それでもええで!
という方のみ第百四十一話をお楽しみください!
私達よりも高い座標に陣取り、佇んでいる女性はただ見下ろしている。白と赤の特徴的な服は、幻想郷を統べる博麗の巫女の装束だ。妙蓮寺全体と、外壁から少し離れた位置に横たわる魔女を一瞥する。
しまった。私は自分の額に手を当てて、己を叱咤したくなった。それはまた後に隠れてやることにするが、ご主人や一輪達を納得させるのに、少々時間を割きすぎていたようだ。
門の上から、その先に道があるかのように博麗の巫女が足を踊り出す。当然ながら、目に見えない力の代名詞といえる重力によって、髪や服をなびかせて落下していく。
落下していた体を魔力調節で浮き上がらせると、庭の中央で集まっていた私たちのすぐそばまでゆっくりと滑空して来た。
寺の屋根が一部壊れている事や、鐘が吊り下げられている櫓が半壊している所から、壮絶な戦闘があったと彼女は思っているのだろうか。首をねじ切られた死体、頭を握りつぶされた死体にちらりと目を向けた後、降りてきた巫女は私たちの労をねぎらった。
「…大変だったみたいね」
「そうでもないです。彼女たちが潰しあっていてくれたおかげで、あの魔女を倒すだけで済みましたから」
聖が顎をしゃくって魔女が倒れている方向を示すと、気絶させた時と変わらない血まみれの姿で女性は横たわっている。
必死にポーカーフェイスを装っているが、聖の内心はどうしたら魔女を連れていかれずに済むのかを考えているのだろう。巫女が視線をずらしてくれたおかげで、聖の目が少し泳いでいることは悟られずにはすんだはずだ。
その僧侶の脇腹をしっかりしろと肘で小突き、少しだけ時間を稼ぐことにした。あれだけ聖にコテンパンにされたのだ、気絶から立ち直って自分で逃げることはできまい。
ならば、自分の知識や思考をフル回転させ、博麗の巫女を説得するしかない。勘の鋭い彼女を騙す自信はないが、巫女が頭の固い人物でない事を祈る。
短い時間で考えられるうちの何通りかを脳内でシュミレーションし、博麗の巫女を説得するために声を掛けようと、口を開きかけた時、他の第三者が現れた。
背中から黒い翼を生やし、手には紅葉型の大きな扇を握る鴉天狗だ。彼女たちが翼を広げ、空気の抵抗を増やして減速すると、巫女の後ろにゆったりと着地する。
天狗たちだけでなく鬼や河童もいた気がするが、一刻を争う事態であると判断し、移動の速い人物だけで駆け付けたのだろう。
「随分と帰って来るのが速いね。予想ではもう少し遅いと思っていたよ」
ここまで来るまでに日差しに晒されたようだ。森の中を飛んでくるよりは圧倒的に早いだろうが、暑さで戦闘をしていた魔女並みに汗を額に浮かべている。
「…向こうとこっちでは時間の流れが違うから、あんたたちの準備ができてなかったって聞いたからね。それよりも、どういう状況なの?」
聞かなくてもおおよその予想がつくだろうが、予想ではなく確定した情報が欲しいらしい。
日射病になりそうな光線が、常に降り注いでいる庭から逃げ出したいが、軽く説明をすることにした。
「おそらく…というか、確実に向こう側の影狼と赤蛮奇…それと魔女がやって来た。魔女と二人は敵対関係にあるようで、こちらが手を出す前に二人とも殺したよ」
寺の近くに倒れる、打ち込まれたネジを回転させて引き抜いたような、捩じり取られた首なしの異次元影狼の遺体と。
地面に落ちた途端に熟しすぎた果実が自重に耐えきれず、皮が裂けて中身が弾け出したザクロと変わらない有様の異次元赤蛮奇。
どちらも見るに堪えない怪奇千万な亡骸で、その二つの骸に軽く瞳を重ねた後に、我々を、詳しく言えば我々の手元に焦点を合わせる。
「…どうりで死体の損傷が激しいのね。その後に、魔女を倒したのが聖ってわけね」
