もこたんのヒーローアカデミア   作:ウォールナッツ

41 / 91
もこたんとヒーロー殺し 3

 保須市での事件発生とほぼ同時刻。オールマイトは雄英高校の仮眠室でとある人物と会っていた。相手は塚内直正。警視庁の警部であり、オールマイトの秘密を知っている数少ない人物の1人である。また、ヴィラン連合に関連する事件の担当者でもあった。

 

「DNA検査?USJを襲撃したあの脳無の?」

 

 ガリガリの姿(トゥルーフォーム)でお茶を啜るオールマイトに対して、塚内はその通りだと頷く。

 

「ああ、捜査協力を依頼している訳では無いから、これは情報漏洩になるが…君には伝えなくちゃと思ってね」

 

 この行為は適正では無い。それ故に小声で話す塚内に、オールマイトは耳を近づけた。

 

「あれから色々試したんだが、奴は口がきけないとか、そんなんじゃ無かった。何をしても無反応で、脳波にすら変化が無い。文字通り思考停止状態だった。だから、素性を調べる為にDNA検査をしてみたんだ。すると、奴の身体には別人のDNAが少なくとも4つ以上混在していることが分かった。いずれも傷害や恐喝の前科持ちの…まぁチンピラたちだ」

 

「複数の人間のDNAが混ざり、思考停止状態…?人間といえるのか、それは…?」

 

 眉間に大きく皺を残しながらオールマイトが問うと、塚内は肩をすくめながら無言でお茶を一口啜った。それは彼にも分からない事だ。

 塚内はゆっくりと湯飲みを置くと、続きを語った。

 

「麻薬や個性強化薬、その他様々な薬物で全身を弄くり回されているそうだ。安っぽい言い方をすれば、『複数の個性に見合う身体』にされた改造人間。脳の著しい機能低下はその負荷によるものだそうだが…本題はここからだ。脳無の大部分を占めたDNA。恐らく、あの脳無のベースとなった人物だろうね。素性を特定したところ、その人物の子どもが、雄英の生徒だということが判明した」

 

「なに?本当か?」

 

 オールマイトの片眉が上がり、瞳は塚内を見据えた。もしかしたら、そこにヴィラン連合への手がかりが有るかもしれない。オールマイトはそう考えていた。

 

「ああ、その生徒の名前は…1年A組、藤原妹紅。脳無は彼女の実父だ」

 

「馬鹿な!?」

 

 オールマイトは立ち上がって声を荒げた。その顔には驚愕の表情が浮かんでいる。塚内はその反応を予測していたらしく、慌てずに鞄の中から茶封筒を取り出した。そして、その中から1枚の写真を抜き取り、それをテーブルの上に置いた。

 

「僕らも驚いた。だが、間違いは無い。彼の個性届を確認してみたところ、個性は『超再生』だった。これは彼の写真だ」

 

「『超再生』…!だが、脳無とは似ても似つかないな…。ほとんど別人。いや、目や唇の辺りが僅かに特徴を残しているか…?」

 

 オールマイトは妹紅の父親の写真を受け取るとマジマジと検分する。はっきり言って脳無とは思えないほど普通のチンピラ風の男だ。だが、現代のDNA検査は99.99%以上の精度がある。そして『超再生』という同じ個性を持っていた事から、彼が脳無となってしまったという事実は確定だった。

 

「藤原少女とも似ていないが、そもそもコイツと藤原少女は本当に親子なのか?」

 

「ああ。USJ事件での現場検証で、警察は藤原くん本人のDNAデータを採取していたんだ。あの現場に散らばっていた藤原くんの血や肉片(証拠物件)の同定をしなくちゃいけなかったからね。もちろん、根津校長からDNA採取の許可は取っていたよ。だから彼女のデータは持っていたんだ。そしてDNA鑑定の結果は、2人が親子であることを示した。個性もかなり変異しているが再生系を受け継いでいるし、間違い無いだろう。まぁ、親と子の顔が似ていないというのは、ままあることさ。異性であれば尚更だね」

 

