もこたんのヒーローアカデミア   作:ウォールナッツ

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最終話 もこたんと新しい日常

「着いたぞ」

 

「ありがとうございます、先生方」

 

 同乗していた相澤にそう言われて、妹紅は雄英の公用車から降りた。

 あの神野の悪夢と呼ばれる大事件から一週間。ヴィラン連合の黒幕であるAFOはオールマイトに倒された後、拘束されて特殊刑務所タルタロスに移送された。しかし、死柄木たち連合のメンバーは黒霧の『ゲート』で逃走されてしまい、その後の足取りは不明。依然、予断を許さない状況にあった。

 そこで予想通りというべきか、雄英は生徒を守る為に全寮制へと移行したのだ。今日はその初日。未だ連合に狙われている(ついでにマスコミからも狙われている)と考えられる妹紅は、相澤や13号などの雄英ヒーローたちに護衛されて内密の登校となった。恐らく、爆豪も同じく護衛されて登校していることだろう。

 

「妹紅さん!」

 

「妹紅!」

 

「皆…」

 

 妹紅が車を降りたところで先に集まっていた女子の面々が駆け寄って来た。A組だけでなくB組の女子も揃っているが、誰よりも先に妹紅の元へと辿り着いたのは八百万だった。そのまま彼女は人目を憚ることなく妹紅を抱きしめる。その目には大粒の涙が浮かんでいた。

 

「妹紅さん無事で良かったです…!本当に…!」

 

「八百万…」

 

 泣く彼女の背を、妹紅は優しく擦った。妹紅が拉致された際にペアだった八百万は、きっと誰よりも自責の念にかられていたのだろう。それを感じ取った妹紅は八百万を抱き返して応えた。

 

「心配をかけてすまなかった。それに皆も無事で良かった。すまない、私たちが狙われたばかりに…」

 

「妹紅は悪くないよ!悪いのはヴィラン連合なんだから!」

 

「そうノコ!今度襲ってきたらアイツら全員胞子まみれにしてやるノコ!」

 

 八百万のみならず、皆に謝る妹紅を葉隠は擁護する。それに続いて、小森も足をポムポムと踏み鳴らして連合に対して憤りを見せた。当人は本気で怒っているようだが、その可愛らしい怒り方には頬が緩みそうになる。

 

「藤原に落ち度は一切無いんだから“自分のせいで”とか考えない方が良いよ。責めてる奴なんか誰一人居ないんだからさ」

 

「ん!」

 

 拳藤の言葉に小大も力強く同意する。周りを見れば、皆が頷いていた。妹紅が原因だとは誰も思っていない。それは本心だ。妹紅や爆豪は被害者であって、決して事件の起因ではない。彼女たちはそこを履き違える気などは更々無かった。

 しかし、そう言われようとも妹紅は考えてしまうのだ。被害を受けた彼女たちへの負い目もそうだが、何より“自分たちが拉致されていなければ、神野で犠牲になった人々は今も平穏な日々を過ごしていた筈なのに…”と思うと、酷く憂鬱になる。妹紅に罪は無いと他人からいくら言われようが、それは変わらなかった。

 

「…そうか。ありがとう、皆」

 

 しかし、彼女たちの優しい言葉を聞き、これ以上の謝罪はむしろ失礼だと感じて妹紅は素直に礼を言う。憂いを残しつつ、それでも自分を想ってくれる嬉しさに妹紅は笑みを見せていた。

 

「お!爆豪!」

 

「……」

 

 そうして妹紅と女子たちが再会を喜んでいる間に、爆豪も到着したようだ。こちらはこちらで切島や上鳴など若干名の男子に囲まれたものの、爆豪は鬱陶しそうな表情をしていただけであった。通常ならば“ウゼェ!寄るんじゃねぇ!”と言って爆ギレしていてもおかしくないが、いつもの暴言を吐かない姿を見る限り、彼にも思うところが有るのだろう。

 そして、他の男子たちの反応は、というと様々だった。妹紅や爆豪を少し離れたところから見守り、無事だったことに胸を撫で下ろす者。ガス攻撃によって被害を受けた友人の復帰に喜ぶ者。今ならオイラも女子の輪に入って自然な形で抱きつけると興奮する者。それを必死に押し留める者。全員無事なら心置きなくA組を煽れると意気込む者。それを必死に押し留める者、などなど。まぁ、何とも雄英ヒーロー科1年らしい平時の騒ぎを見せていた。

 

「ブラド、そろそろ説明を始めよう」

 

「そうだな。じゃあ、これから寮の説明に入るぞ。B組は隣だ。コッチに来てくれ」

 

 ある程度再会の時間を設けた後に、相澤がブラドキングにそう切り出す。彼も頃合いだと思っていたのだろう、相澤に同意して生徒たちに声をかけると、B組の寮へと歩き出した。

 

「分かりました、ブラドキング先生。またねA組」

 

「ばいばいノコ!」

 

「まったね~!」

 

 妹紅たちもB組に手を振り返して別れを告げると、相澤の前へと集まる。20人全員が揃った姿を見渡すと、彼は軽く一息吐いて語り出した。

 

「とりあえず1年A組。無事にまた集まれて何よりだ」

 

 相澤の言葉に生徒たちの多くが安堵の表情でウンウンと頷く。誰が死んでもおかしくない状況だったし、誰が居なくなってもおかしくない状況だった。そんな中、全員が再び集まれたというのは奇跡に近いだろう。

 

「皆、許可降りたんだな!」

 

「私は苦戦したけど…なんとか親を説得したよ!」

 

「うん、私も。お父ちゃんもお母ちゃんも泣きながら心配しちゃって…」

 

