俺は藍子が言葉を発してから、少しだけ硬直する。何やら嫌な予感がして、背筋に悪寒が走る。
「実は…」
そして、その悪寒は藍子の次の言葉によって、確証に変わった。
「ユウキは、記憶を失っているんです。」
「あいつが…記憶を…?」
俺の言葉に藍子はゆっくりとうなづく。
俺は驚きが覚めないまま次の言葉を発する。
「それは、あの事件の後か…?」
その言葉を聞いた途端に藍子の顔が少し歪むが、すぐにうなづく。
「そうか…」
俺はテーブルに視線を落とすと肩甲骨の少し下の部分を指でさする。仮想の体となった今では存在しないが、現実の体だと刺し傷の残る部分を。
俺は手を止めてからまた視線を藍子に向ける。藍子は少し意外そうな顔をしていた。
「どうした?」
「いえ、正直に言うともう少し取り乱すと思ってました。…予想、してたんですか?」
俺は少しだけ間をおくと苦笑しながら答える。
「…ああ。俺も正直に言うと、こんなこともあるんじゃないかって予想はしてた。だって、そうだろ?あんなことがあったんだから…。」
言い終えた後、俺はテーブルの上で作った拳を固く握りしめる。このテーブルが破壊不能オブジェクトでなければ軋む音ぐらいは聞こえていただろう。
それほどまでに、思い出したくない過去がかつての俺たちにはあった。それのせいで木綿季と藍子は転校を余儀なくされ、俺たちは離れ離れとなった。だから、俺は無能な…無力な自分を恨んだ。かつてないほどに。
俺は力を緩めてから藍子に質問する。
「…俺と木綿季を会わせたら、どうなるかわかってるのか?」
「…はい。」
「また…あいつを苦しみのどん底に落としてしまうかもしれないんだぞ…?」
そう。俺とあいつが再開してしまったら、木綿季の記憶が戻り、さらに苦しめてしまう可能性がある。それだけは、絶対にしたくない。
「…あいつは、どこまで覚えてるんだ?昔のこと。」
この質問は、重要なものだった。もしも、俺のことをあいつが覚えていたなら俺も会ってもいい。というか会いたいのだ。…しかし、覚えてないのなら…会うことは許されない。そして…
「あの子は…」
俺は、神にすら見放された。
「…カズマさんのことは、覚えていません。」
しばしの、静寂。
予想は、していたが…
「結構…きついもんだな。」
俺は苦笑しながら手を額に置く。俺はその体勢のまま質問を重ねる。
「お前のことは…覚えてるのか?」
すると、藍子は申し訳なさそうに呟く。
「…ええ。家族や、親戚のことは覚えていました。ただ…クラスメイトたちのことは…何も…」
藍子は目を瞑り、下唇を噛む。俺は両手の甲に顎を載せてから、自分でもわかるほどにかすれた声で答える。
「そうか…まあ、ユウキをあのままにするわけにもいかなかったんだ。そう考えると、むしろ最善の策じゃないか。」
俺は肩をすくめながらそう答える。実際、飄々とした態度をとってはいるが精神的にはかなりキている。それだけ、ユウキが俺自身のことを覚えていないという事実は俺の精神にかなりの傷跡をつけた。
藍子は目を伏せたまま悔しそうに呟く。
「本当に…すいません…。あれだけのことをしてもらって…私たちを守ってくれたのに…覚えてすらいないなんて…本当に…なんと言ったら、いいか…」
俺はその言葉を聞いてから少しだけ笑みを浮かべる。
「…いや、いいんだ。あいつを壊れさせないためには俺は忘れられなきゃならなかったんだ。可能性っていうのは、どこに転がってるかわかんないからな。」
「そんな、そんなこと…!」
「ああ、別に責めてるわけじゃないんだ。」
俺は両手を挙げて藍子の反論を制する。
「今あいつは幸せそうなんだろ?なら、俺なんか忘れられても…」
構わない。そう続けようとした。
しかし、そのセリフは途中で遮られる形となった。
「そんなことありません‼︎」
俺の発した言葉に対し、藍子はテーブルを叩きながら立ち上がる。
