それでもええで!
という方のみ第百六十三話をお楽しみください!!
何度得物を交えただろうか。ジリ貧は現実的になり、私も華扇も異次元霊夢に指一本も触れられず、髪の毛の残像すらも掴めていない。当たらないのもそうだが、攻撃の回数にも変化が現れた。
こちらが一度、傘か拳で攻撃する間に異次元霊夢からは2回もお祓い棒での打撃を受ける。妖怪であることで今のところ耐えられてはいるが、そう長くは戦っていられないだろう。我々の体力も無限ではないのだ。
最初に1人で戦っていた華扇の疲労は、目に見えてピークに達している。キレのある異次元霊夢の打撃には程遠い、欠伸が出てしまう鈍い拳を避けられ、お返しにお祓い棒を三度も叩き込まれた。
「かっ……!?」
腹部と胸、脇腹に流れるような滑らかな動作で殴られると、仙人は膝から崩れ落ちて倒れそうになるが膝で耐え、異次元霊夢に向かって行こうとしている。
彼女を動かしている原動力は体力ではない、そんなものは既に底をついている。今、エンジンを噴かしているのは復讐心から来る執念だ。
華扇が掲げている復讐の理由はわかりやすいものだ。失った右腕だろう。十年ぐらい前だっただろうか、まだ霊夢が博麗の巫女になる前の話だが、腕を失った時の華扇にでくわした事があったのを思い出した。
当時は今ほど博麗の巫女が緩くなく、妖怪の殺傷などは日常茶飯事だった。その一環で華扇も腕を奪われたのかと思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。
連中がこの世界に来たのは今回が初めてではない。魔理沙が何らかの方法で連中の世界からいなくなった時、奴らは慌てて探したのだと思う。
追い詰めて暴走の段階となっていたため、時間との勝負だったのだろう。他の世界に渡り、そこに居なければすぐに移動を繰り返して探していたと考えられる。一つ一つじっくり探している暇がなく、滅ぼされる事がなかった数少ない世界の一つがここだ。
一度探して見つからなかったこの世界にまた来た理由はわからないが、自分の腕を奪った奴と対峙できて、負けそうとはいえ華扇からしたら絶好の機会だろう。
「ふっ…!」
華扇に攻撃を加えた異次元霊夢を後方から強襲をかけるが、背中に傘が当たろうという寸前ですり抜けられ、脇腹や腹部に通り過ぎざまで叩き込まれた。食らった強力な攻撃に吹き飛ばされ、背中を木に打ちつけることとなる。
倒れはしなかったが、あと何回耐えることができるだろうか。私の体力も限界に近い。手足が重く、紙のように軽く感じていた傘がやたらと重い。
身体の重さが疲れから来るのか、それとも心臓の拍動が無い体では、効率よく血流を全身に送れないのだろうか。今回はどちらというよりも、両方が原因だろう。
「はぁ…はぁ…!」
この程度の戦闘で息が切れてしまうとは、流石は体の中で一番重要な器官なだけはある。だとしても、私が歩みを止める理由にはならない。
華扇はまだ異次元霊夢に迎える体勢ではなく、こちらに突っ込んでくるのをとめることは期待しない方がいいだろう。能力で花を成長させて妨害を図るが当たらないのが不思議なぐらいすり抜けて行く。
そよ風程度も邪魔になっていない。こちらに近づくごとに弾幕の密度を濃くしているが、なぜ当たらない。同時に5本の弾幕が畳み掛ければ、流石の巫女でも数本の花を叩き潰してじゃないと前進できなくなってはいるが、当たることはない。
私までの距離はあと十メートル。能力を最大出力で発動するのには早すぎる。もっと目の前まで惹きつけなければ、異次元霊夢に一撃入れられない。
「っ…!」
異次元霊夢が恐ろしいスピードで距離を詰めてきている。一呼吸する間に十メートルあった距離は、半分以下にまでなっていた。まだだ、もう少しだけ。
息を整え、数歩先に行くだけで手の届く範囲に到達しそうな異次元霊夢が、その数歩を詰めてくるのを待っている。生き物を狩るに当たって、深追いは禁物であることを思い出させてやる。
