それでもええで!
という方のみ、第百五十九話をお楽しみください!!
次の投稿分も書けているので、来週も投稿します。
視界内に映る景色が、前方から側方、後方へと移っていく。手の届かない遠方ではほとんど動きのない背景だが、観測者である私が進めば少しずつ、その動きや情景が拡大されていく。
楽しむべき情景だが、それをボーっと見ている余裕は私には無い。目的があり、必死に足を動かし続けなければならないのだ。
「ぜぇ…ぜぇ…!」
喉に何か詰まっているのではないか。そう思える程に、気道を通る空気が喘鳴を奏でる。喘息持ちなどではなく、どこを取っても健康そのものであったはずなのに、こんな時に限ってどうして息が切れてしまうのだろうか。
攻撃を受けたわけではない。腕の一部を欠損して左右のバランスが崩れ、走るのに影響が出ているわけではない。足を負傷し、杖を突いているから、呼吸がままならずに息が切れているとも違う。
ならなぜか。単純に、運動不足である。それぐらいなら魔力でどうにも出なるが、魔力で補っても補い切れていないのは、走り方が絶望的なまでに下手くそなのだ。自分ではわかっているつもりでも、運動音痴はどうにもならない。
体を大きく揺らしてしまうし、腕もやたらと振ってしまう。飛び跳ねるようにして走るため、体力の消耗が凄まじい。普段から走っていたり、体力がある人物なら十分、二十分程度なら屁でもないだろうが、それを敬遠していたツケが回ってきている。
「ぜえ…!ぜぇ…!」
吐きそうだ。食後でもないのに脇腹がズキズキと痛みだし、更に歩調を乱す要因となる。膝から崩れ落ちそうに何度もなりながらも、走るのを止めなかったのは褒めて貰いたいぐらいだ。
緊急事態であるため、止まることはできない。急いでしまっているが故に、体力の配分を明らかに間違えてしまっている。あと数百メートルで着くというのに、あと少しという距離が腹立たしい。
肩越しに振り返ると、寸分の狂いもなく地面に敷かれている石畳が、向かっている方面と同じぐらいの距離続いている。道の両脇には寺の者の手が入り、手入れが入った木々が群生し、石畳と並行して寺まで続いている。
時刻は丑三つ時でとっくに日付が変わっている。そんな夜遅くだというのに、なぜ石畳がきれいに並んでいるのが見え、木々の手入れ具合まで捉えられたのかは、周囲を照らす光が煌々と輝いているからだ。
振り返った石畳の先、ずっと奥は確か村があったはずだが、その方向から強力な光が見えた。それが何なのかはわからないが、とにかく今は足を動かさなければらない。
こんな時間帯で他人が住む場所に押し入るなど、普段なら迷惑極まりない状況である。だが、今だけは押し入っても文句を言う者は居らず、それをしてでも伝えに行かなければならなかった。
「いそが…ないと……!」
慣れない運動で、肉離れなどを起こしてしまいそうだ。魔力で雑に身体を強化しながら、歩を無理やり進めた。滝のように汗を滴らせ、体中汗だくになってしまう。昼の暑苦しさはない物の、湿度が高く風がない事で蒸し暑い。
ようやくだ。数十分の長すぎる道のりを終え、人前に絶対に晒したくはない状態のままで、見上げるほどに高く、幅も広い門をくぐった。緊急事態であるためか、入信している人間や妖怪が見張りのように石畳の道に目を向けている。
関係者に含まれるらしく、門をくぐっても妖怪や人間たちに呼び止められることはない。説明するのも手間であるため助かった。
数百平方メートルはあるだだっ広い庭には、門の前に居た人たち以上の入信者たちが数十人集まっている。皆、不安そうな顔をしており、事の重大さが伝わってくる。
寺と私の家は、村よりも近い位置にあったはずだが、村人が先についている事で、自分の運動能力の無さを実感する。これなら、私がここまで急いで来る必要はなかったかもしれないな。
村で何かが起こっているなら、彼らの方が詳しいだろう。聖に話の方は伝わっているだろうし、息を整えながらご主人達のところに向かうとしよう。
