それでもええで!
という方のみ第百五十六話をお楽しみください!
これが、咲夜の世界か。
全ての物が静止している。動物から植物まで、生物で動いている者はいない。無機物に関してもそうだが、人間そっくりに作り上げられた人形を眺めている気分だ。
よく目を凝らしてみなくてもわかるが、前方や私のすぐ隣に立っている人物は当然作り物の彫像ではない。列記とした人間で、現在進行形で生きている。景色を反射する瞳や息遣いが伝わってくる動的な体勢、肉体の質感や曲線美はどんなに精巧に作ろうが再現できるものではない。そして、今にも動き出しそうな気迫こそが生きている事の証明となっている。
常に揺らめき、動いていることが普通である炎が静止して見えると、形や広がる炎に違和感を覚えるのは、止まった瞬間を見たのが初めてだからだろう。
落ちてくる木の葉が空中で止まっている。それを摘まみ上げても、葉っぱの形が変わることはなく、落ちてきている段階のまま形状を維持している。
足元には踝に達する程度の、背が低い雑草が茂っている。足で踏みつけている部分を除いて、青々と空に向かって手を伸び伸びと広げた。試しに足を持ち上げて、踏んでいた部分の雑草に目を向けると、押し曲げられ地面に一部へばり付いている。いつもなら踏んでいても関係なく元に戻るはずだが、持ち上げる前と変わることなく静止している。
これだけ近い位置に居たり触れたりしているのに、周囲の草木と私の時の流れはどうやら違うらしい。
異次元咲夜の世界であれば、時の止まっている人物に触れると自分の時間に巻き込み、相手の時間に巻き込まれるため時間の停止状態を維持できない。
そう言った理由から、異次元咲夜は静止した時の中で直接危害を加えることができない。しかし、無防備な状態で佇んでいた異次元咲夜に、私は魔力から返還されたエネルギー弾を叩き込んだ。
時間の加速に巻き込まないギリギリ外で止まるはずだったエネルギー弾は、そんな見えない壁をない物として通過し、奴の身体に当たると同時に含まれているエネルギーを放出した。
弾幕が小さく爆ぜるが、時を止められているメイドは身じろぎ一つすることなく、私が移動する前の地点に視線を向けている。
一ミリも動く様子の無い人物や植物を見ていると、自分が写真の中に入ってしまったのではないかと錯覚してしまう。時の止まって見える世界を実際に体験するのは初めてだが、全てが止まっているのは違和感しかなく、誠に摩訶不思議な空間だ。
時の流れを解除する前に霊夢やフランドール達に再度視線を向ける。叩き落しそびれた銀ナイフが無いか眺めるが、未だに浮かんでいる得物はない。
私は、止まってみえる時の流れを、正常に戻した。エネルギー弾を避ける選択肢すら与えられなかった異次元咲夜は、破裂したエネルギー弾の爆発を身に受けた。弾けた衝撃が腹部を伝わり、骨格上必然的に身体がくの字に曲がる。衝撃を逃がそうとする最大限の防御行動なのかもしれないが、それだけではエネルギー弾の爆発力を受け流すことができない。
メイドは足で踏ん張りを効かせ、衝撃に耐えようとする素振りすら見せず、後方に吹き飛んだ。ビリアード球がビリアード球に打ち付けられたように弾かれ、受け身を取る間もなく地面を転がって倒れ込む。
魔力で体を防御されていることを考えると、ダメージにはなるが致命傷にはならなかったはずだ。いつ時を止められてもいいように魔力に意識を向けているが、異次元咲夜の能力が使用されることはない。それどころではないのだろう。
「くっ…そっ……!」
腹部を切られているのか、横に長く服に血が滲んでいく。エネルギー弾の衝撃で塞がっていたのが開いたようだ。
