夢というのは何時かは覚めるものだ。明けない夜がないように、覚めない夢はない。
頭では分かり切っていても、思ってしまうのが知性を持つ生物の性とでも言うべきか。時に覚めない夢を期待してしまう。はるか昔に母の胎内で羊水に浸かりただただ眠り続けたように、夢の中で溺れていたいのだ。それは悪夢でもいい。例え幼少期のトラウマを体験しても、正体不明の生物に追われ続けても、身体が朽ちていく感覚を妙なリアルさで実感しても、守りたいと願った者たちを失った現実の世界より悪夢と言えるものはないだろうから。
ヴィレム・クメシュは回想する。
己を『父』と慕い、未来を憂うことなく笑顔でいた養育院の『我が子』たちを。
所詮はなりそこないであった己とは違い、真の勇者であった『妹弟子』を。
幸せだったあの日に戻れたら自分は一体何をするだろうか。既に天使によってラッパが吹き荒され、終末が目前に迫った故郷で何をなすことができるだろうか。
生きてしまった――生き残ってしまった。生き残るべき人物は他にたくさんいた。生き残らせたい人物はたくさんいた。けれど皮肉なことに、大切な人を守りたいと強く願っていた自分が生き残った。
雨が窓を強く打ち付ける。不快であるはずのその音にヴィレムは耳を傾け、消え入りそうな声で幼少のみぎりに幾度も歌った追悼歌を口遊む。
「For example, you died. The world and cried for you. Still you`ll not return. Dear you don`t come back…….」
悔いても悔やみきれない感情に心が引き裂かれる。散り散りになった心は、生暖かい風に運ばれて何処までも飛んでいく。遠く、ただ遠くへ。
ヴィレムは自室から出ると、倉庫の玄関へと向かう。
雨が落雷を伴い、先ほどより雨は一層強くなっていた。
着心地の悪い軍服を脱ぎ、丁寧に折りたたんで玄関の隅に備えられている花瓶の乗った小ぶりのテーブルの上に置いた。そして天の恵みが降りしきる外へ躊躇なく飛び出す。
無機質で冷たい水滴はヴィレムへと容赦なく降り注ぐ。ヴィレムは天を高く見上げ、目を閉じる。彼の頬には雨とは違う、温かい水が流れていた。
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枯草色の髪は個人的には嫌いではない。どうしてかと言われたら、私は決まってこう答える。
「目に優しいから」
ナイグラートのような淡い赤毛が羨ましいと思ったことはある。クトリのような蒼色の髪もとても綺麗だと思う。勿論ネフレンも、ティアットも、コロンも、ラキシュも、パ二バルもそれぞれが違う髪を持っている。美しい髪だと心から思う。
けれど彼女たちよりも私が一際美しい髪だと思うのは、フェイクの髪である。
檸檬色の髪は手入れをしていないというのに枝毛が一つも無く、キューティクルによって天使の輪がくっきりと見えるほどだ。彼は自分の容姿をあまり好んでいないようなので、できることならば変わってほしいと切実に思う。
フェイクは妖精倉庫において、唯一の男の黄金妖精だ。因みに、男の黄金妖精というのは過去に例がないそうだ。彼は童顔なこととナイグラートの服の趣味によって、パッと見ただけでは女の子にしか見えないのだが。そういえば数日前、新任の倉庫の管理者に女の子と間違われてそれはそれはご立腹な様子であった。
私は今、屋上の手すりにのしかかってぼんやりと景色を眺めている。自室はあるにはあるのだが、閉鎖的な空間は息苦しくなってしまうのでどうも苦手だ。だから退屈な時はこうして自然に心を委ねるのだ。
「アイセア……また景色を見てるの?」
背後から抑揚のない声。アイセアは咄嗟に薄っぺらい笑顔を貼り付け、声の方へと振り返る。
「することがなくって暇っすからね」
アイセアは両腕を手すりに絡め、右足をぶらぶらと振る。
「ネフレンが屋上に来るのは珍しいっすね、どうかしたんっすか?」
「風を浴びて、頭のリフレッシュをしようと思った。ここのところ考えることが多すぎるから……」
そうっすかとアイセア。唇を少し尖らして、ネフレンの顔色を伺いながら話し始める。
「フェイクの腕が治るのは聞いたっすか?」
「うん、ナイグラートから聞いた」
「やれ切断だ、と物騒な話だったのに案外あっけなく治るもんなんすね……正直、初めに聞いた時は変な声が出たっすよ」