巫女の腕が本当に二本なのか疑いたくなる。左右や正面から同時に襲い掛かる花を一瞬で撃ち落とす。異次元咲夜がどこかで見ているのではとさえ思える。
異次元霊夢が絶え間なく襲いかかる花の弾幕全てを、お祓い棒で引き裂きながら大きく前へ前進した。薙ぎ払いはそのまま私の頭部を叩き潰す勢いだったが、鼻先を掠めてお祓い棒は通過していく。
今だ。
大量の魔力を消費し、固有の能力を最大限に発揮する。10本にも満たなかった花の弾幕が、百を超えて地面から急速成長した。
人間どころか、鼠の一匹すら逃がさない密度での弾幕だ。いくら博麗の巫女だとしても、これを無傷で抜け出せるものなら抜け出してみろ。私自身が弾幕の妨げにならないよう、横に大きく飛びのこうとするが、半歩も進まないうちに後方に引っ張られて動きを阻害された。
「っ!?」
左手に違和感があり、目を向けると鎖状に伸びて来た札が巻き付いている。異次元霊夢の魔力が通っているとはいえ、引き千切れないことは無いが、その分だけ花の弾幕を遅延させなければならない。かわされる確率が大幅に上がってしまう。
傘で鎖を引き千切ろうとするが、札を巻き取りながら異次元霊夢に一瞬で詰め寄られた。吐息がかかるほどに巫女が接近したということは、得物を持つ私では攻撃をまともに繰り出すことができない距離だ。
巻き取ると同時に引き寄せられたことで左手が持ち上がり、左わき腹ががら空きとなる。振り上げていた傘で防御することは不可能であり、大人しく異次元霊夢の打撃を身体で受けるしかない。
胸に抉り込むお祓い棒により、衝撃が一番伝わった肋骨が大きく歪む。ミシリと嫌な音を立てて肋骨の形が微妙に変化していくが、その音を遮って硬い物に亀裂が入る乾いた音が鼓膜に響く。
妖怪の、強化された強靭な骨が折れただけで、博麗の巫女の攻撃が終わるわけがない。薙ぎ払った得物の威力が骨の強度を上回り、亀裂を生じさせるまでに衝撃で体が数センチであるが空中に浮き上がっていた。
こうなるともうどうしようもなくなってしまう、踏ん張るのは地面との摩擦がなければ成り立たない。花の弾幕は足場の目的で作り出したわけではないため、脚が届く範囲で、かつ、地面を這うようにし異次元霊夢に向かっている物はない。
異次元霊夢の振るった運動エネルギーが骨から周囲の肉体に移っていき、空中を闊歩する妖怪に引けを取らない速度で吹き飛ばされた。急速に視界の中にいる巫女の姿が小さくなっていく。
その過程で後方から向かわせていた花の蔓を千切り取ることとなり、私自身で奴の逃げるためのルートを作り上げてしまった。案の定、異次元霊夢は私が通った場所をなぞって弾幕をすり抜けた。
何かに衝突する前に魔力の作用で減速させ、地に足を付けて踏みとどまる。呼吸などで少しでも動こうとすると、胸に鈍い痛みが広がる。何本折られたか自分ではわからないが、左側を二本から三本は確実に折られているだろう。
「それでぇ?もっと面白い事をしてくれるのかしらぁ?」
この程度はピンチの内には入らないらしい。笑ってこちらを挑発する余裕が異次元霊夢にはある。化け物以上に化け物している。
魔力で痛みを緩和させつつ、治癒を促進させた。骨折が治るのはずいぶん先の話であるが、折れたままでは運よく今は刺さっていないが、近いうちに肋骨が肺に刺さってしまうだろう。少しずつでも治さなければ、後々首を絞めることになるかもしれない。
華扇も、私も、もう満身創痍だ。ここに誰かが参戦したとしても、二人が倒れるのは時間の問題だろう。
痛みをできるだけ感じぬよう、浅い呼吸で息を整える。数メートル先に立つ異次元霊夢に得物を向けて構えると、小さなため息をつく。往生際が悪いと。
往生際が悪くもなる。私にも、華扇に負けないぐらいに奴らに、あの子たちに手を出した報いを受けさせたい。絶対に、許すわけにはいかないのだ。
今でこそ人間関係が最悪で、こちらに関わろうとする人物を例外なく滅ぼしにかかろうとしているが、最初から性格が絡めとられたスパゲッティーのように捻じ曲がっていたわけではない。