「フツーそうだよね…」

 

 瀬呂が声をかけると、葉隠と麗日、耳郎の3人が家庭訪問の際の苦労を語った。麗日は神経毒で、葉隠と耳郎は催眠ガスで入院していたのだ。全寮制導入への説得は特に苦労しただろう…と思ったが、耳郎家だけはすんなり許可が出たのだという。何でも、彼女の父親が神野の激闘をテレビで見て非常に感動したらしく、『オールマイトに教えられ、藤原妹紅と共に励めるなんてウチの娘マジブライアンザサンだぞ!』と男泣きしていたらしい。

 まぁ、ロックな耳郎家は置いておいて、妹紅の住む寺子屋でも全寮制導入の説得は大変だった。無論、連合の脅威が残っている為、妹紅が寺子屋を離れるのは仕方無い。それは慧音や寺子屋の職員たちも同意見だった。寺子屋の職員たちは元ヒーローといえども超大な戦力を有している訳ではなく、慧音もリカバリーガールに傷を治してもらったものの古傷が更に酷くなってしまい、脳無戦で見せたような戦闘はもう不可能。故に、ここで連合が再び妹紅を狙って来た場合、守り切ることが出来ないと理解していた為、家庭訪問自体は予定通りスムーズに終わった。

 だが、問題は下の子ども(弟や妹)たちだ。彼らには詳しい事情が分からない。大好きな姉が合宿中に拉致され、テレビでは散々な報道をされ、何度も死にながら戦う姿を見て、無事に帰ってきて大いに喜んでいたら数日内に学校の寮に行き、もう帰ってこないと言われたのだ。更に、『変身』個性のヴィランが妹紅の姿に変身して近づいてくる可能性が有るため、寮に入った後の面会は雄英内でしか出来ないという徹底ぶりである。

 それらは弟妹たちに受け入れられる現実ではなかった。だが、そうでもしないと今度は彼らに危険が迫るのである。妹紅自身の本心も、当然ながら子どもたちや慧音たちと離れたくないというものだが、状況がそれを許さなかった。

 故に、妹紅は愛情をもって弟妹たちを諭した。最終的に子どもたちは納得してくれたものの、辛い思いをさせてしまったことに妹紅は未だ心を痛めている。ほんの数十分前に別れたばかりだというのに、もう寂しい気持ちが溢れてきてしまっていた。

 

 

「無事に集まれたのは先生もよ。会見を見た時は居なくなってしまうのかと思って悲しかったの」

 

「…俺もびっくりさ。まぁ、色々あんだろうよ」

 

 蛙吹の言う通り、相澤には雄英教師の職を辞する覚悟があった。しかし、それは校長の根津やオールマイト、そして慧音から留まるように請われたことで辞職を取り止めていた。妹紅を含め曲者だらけのA組の生徒たち。その担任を任せられるのは相澤しかいない。彼をよく知るものたちは、そう確信していたのである。

 加えて、トガヒミコの個性『変身』の件もある。妹紅や麗日などは血を採取されていると考えられるため、常に『変身』による成り代わりには気を張っていなければならない。生徒やその家族たちにもトガの個性は伝えており警戒してもらっているものの、常に完璧という訳ではないだろう。

 だが、相澤ならば一目見るだけで済む。それも朝礼の際にでもパッと見渡せば毎日20名全員を一瞬でチェック出来るのだから合理的(・・・)だろう。根津はそう言って相澤に教師の続行を頼んでいたのである。

 

「さて、これから寮について軽く説明するが、その前に一つ話がある。大事な話だ、いいか。轟、切島、緑谷、八百万、飯田。この5人は、あの晩あの場所に2人の救出に赴いた」

 

 パンパンと手を鳴らして生徒の私語を静めると、相澤はあえて普段通りの口調で語りかけた。その内容は『神野の悪夢』と呼ばれることになった事件についてだ。

 実はこの名前を挙げた5人。無断で現場へと向かい、そして連合の隙を突いて爆豪を救い出すというとんでもない事をやってのけていたのである。テレビクルーが撮影に来る前の救出劇であったため、一部関係者以外は知らない事実ではあるが、担任である相澤はしっかり報告を受けていた。

 まさか、道を切り開くために中級脳無と戦っていた自分のすぐそばでそんなことが起きていたとは露知らず、事件が終わった後に相澤がグラントリノからそれを聞いた時は、衝撃のあまり卒倒しそうになったほどだ。彼らがやったことは、それほど危険な行為だったのである。

 相澤の言葉に、A組の面々の多くは心当たりがあるような表情で反応を示した。知らなかった者は入院していた麗日たちくらい。妹紅もそれは初耳であり、思わず5人の顔を見つめるほどに驚いていた。

 

「…その様子だと行く素振りは皆も把握していたワケだ。全てを棚上げした上で言わせてもらうよ。オールマイトの引退や連合の逃亡が無ければ俺は、入院していた麗日、葉隠、耳郎。そして藤原と爆豪以外の15人全員を除籍処分にしている」

 

 皆がグッと息を呑み、誰も口を挟めなかった。普段の表情、普段のトーンだというのに相澤の声には悲壮感が強く込められていたからだ。まるで本当にクラスの誰かが死んでしまったかのような…そんな声だった。

 

「この5人が今生きて、こうしてこの場に居られるのは単純に運が良かっただけだ。敵の攻撃に巻き込まれて死ぬタイミングは無数にあった。その場合、救出に赴いたお前たちの行動は何の意味も無く、ただ無残に屍を晒すだけだっただろう」

 

