「…菊さん。また例の《英雄君》達のとこに行くんすか?」
「ああ。彼らからは、まだあの世界の出来事について全ては聞けていないからね。」
「…随分とあの青年達に執心してますね…。なにか、特別な関わりでも?」
「いや?何も。…ただ。」
「彼らなら、我々の《計画》に必要な人材だと思っただけさ。」
「…よく外れるからなぁ、菊さんの《勘》。」
「そんな事を言っていれば、尚更ツキが逃げてしまうからやめたまえ。」
西暦2025年9月。
もう夏も終わり、木々も色付き始めた季節。
…
ーーーーーーーーーーー
「はぁ…はぁ…はぁ…」
埼玉県にある、とある病院の一室。
広い間取りを取り、あらゆる器具が設置されたそこは、患者用のリハビリ室だ。
その部屋の器具の1つ、歩行能力を回復させるための器具を使う、1人の青年。
人一人分の幅を開けて立つ、2本の棒。
その間を、1歩1歩ゆっくりと歩いていく。
…そして、2本の棒の途切れるところまで、棒を掴むことなくしっかりと歩ききった。
「…はぁ…でき、たぁ…」
少し荒く呼吸をしながら、膝に手をつく青年。
やがて青年の目の前に、一本のペットボトルに入ったスポーツドリンクが現れた。
青年はそのペットボトルを差し出した張本人を見る。
「やったじゃーん、桐ヶ谷君!これでまた、退院に1歩近づいたね。はい、これ飲んで。」
「安岐さん…ありがとうございます。」
「いーのいーの。どーせ病院の備品だから、好きなだけ飲んじゃいな。」
そう言って、あっけからんと笑う女性看護師に…青年は苦笑した。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
彼女の名前は、
埼玉県にある病院の看護師として働いており、現在は青年…桐ヶ谷和人の看護を仕事としている。
もちろん患者は和人だけでなく、デスゲームであるSAOから帰還した、いわゆる《SAO
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「それにしても桐ヶ谷君。随分と肉ついて来たねぇ。補助なしでも歩けるようになってきたし、こりゃ私もそろそろお役ごめんかな?」
「あははは…どうですかね…」
さわさわと二の腕あたりを触られながら笑うナツキに、和人は困ったように笑った。
…そんな2人に近づいてくる、1人の闖入者。
「安岐ちゃん、兄貴はそういうの耐性ないから、セクハラしちゃダメだよ。」
「お、弟くんも今日の分のリハビリ終わったのかい?」
ナツキが「弟くん」と呼ぶ青年は、「当然」と少しドヤ顔で答える。
和人の弟である彼…桐ヶ谷和真は、ナツキが投げてきたペットボトルを難なく受け取った。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
浮遊城アインクラッドにおいて4月に行われた、《第0層攻略戦》から、既に5ヶ月の月日が経過していた。
5ヶ月前の当時、2年半もの間眠り続けていたおよそ6000人もの患者達が目覚めたことにより、それぞれのプレイヤーが入院していた病院に軽い混乱を招いていた。
更に《最悪のデスゲーム・SAOのクリア》という号外は、1日もかけずに日本全国、はたまた全世界へと知らされ、街中には祝福ムードが広がっていたそうな。
…それも、5ヶ月を過ぎた今では、落ち着きを取り戻しているようだ。
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「それにしても、弟くんは凄い回復力だよねぇ。もう軽い筋トレは出来るようになってるし。さすがは元々アスリートだっただけはあるね。」
「ナヨッちいもやしっ子の兄貴とは基礎値が違いますから。」
「…うるさいな…」
すこしだけ拗ねたような口調になる和人の頭を、ナツキはよしよしとあやすように撫でる。
「あっはっは。弄りすぎちゃった?ごめんごめん、許してよ桐ヶ谷君。」
「…俺、もうちょいで17歳なんですけど。」
「私からしたらまだまだ子供よ。」
「息子みたいなもんですy…」
「あらぁ♡そこまでは言ってないわよ♡」
ギリギリギリギリ…!
