それでもええで!
という方のみ第百三十六話をお楽しみください!
部屋にエアコンが欲しすぎる今日この頃。
急速に死期が迫り、スローモーションに感じていた世界が、今度は止まっているようだった。実際には正確に一秒は一秒を刻み、それ以上にもそれ以下にもならず、普段通りに進んでいた。
止まっていたのは周りの世界や肉体や時間ではなく、私たち一人一人の思考だった。思慮が鈍れば鈍る程、世界が停止したという錯覚も起こしやすい。
そうなる程に驚き、唖然とした。頭の切れるスキマの妖怪や、戦闘狂の異次元妖夢でさえ、起こったことに反応すらできていない。
考えを司る脳が機能停止していても、意識の及ばない領域にある神経は作用しているようだ。博麗の巫女越しに居る異次元妖夢の瞳孔が、見る見るうちに縮瞳していき、驚愕している。
私もそうだ。目の前の敵や、周りの仲間たちと全く同じ顔をしていたに違いない。こんなに至近距離にいるのに、遅れてきたように聞こえてきた金属音と共に、その場にいる全員に同じ結論を出したことだろう。
この魔女は、何時からそこにいた?
「……」
全く何の言葉も発さない魔女は、頼りない細い足で佇み、倒れそうに見えるほどフラフラと体が左右に揺れている。
先ほど、異次元妖夢のスペルカードを受け、全身を切り刻まれたことでてっきり死んでいたかと思ってた。いや、もしかしたら長くはないかもしれい。
血まみれで、観楼剣を叩き込まれた痕である斬創が生々しい。死んでいてもおかしくない程に青白い顔をしているが、その弱々しさを打ち消してもお釣りがくるほどに、憎しみや怒りと言った憎悪に満たされた雰囲気に気圧される。
巫女の首を刈り取るはずだった刀の切先が、月光をキラキラと反射し、回転しながら三人の頭上に舞い上がっていく。
折れた切先だけでなく、その周りを飛ぶ小さな金属片が、空気をかき分けて飛んでいく音すらも聞こえてきそうだ。それほどに周りは静寂に包まれていた。
本来ならば、観楼剣で首を切られて殺されていただろう時間に達した。脊髄を肉や皮膚、神経と共に切断され、重要器官の塊である頭部が地面に落ち、二回か三回は転がっているだろう。
それだけの時間が悠々と過ぎていく。時間にすれば非常に短いのだが、それだけ経過しても誰も言葉を発せず、戦いの行動を起こせなかった。
人間を含め、あらゆる動物を超える視力を持っているから判別できる。目の前に立つ彼女の左手は、何の変哲もない華奢な腕だ。私が少し力を入れただけで、骨がポッキリと折れてしまいそうな見た目をしている。
むしろ、私でなくてもここに居る人物たちなら、誰であろうと簡単に骨折を負わせることができるだろう。
魔力を使わなければ、腕立て伏せを一回だってできるかわからなさそうなのに、異次元妖夢の斬撃を受けた瞬間、派手に激しく損壊を出したのは、観楼剣の方だった。
私や鬼でさえも折ることは相当苦労しそうな代物を、何の武器も使わずにあろうことか肉体で正面から受け止め、完膚なきまでに破壊した。
いろいろと考えが追い付かない。イかれた庭師と戦っていたとはいえ、周りに意識を向けていなかったわけではない。なのに、木の枝のように張り巡らせていた精神の網をくぐり抜けていた彼女は、視界の中に突如として出現した。
目を開いていたはずなのに、幻想郷で最速を謡われる私の動体視力でも、どの方向から来たのかすらもわからなかった。
初めからそこにいて、気配や姿を消していたから、見えていなかったと言われても納得してしまうかもしれない。それほどまでに、現れたのが唐突だった。
咲夜さんの様な時の操作とは違う。どちらかと言えば、大妖精の行う瞬間移動の方が近い。そんな考えが浮かんでは消えていったが、それらは全てどうでもよくなる。
霊夢さんは、助け…られた……?
