一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜   作:葉振藩

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決勝戦〈下〉

 

 来た。

 

 シンスイは緊張感を心に帯びさせる。

 

 今のスイルンは、あらゆる攻撃をかいくぐって確実に攻撃を当てに来る。それを実行する力がある。

 

 それを可能にしているのは、未来予測。

 

 ……ならば、その予測が追いつかないくらいの速さで動くか、もしくは予測できても避けきれないくらい攻撃を連打すれば良い。

 

 【琳泉把】ならば、それが可能。

 

 スイルンが間合いへ入った瞬間、シンスイは再び使った。【琳泉把】を。

 

 灰色の世界。緩慢になる時間の流れ。その中で唯一、色とまともな速度を持つ自分。

 

 スイルンの掌底を、斜め前へ一歩進むことで回避。それから一歩進めて正拳を叩き込む。

 

 だが、正拳が彼女の体に触れた途端——まるで油でも塗ってあるかのように拳が体の表面を滑り、明後日の方向へと逸れた。

 

 奇妙な現象に驚きながらも、シンスイはもう一拳打ち込んだ。だがまたしても、彼女の表面を滑ってしまい、衝撃は与えられなかった。

 

 三撃、四撃も、同じようにいなされる。

 

 その奇妙な現象への驚愕を覚えながら、シンスイは【琳泉把】の効果が切れるのを実感した。

 

 一瞬だが、動かなくなる下半身。

 だがその「一瞬」は武法の戦いにおいては致命的であるため、シンスイは守りへ移行した。

 

 スイルンの小さな体が砲弾のごとく駆け、肘打ちが迫る。シンスイはその肘の二の腕に己の片腕を差し入れることで、ぶつかってくるスイルンの力を利用し、ワザと吹っ飛ばされた。

 

 もんどりを打ちつつも、どうにか受け身を取り、立ち上がった瞬間に一気にスイルンへと駆け寄り、もう一度【琳泉把】。

 

 再び、「一拍子」の時間の中で五発叩き込む……が、またしても攻撃全てがスイルンの体を滑って無効となる。

 

 世界が元に戻る。

 

 スイルンが真っ直ぐ押し迫る——と思った瞬間にその姿が消え、

 

「がはっ!?」

 

 背中に重々しい衝撃がぶち当たった。回り込んで蹴られたのだ。

 

 前のめりに流されながらも、足元の安定を保ち、振り向く。苦し紛れの【衝捶】をしかけた。

 

 スイルンは、やってきた拳の側面に手を擦らせる。次の瞬間、その手の周囲に小さな竜巻のような力場が生まれ、シンスイの拳を外側へ弾いた。それによってガラ空きとなった懐へ滑り寄り、掌底を打ち込もうとしてくる。

 

 シンスイは膝を突き出す。スイルンの掌はそれを防ぐために使われたので、どうにか攻撃は受けずに済んだ。後方へ跳んで距離を取る。

 

「そういうことか……!」

 

 シンスイはようやく確信する。【琳泉把】による攻撃をすべて退けた、あの「滑り」の正体を。

 

 ——螺旋の勁力だ。

 

 全身のとぐろを巻くような螺旋状の勢いをまとい、その力で打点を逸らしていたのだ。

 

 「螺旋」は、最も伝達速度が速い力の形だ。ひねり始めた瞬間から、トコロテン式に力が端から端へ行き届く。【琳泉把】を使われる瞬間に身にまとえば、容易に螺旋の力場で自分を守れる。

 

 おまけにスイルンは、相手の数手先の未来が見える。その未来の攻撃を見た上で、それを避けられるように螺旋の力場を調整すれば、さっき見たように、滑るように受け流せる。

 

 流石は防御に特化した武法。

 

 これを攻略するには、どうすればいいか。

 

 決まっている。ひたすら攻めまくるのみ。それも【琳泉把】だけに頼るのではなく、ほかの技も利用する。

 

 スイルンが走る。

 シンスイも走る。

 

 両者の間合いがぶつかった瞬間に放たれた、スイルンの掌底。

 

