それでもええで!
と言う方のみ第百七十話をお楽しみください!
生まれて初めての感覚だ。意識があり、目を開いているはずなのに、なぜか妹様や周りの景色が視界に入ってくることが無い。
視覚以外の感覚が生きている事は、それらから入ってくる情報からわかる。風が発生し、ザワザワと草木の葉が揺れる音が聞こえ、風が肌を撫でる。物が焼ける匂いも鼻孔に感じる。
生ぬるい風は、妹様や真っ暗で何も見えない私の間を吹き抜けていく。激しい戦闘を行っていたことで、気流が火照った体から熱を奪っていく。
特に、目の辺りだ。涙が流れてしまっているのか、目から頬にかけて、涙が流れていく道筋が気化熱で冷える。
「美鈴!……め、目が…!」
妹様の様子から、目をやられたと分かるのだが、感覚が完全にマヒしてしまったのだろうか。両目を銀ナイフで掻き切られたはずなのに、ズタズタに切り裂かれた背中の痛みに埋もれている。
妹様を逃がすために抱えている手を放そうとした時、異次元咲夜が背中に蹴りを入れたのだろう。踏ん張ることなどできるわけがなく、吹き飛ばされてしまった。強烈な重力を感じ、首が捥げそうになるが、強化した身体は何とか首をつなぎとめた。
視界が見えていても、錐揉み状態で吹き飛ばされてしまえば方向感覚がわからなくなる。見えていなければもっとわからない。どこに向かって飛ばされ、どの方向を向いているのか全く分からない。
受け身を取ろうとするが、予想した方向とは違う背中から地面に落下した。地面を転がり、がむしゃらに何かを掴んで止まろうとするが、何かを手の平の内側に握り込むころには、体が止まっているのと変わらない速度になってしまっていた。
「くっ……うぅ……!」
体を起こそうとするが、異次元咲夜のスペルカードをまともに受けてしまい、ロクに動かすことができない。頑丈なのが取り柄だが、今回ばかりは無理が過ぎたのだろうか。
「美鈴…!」
妹様を下敷きにしてしまっていた。胸の辺りから幼い子供のくぐもった声が私を呼ぶ。異次元咲夜が近づき、攻撃を加えてこようとしているのは容易に想像できるが、体が言うことを聞いてくれない。
「っ………くっ……!」
腕や脚に力を込めた段階で、ようやく倒れた体を数センチ持ち上げることには成功したが、無防備な状態を晒しており、異次元咲夜に殺してくれと言っているような物だろう。
切れるナイフのような異次元咲夜の殺気を感じ、目の前に立っているのも足音からわかる。腕を振れば当たる距離だというのに、それをできないのが歯痒い。
素手の私の攻撃が当たる距離という事は、得物を持った異次元咲夜の距離でもある。目が見えない故に、来るタイミングがわからないのは恐怖だ。身の守りようもなく、私があとできるのは妹様の盾として奴の前に立ちはだかることだけ。
「死ね」
その役目すらも異次元咲夜はさせる気が無いのだろう。冷徹に言い放つと、空気を切る音がする。奴が振るう銀ナイフがこちらに突き進んでいる。あと一秒も経たずに、心臓か頭を切り裂かれるであろう。
藻掻いて最後まで足掻こうとしたした私に、銀ナイフが突き立てられようとしたのを肌で感じたが、胃が浮き上がるような浮遊感に襲われた直後、顔を鋭い刃が撫でた。
頬を切る程度で済んだのは、妹様が私に掴まれたまま天高く空を飛んでくれたからだ。しかし、目が見えない以上は状況が読めない。
どれだけ異次元咲夜から距離を取っているのか、奴は追撃しようとしているのか、それとも様子見をするつもりなのか。また、どれだけの高度を保ち、妹様は奴からどれほどの距離を取るつもりなのか。
周囲の景色が見えることが当たり前の状態で生活していた私では、地形の把握はおろか、敵や味方の位置さえ把握することはできない。
霊夢さんや咲夜さんなら気配で察知し、目が見えなくとも異次元咲夜と渡り歩くことはできただろうが、視覚で敵を捉えて戦う事しかやってこなかった私では、最早戦力には成り得ないだろう。
妹様が浮遊する中でも、何度か刃を交えたようだ。金属が弾かれると音と、回転する刃が耳を掠める音がする。身が焼けるような熱風を感じ、異次元咲夜へ炎を放出したのだろう。
