

「気が早いんだよ。まだ勝負はついちゃいない」

 

 ゴンバオもまた構えを取った。

 

 動かぬ両者。場を静寂が包み込む。

 

 地下室であるため、わずかな呼吸さえ耳に入ってくる。六人の呼吸の中から、ゴンバオの呼吸を探り当てる。

 

 同門であるボクら二人の呼吸を、重ね絵のように重複させる。

 

 重なり、一つになった呼吸が、鋭さを得た。

 

 ボクらは全く同じタイミングで【琳泉把】を発動させた。

 

 周囲の景色の動きが遅い「灰色の世界」に、ボクらは二人そろって訪れた。二人とも、その世界で色彩を持っていた。

 

 一拍子行う時間に、ボクは五拍子分の動きができる。

 

 しかし、ゴンバオは一拍子に六拍子分の動きができる。なので、必然的にボクよりも速かった。少し早回しになったテープみたいな動きで、一気に近寄ってくる。

 

 確かに速い。けれど――さっきまでと違って動きがハッキリと見える。だからさっきと比べると幾分も対処しやすい。

 

 押し迫る掌底。ボクはその射程から外れようと横へ歩を進めるが、いかんせん速さが足りないため逃げ切れず、掌底を肩にかすめてしまう。

 

「うわ!」 

 

 そのせいで体勢が大幅に崩れ、それと同時に呼吸も乱れる。【琳泉把】が中断された。

 

 体勢を立て直したその瞬間、突然視界にゴンバオの姿が大きく現れ、勁力を込めた掌打が強く押し当たった。突き抜けるような衝撃に呼吸が一瞬止まる。しかし倒れたら思うツボだ。足指で地を噛んで掌打の勢いをねじ伏せる。

 

 はるか遠くに離れたゴンバオが、六拍子を使い切って束の間の「断絶」に入っていた。そこから再び姿が消失。また【琳泉把】を使ったのだ。

 

 ボクもそれと全く同じタイミングで【琳泉把】を発動。両者同時に灰色の加速空間に転移する。

 

 ゴンバオがこちらへ迫り、ボクがそれから逃げる。

 

 案の定、速度の速いゴンバオが、ボクへあっという間に追いついた。

 

 ――だがボクは、まだ持続できるにもかかわらず、途中で【琳泉把】を中断。

 

 足指で大地を掴み、脊柱を上へ張らせて【両儀勁(りょうぎけい)】を発動。天地の間に楔(くさび)を打つように盤石な重心を作った。

 

「ふごっ――!?」

 

 そんなボクの背中に向かって、ゴンバオが激しく衝突した。前方車両がいきなり急停止したら、後方車両は急に止まれず玉突き事故を起こす。それと同じ理屈だ。いきなり止まって、ゴンバオと玉突きしたのだ。

 

 【琳泉把】の稲光のごとき速度で、【両儀勁】で山のごとき盤石な固定力を持ったボクにぶつかることは、まさしく自殺行為。岩に全速力でぶつかりに行くようなものだ。自分のスピードで自分を傷つけることになる。

 

 さらにボクは振り向きざま、【移山頂肘】へと移行。震脚によって何倍にも増幅させた体重を肘に込めて打ち込もうとする。

 

 予想より早く痛みから立ち直ったゴンバオが、【硬気功】で背中をコーティングする。その上で、ボクの肘の両側に伸びる前腕と上腕を手で受け止めた。肘という、勁力が最も集中する部分との衝突を避ける形で。

 

 ゴンバオは冗談みたいな速度で吹っ飛び、壁に構えられた扉の一つに激突。さらにその扉も粉砕して中へ転がり込んだ。

 

 ボクはすでに【琳泉把】を発動していた。臨界点である五拍子目で跳躍し、空中で刹那の硬直をやり過ごしてから転がって受け身を取り、破られた扉の中に入った。

 

 そこは一目で「寝室」と分かる部屋だった。両の壁際にいくつも備え付けられた寝台。それらに挟まれる形で細長い通り道があり、その一番奥の壁には砕けてできた凹みと、それを作ったであろうゴンバオが立っていた。