私たちがそんな手法を取らないとわかっていても、とりあえずの確認だったようだ。ご主人や一輪には返り血が付いておらず、聖も手の甲側にしか血液が付着していない。
握りつぶしたり、ねじ切ったのだとすれば、手の腹側と甲側関係なく血液が絵具をぶちまけたようにこびりつているはずなのだ。
「そんなところだよ」
「…かなり派手にやったわね…。生きてるの?」
殺したかどうかの確認ではなく、生きているかどうかを聞いて来たという事は、未だに決定的な情報を掴んでいないと考えられる。この迅速な行動から、急いで引き返してきたのは、私たちが勢い余って殺してしまわぬようにか。
「心配はご無用だよ。瀕死ではあるけど、生きてはいる。……一応聞いておくのだが、博麗の巫女…君は彼女をどうするつもりなんだい?」
こちらの世界を発った時よりも、明らかに天狗の人数がパッと見ても少ない。なぜ居ないのかなど、考えなくてもわかる。かなりの人数が殺されているらしく、魔女が生きているとわかるや否や、切り殺しに行きそうな勢いであった。
私の質問に対して返答しようとする巫女に牽制され、各々の得物を掲げて強行する者は居ない。だが、鞘にきっちりと刃を納められた刀の柄には、常に手が添えられている。
「…向こうに行ったけど、有力な情報は掴めなかったわ。この魔女なら何か知ってると思うから、連れて行くわ」
「それで?…監禁して、拷問して吐かせるのかい?」
巫女は押し黙る。それどころかさっきまでは殺しに行きそうだった天狗たちでさえも、その勢いが削がれている。奴らがそう簡単にはしゃべらないことも、それしか方法がない事も彼女らはわかっているのだろう。
しかし、そこまでしてしまえば自分たちまで異次元の者と変わらない、ただの獣に成り下がることもわかっている。
倫理的な思考と、生き残りたい生存的な葛藤が脳内で抗争を勃発させている。十数秒の時間が経過しても、博麗の巫女だけでなく天狗たちもどうするのかを全く言葉にできない。
それはそうだろう。いくら考えても、答えなど出せない。そもそもこれに明確な答えなど存在しない。どちらも正解であり、不正解なのだから。
彼女たちはどちらを取るのだろうか。倫理を捨て、非人道的行為も辞さない道を行くか。それとも、倫理を柱に人を貫くか。
私個人としては、倫理を貫いてほしいところだ。魔女がこちら側の人間という私の考えが外れていた場合。倫理を捨ててあらゆる行為を働いた時、それは奴らにとって新たな戦の大義名分となる。
聖の言った通り、相手がどんな不条理を行ったとしても、私たちは正しい戦争をしなければならない。次の戦争のことを考えなければならなくなり、そして、勝利を収めたとしても我々に居場所はなくなる。
正義を貫いて来た過去に、正しい道を行く次の世代に、歴史に、不義を成し得た私たちは、一人残らず鉄槌が下され、殺されることだろう。
「…」
霊夢の熟考は、一分にも及んだ。それだけ長い間、誰も言葉を発せずに息遣いだけが活発に繰り返される。なぜ誰も話さないのか、行動を起こして意見を主張しないのか。誰も結論を出せていないのだ。
「霊夢…確かに、理想だけではこの異変を征するのは、非常に困難だと思います。ですが血を血で洗う抗争など、何の意味があるのでしょうか?」
聖も私に加勢して、博麗の巫女に問いかける。魔女を復讐心の爆発につながるトリガーにさせてはならなず、かつ助けなければならない。畳み込むのであれば、結論を出す前の今しかない。
「人を捨てずとも、情報を引き出す方法はあるだろ。博麗の巫女……さとり妖怪に、あの魔女の心の中を読ませればいい。それだけで情報の真偽がハッキリする」
「…それも、そうね」
どちらを選ぶか悩んでいた博麗の巫女は助け舟を出され、肩を落として息を付いた。少し安心したような、ホッとした表情でもあるが、答えを出すことのできなかった中途半端さ。これに対する苛立ちを覚えているようだ。
