もこたんのヒーローアカデミア   作:ウォールナッツ

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もこたん、最後の中学校生活

 もう残り僅かな中学生活。何時ものように妹紅は無言で教室に入り、自分の席に着く。朝のHRまでは10分以上の時間がある。妹紅は最近読み出した初歩的な医学書を開いた。いや、医学書というのもおこがましい。所謂、家庭の医学という奴が少しばかり分厚くなった程度の本だ。

 妹紅がヒーローとして他人を助ける為には医学に頼る事は多いだろう。事実、雄英の実技試験で大怪我をした男子受験生や気分を崩して嘔吐していた女子受験生に殆ど何もしてやれなかった。

 ペラリと次のページをめくる。新しい章に入り、『火傷の応急処置』と題名がある。

 

(軽度の火傷は、ただちに冷水で冷やす事が大切。冷水を患部に当てて、痛みが無くなるまで冷やす。ただし、氷で冷やす場合は凍傷に注意。うん、これくらいは知ってる・・・でも火傷の痛みってどんな感じなんだろう・・・慧音の頭突きよりも痛いのかな・・・?)

 

 妹紅が知る唯一の痛みは、慧音の頭突きだけだが、他の痛みは感じた事が無いために比べようが無かった。

 火傷をした経験がある人たちに妹紅はソレがどんな痛みかを聞くと、『火傷した瞬間は熱いよりも痛かった』と言われ、その後『ヒリヒリする』とか『ジンジンして痛い』、『傷口がジクジクして熱くて痛い』と言われた。

 

 分からない。その全てが妹紅には分からない。その感覚を共感出来ない妹紅は、まるで自分が人間では無いかのように、己の存在が周りから否定されているかのような気持ちに陥ってしまう。一言では言い表せないほど、とてもとても不安な気持ちだ。心に感情が戻った事すら嫌になる。だが……

 妹紅はスッとデコに右手をあてた。思い出す、慧音の頭突きの『痛み』。一ヶ月以上前の頭突き3連発は痛かった。アレはとても痛かった。何も3回もする事はないだろうにと、本気でそう思った。スゥーと息を吸って、ゆっくり吐き出す。たったこれだけだが…気持ちは完全に落ち着いた。

 

(本に集中しよう。ふむふむ、重度の熱傷は痛みを感じない場合がある、皮膚の全てに損傷が及んで感覚が失われるから、かぁ…痛くないからって病院行かなかったら大変な事になるのね)

 

 ペラリとページをめくる。

 

(広範囲の火傷は清潔なタオル等の布で患部を覆って水をかけて冷やし続ける、そして素早く119番通報。衣服は無理に脱がしちゃいけない、か。これは衣服に皮膚がひっついて剥がれちゃう事があるからって聞いた事がある…これは流石に慧音の頭突きよりも痛いはずよね?)

 

 心の中で頷きながら読み進めてゆく。

 

(気道熱傷に注意?そうか、炎そのものだけじゃ無くて、熱い煙や空気の中で呼吸すると気道や肺まで火傷しちゃうのは当たり前か。馬鹿だな、私は…。自分が大丈夫だからって今まで全然気にしてこなかった。良かった、誰かを傷つける前に気づけて…この場合も速効で救急車呼んで病院行き……ここまで来ると救急車を呼ぶ事自体が応急処置なの?)

 

 更に詳しい内容をと思ったところで、いつの間にか隣に立っていたクラスメイトの女子から『ね、ねぇ、藤原さん』と声をかけられた。正直、妹紅がクラスメイトから話しかけられるのは珍しい。

 数年前の妹紅を知っているこの学校の生徒は、まるで妹紅が精神障害者かと思って避けている節がある。もちろん実際に数年前まで精神障害を患っていたし、今でも僅かといえどもそうなのだから仕方ない。更に、非常に美人だがいつも無表情であるし、目付きも鋭いのでどうしても近寄りがたいイメージがあるのだ。