 間違い無く親子であるという事実に、オールマイトは苦しげな呻き声を上げた。眉間には酷く皺が寄っている。

 

「藤原妹紅と脳無の血縁関係が明らかになって、僕らは彼女の裏取りを行った。別に実子だったからといって、彼女を疑っていた訳では無い。でも、僕ら刑事は全ての可能性を考慮しなくちゃいけないんだ。当然、彼女は潔白だった。恐らく、彼女がUSJで戦った際も、あの脳無が自分の父親だとは思いもしなかっただろう。思考能力を失っている脳無も同様だ」

 

 塚内がそう言うと、オールマイトは力無く椅子に座り込んで俯いてしまった。そして強く拳を握ると、震える声を絞り出す。

 

「いや、違う…!藤原少女は気付いていたんだ…!心のどこかで…!精神干渉系の個性を持つヴィランは誰1人としていなかったと聞いておかしいと思ったんだ!彼女の心は真実を見抜き、悲鳴を上げていた…!苦しんでいた…!」

 

 オールマイトの言葉を聞き、塚内はハッと思い至った。確かに、襲撃時に生徒1人の精神に変調をきたしたという報告を彼は受けていた。だが、逮捕者にも逃亡犯にも精神干渉系の個性持ちはいなかった為、それはただのストレスだと認識してしまっていたのだ。

 だが、その生徒が藤原妹紅だったのだとしたら、話は変わってくる。彼女にとって父親はトラウマの塊のようなものであり、強いショックを受けるのも当然だろう。

 

「藤原少女が過去に味わった地獄を蘇らせてしまった…!あの時、私が遅れてさえいなければ…!私は藤原少女になんという惨い事を…!」

 

 オールマイトの嘆きを聞き、塚内も辛そうに俯いた。彼は妹紅への身辺調査で詳しいプロフィールを手に入れており、その内容も把握している。彼女の幼年期は想像を絶するほど凄惨で、情報を集めてきた部下たちも、その報告書を読んだ塚内も酷く気が滅入ってしまう程だった。

 だが、この気が滅入る話には続きがあった。

 

「…次に、個性の複数持ちの件だ。聞いてくれ、オールマイト。DNAを取り入れたって『馴染み浸透する』特性でもない限り、個性の複数持ちなんてことに成りはしない。『ワン・フォー・オール』を持った君なら分かるだろう。恐らく、個性を与える個性持ちが居る。……親子同士で戦う事になってしまった件も含めて、これらは偶然だと思うかい?オールマイト」

 

「まさかッ…!」

 

 オールマイトが息を呑んで顔を上げた。塚内が言いたい事をオールマイトは理解してしまったのだ。

 

「僕は奴の事を君から聞いた話でしか知らないが…、他者の人生を玩具の様に弄ぶ外道極まりない悪意に、個性を他人に与えることが出来る個性…。もしかしたら、オール・フォー・ワン(AFO)はまだ生きているかもしれない…!」

 

 その言葉にオールマイトの顔が大きく強張った。AFOはオールマイトの、いや、脈々と受け継がれてきた『ワン・フォー・オール』の宿敵だ。そして5年前のあの日、オールマイトはAFOを討ち取った。討ち取った筈だったのだ。

 

「まさか、あの怪我で生きていたのか…?信じたくはないが…僅かにでも可能性があるのだとしたら、目を背ける訳にもいくまい。塚内くん、これから色々と頼む事になるかもしれないが大丈夫だろうか?」

 

 オールマイトの目に光が灯る。力強く、そして暖かな光だ。オールマイトは個性『ワン・フォー・オール』を緑谷へと託した。だが、その残り火は未だに彼の中に灯っているのだ。そして、宿敵AFOがまだ生きているというのならば、再び奴を打ち倒さなければならない。それがオールマイトの宿命だ。泣き言は言っていられなかった。

 平和の象徴(いつもの状態)に戻ったオールマイトを見て、塚内も自然と表情を和らげる。

 