最後に浮かんできたのは、博麗の巫女が生きているという安堵と、彼女が割って入って来た意味ない行動に対する困惑だった。
あと、コンマ一秒でも彼女の出現が遅かったら、確実に死んでいた。頭上で舞っているのが、刀の切先ではなく彼女の頭になっていただろう。
「…っ」
首元の皮膚を何かが撫でていく。汗や涙と似た見た目だが、成分が100%水であるそれらよりも有形細胞が多く含まれ、粘度が高い。垂れているのが血液だという事を示唆している。
首の皮が一文字に浅く切られ、僅かながらに出血している。ここからどれだけギリギリだったのかが窺える。もう数ミリ深ければ静脈や動脈が切断され、切り殺されなかったとしても大量出血で死に至っていただろう。
鈍っていた思考が加速し、それと比例して錯覚していた時間が元に戻っていく。折れた観楼剣を使い、異次元妖夢が魔女の目に刺突を放つ。
刀を防御した腕でへし折れるほどの防御力を誇っているが、どんな生物でも目は一律に弱点だ。それはあの鬼でも例外ではない。
それがわかっているらしく、正面から魔女は半分になった刀剣に拳を放つ。刀をへし折った功績のある肉体に金属がひれ伏した。疲労による耐久値の低下を考慮しても、並外れた防御力と攻撃力だ。
これが、魔力にあらゆる性質を加えることのできる人物の戦い方か。刀は原型が半分ほど残っていた残りを柄ごと砕かれたが、その勢いは握っていた腕にまで及んでも止まることを知らない。
指先の肉が潰れ、関節がひしゃげ、骨が弾けて肉体の内側から這い出て来た。手のひらが弾け、手首が裂ける。
肘や二の腕にも例外は無い。潰れて引き裂かれた肉片と砕けた骨片が飛び散る。それが肩まで到達し、肩に拳台の穴を穿つ。
亀裂の生じた肋骨が露出し、その端からは血液を滴らせる。自分の体が欠損することには慣れているのか、驚いた様子はない。
にわかには信じられないが、自分が使用している能力以外にあるもう一つの能力により、異次元妖夢の傷が元通りに戻っていく。
それが治り切るまで、あの殺気を醸し出している魔女が待っているわけがないだろう。大きく前へ踏み出し、拳を打ち放つ。
この時、もう少し月が雲に隠れ、辺りの暗がりが強ければ、いきなり現れた魔女が淡く、光を帯びていたことに気が付けただろう。
天狗の中でも、特に視力の良い射命丸文でさえも気が付けなかった。鬼や河童、人間であればもっとだろう。
魔女の後方にいる霊夢さんは、私たちと同様に動揺から戻っている所の様で、二人に対して戦闘体勢に入ろうとしている。
「………」
しかし、なぜだろうか。あの魔女と、博麗の巫女が肩を並べて立っていた光景には、とても懐かしさを感じた。
一歩を踏み出した。小さな一歩だったが、力を強化しているからだろうか。地面が割れ、周りの人物たちにまで小さくはあるが被害を出した。
受け身を取り、ズタズタに捲り上げられた地面に着地できる者は多くは無かったが、大部分は受け身を取る前に衝撃に煽られ、体勢を大きく崩して倒れ込んでしまっている。
一番近くにいる霊夢の被害が大きくなってしまう事に申し訳がないが、それに気を向けている時間は無い。今はそれよりも、目の前の敵を血祭りにあげることを優先しなければならない。
妹紅の老いることも死ぬこともない程度の能力で、腕がぐしゃりと潰されたという変化を拒み、内部の骨などの骨格から再生が始まった。
腕一本分の骨が再生したところで、その骨を肩から引き抜き、腹部に蹴りを叩き込んだ。腕を手前に引いていたことで、衝撃を後方に逃がすこともできずに蹴りを食らったようだ。武術の経験がないから定かではないが、相当なダメージを負わせられただろう。
下半身に力を込め、血反吐を吐いている異次元妖夢に向かい、飛びかかった。前に踏み込んだ時以上に地面が隆起し、それは異次元妖夢の位置にまで達している。迎撃態勢が整っていない状態を、更に滅茶苦茶に崩した。
衝撃で空中に舞い上げられている異次元妖夢を殴り、地面に叩き落す。爆発があったように周囲の土が弾け、土臭い爆煙を漂わせる。
