まどろみの中、ユウキはゆっくりと目を開ける。朧気な意識の中、彼女はゆっくりと体を起こして目を擦った。
ベッドの上にあったのは、
自分とは反対の方向に寝返りを打った、カズマの姿だった。
微かな振動があったため、彼が起きたのかと思ったがどうやら寝返りを打っただけらしい。
「…なんだ。」
ユウキはため息をつくと、上体を屈ませて彼の髪を触る。サラリとした手触りをしばらく満喫していると、ランとウッドも目を覚ました。
「…ユウキ?」
「…どした?…カズマのやつ起きたのか?」
「ううん、寝返りを打っただけみたい。」
彼女は慌てて手を引っ込めるとキッチンの方へ走る。
「眠気覚ましに、お茶でも入れるね。」
そして、数分後…
まずウッドが部屋を出ていく。
お茶を飲み干して、立ち上がった。
「さて、俺も店があるから、そろそろ帰るわ。そのバカ目ェ覚ましたらまた連絡してくれ。1発殴りたいからよ。」
「うん。ありがとね、淳。」
「おーい、ここはプレイヤーネームで呼んでくれよー。」
「あ、そっか…ありがとね、ウッド。」
「おう。…またな。」
ウッドは部屋を出ていく。
その後、ランも立ち上がった。
「さて、私もみんなの朝ご飯を用意しようかな。ユウキ、お腹減ったら降りてきなさいね。あと、カズマさん起きたら教えること。」
「分かってるよ。ボクの分のご飯は冷蔵庫に入れといて。」
「ええ。分かった。」
ランはそう言って笑うと、少し足早にユウキの部屋を出た。
ユウキはそれを見送ると、もう一度ベッドを見る。そこで寝る青年…カズマを見て、今度はゆっくりと頭を撫でる。
そして、微笑んだ。
「…この前と、反対だね。」
彼女の脳裏に浮かぶのは、かつて彼が助けてくれた、あの12月31日。あれからまだ1ヶ月と少ししか経っていない。
彼女が意識を失っていた中でほんの少しの短い時間ではあったが彼はそばにいてくれた。あの時の彼は大事な用事でランにユウキを任せて去ったが、今の自分にそんなものは無いので、いつまでもそばにいられる。
「ねえ、カズマ。…もしかして、ボクに隠し事してる?」
背を向けて横たわる彼に、聞こえるはずもないのにそう問う。そんなことはわかっているのに、どこか希望を込めて言葉を並べる。
「ボクもさ、小学2年まで病気のこと隠してた。それはまだ、アスナやキリト、シュンヤ、それにシャムにだって言えてない。だから、カズマを責めるつもりはない。…けど、ボクにくらいは話してくれないかな?」
「それだけ隠し事しまくってるボクに、こう言う権利はないのかもしれないけどさ…カズマが悩んでるなら…言いたいことがあるなら、教えて欲しい。」
「ボク達、パートナーじゃん。」
《パートナー》という言葉は、より一層部屋に響き、実際彼女はその部分を少しだけ強調した。
しかしもちろん、彼は動かない。
まるで聞き流そうとしているかのように微動打にしなかった。
「……」
ユウキは「そりゃそうか」と言って、ゆっくり席を立つ。そして、ベッドから腰を離した。
ガシッ
「…え…?」
瞬間、ユウキの腕を何かが掴む。
反射的にユウキは後ろを向いた。
そこには、体をこちらに向けて寝転んだまま、ユウキの手を掴むカズマの姿。
彼には、ユウキの言葉を無視することは出来なかった。
「カ…ズ…」
「ユウキ。」
彼は、彼女を真っ直ぐとみて、続けた。
「話がある。」
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「やー、カズマのやつ見つかって良かったですね。」
「そーだなー。まあ、正直間一髪だったけどな。」
あの後、妖精に連れられてキリト達が先に進むと、そこにはカズマを取り囲むプレイヤー達がいたのだ。
「ユウキの超反応パリィがなけりゃ殺られてましたね。」
カズマのHPはレッドまで突入していたが、凄まじい速度で移動したユウキの神業パリィによって事なきを経た。
その後そこにいたもの達は取り押さえられて強制連行された。
「…あいつら、何者だったんですかね。」
「どうやら血盟騎士団と聖竜連合の下っ端だったらしいな。内通者として唆されたらしい。」
「唆された…誰にです?」
「…」
「Poh。」
「…!?それって…」
「ああ、俺らの作戦がバレてたのは、十中八九そいつらが情報を流したからだろ。実際、メンバーの1人が上官に話を聞いたらしいし。」
キリトはそう言って、腰掛けたベンチの背もたれに体重を預けた。
「…あの戦闘の中、ラフコフメンバーのほとんどが死んだか、捕縛されたけど…」