寺に通っていれば、私がご主人や聖たちの知り合いだということはわかることだろう。門徒であるわけではないが、彼女たちの認識では関係者であるため私の通る道を開けてくれた。
不安が波打つ壁の間を抜け、本殿の方向へと近づいていく。空気を肺に取り込み、脳に栄養を送りつける。酸欠で頭が回っていなくて、話すときに支離滅裂なことを言わぬよう頭を冴えさせた。
走っている時と大して変わらない歩調で、その間を歩んでいく。汗を拭きとりたいが、生憎急ぎ過ぎてタオルなど持ち合わせてはいない。夏でも薄手の長袖を着ていたおかげで、額から滴る汗を拭えた。
汗を拭いたそばから汗腺から汗が分泌され、拭いても拭いてもきりがない。夜中ということで気温自体は低いが、すぐに引くことはないだろう。眉から流れ落ちてきた汗が目に入りそうで、顔をしかめた。
縁側のそばに半分埋められている靴脱ぎ石に昇り、右足の踵に左足のつま先を付け、靴が一緒に上がらぬように右足を上げた。同じ要領で両足の靴を脱ぎ切り、縁側に上がった。
足で体を持ち上げようにも疲労で太ももに力が籠らず、縁側まで体を持ち上げるのに一苦労した。膝から崩れそうになったが足を動かし、命蓮寺内に入り込んだ。
靴下を履いた、歩く音が寺内に響く。走ってきたからだけではなく、起きている事の大きさから心拍が高鳴るほどに緊張している。自然と探す足も早まった。
聖の宗派を支持し、ついていくご主人や村紗の姿が見えないのは、集められているからだろう。今までにない、人間が直接狙われる大規模な異変であることで、我々も参戦するかどうか話し合っていると考えられる。
ペタペタと歩く音が、廊下に大きく反響して嫌に響いている。この音で彼女たちの声など消えてしまうのではないだろうか。声が聞こえれば絶対に気が付くだろうが、部屋から漏れる光を頼りにして、どの部屋にいるのか探した。
彼女たちは一番奥の部屋にいたようで、障子にぴっちりと貼られた障子紙を、蝋燭の光が透過して揺らめいているのが見えた。
光度がないのは、蝋燭の残りが少ないのだろうか。それとも、スキマ風に煽られて灯が消えてしまいそうなのだろうか。
ドアなどがないため、ノックすることができない。廊下から中にいる聖たちに声をかけた。足音から私が来ていることぐらい、中の人物らは察している事だろう。
「入るよ」
一言だけ伝えると同時に、横にスライドして部屋の境となっている障子を開いた。緊急事態であることはわかっているため、急いできた私を咎める者はない。
「来ましたか、待っていましたよ」
聖が部屋の一番奥に正座で座り、そばに頼りない光を放つ蝋燭が置いていある。村紗やご主人は、僧侶には見えない聖に向き合う形で座っている。
話し合っている雰囲気から、村の方向で何かが起こっているのは、彼女たちも承知のようだ。聖を除いて外の人間たちと同じように、皆の表情は不安が色濃い。
「まったく~遅いよナズ」
不安はあるが、張りつめた空気を和ませようと、村紗が待ちくたびれちゃったと大きく伸びてからかってくる。
「村紗、すまなかったな。それで、どこまで話したんだい?」
彼女を軽く流し、本題に移ろうとすると、酷いなーと愚痴を零して頬を膨らませるがそれも軽く流した。
「なにも、あなたが来るのを待っていました」
私は彼女たちが掲げる信仰を信じ、入信しているわけではない。言わば部外者に近い。そんな私を待って居られていたということは、この異変の重大さが伝わっていないのだろうか。
「遅くなってしまって申し訳ない。先に話していても良かったと思っていたが、でも、事の大きさを伝えるのには…待っててもらって正解だったかもしれない」
座っている彼女たちの後ろを通り過ぎ、蝋燭を挟んで座っている聖のそばまで話しながらゆっくりと移動した。開始が遅く、出鼻をくじかれているに近いが、あの異変が起こってからまだ大した時間は立っていない。まだ、何とかなるだろう。
