本当にすみませんでした・・・。
ふと、意識が浮上する。目が潰されているため視界は未だ真っ暗だが、それ以外の感覚で感じ取れることから自分が目覚めたことを知ることが出来た。背中に感じるベッドの柔らかな感触、遠くから聞こえる町の喧騒、鼻腔を擽る微かに甘い香り。現実味が無い、この一言に限る。まだ夢が続いているのかな、そんな感想を抱いてしまう。
この小さな安らぎを確かめるかのように、自分の体を抱きしめた。肌から伝わる感触を頼りに全身を手でなぞり、最後に頬に手のひらをあてる。
生きている。確かに生きているんだ、私は・・・
そう実感した途端、押し寄せる安堵の波に耐えきれず、心の堰が決壊した。溢れ出たものは、涙という形で表に表われた。
とても、とても嬉しかった・・・。月並みな表現かもしれないが、今はそんな風にしか表現出来ない。
まさに、長年付けられていた重い枷から解放されたような気分だった。
「えへへ・・・」
思わず、笑みが溢れる。笑ったのは本当に久しぶりだ。物心ついた頃には巫女に選ばれ、「水の巫女姫としてふさわしくあれ」と周囲に諭され続けた。同年代の子たちとも遊ばず、教えが記された書物を読みこみ、神に信仰を捧げ続けた。「自分」を押し殺し、「巫女姫」として今まで生きてきたが、改めて考えてみるとなんて単調な人生なのだろう。
勿論、神に対する信仰心は今でも変わらないが、これではまるで道具ではないか。
「巫女姫」という顔を貼り付け、決められたことを淡々と行う人形。
与えられたものは綺麗な洋服などではなく、「叡者の額冠」という名の発条。
取り上げられてしまえば二度と動かなくなる。
そんなのはイヤだ。
私は、1人の人間として生を歩み、世界を見て、知って・・・
これは、我が儘なのだろうか。欲深い、と戒められるのだろうか。
でも・・・それでも、困っている人がいたら手を差し伸べ、導きたい。
かつて、私が助け出されたかのように・・・
と、ここではたと気付く。私を助けてくださったあの方は・・・?
「かつての己との決別は済ませたか、契約者よ。」
「ひゃあっ!?」
突然、あの時と同じ声が真横から聞こえて、危うくベッドから転落しそうになる
――こんなにびっくりしたのも久しぶりかもしれない。
急いで姿勢を正し、声の聞こえた方へ体を向けるように座る。
「此度はありがとうございました、えっと・・・その、なんとお呼びしたら良いでしょうか?」
「かつては山の翁、ハサン・サッバーハと呼ばれていた・・・が、好きに呼ぶがよい。我は本来無名なり。拘りも、取り決めもない。」
「・・・それでは、ハサン様とお呼びしても?」
「――よい。」
「では改めて、本当にありがとうございました。私の名は、アリス・サフィール。かつて、水の巫女姫として神に仕えていました。」
自分が今どのような身分なのかは不確かなので、分かる範囲でしか名乗れないが、感謝を述べ、頭を下げる。
恩人の姿を見ることが出来ないが、声を聞いて抱いた印象は、寛容で御高齢というものだった。
「・・・それでは、今回の件についてお聞きしたいことがあります。」
「うむ、問いを赦す。」
「では、率直に」
背筋を伸ばし、一拍間を置く。
「ハサン様は一体何者なのですか?そして何故、私を助けてくださったのですか?」
命の恩人たる御方に失礼かもしれないが、素性、目的、理由などを聞かないと一抹の不安を感じてしまう。
「我は暗殺者なり。信仰のもとに天命を下し、幽谷の淵より死をもたらす。」
「暗殺者・・・なのですか?」
意外な言葉が出てきて戸惑う。
「然り。我が教団は信仰のもとによる暗殺を主とし、その長は代々「山の翁」の称号を与えられ、ハサンを名乗る・・・。我が真なる使命は、ハサンを下すこと。すなわち、暗殺者を殺すことなり。」
暗殺者を下す、暗殺者・・・。
「神の教えのもとによる正しい教団ではある・・・が、そのおこないは人としての悪である事は免れられぬ。故に、教団が腐敗することは許されぬのだ。教えを守る者たちが人の欲に溺れる。それこそが、神への最大の冒涜である。」
固唾を呑んで話の続きを待つ。
「我は始まりの翁にして、剣士でもあった。天命のもとに剣を振り続け、幾星霜の時が経った・・・もはや人の身にあらず、個として不確かな存在と成り果てた。」
「だから、ハサン様は教団の監視者としての道を選んだと?」
「然り。教団の腐敗とは「山の翁」の堕落。ならば、その首を断つことが我が使命であり、償いでもある。それを以て、次代の「山の翁」に託す希望とするのだ・・・」
「・・・」
神を信仰する、敬虔な信徒の姿がそこにあった。
「これに大義を必要とした。故に、我は暗殺者にして暗器を用いず、この剣を選んだのだ。」
話し終えると同時に、鋭い切っ先の剣が硬質な床に突き刺さるような甲高い音が部屋中に響く。
「・・・なればこそ、ハサン様のような御方が私を助けて下さった理由が分かりません」
「・・・主なる理由は抑止なり。いずれ、知ることとなるであろう。」
「抑止・・・?」
「しかして、汝の声に呼ばれ姿を晒したのも真なり。」
一拍置いて続きを述べられる。
「汝は知らねばなるまい、己の存在の意味を。」
「わたしが、何か・・・を」
「答えに辿り着くのは汝、陰より導くは我。ただ、それだけの事である。」