薙ぎ払う攻撃的な放出ではない。周囲を取り囲むように、自分たちの身を守ろうとする行動だ。囲むようにすれば、その中心には安全地帯が出来上がる。そこに私を抱えた妹様が降りると、私を座らせた。
「大丈夫そう。では、ないわね……」
両目を切り裂かれた私の傷口に、妹様は小さな手で触れてくる。感覚が鈍ってしまっている事で、痛みを感じることは無い。だが、目を潰されてしまったこと以上に、これから戦いに参入することができない事の方が、私に不甲斐なさを思い知らせた。
「す…すみません………大事な戦いなのに……戦えるのに………!!」
「かもね…。でも、無理は禁物。これ以上家族は失いたくは無いから」
妹様はそう呟くと、二回レーヴァテインを振った。異次元咲夜が炎の外から銀ナイフを投擲したのだ。炎剣の影響で、赤く発熱する銀ナイフが私たちの足元に転がったことだろう。
「くっ……」
戦いたいのに、私はまたあそこには行けない。最初に紅魔館へ異次元咲夜が攻めてきた時もそうだ。腕を切り落とされて戦意喪失し、異次元咲夜とお嬢様の戦いを、敗れていく様を眺めている事しかできなかった。
咲夜さんが殺された時も、私は治療を受けて何もできていなかった。誰かを失う痛みはもう沢山で、もっと戦ってそれを阻止したいのに、また蹲って妹様を送り出してしまった。
咲夜さん、やっぱり私たちはあなたの代わりには成り得ない。もっと訓練を積んでいれば、私の能力がもっと違っていれば、またもう少し結果は違っていたと思う。
気を使う程度の能力。気と言えば別の物に聞こえるが、平たく言えば魔力を使う能力。魔力を扱うなど、魔力を持っている時点でできて当たり前だ。こんな外れのような能力では、最早自分の身一つで戦うしかなかった。
私は、無力だ。
焦げた匂いのする地面に蹲ったまま、左手で地面を掻き毟り、力任せに握り込んだ。こんな自分を責める自虐に走る暇があるのであれば、この状況を打破できる案を捻り出さなければならないのに、思考がそちらへと働いてくれない。
奴を殺す方向へもっていかなければならない思考は、他の部分へと回された。今の今まで忘れていた、記憶の棚の中から一つの思い出を引き出してきた。血を流し過ぎたのか、走馬燈という奴だろうか。
その記憶のなかで、咲夜さんが数メートル先に立っていた。これは、数年前の出来事で、確か彼女と手合わせをした時の事だったはずだ。
焦る気持ちと裏腹に、思い出そうと記憶の引き出しを開いていく思考は冷静だった。勘が、これは必要なことだと焦る感情を押し殺した。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息を切らし、肩で大きく呼吸を繰り返す。実力の差が酷い。流石はお嬢様の隣に立つことを許されている人だ。
事の発端は訓練をしている私に、咲夜さんの方から声をかけて来た。日頃からお嬢様に付きっ切りでいる彼女にしては珍しく、私と試合を行おうと言ってきた。
実力の差は大きく、結果は見るまでも無い。咲夜さんが勝ち、私が地面に伏せることになることは、紅魔館にいる全員に聞いたとしても皆がそう答えるだろう。
手合わせをして私の実力を上げる目的であれば、それに乗らない手はないのだが、能力で完封されて相手にならない可能性もあった。しかし、それも構わず咲夜さんは半ば強引に戦いを求めた。
戦いは見るも無残な結果だ。戦闘中の事を詳しく話すことをしなくとも、今の状況だけ見せれば容易に想像がつく。こちらがまともに攻撃を与えられなかったのだと。
立ち位置が全くの逆で、対照的になっている。荒々しく呼吸する私と、安定した呼吸で全く乱れのない咲夜さん。度重なる攻撃で地面を転がり、服が汚れて乱れた私と、目だった汚れや服装の乱れが見られない彼女。
戦いが拮抗していれば、物珍しく観戦する妖精メイドの一人でもいたかもしれないが、あまりにも戦いが一方的であったため、足を留める者などいない。むしろ、咲夜さんにサボりでしごかれているようにしか見えなかっただろう。
