雄英体育祭当日。出場予定の生徒達は各クラスに分けられた部屋に待機して、入場時刻を待っていた。
妹紅のクラスである1-Aの待機室では、各個人が本番に向けた準備を行っているところで、柔軟体操で身体をほぐす者、緊張を抑えようと深呼吸を繰り返す者、友達と喋って気を紛らわす者、いつも通りふてぶてしい者など、様々だった。
「コスチューム着たかったなー」
「公平を期す為、着用不可なんだよ」
愚痴る芦戸を尾白が宥めている。確かに、日本全国が注目する雄英体育祭で、コスチュームを着て自分をアピール出来れば最高だろう。しかし、それではコスチュームの無い他学科が圧倒的に不利になってしまう為、禁止されている。
例外は、サポート科の生徒が自身で作り上げたアイテム。もしくは個性の性質上、必要であると教員に認められたアイテムのみだ。
「私、体操服だと『透明化』を生かしきれないなー。妹紅はどう?」
「私はコスチューム用の下着とインナーとスパッツを申請したら通った。これで服を気にせず炎を使える」
葉隠の問いかけに、妹紅はそう答えた。なんて事は無い、普通の雑談のつもりだったが、その話に耳敏く反応した男がいた。峰田である。
「な、なにー!?それは本当か、藤原!」
「あ、ああ……『衣服が燃え落ちるかも』と理由を書いたら、簡単に通してもらった。…何でも去年の体育祭で全裸になってしまった男子生徒が居て、雄英にかなり苦情が来たらしい」
峰田の大声に何事かと皆の注目が集まる中、ただならぬ様相で迫り来る峰田に、妹紅は2歩も3歩も後ずさりながら事の次第を説明した。
それにしても、相澤の眼力を持ってしても一切引く事の無かった妹紅をここまで後退させるとは、この峰田という男、恐ろしい程の気迫の持ち主である。
「そういえば、居たね…確か2年生の競技だったから、今の3年生…」
「完全に放送事故だったよな、あれ…」
そんな去年の事件をリアルタイムで見てしまった緑谷と上鳴が顔をしかめながら呟く。あのインパクトは忘れたくても忘れようが無い。
因みに、妹紅はその放送を見ていない。雄英体育祭では、各学年の競技が別々のスタジアムで行われている。各学年とも同じ日、同じ時間で競技が行われているので、一つの放送局で体育祭全体を放送する事は出来ない。その為、放送権を勝ち取った上位3局の放送局がそれぞれ各学年の担当となり、テレビ放送するのが毎年の流れだった。
去年の体育祭は、施設の子どもたちと一緒に一番人気のある3年生の競技を見ていた為、妹紅はその事件についてはあまり知らなかった。先程の話も、申請の許可が下りた際に、ミッドナイトから去年の体育祭でこういう事があったから、あなたも気を付けなさい、と忠告された時に聞いた話だ。
「何で男だったんだッ!…じゃなくて!藤原!オイラは見損なったぞ!」
峰田もまた、去年の雄英チン事件を目撃してしまった1人だった。見てしまった瞬間、咄嗟に脳内で美少女に変換しようとしたが、無理だった。華奢な美少年だったならば、何とかなったかもしれない。しかしながら件の彼は、181cm、髪は茶、筋肉モリモリマッチョマンの男子生徒だった。どう足掻いても無理だった。脳内コンバートに失敗した峰田は精神に多大なダメージを負った。血反吐を吐くが如き記憶である。
しかし、峰田はハッと気を取り戻すと、忌まわしきの記憶を封印する。そして、再び妹紅に迫った。妹紅は“見損なった”という言葉に首を傾げていた。
「皆が平等に戦う体育祭!そんな中、1人だけ一部とはいえコスチュームを着用して参加するのは卑怯だぜ!」
