一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 作:葉振藩
——趙緋琳(ジャオ・フェイリン)は驚愕していた。
今、命のやり取りをしている相手は、李星穂(リー・シンスイ)。父を惨たらしく殺した、生涯憎み続けるべき仇。
この女は今まで、まるで逃げる事しか能のない兎同然の体たらくを見せていた。図々しくも、父を殺したことに対する強い自責の念を抱き、それにとらわれ、動きが素人のように鈍っていた。まるで五体が武法の動きを拒否しているようだった。
今更罪悪感を抱いたところで許すつもりはさらさら無いが、この状況はフェイリンにとって都合が良かった。楽だからだ。この女を殺すのは難しいと踏んで襲い掛かったが、これは嬉しい誤算だ。
この恐怖に歪んだ顔をさらに歪ませ、【点穴術(てんけつじゅつ)】で動きを麻痺させ、指を一本ずつ短剣で切り落としていき、早く殺してくださいと泣きながら懇願しても聞く耳を持たず、腹をかっさばいて生き肝をもてあそび、心が死にきったところで肉体も殺す。そして野ざらしにして獣の餌にする。
そうしたとしても、父を奪われたフェイリンの恨みは消えないだろう。だが、晴れやかな気分にはなる。
晴れやかな気分になるために、フェイリンはこの女をいたぶり続ける。
——そのはずだった。
だが、しばらくすると、恐怖しか浮かんでいなかったシンスイの顔に、希望の明るさが浮かんできていた。
まるで長い悪夢から解放されたように、晴れやかな顔になっていた。
変わったのは顔や雰囲気だけではない。
動きも各段に良くなった。
技にキレと重さが戻った。
最初はフェイリンの優勢だったその戦いは、いつのまにかシンスイが押し返しつつあった。
——フェイリンは驚愕していた。
そして、困惑していた。
なんだこれは。何故急に動きが良くなった? 何故自分が押されている?
何故、あの女は心を取り戻した?
……父を殺した事への罪悪感が晴れたから。
それを確信した瞬間、フェイリンの頭が沸騰したように熱くなった。
ふざけるな。そんなことは許さない。お前はお義父様への罪悪感を抱いたまま私(わたくし)に切り刻まれなければならないのだ。罪悪感を忘れるなんて、神が許しても私が絶対に許可しない。
「お義父様にしたことを忘れるなっ!! 李星穂(リー・シンスイ)っ!!」
怒声を発した次の瞬間、フェイリンは【琳泉把(りんせんは)】を発動。シンスイも同時に【琳泉把】を発動させた事によって、二人一緒に灰色の世界へ転移した。
突いて受けられ、反撃をかわし、さらに次の反撃にまともに当たり、足が大きく後方へ滑る。
灰色の世界に色彩が戻る。
シンスイが叫び返した。
「忘れてない! だけど、それでもボクにはボクの正義があったんだ!」
フェイリンは鼻を鳴らして嘲笑し、
「はっ? 正義って何ですの? お義父様を惨たらしく殺した畜生の分際で、正義を傘に着るとは見苦しいですわよ!!」
「違う! あの時キミの親父さんを手にかけなかったら、この国の多くの人が絶望していた! ボクはそれを防ぐために戦ったんだ!」
「一人の犠牲を使って、大勢の人を助けたと? ああそれは大層素晴らしく尊いですこと! お前、あの無能な皇族よりよほど政治の才がありますわ!」
「何と言われようが、ボクは琳弓宝(リン・ゴンバオ)を手にかけたことを残念には思っても、後悔は絶対しない!! キミが身勝手な考え方を押し通そうとするように、ボクもボクの正義に胸を張って生きるっ!!」
「その口でお義父様の名を吐かすんじゃねぇよ!! この売女(ばいた)がっ!!!」