原因は私の一番古く、鮮明に思い出せる一番忌まわしい思い出だ。確か、花の中に座っていた記憶だ。身長も今ほどに高かったわけではなく、容姿ももっと幼かった。服は不思議と今と変わらず、傘も持っていなかった。
風が頬を撫で、良い香りが鼻孔に付く。どれだけ日差しの中に投げ出されていたかわからないが、延ばしていた足が太陽の光でじりじりと焼かれ、熱を持つ。
座っている部分は自分か周りの環境で日陰になっていたようで、暑さはほとんど感じない。少し冷たいぐらいだ。地面についていた手からも、冷たく湿った土の感触が伝わってくる。
いくつもの外的刺激があり、どれだけの時間がかかったかわからないが、私はようやく自分の意識というものに気が付いた。
「………は…っ…」
ここはどこだろうか。その疑問が一番最初に浮かんだ思考である。視界内は六割を緑色が占め、残りが白や赤、黄色と言った鮮やかな色彩が彩り、自分の居る場所を特定することができない。
立ち上がって周りを見回そうとするが、それよりも別なものに興味が移る。視界の殆どを覆っている植物だ。初めて見るはずなのに、それが花であることをなぜか私は既に理解していた。
目の前にある花は下からしか眺めていないが、赤い綺麗な花だと直感的な感想が思い浮かぶ。手を伸ばし、花を引き寄せると、花弁が五芒星に広がり、中央には黄色い雌しべや雄しべが並んでいる。
その鮮やかさに目を奪われ、数分も眺めてしまっていた。満足がいき、花を陽光が指す他の花が咲き誇る隙間に戻した。
些か寄り道をしてしまっていたが、今度こそこの場所がどこなのかを探すべく、花の蔓が複雑に絡んでいる洞窟の中を這って進んだ。伸ばしていた足に光がさしていた為、光が入ってくる場所から出れるかと思ったが、出るのには小さ過ぎて断念した。
小さな手で地面や蔓に触れながら、ようやく花の下から出れそうな開けた場所が見えてきた。十数メートルを数分かけて這い、太陽の熱線が降り注ぐ炎天下の日差しに出た。
日向に出ただけで汗が滲み、日射病で倒れそうだ。薄暗い花の下から出たことで、強い光に目が慣れない。瞳孔の筋肉が働き、入ってくる光の量を調節したことで周囲の景色が目に入る。
「わぁ…!」
辺り一面、数えきれない程の花が咲き誇る。様々な種が混在し、花の絨毯と言っても過言ではない。純粋だったからこそ、その光景が目に焼き付いた。
自然と歓喜を表す声が漏れた。凄い凄いとはしゃぎ、両手の指で数えきれない程の花に触れ、美しく煌びやかに咲く花を眺めた。
様々な種類の花を見ていくうちに、頭上にあった太陽が大きく傾いたころ、不意に後ろから何かの気配を感じた。直観的なものではなく、風で生じたものではない他のとは違う物音でだ。
見下ろしていた花を手放し、後ろを振り返ると自分よりも身長が数十センチ高い男が立っていた。麦わら帽子をかぶり、タオルを首からかけて額から流れる汗を拭っている。見た目はそこまで年寄りというわけではなさそうだ。
「人間……だよな……?」
訝しげな表情を向けたまま、手に持った鎌をぐっと握り締める。敵意を向けられている気がして、思わず後ずさりしてしまう。不審者だろうか、いや、どちらかというと不審者として見られている。
「あ、…あ…怪し…い……も、者じゃ…」
手を上げて無防備であると示していると、ひそめられていた眉が柔らかくなり、握っていた鎌から力が抜けた。安心してため息をついているが、それはこちらもであり、それだけでどっと疲れが出る。
「こんなところでどうしたんだい?」
さっきの険しい顔とは違い、和やかな声と表情で鎌を持った男性が近寄ってきた。さっきの敵意剥き出しの表情が浮かび、少しすごんでしまうが、この人に敵意はないことが分かり、肩の力が抜けた。
「わかんない……気が付いたらここにいたの」
「そっか……服を見るに……外の世界の子かな?」
外の世界の子って何だろうか。そういえば、私はどうやってここまで来たのだろうか。気が付く前の事を一切覚えていないのだ。
歩いて来たのか走ってきたのか。誰かと来たのか、一人で来たのか。何もわからない。訪れた方法だけでなく、自分自身の事さえもわからないのだ。