「美鈴は、なぜ自分の能力を使わないのですか?」
そんな、勝敗がほぼ決した頃、最後の一撃を加える前に咲夜さんが唐突に質問を投げかけて来た。少しの間、息を整えることに集中して回答が遅れるが、彼女は答えるのを待ってくれている。
「咲夜さんも知ってる通り、私の固有の能力は…魔力を使っている人ならできて当たり前の事で、使う意味がないですら。……だから、能力を使うという表現もあってるかわかりませんよ」
ようやく息が整い始め、息苦しかったのが解消されていく。呼吸が戻ったところで、勝敗は決しているため意味はない。戦いは終わったと決めつけていた私に、彼女は常人を超えるスピードで接近してくると、魔力で作り出した紛い物の得物で刺突してきた。
気を抜いていたのもあるが、いきなりの事で反応が遅れ、頬を切っ先が撫でた。皮膚に容易く切れ目を入れ、組織を損傷させる。血が滲み、少量ではあるがダラリと頬を伝い落ちる。
「なぜそう言い切れるんですか?」
反撃で拳を数度咲夜さんへ繰り出すが、どれも素早い身のこなしでいなされると、逆手に持ったナイフを私の首へ目掛けて薙ぎ払った。攻撃に転じていたことで、少し遅れを取ったが、辛うじて当たる直前に手を滑り込めた。いや、滑り込めるように時間を調節したのだろう。
だが、それでも際どい。私の反応が少しでも遅れていたら、首を掻き切られて再起不能に陥っていてもおかしくはなかった。今は抑えているが、そのままナイフを振り抜きそうな、そんな気迫があった。
高質化した魔力で覆った拳で相殺したが、それでも尚、咲夜さんは銀ナイフを推し進めようとすることを止めず、ちょっとずつ高質化した魔力を削っていく。
「咲夜さん……割と本気で殺しに来てませんか…?」
魔力が削り切られ、刃が皮膚に到達する。鈍い痛みと熱を帯びると、握った拳の甲から血が零れる。黙ってそのまま受け続ければ、骨も砕かんとする勢いだ。
「能力が使い物にならない。なぜ、そう言い切れるんですか?美鈴」
こちらの質問に対して返答することはなく、咲夜さんは同じ質問を投げかけて来た。その間にも、得物で私の指を切り落とそうとすることは止めるつもりはなさそうだ。
体を後ろに傾けながらナイフとの拮抗を崩し、蹴りを放った。時の違いから、いち早く行動を察する咲夜さんは蹴りを食らうなどありえず、空気を切るむなしい音だけが聞こえてくる。
「使ったことはありますが、何も起こらなかったんですよ」
訓練中に魔力を消費し、能力を使用したことはあるが、何か特別変わったことはなかった。パチュリー様の様に魔法が使えたり、咲夜さんの様に時を操ったり、お嬢様の様に運命を視たり、妹様の様に物を破壊したりなど、それに相当する事象が起こることはなかった。
魔力を消費するだけまるで無意味。それを使っている際に、魔力の仕様に変化があるかどうかも試したが、何も変わらない。本当に能力を持っているのかすらも怪しくなったのを覚えている。
「使い方が間違っている可能性は無いのですか?」
話している最中にも攻撃は続く。攻撃の回転速度を上げていくが、拳や蹴りは咲夜さんの髪の毛一本すらも捉えられない。がむしゃらに手足を動かしているうちに、防御が疎かとなり、足を払われた。
支えを失った体は地面へまっしぐらに落ちていく。受け身を取るために体を捻ろうとするが、動く速度が倍は早そうな咲夜さんに地面に叩き落とされた。タイミングをズラされ、起き上がるまでにラグが発生する。
そのコンマの時間で彼女は私が起き上がれないように馬乗りになると、銀ナイフを両手で掲げ、顔へ目掛けて一直線に振り下ろす。本気で頭を串刺しにしてきそうな重圧に背中を押され、彼女のナイフを握る手を辛うじてつかんだ。
筋力は私の方が上であるはずだが、全体重をかけられているせいで差が埋められている。均衡を保ってはいるが、咲夜さんの気分次第で銀ナイフの在り処は変わってくる。目と鼻の先を、切っ先が小刻みに揺れて泳いでいる。一瞬すら力を抜けない。
「能力を活かすも殺すもあなた次第です」
