それでもええで!
と言う方のみ第百七十八話をお楽しみください!
二週間遅れてすみませんでした。
そこらじゅうで爆発が起こっている。自然に起こった風や爆風に乗って戦場の焦げ臭さが漂ってくる。生き物の焼けるいい匂いや、プラスチックなどの石油化学製品が燃える不快な匂いが混ざる魑魅魍魎とした香り。
そんな混沌としか言えない世界の匂いに、私は心を躍らせながら肺に空気を取り込んだ。これからもっと、凄い事に、酷い事になる。そう思うだけで笑いが込み上げてくる。
それはそうと、まずは目の前の問題を片づけなければならないが、問題と言える程の事ではない。
「まさか、会話でどうにかなるとでも思ったんですか?」
木の幹から生える枝に腰掛け、足を投げ出してプラプラと宙を遊ばせる。あれだけの啖呵を切っておいて、この程度とは笑わせる。
聞こえているかどうかも怪しい所である。自分と姿形が瓜二つの敵が、ぐったりと地面に伏せたまま動かない。肉体的な戦闘能力差は天と地ほどもあり、奴に勝つ術はなさそうだ。
同じ能力を持ち、手の内が完全にバレてしまっているのであれば、戦闘能力が高い私に軍配が上がる。
「……うっ……あ……が…ぁぁ」
さっきまで息が止まっているように見えたが、息を吹き返したようだ。倒れる前に拳を叩き込んだのが効いたのだろう。引き攣り、痙攣していう事をかなかった筋肉の収縮が解消され、水を得た魚のように喘鳴し、呼吸を繰り返す。
「あらら、かわいそうに~。魚みたいに無様ですね」
咳き込み、血を吐きながら正邪はゆっくりと立ち上がろうとしている。数秒かけて立ち上がり、腹部を押さえてこちらを見上げる。
口の端には、血液が流れた跡が見える。相当なダメージを負っているようで、足取りは非常に重い。がっくりと膝をつき、咳き込んだ。
「そうは…思っていませんでしたが………まったく…話をすることを忘れるなんて、酷い有様ですね」
「そうでしょうか?暴力と腐敗は生物の根底にあるわけですから、ある意味では人間らしい行いと言えると思いますよ?」
この世界を見ればわかりやすいものだ。法律が、ルールが無くなったらどうだろうか、皆暴力に走り、対話で解決を試みようとしている人物などいない。
対話を行えるのは同等の力を持っている者同士か、利害が一致している時だけだ。私はこいつが自分と対等の人物であるとは思っていなし、特に利害が一致しているとも思っていない。力でねじ伏せない理由が無いのだ。
能力は使うが、直接殴り合う接近戦への姿勢が乏しい。奴がプライドや自分の理論に現を抜かしている間に、殺してしまうとしよう。
座っていた木の枝から地面に飛び降り、拳を握る。フラフラと立ち上がった正邪へ向け、拳を叩き込もうとするが奴の姿が消え、拳が空を切る。
ひっくり返す程度の能力を使ったらしい。ひっくり返すと一言で言っても、様々な使い方がある。物理的に左右や上下ひっくり返すのか、感覚をひっくり返すのか。自分と相手の位置をひっくり返すのか。起点を別の場所に置き、ひっくり返すのか。
今回は別の場所を起点に、自身の位置をひっくり返したようだ。起点はおそらく私で、鏡を返したように後方に移動している。
逃げに回れると厄介ではあるが、全くもって大した問題ではない。自分で使っていてわかるが、ひっくり返す程度の能力は、攻撃的な能力ではない。炎や氷、剣術を扱ったりなどのように直接的に攻撃を及ぼさず、攻撃のチャンスを作るための能力と言える。
後方に振り向きながら拳を送り出そうとするが、今度は重力方向がおかしく感じる。物理的に上下をひっくり返されたわけだ。この能力はコインの裏表のようなもので、裏にひっくり返されたのであれば表に直せばいい。
反転した体を再度反転させて戻し、鬼人正邪へ拳を狂いなく叩き込む。腕でガードされてしまうが、数度の攻防でかなりのダメージを負い、衝撃を逃がし切れていない。
打ち出の小槌で強化された私の攻撃を、小槌の魔力で強化されていない生身で受け続ければ、体にガタが来るのは明白だ。
攻撃を受けている腕部の各所に、赤黒い痣が点在する。腕はボロボロで、まともに受けられる回数はそうないだろう。疲労で骨が折れるのが先だ。
衝撃の方向を反転させ、威力を半減させてもなお魔力で強化された身体には多大な傷を作る。殴っている拳越しに、受けた腕が疲労と激痛で震えているのを感じた。
「くっ……っ…!」
呻く天邪鬼の頭部を掴み、素早く地面へ叩きつけた。腕だけではなく、背中から反動をつけることで威力が倍増し、大抵の妖怪ならばそれだけで戦闘不能に陥る。