「ぐっ…」
いくら怪我を負わせても、異次元妖夢が藤原妹紅の能力を第二の能力で使用している限り、殺すことは難しい。ならば怪我ではなく、一撃で死に至らしめてみることにしよう。
「よくも、霊夢を殺そうとしてくれたな…。」
「……それが、戦争なら…当たり前でしょう?」
この会話の間にも、異次元妖夢の傷は急速に元の状態へと戻っていく。血をしたたらせていた肩の傷跡も、跡形もなく塞がった。
「当たり前だと思うこと自体おかしいが、それが通じるのは赤の他人であるならば、だ。私の大切な人を殺そうとしたツケを、払わせてやるぜ」
自分の身内さえ良ければ、周りの他人はどうでもいい。なんて偽善的な回答だ。しかし、今はそれでいい。私の手は、それほどまでに大きくない。手の内側にいる零れ落ちていく人間を、掬い上げることもままならない。
そんな状態で、手の外側にいる人間を助けられるだろうか。私には無理だ。だから、今は霊夢しか、霊夢だけでも守らなければならない。
「どうやって?見ての通り、あれだけの傷も再生した。貴方に、殺しきれると?」
「殺すんだぜ。他の能力よりも強力に妹紅の能力を使っているようだが、どこまでの傷なら治る?本人よりも脆弱な能力で、死まで帳消しにできるとでも?」
あの再生速度から、何人の藤原妹紅が犠牲になったのかは想像できない。いや、もしかしたら一人かもしれない。
指で撫でる程度の血液の摂取では、能力は本当に微々たる上昇だった。意識を集中して向けて、ようやく感じ取れたぐらいだ。そこから、どれだけの量を取り込んだかは知らないが、本人と比べると中間ぐらいの微弱な発動だ。
その発動具合では頭を吹っ飛ばされても、心臓を切り裂かれても生きていられるのか、異次元妖夢自身もわからないようだ。
「私も知りたいので、やってみてくださいよ」
「ああ、最初っから…そのつもりだぜ…!」
魔力を放出し、自分の得物を作り出しながら走り出す。異次元妖夢もスキマの能力で、観楼剣を空間から抜刀する。走り出している奴に向け、放出した魔力を得物からレーザーの性質を変更する。
散在していた魔力が一か所に凝縮され、熱線となって即座に放出される。余裕でそれに対応する奴は身を屈め、レーザーの側面を刀で撫でながらすり抜けた。
魔力で弾幕を崩壊させ、熱線で加熱された刀剣を振りかぶって襲いかかって来る。レーザーが崩壊した時点で、放出していた魔力には観楼剣の性質を加えた。
空中に今度こそ生成された刀を掴み取り、凪を放つ。身体能力を強化していることで、攻撃力が高まっている。
それに対して奴から感じるのは、先と変わらず妹紅の能力だけだ。お互い新品同様だが、錆びている分だけ、奴の方が脆い。
腕力を得物に乗せて刀を砕き、握る右腕ごと肉体を叩き切る。骨など豆腐同然で、まったくの抵抗を感じない。包丁とは比べ物にならない切れ味だ。
即座に、切られた断面から人骨が粘土細工よろしく伸び、理科室に置いてありそうな人体模型と、ほとんど同じ腕の骨が形成される。
血管や神経、筋肉が形成されている最中に、異次元妖夢がこちらに腕を振るう。再生過程の血管は、心臓から押し出されてきた血液で満たされている。
薙ぎ払うように振られれば、腕全体に遠心力がかかる。当然、血管内部にある血液も同様だ。再生する速度を遠心力のかかった血流が上回り、空中に勢いよく血滴が飛び散る。
止血や凝固系が働くか、乾かない限りは流動体である血液は、固体である刀で防ぐことはできない。すり抜け、奴の狙い通りに私の目に入る。
「うぐっ!?」
血の目つぶしだ。眼球に飛び込んでくる光が、血液で不必要な屈折を起こす。見える景色が、度の合わない眼鏡を掛けたようにぼやける。
動いているのはわかるが、どう来るのかが全く読めない。一か八かで横に大きく飛ぼうとするが、首に激痛が走る方が速い。
喉を突かれた。脛骨には当たらなかったが、喉笛をかき分け、項側へ刃が貫通する。私の力を奪おうとしている奴にしては珍しく、手元が狂ったようで、喉元の血管が傷つけられた。