「名前はなんて言うんだい?」
「わかんない…」
そう答えると、困ったなと呟きながら男性は額をボリボリと指でかいている。太陽の方を見て時間を確認すると、額の汗をタオルで拭って離れていく。歩いていく先には、私にはわからない道具が転がっている。
「おいで、時間はまだまだあるけど、もう少し経つと暗くなって危ない。妖怪が出る前に村に帰ろう」
地面に落ちていた鋏を拾い上げ、その近くに置いてある箱に道具を入れると、振り返って私に言った。
「妖怪…?妖怪って何?」
妖怪とは何だろうか。何も覚えていなくてもある程度の知識はあるはずなのに、聞き覚えのない単語に聞き返した。首をかしげる私に、道具を集めて拾い上げたおじさんは、振り向きながら教えてくれる。
「人間とは絶対に相容れない連中だよ。あの化け物どもめ」
苛立ちとは違う、恨みに近い表情を浮かべ、おじいさんは忌々しそうに呟く。前に何かあったんだ。子供ながらにそれが分かったが、何があったのか聞くことはできなかった。
行くよ。おじさんはそう言って私の手を握り、半ば無理やり私の手を引いて歩き出した。この人が整備しているのか、花の生えていない獣道を歩いていく。大人の歩幅で、慣れた道を歩いていくのに、ついていくので精一杯だ。
周りの景色を堪能して歩いていく余裕がなく、足元を見て転ばないようにしなければならない。不思議と息は切れないが、足場が悪くて数分で疲れて来た。
十分まで行かないが、五分ほど時間が経ってからようやく花畑を抜け、まともに歩ける平地に出た。おじさんと違って、帽子をかぶっていないせいで直射日光を浴び、額に汗が浮かぶ。
「村まではここから一キロぐらいある。大丈夫そうかい?」
「うん」
私がうなづくと、良しと呟いておじさんがまた歩き出した。向かっている先には、かなりの数の家が立ち並ぶ、この人が言うところの村がある。数百人から千人はくだらない人数がいそうな、村というよりも街だ。
どんな花畑だったのか、振り返ってみようとしたが、先を歩くおじさんに声をかけられた。
「名前もわからないって言ってたけど、何か覚えている事はあるのかい?」
悲しい事に何一つ覚えていないのだ。なにか覚えていれば、自分が何なのか漠然とだが掴めそうであるのに。
「え……えっと…」
とりあえず記憶を探ってみるが、それらしい物は何も浮かんでこない。浮かんでくるのは先ほど触れ合った花たちの事だけだ。人物も風景も、住んでいる建物も、通っている建物も何も浮かんでこない。
「大丈夫大丈夫、ゆっくり思い出していけばいいよ」
そうは言っても、不安なのは変わりない。おじさんの言う外の世界から来た人というのは、こういうものなのだろうか。
「ほかにも私みたいな人はいるの?」
「あの村にも確か一人か二人はいたけど、記憶がない人はいなかったような気がするなー」
そこは嘘でも一人ぐらいは居たと言ってほしかったが、村に付けば嘘と分かってしまうため、正直に話したのだろう。
「そっか……」
「すぐに思い出すよ」
そうこうしていると村が大きくなってきて、そこに住んでいる村人たちがちらほらと見えだした。子供もいるようで、楽しそうに遊んでいる。
「そういえば、おじさんはなんであそこにいたの?」
「あー、おじさんは花屋だからね。花を摘みに行ってたんだ」
彼はそう言うと、手を引いたまま村の中へと入っていく。歩きながら見回すと、たくさんの人で賑わっている。所謂、街の大通りらしい。
食べ物が売っている店や、雑貨物が並ぶ店、団子などを食べることができる飲食店などが並んでおり、どこも人で賑わっている。
「あら、こんな子供を連れているなんて珍しい。その子どうしたの?」
千人もいる村とはいえ、店を開いていれば幅広い人脈があるのか、着物を着た女性が声をかけてくる。手には買ってきたであろう野菜や魚の入った箱が握られており、主婦だと伺えた。
「どうやら外の世界から来たらしい。でも、記憶がなくてね。ちょっとまいってる。後で博麗さんの所に連れて行こうと思うから、それまで預かっていてくれないか?取ってきた花の手入れをしなきゃならない」