「ギブギブギブギブ…!!」
笑いながらヘッドロックを繰り出すナツキ。
やり慣れているのか、素晴らしく滑らかな動きだった。
自身の首にかけられた腕を叩きながら、和真が呻く。
「さて、終わったなら病室に戻ってなさい。私は診なきゃいけない患者さんがまだいるから。」
「了解です。」
「へーい…」
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「おー、いってぇ…安岐ちゃんもなかなかの手練だな…護身術でも習ってたのかね。」
「確かに、いい動きしてるよなぁ…でも、あれはお前が悪いだろ、和真。」
「つっても、間接的に『俺たちを子供だと思える年齢なんですね』って言っただけだぞ?」
「余計ダメだわ。」
「言い切ってないからセーフ。」
「伝わってる時点でアウトだよ。」
和人の返しに、笑う和真。
そんな弟の様子を見ながら、和人は少し笑いながらため息をついた。
リハビリ室は1階。
2人の病室は5階にあるため、エレベーターまで少しだけ歩かなければならない。
…そんな中。
「……」
「……」
「……」
医者、患者、看護師。
あらゆる人々が通り過ぎていくが、その中の一部の人達が、自分達に対して少しだけ異質な視線を送ってくることを2人は感じる。
もうこの病院で目覚め、リハビリを始めて5ヶ月の月日が経った。
当然、その分彼らの姿は様々な人達に視認されており、彼が
突然話しかけてくるような不躾な輩はいないが、かつてあの世界で和真が言っていたように、《目は口ほどに物を言う》のだろう。
「…この視線はいつまで経っても、慣れる気がしないな。」
「いいじゃねえか。人生長くても俺達がここまで注目されるこたぁねえだろ。なかなかいい経験じゃね?」
「…お前のそのポジティブさと図太さは、本当に見習いたいわ。」
苦笑する和人に、和真は笑う。
そしてしばらく歩いていると、エレベーターの前に着く。
ボタンのある側を歩いていた和真が、↑のボタンを押そうとした…
その時。
「君達、ちょっといいかな?」
声をかけられ、反射的に2人は振り向いた。
そこに居たのは、眼鏡をかけ少し大きめのバッグを肩にかけた男性。
バッグの中に見えるのは、ノートに筆記用具、そしてカメラ。
『記者か。』
2人は瞬時に察した。
「…なんすか?」
和真が問い返した瞬間に、和人がボタンを押す。
眼鏡の男は1歩近づき、喋り始める。
「私、とある雑誌で記者をやってるものなんだけど、少し取材をさせてくれないかな?」
「…あー、そういうのはNGなんで。すんませんね。」
「君達、例のゲームの被害者でしょ?今後の日本のために少しだけ。ね?」
「…」
和真は少しだけ視線を記者の後ろに回す。
どうやらエレベーターの前に立つ者達の話は目立つようで、かなりの数の人々が注目していた。
…あまり、目立ちたくは無い。
「プライバシーなんで、黙秘しときますよ。…そういうの、国から禁止されてるの知らないんすか?」
「読者が読みたいものを書くのが記者だからね。…ね?少しだけでいいからさ。」
ポーン。
「和真。」
「…悪いすけど、何も答える気は無いんで。俺たちはこれで。」
記者から視線を外し、エレベーターへ乗り込もうとした和真。
…その肩を、記者の男は強引に掴んだ。
「…!?」
「そんなこと言わずにさぁ…ちょっとだけ。ね?」
「おい、アンタ…!」
あまりに身勝手な記者の行動に、和真の肩から手をのけようと思わず和人の手が動いた。
…その時。
グイッ!!