 正直な話、爆豪救出に緑谷たちは必要無かった。何故なら、彼らの救出の瞬間にはグラントリノも到着していたからである。かの老ヒーローならば、連合のメンバーを一瞬で撃破した後に、すぐに爆豪を掻っ攫って安全な場所へ避難させることが出来ただろう。それだけの実力をグラントリノは持っている。

 無論、緑谷たちとグラントリノ、救助を行ったその一瞬の差で爆豪が連合の手に落ちていた可能性は有るので、緑谷たちの行動が全くの無意味だったという訳では無いが、それでも彼らが救助に来たことによって発生したリスクは計り知れない。

 もしも、救出に失敗してしまい都合6人がオールマイトの足を引っ張ってしまったら、平和の象徴は巨悪に敗北していただろう。そうなれば日本は地獄だ。いや、その前にAFOの衝撃波で、彼らは遺体も残らぬほど消し飛ばされていてもおかしくはなかった。攻撃を放つ方向さえ違えば、彼らはこの世から居なくなってしまっていたのである。

 

「…人は死ぬ。ヒーローとして鍛えていようが、簡単に、呆気なく命を落とす事は珍しくない。だからこそ俺たちヒーローは、自己犠牲と命を捨てることは同義じゃない事を理解しておかなくちゃならん」

 

 そう語る相澤の脳裏には、かつての親友の姿があった。雄英2年の夏、相澤はインターン先で親友の白雲朧を目の前で失った。白雲はヴィランの攻撃で倒壊する建物から保育園児たちを守る為、自らの危険を顧みずに個性『(クラウド)』を使って園児たちを助け、そして瓦礫に巻き込まれて死んでしまったのだ。プロになったら相澤(イレイザーヘッド)山田(プレゼント・マイク)白雲(ラウドクラウド)の3人で事務所を建てよう。そう笑いながら話し合って決めた矢先のことだった。

 殉職後、多くの人々が白雲のことを褒め称えた。学生の身でありながら命を賭けて園児たちを救った少年ヒーロー。なるほど、確かに涙無しには語れない美談だ。人々はそういうヒーローを無責任に求めているのだろう。

 だが、それで残された人間はどうすればいい。どう生きていけばいい。忘れるなんて到底出来ない。過去を引き摺り、背負いながら進んでいくしかないのか。しかし、その道は…ただ辛いだけだ。

 

「藤原も覚えておけよ。何度も言っているが、不死だからといって無茶をするのは止めろ。これはもうお前だけの問題じゃない。これから先、お前の姿を見てヒーローを志す者たちも多く出て来るだろう。だが、己の命を捨ててでも他人を助ける事が正しいと思われてしまったら、その分だけ犠牲と悲劇が産まれてしまうということも胸に刻め」

 

「…はい」

 

 命を捨てて助ける姿がヒーローのスタンダードになってはならない。ヒーローは人々を救う行為が尊いのであって、命を捨てる様が尊い訳ではないからだ。

 しかし、時には神野の悪夢のように命を賭けて戦わなければならないのも、また事実。そんな時は世間に勘違いされぬようメディアに手を回すことも必要だろう。マスコミが信用できないのならばSNSでもいい。妹紅だけでなく、オールマイトなども一緒に声を上げれば世間は絶対に注目するはずだ。その為にも『メディア演習』の授業を早期の日程に組み込むか、と相澤はそう考えながら説教を切り上げた。

 

「まぁ、そういう訳で現場へ行った5人はもちろん、把握しながら止められなかった10人も理由はどうあれ俺たちの信頼を裏切ったことには変わりない。正規の手続きを踏み、正規の活躍をして信頼を取り戻してくれるとありがたい。我々教師たちも君たちや保護者の方々からの信頼を取り戻すべく励む所存だ……以上。さっ、中へ入るぞ。元気に行こう」

 

(((いや待って無理です…行けないです…)))

 

 相澤の説教は“それなりに”どころか効果抜群だったらしく、思いっきりテンションが下がったA組の面々は足を止めて項垂れる。

 しかし、そんな中で突然爆豪が上鳴に個性を使わせた。彼をアホにすることで落ち込んだクラスメイトたちを笑わせたのである。ぶっきらぼうだが爆豪なりの気遣いを見たことで暗い空気は変わり、生徒たちは気を取り直して建物の中へと入っていくのであった。

 

 

「1棟1クラス。向かって右が女子寮、左が男子寮と分かれている。ただし、一階は共同スペースだ。食堂や風呂、洗濯はここで行え」

 

 玄関を空けて入室すると、シンプルながらもオシャレな内装に目を奪われた。そして、ソファーにテーブル、大型テレビなどが既に設置されており、奥に見える台所も流行のオープンキッチンのようだ。

 

「ご、豪邸やないかい…!」

 

「中庭もあんじゃん。バーベキューとかも出来そうだな!」

 

 たった数日の日程で建設された寮だっただけに大きな期待はしていなかったのだが、その技術力は流石雄英というべきか。生徒ら大感激の新築になっており、麗日に至っては豪華さのあまり失神寸前である。

 また、リビングからは中庭が一望でき、開放感に溢れていた。正に匠の設計だ。瀬呂の言う通り、この中庭でクラス内イベントを行うことも可能に違いない。

 

「聞き間違いかな…?風呂と洗濯が共同スペース?夢か?」

 

「男女別だ。お前、そろそろいい加減にしとけよ?」

 

 一方、峰田だけは目を血走らせて相澤の言葉を反芻していた。風呂が共同?それはまさか混浴ということか?いや、混浴だ!混浴に違いない!今まで妄想の中でしかなかっためくりめく官能の世界がついに現実へ――と脳内がエロに染まりきっていた彼の脳内だったが、相澤の冷淡な言葉によって見事に叩き潰された。まるで死刑執行人のような声色。まるで畜産農家の“この雄豚、そろそろ去勢する時期だな”という言葉にも似た声色。

