1月中旬。正月が過ぎてもなお首を竦めるほどの寒さが猛威を振るう季節。晴れの日とて太陽が傾き始めた夕方とも成ると寒さは一層厳しくなる。
とはいえ、子供というのはそんな寒さにも関係無しに元気なもので、とある市立の中学校でも部活動に精を出す学生たちが大きな声をあげて部活にいそしんでいた。
その市立中学校の3階建ての校舎。この校舎の屋上のドアには常に鍵が掛かっているが、今もなお鍵の掛かっている筈の屋上で1人黄昏れている少女が居た。
中学校の制服を着たその少女は屋上の内側の縁に隠れる様に座り込んで、壁に背を預けている。そして口には煙草を据えていた。真っ白な肌に紅い瞳。色素の抜けきった真っ白な髪は足首へ届かんとするほど長い。その長髪には等間隔に小さな紅白のリボンが、頭頂部には大きな紅白のリボンが風になびかれ揺れていた。彼女の名は
妹紅は口元の煙草を指で挟んで息を大きく吸い込む。一拍、二拍と間を置いた後、口から煙草を離して脱力するようにフゥーと煙と息を大きく吐いた。
しばらく風に流される紫煙を見上げていたが、ピクリと反応するように視線が屋上の出入り口へと向けられた。次の瞬間、右手に持っていた煙草は一瞬で燃え上がる。煙草は灰になり、煙も灰も風に流され綺麗に散っていった。
数秒後、出入り口のドアノブがガチャガチャと鳴る。だが、扉は開かない。カチャッという鍵を開けた音がした後、ようやく扉が開かれた。中学生ではなく大人の女性である。その女性はキョロキョロと辺りを見渡した後、だらしなく座り込んでいる妹紅を見つけると『ふぅ…』と安堵の溜息を吐いた。
「藤原さん、ここに居たのね。もう、探したわよ」
「……轟先生」
そう声をかけられた妹紅は無気力な状態のまま相手の名を呼んだ。彼女は轟冬美。妹紅のクラスの担任教師だった。
「他の生徒から『藤原さんが屋上に向かって飛んでいった』って聞いていなかったら絶対分からなかったわ。校内で個性の発動は原則禁止よ。それに屋上も立ち入り禁止!分かった?」
「分かりました。すみません。以後気をつけます。それで何か用ですか?」
頭は下げているが悪びれた様子など全く見えない妹紅に、冬美はまたも小さくため息をつく。だが、すぐに切り換えて本題を切り出した。
「藤原さん、進路希望を出していないのはもう貴方だけなのよ。いつも進路希望調査には白紙で提出していたし、進路相談にも来ない。授業外で話そうとしても、いつもすぐに居なくなってしまうから……。早いところでは、公立高校では今月の下旬にも願書の受付が始まるわ。はっきり言って貴方ならどんな高校でも合格できるわ。それだけの学力はあるんだから。ヒーロー科の学校でもよ?例え、雄英高校でも士傑高校でも、貴方ほどの個性なら――」
「――轟先生」
冬美が妹紅の個性の話をしようとした瞬間、じっとりと重い雰囲気と共に妹紅が声を発する。一切の感情が感じられない声と表情に冬美は思わず息を止めてしまった。
「遅れてしまい申し訳ありません。進路についてはウチの先生と話して決めます。明日、必ず結果をお伝えしますので、それまでお待ち下さい」
そう言うと妹紅は立ち上がり、立ち竦んだままの冬美の横を通り過ぎる。そして『では、失礼します』と言い残すと、出入り口の扉を開けて階段を降りていった。
「……ハァー…すぅー、ハァー」
妹紅が居なくなった屋上で冬美はようやく息を吐き出す事が出来た。それから二度三度大きく深呼吸して自身を落ち着かせる。そして呟くようにその心中を吐露した。
「焦凍もそうだけど今時の子供って難しいなぁ…。でも、藤原さんの場合は進学するのも大変なのかも…。あんな父親とはいえ恵まれた環境で生きてきた私なんかじゃ、藤原さんのような児童養護施設で育った子どもの気持ちは理解出来ないのかな……ハッ!ダメダメ!私は教師なんだからしっかりしないと!どんな子だってきっと分かり合える日が来るわ。そうなるように私が頑張らないと!よし!」