幻想郷の命運を左右する博麗の巫女として、生半可な答えを出すことはできない。だからこそ、覚悟をもって決めなければならなかった。周りの妖怪たちもそれを望んでいただろうが、私はそれでいいと思う。決めかねているという事は、今からでもどちらに転ぶかわからない。影を歩くか日向を歩くか、この先の展開で決まることだろう。
その判断は半端も半端で、長として君臨するのには相応しくない。しかし、とても人間的だ。自分の肩に幻想郷全体の人間から妖怪、神に至るまであらゆる生物の命がのしかかっているとすれば、私が聞いてから即座に返答できた方がどうかしている。
長としては失格だが、人間的にはまともな思考回路をしている。人間性を捨てた機械など、誰もついて行かないだろうからな。
「そうと決まれば、さっそく……」
地霊殿に向かってくれ。そう続けようとした時、方向感覚などのあらゆる感覚的な部分が、ぐちゃぐちゃにシャッフルされ、ただ立つことさえもできなくなっていた。
「は…えっ…!?」
重力を感じている部分でさえも、面白おかしく狂わされ、脳に達するあらゆる情報の波に思考が掻っ攫われて行き、内臓が揺れ動く嘔吐感に体が見舞われる。
手を動かそうにも左右が逆になり、上下でも感覚がひっくり返されているため、足を使おうにも手が動いてしまう。
あらゆる感覚が上下左右逆さまにひっくり返された状況が、永遠に続くかと思われた。何の抵抗もできず、まっ直線に頭から地面にダイブする寸前、いつも通りの正常な感覚を身体は取り戻した。
頭が地面まで後十センチという所から立て直すことなどできず、乾いた地面に頬を叩きつけた。顔や服に砂が付いてしまう事など、気にしていられない。込み上げてくる吐き気を押さえることで精一杯だ。
飲食は数時間前に取ったきりで、そこから何も口にはしていないが、胃液は込み上げることだろう。公衆の面前で嘔吐などするわけにはいかず、必死になって抑えていると、私に続いて次々と倒れる者が続出する。
あの博麗の巫女でさえも、倒れるところまではいかなかったが、大地に片膝をついて体勢を保っている。感覚に翻弄されて倒れてしまう者が多い中で、姿勢をある程度維持できている様子から、彼女の化け物的強さの理由が垣間見えている。
「…何度食らっても、慣れないわね…!」
歯噛みし、呻く博麗の巫女が向いている方向は、聖が殴り倒した魔女が倒れていたはずだ。感覚を弄られたことで目が回りかけているが、巫女が向いている方向へ必死に視点を向けた。
そこに居た人物は普通に二本の足を大地に伸ばし、散歩にでも行くような軽快な足取りで、倒れたままピクリとも動かない魔女へと歩いて行く。この状況でどうやって動けているのだ。と思考の回らない頭が間抜けな考えを思い起こす。
こんな、博麗の巫女や聖でさえも立つのが困難な状況で、何の影響も受けていないなど、私たちに対する敵対行為をしてきた人物に他ならない。頭部からは五センチほどの短い角を二本生やし、黒い髪には一部赤色の髪が混じり込んでいる。
自信ありげに口角の上がっている女性は、誰もが知る人物だ。今のところはこいつ以外は聞いたことがないが、異変解決をする巫女から逃げ切った唯一の妖怪。鬼人正邪。
鬼のように角が生えているが、腕力は人間に毛が生えた程度。天邪鬼で、騙すのが得意なこいつは、お得意の二枚舌で神妙丸と呼ばれる小人を丸め込み、異変を起こした。そんなお尋ね者がこんな場所に来るなど、普通なら考えられない。なぜ出て来たのだろうか。
私が思考を巡らせるよりも早く、鬼人正邪が目的を行動で提示する。倒れたまま地面に横たわっている魔女の元に歩いて行くと、しゃがんで彼女のことを抱き起した。
異次元の者とされる人間を、初めて生け捕りにできるチャンスが遠のこうとしている。それは自分たちが、破滅へと転落していくようにしか見えないだろう。
