一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

88 / 96
最悪の置き土産

 さらに二週間が経過した。

 

 怪我は、ほぼ完治にいたっていた。

 

 念のため、まだ療養は続くようだ。病み上がりなので無理はできないけれど、外を出歩く程度のことは可能だという。

 

 ずっと宮廷に篭りっきりだったので、そろそろ外へ出たいと思った。

 

 昼時の時間帯、ボクは【熙禁城(ききんじょう)】から出た。出てすぐにライライとミーフォンに出くわし、二人もついて来ることになった。

 

 そこまではまあ、普通だったのだが、

 

「街中で自分をシンスイだと名乗っちゃダメよ? 私たちも呼ばないから。さもないと面倒なことになるからね」

 

 市井へ向かう直前、ライライがそのようなことを口にした。

 

 理由も「行けば分かるわ」とはぐらかされた。

 

 ミーフォンも、まるで事情が分かっているかのようにウンウン頷いていた。ボクを見つめるその眼差しは、なんだかすごく誇らしげに輝いていた。

 

 二人の反応に、ボクは小首を傾げる。

 

 いったい、市井で何が起こっているのだろう?

 

 そういうわけで、ボクら三人は市井へ訪れたのだが、

 

「……流石に、まだ完全回復ってわけにはいかないみたいだね」

 

 久しく市井の風景を目の当たりにしたボクは、そう力無く呟いた。

 

 木片や死体がそこらへんに転がっていた時と比べると、石畳の舗装路は随分ときれいに片付いていた。しかし、ところどころ血の跡が消えきらずにべったり残っていて、人々はそれを避けて歩いていた。

 

 ……これから先、あのドス黒い血痕を見るたび、帝都の住民はあの頃の惨劇を思い出すのだろう。そう考えると、とても気の毒に思えた。

 

 軒を連ねる建物も、ところどころ崩れたり穴が開いたりしており、それを木材で補強したり塞いだりしている姿がなんとも痛ましい。

 

 それでも、人々の目は死んでいない。

 

 失ってもなお、明日を見つめて生きている者の目だ。

 

 これなら大丈夫だろうと、ボクは思った。

 

「ところで、もう具合は平気そう?」

 

 そこでふと、ライライが話しかけてきた。気遣わしげな表情だった。

 

「うん。とりあえず平気だよ。かなり完治に向かってるみたいだから」

 

「そう、それは良かったわ」

 

 彼女はそう言って小さく微笑んだ。

 

 二週間前は、ちょっと激しく動くと痛くてたまらなかったが、すぐにそれも治まってきた。

 

 この調子なら、決勝戦までには余裕で完全回復していることだろう。

 

 視界の端から、心配そうなミーフォンの顔がニュッと生えてくる。

 

「無理してませんかお姉様? 辛かったら、あたしがおんぶしてあげますからね?」

 

「いいよ、大丈夫だって。それに、ボクより背の低いミーフォンにおんぶなんかさせられないよ」

 

「いいんですあたしは! お姉様がお望みなら、おんぶでも馬の真似でもなんでもしてあげますから! 鬱憤が溜まってるなら、夜の相手だって何回でも!」

 

「ごめん、全部イラナイ」

 

 相変わらず愛が重い妹分の熱烈サービスをお断りしながら、ボクは久しく訪れた市井をぐるりと見回す。

 

 そういえば、ライライが「市井ではシンスイって名乗らない方がいい」って言ってたけど、それはどうしてなのだろうか。

 

「ん……?」

 

 真南の門まで真っ直ぐ伸びた大通りをしばらく進んでいると、あることに気がついた。

 

 道ゆく女の人の髪型。太い一束の三つ編みという割合が異様に多かった。

 

 それは、ボクが普段しているのとおんなじ髪型だった。

 

 まるでボクがいっぱいいるみたいだ。

 

 最初は気のせいだと思っていたが、進むたび、通り過ぎる女性の三つ編み率がどんどん増えていった。ここまでくると、なんか妙だと感じた。

 

 商業が盛んな南門寄りの辺りまで来た瞬間、とうとうその理由が明らかになった。

 

「な……なんだこれぇ!?」

 

 ボクは目の前に広がる光景に、そう声を上げずにはいられなかった。

 

 大通りの左右に所狭しと連なる商店。

 

 それらが掲げる旗には——ボクの名前。

 

 『シンスイまんじゅう』『シンスイ飴』『シンスイ揚げ』『シンスイ黒糖』『激辛シンスイ月餅』…………

 

 所狭しと「シンスイグッズ」が並んでいたのだ!!