何も考えずに行える動作であるはずなのに、掴んでいた頭部はついさっきまであったはずの地面に当たることなく空を切る。
「あれ…?」
掴んでいる正邪が飛んだり跳ねたりしているわけではない。奴に突き飛ばされる感覚はしなかった。しかし、踏ん張りを効かせていた足をいくら伸ばしても地を踏むことができない。
驚きのあまり、正邪を掴んでいた手を放してしまう。手を離した彼女は地面に向かって落ちていくというのに、私は浮き上がり続ける。空に巨大な磁石があるかのような感覚だ。
空気の抵抗があっても、空へ向けて上昇していく身体に歯止めがかからない。何かしらのエネルギーを食らい、上空へと打ち上げられたのであれば、そろそろ上昇する速度が落ちてきてもいいのに、止まる気配がない。
魔力を使い、自分の身体を上空へ押し上げているわけでもない。みるみる地上が離れていくが、魔力だったらこんな速度は出ない。空に向かって加速していくのに、違和感がある。
体が浮き上がっているのだが、無重力とは違う。霧雨魔理沙が暴走した際に、出現した化け物が無重力の空間を生み出していたが、その動きとは差異がある。
重力方向をひっくり返されたか。周りから見れば上昇しているが、私からすれば落下している。私に掛かっている重力方向をひっくり返すと上昇が止まり、今度は地上に向かって落下を始めた。
上空へ落下し始めてから切り替えるまでに数秒を要した。物を投げた時の放物線と同じで、落ちるまでには同じだけの時間を要するが大した問題ではない。
最大速度に達した身体を、地面に当たる直前に減速して降りた。降りると同時に、腰の位置を落とし、正邪へ向けて跳躍した。
警戒していた正邪は、すぐさま対処しようとするが、打ち出の小槌の能力で強化された私からしたら、かなり遅い。ノロマな天邪鬼の頭を掴み、後方へ生えている木へ叩きつけた。
衝撃の一部を反転させ、私の手へ返しているせいか、掴む腕が痺れる。威力も半減してしまって、奴の意識を上手く断つことができない。
しかし、能力しか使わないと豪語している正邪に私を殺す術はない。ここは焦らずにじっくりと奴を追い詰める。顔を覆って掴んでいる腕を正邪が振り払おうとする素振りすら見せないのは、能力を行使することで頭を押さえている握力の方向を反転させたからだ。
反応が一瞬遅れ、押さえ損なう。今更力の方向を切り替えたとしても、すでに手を振りほどかれた後だ。奴は振りほどくために掴んでいた手首を捩じり、今度は私を拘束しようと木へ押し付けた。
こいつもわかっているはずだ。力でねじ伏せるのは、この力の前には全くの無意味だ。力の方向を反転させながら、腕を振りほどく。
こいつは武術に対する技術を持ち合わせてはいない。武術に長けた人物なら、今の拘束で腕を潰されていてもおかしくはなかった。
振り払った衝撃が強かったのか、正邪が予想よりも後方に吹き飛んでいたが、数秒とかからずに接近できる距離だ。
そうら。必死に作り出した隙も、たった数秒で無に還る。大きく前進し、握った拳を放とうとするが、空振りに終わった。
「おっと~?…また逃げですか!」
奴がかわしたことで攻撃が当たらなかったのではなく、私が後ろに下がったのだ。足に働く運動方向をひっくり返され、体が後方に戻っていく。伸び切った腕と正邪までの隙間が開いていき、正邪が逃げる次の手立てに移ろうとしている。
即座に攻撃方法を弾幕へと切り替えた。魔力を込め、最大まで強化した貫通性の高い弾幕をぶっ放す。奴は軽くとは言え吹き飛ばされた直後、それも、私に能力を使っている段階では避けることは難しいはずだ。
打ち出の小槌の力を使った一撃は、ただの魔力でしか強化を行っていない妖怪を貫くのは、実証済みだ。息の根を根を止められずとも、致命傷を与えることはできる。
手先に集めていた魔力を撃ち放つと、弾丸に似た形状の弾幕が散弾のように散らばった。そのほぼ全てが正邪の体に当たる軌道にあり、全て当たらなくとも奴の戦力は削げる。
例え対応できたとしても、一つ一つひっくり返している時間など無いはずだ。魔力が凝縮し、あらゆる物体に穴を穿つ弾丸は、その目的を遺憾なく発揮する。
強化されてある程度の攻撃なら傷すらつかない肉体に、強化された弾幕は穴を穿つ。驚きで目を見張る。貫かれて潰れた腕からは鮮血を散らし、肩越しに背中まで貫通している。砕けた骨と肉体が弾け、地面に大量の血肉を飛散させる。