 シンスイは蹴りで掌底を弾こうとする。だが踏み込む直前にその掌を引っ込められ唐突にもう片方の掌に交換し、踏み込みに合わせて打ち出された。その掌は容易くシンスイの防御をすり抜けて懐へ入り込み、胴体をしたたかに打った。

 

「ぐっ……!」

 

 撞木(しゅもく)を打つような衝撃。それでも歯を食いしばって敵を見続ける。

 

 スイルンがまたも迫る。ギリギリで重心の安定を取り戻したシンスイは、回転しながらしゃがみ、円弧の軌道で払い蹴りを足へ放った。スイルンはそれを跳ねてやり過ごす。

 

 この瞬間、シンスイは【琳泉把】を発動。——地から足が浮き上がったスイルンには、螺旋の力場はまとえない。五拍子を「一拍子」に圧縮した時間の中で、シンスイは五撃たたき込んだ。

 

 これには流石のスイルンも対処できなかった。鞠のように吹っ飛ぶスイルン。

 

 シンスイは再び希望を見出した。「みずから不利な状況に飛び込まなければ避けられない攻撃」を放つことで、「避けたくても避けられない状態」を作り出すことができる。

 

 それは、スイルンも承知していた。

 

 だからこそ、

 

(——「枷(かせ)」を外す必要があるかもしれない)

 

 そう考えた。

 

 スイルンは受け身を取って立ち上がると、自身の経穴を、特定の順番に突いていった。

 

 シンスイは、すぐに何かするつもりだと判断。止めようと走りだす。

 

 攻撃を繰り返してスイルンを止めようとするが、今の状態でもスイルンは【看穿勁】を使える。あっさり回避されて懐への侵入を許し、螺旋の勁で弾き飛ばされた。

 

 シンスイが吹っ飛んでいる間に、スイルンはさらに作業を進める。

 

 すぐに受け身を取って立ち上がり、もう一度攻め寄ってくるシンスイ。

 

 だが、彼女が間合いへ触れたその瞬間に——すべての作業が完了した。

 

 途端、脳裏に無数の「軌道」が網の目のように広がった。

 

 今からシンスイが放とうとしている攻撃の軌道だけではない。その次も、その次も、その次も……遠い未来の「軌道」さえも頭に入ってくる。

 

 それらの「軌道」はすべて赤色だが、到来が近いモノほど赤の濃度が高い。なので、軌道の中で色の濃いモノから順に避けていく。

 

 シンスイが放つ攻撃は、その避けた軌道をあやまたずに沿い、空振る。

 

 何度も何度も、打撃が空気を打つ。

 

 しばらくはまったく気にする表情を見せなかったシンスイも、やがて焦ったような、驚愕したような表情を顔に浮かべた。……スイルンの中に生まれた「変化」に気付いたのだ。

 

 ——【看穿勁】には、一定の性能以上を出せないように「枷」がかかっている。

 

 もしそれを外せば、思考速度、予測能力が常時の数十倍にまで跳ね上がり、遠い未来の「軌道」さえも計算し尽くせる。その予知を元に算段を立てれば、相手が人間である限りはまず確実に勝利できる。

 

 まさしく対人戦最強の能力と言えるが、その代償として、【看穿勁】を使用する時に多大な精神疲労を強いられる。当然だ。遠い未来の出来事さえも完璧に計算し尽くすほどの能力なのだ。負担が無いわけがない。まさに諸刃の剣。

 

 だが、この諸刃の剣に頼らなければ、この相手は超えられない。

 

 逆に言えば、諸刃の剣を使えば……超えられるということだ。

 

 スイルンは歩き出す。

 

 シンスイは、そんな彼女にどうすべきか分からず、立ち止まったまま構えている。

 

 二人の間合いが触れ合う。——瞬間、スイルンの脳裏におびただしい数の「軌道」が浮かび上がった。同時に、ピキンと凍るような頭痛。

 

 シンスイがいよいよたまらず【衝捶】を突き出すが、その「軌道」も脳裏に浮かんでいた。散歩するような気安い動きで回避。

 

 すかさずスイルンが掌打。

 

 シンスイが避け——

 

「もぷ!?」

 

 それは掌打に見せかけた掴みだった。シンスイの顔面が小さな掌に覆われる。

 

