春。それは出会いの季節であると共に別れの季節でもある。中学校のクラスメイトたち……は置いておいて、轟先生に会う機会はそうそう無いだろう。
また、寺子屋の最年長者であり、妹紅に勉強を教えていた兄貴分の男子も志望していた国立の最難関大学医学部に合格し、大学の寮への転居が決定した。大学授業料は奨学金制度を利用し、足りない分はバイトをして生活していくそうだ。
それはつまり寺子屋の卒業を意味していた。
だが、これも完全な別れという訳では無い。確かに兄が今まで使っていた個人部屋は綺麗に片付けられ次の入居者を待っている。だからといって卒業生の居場所が無いという事は無かった。
差し入れを持って遊びに来る卒業生は多いし、ご飯を食べに帰ってくる卒業生もいる。いざとなれば、小さいが宿舎もあるからそこで寝れば良い。
妹紅の雄英ヒーロー科の合格が決まった時など、聞きつけた卒業生や関係者が寺子屋に集まり、祝賀会が開かれた。20歳を超えている卒業生は上機嫌で酒を飲み続けて何度も乾杯を繰り返して最後は完全に潰れ、慧音は呆れながらも楽しそうに卒業生たちを宿舎に放り込んでいた。
彼らの卒業は寂しいが辛くはない。巣立ちなのだ。妹紅はそれを喜んで送り出さないといけないと思っていた。
そしてついに妹紅が寺子屋での最年長となった。これからは妹紅が子供たちの模範となる番なのだ。弟たち妹たちが自慢できる姉として、その背を見せ続けなければならない。責務を感じるが兄ら姉らはそのようなそぶりを一切見せなかった。妹紅もソレに倣うべく、普段通り振る舞いつつ日々を過ごしていた。
そしてついにやって来た――雄英高校登校初日。
「妹紅……いってらっしゃい!」
「もこねーちゃん、いってらっしゃい!」
「もこたん、いってら~」
「もこ姉ぇ、いってらっしゃい」
小学校や中学校に行く前の子供たち、更にはそれ以下の年齢の子供たちが慧音と一緒に妹紅を送り出してくれる。妹紅はそんな彼女たちに笑顔を向けて言った。
「慧音先生、皆……ありがとう。いってきます」
寺子屋から雄英高校までは、バスに乗って近くまで行く。流石は規模の大きな高校だ。雄英高校の周りは最寄りのバス停がいくつかある。バスに乗って30分と少しの時間で雄英高校正門前についた。
(入試の時にも思ったけど…校舎でっか……)
校舎を見上げながら妹紅はそう思う。雄英高校の本校舎は、ビルのようにガラス張りの大きな校舎が四棟あり、それぞれの中層部分を渡り廊下で繋いでいる。真正面から見るとHの文字に見える。
本校舎の大きさだけでは無い。日本でも屈指の敷地面積を誇る雄英高校は多種多様な演習施設も存在している。入試の際に使用した広い試験会場ですらその一つだ。
雄英の公式HPからは専用の地図アプリもダウンロード出来、演習場や教室の案内してくれる。もしも慧音から携帯を貰っていなかったら、流石の妹紅も道に迷ってしまいそうだ。因みに、アプリやその他のダウンロードは慧音がやってくれた。電子機器に触れる機会が少なかった妹紅は、その辺が少し疎かった。また、携帯は耐熱性の特別製だそうだ。
とはいえ流石に初日。正門を抜けると一年生の為に設置されたであろう案内看板や張り紙が多く目に入る。やはり迷子になる生徒が多いのだろう。それらを確認しながら妹紅は歩を進めた。
(1年A組、ここね。教室のドアまででっかい…。今の時間は8時前か、早く着きすぎたかな。朝のHRまで30分近くあるし、バスの時間を1、2本ずらしても間に合いそう…明日からはそうしようかな)
そう思いながらバリアフリーの施された巨大ドアを開ける。見た目に反して重さは普通のドア並みだった。中に入ると教室には既に生徒が数人いる。30分以上前から着席しているとは真面目な生徒たちだ。もしくは妹紅と同じように時間配分を間違えたのだろうか。
「む、君は試験会場が同じだった火の鳥女子!君もやはり合格していたのだな!」
妹紅は教室に入り、キョロキョロと自分の席を探して辺りを見渡していると、声をかけられた。そちらを向くと、眼鏡をかけた身長の高い男子生徒がいた。試験会場が同じだったらしいが、妹紅は全く覚えが無かった。
とりあえず『火の鳥女子』という名前を訂正させるべく名前を伝える。
「……藤原妹紅だ」
「おっと、すまない。失礼した!ボ・・・俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ。よろしく頼む。ああ、そうだ。席は出席番号順になっているぞ」
彼はカクカクとした妙な動きで妹紅に謝罪し、自己紹介をした。私立聡明中学…たしか超エリート中学だったはずだと妹紅は思い出す。確かに真面目そうな、真面目過ぎるくらいの印象を受ける男子だった。
「ああ、よろしく。そうか……私の席はあの辺か。ありがとう」
