不安定なユノクル   作:井守 千尋

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第1話

不安定なユノクル

 

 中央省庁からほど近い都内某所。ビルの地下にひっそりと佇むワインバー。貿易摩擦の対策として世界各国から玉石混交に輸入されるワインを楽しむ人達が今日もカウンターだけのその店に足を運んでいた。フランス、チリ、ドイツ、イタリア。葡萄の栽培はかなり広い地域で行われており、そのいずれの地域でも人々の楽しみは季節の到来をワインで感じることである。甘みも酸味も雑味と呼ばれる人によっては避けたがる味も、この店では世界中のワインを提供するというコンセプトから飲むことができる。

「これは……。丸みのある味。酸味と甘みの二つが一つになる味ね。そのスパークリングの強さが電気みたいだから……、ワム!」

水色のブラウス、白いシフォンスカート。髪を結い上げ、港街がよく似合うマリンルックに身を包んだ女性は少女と呼ぶことがまだ許せるだろうか。楽しげにグラスを傾ける彼女を見て、誰が昨日羽田での[異方との会見]に立ち会った外務省の交渉官と思うだろう。徭沙羅花は久々のオフの前夜、友人とお気に入りのこの店に立ち寄った。

「さすが当事者はぶっこんできますね」

「当事者ってほどでもないし!」

「じゃあねえ」

沙羅花の隣に座っているのは、パンツスーツのポニーテール。きりっとした黒縁メガネだが、たれ目で柔らかい印象をうける女性。大学で同じゼミを学んだ文科省の友人、桃子である。SARAKAとMOMOKOでAOペアと呼ばれていたが、ほとんど同じくらい優秀な成績を収めた才女である。といっても、もっと優秀な人間はいくらでもいるのが霞が関という環境で、それを二人とも嫌というほどわかっていた。

 そう。例えば、真道幸路郎。あの人も同じ大学、同じ学部なのだが、まるで宇宙人のような天才だ。まれに出現する宇宙人のような天才だが、その天才の中でもあの人はまともではない。当時から学内でも有名人だったらしいが、それを語ろうとする人間はあまりいない。曰く、絶対に彼のペースに乗せられてしまうため、プライドをめちゃくちゃにされるから、だそうだ。

「……まるで水だよ。飲みやすい、母なる液体のようだ。無味!」

小さなグラスでワインを出してもらい、名も無きワイナリーの液体に勝手に名前をつけてしりとりをするという酒に対しての冒涜ともとれる遊び。

「待ってよ、無味ってことはないでしょう? もう」

先程の[ワム]の隣にある白ワインを口にした。口にしてから、一度水を飲まなければ味が混ざってしまうと思った。

「一瞬一瞬が別の香りね。芳醇とか酸味とかいろいろ一気にくるんじゃなく、万華鏡のように移り変わるキラキラ」

「相変わらず詩人だね」

「そう、御島鋳」

いまや超劇団パンドラの美人劇作家を知らないものはいないだろう。

「待ちなさい、沙羅花は御島鋳の味を知っているの?」

「知らないって証明できないでしょう?」

桃子は不満げにチェイサーで口の中の[無味]を流し込んだ。掴んだグラスにはロゼが入っている。なんて言うかな。単純にルビーとか、ルージュ、とか。

 

カンッ!

桃子がワインに口をつける直前、隣でワイングラスを叩きつける音がした。

「あなたたち、このあと時間あるかしら? あるわね?」

「夏目さん!? どうして?」

「徭さん、あなた明日は非番よね?」

「え、それは」

「そうです。沙羅花は非番です」

夏目律が三人分の支払いを申し出るのを、現役交渉官は止めることはできなかった。桃子はこっそり生贄を捧げると、ワインを何杯も重ねたとは思えないしっかりとした足取りで店を出て行く。しかも、支払いを夏目任せにして。あの桃尻女め、と聞こえない声で悪態をついた。

「あの子、お友達?」

「そうですけど」

「お友達は大切になさいな」

夏目は上着を羽織ると、沙羅花を促した。見逃してはくれないらしい。せめてもの抵抗に5000円をカウンターに叩きつけ……ようとしたが、周囲の目が怖く、そっと置くしかなかった。

 

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