 引き剥がそうと考えた瞬間、シンスイの脇腹に衝撃。回し蹴りだった。

 

「このっ!」

 

 シンスイは一瞬怯みはしたものの、すかさず【衝捶】。

 

 しかし、そう来ることが手に取るように分かっていたスイルンは、まるで散歩でもするような歩調で軽く避け、またも掌底。

 

 シンスイは吹っ飛ばされる。しかしすぐに持ち直し、再び突っ込もうとするが、スイルンの姿を見て思わず息を飲む。

 

 ただ歩いているだけなのに、不気味なほどに隙がない。

 

 その歩様に、気圧される。

 

 そこが隙となり、一気に近づかれる。

 

 思わず焦って【琳泉把】を使ってしまった。

 

 無駄な攻撃であるにもかかわらず使ってしまったが、すでに遅い。ならばせめてできることをしてやろうと思った。

 

 緩やかに時間の流れる灰色の世界の中で、スイルンへ真っ向から五撃。しかし、やはり滑るように手答えがない。

 

 世界が色を取り戻す。

 

 足が、動かなくなる。

 

 スイルンが、近づいてくる。手元には双掌。

 

 まずい。今浸透勁を打たれたらさらに動けなくなる。

 

 動け。動け。動け!

 

 ちくしょう、やっぱり動かない。

 

 せめてこの状態から、【打雷把】が使えたら!

 

 だが、それをやれば、結局同じだ。動けなくなって、自分の負けが決まる。

 

 こうして考えている最中も、スイルンが近づいている。

 

 どうすればいい!? どうすれば——

 

 

 

 待てよ?

 

 

 

 あの時、ボクは【琳泉把】の使用中、【打雷把】を使った。

 

 そして、血塗れになった。

 

 けれど、無理をしたところで、一つの武法を使用している最中に他の武法は使えるのか?

 

 不可能だろう。

 

 なら、なぜあの時、自分は【打雷把】が使えた?

 

 ——「呼吸」を、見つけたから?

 

 もしも、あの流血が、「無理をしての負傷」ではなく「呼吸の発見」だとしたら?

 

 その仮説が正しければ——

 

 あの時の呼吸を思い出せば、【打雷把】を使える。

 

 思い出せ。

 

 どうせどちらを取っても、動けなくなるのだ。

 

 なら、黙ってやられるより、思い切ってやってやる。

 

 呼吸を整える。

 

 あの頃の記憶を呼び起こし、そこでの自分と呼吸を同調させる。

 

 近づいてくるスイルンから今だけ意識を外し、ひたすら自分の呼吸に集中する。

 

 そして、

 

 

 

 

 動いた。

 

 

 

 

 

 

 これは【衝捶】……すなわち【打雷把】の体術。

 

 血は……出ていない!

 

 使えた。【琳泉把】の最中に、【打雷把】が使えた。

 

 向かってきたスイルンが、驚いたように目を見開く。さしもの予測能力も、土壇場での限界突破を予測することは叶わなかったようだ。

 

 放った【衝捶】と、スイルンの双掌がぶつかった。

 

 力の差は歴然だ。スイルンの体が、紙屑のように吹っ飛ぶ。

 

 壁にぶつかる前に、受け身をとって勢いを殺した。起き上がり、再び構えた。

 

 そんなスイルンを見ながら、シンスイは一つの「進化」を実感していた。

 

 

 

 ——今、自分は二つの武法を重複させた。

 

 

 

 【琳泉把】を使っている最中に、【打雷把】を使った。

 

 それはつまり、それら二つが「一つ」になったということ。

 

 「一つ」とは、「新しい武法」のこと。

 

 「新しい武法」とは——

 

 

 

 

 

「————【雷公把(らいこうは)】」

 

 

 

 

 自身が師事した最強の男、強雷峰(チャン・レイフォン)が目指した理想にして、最強の武法。

 

 「絶対的威力」と「絶対的速度」を併せ持った、絶対無敵の武法。

 

 「雷のように」ではなく、「雷そのものになる」武法。

 

 師の夢を、今、自分が実現してみせた。

 

 だが不思議と、興奮も、歓喜も、シンスイの心には無かった。

 

 どこまでも冷静だった。

 