血管から漏れだした血液が、今までの傷以上の出血をした感覚がする。刀が引き抜かれ、腹部に鈍い鈍痛が押し寄せる。
「はぐっ…!?」
腹部を蹴られ、観楼剣を取り落としてしまった。その挙句、後方によろけて足がもつれ、倒れ込んでしまう。
目は見えなくても、体勢は把握できている。魔力で弱いが浮遊の作用を足元に施した。足が持ち上がり、体が後転して隙を晒すことなく立ち上がる。
首からの出血を指で押さえ、反対の手で目元を拭う。余分な水分が除かれたことで、視界がクリアになり、小賢しい真似をする異次元妖夢を睨み付けた。
小賢しい真似をして何が悪い。そう言いたげな異次元妖夢はワザとらしく肩をすくめるが、そんな休憩時間は終わりを告げる。
奴から境界を操る程度の能力を感じ、取り落とした観楼剣の代わりに、新しい得物を作り出した。
それを構えようとした時、足元に転がる私の刀をこちらに蹴り飛ばし、同時にスキマから観楼剣を射出する。
同時に二本は防げない。体に突き刺さった角度、二つのどちらがどこに当たったらどうなるという被害を考え、戦闘に支障のない方を無視することにした。
蹴り飛ばされた方は回転し、もしかしたら当たるだけで刺さることは無い可能性がある。あまり期待していないが運に任せた。射出され、矢のように飛んできている方に全集中力を向け、挑もうと刀を構えた。
だが、聞き流せない、聞き覚えのある音が耳に届いた。それは、何かが高速で飛来する音。いつ聞いたか、こっち側の世界で聞いたはずだ。どこで聞いたか、山だった気がする。私は何をしていた時だったか、鬼と戦っていた時だ。
それを導き出すが早かったか、落下というよりも飛翔して来た巨大な岩石が、二本の観楼剣を吹き飛ばす方が速かっただろうか。
萃香の能力で束ねられた岩石ではない。何の変哲のない岩は、ただ投げられただけだ。人間では持つことのない強力な腕力の持ち主によって。
直径が一メートルにもなる岩が、目の前の地面でバウンドした。一度跳ねた程度で止まるはずもなく、数々の攻防で柔らかくなっている土をまき散らしながら転がっていく。
私が刀に刺さろうが、どんな形であれ対処しようが突っ込む予定だった異次元妖夢が、大量の土の向こう側から走り出している。
岩がそのまま私たちの前からすぐになくなったことと、あれを踏みつぶさなかったことは不幸中の幸いだ。蹴られ、後ろに転がって逃げた時、地面に手を付いて魔力を流し、ある罠を仕掛けた。
奴が近くに接近すると発動する仕組みのそれは、射程範囲に入った異次元妖夢に向かう。奴が近づいたら、物体が形成しながら飛びだすようにプログラムを組んで置いた。
予定通り、岩石で破壊されなかった魔力は観楼剣を形作り、全力で走り出していた異次元妖夢の腹部へと真っすぐに射出される。
「今度笑うのは、私の方だぜ」
目の前だったというのに反応しきった異次元妖夢は、右手に握る観楼剣を振るが、再生が完璧ではなかったようだ。いくら老いることも死ぬことのない能力でも、微弱で中途半端であれば、そのようにしか治らない。
手元が狂い、飛んでくる観楼剣の峰を刃が掠る。青と赤の火花を散らすだけ散らすが、軌道を変えるのには及ばなかった。
胸に突き刺さり、動きが一気に鈍くなる。その奴に向け、私は走り出している。今度こそ奴の首を刈り取ろうと、観楼剣を掲げた。
刀を振ってしまい、対応できない異次元妖夢の首へ、観楼剣の刃を突き立てようとしたその直前、全身の毛が一瞬のうちに逆立った。
異次元妖夢が、ここから状況をひっくり返せる隠し玉を持っていたわけでも、霊夢達が何かをしようとしたわけではない。もっと他の第三者が何かをした。
今までに感じたことのないこの、どす黒い深淵の様な気配は、まったく知らないとは言わない。殺されそうになればなるほど、より近くで感じることのある、身近な物。死だ。
それが私たちに向かって来る。長距離から放たれた固有の能力による攻撃には、死を操る程度の能力が含まれていた。