「・・・ありがとうございます」
感謝の言葉が口から零れ出る。
「答えを得るのはいつになるのかは分かりません。ですが、その時までお力を貸して頂け
れば幸いです。」
今この瞬間から、運命という歯車は廻り始めた。
「・・・それで、今後は一体どうするつもりなので?」
「勿論、かの御方にお仕えするつもりです」
神秘的なステンドグラスから入る光が色をさし、荘厳な教会を思わせるこの空間では今、法国の行く末すら決めかねない問答が行われている。
「水の神官長であるジネディーヌ殿が、独断で事を進めるとは・・・大きな混乱を招きかねません」
先ほどから咎めるように言うのは、法国の最高責任者である最高神官長だ。今現在、重要な審問が行われている。取り上げられている人物は、目の前で跪く水の神官長その人である。事の経緯を述べた後、水の神官長である彼の今後方針について議論が行われていた。
「お言葉ですが、神に仕えるのは我らが信徒の本望。それが分からぬ訳ではありませんよな?」
「まずその前提が不確かなのです。あなたの言う御方は本当に神であるのですか?」
「あの神々しさ、いっそ美しいと思わせる濃密な死の気配。ええ、間違いありませぬ。かの御方こそ死の神、スルシャーナ様であると!!」
あまりの興奮に声を抑えることを忘れ、この空間中に響き渡るほどの大声で述べる。
「しかし、ジネディーヌ殿が言われた特徴は、書物にあるスルシャーナ様のお姿とは完全には合致しません。それについてはどのようにお考えなのですか?」
今はジネディーヌを除いて立ち並ぶ、最高神官長を含む神官長たち6人のうちの1人、闇の神官長であるマクシミリアン・オレイオ・ラギエが横から口を挟む。
「むぅ・・・」
そこを突かれると痛い。書物とはいえ、先人たちから受け継がれてきたものである。それを簡単に否定しては明らかにまずいと言える。
「ですが・・・しかし・・・」
あの方は間違いなく神だとジネディーヌは思っている。しかし、書物の情報とは異なるという。その書物は法国の歴史を著している重要なもので、迂闊に間違いだと指摘することは出来ない。そのせいで答えたくても答えきれない、厄介なジレンマに陥ってしまったのだった。
「・・・はぁ、では仕方ありません。」
中々答えが聞けず、痺れを切らした様子の最高神官長が口を開いた。
「斯くなるうえは、本人に直接来て頂くというのはどうでしょう」
彼女自身は、神が降臨したなどという情報をあまり信用していない。おそらく、ぷれいやーである可能性が一番高いと踏んでいる。ぷれいやー達には決まった容姿などが無く、総じてバラバラである。今回は偶然スルシャーナに似た見た目だったという風に事を捉えている。
「ええ、それが良いと思います。」
マクシミリアンが最初に同意し、
「右に同じく」
「同じく」
他の神官達からも反対の声は上がらず、次々と承諾されていく。
「ジネディーヌ殿もそれでよろしいでしょうか?」
すでに彼以外の者達からは同意を得ている。
「・・・はい、異論はありませぬ」
とにかくこの問題を終わらせるには、その御方の話を聞くのが最善であるという判断だ。
「では、その方へ使いの者を至急手配します。使いの者にも後ほど伝えますが、くれぐれも粗相のないように。」
そこで審問は一区切りついた。が、気が休まることなどなく、むしろこれからが本番である。みなそれが分かっているためか、張り詰めた空気が未だ続いており、余談を許さぬ空間になっていた。
「・・・先ほどから気になっていたのですが、この独特の香りは何ですか?」
「アル・ブクールの香である。」
「アル・ブクール?」
「いかにも。これは我が地の伝統の品。香を楽しむという目的もあるが、それだけに限らぬ。真なる意味は魔除け、この香を以てしばしの安寧をもたらすのである」
「すごく、素敵ですね。そしてこの香りもまた・・・なんだか気持ちが安らぎます」
豊かな自然を想起させる落ち着いた感じの匂い。その中に、美しい花々から作られた蜂蜜のような甘い香りが仄かに漂う。まるで、別世界にいるような気持ちだ。
心が落ち着いていくのが自分でもよく分かる。
「・・・時が来た」
「え?」
夢見心地だった気分が急速に現実に引き戻される。
やがて、ほぼ間を置かず扉をノックする音が耳に届く。
「失礼します」
扉が開かれる音がし、一言断って誰かが入ってくる。
「最高神官長より、審問への出席が求められております。ご同行御願いします。」
「・・・承知した」
その後、甲冑の装甲が僅かに音をたてる。
「これより暫しの間、この場を離れる・・・が、我が守護は健在する。」
「・・・はい、お待ちしております」
言い終えると同時に、近くにあった気配が離れていく。
「・・・」
もっと話したいことがあったが、状況が状況だ。
自分の立場が明確に定まっていない以上、勝手な行動は出来ないし気楽に事を構えてもいけない。
今ばかりは、流れに身を任せるしかない―――
気付いた方もいらっしゃるとは思いますが、主人公視点では視覚的描写が基本的には入りません。読みづらく感じるでしょうが、悪しからず。
ちなみに、この設定が主人公が翁に対してどのように接しているかの根拠にもなっています。
だって、あの立ち姿ですよ・・・?