「いいわよ。子供たちと遊んでてもらうわ。一度、家にこれを置いてからでもいいかしら?」
「それで構わない」
おじさんは私の代わりに返事を返すと、しっかり者と言った印象を受ける女性について行ってと促される。
おじさんと今し方現れた女性に言われるがまま、ついていくことにした。荷物を持っている女性が歩き出し、その後をついて行っていると、何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「ああ、丁度よかった」
彼女がそう言うと、騒がしい集団に向けて手を振り、こちらに呼んだようだった。数人分の足跡が近づいてくると、私と同じぐらいから小さな子、大きな子供に囲まれた。十人は居そうだ。
皆、見慣れない人物に興味津々らしく、目を丸くしてこちらを観察している。これだけの人に囲まれるなど初めてで、緊張するし恥ずかしい。
「この子、誰?」
うつむいて小さくなっていると、活発そうな見た目の男の子がこちらに指をさしながら言った。おじさんが言っていたように、私を外の世界の人間だと説明している。その間に、私を囲んでいる村の子供たちを見ると、会話をしているわけではないが、見た目だけでもそれなりのイメージがつかめた。
それこそ十人十色で、物腰柔らかな子、優しそうな顔をした子、気弱そうな子、逆に意地悪そうな強気な顔をした子までいる。それでも、皆は仲が良さそうだ。
「外の世界って、どんなところ?」
私と同じぐらいの女の子が私に手を伸ばしてくると、手を取って興味津々に聞いてくる。目を輝かせているところすごく申しわけがない。何も覚えていない事を説明しなければならず、何と言ったらいいのか考えていると、一緒に歩いていた女性が助け舟を出してくれた。
「えぇ…っと……」
「ああ、その子ね。何も覚えてないんだって…だから、あまりいろいろと聞かないで上げて」
「そうなの?名前もわからないの?」
首をかしげてくる女の子にうなづくと、可哀そうと小さく呟いた。自分が何者かわからないのはちょっと怖い。私がもっと大人だったら恐ろしくてこの村にこれなかったかもしれない。
可哀そうという感情が握っている手にも表れ、掴んでくれる手が優しくぎゅっと握られた。皮膚越しに感じる体温が心地いい。この先どうしたらいいのかわからなかった不安が、一時的とはいえ不思議と解消されていく。自然とその手を軽く握り返していた。
「やばい事でもしてたのか?」
意地悪そうだと思っていた私よりも身長が高く、服装も周りより少しだけ裕福そうな男子が皮肉っぽく言った。丁度その事について心配していたというのに、タイミングがいいのか悪いのかわからない。
「あんまりいじめないであげて」
女性がそう言うと、その男子ははいはいと軽く流している様子だ。私の手を掴んでいた女の子はその子を見て小さくため息をついた後に、表情を切り替えて私に提案してくれる。
「じゃあ、思い出せるまで、一緒に遊ぼ!」
私は何者なのか、なんで記憶がないのか、前に何があったのか。そういった不安なしがらみを、一時的とはいえ解放されるのは、有難かった。
「うん!」
当時はそんなことなど考えず、ただ純粋に彼女たちと遊びたかったため、ついて行った。水分補給を小まめにしても、これだけ日差しが強い中でも走り回れるのは、子供ならではだろう。
遊び始めてから一時間程度だろう。昔ながらの数多くの遊びを教えて貰った。めんこや駒回しなど、初めてやる遊びに夢中になった。気が付けば太陽が大きく傾き、夕暮れ時に差し掛かる。一時間もすれば解散となってしまうだろう。
私を女性に預けたおじさんはまだ用事が終わらないのか、まだ来なさそうだ。女性の方も家事に勤しんでいるのか、私たちの元に来る様子はない。
一通り遊んだため、次は何をするかと話し合っているが、体力の有り余っている男子達が次の遊びを思いついたようだ。
「最後に鬼ごっこしよう!」
私は何のことかわからなかったが、女子側の表情を見るに彼女たちにとってはあまりやりたくない遊びのようだ。私にもう少し好奇心が無ければ、楽しく遊び終えられていただろう。