「数名が逃走中。…確かその中に…」
「ああ、《奴》がいた。」
「そもそも、あの黒ポンチョ戦闘にいませんでしたよね。思いっきり逃げてたとしか思えません。」
「多分そうだろ。…実際、あいつが生きてて、野放しにされてる以上まだ油断はできない。いま一般プレイヤーにも呼び掛けてるとこだしな。」
「…平安は遠いですね。」
「…そんなものはないよ。この世界にいる限りな…。」
2人は揃って、天の巨大な蓋を見上げた。
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「…今…なんて…?」
震える声に、カズマは答えた。
「別れよう。ユウキ。」
カズマにとって、犯罪者達から恨まれていることはわかっていた。いや、そうなることも分かった上であのような警察の戯言のようなことをしていたのだ。
なら、何故それまでユウキやキリト達と交流を普通に持っていたか。それはひとえに彼のうちにある《自信》だった。
自分なら、たとえどんなことになっても、何とかできる。そんな驕りが、いつの間にか芽生えていた。
「…俺と一緒にいれば、お前の身まで危ない。…お前を、巻き込むたくないんだ。」
だが、そんな思い上がりは、もう消えた。あの時、ショウマの言葉によって思い知らされた。
自分は所詮、高々ゲームが上手いだけの、中学三年のガキなのだと。
「Pohの野郎がまだ捕まってない以上、ラフコフはまだ壊滅しちゃいない。今回の内通者みたいに攻略組の下っ端からも出るかもしれない。…そうなれば、俺は真っ先に狙われるかもしれない。…そうじゃなくても、俺は数少ない親友を死なせちまった。…俺のせいで、あいつは死んだんだ。」
その言葉は、自分で言ったにも関わらず、重く、重くのしかかる。彼は、俯いたまま、続けた。
「…俺は、お前達を危険な目に合わせたくない。…俺は、周りにいる奴らを不幸にしちまう。それは勿論、お前も例外じゃないんだ。」
「…俺には、お前を守れる力なんてなかったんだ。」
それだけ言い終わると、カズマは口を閉ざす。流れ落ちる汗。その汗が布団を握る手に落ちて、ポリゴンとして四散する。
…やがて。
ユウキは口を開く。
「…カズマの言いたかったことは、それだけ?」
どこか低い、その声にカズマはピクリと反応するが…
「…ああ。」
消え入る声で、そう頷いた。
ユウキはそれに「そっか」とだけ答えると、おもむろに立ち上がった。椅子が倒れたのにも見向きもせずに後ろを向く。
「お、おいユウキ…?」
カズマは困惑するがユウキは止まらずに装備フィギュアを操作して腰に剣を装備した。
そして部屋着から戦闘用のものに変える。
そして、ユウキは1歩踏み出し…
「ユウキ!」
カズマがユウキの腕を掴み、それを静止させる。
「…何?」
「…何って…おまえ、どこ行く気だよ。」
「決まってるじゃん。…ラフコフの残党探しに行く。」
「おまっ…!そんなの、行かせるわけないだろ!」
「なんで?カズマと一緒にいるためにはアイツらと、他の犯罪者プレイヤー全員捕まえなきゃ行けないんでしょ?なら、それをする。」
「だから待てって…!大体、そんな危険なこと、やらせられるわけ…」
「ねえカズマ。」
唐突に、ユウキはカズマの言葉を遮った。彼はどこか気圧されて、思わず手を放した。
そして、こちらに振り向いたユウキの顔を見て…カズマは戦慄した。
あのユウキが…激怒していた。
すわったその目に、思わず息を飲む。
「カズマはさ、危険だって思ったんだね。こうしてソロで犯罪者狩りをすることが。」
「あ、当たり前だろ…!そんなの誰だって…」
「なら、ボクが今までどんな思いで君を送り出してたか…これで分かった?」
「…っ!!」
そして、気付く。
それは、それをやっていたのは、正しく自分だと。ただ、自分自身の目的だけを考えてしか行動してなかった、1週間前までの自分だと。
「…今まで、ボクが何も言わなかったのはカズマが、どんな理由であれ、その《目的》のために行動してきたからだって、知ってたからだよ。大事な人の、その決意をおざなりにするほどボクも子供じゃない。…だからこそ、君を心配して寝れない夜が続いても全然我慢できた。いつか、その目的が達せられたらボクの…ボク達のところに戻ってきてくれる。そう信じてたから。」
「ユウキ…」
「…なのに、君は自分勝手な理由で、またボクから離れていくの…?色々理由をつけて、昔みたいに離れちゃうの…?」
「じ、自分勝手って…俺は、お前らのことを思って…」
パァン!!