私のやり方であれば時間が静止している間でも、関係なく攻撃を与えられることが証明された。しかし、このまま時間を止めて、抵抗することが一切できない異次元咲夜をボコボコにして殺したとしても、フランドールや美鈴は納得しないだろう。
戦い、奴をねじ伏せ、誰を殺してしまったのかを思い知らせ、後悔させてやらなければならない。異次元咲夜が後悔するとは思えないが、レミリアを殺してしまったことを思い知らせることはできるはずだ。
そのために私がしなければならないのは、楽に異次元咲夜を殺させるための行動ではない。奴をフランドールや美鈴と同じ土俵に引きずり込ませる状況作成だ。
それでもフランドールらは、私たちの協力など必要に思っていないだろう。正面からやり合って、このイかれたメイドを殺したいのだろう。ここで私がフランドール達の勝ちを優先し過ぎれば、一生恨まれることになる。
押されていた力関係を修正するに留め、あとの戦い方は任せるとしよう。フランドールは能力があってないようなものだし、美鈴は能力を使用できるが片腕がない。更に奴は二つの能力を持っている。こちらはいくつもハンデを負っている状況なのだ。異次元咲夜の時を操る程度の能力を封じるぐらいなら、彼女たちも容認してくれることだろう。
優位な位置に立っている敵を、自分たちの土俵に連れてくることは卑怯ではない。こちらが勝つための最大限の作戦なのだ。
私が時をいじろうとした時、異次元咲夜が懲りもせず時を加速させようとしている。そろそろ気が付いたのだろう、加速した時の中では私が動けない事に。そう、わかっている通り、私は加速した時の中では動けない。
なら、どうやって時を止めたのか。ネタバラシをすると、異次元咲夜の時間を増やしたのだ。
これだけ聞くと異次元咲夜の時間が増えた分だけ、奴が加速してしまうのではないかと思ってしまうだろうが、そうではない。
前に話したかもしれないが、一秒は増えたり減ったりすることはなく、一秒という概念は常に一定である。だが、私は能力を駆使することで、その法則を一時的とはいえ捻じ曲げた。
固有の能力は物理の影響を受けない場合があり、異次元咲夜の持っていた第二の能力は何だったか、覚えているだろうか。あらゆる物を生み出す程度の能力だ。
異次元咲夜はその能力を自分の武器を生成することに使った。物理の法則をそうやって超えられるのであれば、時だって増やすことができる。
ここで問題になってくるのは今の私では魔力の精度を上げられず、中途半端でまともに運用することができないというものだ。
だから私は自分の能力で異次元咲夜の能力を再現し、自分の能力で時を増やす性質の魔力を生み出し、それらを組み合わせて魔力の純度を無理やり底上げしたのだ。
ここで、最初の話に戻ろう。時を増やす過程はわかったが、その増やすというものがどういうものかよくわからないと思う。
時間を加速させているのを増やすと表現しているのではなく、本当に増やしているのだ。一秒を二秒に二秒を三秒にと言った形で、一秒という外側の概念だけには手を加えず、内側の内容を増やしている。
それを行うとどうなるか。仮に異次元咲夜の時間だけを倍にしたとして、奴にとっては一秒という時間は変わらない。いつも通りに動いているつもりだが、私たちから見れば一秒でできる動作を二秒かかって行っているのだ。
その倍にした時間を十秒、二十秒、三十秒と長くしていけば実質的に止まっているように見えるだろう。異次元咲夜に限ったことではないが、周囲の物体を自分の時間に巻き込まないのは、一秒という概念が変わっていないことが理由だと思われる。
銀ナイフを叩き落した後、銀ナイフに対してだけ増やした時間を戻せば自然と落ちることになる。これが異次元咲夜とは別経路から挑んだ、時を制止させるカラクリだ。