やばい。殺される。罠にかかった小動物にでもされたようだ。攻撃の最中で、回避行動に移ることがなかなか難しい。異次元妖夢を殺す、またとないチャンスだが、回避に全身全霊を込める。
こちらに向かって、真っすぐに降りてきていた死の気配は、斬撃から跳躍へと体勢を移行させようとしていた私から、僅かに逸れた。
これは、逸れたわけではない。始めは私を狙っていたが、放った人物の気が変わり、当たる直前に死を逸らしたという意味になり、これは正確ではない。
始めから異次元妖夢を狙っていた攻撃は、数百メートル上空から、首元に観楼剣が食い込みかけている奴に降り注ぐ。
「っ…!…は…ぁぁ…ぁ………」
死を操る程度の能力に誘われ、異次元妖夢は吐息を零しながら魂を異次元幽々子に刈り取られた。自分の人生が終わる死だというのに、奴は最後の最後に口元を綻ばせた。
狙われているのが自分ではないとわかった時点で、異次元妖夢に抉り込ませていた刀を握る手に、力が籠ったわけではない。攻撃の途中から回避しようとするのに無理があったのだ。白目を剥き、泡を吹いて、あらゆる筋肉が脱力した元半霊の死体を、切り裂いた。
頭部が回転しながら飛び、私よりも後方の地面にドチャッと不快な音を立てて転落する。殺したという実体のない実感も湧かず、頭の中にあるのは困惑だけだった。
死を操る程度の能力は幽々子固有の能力だ。こちら側の彼女は死んでいることはわかっている、となれば異次元の者という事になるが、直属の部下である異次元妖夢をわざわざ殺した。
尋問されて情報が漏れることを恐れたというのは、考えられない。首に刃を突き立てられ、あと数秒で死ぬような奴に、なぜわざわざ自分の位置が知られることをわかってまで殺したのか。辻褄が合わない。
思考が戦闘からそっちに移ったことで、強化が緩んだのか。別の脅威があることはあるが、霊夢が殺されかけていた目先の問題が解決したことで、気が緩んだのだろうか。体が脱力感に見舞われる。
その私の前で半壊したビルが、完全に倒壊していくように、異次元妖夢の体がゆっくりと傾いていく。それが倒れ込むのを見届ける前に、新たに現れた異次元幽々子をどうにかするために頭上を見上げた。
「…っ!?」
魔力でそっくりに形作られた、七色に輝く蝶々の弾幕が、ひらひらと懸命に翼をはためかせて目の前にまで降りて来ていた。
目が奪われるほど鮮やかな蝶々には、爆発する性質が含まれている。身を翻そうとしたのも束の間、耳を劈く爆音が轟き、爆風に吹き飛ばされた。
「あぐっ!?」
口や切断面から血液を垂れ流す異次元妖夢の頭部を通り過ぎ、背中や肩を打ち付け、数度体がバウンドした後にようやく止まった。
すぐに飛び起きて確認するが、体には異次元妖夢に付けられた斬創以外の怪我は、一見したところは見当たらない。危害を加えるわけではなく、死体から私を引き離したかったようだ。
「あらあら、妖夢ちゃんも殺すことになっちゃったわね」
この場の雰囲気にそぐわない、ゆったりとしたマイペースな異次元幽々子と思われる声が聞こえてくる。舞い上がった土煙を纏いながら、爆心地から首のない死体を抱えた女性が姿を見える。
薄い青色の服に、濃い青色の帯で着付けられた特徴的な和服。死者が身に着けていそうな三角巾が帽子に縫い付けられており、渦巻き状の模様が描かれている。その手には、日本の風流を感じる絵が描きこまれた扇が握られている。
扇を持つ方とは反対の手で、庭師というのには戦闘狂過ぎる、死んだ部下を倒れてしまわぬように抱えている。
長年一緒に寄り添った者が死んだというのに、奴は悲しそうな素振りをすることなく、鮮血を首から零し続ける剣士に目を落とす。
「まあ、いいわ」
異次元幽々子は、ぐったりと血色が悪い妖夢の着ている服に手を伸ばすと、指で裂いて肩を露出させた。
普段は隠れている鎖骨や肩が外界に晒された。奴の行動の意味が分からず、油断なく構えていると、異次元幽々子は大きく口を開いた。
まさか。それをやる気ではないよな。という私の問いを裏切らず、柔らかそうな唇を土気色の肌に這わせ、唾液で湿ったエナメル質の歯を、容赦なく異次元妖夢の肩に文字通り食い込ませた。