乾いた音が、部屋に響いた。
ユウキの掌が、カズマの頬をひっぱたいたのだ。
「それが自分勝手って言うんだよ!!」
響く叫び。
かつて聞いたことの無い声量の彼女の声が、彼をさらに気圧す。ユウキはカズマの胸ぐらを掴んだ。
「カズマは…何も分かってない!みんなの事も!姉ちゃんのことも!ボクのことだって!」
「そ、そんなこと…!」
「あるんだよ!」
ユウキはさらに力を強めた。
「ボクは!自分の保身のために、カズマと一緒になろうって決めたわけじゃない!!」
その言葉で、カズマの心には充分に響いた。
凄まじい声量にドアが震える。
「カズマが守ってくれるって、そう言ってくれた時は、本当に嬉しかった…。…けど、その約束のせいで、君と離れなきゃならないなら…そんな約束はいらない。」
そう言うユウキの手は、力を込められているがブルブルと震える。
「…ボクは、君の事が、たまらなく…たまらなく大好きだから、ずっと、ずっと一緒に居たかったから、あの日、君と一緒にいることを約束したんだよ…?」
「…カズマは、そうじゃなかったの…?」
「そんなわけ…!」
カズマは否定しようと、声を張るが…
涙ぐむユウキを見て、押し黙った。
そして、彼自身も、布団を握りしめる手を震わせる。そして、漏れ出る声。
「…俺、怖いんだ。」
それは、どこか幼子のようにか弱い声。
「俺だって、死ぬのは、怖い。どんな時も、心の奥底には死への恐怖がある。…けど、それよりも…」
「…それよりも…お前を失うことが、何よりも怖い。」
「守ると決めてたのに…俺なんかじゃ守れない。…お前を死なせて…もう会えないなんて考えると…たまらなく怖いんだ。」
それは、彼の偽りのない本音。
そこには建前などひとつもなかった。
「俺は…お前と、ずっと一緒にいたい。これからも恋人として続いて、結婚して、子供も出来て…それで、最期までお前と生き続けたい。」
いつの間にか、ユウキの手は彼の胸から離れていた。カズマは肩を震わせる。
「…けど、今の俺じゃ…お前を守れないんだ。ドナウの…二の舞になるかもって…」
「ねえ、カズマ。」
そっと。
ユウキは自身の手を彼の手に重ねた。
ハッとカズマはユウキを見る。
「ボクはさ…昔から無鉄砲だったよね?」
「…」
「おしとやかー、なんて言葉が一番似合わないって言っても過言じゃない。やんちゃ、女の子らしくないなんてことも言われてた。」
「そんなボクが、君に守られるだけで、我慢して、ましてや満足なんて出来ると思う?」
フワリと。
ユウキはカズマの体を自身の体で包み込む。
抱き寄せ、カズマの顔を肩口に押し付けた。
「…君がボクを守れないって言うなら…ボクが君を守るよ。」
「…そ、れは…」
「だってさ…今の今まで、ボクはずっと守られてた。小学校の時も、第一層でも、大晦日だって。返しても返しきれない恩が、既にボクはたくさんあるんだ。」
サラリと。
彼女はカズマの頭を撫でる。
まるで、幼子を慰めるように。優しく、繊細に。
そして、自然と。
彼の目から、雫が零れ落ちる。
それは、一つの筋となって頬に流れ続ける。
「ぐ…ッ…う…ッ…!」
カズマは呻くと、ユウキを抱きしめ返して、その顔を隠すように、彼女の肩口に押し付けた。
ジワリと、ユウキの肩口が濡れる。
しかし、彼女は拒まない。ゆっくり、ゆっくり。彼の心を溶かすように、優しく頭を撫で続ける。
「カズマ…これからは、ボクも君を守る。守れるくらい、強くなってみせるから。」
「…だから、カズマも強くなって。そして、ボクと一緒に…ボク達と一緒に生き続けて。」