 

「これは一体……」

 

「見て分かるでしょう?」

 

 何を言わんやとライライが突っ込みを入れてくる。

 

 いや、うん、何が起こっているのかは分かるんだけどね。だけどそれを信じられないっていうか。

 

 ミーフォンが嬉しそうにボクの腕に抱きついて、キラキラした上目遣いで見上げながら言った。

 

「お姉様は、今や帝都を救った英雄なんです。二週間前の式典の後、お姉様の人気が爆発的に高まって、結果がコレです」

 

 ボクはミーフォンの視線につられるまま、もう一度この空前絶後のシンスイフィーバーを見回した。

 

 ……なるほど。ライライが言っていたのは、こういうことだったのか。

 

 道行く女性までもが、髪型をボクそっくりに変えるほどなのだ。もしボク本人が現れたら、軽く騒ぎになるかも知れない。

 

 おまけに『シンスイ飴』という、ボクそっくりな造形の飴細工まで売られているのだ。その飴から、ボクに容姿は簡単にバレてしまいそうだった。

 

「シンスイ、三つ編みも解いたほうがいいかも知れないわ」

 

 ライライがそう耳打ちしてきたので、言う通りに解こうとした。

 

 が、そこで思わぬ邪魔が入ることとなった。

 

「……李星穂(リー・シンスイ)? 久しいな。怪我の具合はどうだ」

 

 ボクの名を堂々と呼びかけてきたのは、ミーフォンの姉である紅梢美(ホン・シャオメイ)であった。

 

 久しく顔を合わせる彼女は、いつになく好意的な笑みだ。しかし今のボクには、それが悪魔の笑みに見えた。

 

 ——バカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?

 

 街中のざわつきに変化が生じたのは、それからすぐだった。

 

 

 

「ねぇ、今、シンスイって言わなかった?」「ああ、言ったよな、確かに」「てことは、あの女の子が李星穂(リー・シンスイ)?」「いや、同名の別人かも知れないぞ」「多分本人だぞ。見ろ、小柄で細身で胸が無くて、めちゃくちゃ可愛い太い三つ編みの女の子だ。情報通りだろ」「おまけに「お姉様」呼びしてる禁断の恋人までいるわよ。噂じゃ、結婚を前提にお付き合いしてるらしいわ」「あら〜」「やだ、シンスイ様ってそういう趣味の人?」「ということは、禁断の恋人の他にいるもう二人は愛人?」「噂じゃ本戦で倒した相手全員お手つきらしいわよ」「本人だ。本人確定」

 

 

 

 

 周囲の目は、明らかにボクに向いていた。好奇の視線が幾本も刺さる。

 

 しかも何やら失礼な会話も聞こえてくる。

 

 これは……

 

「逃げた方が、いいよね」

 

 ボクの呟きに、ライライもミーフォンも頷きを示した。

 

 この状況を作り出した元凶であるシャオメイは、何が何やらとばかりに小首を傾げていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嬉しい悲鳴って、こういうのを、言うのかしら」

 

「わ、分かんない。悲鳴であるのは、間違いないんだけど」

 

 ライライのやや息の上がった口調に対し、ボクも同じような感じで答えた。

 

 喧騒から離れた場所——帝都から出て東側の草原まで逃げのびたボクら三人。

 

「もう、気軽に帝都を歩けないよ……」

 

 ボクはすごく疲れたようなため息を交えて言った。体ではなく、心が疲れた。

 

 あれからボクらは、帝都のいろんな所へ遁走した。しかしどの場所でも、ボクの事を英雄シンスイと声高に讃える声が大きかった。もうボクの心休まる場所は市井のどこにもないと断定し、こうして外へ出た次第である。

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべたライライが冗談めかした言い方で、

 

「ふふ、すっかり有名人みたいね、シンスイ」

 

「そう……みたいだね」

 

「しかもあたしの事を「禁断の恋人」ですって! お姉様、あたし達の仲が世間で認知されてますよ! もうこれは結婚するしかありませんわ!」

 

「はいはい……」

 

 ミーフォンを軽くあしらいつつ、街中の商店の風景を思い出して顔を熱くする。

 

「いや、英雄扱いはまだいいんだ。けれど……『シンスイまんじゅう』っていうのは、ちょっと……ついていけない…………」

 

 頬張ると【雷帝】の一撃のごとき凄まじい辛味が襲う『シンスイまんじゅう』、本物さながらの造形美と精巧さでかたどられた『シンスイ飴』、かじったら全身に稲妻じみた感覚が走ってしばらく動けなくなる『シンスイ干魚』……いっぱいあった。

 

 ……なんか事件性がありそうなのが混じってるのは気のせいだ。

 

 地球ではモデルの承諾無しの海賊品として余裕でしょっぴかれる代物ばかりだが、ここは異世界だし、ボクもただ恥ずいだけで不満はない。なので放置することにした。

 

「んぷ、良いじゃありませんかお姉様。もむっ、これで武林の伝説に、もぷ、お姉様の名が、んむ、強く刻み込まれましたよ。はむっ、国を救ったっていう、ほむ、功績からして、んんっ、【雷帝】よりも凄い名声、ちゅぷ、かもしれませんよ」

 

「そんなもんかなぁ……ってミーフォン、それ『シンスイ飴』じゃん! しかも十本も!? いつの間に買ったのさ?」

 

「逃げてる途中、サクッと払ってサクッと手に入れましたわ。ああっ、この飴すごくよく出来てます! あたしの舌でお姉様を蹂躙してる気分で興奮しますぅ!! お姉様の裸体を模したものも売られませんかね!? そしたらあたし帝都に移住して毎日十本買いますぅ!! そして腋の辺りを重点的に!!」