「もちろんだ、オールマイト。警察でもヴィラン連合を徹底的に洗う方針だ。君にもこうやって秘密裏に情報を流すつもりだが、時期が来れば正式に捜査協力を依頼する事に…っと、すまないオールマイト。部下から電話だ」

 

「構わないよ、取ってくれ」

 

 話の途中で塚内の携帯が鳴った。オールマイトが笑顔で促してくれたので、塚内は礼を言って電話に出る。相手は彼の部下でもある猫のお巡りさん、玉川三茶(さんさ)からだった。

 

「ありがとう。…もしもし、どうした三茶……何ッ!?保須市に脳無らしきヴィランが現れただと!?」

 

 携帯を片手に驚きの声を上げる塚内に、オールマイトも視線鋭く目を向けた。保須市といえば、飯田少年の兄、インゲニウムが襲われた街である。しかし、その犯人は連続殺人犯の『ヒーロー殺し』だった筈だ。そんな保須市で脳無が現れたとは、一体どういう意味を持つのか…。

 新たな事件の幕開けに、オールマイトはAFOの幻影を見るのであった。

 

 

 

「ハァハァ。2人の生存を確認。現場に居合わせた者たちも死者は居ないようです。ハァーハァー。しかし、ケガ人多数。ショートも左腕から流血しています。…ええ、命に関わるような怪我では有りません。スゥーハァー。救急車と警察、両方に通報をお願いします。警察には移動牢(メイデン)の要請も必要かと」

 

 所変わり、保須市江向通りの路地裏では、駆け付けたサイドキックたちが息も整わない内から仕事を分担してこなしていた。エンデヴァーへの報告、負傷者の治療、ステインの確保。その手際の良さは、流石は百戦錬磨のサイドキックと言ったところだろうか。

 

「予想以上に上手くいった。飯田のおかげだな…」

 

 ふぅ、と溜息をつきながら妹紅が独りごちる。それは、ステインを仕留めた最後の攻防の事だ。

 そもそも、妹紅はステインを倒せるとは思っていなかった。あれは一撃加えると同時に援軍が来るという状況、つまりは身体的にも精神的にもプレッシャーを与える事で、ステインを撤退に追い込むという作戦だった。

 だが、それは良い意味で裏切られた。飯田の必殺技『レシプロエクステンド』は妹紅の予想を超えるダメージをステインに与え、彼を撃破する事に成功したのだ。

 

「皆、傷が深い者から順に応急処置をするから怪我を見せてくれ。って、おい、もこたん!腹にナイフが刺さってるぞ!?大丈夫か!?」

 

「ん?ええ、大丈夫です」

 

 救急道具を持っているサイドキックが妹紅を見て、大いに慌てた。妹紅の身体にはステインが最後に投げたナイフが未だに刺さっている。それも、常人ならば致命傷となってもおかしくない場所に刺さっていた。当然、このサイドキックの男性も妹紅の個性は知っている。だが、それでも人に刃物が刺さっているという状況に驚かない訳が無いのだ。

 一方、妹紅は平然と返事をしながら、ナイフを抜いた。少量の血が流れた後、傷口から炎が溢れる。数秒後には傷跡が無くなるほど綺麗に再生されていた。

 

「こ、これが『不死鳥』!凄まじい個性だな…!いや、しかし、この血塗れの姿で街を歩かせる訳にはいかない。もこたんの分の救急車も必要か。もしくは、誰かの救急車に相乗りさせるかだな。まぁいい、その辺のことは後にしよう。次は…おい、アンタ。大丈夫か?どこをやられた」

 

 妹紅の強個性を目の当たりにして更に驚く彼であったが、すぐに気を取り直して倒れているネイティブに声をかけた。彼は未だにステインの個性の影響を受けており、身体を動かせずにいた。

 

「俺はヒーロー殺しの個性で動けないだけだ…!奴は対象の血液を舐めることで動きを抑制させる個性、俺の傷は比較的浅い。俺の事より、あの白アーマーの子を頼む…!あの子が一番怪我をしている」

 