フェイリンはこれまで以上の憤怒のおもむくまま、撃ち放たれた矢のごとく走り出した。
シンスイの呼吸を感じ取りつつ進み、互いの間合いが重なった瞬間、【琳泉把】を同時に発——
「もぱっ——」
突如やってきた布切れが顔面を覆い、さらに吸気によって口元に吸い寄せられて呼吸が妨げられた。【琳泉把】の発動、ならず。
布を透かしてうっすらシンスイを見ると、身にまとっている寝衣の末端が破かれていた。
その切れ端でこちらの呼吸法を妨げる策と気づいた時には、もう遅かった。
シンスイの姿が消えたと思った瞬間には、五発分の重々しい衝撃が全身を覆っていた。【琳泉把】による、一拍子の中に凝縮した五発の勁撃。
自分の得意とする武法で出し抜かれた事への悔しさを覚えながら、フェイリンは勁撃の勢いに踊らされるまま宙を舞った。
浮遊感を全身で味わいながら、フェイリンは二転三転する風景を見るともなく見る。
浮遊の軌道が、上昇から自由落下へと変化。自分が落ちる位置は——断崖絶壁の奥。
ああ、私、死ぬんだわ。
意外にすんなりと、己の死を受け入れられた。
断崖絶壁の奥へ真っ逆さまになると思った瞬間、腕を強く掴まれた。
落下は掴んできた手によって阻止され、フェイリンは宙吊りとなった。
ここにいる人間は、自分ともう一人だけ。
「……な、何のつもりですの?」
シンスイだった。
「あの世に高飛びしようったってそうはいかない。キミには然るべき場所で正当な裁きを受けてもらう。罪を償って、真っ当に生き直せ。逃げる事は許さない」
何を言っているのか、一瞬、分かりかねた。
正当な裁き?
真っ当に生き直せ?
……馬鹿かこいつは。
「ぷっ……くくくくく…………あっっはははははははははははははははは!!!」
「な、何が可笑しい?」
「そりゃ笑いもしますわよ!! 罪を償って生き直せ? お前、どこの楽園の倫理観でモノを言っているんですの? 本気でおっしゃっているのならおめでたいですわね!! 私には、生き直すどころか、償う機会さえ与えられませんわ!! 私は賊軍の領袖(りょうしゅう)!! 朝廷にとっては存在しているだけで邪魔な存在ですわよ!? そんな輩に、朝廷が人情味溢れる裁きを与えてくれると思いまして!? 拷問で残党の情報を搾り尽くされてボロボロにされて、果てに見せしめに処刑される光景が容易に想像できますわよっ!!」
前半は嘲笑混じりで、後半は怒声混じりで言い募った。
自分が何をしでかしたのか、当事者であるこの女ならば知っているはずだ。
知った上で、さっきのような甘ったるい考えを抱いている。
馬鹿すぎて本当に可笑しかった。
そして——非常に腹が立った。
そんな甘い幻想のまま、他人の生殺与奪権を平然と握ろうとする傲慢な精神が腹立たしい。
自分たちの都合で、こちらの人生を意のままに操ろうと考える思想に吐き気がする。
幼い自分を毒牙にかけようとした、あの貴族の男を酷く思い出させる。
「私の人生と命は……お義父様と、そして私だけのモノです!! お義父様亡き今、私の末路は私自身の意思で決めるっ!! 私を散々弄んできたこの世界に…………もう二度と決定を委ねてたまるものですかっ!!!」
フェイリンは掴まれている腕に捻りを加えた。腕はシンスイの掌の中でずるりと回転し、その勢いで拘束を振り解いた。
絶望的な表情でこちらを見下ろすシンスイ。
それが見れただけでも、良しとする。あの偽善者の心に、かすり傷くらいはつけることができただろうから。
普段ならば身の毛がよだつであろう浮遊感も、今では心地良かった。
「お義父様……お一人では逝かせません…………私達は、どこまでも一緒ですわ……」
——それが、趙緋琳(ジャオ・フェイリン)という女の最期の言葉だった。