遊ぶ楽しさの誘惑に負け、参加してしまった。誰でも知っているであろう、一人が鬼になり、他の人を追ってタッチ出来たらタッチされた側が鬼になる。といった遊びだ。
自分で走り、鬼になれば誰かに触れなければならない。その部分に競争意識が働く。血の気が多い男性陣が特に張り切って走り回っている。体力が有り余っていた私も一緒に走っていたが、不思議と息切れせずにいつまでも走り続けられたため、鬼になることが無い。
勝負意識が強い男子だが、意地悪そうな子がいるというイメージがあった男の子は、特に競争意識が強いらしい。私が全く捕まっていないのが気に食わなかったのか、ワザとほかの子からタッチされると一番距離を置いていた私めがけて走り出した。
体力面では明らかに勝っているが、瞬間的な速度は彼の方が速く。あっと言う間に追い付かれてしまう。体力を温存することなど全く考えていなさそうで、その勢いのまま私を突き飛ばした。
「わっ!?」
背中や肩に触れる程度でタッチしていたのを見ていたことで、それを想像していたが、予想の数倍は強い勢いで押され、体のバランスを崩して転んでしまった。反射的に手を前に出していなければ、顔から地面に突っ込んでいただろう。
随分と派手に転んでしまったことで、女の子を中心に心配そうに私の元に駆け寄ってくれた。
「大丈夫!?…ちょっと!女の子なのよ!?手加減しなさいよ!」
思いっきりぶつけた膝がズキズキと痛み、抱えて蹲ってしまう。駆け寄ってきた彼女が、私を突き飛ばした男の子に激昂する。討論の様子はというと、男子の方はへらへらとしている様子だ。
鬼ごっこをしようと提案した時、女子側が嫌そうだった理由がなんとなく分かった。疲れたり汗だくになるのが嫌なのではなく、男子側が荒っぽいから、この遊びをしたくないのだろう。
「ちょっと転んだだけじゃん、別に血も出てないしさ」
彼の言う通り自分からしたらかなり派手に転んだと思っていたが、意外とそうではなかったようだ。乾いた土が膝に付いてはいるが、擦りむいて血が出ているわけではない。
耐えがたいと思っていた膝の痛みも、程なくして痛みがすぐに引いた。鈍い痛みがなくなり、立ち上がって足に付いた砂ぼこりを払い落とした。
「大丈夫だよ…もう痛くないから続きをやろ」
「本当?痛そうだったけど、無理してない?」
膝や手の平に傷がないか確認するが、血が出ていないのを見ると安心して胸を撫でおろす。服に残っていた砂を払い落としてくれると、心配そうに顔を覗き込む。
「本人が大丈夫っていうんだから、大丈夫だろ」
彼女のように触って直接見たわけでもないのに、意地悪そうな男の子は無責任にもそういうことを言ってくる。彼の言う通り全く問題は無いが、ムカつきはする。
「無理はしなくていいよ?」
「ううん。本当に大丈夫……。私だってやり返してやるんだから!」
私が怪我していないことを確認すると、無理だけはしないでね、と彼女は言って離れていく。鬼にタッチされたのは私であったが、鬼に触れてしまった女の子が代わりに鬼として走っていった。
少し時間が経てば私が転んだことなどみんな忘れ、楽しそうに鬼ごっこを続ける。皆息を切らし、走り回った。足がずば抜けて早いとは言えない私は、二度目の鬼となるタイミングが訪れる。
今こそあの意地悪な男子にやり返してやる時だ。少し離れているが、あの彼めがけてわき目も振らずに走り出した。私の意図を理解したいじめっ子も走り出したが、私よりも少し走り始めが遅かった。
彼の前には何人か人がいて、そっちを狙っていると思っていたのか。出だしが遅かったお陰で、すぐに追い付けた。しかし、競争意識や負けず嫌いの精神で私に捕まりたくなかったのか、スピードを上げていく。
私もそれに負けじとスピードを上げた。足の回転をこれ以上上げられないと思っていたが、急に体が羽のように軽くなり、急加速して彼の肩に手を付いた。