「キミ、怪我を見せなさい…深いな、キミから応急処置をしよう。すまないが、他の子たちは少し待っていてくれ」

 

 飯田の傷は深かった。特に左肩は貫通する程の刀傷を受けており、失血量も多い。とにかく彼の止血が最優先だった。

 

「ヒーロー殺しが目覚める前に拘束したいところだが、ほとんどの道具(アイテム)は放り捨てて走って来たからな…おい、エンデヴァーさんへの報告終わったか?俺がヒーロー殺しを武装解除して確保しておくから、そこのゴミ捨て場から使えるモン探してきてくれ」

 

「分かった。気をつけろよ」

 

 サイドキックの1人が治療を続ける傍ら、こちらではステインの確保を進めていた。

 妹紅たちがヒーロー殺しと遭遇したと聞いた瞬間、彼等はほとんどのサポートアイテムを捨てて全速力で走った。彼等の最優先任務は『ステインの撃破及び捕獲』ではなく『焦凍と妹紅、及び負傷者の救出』であったから、1秒でも早く現場に到着する為に重量物は即座に捨てる必要があったのだ(放り捨てたサポートアイテムは盗まれないように後詰めのヒーローに拾わせている)。

 故に現在、彼等が持っているサポートアイテムは緊急治療道具と武器だけ。本当に必要最低限の物だけだ。嵩張り、重量のある丈夫な捕縛縄など、いの一番に放り捨ててしまっていた。

 

「何時目覚めるか分かりません。監視しておきます」

 

「俺も。もしも縛る前にヒーロー殺しが起きた時は、俺の氷結で拘束します」

 

「…そうだな、頼む。だが、近付き過ぎるなよ。もしも、ショートの氷結で拘束出来なかった場合は、俺たちが相手をする。2人共すぐに下がり、負傷者を連れて撤退しろ。これは命令だ。いいな?」

 

 妹紅が言うと、自分の怪我の応急処置を終えた轟も続いた。サイドキックの彼は一瞬苦々しい表情をしたが、それを受け入れた。そして2人に命令を出す。これは絶対条件だ。仮免すら持たない彼等をこれ以上の危険な目に遭わせてはならないのである。有無も言わせぬ口調に妹紅たちも頷いて了承した。

 サイドキックの彼はステインが完全に失神していることを確認した後、身体中に身に付けている刃物を全て押収していく。ナイフホルダーはもちろん、服や巻物の下、リストバンドの中まで全て確認した。彼は紛う事無きプロだ。身に付けている(・・・・・・・)刃物を見逃すなどというヘマは犯さなかった。

 

「ロープがあった。これを使え」

 

「おう、ナイスだ。よし、武装解除も終えた。縛るぞ」

 

「分かった。腕からだな」

 

 彼等はゴミ捨て場から拾ってきたロープで、ステインを縛る。捕縛は対象者の個性によって縛り方が変わってくるが、ステインの個性は既に暴かれている。問題は無かった。

 腕は後ろ手に縛り上げて、しっかりと固定。更に、その上から両腕ごと身体を縛る。これでステインの拘束は完了した。妹紅も轟も、サイドキックたちも安心したように息を一つ吐いた。

 

「ふぅー…。こちらサイドキック別働隊、ヒーロー殺しを拘束した。…奴か?いや、まだ失神している。……了解。ショート、もこたん。向こうも粗方終わった。エンデヴァーさんもこちらに来るとの報告があった。向こうの現場に偶然居合わせた移動系個性のヒーローがエンデヴァーさんを送ってくれているらしい。すぐに到着するだろう」

 

「粗方、ですか?」

 

 轟が僅かに首を傾げながら聞くと、サイドキックの彼は頷いた。

 

「ああ、飛行個性持ちの脳無がまだ暴れているが、飛行に対応出来る個性を持ったヒーローが多く集まっているらしい。向こうはエンデヴァーさんが居なくても大丈夫だろうから、こちらで指揮を執ってもらう。色々と後処理が残っているからな」

 