情報源とされる人物からさとりを介して情報を引き出されば、こちらとしては大きな前進となるだろう。しかし、それをあの天邪鬼に阻止されてしまえば、停滞どころではない。後退するだろう。
「まて!!」
倒れ込むまではいかなかった、止まりかけの駒の様に傾いた体を、いち早く立て直した鴉天狗や遅れてやってきた白狼天狗らが、巫女の静止も聞かずに靴で捲りあがった地面を浅く抉った。
走り出した者の後方で体勢を立て直していた天狗たちに、土が飛び散らされるがそれに不満を漏らすものは誰も居らず、そのまま切り殺せと視線が訴えかけている。
光をほとんど反射しない漆黒の翼を生やす天狗が二人、空中で紅葉型の扇を振りかぶる。地上からは真っ白で羽毛や綿とは比べ物にならない程に、柔らかそうな毛並みの尻尾を生やす三人の白狼天狗が、走り辛そうな地面を疾走する。
いくら集団的に行動する種族だからと言って、全員が全員仲がいいわけではないだろう。バランス感覚や反射神経は個体差がある。立ち直りが特に早かった五人は、居る場所はバラバラで特に親しげには見えなかったが、事前に打ち合わせでもしたかのようにお互いの間合いを把握し、邪魔にならない位置に陣取っている。
これだけのコンビネーションであれば、伊吹萃香や星熊勇儀は無理でも、上級か中級に位置づけられる鬼程度なら互角に戦えるだろう。
しかし、その互角に戦えるのも、同じ土俵であればの話だ。固有の能力に恵まれなかった彼女たちは、目にも止まらぬスピードが出せる翼や、数百メートルという距離を僅か十数秒で踏破できる脚力に恵まれているが、天狗たちが向かっている天邪鬼は対称的といえるほどに逆の境遇者だ。
肉体的な身体能力に全く恵まれなかったが、純粋に固有の能力だけで見れば、幻想郷では屈指の実力者といえる。状況や戦況、心理的な問題などが大きく作用するが、場合によってはスキマの妖怪でも一筋縄ではないかないだろう。
天邪鬼が口角を上げ、見せつける様に嗤って見せた。突進していた五人は、一秒と立たずに天邪鬼と抱えられた魔女に到達できるだろうが、何の前触れもなく身体の上下がオセロを返したように反転すると、バランスを崩して背中から地面に叩きつけられた。
正邪へと向かって行く天狗達が、鏡に照らしあわされたように次々と上下反対にひっくり返されて行く。あと一歩という所で、抜刀した刀を振り抜こうとした白狼天狗が、両側を挟み込まれたオセロの如く反転する。
頭脳については人間よりも少し高いか同程度であるが、反射神経などの運動能力は頭一つも二つ分も抜けているはずだ。それでも一瞬にして変わった体勢を、立て直せるだけの反射神経は無いらしい。
方向感覚を失った彼女たちは、重力や太陽の光から向きを割り出すことはできないだろう。方向が固定されているそれらでさえも翻弄の対象となっており、手足をバタつかせた直後には、頭かもしくは背中で本来の方向感覚を取り戻すことになる。
体の自由を取り戻し、私が上体を起き上がらせた頃には妙蓮寺の面々も含め、先ほど突撃した人物たち以外全員が戦闘の準備が整っていた。全員でかかれば抵抗する間もなく押し潰せる戦力差だが、無暗やたらに突っ込もうとする者など居るはずがない。
先の五人に天邪鬼がどれだけ厄介な人物なのかを、たった数十秒という短期間で思い晒されてしまったからだ。
しかも、奴の目的は魔女であり、連れて行くために確保まではどうしても交戦する形となっていた。今は彼女を抱えて、後は逃げるだけとなっている。身を守ることに特化した使い方をしている天邪鬼からすれば、本気になれば数など取るに足らない問題になり下がる。
今まで異変の首謀者は全て捉えているあの博麗の巫女が、輝針城異変の時に取り逃がしたとなれば、そう安易に足が出なくなるのも納得できる。