待機してくれていたことで何度も説明をする手間が省けたし、戦いにもし参戦するとして、ロクな準備もしていない内に向かっているなどと、ならなくてよかったと心底思う。
「村人たちから、何があったのかは聞いているかい?」
「いいえ」
外の人間たちは動揺したり、不安そうな顔をしていたが、パニックを起こしているようには見えなかった。冷静な人間が多いのであれば、話を聞くことぐらいはできるはずだ。彼女も情報収集が一番大事だと分かっているはずだが、どうして話を聞いていないのだろうか。
「ここにいる全員、誰からも聞いてないのかい?」
今までにない異変だというのに、後手に回っているどころの話ではない。多少なりとも情報が伝わっていれば、こちらから話すことは少なくなり、よりスムーズに話が進むはずだった。
まったく、酷い体たらくだ。と半分呆れ返り、座っている者たちを見回していると、表情が変わらない聖が口を開いた。
「庭に集まっているのは、今日泊りがけで修業を行っていた門下者です。今起こっていることは、何もわからないそうです」
「……。そういうことね」
私の方が村人たちよりも命蓮寺に近いのに、寺に向かうこれだけの人を一人も見かけなかったのは、足が遅すぎるせいではなく、目的地に既にいたからか。
「そういうことならすまない。…さっそく話に移ろう。大方予想は付いていると思うが、村が狙われた」
私の一言で、表情を変える者が数人いる。ご主人辺りは取り乱しそうだったが、思ったよりも冷静だった。これまでの異変では、特定の限定的な場所が襲われることはなかった。基本的に幻想郷全体がかかわり、狙い撃ちがなかったために、いつもと異変が何か違うことを示していた。
村が狙われたということは、当然だがそこには村人がいる。命蓮寺に入信している人数は、今日泊まり込みで修業があった数十人だけではない。入信者の三分の一にも満たない人数で、残りは村にいることになる。
異変を起こすその人物たちは個人の目的に沿って動き、大抵が幻想郷全体を巻き込む、大きな戦いになる。否応なしに巻き込まれるとはいえ、敵意は間接的だ。
今回はどうだろうか。直接襲われているため、村に入信者である身内が危険にさらされている。今までの異変と違い、介入しなければならない。
「君たちにとって、これは無視できない。相手が今までみたいに、直接手を下さずに穏便に終わらせる可能性が無いわけじゃないからね」
「なるほど、村でしたか」
何の光かはわからなかったが、光っている方向から、どこの地点かを予想していたようだ。まあ、月明かりもないのに石畳の目がわかるほどに明るければ簡単か。
「なるほどって、予想できたのかい?異変が始まるのは基本的に何かが幻想入りした時だ。ここ数日、数時間でその気配はなかったと思うけど…」
「そうでもないと思いますが…」
数日前に幻想入りが始まったのであれば、わからない可能性もあるが、それならばそれなりの情報が人伝いにでも入るはずだ。
人里離れた位置である可能性も捨てきれず、そうなると人間側からの情報は期待できないだろう。しかし、私には人ではなく動物伝いに情報が入ってくる。
鼠たちからは、新しい地形が増えたという情報が来ていない。人からも、動物からも情報が入ってこないのであれば、数日前から奴らが幻想している可能性は低いと思われる。
となれば、直前に幻想入りしたのだとするのが妥当だが、先ほどまでずっと起きていたが何かが幻想入りする感覚はしなかった。
「そういうことなのか…」
幻想郷外の者が幻想入りしてきた可能性を更に否定できた。何よりも、早すぎる。幻想郷全体に対する異変であれば、幻想入り直後に開始しても違和感はないが、村人だけを狙うとなると計画的に見える。
幻想入りする側が、初めて来た世界のくせに随分と地理に詳しいように見えるのは、ように見えるのではなく、詳しいのだ。
「つまり、君が言いたいのは…新たに幻想入りした奴が異変を起こしたわけじゃないってことかい?」
「ええ、近いうちに誰かが動くとは思っていましたが、これだけ早いとは思いませんでした」