庭で手入れをしていた妖精メイドたちが、ようやく咲夜さんに静止を促そうとしているが、彼女はそれに耳を傾けることは無い。
「そ、そんなことを言っても……」
「私も、自分の能力を使いこなすのには時間を要しました。使い方が間違えている、使いこなせていない可能性も十分にあります」
咲夜さんが少し力を込め、銀ナイフが数センチ前進する。右目の前に突き出される刃が太陽光で反射し、嫌にぎらつく。彼女が本気で殺しに来ているようにしか見えなくなり、ナイフで更にそれが助長される。
「さ…咲夜さん…!」
「その身一つで戦うのも武闘家としては結構ですが、いくら妖怪と言えど強大な敵には限界があるでしょう」
また、咲夜さんの銀ナイフを握る手に力がこめられ、鼻先よりも銀ナイフの切先が目に近い。必死に押し返そうとするが、地面に落ちた際の体勢が悪く、力を上手く押し出せない。
「その内、自分の体術だけではどうしようもなくなり、能力に頼らなければならない時が来るでしょう。その時に、今のあなたのままでは困るんですよ。美鈴」
普段の、優しい口調ではなく。これまでに聞いたことの無い厳しい口調で、咲夜さんは語り続ける。門の前で居眠りをこいてしまっていた時でも、ここまでではなかった。
「私がいる内なら、それでもいいでしょう。ですが、あなたたちと違って人間です。数年後、数十年後、私がいなくなればお嬢様を護衛をできるのはあなただけです。新しいメイドが入ったとしても、その人があなたよりも実力が上である保証はありませんからね」
「た……確かに、そうかもしれません…」
「あなたもお嬢様に忠誠を誓ったのであれば、それ相応の事はできるようにならなければなりませんよ」
しゃべる彼女に耳を傾けつつ、握る銀ナイフを押し返そうと必死になっていると、不意に眼前に迫っていた切っ先が離れていく。腕力で私が勝ったわけではなく、彼女が振り下ろす得物の力を抜いたのだ。手とナイフで隠れて見えていなかったが、気迫迫る表情が和らいでいることに気が付いた。
私よりも身長が低い女性とは思えない重圧と、刺殺されるかもしれない圧迫感が消え、何とも言えない解放感にため息が漏れる。首に力が入りっぱなしだったが、ようやく力が抜けた。
地面に大の字になって寝転がるなど、いつぶりだろうか。咲夜さんと手合わせするのにここまでやられたことはなく、他の戦闘でも倒れる程の負傷を負った覚えはない。軽く十数年ぶりだろう。
その日は天気のいい日で、晴天が広がっていた。暖かく、心地よい風が吹き抜けていき、そろそろ起き上がろうと地面に手を付こうとした時、傍らに佇んだ咲夜さんがこちらに手を差し出した。
刺されると拳を構えそうになったが、よく見れば得物は握られておらず、優しく迎え入れようとしている。手を伸ばし、咲夜さんの手を握ると私の事を引っ張り起こしてくれた。
「今すぐでなくてもいいですが、いつか自分の能力が使える時が来るといいですね」
先ほどまでの、鋭いナイフを具現化したと言っても過言ではなかった雰囲気が、嘘のように穏やかになっている。いつもの口調で彼女は言いながら、私の服についている汚れを叩き落としてくれる。
「は、はい。頑張ります…」
完全に咲夜さんに圧倒されていた私は、そう呟くので精一杯だった。それを彼女はわかっているのだろう。ふっ、と小さく笑うと時の能力を使ったらしく、私の目の前から姿を消した。
あの時、言葉では咲夜さんの言っている事は理解していた。しかし、能力の重要性については理解しきれていなかった。使えない能力に時間を割くぐらいなら、己を強化していく方がいいんじゃないかと考えていた。
それでもその後に、何度か能力を使ってみようとしたが、それまでと同じように何かに変化が起こることはなかった。次第に能力を使った訓練をしなくなっていったが、今は訓練しておけばよかったと後悔している。
いつか己の肉体だけで戦い続けるのには限界が来ると。咲夜さんが言っていたことが現実となっていた。片腕を落とされ、戦いだけではなく日常生活にも深く絡む視覚を失った。奴がどこに居るのかすらもおおよその方向しかわからず、戦う以前の問題であると言える。