「…ああ……あぁ…ッ…!」
滲む声。響く嗚咽。
彼が思い起こすは、親友の顔。
自身のせいで死なせてしまった親友と、彼は向き合う。
そして、ゆっくりと後ろを向いた。
彼は再び、前に進み始める。
おそらく、彼はこれからずっとその親友を思い出し、後悔し、振り向き続けるだろう。
…だが、もう戻りはしない。
振り向きはしても、振り返りはしない。
彼は生き続ける。
彼の十字架を背負い、彼への償いも込めて歩き続ける。
愛しい仲間と、最愛の少女と共に。
『…なぁ、ドナウ。…これで、良いのかな?』
彼の、死者への問い。
それは、返ってこないもの。
だからこそ、答えは出ない。
だが、それでも彼は進み続ける。
そこにどんな未来が待っていようとも。
どのような結末に終わろうとも。
それこそが、彼に唯一できる事だった。
カズマは泣いた。
確かな決意と共に、枯れるまでーー。
「…俺さ、ユウキに助けられてばっかだな。」
「それは…勘違いじゃない?」
カズマの言葉に、ユウキが苦笑を浮かべる。
「…いや、本当だよ。…夢も目標も、生きがいだって全部お前が関わってる。お前がいなきゃ、俺は今も目標の無い男になってたかもしれない。」
「…それは、言い過ぎだよ。カズマなら、きっとゲームを始めてただろうし、それにそこそこモテてたと思うよ。ボク達がいてこんなことになっちゃったけどさ。」
はにかむ彼女に、しかしカズマは爽やかな笑みを浮かべた。
「いや、今確信してるよ。俺は、お前らと会って、お前と時間を過ごさなきゃここまで来れなかった。いつかどこかで躓いてた。…だから、ありがとうな。」
「ちょ、ちょ…めちゃくちゃ恥ずかしいから…もうやめて…」
シュ〜っと頭から盛大に湯気を上げながら、ユウキは顔を真っ赤に染めた。
それを見て、カズマは笑う。
その笑顔には、先程のような迷いはなかった。それを見て、ユウキも微笑む。
「…なあ、ユウキ。俺ら、これからずっと一緒にいるんだよな。」
「これから
「悪い。…でさ、ちょっと話があるんだけど。…これからのことについて。」
「ん、何?」
そう何気なく問うユウキ。
…おそらく、彼女はこの後の展開を予測してはいないだろう。
だが、彼はもう決めたのだ。
もう、彼女を放さないと。
カズマはポケットを漁って、昨晩ユウキが入れたらしい《それ》を握った。
そして…
「…えっ…?」
彼女の左手の薬指に嵌めた。
彼女の薬指で輝く、紫色の宝石。
それと同色の彼女の瞳が、見開かれる。
「…今は、そんな安物しか渡せないし、こうやって支えて貰わなきゃなんも出来ない、頼りない男だ。それに、ついさっきまで別れ話を切り出しといて、なんだけどさ…」
「それでも俺は、お前とずっと一緒にいたい。お前と共に、時間を過ごして、お前と共に生きて。…そして、お前と共に死にたい。」
「…だから、結婚してくれ。」
俺の言葉に、最初はフリーズしていたユウキも、ゆっくりとその表情を変えていく。
両手で口元を多い、くしゃりと顔を歪めた後に、ポロポロとその目から雫が落ちていく。
そして、
「うん…うん…喜んで…!」
そう、返してくれたのだ。
俺が彼女の返答に胸をなで下ろしていると、やがてベッドから立ち上がり、そして…
バッ!
「うお…!」
凄まじい跳躍で俺に覆いかぶさった。
それに俺が目をぱちくりさせていると…
「うっ…わああぁぁぁぁぁ!あああぁぁぁぁ!…グスッ…ぁぁぁぁぁぁぁ…!」
そんな大声で、俺の肩口で泣き始めた。
おそらく、これまで我慢してくれていたのだろう。
俺は、最高の感謝と共に、思いっきり彼女を抱きしめた。