  ボクは体勢を立て直される前に一気に距離を詰める。震脚で踏み込んだ右足に鋭い捻りを加えて全身を左へ展開、その猛烈な勢いに乗せる形で右拳を突き出した。【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】。

 

 けれど、その拳は虚空を貫く。同時に、ボクの胸の前をゴンバオの拳が爆速で通過した。見ると、ゴンバオはボクの右拳を上へ掬うようにいなしながら、中腰で両足を揃えた体勢で右拳を突き出していた。【心意把(しんいは)】の正拳だった。そうだ、コイツはこれも使えたんだった。

 

 けど、これで終わりじゃない。ボクの右拳を掬い上げる形で受け流していたゴンバオの左手を、開いた右手でそのまま掴み取った。さらに胸の前で伸びた左拳の手首も捕まえる。

 

 ゴンバオの眉が不快げにピクリと動く。当然だ。なにせ、敵に掴まれている状態では、【琳泉把】は使えないのだから。

 

 引き剥がさんと、両腕を外側へと振るゴンバオ。しかしそれは、胸をガラ空きにすることと同義だった。

 

 お望みどおり手を離しながら、歩を間合いの内側へ進める。その足で大地を殴りつけるように震脚し、それに付随させた肘鉄【移山頂肘】をガラ空きの胸部へ激突させた。

 

 強烈な勁力を受けたゴンバオは吹っ飛び、壁に激突してバウンドして戻ってくる。

 

 ボクはまだ手足を休めない。足底、骨盤、腰部、胸骨を同ベクトルにねじり込み、前足の震脚に合わせてその鋭い螺旋勁を拳でゴンバオに伝達させた。【拗歩旋捶(ようほせんすい)】。

 

 またも勢いよく弾かれ、壁に跳ね返って戻ってくる。

 

 まだ技はやめない。コイツは強敵だ。手心を加えたらこっちが危険である。だから容赦はしない。技が通じる時には遠慮なくぶちかます。

 

 ボクは【衝捶】を放った。一直線に拳が疾駆し、またも直撃——かと思いきや、まるで真綿を殴ったような、柔らかく、手ごたえに欠ける感触。

 

 ゴンバオは衝撃を受け流したのだ。ボクの拳を両手で受け、それを水車のように回転力へと転化させ、トンボを切りながらボクの頭上を飛び越えた。

 

 しかし【打雷把】の強大な勁撃を二発も食らったダメージはでかいようだ。上手く着地することが出来ず、余った勢いに流されるまま床を転がり、扉を外された寝室の外へと投げ出された。

 

 ボクはゴンバオを追いかける。うまく動けないでいる今のうちに、出来る限り攻撃を加えよう。

 

 しかし、思った以上に立ち直りが早かった。

 

「なっ……まだ立てるのか!?」

 

 すでにゴンバオは起き上がっていた。足もしっかり地を踏んでおり、いつでも【琳泉把】を使える状態だ。

 

「……やってくれたな、小娘」

 

 打たれた部位を押さえながら、うめくように言うゴンバオ。その表情には苦痛の色が濃く浮かんでいるが、それに反して呼吸はしっかりしていた。

 

 ボクはその打たれ強さに驚愕しつつも、立ち止まり、その呼吸のリズムに耳を傾ける。もし【琳泉把】を使う呼吸が少しでも聞こえた場合、ボクもそれに合わせて【琳泉把】で加速するつもりだった。

 

「……褒めてやるぞ。たかだか十と五、六ほどしか年数を生きていない小娘が、この我輩にここまでの手傷を負わせようとはな。…………流石は、あの最強最悪の【雷帝】の弟子といったところ、か」

 

 ん?