 因みに生徒に対して、妹紅は自身の個性を『炎』と伝えている。キ〇ガイに炎、お近づきになりたくないという生徒の意見は、妹紅自身ですら実に正しいと思っていた。

 

「なに?」

 

 妹紅が声をかけてきた女子に目を向ける。親しい人物でもないし、嫌われている人物でも無い。何か用事があれば、必要最低限で話す人物。つまりは皆と同じように妹紅を避けていた『普通』の女子生徒だ。そんな女子がおずおずと聞いてくる。いつの間にか人が大勢居るはずの教室内がシーンとなって2人に注目していた。

 

「え、えーとね?藤原さんが、その…雄英の……雄英のヒーロー科に合格したって本当?」

 

「ああ、受かった」

 

 妹紅の軽い一言で教室は一気に騒がしくなった。当然だ、雄英高校ヒーロー科と言えば全国の中学生の憧れ。自分たちのクラスからプロスポーツ選手や芸能人が排出される以上の衝撃があった。例をあげれば、雄英体育祭では殆どの国民が注目する日本の一大イベントとなるのだからだ。

 

 先ほどの普通の女子をグイッと押し退けて、また一人女子が声をかけてくる。クラスの中でも陰湿だが気の強いタイプの女子で、妹紅は髪やリボンにコッソリとガムを付けられたり、物を隠されたりと色々された。犯人は恐らくコイツとそのグループだろうと思っていたが、妹紅は無視し続けていた。そんな女が図々しくも親しげに話しかけてきた。

 

「ホントだったの!?凄いわ、藤原さん!ねね、やっぱりプロヒーローを目指すの!?そうだ、連絡先交換しようよ!ラインやってる?ラインID教えてよ!」

 

 その女子の言葉に追従し、男子も女子もクラスメイトの多くが携帯手に取り、妹紅に群がる。だが、それらを妹紅はスッパリと切り捨てた。

 

「私、携帯持ってない」

 

「え……?」

 

 携帯を片手にした全員がポカンと口を開けた。今や携帯など当たり前のはずだ。小学生だって普通に自分の携帯を持っている時代である。だから、妹紅は持っていないと聞いて、彼らは思わずフリーズしてしまった。

 

「ごめん。私、携帯持ってないから。連絡したいなら私の住んでる孤児院に連絡して」

 

 そう言って妹紅はザックリと切り捨てた。妹紅に悪意などは無く事実を伝えただけなのだが、これは流石に傷が深かったようだ。この二言目で彼女たちは完全に動きを止めた。そして会話が終わったと思った妹紅は医学書へと視線を戻す。

 

 実際、妹紅は携帯を持っていなかった。慧音に欲しいと言い出せなかった、などではなく、そもそも妹紅自身が必要としていなかったからである。

 因みに、雄英に行くにあたって携帯無しは流石に不味いと慧音は思っており、押し付けてでも妹紅に携帯を買ってやる予定になっていた。

 

「こらー、朝のHR(ホームルーム)よー。携帯片付けて席に着きなさい。早くしないと没収するわよー」

 

 いつの間にか教室に入って来ていた担任の冬美は、パンパンと手を叩き、生徒に着席を促した。ようやく生徒たちはノロノロと自分の席に戻っていった。

 

 クラスメイトが席に戻る間、妹紅は『火傷に殺菌消毒されていない生のアロエや薬草を使うと感染症の恐れがある為、使用しないように』、という記述を読んで一人驚いていた。やはり半端な医療知識は改めなければと強く思い、妹紅はHR(ホームルーム)の間しばらく顔をしかめていた。

 

 この時、周りの生徒の『やべぇよ……藤原さんメッチャ不機嫌になってるよ……』と話し合う小さく震えた声は、妹紅の耳に届かないのであった。

 

 

 

 

 その後はクラスメイトからチラチラと意味有りげな視線を受けるも、妹紅は至って普段通りの1日を過ごしていた。ただ、放課後に担任の冬美から呼び止められ、進路指導室に入って対面する形で椅子に座らされた。第一声は冬美からの謝罪だった。