フェイクの腕に治療法があると聞いたナイグラートの喜びようは、それはすごいものだった。その日のうちに、成体妖精であるクトリ、アイセア、ネフレンの三人の部屋にわざわざ赴き、涙しながら概要を説明した。恐らく、話の当人であるフェイクより喜んでいる。母の愛は深いのだと改めて実感した出来事だった。
「それもこれもヴィレムのおかげ……姉として感謝しないといけない‥‥」
「弟と母の精神を救ってくれた彼には頭が上がらないっすね」
フェイクの件にしろ、クトリの件にしろここ最近の倉庫内は緊張した空気があった。特定の誰かがそうなるように仕向けたわけでもなく、当人たちがそういった雰囲気を放っているのでもなく、事情の分かる年配組がそれとなく互いに配慮しあった結果、子供たちもそれに倣ったことによって応じていた。しかし、ヴィレムが来てから空気が変わった。そういった面においてもアイセアは密かにヴィレムに感謝していたりする。
「そういえばここに来る途中、ヴィレムが厨房に入るのを見た‥‥」
「二位呪器技官が厨房に……気になるっすね。昼ご飯の時間もそろそろっすし、ついでに様子を見にでも行ってみるっすか?」
ネフレンはアイセアの提案に、こくりと頷く。
アイセアは重い体を起こし、背筋を伸ばし、手で両頬を叩く。
「さて、行くっすかね」
アイセアの髪に付けられた枯草色の猫を模ったヘアピンが、風に吹かれて揺らいでいた。
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昼食のメニューに加えられた『特別デザート』の文字。
アイセアはそれに言い表せない違和感を感じた。
「ネフレン、これなんっすかね?」
「見れば分かる……メニュー表」
「そうじゃなくて、この『特別デザート』とかいうやつっすよ!」
「‥‥デザートじゃないの?」
「そうなんっすけど……ああ! もどかしいっすね! 単刀直入に聞くっす、ネフレンはいままでメニューに『特別デザート』なるものがあるのを見たことがあるっすか?」
ネフレンは暫く黙り、ようやく話を理解したようで目を丸くさせる。
「ない‥‥と思う」
「そうっすよね。どうして態々『特別デザート』としたんっすかね。誰かの誕生日にケーキが出るときでさえ『デザート』とだけ書かれてしかいなかったのに‥‥」
「アイセア、見て」
ネフレンが指さす方には美味しそうなプリンを頬張るティアットの姿があった。ティアットは姉二人の視線に気づくとわずかに顔を赤らめ恥ずかしそうにする。
「あれがたぶん『特別デザート』の正体」
「私にはただのプリンにしか見えないんっすけど……」
「物は試しよう。私たちも食べてみたら『特別』の理由が分かるかもしれない」
たぶん分からないだろう、と思いながらもアイセアはネフレンの提案に取り合えず頷いておいた。
昼食は残すところ『特別デザート』のみになった。
うっすらと黄色く、上からカラメルソースをたっぷりとかけたプリン。形も整っており、皿を揺らすとプルンプルンと形容するのが最適であろう動きをする。
「ネフレン、一二の三で同時に食べるっすよ。いいっすか? 一二の三っすよ?」
目前の黄色い宝石に目を奪われながら、ネフレンはこくりと頷く。
「いくっすよ‥‥一二の三!」
勢いよくスプーンを口に放り込む。
ゆっくりと味わって粗食し、飲み込む。
「おいしいっすね……」
感想はそれだけだった。それしか言えなかった。予想を遥かに上回る美味しさに感動し、何と表現すればよいかすぐには分からなかったからだ。
最初に舌が感じ取るのはカラメルのとろみのある甘味、次に乳製品独特のまろやかさ。いたって単純なプリンである、けれどその味わいの奥ゆかしさが普通ではない。
「お前らなに呆けた顔をしてるんだ?」
何時からいたのだろうか。斜向かいでヴィレムが腰に巻いたエプロンを外しながら、笑みを浮かべて此方を見ていた。
「なるほど、犯人は貴方だったんっすね」
「犯人? 何のことだ?」
「こっちの話っす。それで、どうして二位技官が呑気にプリンなんて作ってるんっすか? 軍での仕事にお菓子作りなんてないと思うんっすけど」
ヴィレムの眉間が少しばかり動く。
「まあ、ちと色々あんだよ‥‥」
「色々っすか。概ねうちのチビたちから技官に向く恐怖心を和らげたいとかじゃないんっすかね?」
「‥‥」
「もしかして当たってる感じっすか?」
「俺が此処に来るまで大人の男はいなかったと聞いている。そんな子供たちからすれば俺は畏怖の対象だ。これから良い関係を築いていくには、その感情を早めに払拭させておく必要がある。俺の仕事は倉庫の――倉庫内の軍の秘密兵器の管理だ。管理人から歩み寄らなくてどうする」
ほう、と心の内で感心する。