言葉を巧みに操り、狸や狐の様に人を騙す二枚舌は追う者の思考を鈍らせる。それに加えて、逃げ足の速さと固有の能力が合わさり、川を流れる水が指の隙間から逃げていくようだ。
「…正邪、どういうつもりかしら?」
気を失っている魔女に肩を貸し、重たそうに踏ん張っている正邪に向けて巫女は言葉を発する。奴に対して会話を求めるのは、いい策とは言えないが、こちらの体勢を万全にするためには仕方がないだろう。
「どうって、見たらわかるじゃないですか?」
今まで逃げ回って来た天邪鬼が、こうしてわざわざ魔女を助ける形で介入してきたという事は、彼女にとって利用価値があると見出されたと考えられる。次のトカゲの尻尾として利用気するか。
「…正気とは思えないわね。あんたはこの戦争に関わってないから、そんな命知らずなことができるのよ。……忠告するわ。その魔女はあんたの味方になってくれるような人じゃない。死にたくなかったら置いていくのね」
その魔女はそうじゃないと否定したいが、自分たちの立場を危うくさせるわけにはいかず、喉に上げりかけたそれを嚥下して飲み込んだ。
「それは素敵な提案ですね、博麗の巫女。ですが無理ですね…こいつとは悪者同士で気が合いそうですから。…死んでもらっては困りますよ」
博麗の巫女がした忠告など、右から左へと通過していく。天邪鬼の頭に耳の形をしたトンネルでもあるのだろうか。天邪鬼はその魔女を巫女たちが捉えることの重要性を理解していない。例え私たちが説得できなかったとしても、さとりによって聞き出される情報源としての彼女は非常に強力で、味方になりえる可能性が最も高い。
「…邪魔をしないでもらえるかしら?あんたのおままごとに付き合ってる暇はないの、幻想郷の存続がかかってるのがわからないかしら?」
「酷いですねー私だって邪魔をしてくてしてるわけじゃないですよ?…幻想郷を救う最善の行動だと思ってやっているんですよ?」
邪魔をしたくてしている訳じゃないなど、どの口が言っているのだろうか。この天邪鬼は自分のことしか考えていない。やっているのは幻想郷で自分だけが生き残るための最善の行動だろう。
異変が始まってからの魔女しか知らない正邪からすれば、自分の手ごまにできる良い悪党が現れたとしか考えないだろう。だが、推測通りに魔女がこちら側の人間だった場合は、天邪鬼と敵対する可能性がある。
最初から天邪鬼がこちら側に付いて行動を共にするなど、期待していない為そこで退治されようがどうでもいいが、情報を得られないのはやはり我々にとっては痛手である。
「博麗の巫女が言う通り、彼女は君と一緒に悪さをするような奴じゃない。時間も肉体的な浪費も無駄になる。さっさと置いて立ち去った方が君にとっても有意義だと思うよ?」
「悪さをする奴じゃなかろうとする奴だろうと、私が立派な悪党にしてあげますよ。…こちらとしても、せっかく出て来たのに何の収穫もなしに帰るのは、それこそ浪費の無駄になってしまいますし、そろそろお暇させてもらいましょう。怖い巫女に殺されそうですからね」
天邪鬼が抱えていなければ、魔女は倒れてしまうだろう。そんな誰かを守りながら逃げなければならない状態だというのに、正邪は余裕の雰囲気が消えない。それほどまでに自分の固有の能力に絶対的な信頼を置いているようだ。
「いかせるわけないだろ!…そいつらにどれだけこっちの人間が殺されてると思ってるんだ!大人しく魔女を渡せ!」
痺れを切らした鴉天狗の一人が、風を巻き起こす扇を握った手を天邪鬼へと向ける。血走った目や剥き出しになった唇の間から覗く白い歯が、彼女の怒りを表している。これまでの数度と行われてきた戦闘で、友か、家族、もしくは恋人を失ったのだろう。
憎しみに近い、どす黒い感情が彼女の中で渦巻いていることなど、表情や言葉からわざわざ考えなくても読み取れる。もし魔女を奪い返すことができたとしても、この女性と二人きりにはさせてはならないだろう。