「あ、藍子…。どうしたんだ…」
「そんなことありませんよ‼︎」
藍子は興奮しているのか俺のセリフに食い気味で喋り出す。
「あの子は…あの子は、いつも喋っていました!あなたのことを!本当に毎日毎日毎日毎日毎日、1日も欠かさず!私と…言い合いになるぐらい…」
「お、おう…」
こんな気持ちになる場所ではないと思うのだが…妙に照れくさい。そして、まだ藍子の話は続く。
「帰ってきてすぐの時も、食事の時も、寝る前だって…あなたのことについて、本当に楽しそうに、話してたんです…」
そこで、藍子の目に涙がたまる。
「お、おい。落ち着け…」
「そんなあなたが、忘れてもいい存在なわけないじゃないですか‼︎ユウキは、たまに私に言ってるんです…。『何か足りないものがある』って。」
俺は、少しだけ息を呑む。木綿季の中で、足りないもの。
「それはあなたなんです!あなたを忘れたことによって、あの子の本当の笑顔は消えてしまったんです!」
「そ、そんなの…」
俺は言葉を発しようとするが藍子に袖を掴まれて遮られる。
「わかるんです!十三年も一緒に居たら!あの子の笑顔の中で、あなたと一緒にいるときに見せる笑顔に勝てるものはありません!」
藍子の目からとめどない涙がこぼれ落ちる。そこで足から力が抜けたのか、藍子は座り込んだ。しかし…
「ああああああああ‼︎ああああああああ‼︎」
涙だけは、いつまでも流れ続けていた。
ーーーーーーーーーー
「…すみません。お見苦しいところを…」
「いや、いいさ。幼馴染だからな。こんぐらいは受け止めてやんないとな。」
藍子は照れ隠しなのか満タンまで入っていた紅茶を一気に飲み干す。
「それで、藍子。木綿季のこと…なんだけどさ。」
「…はい。」
俺は、自分の決意を口にする。
「やっぱり、あいつには会えないよ。」
その言葉に、藍子は目を見開く。
「そ、そんな…どうして…!」
また立ち上がりそうになった藍子を俺は右手で制す。
「勘違いしないでくれ。会いたくないわけじゃない。ただ…」
俺ははっきりと自分の気持ちを伝える。
「やっぱり怖いんだよ。木綿季が俺のことを思い出したことによってあのことも思い出して壊れちまうんじゃないかっていう考えが頭から離れないんだ。だから…すまん。」
俺は頭を下げて心からの謝罪をする。それから、数十秒してから、声が聞こえる。
「そうですか…そうですよね。あなたは、そういう人でしたね。自分のことは考えずに、他人のことだけしか考えない。だからこそ、誰よりも頼りになる。そういう…」
「頼りになるかどうかは知らないけどな。」
俺が顔を上げて発した言葉に藍子は少しだけ笑みを見せる。
「いえ、頼りに思ってましたよ。少なくとも私たち姉妹は。」
それが、本心だったのかどうかはわからないが…俺が思ったことは、ただただ、嬉しい。それだけだった。
藍子を宿屋の入り口まで見送った。藍子は、くるりとこちらに向く。
「すいません、遅くなっちゃって。」
「別に、気にしてないよ。」
「木綿季には、気持ちの整理がついたら、会ってあげてください。」
俺はその言葉に、苦笑しながら返した。
「何年後になるか、わかんねえけどな。」
その言葉に、藍子は満面の笑みで返してきた。
「それでいいんです。何年後でも、何十年後でも。」
そういうと藍子は後ろに向いて歩き始め「そうそう」と付け足すように言った。
「次からはちゃんと、《ラン》って呼んでくださいね。」
そうして、また歩き始める。
俺はランが暗闇に紛れるまで見送ると、天を見た。あるのは、現実のような空や星ではなく、次層に続く迷宮区と蓋のみ。
「何年後…か。」
俺は呟いてから、自分の部屋に戻るため宿屋に一歩足を踏み入れた。
まさかの前書きで話書いちゃうとはねp(^_^)qちょっと予想外( ̄▽ ̄)それじゃ、また感想書いてね^_−☆アデュー♡