「ふむ、確かに」
妹紅は頷いた。インナーとはいえ、コスチュームだ。耐火性、耐熱性だけでなく、防刃性能なども高い。繊維も丈夫かつしなやかで、動きの邪魔になる事も無い。確かに高性能といえる。
とはいえ、性能はそれだけだ。妹紅自身は炎に完全耐性があるし、競技である以上、刃物が使われる事などそうそう無い。つまり、コスチュームといえど、ただの動きやすいインナーでしかなく、着用したとしても公平性は損なわれない、と教師陣は判断して許可が出ていたのだ。
しかし、峰田は自信満々で持論を説く。最早、彼の脳内ではそれが正義となっていた。
「だから、藤原はコスチュームを脱いで参加するべきだ!そうだろう、皆!?よし、本当にコスチュームを脱いだかどうか確認する為に、オイラが藤原の着替えを見てやろう!下着もだ!これで真の公平が保たれブヘェッ!」
目を血走らせて妹紅に迫る峰田が吹き飛ばされた。どうやら蛙吹の舌によるビンタが炸裂したらしい。更に吹き飛ばされた先では、他の女子たちから袋叩きにされている。
「1ミリも気にしなくて良いのよ、藤原ちゃん」
「あ、ああ…」
「『そうだろう、皆』じゃねーよ…アレで皆の同意を得られると思っているのが峰田の恐ろしい所だな…」
峰田の暴論は、仲の良い瀬呂ですらドン引きする内容で、峰田を助けようとする男子は誰1人いない。ボロ雑巾と化した峰田は、部屋の隅にあるゴミ箱の隣に捨て置かれるのであった。
入場時間まで残り僅かとなったところで、轟が突如として緑谷に挑戦的な言葉を投げかけた。唐突な言動に切島が宥めようとするが、轟は歯牙にもかけない。当の緑谷はうつむいて弱気に答えていたが、最後は覚悟を決めたように轟を見据える。そして“僕も本気で獲りに行く”と言い放った。緑谷は轟の宣戦布告を受けたのである。
「お前もだ、藤原」
「…私?」
轟は次に妹紅に目を向けて言い放った。オールマイトから目をかけられている緑谷。そして『不死鳥』という圧倒的な強個性を持つ妹紅。この2人を母から受け継いだ氷結の個性のみで下し、雄英体育祭の優勝を手に入れて、父を否定する事が轟の目的だった。
一方、そんな轟の事情を知らない妹紅は“何故私に?”といった疑問を浮かべていた。
「お前にも、俺は勝つ」
「…そうか」
とりあえず相づちを打って、頷いておく妹紅。轟がジロリと妹紅を睨み付けて数秒の間が空く。しかし、妹紅がそれ以上何も喋らないと判断すると、踵を返して元の場所へと戻っていった。そんな轟を爆豪が睨み付けている。
「藤原、藤原。今のは『私もお前に勝つ!』って答えるところだよ」
「そうなのか?…なるほど」
見かねた耳郎が妹紅にアドバイスを送る。教えながら耳郎は“藤原は男子から告白されても『そうか』の一言でスルーしそうだなぁ”と、どうでもいい事を考えていた。
「皆!入場の時間だぞ!」
そんなこんなをしているうちに、入場時間を知らせるロボットと化していた飯田が声を上げた。いよいよ雄英体育祭が幕を上げる。
『雄英体育祭!ヒーローの卵たちが、我こそはとシノギを削る年に一度の大バトル!どうせテメーらアレだろ、こいつらだろ!?ヴィランの襲撃を受けたにも拘わらず鋼の精神で乗り越えた奇跡の新星!』
通路を歩くにつれて、徐々に実況と歓声が大きくなっていく。そして出入り口手前で一旦止まり、体育祭進行係(経営科生徒)の指示通りにその場で待機する。後はプレゼント・マイクの実況と共に入場する手筈となっている。