勢い余って少し強く叩いてしまったが、思いっきり殴ったわけではないから大丈夫だろうと思っていると、彼が体勢を大きく崩して前のめりに倒れ込んだ。いきなり倒れるものだから、勢い余って踏みそうになった。
倒れてしまった男の子を飛び越えて振り返ると、痛そうに肩を押さえて顔を歪ませている。そんなに強くやったつもりはなかったが、思ったよりも強く叩きすぎたのだろうか。
「ご、ごめん…そんなに強くやったつもりじゃ…」
痛そうにしているため謝罪をしようとしていると、痛そうな顔から苛立ちや憤怒という敵意に変わる。なんでそんなに怖い顔をしているのか全く分からず、困惑していると彼がその顔を更に奮起させて詰め寄ってきた。
「痛いな!何するんだよ!」
「そ、そんなつもりじゃ…!」
後ろに下がろうとした私の肩を突き飛ばした。人生で二度目向けられた敵意には全く慣れておらず、押された力を受け流すことができずに後ろに尻もちをついてしまった。
「調子に乗りやがって!俺が遊んでやってるっていうのに!!」
頭に血が上りやすい質なのだろう。拳を握り、顔を真っ赤にして私の元に近づいてくる。口ぶりや態度から、他の子よりも身分も高いことが分かっていたが、すぐに誰かに手を上げる行動に移れるのは、そういった理由があるのだろう。
「ちょっと!何してんの!!」
大通りの中で遊んでいて元から喧しかっただろうが、喧嘩で騒いでいれば人目にもつく。幼い子を殴ろうとしている男の子がいれば、大人の仲介が入る。しかし、頭に血が上っている彼に届くことはない。顔に向けて、彼の小さな拳が振り下ろされた。
痛みの記憶は真新しく、膝を抱えてしまう程だったことを考えるが、殴る行為から生み出される痛みがどれだけなのかわからない。表情や体格差、痛みのフラッシュバックからくる恐怖に駆られ、いつの間にか私は叫び散らしている彼よりも大きな声で叫んでいた。
「うあああああああ!?」
抵抗の表れだろうか。痛みから遠ざかろうと、殴ってくる彼に向けて手を伸ばしていた。最初に男の子が私にやったように、できるだけ遠ざけるようにして力いっぱい腕を突き出した。
体格差の筋肉量から、せいぜい前に進みにくくするので精一杯だろう。そう考えていたが、指先に何かが当たったと感じると、すぐにその感触は消えた。
「………?」
目反射的に目をぎゅっと瞑ってしまっていたて、いつ殴られるのかタイミングがわからなかったが、いつになっても頭に衝撃が走ることはない。考え直してくれたのかもしれないと思い、薄っすらと目を開けると、視界には予想しない光景が映る。
私を殴ろうとしていた男の子は十メートルほど先にある、家の外壁に背中を預けて座っていた。私が目を閉じて、開けるまでの短い時間で、あそこまで走って座るのは難しいのではないだろうか。
しかし、実際に彼は壁際まで行って座っている。あそこまで憤怒していて、周りは見えていなさそうだったのに、思ったよりも冷静だったのだろうか。それとも、怒っていること自体が演技だったのかと思えてくる。でも、あの性格や態度は絶対に演技ではなく、素だと思う。
一向に動き出さない彼に今のうちに謝って置こうと、スカートにこびり付いた砂を払うのも忘れ、座る男子に向かおうとしたが、周りがおかしい事に気が付いた。
さっきまで人々が賑わう活気あふれる大通りだったはずなのに、立ち上がって歩こうとする私の足音しか聞こえていない。さっきまでの賑わいが耳に残るほどに静寂が包んでいる。
他の子供達も、通りを歩いていた大人達も、壁にもたれたまま動かない男の子を凝視している。勘が良くない当時の私でも、何かがおかしいことには気がついた。彼ら、彼女らと同じく男の子に目を向けると、座っている臀部や足元に真っ赤な池が出来上がっている。
よく見てみると足元だけでなく、背もたれになっている外壁も体の形に沿って赤く染まっている。色を塗る様なものを男の子は持っていなかった、などと呑気なことを思っていると、静寂が裂くような金切声で終わりを迎えた。
私は、高い、高すぎる代金で、無知は罪であると骨の髄にまで思い知らされることとなる。
次の投稿は8/28の予定です!!