 

 まるでご褒美を与えられた犬よろしく、ボクそっくりの飴を高速でぺろぺろするミーフォン。引くわー。

 

 ……とまあ、この通り、市井では今、空前のシンスイブームが起こっているのである。

 

 騒がしいし、恥ずかしいのだが、ボロボロの廃墟じみた争乱中の帝都を思い出すと、今の状況はかなり良い方だと思う。

 

 争乱の負の記憶を和らげるため、趙緋琳(ジャオ・フェイリン)を取り逃したという失態から少しでも人民の目を背けさせるため、やんごとなき方々が積極的に喧伝したというのもあるだろう。

 

 だが、それでも街が元気を取り戻すために使われたのなら、それで良いかもしれない。

 

 ライライが気持ちを改めるようにため息をついてから、

 

「それより、これからどうしましょうか」

 

「そうだね……もうしばらく市井には遊びに行けないし」

 

 何をしようか思案するボク。

 

 宮廷に戻っても、何もやることがない。寝台に横になるくらいだ。

 

 なら……

 

「ねえライライ、ちょっと組手の相手をしてくれないかな?」

 

 もはや、すがりつくのは武法しかないと思った。小さい頃から好み、育ててきた武法しか。

 

 ライライはボクに気遣わしい視線を向けながら、

 

「え……大丈夫なの? 一応、まだ病み上がりなんだし、無理はしない方が……」

 

「もう一か月もしてないんだ。もうそろそろ限界だよ。それにあと二ヶ月くらいで決勝戦も始まるわけだし、すぐにでも鈍った体を叩き直さないと。大丈夫、もし何かあっても、それはライライに組手を所望したボクが悪いってことにするから」

 

 言いながら、ボクは腕ごと肩を上へ伸ばす。可動域は以前よりほんの少し短かくなっていた。長い間動かしてなかったせいか、体が全体的に硬くなっている感じだ。

 

「……分かったわ。ただし、無理そうだと判断したら、すぐにやめるからね」

 

「それでいいよ」

 

 ライライの言葉に、ボクはうなずいた。

 

 ボクは準備運動をしてから、距離をとって構える。前手越しに、ライライの姿を見つめる。

 

 確かに一ヶ月ちょっと休んだが、それでも長年とってきた構えは、箸を使うのと同じくらい体に馴染んでいた。

 

 ひさびさに、武法ができる。

 

 歓喜にせいか、四肢が微妙に震えていた。

 

「……始め!」

 

 ミーフォンの一声で、ボクらの間の空気が引き締まった。

 

 最初に動いたのはライライ。鹿のように軽やかで、しなやかな足取りで近づいてくる。

 

 ボクの間合いのギリギリ前まで来ると、前蹴りの予備動作をかすかに見せた。いきなり大技で蹴りかかると隙になるため、きっと小手調べか、誘い込みをかけるための牽制。だが、彼女の足はボクの手足より長く、牽制でも間合いが長い。

 

 遠心力で振る回し蹴りではなく、下から上へ登る前蹴りであった。ならば、内側へ入るという手は自殺行為。横へずれて避けよう——そう即決し、慣れ親しんだ足さばきで横へ動こうとした。

 

 

 

 

 

 ————オマエガコロシタ。

 

 

 

 

 

 真っ直ぐこちらを向くライライの顔に、赤黒い眼をした亡者のソレを幻視した。

 

「うわあああああああああああ!!!」

 

 あまりの恐怖に、最初に考えた対処法など頭から吹っ飛んでしまった。

 

 歩法もなにもあったもんじゃない素人同然の足取りで退いたボク。途中で両足同士がぶつかって重心が崩れて、昼下がりの青空を仰ぐようにして転んだ。

 

 またあの亡者が襲ってくるのではないか。そのことに恐怖を持続させたボクは、両腕で頭を抱えてうずくまった。

 

「あ、ああ……ああっ……!!」

 

 意思とは関係なしに全身が震えをきたす。

 

 そんなボクの背中に、そっと手が添えられる感触。

 

「ひぃっ!!!」

 

 さらに震えを強くしながら、ボクはさらに体を強く丸める。

 

 何か言葉が聞こえてくるが、聞きたくない。耳を両手で塞いだ。

 

 「誰か」の手は何度もボクを揺さぶってくるが、すぐにそれが止んだかと思うと、今度は右耳を塞ぐ右手を強引に引っぺがし、

 

 

 

「——シンスイ! 落ち着きなさい!!」

 

 

 

 耳奥に叩きつけるようにして響いてきたその声に、ハッと我に返った。

 

 体の震えが消える。呼吸が落ち着く。

 

 ボクは両手を地につけ、右を向く。

 

 ライライ。

 

「大丈夫? 私が分かる?」

 

 ひどく心配そうに尋ねてきたライライに、ボクは力無くうなずいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確かに、ボクは武装集団やゴンバオを倒し、この国を救ったのかもしれない。

 

 

 

 けれど、彼らとの戦いは、ボクの完全勝利で終わったわけではなかった。

 

 

 

 ゴンバオは、ボクにとんでもない置き土産を置いて逝ったのだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。