 

 ゴンバオの繰り返す呼吸が、少しずつ変化している。

 

「舐めてかかっては、我輩の方が死にかねん」

 

 その呼吸は、【琳泉把】に似ているようで、少し違っていた。

 

「ゆえに……我輩も出し惜しみせず、本気を出す必要がありそうだ」

 

 例えるならば、速さと激しさを内包した——嵐。

 

 

 

 目の前が一瞬、真っ白になった。

 

 

 

 それはさながら、間近で落雷が落ちた時の閃光のようであった。

 

 爆風のごとき空圧。

 

 そして、想像を絶するほどの、強大極まるインパクト。

 

「かはっ——」

 

 激痛を通り越し、何も感じなかった。重みを受けたという事しか知覚出来なかった。

 

 抗う術など何もなかった。ただその正体不明の衝撃に押されるまま、弾丸のごとき速度でカッ飛ぶのみ。

 

 ボクの体にかかったエネルギーは、壁に激突してもなお足りぬとばかりに体を奥へとめり込ませた。全身が埋まる感覚。

 

 しばらくして、ようやく凄まじい痛覚を自覚した。

 

「げほっ、がはごほげほっ!! がはっ、げほっ…………うおぇぇっ!!」

 

 喘息じみた激しい咳とともに、赤黒い血液をドバッと吐き散らした。

 

 勝手に涙が浮かんでくる。

 

 なんだ、これ……痛すぎる…………!! 

 

 衝撃を吸収、分散する武法士の骨格には、損傷はなかった。しかし、余剰した衝撃が内部に波動として浸透した。そのため、無事ではなかった。

 

 朦朧とした意識のまま、先ほどボクが立っていた場所をどうにか見繕う。

 

 

 

 そこには——【心意把】の突きの構えを見せたゴンバオが立っていた。

 

 

 

 ボクには、今、目に映っているモノが信じられなかった。

 

 だって、さっきのボクとゴンバオは、一歩や二歩では差を詰められないくらい間隔を開いていたはずなのだ。

 

 だが、先ほどこの男は、その差を文字通りの「一瞬」で縮めたのだ。それが出来る技は【琳泉把】以外考えられない。

 

 そうして一気にボクへ近寄り、【心意把】による強大な勁撃を当てたのだろう。

 

 だからこそだ。ボクが驚いたのは。

 

 

 

 ——なんで、【琳泉把】を使いながら【心意把】を使えている?

 

 

 

 それはありえないことだ。

 武法の流派には、それぞれ技を用いる上での「呼吸」が違う。

 そのため、異なる流派の技同士は、いわば水と油だ。

 「流派Aの技」を使っている途中に「流派Bの技」を使おうとすると、二つの呼吸同士が噛み合わず、体が硬直してしまうのだ。

 

 しかし、この男はその不可能を可能にしてみせた。

 

 おまけに、あの威力は【心意把】のものではなかった。いくら威力重視の【心意把】であっても、今のようなバカバカしい破壊力は出せっこない。

 

 それこそ、【心意把】の勁撃数発を、一拍子の中にまとめていっぺんに打ちでもしない限り——

 

「……まさ、か」

 

 呻きながらそう発すると同時に、ボクは壁面から剥がれ落ちた。両膝と両手で着地する。

 

 そんな馬鹿な。信じられない。

 

 けれど残念なことに、ボクの予想が今、目の前で現実化していた。

 

 考えうる限りの、最悪の予想が。

 

 衝撃の余韻で咳き込みながらも、ボクはこっちへ歩んでくるゴンバオを強く見据えて問うた。

 

「お前は――【琳泉把】と【心意把】を融合させたのか」

 

 ゴンバオはにやりと笑った。

 

 それは限りなく「是」であった。

 

「貴様の師が【琳泉把】に抱いた期待は想像に難くない。一撃必殺級の力を持った自分の拳技に【琳泉把】の速さを混ぜることで、絶対的攻撃力、絶対的速度を併せ持った最強の武法を作ろうという魂胆なのだろう? 済まなかったなぁ――先を越してしまって(・・・・・・・・・)

 

 まるで心の中を覗きこまれた気分だった。気分が悪くなる。

 

「……元々この【心意把】は、『琳泉郷』の人間だと知られぬために得た「代用品」に過ぎなかった。だが、我輩は考えた。【琳泉把】の速さに【心意把】の威力を加えれば、途轍もない武法が生まれるのではないかと」