飯田に無表情で礼を言うと自分の席を探す。出席番号の書かれた紙が各机の端に貼り付けられている。妹紅の出席番号は17番。妹紅は早速自分の席を見つけて着席した。窓際の列で前から二番目の席だった。
少し周りを見渡したが妹紅の周りの机はまだ空席しかない。とはいえ、誰かが居たとしても自分から話しかける妹紅では無いのだが。カバンから本を取り出し、いつものように読み出した。
しばらくすると次々にクラスメイトとなる生徒たちが教室に入ってくる。席も大分埋まってきたようだ。だが、教室のドアが他の生徒よりも一際荒々しく開いた。教室にいた生徒たちが一斉にそちらの方を見る。妹紅もチラリとだけ視線を向けた。
髪は金髪で荒々しく立たせている、爆発したかのような髪型だ。着用しなければならない雄英のネクタイをはずし、シャツも首元のボタンを外している。目付きも悪いし、歩き方もガラが悪い。いわゆる不良というやつだろうか。
彼はジロジロと睨むように自分の席を探している。そして妹紅の目の前まで来て…ドガッと椅子に座った。妹紅の前の席こそが彼の席だった。
彼はカバンを置くと、ガンッ、と自分の机にだらしなく足をかけた。態度が悪すぎる。やはり不良なのだろうか。最難関のヒーロー科に来てまで彼は何がしたいのだろう?と妹紅は本気で考えてしまった。
「む、君!」
不良の彼の態度を見かねた飯田がツカツカと歩いて迫る。
「机に足をかけるな!雄英の先輩方や机の制作者方に申し訳ないと思わないか!?」
「思わねーよ、てめー!どこ中だよ端役が!」
やはり真面目な飯田とはウマが合わないのだろう。早速激しい口論が始まった。だが、少しすると飯田が教室のドアにいた生徒に気付いて、口論を切り上げる。モサモサした髪の地味目の生徒に飯田は話しかけた。それを見ていた妹紅は『あの男子は…』と思う。更に茶髪のショートヘアの女子も現れた。
間違いなく入試の際に0ポイント仮想敵を倒した男子と、彼を助けた浮遊個性の女子だった。
(そうか、彼等も合格していたのか……)
2人の姿を見て、妹紅は少しだけ口角を上げた。赤の他人の筈なのに彼等の合格を喜んでいる自分が心の中に居た。その事を妹紅自身すら不思議に思ったが、ソレは決して嫌なモノでは無くて、心が温まるような感覚だった。
だが、気付けばもう8時25分。朝のHRの時間だ。
「お友達ごっこがしたいなら余所へ行け。ここは…ヒーロー科だぞ」
寝袋に入ったままの人間がゼリー飲料を一瞬で飲み干しながら、そう言い切った。モゾモゾとうごめきながら寝袋ごと立ち上がり、教室に入ってくる。
「はい、静かになるまで8秒かかりました。時間は有限。君たちは合理性に欠くね……担任の相澤消太だ。よろしくね」
生徒たちは黙っているが、『先生!?しかも担任!?』という心の声が聞こえてきそうである。妹紅もこのようなタイプの人間に出会った事が無いため、どのような対応をとればいいか分からない。とりあえず、他の生徒と同じく黙っていた。
「早速だが、体操服着てグラウンドに出ろ」
戸惑う生徒たちを残し教室を出た相澤は、言葉通りグラウンドに向かっていった。生徒たちも慌てて体操服を持って更衣室に急ぐ。
「あ、その白い超ロングの人!あなたも受かっていたんだ。えへへ~、お互い合格出来て良かったね。あ、麗日お茶子だよ。よろしくね!」
「ああっあの時の!みみ、緑谷、で、です!に、入試の時は、あの、あ、ありがとうございました……」
妹紅が更衣室に向かう際に、先ほどの両名に声を掛けられた。『麗日』に『緑谷』。忘れないように記憶にしっかりと刻み込む。
正直、妹紅は他人の名前を覚える事が苦手だった。何度か聞いたはずなのに、顔は知っていても名前が出てこない事が多くあった。実際、中学校のクラスメイトの名前などはほとんど覚えていない。
だが、ヒーローになるにあたり、それではいけないと慧音から諭された。
「…ああ、藤原妹紅だ。これからよろしく頼む…グラウンド、急いだ方がいいかも……」
そう言葉を紡いで、今のはどうだったろうかと妹紅は一人思う。礼の言葉を受け取り、自分の名前を伝えつつ、よろしくと好意を伝える。そして最後に遅れないように注意を促す。なんとか意識して話す事が出来たが……
「わ、そうだね。時間に厳しそうな先生だったもんね。急いで着替えて行こう!」
「う、うん、急ごう」
親しげに話す事が出来て妹紅はホッと安心した。妹紅は中学のクラスメイトとは上手く話せず、友達と呼べる人間は居なかった。また、寺子屋の関係者や子供たちとはとても仲は良いが、それは友達ではなく家族と言える存在だった。
これを機に、お互いに友達と呼び合える立場になりたいものだ。妹紅はそう願っていた。
因みに妹紅の表情は、会話の最初から内心に反してずっと無表情だった。
デク命名フラグを残すため、緑谷はフルネームでは無く、名字しか言わせませんでした。
また、妹紅は轟焦凍の事を名前だけしか冬美先生から聞いていないので、教室時点では誰だか分かっていません。