異次元咲夜がこれに気が付いてしまえば、かなりまずい状況になるが、その可能性は非常に低い。なぜなら彼女の中で時を止めるという行為は、時を操る程度の能力で完結しているからだ。
既に出来ていることに対し、改めて別路線から能力を使う必要はなく、それならば新たな能力で戦い方の改善を行った方がいい。この思考回路があるが故に、彼女の戦闘スタイルはほとんど変わっていない。
そもそも、あらゆる物を生み出す程度の能力が、物理的な物だけでなく目に映らない概念的なものにまで影響を及ぼすのを、異次元咲夜は知らない可能性すらある。知っていれば、もっと自分の戦い易いフィールドを用意するはずだ。
奴らには能力を手に入れるという目的があり、それに向かって進む際に過程などどうでもよく、正々堂々と正面からやり合って勝利を掴み取るプライドなど無いのだから、やはり異次元咲夜はこれを見破れないだろう。
早速能力を行使し、奴が時を加速させようとしているが、加速させた分だけ一秒の時間を増幅させた。倍に加速させた分だけ、一秒間の時間も倍にするため相殺されて時間の流れが一切変わっていないように見える。
「……!?」
異次元咲夜はまたもや驚愕している事だろう。どれだけ時を加速させても、自分どころか周りの時間までもが等倍から変わることが無いのだから。私たちを見ても、周囲の景色を確認しても、遅延すら起こっていない。その表情から困惑が読み取れた。
「お前に時の能力は使わせないぜ」
厳密には使うこと自体はできるが、能力を使うことによる恩恵を一切受けさせない。異次元咲夜が時間の停止が使えなくなった以上は、ナイフの戦闘術を使って挑んでくることだろう。後は美鈴とフランドールの戦闘力次第だ。
どちら側も手負い。こちらは二人いるが、近接戦闘能力が特に長けている美鈴が片腕を失っており、戦力的には五分五分だろう。時の静止に異次元咲夜の戦闘能力は依存しているが、ナイフ術に関しては加速が常に使われているとはいえ一級品だ。一筋縄ではいかないだろう。
「フランドール」
異次元咲夜が自らの身一つで戦わなければならないことを察し、銀ナイフを生成していく。奴の準備が終わるまでに私たちは異次元霊夢のところに向かい始めなければならない。
「何かしら?」
レーヴァテインを作り出しており、その熱気に顔を背けそうになる。手で放射される熱を遮断し、すぐそばに歩み寄ってきていたフランドールに語り掛けた。
「どれぐらいと明確に言えるわけじゃないが…しばらくの間、あいつは時の能力が使えない。また使えるようになるまでに奴を倒せ」
異次元咲夜には聞こえないように、できるだけ小さな声で耳打ちした。フランドールがうなづくのを確認し、霊夢と共に後方に下がる。
私が霊夢と共に逃げようとしているのを異次元咲夜は察したらしく、作り出していた銀ナイフを振りかぶると、フランドールや美鈴を無視してこちらに得物を投擲した。
霊夢に向かっていくが、博麗の巫女はその程度では動じない。構えから軌道を予想していたと思われ、投げられた銀ナイフが数十センチも進む前に撃ち落としの体勢を整えた。
お祓い棒を構えていたが、銀ナイフがフランドール達の横を通過しようとした直前、吸血鬼の構えていた炎剣がナイフを撫で、高温で融解させた。
銀ナイフが大きく形態変化し、液状になったことで空気の抵抗が無視できなくなり、一気に失速すると地面に落下した。雨水など雫が落ちた時と同じく、赤くなるまで熱せられた金属が柔らかく地面の上を薄く広がった。
フランドールが迎撃してくれたことで、私たちはより後退しやすくなる。当初は逃走は難しいと考えていた異次元咲夜から、時間停止の影響を受けずに離れた。
