ドラゴンボールNEXUS 時空を越えた英雄 作:GT(EW版)
夢を見ていた。
何もかもが平和だった頃の、子供の頃の夢だ。
パオズ山に住んでいた頃、散歩に出掛けた自分が滝に落ちそうになって、それを父孫悟空が助けてくれた日の夢。
翼竜に攫われそうになった自分を、父が助けてくれた日の夢。
つくづく、自分は助けられてばかりだったと思う。
それらはこの頃よく見るようになった、幸せだった過去に思いを馳せた夢である。
戦いなんてしなくてもよかった、平和だった頃の夢……それを見る度に、悟飯は心のどこかで思い知らされてしまう。
自分の弱さに。
自分の甘さに。
いつまで経っても乗り越えられない、亡き父への憧れに。
視界を覆っていた光が収束していくと、悟飯の意識は覚醒した。
三半規管の活躍と背中に当たるシーツの感触から、自分がベッドに寝かされていることを即座に理解する。
真っ白な天井から視線を動かすと、ベッドの端に腰かけている黒髪の女性の姿が目に入った。さらりとした美しい髪の持ち主の横顔が、寝転がった視界に収まっていく。
こちらが僅かに身じろぎしたのを感じ取ったのか、女性が振り返り、安堵するような麗しい笑みを浮かべる。
「あっ、目が覚めたんだね! 大丈夫!? 私がわかる、悟飯?」
「……ネオンさん……そうか、俺はまた気絶して……」
目覚めたてでどこかまだ虚ろな悟飯の問いに、ここは地下都市にある私の自室の中だとネオンは答えた。
あの後、意識を失った君をここへ運んできたんだ。
覚えていないの?
そう話すネオンの言葉を聞き、悟飯は虚空を見上げて回想した。
……思い出した。
膨大なブルーツ波をその身に浴びた悟飯はあの時、超サイヤ人をも超越した新たな究極戦士へと変貌した。
大猿でもなく、これまでの超サイヤ人でもない姿に。
目的としていた超越形態へと至り、悟飯はその力を確かに手に入れたのだ。
そして新たな自分に満ち溢れる異常なパワーによって、あの恐ろしい人造人間13号を完膚なきまでに打ちのめし、今度こそ葬り去った。
魔閃光を超える10倍魔閃光の一撃によって、この手に勝利を掴んだのである。
悟飯は首を動かして、ネオンに視線を戻す。
軽い貧血状態なのか、頭がぼうっとした。
それでも呻きながら上体を起こそうとする悟飯の肩に、ネオンが慌てて手をやってベッドに押し戻そうとする。
「まだ安静にしてなよ! 怪我はないけど、君はあれから三日も倒れていたんだよ?」
「み、三日……!? そんな……あれから、もうそんなに経っているんですか!?」
「う、うん……ごめん。完全に私のミスだった。変身は成功したのに、そこまで反動が大きかったなんて……私の見込みが甘かったんだ。ごめん……」
ネオンは語る。
あの時、人造人間13号を超越形態の超パワーで葬った悟飯だが、その後突如として胸を押さえて苦しみ始めたのだ。
彼が成し遂げた爆発的なパワーアップは、その身体に重い代償を伴っていた。
超越形態に至った圧倒的なパワーに、他ならぬ悟飯自身の身体が耐えられなかったのである。
外的な刺激で手に入れた力故の、想定外の副作用だった。
「……トランクス君が持っていたセンズとかいう薬も使ってみたんだけど、君の意識は覚めなかった。本当に……このまま植物状態になったらどうしようかと思ったよ……」
「そう、だったんですか……」
「本当に、良かった……目覚めてくれて」
長い間夢を見ていたと思っていたが、現実での自分は思っていた以上に長く眠ってしまっていたらしい。
しかし、この治療のためになけなしの仙豆までも消費してしまったことを聞き、悟飯は苦渋の表情を浮かべる。
またしても、三日間の昏睡……それは、今の悟飯にとってあまりにも大きな時間だった。
ブロリー達が地球に戻ってくるまで早くて五日と言っていたあの時点から三日が過ぎているということは、残る時間は本当に僅かしか残されていないのだ。
この度に無駄に消費してしまった時間が、仙豆が、どれほど貴重なものだったのか……それを理解してしまったが故に、悟飯は叫んだ。
「ち、ちくしょう! いつも……! いつもそうだ!」
無様で! 弱くて! 情けなくて! 甘ったれで!
張りつめた神経の中で、悟飯は自らの不甲斐なさへの苛立ちを募らせ、吐き出した。
彼の叫ぶ言葉は、その全てが自分自身への叱責だった。
こんなところで寝ていられない! 一刻も早く修行して、あの力を磨かないと!