「おー、震えあがってしまいそうです。…私がそう簡単にこいつを渡すわけがないと、わかって言っているんですか?力づくで私を止めるつもりでしたら、後悔することになりますよ?」
安い脅し文句で並べ立てられたハッタリは、自分を大きく見せる偽りの虚像。ただの嘘つきが吐く妄言であれば、誰も相手にしなかったはずだ。得物を掲げ、誰も歩みを止めなかっただろう。
口惜しい事に、今回だけは天邪鬼が垂れ流す虚言は、口からのでまかせではない。どうすれば逆転の鬼を出し抜けるか、脳を必死に働かせていると魔女を抱えた正邪が先に動いた。
自分たちよりも、力関係が優位にいる人物からの圧力や脅しを受ければ、当然であるがなされた方はどうしても受け身の体勢に入ってしまう。こちらから動くのではなく、相手の出方を見てしまった私たちは、彼女の行動に反応が一歩遅れた。
腰を落とし、膝のばねを最大限に利用し、後方の森の中へと跳躍して消えていく。魔女を抱える前の段階で、逃走ルートを定めていたようだ。その動きに躊躇は無く、生い茂っている木々にぶつかることもない。
流石は人を騙すことに長けた天邪鬼だ。揺れ動く人の心理という物をよく理解している。その面だけ見れば奴は、確実に幻想郷でも上位にランクインするほどの実力者になりえるだろう。
能力という部分を使用しなければ、正邪は確実に弱者の領域に分類される。弱者の立場を知っているからこそ、逆手に取ることができる。
ある意味不意打ちに近い。威圧しながら腰を据え、これから戦闘が始まりそうな雰囲気を醸し出していた。正邪が戦闘に躍り出た瞬間に、天狗たちも開戦の狼煙を上げただろう。
自分らの方向に向かって来ることはあっても、離れることを予想していなかったのだろう。天狗たちは遠ざかっていく天邪鬼に対して、どういった行動をしたらいいのか、思考が纏まらなかったようだ。
20~30人にも上る頭数が揃っているというのに、鬼の狙いに気が付いて即座に反応できたのは博麗の巫女だけだった。当たり前か。彼女は当然ながら、弱者ではなく強者の部類に含まれる。弱者が巡らせる思考回路を彼女は通過しなかった。特別なことはせず、ただ普通にいつも通り、自分の邪魔をする妖怪を退治するだけだ。
距離があったことで、博麗の巫女が後方に跳躍している鬼人正邪に追いつくことはできなかったが、人一人を担いでいることでそれも時間の問題のはずだ。いつもならそこまで単純ではないが、天邪鬼は重荷となっている魔女を捨てていくことしないだろうからだ。
木漏れ日の差し込んでいる明暗に差のない森へと、紅白の巫女と魔女を抱えた鬼が姿を消してから、ハッと天狗たちは反応を見せて10人程度の天狗たちが追跡を開始した。
自慢の脚力で地面を抉り、深淵の様に真っ黒な黒色の翼を羽ばたかせ、白狼天狗や鴉天狗達が二人の背中を追って行く。
その中に妙蓮寺の面子の姿は見当たらない。私の説明を受けて考えた部分があり、とてもじゃないが追う気にはならなかったのだろう。正邪に騙されたという事もあるかもしれないが、ある程度は魔女が敵ではないという理解が得られ、私は言う事は何もない。
博麗の巫女以外に、ハッタリにひっかがらなかった人物がもう一人いる。全く残念そうにしていない、妙蓮寺の総括者である聖だ。彼女の言動から、正邪を止める意味自体がないため、そもそも飛びだすつもりもなかったようだ。
彼女にとっては魔女を逃がせれば、逃がせた形などはどうでもよいのだ。よくよく考えて見れば、地底のさとり妖怪に心を読ませればいいと言いはしたが、それでも魔女の待遇が変わっていたか怪しいところだった。
異次元の者とされている魔女は、異次元の者というだけで忌み嫌われている。それが深層心理の奥深くまで根付いてしまっているこちら側の人間は、そう簡単に行動を変えることはできないだろう。仲間になったとしても、天狗がいきなり背中を刺しても文句を言わせなさそうな雰囲気がある。