どうやらヴィレムは私たちが、黄金妖精種が軍の秘密兵器だと知っているようだ。それを踏まえたうえで何時暴発するか分からない私たちに歩みよろうとしている。
これまでの倉庫の管理人は腫物を触るように私たちに接してきた。別に彼らを責める気はない。それが当然の反応であり、自分が同じ立場であったらそうしていると思う。しかし、フェイクの件といい、やはりヴィレムはこれまでの管理人たちとは異なるようだ。
「知ってるんっすね。色々と」
「知ってしまったんだ。色々とな」
ヴィレムの吸い込まれそうなほど黒い瞳は、私の瞳から一寸たりとも動かない。
「やめておいた方がいいっすよ。私たちは兵器、二位技官とは住む世界が違うっす。私たちが夭逝する未来は決まってるっす、関わるだけ無駄っすよ」
発言を終えてから自分が言ったことを理解して驚く。私は別に皮肉家という訳ではない。友好的に接してくる相手にはそれに順じた対応をする。本心を隠して、うわべだけの笑顔で誤魔化す。できるかぎり当たり障りがないように。しかし、私の口から出たのは相手の気持ちを考慮しない心無い言葉だった。
「‥‥失言したっす。忘れてくださ――っ痛っ?!」
でこを小突かれた。思わず両手ででこを撫でる。
「プリンを食ってる時の顔、気づいてないだろうけどゆるゆるだったぞ? それが俺には甘いものが好きな可愛い女の子にしか見えなかった。お前らが軍の兵器だっていう矜持を持っているなら、俺はこれ以上は何も言わない。けれどそんなことはないだろう? だからお願いだ、そんな悲しいことを言わないでくれ」
黒の瞳は私の瞳を吸い込んでいるのか、反らすことができない。
きっと本心なのだろう、彼の所作と言葉の感情の乗せ方に確かな誠実さを感じた。口角緩み、自然と笑みが零れる。
「どうして笑うんだ?」
「なんか肩透かしを食らったような気分だからっすよ」
「ふむ、ますます分からんな」
「‥‥アイセアは何時もそんな感じ。何を考えているかよく分からない」
空になった食器を手に持って、ネフレンは立ち上がる。
「プリンご馳走様。とても美味しかった」
「ああ、また機会があれば作る」
ヴィレムへの返事にネフレンはこくりと頷いて去っていく。
「今の気持ち当ててやろうか?」
意地悪そうに微笑むヴィレム。
「外さない自身があるならどうぞっす」
「『ネフレンが言うな』だろ」
「ご名答っす。よく分かったっすね」
「俺も同じことを思ったからさ」
ははは、と笑うヴィレム。
私も釣られて笑う。
「それじゃあ、俺は厨房で食器洗いをしてくるよ。説教じみてすまなかったな」
「別に気にしてないっすよ。私もこのプリンを食べ終えたら食器を持っていくからよろしくっす」
「また味の感想を聞かせてくれ」
「勿論っす」
食堂からヴィレムが出ていき、ドアの閉まる音が反響する。いつの間にか食堂には誰もいなくなっていた。
私はプリンをスプーンで掬い、目をつぶってから口に放り込む。
「可愛い女の子……っすか」
再度プリンを口に放り込む。
鼓動が高まり、顔が赤らむ感覚。やはり自然と微笑みが漏れる。
刹那甘いはずのプリンに酸味を感じた。目を開くと、プリンの中心部から蜜柑色の液体が流れていた。
「オレンジソース……確かに“特別”っすね」
甘酸っぱい味に、甘酸っぱい感情。
私はその感情の正体は恋ではなく、憧憬であると知っている。
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勇者になりたいと思ったのはお父さんに憧れたからだ。
お父さんは謙遜をして自分は凄くないと言う。なり損ないの勇者だと言う。
僕には勇者が何かは分からない。勿論、皆のために戦う存在だということは知っているけれど、具体的に何をしているかは全く知らない。お父さんに聞いてみても、困った顔をするだけで教えてはくれなかった。
どうやってなればいいのかも分からない。剣が強い人がなれるのか、魔法が強い人がなれるのか。きっと両方なのだろうけれど、僕にはどちらのセンスもない。同い年の姉には剣で負けるし、一つ下の弟には魔法で負ける。
お父さんは自分には才能が無かったと言っていたが、僕はそうは思わない。剣の練習に付き合ってくれる時のお父さんは凄く強い。僕はどんなにがんばってもお父さんのようにはなれないと思う。
だから、自分の才能を疑った。自分の未来を疑った。自分の信念を疑った。
けれど、結局帰着するのは“勇者になりたい”という思いだ。
今日も剣の稽古に励む。明日も、明後日も、ずっと。自分の思いだけでも本物であると信じて。
筆者は英語ができないです。