「っ……」
肉を引き裂き、骨を噛み砕く。音だけでも吐き気を込み上げさせる、食人行為をする異次元幽々子に対し、胃の中身を吐き戻してしまった者も少なくはない。
ルーミアなどの妖怪が、人間を食い殺すことがあるという情報は知っていても、その現場を目撃することはそうそうない。人食いの現場を目の当たりにし、神経の図太くない者から顔を背けていく。
中々噛み切れない筋線維を、噛みついた肩から頭を引き離す形で引き千切る。ブチブチと肉を裂く音は、不快なことこの上なく、気分が悪くなりそうだ。
首元をどす黒い血液で濡らす異次元幽々子は、ようやく異次元妖夢の肉体を食いちぎれたようで、口いっぱいに皮や皮下組織、筋、骨片などを含んだ肉を頬張っている。
それを咀嚼することなく、一息に嚥下する。こちらから見ていてもわかる程に、異次元幽々子の喉を庭師の肉体が通過する。今しがた殺した奴のように、他の人間の肉体を食うことによって、第二の能力を発揮するとかではないだろうな。
そう思って異次元幽々子を睨んでいると、今まで大事に抱えていた元部下には興味が無くなったようで、その場に捨てた。
首のない、肩に齧られた痕がある死体が地面に横たわる。これからどうするつもりなんだと、その場にいる全員が緊迫した様子で、異次元幽々子に注目している。
当の本人は、異次元妖夢を殺すことが目的だったようで、私達には興味を示していない。魔力で体を浮き上がらせ、どこかへと向かおうとしているが、その興味がいつこちらに向かうのかわからない。
戦える距離にまで接近してきている今のうちに、不安要素を潰さなければならない。持っていた観楼剣の性質を持つ魔力を、レーザーの性質へと変換した。
瞬きする間に、まばゆい光の放つ光線へと刀が変化し、異次元幽々子の頭部を貫かんと爪を伸ばす。敵意を向けられた奴は即座に行動を開始し、周りにいくつもの魔力で形成された球体を発生させる。
そこから放たれたのは、薄く引き伸ばされたレーザー型の弾幕だ。あと少しで皮膚を焦がし、顔面の筋肉を焼け爛れさせられたというのに、弾幕によって打ち消された。
「あらあら、好戦的ね。私は貴方たちと戦いに来たわけじゃないから、できれば争いは避けたいのだけれど?」
「お前らの言うことを信じろって?本気で言っているのか?」
私が闘う姿勢を崩さない為、異次元幽々子は少し考えた後、頬を少し緩ませて笑みを浮かべた。
「仕方ないわね。少し、遊んであげるわ」
「お遊びで終れると思ったら大間違いだぜ」
私が魔力で後方に下がるのと、異次元幽々子が急上昇しようと、魔力で浮き上がるのはほぼ同時だった。星形の弾幕とレーザーを駆使し、掃討を開始する。
この異変が始まってからという物、弾幕勝負で戦う機会が殆どなく、腕が鈍っていたことを差し引いても、すぐに察せた。
数々の弾幕が交差し、奴のレーザー型や蝶々型の弾幕が私の元にまで到達する。私のレーザや星型弾幕も、奴の元に飛んで行っているのもあるが、かすりもしていない。
頬と肩を奴のレーザー型の弾幕が掠り、肉を一部持って行かれた。身を翻し、さらに十数発飛んできていたレーザーを、すんでのところで避けきった。
私よりも高所を維持する異次元幽々子を中心に、空全体を覆う勢いで大量の弾幕で彩られていく。
蝶々型の弾幕が扇状に精密に並んで広がり、端から端まで七色にグラデーションがかかっている。一匹として同じ色のない弾幕を左右上下、あまりある周囲の空間をふんだんに使って回避を先行する。
計算された攻撃に、思っていた以上に反撃する隙が無い。
「生まれや育ちで、私と妖夢の主従関係が決まっていると思っているのかしら?私は、自分の実力であの子の上にいる」
異次元幽々子周囲で、いくつもの魔力の輝きが確認される。大量の魔力で形成された球体が凝縮され、通常よりも強い光を放っているのだ。
瞬き一つ一つから、直径七十センチほどに相当するレーザーが連射された。射間を考えられていないこの弾幕は、レーザー同士が被さっている。