 峰田はタマを縮み上がらせて、素直に“はい…”と返事をするのであった。

 

 

「朝夕の食事は、ランチラッシュや雄英の調理師たちが作ってくれたものが寮に配達される。昼は学食に行くなり、購買で買うなり好きにしろ。自分で料理を作る場合や留守にする場合など、食事の配達が必要じゃない時は各自タブレット端末から申請するように。食品ロスは出来るだけ抑えろよ」

 

 次は毎日の食事の説明だ。ランチラッシュの作る食事は一流レストラン顔負けの味であり、栄養バランスも完璧。“野菜を増やしたい”や“タンパク質の摂取量を増やしたい”などのリクエストも個別に対応してくれるので、多くの生徒は大満足だろう。

 しかし、雄英は生徒の自主性も尊重している。寮内にキッチンが備え付けてある通り、いつだって自分たちで料理を作っても良いのだ。

 

「また皆でお料理出来るね、妹紅!」

 

「そうだな。B組の女子たちも呼んで、また一緒に作ろう…三奈?梅雨ちゃん?」

 

 キッチンの収納棚を開け閉めしていた葉隠がそう言うと、妹紅もそれに同意した。連合の襲撃もあって、妹紅たち女子が一緒になって料理を作ったのは、たったの2回だけだ。まだまだ作り足りなかった。

 他の女子たちも頷いているが…芦戸と蛙吹だけはどうにも憂いに沈んでいるように見えた。先程、寮の前で集まった時はもう少し元気があった気もしたので、どうしたのだろうかと妹紅は声をかけてみると、2人は少し慌てた様子で笑みを作った。

 

「あ…うん、楽しみだね!」

 

「…素敵なお家だったから、少し驚いちゃってたわ」

 

 いつもと違う違和感はあるものの、本人たちが何でもないと言っていることもあり、妹紅は追求まではしなかった。そうしていると、相澤の説明は個人の部屋の説明へと移る。エレベーターもあるが、この人数では乗り切れないので隣の階段で移動だ。

 

「各自の部屋は二階からだ。1フロアに男女各4部屋の5階建て。1人1部屋で、エアコン、トイレ、冷蔵庫にクローゼット付きの贅沢空間だ」

 

 部屋の中に入ると、そこは普通に生活するには十分な広さがある個室だった。ある程度の改装も認められているので自分好みの部屋が作れるだろう。多くの生徒がワクワクした表情で部屋内を見渡していた。

 

「トイレも思ったよりも広いな!」

 

「ベランダもある。凄い!」

 

「豪邸や…豪邸や…」

 

 毎日を過ごす部屋なのだから、トイレやベランダなど隅々までチェックして然るべきだ。

 しかし、そんな生徒たちの傍らで、麗日が再び失神しそうになっていた。実家が雄英から遠い彼女は、今まで安アパートで暮らしていたのだという。食費代削減に食事を抜いたり、猛暑でも電気代削減にエアコンを付けずにただ耐えるなどの苦しい生活を続けていた彼女にとって、この寮は天国なのかもしれない。

 

「部屋割りはコチラで決めたとおりだ。言っておくが、各自の部屋やフロアには必要に応じて個性対策を施工している。たとえば、藤原や轟の部屋は耐火性能の高い建材や家具で作られているし、芦戸の部屋は耐酸性能に優れている、といった感じだな。だから勝手に部屋の場所を変えたりするなよ。どうしても必要な時は俺に言え」

 

「分かりました」

 

 女子は、二階に耳郎と葉隠、三階に麗日と芦戸、四階に八百万と蛙吹、五階に妹紅という部屋割りだった。

 妹紅がフロアに1人だけなのは、万が一にでも連合が『ワープ』で再び襲撃してきた際に、部屋内でもヒーローたちが駆けつけるまでの間、全力で抵抗出来るようにという雄英の思惑からだろう。恐らく妹紅の部屋どころか、この寮全体が格別の耐火性能と防火装置を備えているに違いない。

 

「各自、事前に送ってもらった荷物が部屋に入っているから、とりあえず今日は部屋でも作ってろ。明日また今後の動きを説明する。以上、解散」

 

 各種の説明が終わり、各々は自分の部屋へと足を運ぶ。妹紅も五階に上がると渡された鍵を使って自室の扉を開けた。部屋の中には大きめのダンボール箱が1個。これが妹紅の全ての荷物だった。

 児童養護施設は基本的に国や市町村の支援金で運営されているため、物品の購入は公費だ。そういう経緯で買われた物は持ち出せない。その為、妹紅が持って来られたのは私服やほんの身の回りの私物だけ。そして学費や生活費などは奨学金で賄うことにした。雄英は国立高校だ。奨学金制度は特に充実しているのである。

 無論、慧音は自腹を切ってでも援助しようとしてくれたが、他ならぬ妹紅自身がそれを望まずに断った。妹紅にとって、これは巣立ちだ。慧音に安心してもらうためにも、妹紅は独力でこなそうとしているのだ。

 とはいえ、金銭的にはギリギリなので、可能ならばアルバイトでもして金を捻出したいところだが…雄英内で火力発電の仕事でもないものだろうか?それならば個性の鍛錬とアルバイトが同時に出来るのに、と妹紅は思っていた。

 

「……一瞬で終わってしまったな…」

 