そう言って乱暴に振り払おうとした悟飯の手を、ネオンの左手が優しく包み込むように制した。
「落ち着いて、悟飯」
「あ……」
穏やかな声が、悟飯の鼓膜に触れる。
自身の手を掴んだネオンの指先から伝わる体温が、悟飯の氷結していた何かをじわりと解かしていくようだった。
「大丈夫。あれから、一度も敵は襲って来ていない。13号は今度こそ倒したし、トランクス君も無事だ」
「……っ、でも……!」
「ブロリー達が戻ってくるまで、二日以上あるんだ。……まだ、それだけの時間ある。今は休んで、その日が来るまで英気を養おう」
「でも、俺は……!」
「もう少しだけ、心が落ち着くまでここにいて。私もベビーも、トランクス君もいるから。ね?」
「…………! ネオン、さん……っ」
「大丈夫……みんな大丈夫だから」
微笑みながら真っ直ぐに自分の顔を見つめる彼女の目を見て、悟飯はハッと我に返り、全身から力を抜いた。
彼女に促されるまま、ベッドの上に体を横たえる。
気づけば、心の乱れはなくなっていた。
そして、己が取り乱したわけを理解する。
悔しかったのだ。
何もできなかった自分に。
何も守れなかった自分に。
焦っていたのだ。
力を手に入れた自分に。
悪魔を倒せるかもしれない希望を、ようやく掴んだかもしれない自分に。
だから、居ても立っても居られなかった。この身体がどうなろうと構わず、あの力をより自分に馴染ませる為に己を追い込もうとしていた。
かつて誰よりも自分自身に厳しく、誰よりも強く存在し続けた父孫悟空のように。
「……夢を見たんです」
絞り出すような声で、悟飯は告白する。
それは、包み込んでくれた彼女の手の体温が、母親のそれと似ていたからなのかもしれない。
気づけば悟飯は、誰に求められたわけでもなく語っていた。
丸三日眠っている間、夢の世界で見ていた幸せだった頃の記憶を。
「夢?」
「昔の夢です。平和だった頃や、そうでなかった頃の夢も見ていた気がする。お父さんが生きていた頃の夢で……あの背中を、ずっと見ていた夢だった」
「君が、子供の頃のことか。君のお父さん……孫悟空さんは、立派な人だったんだよね?」
「うん……誰よりも強くて、最高のお父さんだった。俺もそんな父さんみたいになりたくてあんな道着を着ていたんだけど……何一つ、父さんには近づけなかった」
今でも色褪せない伝説が、彼の見ていた夢には常にあった。
悟飯の父、孫悟空。
どんなに強い敵が襲ってきても勇敢に立ち向かい、全ての悪を打ち倒していた希望の英雄。
時が経てば経つほどに、その存在は悟飯の中で偉大なものとなっていき、それと比例していくように自分の矮小さも思い知らされていく。
亡き父の存在は、悟飯にとって憧れだった。
そして、彼自身が気づいていない呪いでもあった。
「父さんが生きていたら、こんなことにはならなかったのにな……俺って弱虫だから、大きくなっても全然うまくやれなかった……」
何度となく、思うのだ。
自分が父、孫悟空だったならどんなに良かったかと。
父の代わりに自分が病死していれば、この世界はどんなに平和だっただろうかと。
次第にそのような思考が、悟飯の思考に纏わりついて離れなくなっていたのである。
「……すみません、こんな話をしてしまって」
病み上がりで、気が滅入っていたのだろう。
それは誰にも打ち明けたことのなかった弱みであり、悟飯の悩みだった。
もしかしたら自分自身でさえ、その心の闇に気づいていなかったのかもしれない。
せっかく超越形態を手に入れたのに、こんなところで何を言っているのかな、俺は……自らの語った言葉に自分自身で苦笑を浮かべる悟飯に対して――ネオンは、真剣な眼差しを向けて投げかけた。
「お父さんみたいになる必要なんて、あるのかな?」
「えっ……」
青天の霹靂だった。
ネオンのその言葉に、悟飯は思わず開口する。
「君がどういう戦士を目指しているのかは、私にはよくわからないけど……無理して心を追い込んでまで、憧れを追い求める必要はあるのかなって思ってさ」
彼女自身が自らの過去を振り返っているかのように、実感の篭った言葉だった。
悟飯の鼻先までずいっとその顔を近づけながら、ネオンは凛とした眼差しを彼に向ける。
それは一見何気ないかのように思えて、悟飯自身の考え方に対して誰よりも踏み込んでいく一声でもあった。
「君のお父さんが、本当に何でもできる立派なお父さんだったんだとしても……君は、君だろう? 君は孫悟飯で、孫悟空じゃない」
「それは……」
「君だって立派な人なんだよ、悟飯」
断言した口調で、ネオンは伝える。
彼女自身がこれまでの彼の姿から客観的な視点で感じ取った、孫悟飯という青年のことを。
「君はこの地球を救う為に、どんなに傷つき倒れても立ち上がった。絶望の中で折れることもなく、悪い奴に立ち向かおうとしていて……大切なものを守る為には絶対に諦めない信念を持っている。トランクス君に聞いたよ……宇宙で修行していた時も、たくさんの人を助けたんだろう?」
面と向かって言われると、相応の気恥ずかしさが込み上がってくる。
しかしそれ以上に悟飯は、そんな彼女の言葉にどこか救いを感じている自分がいた。
それを知ってか知らずか、彼女は遠慮なく続けていく。
孫悟飯という傷だらけの英雄に対する、惜しみない賞賛の言葉を。
「どんなに小さな希望でも、その手に掴んで未来を切り開こうとしている……その姿はきっと、君のお父さんにだって負けていないと思う」
それは悟飯の胸で何か――熱いものが込み上がってくる言葉だった。
「無敵のヒーローだけが、最強なんじゃない。どんなに苦しくても諦めない人だって、最強の戦士だ。だから私は、君のことを本当に尊敬している」
「ネオンさん……」
「……私の計算ミスで丸三日も眠らせてしまったことだって、恨み言一つ言わないんだもん。君はいい子だよ、悟飯。だから、あまり自分を卑下するな」
「……いい子なんて、言われる歳でもないですけど」
「生意気。私の方がちょっとだけ歳上なんだから、病み上がりは大人しく甘えておきなさい」
――君は何もかも背負い過ぎなんだよ、無敵のヒーローでもないのに。
――そうなろうとしていたから……でもそれは、間違いだったのかな?