1年A組、20名。欠けは無い。峰田もあの後、再生個性持ちか?と思う程の勢いで復活を遂げている。
『ヒーロー科!1年A組だろぉぉ!!?』
その実況と同時に、進行係が壁際に移動して道を空けると『行け!行け!』と手で促した。その合図で妹紅たちは歩き出す。ついに入場の瞬間である。
入場と共に大きな歓声が上がった。360度から放たれる歓声が音の塊となって肌を叩く。絶え間なく光るカメラのフラッシュがキラキラと輝いて美しい。
「うわぁ!スタジアム満席だよ!」
葉隠が周りを見渡して感嘆の声を上げた。他のクラスメイトたちも観客を意識して緊張したり興奮したりしているようだった。
例年ならば一番人気のあるスタジアムは3年生の会場なのだが、プレゼント・マイクが言ったように二週間前にヴィランの襲撃を凌いだ1年A組を一目見ようと、1年の会場に大勢の観客が集まっていた。
「すごい人数だな。流石に緊張してしまうな、これは」
「そうね、ドキドキしてきたわ」
「2人とも表情が一切変化してないんだけど…」
妹紅と蛙吹の会話に耳郎がツッコミを入れる。因みに轟や常闇、障子らも表情に変化は無い。
「妹紅も梅雨ちゃんもポーカーフェイスだからねー」
「いや、アンタが一番ポーカーフェイスだよ」
葉隠の言葉に耳郎が再度ツッコミを入れる。耳郎の脳裏に、妹紅、蛙吹、葉隠、轟、常闇、障子の6人がトランプに興じている姿が映し出される。やはり葉隠が一番強いのだろうか?などと疑問に思う。雄英体育祭という大舞台でこんな事を妄想しているあたり、耳郎もかなりの大物だった。
「選手宣誓!」
1年生が揃うと、ミッドナイトがムチを鳴らして壇上に上がった。またも観客から歓声が上がった。男性の声が多い。18禁ヒーロー、ミッドナイトのファンは当然ながら男性が多い為、仕方ない事だ。
それにしても、彼女の担当授業科目が『倫理』なのは雄英渾身のギャグなのだろうか。それとも、彼女を反面教師にせよ、と暗に示しているのだろうか。外見に反して、授業は丁寧で教え上手だし、生徒には真摯に接してくれる教師である為、判断に迷うところである。
生徒たちも好き勝手喋っている。常闇が“18禁なのに高校にいていいものか”と呟くと、峰田が間髪入れず“いい”と簡潔に答えていた。
生徒たちがうるさい為、ミッドナイトはもう一度ムチを鳴らして黙らせる。そして声高に選手代表の名を読み上げた。
「選手代表!1年A組、爆豪勝己!」
「えー、かっちゃんなの?」
「あいつ一応入試一位通過だったからな」
ポケットに手を突っ込んだまま、怠そうに歩を進める爆豪。緑谷が意外そうな声を出すと、瀬呂がその理由を答えた。
「あれ?藤原さんも同着の一位じゃなかった?」
「ふむ、彼1人が選手代表に選ばれたという事は、選考理由に他の要素もあったのだろう。入試でやった事といえば、後は筆記試験くらいか?」
麗日が振り返って妹紅を見る。飯田が考察を述べると、妹紅はそれに頷いて肯定した。実は体育祭の前、その旨が相澤から妹紅に伝えられていた。妹紅としては選手代表を逃した事よりも、勉学で爆豪に負けていた方がショックだった。
「あー、かっちゃん、頭も良いからなぁ」
緑谷が納得の声を上げる頃には、爆豪も壇上に上がってマイクを前にしているところだった。ふてぶてしい態度は依然そのままだ。
「せんせー。俺が一位になる」
爆豪の選手宣誓にブーイングの嵐が巻き起こる。そんなブーイングに対しても爆豪は首を親指で切るジェスチャーを決めて、更に煽っていた。