 そんなことを考えている内に、少なかったダンボールの中身も空になった。最後に、慧音や寺子屋の皆が写った写真をベッドの枕元の棚に飾って完成。15分程で部屋作りが終わってしまった。家具などは全て備え付けの物を使用しているので、さっきのモデルルームと全く代わり映えしない部屋になってしまったが、妹紅としては構わない。いずれ慧音(ワーハクタク)のポスターを入手して、部屋の壁中に貼りまくるつもりなのだ。

 密かな野望を抱きながら使い終わったダンボールを一階の回収場所へと持っていくと、寮の入り口近くで佇む八百万の後ろ姿が見えた。妹紅は畳んだダンボールを回収場所に置き、八百万に声をかける。彼女の視線の先にはピラミッドの様に積まれたダンボールの山や巨大な家具があった。

 

「ヤオモモ、どうかしたのか?」

 

「あ、妹紅さん。実は持って来た荷物が多すぎて部屋に入りきれず、相澤先生が必要な物以外は家に送り返せ、と…。妹紅さんはどうかなされましたか?」

 

「私は荷物が少ないから、もう終わったんだ。何か手伝うよ、ヤオモモ」

 

 そりゃ部屋に入らないだろう、と頷きながら妹紅は手伝いを申し出た。もしかしたら部屋の空間面積を超えているのではないかと思うほどの量の荷物がある。仕分けるだけでも時間と労力がかかるだろう。

 

「そんな、妹紅さんのお手を煩わせる訳には…!」

 

「1人じゃ今日中に終わらないと思うぞ、この量は。特にこのベッドはそもそも部屋に入るのか?」

 

 八百万の荷物の中でも一番の大物、中世貴族もかくやといわんばかりの天蓋付きの巨大ベッドを見上げながら妹紅は言った。四階まで運ぶだけなら麗日の『無重力(ゼログラビティ)』で何とかなるかもしれないが、扉が鬼門である。大きな荷物を運ぶ際、引っ越し業者などはベランダのテラス戸を外してそこから搬入する事もあるそうだが、これはそれでも難しそうだ。

 

「まさか部屋の広さがあれだけとは思っておらず…。小大さんに手伝っていただければ、収まるでしょうか?」

 

「それで部屋に入ったとしても、室内のほとんどをベッドに占領されて逆に生活し辛いと思うが…」

 

 妹紅の言葉に、八百万はその想像をした。狭い部屋にデカいベッド、そこにテーブルや椅子など他にも生活家具も置かなければならないのだ。閉鎖空間が過ぎるだろう。

 

「う、確かにそうですわ…。では、これは諦めて備え付けのベッドを使用することにしましょう。ええと、それで他に必要な物は…」

 

 他にも、欧州の王立図書館に在ってもおかしくないような巨大な本棚や、大人数人が楽に入れるような豪華なクローゼットなどを諦めさせつつ2人で仕分けを進めていく。そして本当に必要な物だけを八百万の部屋へと運び、ダンボールから物を取り出していった。これでようやく部屋作りのスタートラインに立てたといったところか。

 

「これは?」

 

「あちらへお願いします」

 

「分かった」

 

 洋服や下着などは八百万本人に任せ、妹紅はティーセットなどの食器の包装を丁寧に外し、アンティークの食器棚へと並べていく。すると、ふと会話が途切れてしまった。ティーセットのカチャカチャと鳴る音だけが2人の間に静かに響いていた。

 

「……」

 

「……」

 

「…あの時、ヤオモモたちは来ていたんだな」

 

 妹紅が背を向けながらポツリと呟く。すると八百万はビクリと肩を震わせた後、こちらも振り返らず背を向けたまま答えた。彼女には、ただただ合わせる顔がなかったのだ。

 

「…はい。妹紅さんたちが仮面のヴィランの前へと転送された際、私たちは一つ壁の向こう側に居ました…」

 

 八百万は語る。切島と轟の提案に乗って神野に来たこと。彼らのストッパーとして同行したが、その内心には妹紅を助ける意思があったこと。妹紅がAFOによって『転送』されて来た時、そのすぐ近くの壁の向こう側に居たこと。だが、怖くて怖くて…あまりの恐怖に足が動かず、妹紅を助ける行動すら起こせなかったこと。

 八百万は懺悔するかの如く、心の内まで赤裸々に語っていった。

 

「なんて危ないことを…。相澤先生の言葉通り、一歩間違えば死んでいてもおかしくなかったんだぞ」

 

「申し訳ありません……」

 

「…いや。……すまない、言い過ぎた…。私も分かってはいるんだ。5人は私たちを助けようとしていたんだってことは。分かっているんだが、それでも皆に万が一のことがあれば私は…!」

 

 妹紅は振り向かずグッと唇を噛んだ。彼女の気持ちは嬉しい。だが喜んでは駄目だ。それで次があれば、今度こそ八百万たちは死んでしまう。この場において妹紅は怒らなければならないのだ。だが、言葉に詰まって声が出ない。何を言って良いのか分からなくなってしまっていた。

 

「ヤオモモ、居る?」

 

 背を向け合い、再び無言になってしまった空間にノック音と声が届く。2人ともハッとして顔を上げ、部屋主の八百万が返答した。

 

「その声は…三奈さん?えっと…どうぞ入って下さい」

 

「話があるんだ。私も、梅雨ちゃんも。今なら皆は自室で部屋作りしているから一階のリビングで…あ…妹紅…」

 

「三奈…?」

 

 来客は芦戸だった。八百万に話があったらしいが、妹紅が居るとは思っていなかったらしく、少し戸惑っていた。だが、すぐに真剣な表情で妹紅を見つめて頷く。憂いを帯びたその様子はやはりいつもの彼女らしくなかった。