 

「新しい流派を、作ったっていうのか……!?」

 

「その通りだ。だが【琳泉把】の正伝を無視したこの拳技——【心意琳泉把(しんいりんせんは)】は邪道の拳。よほどのことが無い限りは使わず、誰にも伝承することもなく墓場へ持っていくと決めていたが……貴様は思ったよりも危険な存在なようだ。だからこそ、邪法に手をつけてでも、この世から消し去ってくれよう」

 

 ゴンバオは構えをとった。いつでも動き出せる状態だ。

 

 衝撃の余韻は今なお体に残り、全身のあちこちが凄まじく痛い。けれど、このまま伏していたらただ殺られるだけだ。歯を食いしばって強引に我が身を立ち上がらせ、呼吸を整える。

 

 あいつの呼吸を読み、それを手掛かりにして【琳泉把】の発動を感知。それに合わせてボクも【琳泉把】を発動して、同じ加速空間へと転じる。……それでもあいつの方が少しだけ速いが、目にも留まらぬ速さで嬲り殺しにされるよりずっとマシだ。

 

 やがて、ゴンバオの呼吸が変わった。【琳泉把】を発動させる予兆を読んだボクも、すかさず同じ技を発動。

 

 二人とも、周囲の時間がゆっくりな灰色世界へ訪れた。

 

 ゴンバオがテープの早回しみたいな速度で向かってくる。呼吸の空圧によって体内で生み出した回転力と、震脚で倍増させた自重の衝突力を込めた掌を斧のように振り下ろして来た。ボクは横へズレることでどうにか回避に成功。

 

 しかし、その空ぶった掌打の軌道がカクン! と急変し、真横に立つボクへ向かって鞭のごとく迅速に迫った。

 

 扇状になぎ払う軌道であるため、回避はもう間に合わない。なので両腕を構えて防御するが、その腕刀に込められた勁力はそんなもので防げるほど優しいモノではなかった。

 

「ごはっ!?」

 

 巨人が振り薙いだ丸太のような衝撃が、背中までジンッと突き抜ける。華奢で軽いボクの身体は、紙屑同然に吹っ飛ばされた。

 

 ボクの【琳泉把】が解ける。

 

 ゴンバオの【琳泉把】はまだ続いている。

 

 追い打ちをかける形で、ゴンバオの重々しい正拳が再びのしかかった。吹っ飛ぶ勢いがさらに強まり、壁にめり込んで激突。

 

「がっ!?」

 

 激痛に苦悶する暇も与えられなかった。首根っこを無骨な手で掴まれ、めり込んだ壁から引っこ抜かれた。

 

「く、かはっ……」

 

 ボクの首を掴むゴンバオの手が、ギリギリと凄まじい力で締め上げてくる。気道が狭まって息が苦しい。頸椎がきしむ。

 

 首を握りつぶして殺す気だ。

 

「こんっ……のっ!」

 

 ボクはなけなしの気合いを腹の底からしぼり出し、ゴンバオの顎へ片膝を叩き込んだ。

 

 それによってひるんだのか、一瞬首を絞める力が緩む。

 

 その隙に手を引きはがして着地。ひるんでいるゴンバオの胸部に拳を添え、全身の急激な捻りの勁を用いて体を横へ展開させ、その拳をゼロ距離から爆進させた。拳が錐のごとく食らいつく。——【打雷把】最速の勁撃、【纏渦(てんか)】。螺旋勁は伝達が凄まじく速く、全身を捻り始めた瞬間から全身に勁が伝わる。これだけは【琳泉把】の使い手も逃げることはできない。

 

 ゴンバオは大きく足を後方へ滑らせる。

 

「……ふふふ、なんだこれは? 今までの技に比べて随分と優しいではないか」

 

 不敵に微笑むゴンバオ。……この【纏渦】はスピードは速いが、他の技に比べて威力が弱い。おまけに奴の【心意把】は、呼吸の訓練を通して体内の力も強靭に鍛える。それらを込みで、あまり効かなかったようだ。

 