散弾のように、撃ち出された断頭同士にある程度の間隔があれば、その間を縫って避けることは可能であったが、重なり合って隙間を埋め尽くされているせいでそれが適わない。
私を狙っての攻撃であるが、奴が後方で組織全体の体勢を整えている霊夢達も、撃ち抜けるように意図的に射撃したのだろう。
彼女たちの位置に着弾する頃にはこの弾幕もある程度はバラけ、当たり辛くはなっているはずだが、それでも混乱は避けられないと思われる。
飛んでくる弾幕のせいで異次元幽々子の姿を目視することができないが、レーザーの向きから射手のいる方向をある程度は絞り込める。
正面から受けて立ち、あれらを全て消し飛ばしてやろう。ポーチの中からミニ八卦炉を取り出し、マスタースパークの性質を持った魔力を送り込む。
高出力の魔力によって、停止していた八卦炉が起動する。熱と光の魔法が組み込まれたスペルカードにより、八卦炉全体が熱を帯び、わきの露出している金属から排熱が始まる。
「恋符『マスタースパーク』」
辺縁が八角形の八卦炉の中心には、白と黒の勾玉が合わせられた模様替えが描かれている。その丁度真上にゴルフボール台の輝く球体が出現する。
スペルカードの核といえるその球体が、前方に進みながら肥大化し、自分の身長を楽々と飲み込むほど極太のレーザーが照射された。
地下などの閉鎖された空間に居なければ、幻想郷のどだろうとこの光は届いただろう。遠くから見れば天へと昇る光る梯子は、射線上にある全てのレーザーを消し飛ばし、異次元幽々子がいるであろう場所を薙ぎ払う。
自分どころか、身長が二メートルを超える勇儀ですらもやすやすと飲み込むレーザーに、当たったかどうかを確認する術がない。
その時に合わせて回路を組んでいるため、早々にスペルカードを打ち消し、幽々子の姿を視界へ納めようと空を見上げる。彼女の姿は、この広い空のどこにもない。
「どこに…」
後方に回られているだとか、私よりも低所に移動しているという事もない。見回す角度を変え、自分と同じ高度に視線を移動させると、異次元幽々子の姿が森の上空に小さく見える。
あれだけのことを言っておいて、元から戦う気はなかったらしい。
探している時間が長く、だいぶ距離を放されていた。目測からして最低でも二百メートルは離れていそうだ。
マスタースパークは無駄に終わってしまったな。まあ、霊夢達に被害が出なかったことでいいとしよう。それよりも、異次元幽々子を追うか放っておくかだが、当然追う。
こちらに危害を加えるつもりがないのなら、見逃してもいいが、わざわざ姿を晒してまで異次元妖夢を殺したり、あの行動。何か裏があるに違いない。これから危害を加える予定の奴を、見逃すつもりはない。
「待ちやがれ…!」
魔力で移動を加速させ、異次元幽々子の方向へ突き進んだ。こっちと同じなら、奴は移動速度が出ない。程なくして追いつくだろう。
すぐに異次元幽々子が通過した森の切れ目に到達する。距離はおよそ五十。通常の弾幕勝負をするとすれば、十分な射程範囲だ。足が速く、射程の長いレーザーなら特に。
高速移動したままレーザーを放つ。欠点の一つである、弾幕が放射する光によって、感づかれてしまったようだ。横に体を傾かせて射線から大きく退いだ。
移動しながらもこちらに向き直り、七色の扇を全開まで開く。その扇自体に弾幕の回路が掘り込んであるのだろう、魔力を流して振るうだけで蝶々の弾幕となる。
センサーか何かがプログラムの中にあるようで、扇の風を受けた部分から弾幕が出るようだ。弾幕の量を扇を開く程度で調節し、振るう大きさで範囲を決める。その状況によって調整できるとは、何とも使い勝手のよさそうな武器だろうか。
大量の蝶々が出現し、逃げている異次元幽々子の姿が羽に覆われて見えなくなった。数百はくだらない数だが、量が量だけに一匹当たりの攻撃力や耐久性能はスカスカだ。
レーザーから魔力の性質をエネルギー弾へと変更し、準備が整い次第放った。眼前に広がる弾幕の一つへと飛び立ち、直撃するとプログラム通り小さく弾けた。