 

「…うん、妹紅にも来て欲しい…かな。急にごめんね。良い?」

 

「ん、分かった。行こう」

 

「すぐに向かいますわ」

 

 芦戸のただならぬ雰囲気に、妹紅も八百万も即座に動いた。彼女の後に続いて一階へ降りると既に蛙吹が、そして轟、切島、緑谷、飯田の男子4人も居る。話し始めている訳ではなさそうだが、救助に行ったこの5人と妹紅が呼ばれたということは、やはりあの晩についてなのだろうと予想はついた。

 

「百ちゃん…妹紅ちゃん…」

 

「梅雨ちゃん、大丈夫か?」

 

 妹紅たちの名前を呼ぶ蛙吹の声は弱々しい。妹紅は彼女の手を取り、ソファーにまで誘導すると、そこに座らせた。妹紅と芦戸がその両隣に座ると、芦戸の隣に八百万もおずおずと座る。残りの男子たちも向かいのソファーに浅く腰掛けた。

 そうしてしばらくすると、蛙吹と芦戸は自分の心情を打ち明けてくれた。

 

「私、轟ちゃんや切島ちゃんが“助けに行く”って言った時に、本当なら“私も”って言いたかったわ。でも、感情を抑えて轟ちゃんたちを止めたの。心を鬼にして辛い言い方をしたけど、それでも行ってしまったと今朝聞いて、とてもショックだったわ。止めたつもりになってた不甲斐なさや、皆が戦っていたのに安全な場所に居ただけの自分に嫌な気持ちが溢れてしまったの…」

 

「助けに行きたかったっていうのは私も同じだよ。ううん、間違い無くあの場に居た全員がそう思っていた。でも、私たちは行かなかった…。行った皆を責めてるんじゃないの。何ていうか…あの時、私たちはどうすれば良かったのか…ずっと考えてて…」

 

 『救出に行かなかった』という蛙吹たちの判断は、あの晩においても、その後の結果を見ても間違いなく正しかった。しかし、彼女たちは妹紅の惨烈な戦闘を見たことで自分たちの判断に葛藤を抱えてしまったのだ。

 それでも今朝まではその悩みを心の奥に隠せていたが、5人は救助に行っていたと聞いた時、様々な思いで心の堰が決壊し、感情が溢れてしまった。それは友人らを想うが故に、妹紅を想うが故に巻き起こってしまった葛藤だった。

 

「私たち、まだ何て言っていいか分からなくって、皆と楽しくお喋り出来そうになかったのよ。もしかしたら、ずっと分からないままで、ずっとお喋り出来なかったかもしれない…。でも、それはとても悲しいの」

 

「グス…私…も…!」

 

「梅雨さん…!三奈さん…!申し訳ありません…!」

 

 蛙吹はポロポロと大粒の涙を零して言った。芦戸も泣きじゃくっていて言葉にならないようだ。そんな芦戸を八百万が抱き締める。彼女もまた涙を流していた。己の短慮が友の心を傷つけてしまったのだ。これほど辛いことはない。

 

「だから…まとまらなくっても、ちゃんとお話して…また明日から皆と楽しくお喋りできるようにしたいと思ったの…ごめんなさい、妹紅ちゃん…せっかく再会出来たのに、こんな話をしちゃって…」

 

「いいんだ梅雨ちゃん。ありがとう、話してくれて。ありがとう、想ってくれて」

 

 妹紅は蛙吹を優しく抱き締めた。彼女らの友情に、真紅の瞳からは涙が溢れる。それが妹紅の答えだった。

 そして、男子たちも蛙吹や芦戸の本心を聞き、己の浅はかさを恥じていた。確かに『考えるより先に身体が動いていた』という言葉は有る。過去のトップヒーローたちが学生時代に残したという名言なのだが、それはマスコミからインタビューを受けた際、『己の善性を謙虚して照れながら放った言葉』という意味合いの方が強いのではないだろうか。少なくとも、この言葉は思考放棄を推奨するものでは無いことは確かだ。

 だというのに、彼らは考える時間が十分にある中、冷静になれず感情に任せて突っ走ってしまった。ヒーローを目指す者として、その行いは明らかな過ちだった。

 

「すまねぇ、芦戸!梅雨ちゃん!すまねぇ皆!俺が考え無しに誘ったせいで、あやうく皆を殺しちまうところだった…!すまねぇ…!すまねぇ…!」

 

「誘ったのは俺もだ。わりぃ、もっと考えるべきだった…」

 

「僕も…ちゃんと考えるべきだったし、話し合うべきだったと思う。ゴメン!芦戸さん、梅雨さ…ちゃん!」

 

「すまない…芦戸君…!梅雨ちゃん君…!俺は…俺は…うおおお!」

 

 彼らは心から詫びる。飯田に至っては、滂沱のあまり眼鏡が水没せんとする勢いだった。

 そんな中、蛙吹を抱擁しながら彼らの話を聞いていた妹紅は、更にその上から誰かに抱き締められる感覚を得た。しかし、そこには誰の姿もない。姿は見えないものの、感触はある。妹紅はその透明な優しさの正体を知っていた。

 

「葉隠…」

 

「うん、妹紅…。梅雨ちゃん、三奈。気付いてあげられなくてゴメンね…!」

 

 ソファーの後ろから身を乗り出すようにして葉隠は妹紅たちを抱いていた。いや、彼女だけではない。麗日と耳郎も、同じように八百万や芦戸を抱き締めていた。

 

「麗日、響香も」

 

「3人が辛そうな顔して下に降りていくのを見ちゃって…勝手に聞いてゴメン!」

 