「ギャアッ!?」
和人の手が動いた直後。
記者と和真の間に現れた、スーツ姿の男が記者の男の手を掴む。
かなりの力で握られたのか、記者は思わず和真の肩から手を離した。
「な、なんだあんた…!?」
「どうもはじめまして。私、総務省仮想科の官僚をしております。菊岡誠二郎という者です。以後、お見知り置きを。」
「か、官僚…!?」
突如現れた菊岡と名乗る男は、記者の手を締め上げながら、目元の眼鏡を少しだけ上げる。
「…さて。ここは病院内。しかも取材を望まない一般人に強引な交渉を持ちかける。…いったい、どういうつもりかな?」
「お、俺はただ慎重に交渉を…!」
「慎重に交渉するのに何故彼の肩を持つ必要があるんだい?2人が望んでいるなら、肩を持つ必要はないはずだが?」
「そ、それは…」
記者の男が口ごもると、菊岡は少しだけ周りを見渡し、そして記者の耳元で囁いた。
「…君のそのバッグのペン、…社の物だね…?国が禁止していることをわざわざしようとするなんて、自分の会社にどんなペナルティが下されても文句は言えないよ…?」
「…ッ…クソ…!!」
記者の男はそう毒づきながら、和人達から離れていく。
記者の男が病院から出ていくのを見送ったあと、眼鏡をかけたスーツ姿の男は和人達に振り向いた。
「さて、大丈夫だったかい?和人君、和真君?」
「…助かったよ、菊岡。」
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菊岡誠二郎。
総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室。
通称《仮想科》に所属する官僚。
年齢はおよそ30代(和真談)。
菊岡本人曰く、「出世街道から外されて窓際部署に左遷されたキャリア」らしい。
SAO事件において、ゲームクリアによるプレイヤーの解放を成し遂げ帰還した直後、和人と和真、そして妹の直葉の事情聴取を担当している。
だからこそ今でもこうして、2人のいる病院へと尋ねてくるわけだ。
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「はい、2人ともこれお土産。」
「おー、あざす菊さん。今日は何持ってきてくれたんですか?」
「某有名店のエクレアさ。チョコが滑らかで、中のクリームも最高なんだぜ?御家族の分も入ってるから、またゆっくり食べてくれ。」
「…和真の中で《お菓子持ってきてくれる人》って印象が確定してるぞ、菊岡。」
「あっはっは。それはそれで良いんだけどね。」
キッチリした眼鏡の官僚様は、そう言って笑う。
「…で?今日は何を聞きたいんだよ、菊岡さん。アインクラッドでの出来事は、ある程度話したはずじゃないか?」
「今日は《事情聴取》じゃなく、《報告》に来たのさ。」
「報告?」
「…須郷伸之が、犯行を自供したよ。」
「…そうか。」
「おや、驚かないのかい?割とビッグニュースだと思ったんだけどね。」
「驚いてるさ。…ただ、「ようやくか」っていう達観の方が大きい。」
和人はそう言うと、少しだけ窓の外を見る。
広大な青い空が、一面に広がっていた。
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あの日。
SAOが終わりを迎え、生き残ったプレイヤー全てが解放されたあの日。
須郷伸之率いる《レクト・プログレス》のメンバーは逮捕された。
匿名の通報があり、大手企業《レクト》の地下で悪事を働いていた者達は、撤退作業をしている最中にそのまま捜査員達によって確保され、事情聴取の日々が続いていた。
ただ、逮捕後の須郷伸之は一貫して犯行を否定。
菊岡に聞いた話では人体実験や監禁などの全ての犯行を、茅場晶彦へ擦り付けようとしていたそうだ。
…だが。
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「なんでまた自供したんだ?これまでテコでも話そうとしなかったのに。」
「捜査員が突入したとき、須郷に最も近かった部下が外に出ていたようでね。その男も数日前に逮捕され、その男が自供した事により崩れたようだ。」