 そう言って彼は周りを見渡す。飯田の応急処置が済み、ネイティブも治療を終えていた。更に、ステインの個性の効果も切れたようで、彼もようやく動けるようになっていた。

 

「皆、動けるようなら表に出よう。警察も救急車もすぐ来る筈だ。傷が痛むと思うが、それまで我慢してくれ」

 

 サイドキックの2人がステインを左右から掴み連行し、残り1人が背後から見張る。その後を追うように妹紅たちも歩いて移動していた。

 

「悪かった。プロの俺が完全に足手まといだった…」

 

「いえ…一対一でヒーロー殺しの個性だと、もう仕方無いと思います…強すぎる…」

 

 トボトボと歩いていたネイティブが申し訳なさそうな表情で詫びると、緑谷は彼を擁護した。確かにステインは強かった。一対一で彼に勝てるような人間は、プロの中でもほんの一握りだけであろう。ヒーローオタクの緑谷はそう思っていた。

 

「それでも、すまなかった。特に、体育祭優勝者の君…。守ってくれてありがとう。おかげで助かった。他の子たちも、本当にありがとう」

 

「いえ…無事で良かったです」

 

 しかし、ネイティブはプロヒーローだ。『仕方無い』という言葉に甘えるのは、プロとしての矜恃が許せない。そして何より、助けてくれた妹紅たちに深く感謝していた。

 妹紅がその言葉に無難に対応する。面と向かって礼を言われ、少し照れてしまったせいで平凡な言葉しか出なかった。

 

「細道…ここか!?…あれ?エンデヴァーさんから応援要請を承ったんだが…子ども!?いや、この子たち雄英の…」

 

「おい、こいつヒーロー殺し!?捕まえたのか!凄いな!流石はエンデヴァー事務所のサイドキックだ!」

 

「え?あ、いや、そういう訳じゃないんだが…」

 

 表通りへと出ると、数人のヒーローが走って近づいて来るところだった。彼等はエンデヴァーのサイドキックでは無く、現地のヒーローたちである。エンデヴァーの応援要請を受けて、この現場へと赴いてきたところだった。

 彼等は妹紅たちを見てざわめき、そして拘束されたステインを見ると驚愕の声を上げた。確かにこの状況では、子どもたちはステインに襲われた被害者にしか見えないし、それをサイドキックたちが倒して拘束したかのようにしか見えないのだが。

 

「何でお前がここに!座ってろって言っただろ!」

 

「グラントリノ!ご、ごめんなさい…」

 

 更にもう1人、グラントリノというプロヒーローも到着した。随分と年配のヒーローであるが、緑谷の口ぶりからするに彼が緑谷の保護管理者なのだろう。説教を受ける緑谷を見ながら、妹紅はそう考えていた。

 因みに、グラントリノは保須に現れた脳無の1体をたった1人で倒してから、この現場に来ている。その小柄で老いた姿からは想像出来ないが、このグラントリノという老人はトップヒーロークラスの戦闘力を持っているのだ。

 

「まぁ良く分からんが…とにかく無事なら良かった。だが、渋谷行きは取り止めだ。まずは病院に行って、怪我を診てもらわんと…ッ!?伏せろッ!」

 

 緑谷への説教もひとまず終わり、皆で救急車や警察を待っていると、突如としてグラントリノが叫んだ。全員が彼の視線の先を辿る。そこには、血を流しながら空を滑空する翼の生えた脳無の姿があった。

 

「飛行脳無!?クソッ!向こうのヒーローたちは何やってんだ!?」

 

「まさか、ヒーロー殺しを助けに来たのか!?やはりコイツらはグルなのか!?」

 

 同じ地域、同じ時間にステインとヴィラン連合が騒動を起こしたのだ。ただの偶然とは思えない。両者は何かしらの関係にあると、エンデヴァーやサイドキックたちは考えていた。そして、ステインとヴィラン連合が仲間であるのならば、この脳無はステインを助けに来たに違いない。そうはさせじとサイドキックたちはステインの周りを固めて迎撃の構えを取る。だが、脳無はステインを助けなかった。

 

「緑谷ッ!!」

 