この世界内に元からいた人間が異変を起こそうとしているなら、人間関係に乏しい私よりも聖が知っているのは当たり前だが、知っていたのか。
「聖、君は知っていて何もしなかったのか?」
「そうとも言えますね。誰かが動くことは知っていましたが…誰が、どこに対して動くのかは知りませんでしたから、尻尾を出すまで動けませんでした」
それもそうか、彼女が集めた情報も正確かどうかもわからない。情報が不鮮明であるうちに、大きく動くのは得策ではないだろう。聖がそれを知っているということは、博麗の巫女の耳にも入っているはずだ。
聖が大きく動いて、異変解決の妨げにならないようにするのは、当たり前か。これについては聖も村が狙われるとは思ってもいなかっただろうし。
「そうだね…。それで、どうするつもりなんだい?」
直接的に入信者が襲われたのだ、参拝道で小傘が参拝客を驚かせるのとはわけが違う。これを聞くこと自体愚問だろう。
「勿論、我々も参加します」
その言葉が出てこないわけがなく、水蜜や一輪が村に向かう準備のために、動き出そうとした。その中で、ご主人が動かずにじっと座っていることに気が付いた。
見た目や表情から、温厚で冷静そうに見えるが、実際のところはかなり感情に振り回されやすいところがある。そのご主人であれば、身内を助けようと我先に動くと思っていたが、動き出す気配がない。
「……ご主人…?」
何だろうか、いろいろと話している間から、ずっとひっかがっていた違和感が顔を覗かせてくる。説明できず、気のせいかもしれないが、普段の彼女とは何かが違う気がする。
「星、何してるのよ。あんたも早く準備するわよ」
私が声をかけたことで、動いていないことに一足先に立ち上がっていた一輪が気付いたらしく、早く準備することを促す。だが、それでもご主人は動くことをしない。こちらに背を向けた状態で座り込んでいるので表情が見えない。
「?」
水蜜や一輪、ぬえが首をかしげている中で、胸の中で燻ぶっているモヤモヤが、ざわついて来た。聖の我々も参加するという言葉が、含みのある物に聞こえてくる。
「行く前に、あなたたちに少々決めていただきたいことがあります」
聖は、口元だけを微笑ませ、移動しかけていた私たちに語りかける。これから忙しくなるが、危ない異変になることが予想されるために、行くかどうかを決めて欲しいのだろうか。
「どうかしたんですか?」
室内でもフードをかぶり、修道士のように見える一輪が、動こうともしない代理に代わって聖に返答を返した。行くか行かないかの決め事など、この状況なら聞くまでもないだろう。
「私たちに、協力していただけますか?」
「どうしたんですか?改まって。…協力するにきまってるじゃないですか」
当り前なこと聞かないでくださいよと、一輪は表情を緩ませて軽く笑いながら言うが、いつもなら張りつめる空気が和んだだろうが、この場に留まる変わった空気は拭えない。
雲や霧状で、ほぼ実体がないように見える雲山も、自分たちが知らない間に聖に何かあったのかと目を向けている。表情は変わらないが、心配をしている雰囲気は伝わってきた。
「そうですね…、私が聞きたいのは」
聖はそこで言葉を切ると、手元や私たちとの間でチラチラと揺らめくともし火を眺めていたが、顔を上げて目線を合わせた。口元しか笑っていないように見えたが、本当に目が、目の奥が笑っていない。
「異変への加勢に対して、協力するかどうかです」
聖らに対する違和感の正体が解けた。異変が起きており、その場所がわかっているのに動いていなかった部分だ。異変の内容や身内が襲われているというのに、異変を解決する戦闘員ではない私をわざわざ待っていたのは、この部屋に入れて逃がさない為か。周りの連中に、後々合流した際に入れ知恵を入れさせないように先手を打たれたわけだ。
「か…加勢……?どういう……ことですか…!?」
明らかに動揺している。僅かに声が裏返ってしまっている一輪が、聖に言葉の意味を問いただした。彼女が聞いていなければ、彼女以外の誰かが聞いていただろう。