 

「ごめんね、藤原さん。進学先は個人情報だから生徒には内緒にしていたのだけど、他の先生が口を滑らせたのを生徒が聞いちゃったみたいで、昨日の放課後くらいから生徒の間で噂が広がっていたのよ。ホラ、この中学校から雄英のヒーロー科に合格した生徒は初めてだから、先生方から校長まで凄く喜んじゃって……」

 

「別に良いです。少し騒がしいですが卒業まで後2日ですし。私自身、隠していたつもりは無かったですから。轟先生が謝る必要なんて無いですよ」

 

 妹紅が無表情でそう言うとしばらくお互いに無言が続いた。冬美は何かしら思い悩んでいるような表情をしていたが、妹紅は気付かなかった。

 

「……お話はそれだけでしょうか。それでは失礼しま――」

 

「あ、待って…!これは私事なんだけど、私の弟も雄英のヒーロー科に合格したの。弟の中学校はここではないから知らなかったと思うけど……」

 

 席を立とうとする妹紅を冬美は慌てて引き留める。それは自身の弟に関する事だった。

 

「そうですか、確かに知りませんでした。おめでとう御座います」

 

 妹紅は素直に賛辞を送る。だが、無表情だ。こういう時こそ笑顔で『それはそれは!おめでとう御座います!』と言って握手でも求めれば良いのだが、頭では分かってはいても、それがどうしても実行出来ない妹紅だった。慧音や寺子屋の職員、子供たち相手ならば出来ない事はないのだが……。

 仕方ないので精一杯の社交辞令を妹紅は続ける。

 

「もしかしたら雄英でクラスメイトになるかもしれませんね。弟さんのお名前は?」

 

「焦凍・・・(とどろき)焦凍(しょうと)よ。正直、人付き合いが苦手な子なの。私も上手く接する事が出来なくて、あの子に何もしてやれなかった・・・こんな事を生徒の藤原さんに頼むのは教師としても、あの子の姉としても間違っていると私も思うの。でも・・・藤原さんが良かったら、あの子と仲良くしてやってくれないかしら・・・」

 

「いいですよ……ただ私も見ての通り、人付き合いは苦手ですから、上手く仲良くなれるかは分かりませんが努力はしてみます」

 

 俯きながら話す冬美とは対照的に、妹紅は無表情ながらも快く了承した。必ず仲良くなれと言われている訳では無いのだから、気が楽だ。むしろコミュ障同士で上手いこと化学反応を起こして仲良くなる可能性も僅かだがあるだろう。

 

「そう!ありがとう藤原さん。相談して良かったわ。卒業まで後2日あるけど・・・雄英では頑張ってね。とても大変だと思うけど、藤原さんならきっと凄いヒーローになれると信じているわ!」

 

 冬美は元気が出たといった感じで妹紅の右手をとり、両手でギュッと握手した。教師として卒業式の当日とその前日は多忙に追われるだろう。自分とゆっくり話す機会は今日が最後なのだろうと妹紅は理解した。妹紅もペコリと頭を下げて感謝の意を表す。

 

「ありがとう御座います。こちらこそお世話になりました。私を腫れ物扱いせず、他の生徒と同様に扱っていただいた教員は轟先生だけでした……感謝しています。それでは、失礼します」

 

 妹紅が立ち上がり部屋の扉を開ける時、最後に妹紅は振り返り…一瞬だが笑みを浮かべた。それは美しく愛らしく、その純白が余りにも儚く幻想的で、まるで天女の微笑みを見てしまったかのようだった。冬美が見る妹紅の初めての笑顔だった。

 

 

「…あの笑顔でヒーローになったら絶対人気がでるわ……」

 

 妹紅が出て行った後、しばらく見惚れていた冬美は俗に塗れた感想を1人呟いたという。

 

 

 そして2日後、妹紅は中学校を卒業した。

 

 


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