冬美はパシッパシッと自分の頬を叩いて気合いを入れ直す。そして、屋上の鍵を閉めてから職員室に帰っていくのであった。
妹紅は一人帰り道を歩く。
歩く度に長い白髪と紅白のリボンが揺れた。白い肌に白髪、そして深紅の瞳。妹紅は先天性白皮症、通称アルビノと呼ばれる疾患であった。だが妹紅の場合、先天性ではない。
元は普通の赤ん坊であり少女であったが、妹紅が4歳の時にたまたま個性を発現させたと同時に体中のメラニン色素が抜け落ちた。強すぎる個性の代償か、または単なる偶然か。誰にも分からない事であったがその後も色素は戻らず、妹紅の体はアルビノと呼ばれる状態に成ってしまった。
誰かと通り過ぎる度にチラチラと視線が集まるが、既に妹紅は慣れていた。個性という多種多様の能力に溢れて異形が当たり前のように道行く中ですら、妹紅の容姿は中学生と幼いながらも美しく幻想的であって、人の目を引きつけた。
本来、アルビノ患者は肌を厚い布で隠してサングラスをする。これは太陽光から肌を、そして眼を保護する為なのである。そうしなければ日焼けという言葉では表せない程の火傷を彼等は負う事となる。しかしながら、妹紅はその様な事はしていないし、火傷なども負っていない。これは妹紅の個性の特性にあった。
「……。」
妹紅は登下校の際に公園の中を通る。休憩や遊ぶ為などではなく、単純にそこを通り抜ければ学校への近道になるからだ。活発な子供ならば狭すぎて満足に遊べないほどの小さな公園だが、妹紅にとってはありがたい通学路(公園)だった。
「うぇ、猫の死体……」
正面から歩いてきていたゴツゴツとした岩を全身に纏った大柄なサラリーマン(スーツを着ていたから恐らくサラリーマンだろう)がチラリと横を見るなり口元を抑えて、そう呻いた。サラリーマンはそのまま口元を押さえて足早にその場を去って行く。
妹紅もそちらを見た。確かに子猫の死体がある。眼球や脳、臓物まで食い荒らされており、目を背けたくなるほどグロテスクな状況にあった。
しかし、妹紅は足を止めて感情が消えた眼でその死体を観察する。見る限り人為的なモノはない。いや、何かしらの個性を使えば再現できそうではあるが、カラスなどの野生動物にでも襲われた可能性の方が遙かに高かった。
(今朝は無かったはず。啄まれているし、今日の昼間の内にカラスにでもやられたか。首輪は無いし、野良かな…親から離れているときに襲われた?いや、へその緒が着いている。生まれてすぐ親に捨てられた……か)
猫の育児放棄は多々あることだ。もちろん猫だけで無く動物全般にもそれは当てはまる。それこそ人間だって例外では無い。『チッ』と思わず出た舌打ちと共に妹紅の拳に力に入る。同時にメラリと真っ赤な炎が妹紅の拳から溢れた。
今の公園に妹紅以外の人は居ない。妹紅はそれを確認すると、握りしめていた拳を開いて子猫の死体へと向けた。あふれ出た真紅の炎は死体を包む。炎は大きく燃え上がらずに最小限の範囲を、そうでありながら激しく燃えた。
時間にして10秒も経っていなかっただろう。しかし、妹紅が炎を収めるとそこには何も無かった。焼けた骨どころか灰すらも無い。ただ地面が少し黒く煤けただけで、その他周囲の延焼などももちろんしていなかった。
妹紅は足で土を蹴って、煤けた地面を覆い隠した。数秒ほどソコを見ていると、またも強く握ってしまった拳から炎が溢れる。しかし、すぐにそれに気付くと腕を振るい、炎をかき消して踵を返して家へと歩き始めた。
太陽は地平線へと沈んでいき、町並みが夕日で彩られる。その中で妹紅の長い影は公園の赤い地面を黒く染めるのであった。
轟冬美先生は公式では小学校の教師です。ですが、話の都合上もこたんの中学校の担任という形で教鞭をとって貰っています。
藤原妹紅は正式には「ふじわらのもこう」と読み、姓と名の間に『の』を入れますが、ここの妹紅は貴族でも何でも無いので「ふじわらもこう」と読んでいくつもりです。