私も一輪と同様に聞き返したかったが、恐らくは聞き間違いではないだろう。聖は異変解決の加勢ではなく、異変への加勢と言った。彼女は異変を止めに行くのではなく、参加しに行こうとしている。
「そのままの意味です。このタイミングを逃すわけにはいきませんので、解決のためにではなく、他の者から横取りするために協力してください」
話を聞いている段階から、まじめな性格をしている一輪の表情が険しくなっていき、食って掛かる形で異議を申し立てようとするが、私の方が一歩早かった。
「何を言っているんだ君は…?」
とても正気とは思えず、聖の言葉や怒りをあらわにしようとした一輪を遮った。この僧侶は、今まで苦労して積み上げてきたものを、全て無に帰そうとしているのだから、こうなるのも当たり前だろう。
「君は何のために開山した?力の弱い妖怪も、人間も平等としていた。異変を起こすということは、そのバランスを崩す他ならない。それは君の教義に反するはずだ」
「君がいなかった数百年で、まとめきれずに寺は荒れに荒れて、どうしようもなかった。でも、そんな中でも君が掲げる教えが暴走して間違った方向に行かなかったのは、ご主人がまとめていたからだ。君は、その努力も無碍にして壊すつもりなのかい?」
苛立ちが勝っていたのだろうか、口調に怒気が含まれ、問い詰めるように威圧的な話し方となってしまう。だが、私が体格に恵まれなかったことや、そういった掛け合いをしてこず、不慣れであったことで彼女には全く効いていないようだ。
間違った思考をしていると、彼女の感情を揺り動かすことはできなかった。何かを察するような表情を浮かべることなく、小さく微笑んだ。
「そんなことが、何だというんですか?」
ご主人の努力も、これまで積み重ねてきた命蓮寺の信頼も、彼女にとってはどうでもよい物だったのか。門下者に語っていた教えも信念があったわけではなく、ただの形だけで行っていたのだろうか。
「…っ…」
もっとマシな、否定的な返答があれば反論することができただろう。そこまで突き通され、そんなことで済ませられてしまうと、何も言えなくなってしまった。これまでの事と、これからの事を天秤にかけさせたとしても、自分の利益が勝ってしまったようだ。
「ナズーリンは何のために命蓮寺を開いたか。そう聞きましたね?そんなの、自分のために決まっているでしょう?…いつか来る終わりの時を、恐怖せずに迎えられるように…まあ、どちらも無駄になりましたが」
いつか来る終わりの時。それは我々に向かって掲げていた教義を捨てると宣言し、社会的に死ぬことを言っているのではない。聖が物理的に死ぬこと、命を全うすることを言っている。それを相当なまでに忌み嫌い、現世に留まりたいとしている生への執着は、魔女になる前後で何かあったのだろう。それが彼女を暴走させ、狂わせている。
殺される可能性を無視すれば、妖怪である私の寿命というのは、途方もなく長きに渡って続くだろう。だから、寿命が迫っていることを予期している聖の気持ちを知り得ることはできない。
私たちの知らないところで、どれだけ聖が苦しんできたのかなど、私には計り知れない。だとしても彼女の意見など、容認することはできない。
「……っ…。ご主人も、何とか言ったらどうなんだ!ずっと黙ってるじゃないか!何百年も君が守ってきた物が、全部無駄になるんだぞ!」
話しかけたはいいが座ったままこちらに見向きもしないご主人は、私が怒鳴りつけても立ち上がったり振り向こうともしない。
聖がいない何百年もの間、ご主人を監視していた。紆余曲折し、どうにか命蓮寺を立て直そうと努力を重ねていた。その姿を見ている者からしたら、聖のやろうとしていることは許せるわけがない。
「私も、そんなこと…もうどうでもいいですよ」
本人だってはらわたが煮えくり返る思いのはずなのに、彼女は聖の狂気に共感し、賛同してしまっていた。裏切りに等しい行為に、私は思わず口を噤んだ。