だからこうやって逃がすことができたのは、嬉しい誤算かもしれない。心配なことがあるとすれば正邪に騙されなければいいが、まあ彼女ならば大丈夫だろう。
魔女は我々に打ち上げられて弾けた花火の様な、激しい燃え盛る感情の爆発を見せはしたが、明確な敵意は一切向けて来ていない。聖にあれだけのことをされたというのに、攻撃を仕掛けてこなかったというのは、魔女が私たちに攻撃する意味がないと本気で思っているからだ。
騙そうとしている魔女側からすれば、聖からあれだけの敵意を向けられた時点で、こちらに攻撃をしてこなければおかしいことになる。彼女がどれだけ頭の回る人間かわからないが、鼻血でまともな呼吸などできず、殴られた衝撃に脳がしこたま殴られ、感情を揺さぶられた。そんな状態で正常な判断などできるだろうか。
それに、あの魔女とは短くはあるが言葉を交わした。そこまで狡猾に人を騙せるような人物に見えなかったことが、強く印象に残っている。
一番初めに名前を聞いたとき、彼女は答えることができなかった。偽名でも使えば、ある程度の不信感も残るかもしれないが、話も円滑に進んだことだろう。それがなされなかったことが天邪鬼の様な人間ではないことを示唆している。
まさか、こんな日が来るとは思ってもいなかったな。わたしが、あの天邪鬼に逃げ延びろと声援を送るとはね。
日差しから逃げる様に、手で目元に影を作る。眩しいぐらいの陽光は、瞳に入る前に妨げられ、細まっていたを目を普通に開けることができるようになる。
巫女どころか、遅れて飛びだしていった天狗らの姿すらも木々に遮られている。さながら神隠しでも逢った後だ。地面を蹴る音や翼を羽ばたかせる音、鞘に収まった得物が立てる音、荒い息遣い等で、静寂には程遠い喧しさが嘘のように静まり返っていた。
残った天狗たちはこれからどうすると言いたげに、顔を見合わせている。私達とは違って魔女を回収するだけの作業で、どこに集まるのかも定めていないはずだ。しばらくはここに残り、追撃している天狗と巫女の帰りを待つのだろう。
緊張しっぱなしで、疲れた様子が如実に出ている。残った天狗達は座り込んだりしている者が多い。魔女の言葉は、少し私としても耳が痛い。せめて労をねぎらうために、冷たいお茶でも出してやることにしよう。
天邪鬼に対する期待を胸に秘めながら、私は妙蓮寺の台所へと向かった。
抵抗は意味をなさない。それをしたところで現状は変わらないし、もっと悪くなる。既にどん底を味わっていたと思っていたが、それより下があったようだ。
自分がどこにいるのかもわからない。無機質で設置物や家具が全く置かれていない部屋へと連れてこられていた。
あの、目を潰されていると錯覚してしまう暗闇の中で、死んでいくことを望んでいた。それなのに、私は死ねなかった。
数年前は死にたく無くて仕方がなかったというのに、今は死にたくて仕方がないなど、利己的で我儘すぎるだろうか。
「……」
現実逃避をする形で、この部屋に入れられる前に見た外の光景を思い出す。
何年ぶりになるかわからなかったが、閉じ込められる前や霧雨魔理沙が保有する力という物を求め、あらゆる派閥同士で開戦した時と比べて見ても、周囲の光景は見る影もなく荒廃し切りっていた。
あれだけ栄えていた街はボロボロに崩れ落ち、あと数年も断てば崩壊が進む廃墟は、建っている建築物の方が少なくなるだろう。
患者の来院が絶えなかった永遠亭は、骨組みを残して焼き払われた。そこに居たであろう看護師のウサギや、運良く逃げ出せたか入院して匿われていた人間の焼死体を栄養源に、風に乗って飛んできた植物の種が土壌に根を伸ばした。