 麗日が彼女らを代表して謝った。実は、麗日たちも今日の蛙吹や芦戸の様子が変だったことを内心気にしていた。その原因までは分からなかったが、妹紅たちが降りていくのを見て何となく察したという感じなのだろう。

 

「そうだよね…起きたら全部終わってた私たちと違って、三奈たちはあの襲撃の日からずっと苦しんでいたんだよね。私、馬鹿だ。なんで気付かなかったんだろ…」

 

 ガスで意識を失い、目が覚めたら既に事件後だった耳郎たちですら、神野のニュースを見る度に酷く胸が苦しくなる思いだったのだ。

 ならば、芦戸や蛙吹の苦しみは如何ほどだろうか。心が押し潰され、不安で夜も寝られない日々だったに違いない。己の無力感に苛まれ続けたに違いない。そんな友の気持ちに気付けなかった自分が悔しかった。

 

「ごめんね、梅雨ちゃん、三奈。私も上手く言えないけど…2人の想いは私たちにもちゃんと届いたよ!」

 

「お茶子ちゃん、透ちゃん、響香ちゃん…!」

 

 麗日は目に大粒の涙を浮かべながらも、ニッコリと和やかな笑みを見せた。それは葉隠も耳郎も同じだ。蛙吹たちが本心をさらけ出してくれたからこそ、彼女たちも自分たちの心に渦巻いていたわだかまりに気付けたのだ。蛙吹たちの気持ちは、確かに彼女たちの心に届いていた。

 

「うわーん!響香ぁ!」

 

「よしよし、いくらでも泣いて良いよ三奈…。でも、涙で私を溶かさないでよね?」

 

「それは…保証できないかも…うえーん!」

 

「ちょ!?」

 

 彼女たちはソファーの上で寄り添い合って一丸となった。もう今なら、お互いに冗談だって言い合える。それは決して難しいことではないのだ。

 そんな仲睦まじい女子たちの様子を緑谷と切島は照れながら、飯田は号泣しながら見守っていると、轟が何かに気づいたように近くのドアを指差した。

 

「ん?おい、あれ…」

 

「馬鹿、押すなって…うわ!?」

 

 轟が声を上げた瞬間、急にドアが開いて何人もの男子がドタドタという音とともに倒れてしまい、見事に積み重なった。上鳴、瀬呂、常闇、峰田、尾白、砂藤が積層しており、彼らの後ろで障子と口田が倒れた男子たちを助け起こそうとしている。

 そんな彼らの更に後ろには爆豪も居たのだが、妹紅と目が合った瞬間にフンと鼻を鳴らした様子で彼は歩き去っていった。…なるほど、爆豪も彼なりに心配していたのだろう。朝のぶっきらぼうな気遣いといい、どうにも不器用な男なのだ。

 

「痛てて…」

 

「いだぁ!?誰か尻尾踏んでる踏んでる!」

 

「峰田の『もぎもぎ』が服にくっついて取れねぇ!?」

 

「何やってんだ?」

 

「わ!?皆、大丈夫?」

 

「今、助けるぞ!」

 

「わはは!ギャグかよ!」

 

 積み重なった男子たちが喚く姿を見て、轟は純粋に疑問を抱き、緑谷と飯田は慌てて救援に向かう。そして、切島はその様子を思いっきり笑ってみせた。彼らの意図を汲み取っての笑いだった。

 そもそも、このA組の中に“気にしていない”クラスメイトなんて誰一人として居なかった。誰もが何かしらを意識して悩みを抱え、何とかしたいと思っていたのである。

 彼らが緑谷や切島たちの後ろをこっそり追ったのも、その為だった。ドア越しに耳をそばだてる罪悪感は有ったが、それでもこの男子たちも力になりたかったのだ。そんな彼らがお約束の如くコケたのは偶然か、それとも意図的に演じてみせた道化か。少なくとも切島はそれを男の照れ隠しだと捉えていたようだ。

 いずれにせよ、積み重なって騒いでいる今の滑稽な姿こそが、彼らの優しさの表われだということは一目見れば分かることだった。

 

「ふ…。ほら梅雨ちゃん。見てくれ」

 

「え…?」

 

 蛙吹は妹紅の腕の中で涙を拭っていた。妹紅はそんな彼女の背を優しくトントンと叩いてその景色を見せる。騒がしくて馬鹿馬鹿しい。でも、暖かで優しいA組らしい日常のワンシーン。皆が再び望んでいた景色だ。

 

「私も、皆も、ここに居る。こんなに近くに居るじゃないか。だから大丈夫。明日からじゃない、今からでも皆で楽しくお喋り出来るよ」

 

「妹紅ちゃん…皆…ありがとう!皆、大好きよ…!」

 

 顔を上げて彼らを見ている蛙吹にそう語りかけると、彼女は再び涙を溢した。拭っても拭っても溢れる涙は止まらない。そんな蛙吹に妹紅は再び胸を貸した。それらを包み込むように他の女子たちも笑みを浮かべて2人を抱き締める。団子のように女子たちが一塊となると、妹紅たちはその中心で優しく揉みくちゃにされ続けた。

 そうして蛙吹も泣き止むくらいの時間をじゃれ合っていると、ふと妹紅は髪の毛をボサボサにしたまま顔を上げた。

 

「今度…」

 

「ん?どうしたの妹紅?」

 

 妹紅の呟きに、葉隠が透明な首を傾げて聞き返した。他の者たちも耳を傾けてくれている。恐れを抱きながらも決意を持って、妹紅は彼女らの前で自分の思いを言葉にする為に口を開いた。

 

「もしも今度…、時間に余裕が出来たら…私の悩みも聞いてくれないだろうか?」

 