 ボクは構わず前方へ突っ走る。

 

 当然、ゴンバオは【琳泉把】を使おうとした。

 

 だが、その瞬間を見計らって、ボクは口の中に残っていた血反吐を霧のように吹き出した。

 

「ぬおっ……!?」

 

 赤い霧にさらされた奴は呻いて、ごしごしと腕で目元を拭った。目に入ったようだ。

 

 それは刹那の隙だったが、ボクはそれを使ってゴンバオの間合いへ入り込むことができた。

 

「——なんてな」

 

 ボクが【衝捶】を放つべく地を蹴った瞬間、ゴンバオは憎たらしいしたり顔を見せた。

 

 誘い込まれたと気づいた時にはすでに遅かった。ボクはすでに瞬発力で動き出しているため、すぐには方向転換できない。そんなボクのドテッ腹に、まるで予定調和のような流れでゴンバオの掌底が埋まった。

 

 鈍い痛覚と、体の中に手を伸ばされたような気持ち悪い感覚。……浸透勁。

 

 攻撃はこれだけにとどまらなかった。

 

 気味の悪い鈍痛に苦しみながらたたらを踏むボク。

 

 目の前からゴンバオの姿が消失し、

 

 

 

 雪崩のような圧力が、ボクの身に押し寄せた。

 

 

 

 【心意把】の勁撃を、一拍子に六発叩き込んだのだ。数発といっても、常人が一つの動きをする時間で六発なので、実質、「六発分の威力が乗った“一撃”」。

 

 再び勢いよく壁に激突し、深くめり込む。

 

 度重なる衝撃で体が悲鳴を上げている。うまく動かない。かろうじて意識を保つことしかできない。

 

「力の差は歴然であるな。これで貴様に「勝つ」という選択肢は無くなった。あるのは「楽に死ぬか」「苦しんで死ぬか」の二択のみ。……せめてもの情けだ、その二択くらいは選ばせてやる」

 

 余裕のあるゴンバオの言葉に、ボクは歯噛みする。

 

 ――強すぎる。

 

 強大な勁撃と、並ぶ者なき速さ。

 

 今のゴンバオが使う技は、師匠が理想とした武法そのものだ。

 

 それがいかほど凄いのかを、こんな形で思い知ることになるだなんて。

 

 本格的にマズイ。過去最大の危機だった。

 

 おそらく、動けたとしても、繰り出せる技はあと一発のみ。

 

 絶望しかない。

 

 心が折れそうだった。

 

 

 

 ――いや。

 

 

 

 まだ可能性が一つある。

 

 【打雷把】には、ほぼ確実に相手を死に至らしめる絶技が存在する。

 

 【雷霆万鈞(らいていばんきん)】——【打雷把】の中で最強の殺傷性を誇る技の結集。

 

 そのあまりの威力と凶悪さゆえに、ボクは使用を自粛していた。

 

 だが、この状況では、使わない手はなかった。

 

 ――殺す。

 

 それは、口にするだけでも、心の中で呟くだけでも恐ろしい言葉だ。

 

 けれど、今はそうするつもりでいかなければ、あの男には勝てない。

 

 それに【雷霆万鈞】ならば、殺すのはたやすい。

 

 あと一回しか技が使えない? 一回あれば事足りる。その一回で、確実に殺せる技がある。

 

 ボクは最後の力を振り絞って、壁から我が身を引き剥がした。ガレキを振り撒きながら四つん這いになって、そこからゆっくりと立ち上がった。

 

 肩をしきりに上下させながら、構えた。

 

 四肢が震えをきたしている。無理をしているのが一眼で分かる状態だ。

 

 だけど、まだ立って動くことがてきる。

 

「……なるほど、苦しんで死ぬ方を選んだか。いいだろう、ならば望み通り、苦しみぬいて逝くがいい」

 

 ゴンバオが構える。

 

 ボクはその呼吸に細心の注意を払った。

 

 これが正真正銘、最後のチャンスだ。

 

 逃すことは、そのままボクの死に直結する。

 

 ここで死んだら……もう一度、生まれ変わることができるだろうか?