体はまだ辛うじて動くが、それも時間の問題だ。戦えるが、戦える状態ではない。あらゆる方向で崖っぷちだ。その中で最後に残されたのが、彼女の言う通り能力だった。
しかし、訓練中は能力の効果が一切わからなかった。それが実戦に出た途端に効果を発揮するなどあり得るだろうか。十中八九あり得ない。
あり得ない。99%あり得なかったとしても、今の私は残りの1%に望みを託すしか戦う道は無いのだ。できれば、能力には頼らず自分の力だけで異次元咲夜を倒したかったが、今はそんなプライドを捨てる。
そもそも能力が使えるか、使い物になるかどうかすらもわからないのだ。戦いに入れるかどうかの賛否はここで決まる。出し惜しみはこの際無しだ。
能力に回さなかった分だけ、魔力が有り余っている。膨大な量の魔力を注ぎこみ、能力を全開で発動した。
美鈴を降ろし、炎の壁を越えてから数分。以前の戦いと比べれば善戦しているはずだが、徐々に防戦一方になってきている。戦闘に秀でている人物を失ったのは私にとって、自分が戦闘不能になること以上に致命的だ。
スペルカードを使う暇がない。赤く発熱する銀ナイフを捨てながら新たに得物を作り出し、絶え間なく攻撃が襲い掛かってきてる。炎で幅の広いレーヴァテインで防御したとしても、完ぺきではない。
決して多くは無いが、私の防御をすり抜けてくる斬撃は少なからず存在し、肩や腕、足などの末梢部に切り傷を付けていく。大きくは無いのだが、それが蓄積していけば、確実に私の命に直結する。
今はあまり関係のない部分に当たっているが、重症になり得る部分に当たるのは時間の問題だろう。少しずつな炙り殺されていく気分だ。ただの刃なら瞬く間に治るが、銀ナイフのせいで治りが遅い。魔力を送ってやらなければ治らない程に。
斬られた箇所が鬱陶しいぐらいにいつまでも痛みが残り、動きに支障をきたしそうだ。血も滲み、服が張り付いて動きがいつもより制限される。腕を切断されたり、折られたりなどの阻害程ではないが、今はそれすらも邪魔だ。
時の能力は使われていないが、私が押されているのは奴がレーヴァテインに慣れてきたのだ。刃の当て方が変わり、一度打ち合わせればほぼ使い物にならなくなっていた銀ナイフが、二回、三回と打ち合わせられる回数を増やしていく。
「くっ…!」
身を縮めて防御に徹していたおかげで、動きに小回りが利く。異次元咲夜がナイフを交換する僅かな時間を使ってレーヴァテインを薙ぎ払うが、奴にあっさりと受け止められてしまう。
「美鈴ならともかく、あなたでは私の相手にすらなりませんよ」
銀ナイフに熱が伝導し、赤く発熱するナイフ。奴はそれを気に留めることなくゆっくりと私に挑発を仕掛けてくる。大ぶりを誘っているのだろうが、それをするほど馬鹿ではない。
防御しかできていない状況をリセットするため、奴を弾き飛ばそうとレーヴァテインへ力を込めるが、鋭い金属音の後に腕があらぬ方向へ弾かれていた。
力を込めようとする直前に、コンマの差で異次元咲夜に先を越されてしまったのだ。すぐさま防御へ戻ろうとするが、奴の方が一歩早い。溶解した銀ナイフを捨てながら私に蹴りを放った。
レーヴァテインが戻ってくる遥か手前で靴が胸を捉えた。弾かれたこととバランスが悪かったことが重なり、後方へ吹き飛ばされることになる。
魔力でバランスを立て直し、十メートル程度後方で地面に着地して体勢を立て直した。レーヴァテインを構え直し、防御ばかりにならぬように奴の動きに気を張り巡らせる。
溶解した銀ナイフを捨て、異次元咲夜が両手に銀ナイフを新たに生成した。美鈴がへし折ったはずの右腕に注目が映る。膝と肘で挟まれた部分は赤黒く腫れたままだが、折れていたのが嘘のようにまっすぐに伸びている。
奴はナイフなどの無機物を作り出すことはできても、腕など有機物に該当する物は作り出せないはずだ。なのに、なぜ奴は折った骨を短時間で治すことができた。