異次元咲夜はこちらに追撃を加えたそうな表情をしているが、フランドール達に牽制されて銀ナイフを投げることができていない。距離を取っていくごとに木々で三人の姿が見えなくなっていく。
彼女たちの姿が木々で隠れ始めたころ、戦闘が始まったらしい。背面からオレンジ色の光が発せられはじめ、私や木々の影が揺らめいた。刃を打ち合わせる金属音が光とほぼ同時に耳に届いた。
「私はぁ、あなたに恨まれることをした覚えはないのだけれどぉ?」
異次元霊夢は鬱陶しそうな表情を浮かべたまま、私の攻撃を何度も受け止めている。危なげがなく全てを捌かれ、全てを弾き飛ばされてしまう。
渾身の力で殴っているはずなのに、一切ダメージを与えられていない。戦闘能力が特に秀でている人物のため、法術で隙を作り出さなければならないだろう。
「あなたにとって、取るに足らない存在…その程度だから覚えてないんじゃないかしら?なら、思い出させてあげましょう」
包帯でてきている拳を握り、お祓い棒を掲げる異次元霊夢へと猛進する。人間なら受け止めた得物ごと、握る手を吹き飛ばしているはずだ。
しかし、身体強化と衝撃受け流しの上手さで、衝撃に対応している。叩き込まれた力を返され、むしろ殴っている側である私の方が手にダメージを負っているのではないかと錯覚する。
頭部に拳を繰り出すが、下からお祓い棒で跳ね上げられた。腕力には多少なりとも自信があり、ちょっとやそっとの事では弾かれる事はないはずだが、骨格上の問題だろうか。
そんな生理学的なことを異次元霊夢が知っているとは思えないが、いつもの人間離れした勘が働いたのだろう。腕を引き戻そうとするよりも早く、お祓い棒が喉に叩き込まれた。
「がっ!?」
瞬間的であるが衝撃で気道が塞がれた。それだけにはとどまらず、胴体から頭蓋までをつなぐ頸椎が砕かれ、へし折られそうだ。だが、首を取り囲む筋肉で無理やり、脱臼しそうになる頸椎を元の場所へ押し戻した。
包帯の腕を薙ぎ払い、お祓い棒を振るった異次元霊夢を殴り倒そうとするが、身を翻して髪の毛すらも掠らせてくれない。
異次元霊夢は距離を置きながら、どこからか銀色に煌めく妖怪退治用の針を取り出した。指の間に挟んで持つ針が投擲され、十分の一秒にも満たない時間で、武器がこちらに到達することだろう。狙いはほぼ正確で、心臓や動脈などを狙って投げられている。
右腕としている包帯の形状を一時的に解除し、帯状の包帯が体が隠れる程度に大きく広がった。複数本あった針は正確であるが故に広がった包帯に絡まっていく。
貫通しそうになっていた針もあったが、身体に到達した得物は無い。広げた包帯を即座に巻き取り、針を巻き込みながら腕の形状へ戻した。包帯のどの部分が、身体のどこを担当すると決まっているわけではない。その都度自分のやり易い形で形成するため、投擲された針を握った状態で腕が出来上がる。
捨てることはなく、距離を取っている異次元霊夢へと投擲した。右腕が包帯を巻いた手ではなく、包帯でできた腕であることを今ので把握したらしい。何か思い当たる節があるのか、眉を潜めて適当に投げつけられた、脅威とランク付けするまでもない針を全て避けられてしまう。
「ああぁ、思い出したわぁ」
異次元霊夢はそう呟くと、回転しながら飛んでいた最後の針を空中でつかみ取る。力任せに握り、投擲していたことで奴の掴んだ針は折れ曲がっている。
私は忘れたことなど一度としてない。特徴的な手の傷や、リボンで隠れていて見えずらいが後頭部の傷。忘れるなという方が無理な話だ。
それと、十年前のあの日を。村や湖、森などの位置はほとんど変わらず、十年前からの違いと言えば、景色に人の手が入っているかいないかぐらいだ。