 シンスイは走った。

 

 距離が縮まった瞬間、【琳泉把】を発動。

 

 だが放つのは、【琳泉把】の技だけでなく、【打雷把】の技。

 

 無論、全て受け流されたが、スイルンの顔にはこれまで以上の驚愕が貼り付いていた。

 

 彼女もまた確信する。シンスイが新たな武法を作り上げたことを。

 

 この最中に作り上げるとは、あまりに予想外だった。

 

 これは、もうひとときたりとも気が抜けない。

 

 スイルンは集中した。

 

 シンスイが近寄る。

 

 五拍子を「一拍子」に変え、相対的な「最速」を手にする。ゆっくりとなった相手の周囲から、強大な威力を込めた勁撃を連発させる。

 

 だが、スイルンも負けていない。それらの来る場所をあらかじめ先読みし、その上で螺旋の力場を全身にまとい、受け流す。

 

 「一拍子」を終える。足に一瞬の硬直が来る。そこを攻めてくるスイルン。

 

 シンスイは【琳泉把】ゆずりの手法で防ごうとするが、その守りを完璧に読んでいるスイルンの掌は、構え手をすり抜けるようにして懐へ入ってきて、直撃。

 

「ぐぁっ……!」

 

 一瞬息が止まり、弾かれる。

 

 受け身をとって立ち上がる。

 

 接近してくるスイルンを見て一瞬焦りを覚えるが、すぐに心を沈める。

 

 ダメだ。五拍子じゃ足りない。——もっとたくさん(・・・・・・・)必要だ(・・・)

 

 シンスイはそう思い、今度は五拍子ではなく、十拍子を「一拍子」へ圧縮。

 

 ……それらの思考と行動に、シンスイは何の疑問も抱かなかった。不思議と「それができる」と思い、実行していた。

 

 ゆっくりな世界へ訪れる。だが周囲の流れの緩慢さは、五拍子の比ではなかった。かなり遅くなっている。

 

 シンスイはもう一度、スイルンの周囲から勁撃を発した。

 

 だが、まだスイルンの予測できる範疇なのだろう。一瞬で放った十撃は、全てスイルンの表面を覆う螺旋状の力場を滑らされた。相手の攻撃を予測した上で、それらを受け流すのに最適な力の配分と角度を割り出して螺旋勁をまとったのだ。

 

 まだ足りない。

 

 ならば——今度は二十拍子だ。

 

 ゆっくりな世界が、さらに緩慢になる。

 

 もう一度、周囲から攻撃を仕掛ける。

 

 だが、それさえも通じない。まるで霞を殴ったみたいに手ごたえが感じられない。

 

 ——三十拍子。

 

 まだ当たらない。

 

 ——四十拍子。

 

 まだ当たらない。

 

 ——五十拍子。

 

 まだ当たらない。

 

 五十五、六十、六十五、七十……どんどん加速を続ける。

 

 しかし、未だにスイルンの体には届かない。油で滑ったみたいに軌道を逸らされる。

 

 シンスイの体は、すでに周囲からは見えない速度で、目まぐるしくスイルンの周囲を回っていた。

 

 周囲から見えるのは、神速で重複される踏み込みでひとりでに壊れていく床の石材。

 

 だが、シンスイはなおも止まらない。

 

 ——八十拍子。

 

 シンスイが見にまとう衣服すべてが、凄まじい空気摩擦によって一気に燃えカスとなった。

 

 一糸纏わぬ姿になるが、それでも動き続ける。

 

 少しでも動きを誤ったら、勢い余った勁が全身を粉々に吹き飛ばしてしまうだろう。

 

 そんな崖っぷちの状況。

 

 だがシンスイは、どこまでも冷静だった。

 

 見ているのは、勝利のみ。

 

 ——九十拍子。

 

 もはやここまで来ると、周囲の風景がぼやけて見えなくなった。

 

 集中しているスイルンの姿だけがはっきりと見える。

 

 だが、今なおスイルンには隙が見られない。

 

 シンスイはここまで来ると流石に驚嘆を禁じ得なくなる。これでも彼女には届かないのか。彼女の予測能力の恐ろしさを見た。これでは【打雷把】だけでも【琳泉把】だけでも勝てなかっただろう。

 

 だが、それでもシンスイのやる事は変わらない。

 

 当たるまで、加速するだけだ。

 

 もうここで砕け散ってもいい。

 

 ありったけの力を注ぎ込んでやる!