 

 そんな考えが浮かんだと自覚した瞬間、打ち消した。

 

 自分の命を軽んずるような考えは抱くな。

 

 今ある「生」に執着しろ。

 

 それにいまボクが倒れれば、ゴンバオの毒牙は今度は皇族に向くだろう。それだけはなんとしても阻止しなければならない。

 

 ――絶対、勝つ。

 

 ボクとゴンバオは、同時に【琳泉把】を発動させた。

 

 高速の世界へ没入する二人。

 

 何度も言うが、ゴンバオの方が速い。ボクの方が遅い。

 

 けれど、これも何度も言うが、それでも動きが目視できるだけ対処しやすい。

 

 ボクは両腕に【硬気功】をかける。その両腕で、ゴンバオが打ってきそうな部位を読んだ上であらかじめ守っておく。

 

 ズンッ!! 突きの一発が片腕をかすめる。拳はその腕との摩擦で、ボクの耳元スレスレを通過。

 

 次々と放たれる重拳の数々。それらを【硬気功】を込めた腕で防ぎ、流す。

 

 ここまででほとんど気功術を使わなかったことが幸いした。【気】にはまだ余裕がある。これなら、しばらくは守り通せる。

 

 防戦一方ではあるが、その「防戦」の中で、ボクはあるものを探していた。

 

 それは、ゴンバオの肉体のどこかに存在する『虚星(きょせい)』だ。

 

 『虚星』とは、人間の身体を流動的に移動する「意識外の部位」。意識の外にあるその部位はとても柔らかく、とても脆い。

 

 その部位へ渾身の一撃を叩き込み、そこから勁力の衝撃を体内へ稲妻のごとく浸透させ、五臓六腑をズタズタに破壊して死に至らしめる殺手。それが【雷霆万鈞】の一つ――【冲星招死(ちゅうせいしょうし)】。

 

 防ぎながら、敵の五体の隅々まで意識を送る。

 

 『虚星』は、人間の意識の動きによって目まぐるしく位置を変える。

 

 その『虚星』の位置と、隙の位置が噛みあった時が、最大の攻め時だ。

 

 しかし、相手は凄腕中の凄腕。なかなか付け入る隙を与えてくれない。

 

 【硬気功】を使いすぎてボクの【気】が空っぽになるのが先か、相手が『虚星』付きの隙を見せるのが先か。

 

 これは、そういう勝負だった。

 

 何度も相手と【琳泉把】のタイミングを合わせ、何度も相手の攻撃を【硬気功】で受け続ける。何度もそれを繰り返し、体力気力ともに徐々に減っていく。

 

 意識がぼやけてくる。地を踏む足の力も、粘土みたいにふにゃふにゃになっていく。

 

 万事休すか。

 

 そんな思いを抱いて、ゴンバオと【琳泉把】効果切れによる「断絶」のタイミングを合わせた時だった。

 

 

 

 ――見えた。

 

 

 

 胴体を守る両腕。そのうちの左肩。

 

 そこに『虚星』を見つけた。

 

 そこに渾身の勁撃を叩き込めば、その衝撃は相手の体内を雷のような速度と勢いで駆け巡り、五臓六腑をズタズタにし、死を約束する。

 

 そう、あと一歩。

 

 だがゴンバオと同じく、ボクもまた「断絶」。

 

 つまり、足が硬直して動かない状態。

 

 まして、【琳泉把】を使っている最中だ。【打雷把】を使おうとしても、今度は足だけでなく全身が固まって動かなくなる。

 

 

 

 ――――それがどうした。

 

 

 

 目的を阻む壁があるなら、力任せにぶち破ればいい。

 

 いつだってボクはそうしてきた。

 

 それが【雷帝】と呼ばれた師匠の生き様であり、ボクが受け継いだ生き様そのものだ!