そこに含まれるエネルギーが全て、前方に進む衝撃に消費された。空気を押し出し、目で見えるほどの衝撃波となって、その場所から後方を飛ぶ全ての蝶々を粉砕する。
一体一体に備わっていたプログラムごと、衝撃波で破壊されたことで、形状維持ができずに塵と化す。
衝撃波が薙ぎ払った周囲を、蝶々の弾幕が飛び交い、キラキラと淡い光を放つ塵が舞い上がる道が、自然と出来上がる。その奥にまたもや異次元幽々子の姿は無い。
しかし、まったく見当がついていないわけではない。大量の蝶々が舞う奥で、奴と思しき人影が、森の中へと降下して行っているのがなんとなく見えた。
蝶の波を超え、海のようにどこまでも続いているように見える葉っぱの絨毯にダイブする。見た目以上に実体のある葉っぱと枝をへし折りながらかき分け、葉が茂っている樹冠部分を通り抜ける。
前方に異次元幽々子の姿を視認する。奴へ向けてレーザーを放とうとした時、ふと、不安が脳内を過る。
本当に異次元幽々子に戦う気がないのであれば、私が弾幕の処理をしている間に、空の向こう側に存在する冥界に帰ればいい。なのに、なぜそうしないのだろうか。こんな森の中よりも空の方が勝手がきく。森の中に逃げ込むという選択肢は愚策といえる。
しかし、別の観点から見れば、そうはならない。例えば、私を誘い出すためだとか。
そう思ったとたん、視界全体が森の中にある色としては、カラフル過ぎる紫色に覆われる。
「なんっ…!?」
目元から後頭部に駆け抜ける衝撃に、上半身が後方へとのけ反り、方向感覚が狂ったことで魔力での浮遊が途切れてしまう。
スピードを出していたせいで、地面に落ちるまでに数秒かかった。方向感覚を戻す前に後頭部から落下し、十メートルも地面を転がった。摩擦力で速度が削がれ、止まったころには全身が砂で薄汚れてしまう。
「うっ…くぅっ…!」
髪や顔についた砂を振り落としながら、自分が転がって来た方向に目を向けた。木の裏側からの奇襲だったが、そこには誰もいない。
周囲に魔力の反応がないか意識を向けると同時に、その人物を特定する性質を検知する。異次元妖夢が使っていた微弱な物ではなく、本物の境界を操る程度の能力。
私に危害を加えてくるという事は、そいつは今まで姿を現さなかった、異次元紫だ――。
どの方向かを探らなくても、答えは向こうからやって来る。左腕を乱暴に掴まれ、その方向を向くよりも早く、大量の目が奥に見えるスキマの中へと引きずり込まれた。
スキマをくぐり抜けた後でも、景色が変わらないことから森の中だとはわかるが、先ほどまでいた場所からの位置関係がわからなくなる。しかし、そんな考えもすぐに吹き飛んだ。
こっちの紫と、容姿がほとんど変わらない異次元紫の姿を確認する前に、自分の腹囲よりも太い木へと叩きつけられた。
伸縮がコンクリートや鉄よりも優れている木が砕け、それに見合った激痛が背中側から反作用で帰って来る。
「ああああああああああっ!?」
身を守るよりも速い一撃に、脳の処理が追いつかない。体中を余すことなく衝撃が反響し、内臓を徹底的に痛めつける。
吐血し、力なく異次元紫の腕から垂れ下がっていた私はすぐに解放され、投げ捨てられた。膝から地面に崩れる。倒れはしなかったが、背骨をやられているのか足に力が入らず、今までに経験したことのない激しい痛みに襲われる。
「ごほっ…」
「さあ…楽しんでぇ」
異次元紫はそう呟くと、私を挟む形で左右にスキマを出現させた。高さも太さも4~5メートルもあり、人一人を倒すとしたら過剰過ぎるだろう。
動きたいのにこの場から動けない。やっとの思いで左側のスキマに目を向けると、その奥からは今まで見たことは無いが、外の世界では電車と呼ばれる鉄の塊が向かってきている。
通常の線路を走る速度を、大きく上回る加速をしている。この反対側からも豪速で、車両が数台連結した電車が放たれている音がする。
逃げようとする抵抗もむなしく、電車と電車の衝突音と骨格がひしゃげて歪む金属音に、私の叫び声は掻き消された。
次の投稿は、8/22の予定です。