 

 九十一拍子、

 九十二拍子、

 九十三拍子、

 九十四拍子、

 九十五拍子、

 九十六拍子、

 九十七拍子、

 

 九十八拍子、

 

 九十九拍子、

 

 

 

 

 ——————百拍子(・・・)

 

 

 

 

 

 シンスイの周囲の風景が、眩い光を発した。

 

 真っ白な光で、情景が視認出来なくなる。

 

 観客も、スイルンも、何もかもが真っ白に漂白される。

 

 だが、一つだけ……小さな暗い「点」があった。

 

 何故か分かった——アレを打てば、勝てると。

 

 それを確信した瞬間、シンスイの体が動く。

 

 【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】【衝捶】————

 

 これら百発の(・・・・・・)衝捶(・・)()

 

 「一拍子(・・・)に圧縮するっ(・・・・・・)!!

 

 瞬間、シンスイは稲妻になった。

 

 

 

 

 

 

 その刹那に起こった現象は、観客全員の度肝を抜いた。

 

 今まで見えない何かが大地を踏み砕いていた。それがシンスイであることは明白だった。

 

 だが次に起こったのは、それよりもさらに衝撃的な現象だった。

 

 闘技場の端から端へ、巨大な光芒が光速で横断したのだ。

 

 その速度は、まさしく稲妻のソレであった。「横断した」と分かったのは、その光芒が止まった位置へ光が尾を引くのが一瞬だけ見えたからだ。

 

 光がなくなった後に見えた光景は、人々の心をさらに寒からしめた。

 

 光芒が通った道が、深く半円状に抉れていたのだ。

 

 無理矢理力で掘り起こしたようには見えない。まるでそこにある物体だけがくり抜かれたようになっていた。それくらい綺麗な跡だった。

 その巨大な溝の中に、人が横たわっていた。

 

 気を失っているのは、双馬尾(ツインテール)の小柄な少女。……スイルンだった。だが上半身の衣服の半分がまるで焼け落ちたような破れ方をしており、素肌が露わになっていた。

 

 さら、光芒の到達点にもう一人。

 

 シンスイだった。こちらは見にまとう何もかもが綺麗に剥がれた全裸の状態で、拳を前に突き出した構えをかろうじてとっている。三つ編みが解けた長髪が無造作な開き方をしており、荒い呼吸を何度も繰り返している。少女の形をした幽鬼を思わせた。

 

 ……シンスイがその時に放った技の数は、百撃。

 

 しかし、その他大勢の人々には、それは「一撃」にしか見えなかった。

 

 その「一撃」は、人々の心にこう思わせた。

 

 あれは【琳泉把】なんて可愛いものではない。もっと凄まじく、おぞましい【何か】だ——と。

 

 

 

 

 

 

 官吏が、横たわったスイルンに恐る恐る近づく。

 

 スイルンの様子を確認した後、手振りで司会役へ伝える。

 

 そして。

 

「劉随冷(リウ・スイルン)、意識喪失!! ——勝者、李星穂(リー・シンスイ)!!」

 

 この【黄龍賽】の頂点を駆け上がった者の名を、高らかに叫んだ。

 

 しばらく、静まりかえっていた。

 

 だが、すぐに爆発せんばかりの大歓声が膨れ上がった。 

 

 人々の畏怖の感情は、すぐに新たな王者の誕生を祝うものに変わった。

 

 ……シンスイの【黄龍賽】優勝の悲願は、今、ここにようやく成ったのだ。

 

 だが、その心には、歓喜もなければ、興奮もなかった。

 

 その心は、ただただ細波のごとく静かだった。

 

 だが悪い静けさではない。やり遂げた静けさだ。

 

 人は、何かへ本気で取り組み、それが成就した瞬間、喜びよりも安堵が先行するものだ。

 

 心地よい安堵。

 

 それを心に感じながら、歓声を肌で浴び続けたのだった。

 


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