過去に私が異次元霊夢と遭遇した時は、そこには何もない森が広がっているだけだった。月日が流れ、十年の間に一年中花を求めて幻想郷を転々と移動する風見幽香が、その地点が花にとってより良い環境であることして、多くの時間をそこで過ごすようになった。彼女には不運だったと言わざるを得ない。
未だに森だったころの景色や、木々が力強く巨体を根で支える姿を思い出せる。動植物が活発になり、数多くの生が命を輝かせようと花弁を広げる姿。遠くに映る入道雲の堂々たる佇まいまで。そして、自分の腕が地面に転がる瞬間もだ。
雨の独特な匂いから、土の匂い、草木の匂い、それらを掻き消す強烈な血の匂い。鼻腔を擽るのではなく、鼻腔に纏わるそれは、手も足も出なかった私の敗北を意味していた。
自分の100分の1も人生を歩んだこともなさそうな少女に、吹き飛ばされるだけでは飽き足らず、右腕を捥がれた。抵抗すらできなかった。させてもらえなかった。
幼い容姿の博麗の巫女は、ここの世界にいた先代の博麗の巫女よりも頭一つ分も強かったかもしれない。気が付くと私は地面に伏せられ、目の前には右腕が二の腕から千切れていた。
私の中ではトラウマになっているのかもしれない。この十年で、この時の夢を見なかった日がない。こうして戦っている最中でも、千切れた切断面の腕がズキズキと痛んだ。
「魔理沙を探そうと最初に渡った世界だったからぁ、よーく覚えてるわぁ」
あの魔女の名前を呼び、嗤う標的は折れ曲がった針を手の中で遊ばせている。異次元霊夢が持っている針のストックが少ないのか、手放す様子はない。反対に曲げてまっすぐにしようとしているが、金属は繰り返す力に弱く、ぽっきりと半ばから折れた。
「あなたにとって、ほんのわずかな時間だったかもしれないけれど、私にとっては長かった。10年分の恨みを晴らさせてもらいます」
「元が鬼だろうと…ただの仙人が私に勝てると思ってるのかしらぁ…?」
私は10年前に手も足も出ずに、惨敗している。今回もそれと変わらない可能性は高い。その自信からか、挑発的な態度を異次元霊夢が取っている。どんな結果になろうとも、負けそうだから戦わないという選択肢はない。
闘気を感じ取ったのか、半ばから折れていた二本の針を異次元霊夢は投擲し、私は奴に向けて走り出した。通常よりも小さくなっている二本の針をはじき飛ばし、走りながら牽制で弾幕を放った。
異次元霊夢は体を余計に動かすことなくひらりとかわしていき、吐息がかかるほどまでに接近した。ここは私の間合いでもあり、奴の間合いでもある。人間にはできない方術をふんだんに使い、怒りを思い知らせてやろう。
包帯で形成された腕、握りこまれたお祓い棒が打ち合わされる。乾いた木と拳が打ち合わさったとは思えない程、強烈な打撃が腹に響く。衝撃が筋肉を伝って腕と肩を突き抜ける。筋肉だけではなく骨にまで力が伝わり、全身に広がっていく。
衝撃が伝わってきているのは、私だけではなく彼女も同じであるはずだが、そんなそぶりを見せず、数度の打撃を休む間もなく数度繰り出してきた。
私も退くわけにはいかない。後方に吹き飛ばされそうになるのを堪え、振るわれる奴の得物に拳を重ねる。重々しいお互いの攻撃に、衝撃が逃げ場を失ったのだろうか。打ち合わさると同時に拳圧で髪がはためいた。
「特に弱く感じたからどうかと思ったけどぉ…少しはマシになったかしらぁ?」
どの生物からしても短い、一秒にも満たない時間の間に4回の攻防が行われる。お互いの戦況が拮抗しているようで、どちらも一歩も引くことはない。最後の一撃は鍔迫り合いとなり、奴の顔がぐっと近くなる。