「…なるほどね。」
「この後は裁判の後に然るべき罰が下されるだろうね。」
「それに、君達のAIの持っていた情報も非常に役に立った。ありがとうと伝えておいてくれ。」
「ああ…また言っておくよ。」
「…菊岡。ヒカリとアカネは、どうなるんだ…」
和人が出したのは、元々彼と、彼とは違う1人のプレイヤーのMHCPとしてそばに居たAIの名前。
和人の質問に、菊岡は少しだけ困ったような表情を作る。
「あの2体のAIに関しては、処遇がかなり難しくてね。未だに議論が続いてるよ。記憶を保持したまま、政府内で管理する案も出てきてはいるが…難しいだろうね。」
「…そうか。」
菊岡の話は当然だった。
いくら無理矢理に付き合わされ、巻き込まれたとはいえ、犯罪へ加担したことは紛れもない事実。
更に凄まじい情報を有したAIともなると、危険分子と判断されデータを消去されるのが妥当な判断だ。
…だが。
「…ッ…」
2体のAIの内の一体。
《ヒカリ》という名のAIは、和人がかつてSAOへと入る前、共に時間を過ごした大切な《友人》だった。
長くはないが、かけがえのない時間を共に過ごした分、未練があって当然と言える。
「…菊岡。ヒカリと、会って話すことはできないのか?」
「申し訳ないが、彼女達は今政府の管理下にある。元々の所有者とはいえ、面会するのは不可能に近いだろうね。」
「…そうか。」
…これも、しょうがないのだろう。
「ただ、僕としては情状酌量の余地はあると思っていてね。僕の部署で引き取れないか検討してもらっているところなんだ。」
「…ッ…ほ、本当か!?」
「ああ。貴重なAIという人材を、みすみす消去するなんてのは惜しいからね。」
「…そうか。」
まだ確定はしていないとはいえ、大切な友人達の生きられる道があるかもしれないことに、和人は安堵した。
「とりあえず経過報告はこんなところだ。…ああ、それと。さっき記者にしつこく絡まれていたみたいだが、大丈夫だったかい?」
「ああ、大丈夫だよ。あんだけグイグイ来られたのは初めてだったから、ちょっとびっくりしたけどな…」
「国からSAO生還者への取材は禁止だと、各新聞社とか出版社には言ってあるんだけどね…ああいう輩はどうしてもいる。警備、厚くするよう申請しておくよ。」
「頼む。他の奴らも大変だろうからな。」
菊岡は頷くと、着てきたコートとバッグを持ち立ち上がる。
「それじゃ、僕はここで失礼するよ。まだ仕事が残っていてね。また顔を出すから。」
「ああ。御足労頂いて悪かったな。」
「菊さん、次はフルーツ系でお願いね。」
「了解だ。…それじゃあ、またね。キリト君、カズマ君。」
「…こっちじゃその名前はやめてくれよ。」
和人の苦言に、菊岡は無邪気な笑顔で返した。
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夜。
「ふあぁ…」
薄暗い病室の中、和真のあくびが響く。
数日ほど前までは兄妹である直葉も入院していたが、彼女は彼らより昏睡していた期間が短い為、既に退院していた。
今ではSAOに囚われている間やれていなかった勉学に励んでいるらしい。
…他にいた患者は、既にこの世界にはいないと、安岐さんから聞いた。
…そんな訳で、久しぶりの兄弟水入らずの時間だ。
「…もう5ヶ月か…」
「…はえぇよな。」
「…ああ。」
カチッ…カチッ…カチッ…
「…時折思う時がある。SAOをクリアして、現実世界に戻ってきた。」
「…」
「…けど、それが全部夢で、今も俺はあの鋼鉄の城に…」
「兄貴。」
ハッと、和人は言葉を止める。
和真の方を見ると、頭に腕を組みながら寝転んでいるのが見えた。
目は、閉じられている。
「…悪い。少し、センチメンタルになってた…」
「…別に、それくらいのことを思うのは、俺だってあるさ。…それに、
「当たり前だ。」
「…なら、大丈夫だろ。」
「…あー。アスナに会いたい…」
「…俺だって、ユウキに会いてぇよ。」
「…リハビリ、明日からも頑張ろうぜ、兄貴。」
「ああ。…一日でも早く、退院してやる。」
やっぱ回復には運動して食って寝るを繰り返すのが1番だよね!!