霊夢達の情報が間違えていたのだろうか。いや、そんなはずはない。生物を生み出せるのであれば、奴は無限の軍隊でも作り上げているはずだ。
そう思って奴を睨みつけていると、スペルカードを放った時に負っていたであろう異次元咲夜の火傷痕に今度は目が移る。黒く焦げている部分もあれば、赤く火傷している部分があったはずだが、それも見る見るうちに負傷していない部分と同じ、白い肌に戻っていく。
何が起こっている。理解ができない。あの庭師の様に、体を再生できる能力を他に持っているのだろうか。そうだとしたらかなり厄介になる。そう思って異次元咲夜を睨みつけていると、火傷が治った部分の肌に違和感がある。
治した部分とそうでない部分に色の違いは全くないが、肌の質感に差異がある。治癒させた部分はほかの皮膚と違って無機質なのだ。
「………まさか…」
「気が付きましたか。………全く…私が人形使いの魔女の真似事をするなんて、思ってもいませんでしたよ」
奴の言う人形遣いの魔女。恐らくアリスの事を言っているが、彼女がどんなことをしていたのかは想像がつかない。だが、異次元咲夜は怪我を治癒で治したわけではないのだ。固有の能力で作り出した物体に置き換えているのだ。
「…」
それが分かれば戦いようはある。腕を欠損させれば、腕の形をした物体に置き換えるだろうが、人間の体とは違うため確実に動きに制限がかかる。しかし、百戦錬磨の異次元咲夜の腕をどう切り落とすかが問題となってくる。
ほぼ不可能だ。私のほかに誰かがいるのであれば、お互いをフォローし合って戦う事は十分に可能であっただろうが、援護がなくサシでの勝負では話にならない。
この不利な状況をひっくり返すのには、今までには無い裏をかくことをしなければ絶対に覆ることは無い。だが、幾百の世界を壊してきた連中を出し抜くことなど難しいことこの上ない。
炎剣を握り直し、見よう見まねでどこかの剣士の様に構えるが、戦闘に入ればそれも忘れて今まで通り、構えもなくなるだろう。
「あなた一人に何ができますか?私にも時間がありませんし、今すぐに首を差し出してくれれば、痛くないように…苦しまないように殺してあげますよ?」
異次元咲夜が絶対に飲むわけない提案を提示してくる。なぜそんなに自信ありげに提案ができるのか。これまでにその案を飲んだ世界線があったのだろうか。
とはいえ、このままいたずらに体力を削られて行ってしまう。油断なくレーヴァテインを構えていると、異次元咲夜が両手に銀ナイフを握り、考えに頭を使っている時間が無くなった。
スペルカードを使おうにも、奴が万全な時に発動しようとすれば、投擲されたナイフ一本で止められるだろう。大技は使えないが、今のところ足を負傷したわけではなく、走れる。対抗するのには人間を遥かに凌ぐこの足を使う他ない。
前にではなく、異次元咲夜を取り囲む形で横に走り、レーヴァテインで木々に炎を燃え移らせていく。炎が周りを囲んでいない場所では、炎剣が発する光で見ていなくても方向を悟られてしまう。
それを避けるため、なるべく広範囲に炎を広げる。素早さで撹乱しながら戦うのはその後だ。乾いた木材や着火剤がなければ、そう簡単に炎は燃え移ってくれない。山火事が燃え広がるのは時間制限が無いからだ。
今の私には悠長に炎が広がっていくのを待っているだけの時間が無い。炎剣に魔力を込め、噴き出す炎の火力を倍増させ、木の幹ではなく周囲に手を伸ばす枝を燃やしていく。
葉っぱさえ燃えてしまえば細い枝から太い枝へと炎は広がる。私が何かをしなくともあとは勝手に延焼していってくれるだろう。
奴を炎で囲み、私の居場所を悟らせにくくすれば、戦う準備ができる。出発点から走り始め、目標の三分の一に差し掛かった時、既に私が考えていた幼稚な作戦は見抜かれていた。
どんな人物であろうと、何かしら物を使わなければあの密度の銀ナイフをすり抜けることはできないだろう。散弾銃など生ぬるい。奴が飛ばしてくるナイフの進行方向に佇むだけで、その人間はサボテンの様に全身からナイフを生やすことになる。