片手でお祓い棒を握ったまま、逆の手で物を摘まむ動作をしながら異次元霊夢は煽ってくる。奴に一発お見舞いしてやりたいが、少しマシになったという言動をひっくり返せないところから的を得ている。
「…っ…!!」
あれから私は強くなったつもりだったが、彼女にとってはドングリの背比べ程度でしかないのかもしれない。
鍔迫り合いになっているのをはじき返し、先よりも筋肉の回転数を上げた。魔力を使えても人間には変わりないはずなのに、異次元霊夢は私以上の速さを見せる。
伸ばした腕の関節部を、上から叩かれることで抑え込まれる。関節から腕が曲がり、攻撃能力の失った腕を異次元霊夢は掴みながら、お祓い棒で私の顔面を薙ぎ払った。
顔を打たれ、後方に吹き飛ばされた。予想できた攻撃だったことで、倒れてしまうことはなかったが、あまりの衝撃に膝をつきそうになった。
下半身に力を籠め、踏みとどまった。そこに異次元霊夢が妖怪退治用の針を投擲し、追い打ちを仕掛けてくる。それだけでは収まらず、お祓い棒を握りしめて奴自身も畳みかけて来る。
奴に針を投げ返しても脅威とされない為、投擲された鋼でできている針を拳でへし折りながら叩き落し、異次元霊夢の銀ナイフを迎え撃つ。
異次元霊夢がお祓い棒を大きく上に掲げ、大ぶりの一撃を放ってくる。今からでは間に合わず、下手に避けるよりも待ち構えていた方がいいだろう。
包帯の腕で振り下ろされたお祓い棒を受け止めた。人間だったら身体を支える背骨がどこかで砕けていてもおかしくはない、そんな衝撃が来るはずだったが、まともに受け止めるつもりはなく方術が発動する。奴からすれば手ごたえがないだろう。
前腕で受け止めていた部分の包帯が、針を投げられた時と同様に解れていく。一瞬のうちに広がった包帯を巻き取り、異次元霊夢のお祓い棒を掴み取った形で再形成された。人間では発揮できない力で捩じり取ろうとするが、私の行動は読まれていたらしい。
握力と腕力で引き寄せるよりも早く、骨格的にそれ以上曲がらない方向に捻じ曲げられ、お祓い棒を手放してしまうだけでなく、後方にすり抜けられた。
すぐに反撃することができない位置に逃げられ、振り返ろうとするよりも一歩早く、異次元霊夢によって足元を払われた。膝に当てられていなければ、半ばから足の骨を折られていただろう。
空中で身体が一回転し、景色が急速に移り変わる。魔力で反抗する力を加え、体勢を立て直す間もなく異次元霊夢が掲げていたお祓い棒が私の胸を捉えた。
胸から異音がする。打撃を受けた衝撃が肉体を伝ってくる音だけではなく、心臓などの内臓を取り囲む肋骨が幾本か砕かれる破砕音が、自分だけでなく異次元霊夢にまで届いたことだろう。
避けることなどできるわけがなく、浮いた体は意図しない形で地面に舞い戻った。背中から叩きつけられ、胸が締め付けられるほどの苦しさを覚えた。
肋骨がつながる、胸の前に存在する板状の骨である胸骨は粉々に砕け、肋骨も数本折れている影響で呼吸が障害されている。胸を上下させ、筋肉や横隔膜を使って呼吸を行おうとすると、痛みが神経を逆なでして激痛を生じる。
痛みに逆らってでも呼吸を行おうとすれば、激痛で失神してもおかしくはない。だからと言って呼吸をしなければ低酸素状態で意識を失うことになる。
肺に折れた肋骨が刺さらなかったのが軌跡と言えたが、これでは息をロクに吸うことができず、空気という海の底で溺死してしまう。
「やっぱり大したことはなかったようねぇ」
異次元霊夢は浅く、高頻度の呼吸で過換気を繰り返す私に言い放つと、横たわって反撃する気配すら見せない様子を鼻で笑う。悔しさが込み上げるが、攻撃に移れない。
無理やりにでも体を起こそうとするが、胸からの痛みを感じるほどまでに上体を持ち上げる前に、異次元霊夢に顔を踏み抜かれた。このまま私を踏み潰すつもりだ。