「緑谷くん!」

 

「え、ちょ…わあああ!」

 

 何か理由があったのか、それとも単に誰でも良かったのか。それは分からないが、脳無はステインでは無く、緑谷を引っ掴むと大空へと羽ばたいていく。ステインを助けに来ると思っていたサイドキックたちは、少し離れた所に居た緑谷への襲撃に対応出来なかったのである。

 緑谷が困惑と恐怖の叫び声を上げる中、妹紅が炎翼を作り出して助けに行こうとした時だった。一つの影が妹紅の隣を駆け抜けた。

 

「偽者が蔓延るこの社会も、いたずらに力を振りまく犯罪者も…粛清対象だ…。はぁ…全ては正しき社会の為に…!」

 

 ステインだ。拘束されていたはずのステインが駆け抜けた。彼は垂れ落ちた脳無の血をベロリと舐めて『凝血』を発動すると、行動不能に陥り重力に従って落ちていく脳無の頭にナイフを突き立てた。そして、落ちる緑谷を小脇に抱えて着地すると、脳無に刺したナイフを引き抜く。脳を大きく抉られた脳無は数回痙攣して、死んだ。

 

「馬鹿な!?完全に武装解除して捕縛していた筈だぞ!?」

 

 自由の身となったステインを見て、彼を縛り上げたサイドキックは目を見開いて叫んだ。多少の事で解けるような柔な捕縛はしていなかった筈である。それをものの見事に抜け出されていた。

 そもそも、ステインは身体の到る所に刃物を隠していた。服の中だとかリストバンドの中だとか、そういうレベルでは無い。身体の中にである。皮膚を切り裂き、真皮を剥がしてポケット状にした後、元に戻らぬように癒着防止フィルムを内側に張る。そして、そこに刃物を隠すのだ。感覚器官の集まりである皮膚を剥がすのだから、手術中も術後も激痛に襲われる。ステインはそれを手の甲から腹、脛、足の甲まで、麻酔や痛み止めなどを一切使用せずに自分自身で施術した。正しく、狂気である。

 今回、ステインはその仕込んでいた刃物を使った。目を覚ましたステインは捕縛されている事を認識すると、機が来るまで気絶した振りをしていたのである。警察への引き渡し時や護送中など、気絶した振りを続けながら脱走する機会を窺っていたのだが、思わずしてチャンスが来た。それが飛行脳無の襲来である。

 当初、ステインは拘束から抜け出した後は何人か斬って、そのまま逃走する腹積もりだった。しかし、騒ぎを起こす脳無(ヴィラン)に沸々と怒りが湧き、自分が見込んだ緑谷(ヒーロー)を襲撃された事で怒りは頂点に達した。

 最早、ステインの身体はまともに動けるモノでは無いのだが、ヴィランへの怒りが、そしてヒーロー社会への思いが彼を突き動かしていた。

 

「子どもを助けた…?」

 

「馬鹿、人質を取ったんだ!」

 

「脳無を躊躇なく殺しやがった…どういう事だ?仲間じゃ無かったのか…?」

 

「いいから戦闘態勢をとれ!とりあえず!」

 

 スカーフを巻いた女性ヒーローが困惑する面々に注意を促した。慌てて戦闘態勢をとったものの人質を取られてしまった以上、無茶は出来ない。ヒーローたちが歯噛みしていると、新たなヒーローがその場にやって来た。

 

「到着しましたエンデヴァーさん!」

 

「うむ、協力感謝する。お前たち、なに固まって立ち呆けている!むっ!?」

 

「エンデヴァーさん!」

 

 妹紅もそちらの方をチラリと見ると、見知らぬヒーローと共にエンデヴァーが現れた。あのヒーローがエンデヴァーを送ってくれた移動個性持ちのヒーローなのだろうと、妹紅は納得する。

 一方、エンデヴァーは一目で状況を理解すると、全身から炎を漲らせてステインへと歩を進め始めた。

 

「あの男はヒーロー殺し!何をしておる!捕縛から抜け出しているではないか!!ふん、まぁ良かろう。次は俺が相手に――」

 