この中を走りぬければ間違いなく致命傷になる。焦れば辛うじて残っていたか細い勝機が遠のいてしまう。最大速度で走っていたが、自分の身を隠せる太さがある木の後ろで立ち止まった。
いきなり止まれるわけもなく、木の陰から体が前のめりに出そうになるが、何とか踏ん張り、木の後ろに身を引き戻した。ギリギリで顔のあった位置を銀ナイフが通過し、地面や木々をハチの巣にしていく。
刃が中腹まで抉り込んでいるが、それが人体だったと考えるとぞっとする。今は一秒でも止まっている時間が惜しい。刃の波が収まりしだい走り出そうとするが、立ち止まって刃をやり過ごすだけの時間があれば異次元咲夜は余裕でここまで到達できる。
地面に刺さった銀ナイフを蹴飛ばし、後方に異次元咲夜が滑り込んできた。銀ナイフを両手に持ち、私へ叩き込んで来る。私もこの作戦と言えない行動が読まれないと思っていたわけではない。
数百ある世界の中で、これをやらなかった世界が無かったわけがない。だから、こう来るのは予想できた。走ろうと地面を踏みしめていた足を軸にして後方へ振り返り、振り向きざまにレーヴァテインを叩き込む。
これは受け止められるはずだ。受け止めたと同時に魔力を送り込み、爆発的に炎を放出し、指の一本でもいいから焼き焦がしてやる。
受け止められることが前提で振った腕は、異次元咲夜がいた位置を通り過ぎ、ナイフの雨をしのぐために使った木の方向にまで到達していく。腕が折れ、レーヴァテインがあらぬ方向を向いたわけではなく、奴に避けられた。
奴もまた、私が反応しうる可能性を予想していたらしい。大量の火の粉が舞い、視界を遮る中で、レーヴァテインを反対から薙ぎ払おうとした時にふと違和感に気が付いた。炎剣が空振りに終わった割に、火の粉が舞い過ぎている。
魔力をフライング気味に込め、炎を放出したことで火の粉が刀から離れて拡散しているわけではない。
「その刀には、飽きてしまいました」
異次元咲夜は陽炎が立ち昇る程に発熱している銀ナイフを、私の肩に突き刺すと耳元でそう呟いた。奴の慣れがここまで来てしまったのだ。
「っ!?」
一度受ければ使い物にならなくなっていたが、今や一度や二度打ち合ったぐらいで交換することはなくなってしまった。そして、それだけでは飽き足らず、こちらの得物を破壊するまでに至ってしまった。
周囲に炎を付けて、自分の居る場所を悟らせないようにする作戦が仇になった。周りが燃えて光を放っている事でレーヴァテインが掻き消されたことに、言われるまで気が付けなかった。
反応が大幅に遅れ、レーヴァテインから刃に伝わった熱が肉体を焼き、その痛みも私の行動を遅延させる要因になった。形状が崩れ、崩壊していくレーヴァテインを魔力でかき集めて再生成させることができない。
新たに作ろうにも、肩に刺さしている方とは逆の手に握られた銀ナイフが心臓めがけて既に突き進み、肌まで数センチのところまで来ている。
ここからどう頑張っても銀ナイフを弾く、またはかわす方法が思い浮かばない。レーヴァテインを作り出すのは論外で、爪で切り裂くのには突き進んでくる銀ナイフの倍以上の距離を引き戻してこなければならない。
攻撃し、更に炎を放出しようとしていた事から、体の体勢が逃げることに傾いていなかった。いくら骨を強化したとしても骨の間を貫かれれば意味がなく、奴が持つ得物の切れ味は強化された骨だろうと、簡単に貫ける。
お姉さまや咲夜に続き、今度は私だ。私が片付けば次は美鈴に奴は刃を向けることだろう。もっと戦わないといけないのに、世界はそんなに甘くは無いと現実を突き付けられた。
この光景を、二人も見たのだろうか。そして、同じことを思ったのだろうか。こんなところで、死にたくないもっと皆のために戦いたいという気持ちが沸き上がる。
生き延びたい執念に相反する形で、奴の銀ナイフは命を断ち切りに来た。狙いは正確で、骨を避けるつもりもなく、胸骨を貫いて心臓に銀ナイフを突き立てようとする。
真正面から私に敗北を味合わせ、絶望を死ぬ手向けとするつもりなのだろう。
次の投稿は12/25の予定です!