魔力や肉体を最大限に使われた踏みつけにより頭蓋が歪み、脳に圧力がかかる。頭が地面にめり込んでいき、痛みで思考が回らなくなっていく。
「がっ…ああああああああああっ!!」
絶叫で頭部と胸部の激痛を誤魔化し、顔を踏み潰そうとしていた異次元霊夢に拳を薙ぎ払った。胸をかばうようにして繰り出したため長い動作を要し、奴の影を掴むことすらできない。
それでも奴が避けるために離れていったため、拘束から解かれて助かりはした。だが、先ほどまであった別の問題が浮上する。無理やり動いたせいで胸に激痛が走り、抑え込もうと自然と体が蹲ってしまった。
酸欠で頭が回らなくなる前に魔力で痛みを遮断するが、ズキズキと疼痛が残り、呼吸を行うごとに体に響く。
出来れば痛みの遮断は使いたくはない。痛みに対して鈍感になれれば、攻撃を無視して反撃に移ることができるかもしれないが、感じていないだけでダメージは負っている。気が付いた時には動けなくなるなんてことにもなるかもしれない。
戦いにおいて、自分の体の事を察知できないのは弱点になりえる。魔力での鈍感化は最小限に止めるとしよう。
気絶してしまいそうになるほどの痛みが軽減され、ゆっくりではあるが立ち上がれるまでになっていた。しかし、勘違いしてはいけないのは治ってはいないということだ。
魔力で遮断しつつ、急ピッチで砕け、折れた胸部の骨を修復していく。最低でも1時間はかかるだろう。それまで待ってくれるような奴ではなく、負傷しながらも戦うことになるだろう。
初めから無傷で戦えるとは思っていなかったが、あまりにもハンデがきつ過ぎる。踏まれたせいだろうか、口の中で血の味がする。
咳などで喀血しているわけではないので、無理に動いた影響で肺に骨が刺さっているわけではないだろう。胸を片手で押さえたまま、戦闘体勢に移行した。
奴が攻撃に動く前に、こちらから攻撃に移れるように構えていると、私の予想とは異なる動きを異次元霊夢が行った。お祓い棒や針を構えるのではなく、ただ一言言葉を発した。
「爆」
こちらの博麗の巫女も、同じようなことをしていたのを思い出す。私の周囲に札を撒く気配はしなかった。どこに設置したのか魔力で探りを入れようとしたが、それが周囲の離れた位置にないことは感覚的にわかった。
さらに本腰を入れて探るまでもなく、異次元霊夢が札に含ませた魔力を感知した。すぐ近くにある、背中だ。奴が私の後ろ側に、すり抜けた時に仕込まれたのだろう。
鋭い淡青色の閃光が煌めき、体がバラバラに爆ぜそうになるほどの衝撃が駆け抜けると、光と同色の炎に包み込まれた。肌や服、髪に熱が伝達するよりも早く、私の体は前方に向かって吹き飛ばされた。
背中と胸の激痛で受け身を取ることや異次元霊夢の追撃の事など、頭から抜け落ちている。視界を塞いでいた炎が引いた時、目の前には巫女の姿がどでかく写り込んでくる。
「っ!?」
反撃よりも異次元霊夢の動きの方が速い。負傷している私の倍以上は素早く、お祓い棒による打撃を頭部に受け、首元には針を叩き込まれた。
魔力の作用だろう。札から噴き出した炎は、爆発の直後には集約して鎮火してしまっている。それでも熱気の残る陽炎が揺らめく空間を奴は通過していった。一瞬の出来事で、頭の処理が追い付かず何をされたのかわからなかった。
痛みや衝撃に圧倒され、受け身を取るための行動に大きな支障が生じる。吹き飛ばされてバランスが崩れた所に、更なる攻撃を叩き込まれたことで錐揉み状態となってしまう。これ以上攻撃を食らうわけにはいかないが、受け身を取れるだけの段階に思考は達していない。