流石の妹紅もこれには眉をひそめた。施設の子どもたちも恐らくテレビで見ているのだから、教育に悪い言動、態度は止めて欲しいのだ。
ミッドナイトがまたもムチを振るった。きっとミッドナイトが厳重注意するのだろう、と周りは期待したが、彼女は粛々と競技の準備を進めるだけだ。“ミッドナイト先生、今なんでムチを振るったんですか!?”と生徒の多くが疑問に思ったが、単にそういう気分なだけだったのだろう。彼女は結構気分屋だ。本当に倫理科目でいいのだろうか。
競技の準備が整ったようで、宙にスクリーンが浮かび上がるとミッドナイトが声を上げた。
「さーて、それじゃあ早速第一種目に行きましょう!いわゆる予選よ!毎年ここで多くの者が
スクリーンにデカデカと『障害物競走』の文字が現れる。皆が口々に“障害物競走か“と呟いている。
「計11クラスでの総当たりレースよ!コースはこのスタジアムの外周、約4km!我が校は自由さが売り文句!コースさえ守れば何をしたって構わないわ!さあさあ、位置につきまくりなさい……」
スタジアムのゲートの一つが音を立てて開かれていく。11クラス、約220名の生徒がゾロゾロとスタートラインへと向かう。
「妹紅!」
移動の最中、葉隠が妹紅を呼び止めた。そして葉隠の体操服の袖先が妹紅に向けられる。
「ここからはライバルだ!仁義なき戦いの始まりだよ!いざ勝負!」
個人戦である以上、友人といえどもライバルだ。手助けは不要。むしろ、蹴落とすくらいの覚悟が必要だ。どんなに高い壁だとしても、それは自力で乗り越えてこそプルスウルトラなのだ。葉隠は妹紅にそう伝えたのだった。
「ああ、勝負だ…恨みっこ無しだ、お互いにな」
妹紅も手を差し出す。葉隠の透明な手と固い握手を交わした。
「うん!よし、行くぞー!っとと、あれ?妹紅は先頭に陣取らなくて良いの?」
やる気十分な葉隠は、集団の先頭に向かおうとしたところでブレーキをかけた。妹紅が先頭に向かうどころか、後方に歩を進めていたからだ。
「コースさえ守れば何でもあり、だ。私は炎翼で上を一気に行くつもりさ」
「ガ、ガチだー!?ちくしょー、やってやらぁー!」
フッと、僅かに笑みながら妹紅は指で空を示して言った。先頭の人混みの中で妹紅が炎翼を展開すれば、ケガ人どころか最悪死人が出てしまう。即ち、妹紅にとっては最後尾こそ最高のスタートラインなのだ。
妹紅の個性を間近で見てきた葉隠には、直ぐにそれを理解した。しかし、だからといって簡単に負ける訳にはいかない。そう思い、気合いを再び注入すると、人混みを掻き分け先頭に向かうのだった。
生徒全員が位置についたところで、スタートシグナルの明りがピッと音を立てて、一つ消えた。残りは2つ。
妹紅は集団の最後尾から後ろに数メートル離れた位置に居る。ポケットに手を突っ込み、俯いて精神を整える。
(慧音先生…)
また明りが一つ消えた。残り一つ。
(
ざわめきが消えて、生徒全員がスタートの合図に身構える。
そして、信号機の最後の明りが消えた。
『スタート!!』
始まりの合図と共に皆が走り出した。同時に妹紅も目を見開き、一気に個性を発動させる。背から炎が噴き出した。それは1秒もかからず鳥の翼を形取り、大きく羽ばたいた。幾ばくかの炎の羽毛が舞い踊り、妹紅の身体が宙に浮く。
不死鳥が雄英に舞った。
なんで通形先輩は去年の体育祭で服の申請をしてなかったんですかねぇ…まだ開発されてなかったとか?それとも見せつけたかったのか…
峰田「容疑者は男性。181cm、髪は茶、筋肉モリモリマッチョマンの変態だ!」