吸血鬼の館は数年前の煌びやかさや、行き届いた手入れなどなされていない。真新しい亀裂が屋敷全体に広がり、このまま放置されれば数か月と持たずに崩れ落ちるだろう。
何度凍えそうになる冬を乗り切ったか覚えていないが、実感があまり湧かない数年間の監禁が、世界を再認識させられることで現実となって事実を突きつけられた。
ぼんやりと現実逃避に浸っていたが、長くは続かなかった。急に込み上げてきた内臓が押し出される嘔吐感に抗えず、無理やり飲まされている食材を吐き出してしまった。
閉じ込められている期間から見れば、非常に短すぎる時間しか経過していないが、拷問じみた行為に、既に精神は根を上げかけている。
押し込まれている食物を吐き出したことが、抵抗していると捉えられてしまったのだろうか。穴の開いた金属製の錆びついた猿ぐつわを噛ませられ、そこから伸びる強度が高い布を後頭部で結んで固定する。
噛ませられている猿ぐつわの穴から細いチューブを押し込まれ、喉の奥へとねじ込まれた。奴らは医者じゃない。飲み込むタイミング等を全く計らず、喉や食道を損傷して激しい痛みを伴うが、奴らは全く関係なくさらに無理やり押し込んできた。
口とは反対のチューブの先には、ラッパ状の形をしたロウトが取り付けられており、今では巫女の面影もない狂人が、液体状の流動物を流し込んでくる。
透明のチューブに白濁色の物体が通過していく。ロウトとは反対方向の端へと到達すると、胃袋の中に流動物が注ぎ込まれた。何年も使われず完全に委縮し切っている胃袋は、数分と立たずに容量の空きが無くなってしまう。
もう入らない。止めてくれと頼みたくても、手足を縛られているせいで身振り手振りで静止を促すことができない。
「うぅ…あぐっ……っ!」
苦しい。頭を左右に振り、最大限に訴えを投げかけるが、彼女には伝わらない。いや、伝わっているが、無視しているのだろう。周囲の景色含めて、納屋の地下に閉じ込める前とはあまりにも様子が違う巫女は、手を緩めることなく流動物を流し込んでいる。
液体がロウトとチューブの中をとどまらずに流れて行っているのは、胃袋が押されて拡張しているわけではないことに気が付いた。魔力の枯渇し切っている体が、食物を次々と魔力へ変換しているのだ。
あたかも乾いたスポンジが水を吸水するようとでも言えばいいだろう。乾いて干上がった泉が満たされて行き、やせ細った体に力がみなぎって来る。これほどまでに嬉しくない食事もないだろう。
これまた私の意志とは関係のない肉体は、久方ぶりの食事に飢えた獣並みに狂喜し、食物に食らいつく。
ある程度魔力が回復したころを見計らい、液体を流し込む作業を中断した巫女は、口の中からチューブを雑に引き抜き抜いた。
延命や魔力の回復が、目的であるわけではないのは、頭がよくない私でもわかり切っている事だ。いったい何を要求されるのか、猿ぐつわを外されて博麗の巫女を見上げていると、スキマの妖怪がスキマの中から姿を現す。
いつも身に着けている手袋を、赤黒い血で濡らすスキマの妖怪の手には、私がいう事を聞くしかない物体を持っている。あり得ないと思いたかったが、幻術や作り物の類でない事は、彼女たち以上に私が分かっていた。
彼女はそれを奪われる際に、どれだけの苦痛を伴ったのだろうか。血液の滴るそれは、紛うことなき人間の足だ。青白く血の気の引いた足が投げられ、目の前に捨てられる。近くで見ても柔らかそうな質感や血管の様子から、本物である事実は変わらず、身に着けている衣服には見覚えがあった。
これは脅しだ。これ以上、友人を傷つけられなかったら、私たちのいう事を聞くことが最善だ。彼女たちはそう言っている。
やりたくはない。言う通りにしたとしても結局は殺される。だが、これ以上友人が苦しむことは望んでいない。
彼女たちが望む要求を、全て飲み込んだ。
次の投稿は10/24の予定です。
最近は投降が遅くて申し訳ございません!!