それでもあと数秒もすれば、無様に地面に転がるということだけは脳の片隅にはあった。視界の方向が安定せず、森の景色や空、地面を写した後に背中から平面な大地に転がり込んだ。
「うぐっ!?」
あらゆる場所から痛みが発生しているのだろうが、あまりにも多源で発生源を特定することができなくなっている。数秒かけて勢いを摩擦でそぎ落とし、ゆっくりと止まった。
人間であれば虫の息だが、私は何とか体を起こすことはできる。しかし、立ち上がるに至らない。膝をついたまま、胸を押さえて息を整えようと荒々しく喘ぐが、酸欠は改善へ向かうことはない。
呼吸を繰り返そうとするが、数度の呼吸をする暇すら異次元霊夢は与えてくれない。どんっと骨の髄にまで響くのは、奴がこちらに向かって跳躍しているのだ。
私の死期だろうか。奴がこちらに向かってくるまでが、やたらと遅く感じた。一メートル、二メートル、三メートルと少しずつ距離を詰めてきて見えているはずなのに、それに対して一切行動を起こすことができない。
あと一度でも瞬きしてしまえば、目を閉じている間に異次元霊夢のお祓い棒が、私の頭部を叩き潰す。それを予期し、受け入れるほかなかった。腕力と体重を最大限に乗せた一撃が、放たれようとした。
異次元の巫女を、謎の光が包み込んだ。視界全体を覆う真っ白な眩い光は、熱気を放っており、咄嗟に顔を背けて手で覆っていなければ網膜や顔全体を火傷していただろう。
人間よりも一回りも二回りも巨大な弾幕。これには見覚えがある。どこで見たのかは、思い出すことはできないが、確かに誰かが放っていた。
しかし、思い出した光線よりも、目の前で巫女を薙ぎ払った弾幕の方が派手さがない気がした。
数秒かけて私を助けてくれた弾幕が収まり、熱気や光から顔を守っていた手を眼前からどかすと、熱で抉れた地面から蒸気を放っているのが初めに見えた。
弾幕が来た方向に視線を動かしていくと、レーザーを放った人物がゆっくりとこちらに向かっている。緑の髪を揺らし、死んだと聞かされていた花の妖怪が立ち止まる。
「私の顔に何かついてるかしら?」
呆気に取られて彼女をまじまじと見つめていたせいだろう。花の妖怪である風見幽香がため息交じりに呟いた。いつも日傘で使っている傘は、閉じられて得物として握られている。
「いや……そういうわけでは…」
「まあ、いいわ。それよりも、早く戦闘に戻ってほしいのだけれど?」
大事な戦闘の真っ最中だった。胸をかばいながらなんとか立ち上がり、弾幕で薙ぎ払われた異次元霊夢の方向を見ると、無傷で蒸気が立ち昇るレーザーの通りに道に佇んでいる。
あの完全に攻撃体勢へ入っていた段階でも、防御に移っていたとは、化け物以上に化け物であるとしか言いようがない。
「本当は、一人で片づける予定だったけど…あれは一人じゃ手に余る……当然、手伝ってくれるわよね?」
今の私は戦力の一人として数えていいのかわからない。一瞬返答することに躊躇したが、このまま何もせずに戦いが終わってしまえば、これまでの事が意味のない出来事になってしまう。
「勿論」
遅くなってしまったが、ハッキリと返答を返すと、満足げに異次元霊夢の方向に向き直った。
作戦会議をしている暇はなさそうだ。防御のための結界を解いた異次元霊夢は既に腰を落とし、攻撃の段階へと移っている。
「来るわ」
花の妖怪が呟くが、それを言わなくてもわかるほどに異次元霊夢の殺気が増悪していく。こちらも、それに負けてはいられない。
全身に最大限の強化を施し終えた時に、異次元霊夢が駆け出した。風見幽香は遅くはあるが、回り込む形で横に走り出す。動くことが難しい私はその場に陣取り、正面から奴を迎え撃った。
怒号を絞り上げ、体重を乗せた拳を放った。
次の投稿は5/29の予定です