「待て、轟!!」

 

 グラントリノがエンデヴァーに向けて叫んだ。人質が居るから気をつけろとか、そんな理由では無い。もっと違う何かを、己の弟子であるオールマイトからも感じるナニカを、ステインから感じ取ったのである。

 

「エンデヴァー…!贋物…!正さねば――…誰かが血に染まらねば…!“英雄(ヒーロー)”を取り戻さねば!来い、来てみろ贋物ども!俺を殺していいのは本物の英雄たちだけだ!!」

 

 エンデヴァーを視界に入れたステインは恐るべき殺気を放ち、ヒーローたちを圧倒する。グラントリノやエンデヴァーすらも気圧される殺気に、ヒーローたちは誰も動けない。ヘタリと腰を抜かすヒーローさえ居る。そんな状況の中、一筋の炎がステインに放たれた。

 

(炎!エンデヴァーか!負けぬ…!俺は贋物には決して…ッ!!)

 

 この時、ステインの片肺には折れた肋骨が刺さっており、碌に呼吸が出来る身体では無かった。それでも彼が意識を保っていられたのは、彼の精神が肉体の限界を超えているからである。人体とは時に、医学や生理学では考えられないような現象を起こす事がある。今のステインの肉体が正にそうだ。

 ステインが全身に力を込めた。理由は単純明快。この炎を避けてエンデヴァーを殺す為である。ステインは歪む視界の中で、炎を発した者を睨んだ。その者こそがエンデヴァーの筈だ。あの贋物を殺さなければならないと、ステインは心中で叫ぶ。

 だが、違った。この炎を発した者はエンデヴァーでは無かったのだ。

 

本物の英雄(藤原妹紅)…!)

 

 それは酷く美しかった。歪み湾曲し、色すらも消えた視界の中で、ステインには彼女だけが白く輝いて見えていた。

 ステインはただ、ハァ…と、小さく感嘆の息を吐き――抵抗を止めた。全身の力を抜き、口元には微かな、誰にも分からないくらいの微かな笑みを浮かべる。そして、その状態のまま、妹紅の炎を受け入れたのだった。

 

「あれ?当たった…」

 

 ステインの顔面に妹紅の酸素調整の炎が炸裂した。顔面を焼かれたステインは声も無く、膝から崩れ落ちて倒れる。完全に失神しているようだが、これに驚いたのは妹紅の方だ。

 はっきり言って妹紅の酸素調整炎は未熟である。温度や酸素濃度といった値はどうにか安定しているが、『敵が数秒間一切動かず、またその間、妹紅の集中力が途切れない』という条件下でしか放てず、また放ったとしても炎のスピードは遅く、避けやすい炎でしかないのだ。半死半生のステインだろうと、優に避けられる炎だった筈だ。

 故に、妹紅にとってこの炎はただの布石のつもりだった。低酸素を僅かにでも吸ってくれたら御の字。避けられても火の鳥で人質(緑谷)を回収して、その後でステインと戦闘するという流れを考えていた。

 ここでステインと戦うのは命令違反かもしれないが、エンデヴァーが出した戦闘許可がまだ正式には解かれていないという言い訳があった。それに、周りのヒーローたちが何故か(・・・)動きを止めてしまっていたのだから仕方無い。ステインが人質の緑谷から離れたチャンスを見逃す訳にはいかなかったのだ。ただ、まさか初撃で決着がつくとは妹紅も思っていなかったので、拍子抜けして驚いてしまったという訳だ。

 

「か、確保だ!確保せよ!」

 

 エンデヴァーの声に反応して、我に返ったサイドキックやヒーローたちが次々とステインに殺到する。今度はナイフ程度では切られぬ捕縛道具で拘束されることであろう。

 こうして、後に保須事件と呼ばれる騒動は終わりを告げるのであった。

 




オールマイト&塚内「こんな外道極まりない悪意はAFOだけや!」
AFO「(親子同士で殺し合いになったのは)偶然やぞ」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。