 

「ッッ――――――――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」

 

 血を吐くように、喝を発した。

 

 否。本当に血をいっぱい吐き出した。

 

 口からだけではない。身体機能の法則に真っ向からケンカを売るようなボクの愚行に、全身の至るところから裂傷、鮮血という抗議が湧き出した。

 

 あっという間に、血まみれとなった。

 

 

 

 しかし――――動けた。

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 紅の吶喊(とっかん)。

 

 持てる力のすべてを後足につぎ込み、床の石材に広大な亀裂を広げるほどの力で地を蹴り、一筋の閃電と化す。

 

 異質な者を見る表情を浮かべたゴンバオの姿が、あっという間に視界いっぱいになる。

 

 

 

 その左肩めがけて――全身全霊の一撃を叩き込んだ。

 

 

 

「ごはっ……!?」

 

 その一撃は、壁まで吹っ飛び、そこに体がめり込んでなお釣りが来るほどの威力を内包していたはずだった。

 

 だが、目を大きく見開き、言葉を失っているゴンバオの立ち位置は、ほとんど動いていない。

 

 その理由はすぐに表層化した。

 

 まず、ゴンバオの両目、両の鼻穴、両耳、口……それら「七孔(しちこう)」と総称される顔の穴から、ドス黒い血がボタボタと湧き水のように垂れ流された。

 

 さらに、素肌が出た部位――両手、首、顔に、稲妻状にいくつも枝分かれしたドス黒い筋が浮かび上がった。雷に打たれて生還した人間の皮膚上に現れる、リヒテンベルク図形のように。

 

 ボクの打ち込んだ衝撃は、余すことなくゴンバオの体内を破壊し尽くしたのだ。だからこそ、威力に反して吹っ飛ぶことがなかった。

 

「ごぽ……ごろろっ、ごろっ、ろろろろろ」

 

 すでにゴンバオの足元には、バケツの水をひっくり返したような大量の血溜まりが広がりを見せていた。

 

 血を流し続ける口元を泡立たせ、うがいみたいな声を発するゴンバオ。

 

「ごろろろっ、ごろっ、ずっ、ごろろろ、す」

 

 血で真っ赤になった眼球から放たれる憎悪の光。

 

 その赤い眼には、ボクの姿が鮮明に映っていた。

 

「ごろろ、すっ! ごろろろろろろろぉずぅぅぅぅ!!」

 

 ぐしゅり、ぐしゅりと、水気のある足音を響かせ、こちらへ向けて歩いてくるゴンバオ。

 

「……っ!」

 

 ぞくっ、と皮膚が粟立った。

 

 あの様子では、もう命は助からない。亡者も同然。

 

 だというのに……いや、だからこそ、鬼気迫るものを感じた。

 

 まるで、死してなおボクを呪い殺さんとしている幽鬼を連想させた。

 

「く、来るな! 来るんじゃないっ!!」

 

 恐慌に駆られたボクは思わず逃げようとするが、すでに足は限界を超えていた。ほとんど動かすことができず、仰向けに倒れた。

 

「ごっろろろろろろろろろろろろ」

 

 ゴンバオは、そんなボクに覆いかぶさってきた。

 

 両手でボクの首を掴み、力を入れてきた。

 

「う、うわっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ボクはこれ以上ないくらい悲鳴を上げた。

 

 首を絞める力は、大したことなかった。

 

 だが、憎悪にとりつかれたような恐ろしい形相が間近にあり、なおかつその口と眼から流れる赤黒い血がボクの身体にしたたり落ちているという事実に、耐え難い恐怖と嫌悪感を覚えた。

 

「ごろろろろろろろろろろろろろろろず!! ごろろろろろ!!」

 

 真っ直ぐ注がれるその憎しみだけで、ボクは死んでしまうかもしれないと思った。

 

「ごろろろ……ろろ……ろ…………」

 

 だが、首を絞める手の力がフッと消えた。

 

 かと思えば、ボクの上にゴンバオが全身を預けてきた。

 

 恐る恐る、口元と脈に手を当ててみる。

 

「……息が無い」

 

 すでに事切れたようだ。

 

 そのことに安堵したからか、あるいは極度の疲労からか。

 

 ボクの意識は、暗い深淵へと沈んでいったのだった。

 


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