 辛い虐待の過去、不死であることへの恐怖、脳無の正体、そして自分たちの拉致が発端で犠牲となった神野の人々とオールマイトの引退…。今回の事件を経て、妹紅は今まで以上に多くの苦悩を背負ってしまった。1人で背負うには重すぎる苦悩だ。だから、これまでは『親』である慧音にだけにしか打ち明けられなかったし、慧音さえ隣に居てくれれば、それで良いとすら妹紅は思っていた。

 しかし、今は違う。今、妹紅の目の前には『友』がいる。信頼できる大事な友人たちがいる。彼女たちならば、彼たちならば、きっと親身になって己の苦悩を分かち合える。そう信じていた。

 

「妹紅…!うん、もちろんだよ!」

 

「私もよ、妹紅ちゃん!」

 

「お任せ下さい、妹紅さん!」

 

「力になれるかは分かんねぇけど、俺で良ければ話を聞くが」

 

「あ、うん!僕も!」

 

「俺もクラスの委員長として大いに相談に乗ろう!」

 

 女子たちはもちろん、男子たちも揃って頷いてくれた。『もぎもぎ』で行動不能になっていたお調子者たちも、引っ付いていた上着を脱ぎ捨てて無駄に格好つけながらサムズアップを決めている。

 思えば、体育祭の表彰式でオールマイトから“遠慮せず周りに相談するんだよ”と妹紅は言われていた。なるほど、その通りだ。雄英にはオールマイトや相澤を始め、信頼できる大人(ヒーロー)が多く居る。クラスメイトだけでなく、時には彼らにも相談しても良いのだ。プロヒーローとしての答えもまた、妹紅を支える柱の一つになるに違いない。

 

「いやいや、男子禁制でしょ。たぶん」

 

「え!?ってことは恋バナ!?恋バナなの!?」

 

「わぁ!」

 

「なに!猥談だとぉ!?」

 

「どういう風に聞き間違えたらそうなるんだよ、お前…」

 

 耳郎の一言に、芦戸のテンションが上がる。麗日もそれに乗じて黄色い声を上げていた。当然、彼女たちもそんな軽い話では無いと分かっている。しかし、悩みを打ち明けてくれるその日まで、妹紅がコチラに気を遣わないようにわざと茶化してみせたのだ。早くても遅くても、何時だって良い。出来れば相談して欲しいが、気が乗らなければ相談する相手が自分で無くてもいい。そういう意味を含ませての言葉だった。

 峰田の下ネタも…多分それに似た優しさからなのだろう。日頃の言動と行動のせいで断言は出来ないが、そう思いたいものだ。

 

「もう!男子は放っておいて女子寮に行こ行こ!そうだ妹紅、部屋作り終わった?私の方は大体終わったから手伝おうか?」

 

「私も終わったよ。今はヤオモモの部屋を手伝ってる」

 

「じゃあ、私も手伝いに行くよ!」

 

「ありがとうございます。助かりますわ透さん」

 

 葉隠が妹紅の手を引いてソファーから立ち上がると、女子全員でエレベーターへと向かう。聞けば、蛙吹や芦戸もまだ終わってないとのことだったので、麗日と耳郎がそれぞれ手伝うそうだ。

 とはいえ、八百万の荷物は仕分けた後でも大量に残っている。結局は女子皆で彼女を手伝うことになるだろう。

 

「ねぇねぇ!部屋が出来たら見せ合おうよ!お部屋の披露大会しよ!」

 

「それ楽しそう!じゃあ、男子にも参加してもらおうよ!でも、男子たちには直前まで内緒ね!あるがままの部屋を見せてもらおうじゃないの!」

 

 芦戸の提案に、葉隠が手放しで賛同した。透明故に見えないが、恐らくニヤリと悪い笑みを浮かべているに違いない。その様子を見て、他の女子たちは苦笑いしながらも頷いた。男子にも部屋を見られるのは少々恥ずかしいが、ただそれだけだ。むしろ、これはこれで面白いかもしれないと、そう思っていた。

 

「えへへ。妹紅、どうかな?」

 

 葉隠が振り返り、皆も振り返る。妹紅はそんな彼女たちの前で――大いに顔を綻ばせた。

 

「ふふふ。ああ、それはとっても楽しそうだ」

 

 妹紅は気兼ねなく笑う。

 それを見た彼女たちもニッコリと笑って妹紅の手を取り、共に歩き出した。

 

 

 苦痛の世界に生まれ落ち、愛によって救われた『不死鳥』の少女、藤原妹紅。

 雛鳥はついに巣立ち、その先で真の友情を得た。身内以外に心を開かなかった孤高の慈悲鳥は、友と手を繋いで歩み始めたのである。

 無論、その道のりは決して平坦なものではないだろう。この先、彼女たちの前には数々の困難が立ち塞がるに違いない。その度に藻掻き、苦しみ、己の無力さに打ち拉がれて歩みが止まることも有るかもしれない。絶望に膝をつくことも有るかもしれない。

 しかし、力を貸してくれる友が居れば、苦痛や悩みを分かち合うことが出来る。友に支えられ、時に支えて一歩ずつ前へ進むことが出来る。力を合わせて絶望を希望に変えることが出来る。

 だから、妹紅は一緒に歩くのだ。この雄英高校ヒーロー科で友人たちと共に、新しい日常を笑って歩み続ける。

 

 それが妹紅の、もこたんのヒーローアカデミア。

 

 

 完




 なお、もこたんのお悩み相談を受けた人はもれなく強制SAN値チェックのお時間です。

※一度完結しましたが、第二部を始めました。

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