――目指すのはいいことなんじゃない? でも、それにばかり拘るのは駄目だと思う。上手く行かなくなった時、誰にも相談出来なくなるから。
そんな会話を交わした後、ネオンは悟飯の横たわるベッドに腰を下ろし、振り向きながら彼の頭を撫でる。
これまでの彼の頑張りを労わるように。
小さな幼子をあやすように。
そのように彼女の手で好き勝手弄ばれるのは、悟飯の中で気恥ずかしさよりもどこか安心が勝るような、不思議と心地の良い感覚だった。
気づけばもう、その心に苛立ちや焦りは無くなっていた。
「……疲れていたのかな、俺は」
子供の頃の自分に戻ったようなまどろみの中で、悟飯は今までの自分を自嘲するように呟く。
本当に、父親とは違って弱い息子だ。
成長してからもまだ、こうして他人に甘えてしまっている。
泣き虫で、甘ったれの孫悟飯なんだ、俺は。昔から……何も変わっていない。
わかっていた。
自分の弱さなんてとっくにわかっていた。
わかっていたから、弱さを見せないようにしていた。
次代の戦士の礎となるために……。
憧れていたんだ。
俺も、父さんのようになりたかったと。
「……違う人間になんか、なれるわけない」
「悟飯?」
「俺は……俺が孫悟飯だということを忘れて、ずっと強くなったふりをしていた」
「……それは、悪いことじゃないよ。それだって立派な強さだ」
「だけど俺は、そんな自分を見ていないふりをしていた……わかっていなかったのに、わかっている気になっていたんだ」
自分の弱さを受け入れられず、全てを捨てて戦いに赴こうとしていたのも全て自己満足だった。
だから戦いが好きなわけでもないのに、父親のように戦い続けようと無理をして、疲れて、傷ついた。
その生き方を今後も続けていれば、その先に待っているのはいつか訪れる破滅の未来であろう。
彼女の手に触れながら落ち着いていく心の中で、悟飯はようやくそのことを思い知った。
――強くなりたかったのなら……身体だけではなく、この心も本当の意味で変わるべきだったのだ。
孫悟空の息子ではなく、孫悟飯として自立した男に。己自身の強さを極限まで高めていくために、在り様を考えていく必要があった。
今更になって、それがわかったような気がした。
「同じだね」
ネオンが微笑みながら、昔を懐かしむように言う。
そんな彼女の言葉に、今度は悟飯が目を丸くした。
「私も昔、ある人の強さに憧れていてね……復讐の為だけに、その力を自分に取り込もうとした時があった」
「それって、ベビーさんの……」
「でも、気づいたんだ。人には向き不向きってものがある。どんなに似ていても、どんなに近くにいても、私達人間は他の誰かと同じにはなれない」
「……当たり前ですよね。だから俺は、孫悟飯でいられる。貴方も、貴方でいられるんだ」
「うん……あはは、私達、案外似ているのかもね」
「ふふ、そうかな……?」
それぞれ違う人間が協力しあって、この素晴らしい世界を創り上げたのだ。
そしてそれを力で無理矢理支配しようとしているのが、パラガス達の悪意である。
だから悟飯は、そんな彼らを許すことは出来ない。
(俺は……超える。俺自身のやり方で、お父さんを超えてみせる)
そうしなければ敵を倒せないのなら、いつか憧れさえ超越してみせる。
変わらなければならないのだ。
復讐でも孫悟空の息子としての責任でもなく、俺自身の意志で。
俺の、俺だけの道を突き進んでみせる――孫悟飯はそう、心に誓った。