感情を剥き出しにすることもあるが、いつも冷静でいた。冷静だったとしても声には元気があった。しかし、今はどうだろか。聞いたこともないぐらい無気力で声に張りがない。本当にどうでもよくなってしまったのだ。
「これで、満足しましたか?…今起きている異変に加担をして、力を得られれば私は長い命を得られる。さあ、私は目的を話しました。次は、あなたたちの番ですよ。………共に戦うか」
聖はそこで言葉を止め、我々のように立ち上がった。しかし、雰囲気は先ほどまで話していた穏やかなものではない。吐き気を催すほどに荒々しく殺気立っている。
「それとも」
懐から取り出した戦闘で使用する巻物を、聖は巻き取ることを考えていなさそうな動作で開いていく。巻物が解けないようについている紐を解き、内容が書いてある本紙につながる押さえ竹を掴んだ。軸に巻き付けられた巻物を投げる形で開き切る。
「ここで死ぬか」
紙ではなく、魔力で作られた巻物は、そこに魔力を流すだけで魔法を発動できる。云わば、カード式のスペルカードと同様の効果がある代物だ。開いた段階で既に淡青色に光っていたが、聖の魔力に呼応すると七色に輝いて魔法が起動したことを示した。
「…っ!!」
聖は冗談やカマをかけているのではない。自分に従わなければ、本気で私たちを殺す気なのだと証明してくれた。醸し出す殺気に気圧され、後ずさりする私たちの合間を、大きく進むことで潰していく。
聖の成そうとしている事に賛同の意を込めるご主人は、これから行われるであろう殺害の対象外のようだ。詰め寄ろうとする聖から逃れようとするあまり、気が付くと壁を背負っていた。
出来ることならば数百メートル以上の距離を聖から取りたいが、この小さな鳥かごの中では、身じろぎ一つするのでも命取りな状況へと陥っていく。とても正気とは思えない。
「ひ、聖…!」
恐怖からだと断言できる。彼女に投げかけた声が震え、みっともなく上ずっている。冬でもないのに、歯がカチカチと打ち合わさった。自分ではしっかり話しているつもりでも、他から聞けば非常に聞き取りずらいだろう。
「どうしましたか?ナズーリンは生きたいですか?死にたいのですか?」
「馬鹿を言うな!…い……生きたい決まっているさ…!私が聞きたいのは……寿命を延ばす手段だが……本当に伸ばせる自信があるのか?」
異変を誰かが起こし、成そうとしている目的を奪おうとしているのはわかる。しかし、聖が求めている形で異変が行われるとは限らないし、本当に伸びるのかもわからない。
いや、村で異変が起きているのを聖は知っている。どういった形で行われるのかも知っている可能性がありそうだ。
「勿論あります。でなければこんなに自信をもって動くわけがないですから」
どうにか時間を稼ごうと口を開こうとするが、異変を横取りしたい聖はこれ以上会話をするつもりはないようで、話そうとするよりも早く私たちに向けて一歩前へと進んだ。これ以上関係のないことを話したら殺す。そういった意味合いが込められているのだろう。
「早く答えてください。私には時間がないのですから」
聖は全員に言っているのだろうが、会話をしている私を特に見下ろしている。いつもの優しそうな彼女の顔ではない。威圧的で、殺すことに一切の躊躇がない事だけは、言葉を発さなくても伝わってきた。
ナズーリンが少しでも武術を嗜んで戦いを知っていれば、歩み寄ってくる前と目の前に立った時とで、聖の身長が僅かに低いことが分かっただろう。重心を下げ、いつでも殴り殺せるようにしている。
いずれは言わなきゃならない事だ。ならば、この際ハッキリ言ってやる。長らく恐怖を植え付けられるぐらいなら、一番に抜け出した方がましだ。
「断る」
たった一言だが、彼女に伝わらないわけがない。私には予備動作が全く分からなかったが、次の瞬間には眼前一杯に拳が映り込んでいた。
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