弾幕はかなりのスピードで通過したのだろう、顔に血肉がこびり付いた。肉体を失った後に、遅れてやってくるのはどうあがいても避けられない激痛だ。
反応が全くできないでいるのは、当り前だろう。正邪へ向けて放ったはずの弾幕は、なぜか私の体を撃ち抜いていたのだから。
「なっ……!?」
確かに私は弾幕を奴に直撃する軌道で放ったはずで、腕一本か二本分しか離れていない近距離であれば、まず外すことは無い。
奴に弾幕の軌道をひっくり返されたのではない。そうすれば、逆転してこちらへ帰ってくる弾幕が網膜に映るはずだ。なのに、私は気が付いたら弾幕を食らった後だった。
血潮が飛び散る合間から、無傷の正邪が見えた。何度瞬きしても風穴が開く様子はなく、こちらを睨みつけている。自分で自分を撃ち打ち抜いたという事実に、その激痛をひっくり返して無効化するのも忘れてしまった。
鋭い刺す激痛は、潰れた腕全体から発せられる。それが久々の損傷であり、慣れない痛みは私の意識を飛ばしかけた。
不意打ちに近しい攻撃で、薄れゆく意識を能力で鮮明にひっくり返し、首の皮一枚でつなぎとめた。
失神を免れた私に、一気に襲い掛かるのは弾幕を食らったことによる衝撃だ。後方に吹き飛び、背中から落下する。頭が空っぽになっている状態では、ひっくり返す程度の能力も使うことができなかった。
隙。これ以上に無い程に、私は無様と言う他ない姿を晒している。他の妖怪、博麗の巫女が相手なら、吹き飛ばされた瞬間に殺されていただろう。
だが、致命傷に近い怪我を負わせてきた当の本人には、私を仕留める手立てがない。暴力に訴えかけないと言っているという事は、止めを刺さないと同意義である。
くだらないプライド。それで私を殺し切れると思いきっている驕りに今回は助けられた。いや、助けられたのではなく、助かったのは必然的とも言える。これが命取りになるというのに、馬鹿な奴だ。
先の弾幕。あれは私の油断が生んだことによる事象に過ぎない。こんなのは大したことは無い。集中を途切れさせず、奴のように奢らなければ二度目は無い。
二回か三回ほど転がり、ようやく地面に横たわった。ひっくり返す程度の能力で意識を失うことはなく、殺される心配もないため、倒れていた体をゆっくりと起こした。
損傷の具合を確かめるため、弾幕を受けた右腕を見下ろした。弾幕を受けた瞬間に、自分の肉体と思われる肉片が飛び散ったように見えていたが、間違いではなかったようだ。
肩から手先に向かう程に身体の損傷は酷くなり、攻撃がより集中していた手の原型は無くなっている。
手首から二の腕まではまだ損傷は少ないが、複数の弾幕が通り抜けたことで、原型こそ残っているが、大部分の砕けた骨と引き裂かれた肉体が露出している。
まっすぐに伸ばしていた腕に重なる形で弾幕が通過し、肩に大穴を開けられたことで、千切れかかっている体は腕と呼べる代物ではなくなっている。
しかし、それだけの重傷を負っていたとしても、私の優位性がひっくり返ることは無い。なぜならそれだけの確信と、奴とは違う強力な地盤を築いて来たからだ。
戦闘が始まった時点で、その勝敗は決している。状況次第でひっくり返ることも少なくは無いが、奴は自らひっくり返すことを放棄した。
打ち出の小槌で強化された魔力を、ぐちゃぐちゃに潰れた腕へと通わせた。何日も時間をかけなければ治らないような損傷が、見る見るうちに再生を始めていく。
「……っ!?」
「いや~、暴力を振るわないというのは、とても美しい理想ですね~。ですが、何もできやしない弱者が掲げたとしても、薄っぺらいただの綺麗ごとでしかありません」
急速に治っていく腕を見て、対峙している正邪の表情が変わる。今のが最初で最後、絶好のチャンスであったことを察したらしい。
今更気付いたところでもう遅い。中身のない理想しか抱けず、甘ったるい考えしか浮かばないこいつは天邪鬼には程遠く、恥さらしだ。
そのまま美しい嘘だらけで形だけの理想に陶酔し、愚か者の錘と共に溺れながらに死んでいけ。
再生した肉体を最大限に活用し、迂回するつもりなど無く真正面から跳躍した。奴は能力で私の動きをひっくり返そうとするが、予想よりも早く正邪の元へと到達したことで能力の使用に至らなかった。
「っ……はやっ…!?」
考えもお粗末だが、能力を使う事に関しても未熟だ。こいつは目を白黒させて反応が遅れていたが、特に驚くことはしていない。ひっくり返す程度の能力は、何も鏡のように力を入れ替えるだけではない。
物体を押している時、物体からも押されている作用反作用と呼ばれる現象がある。走る脚と地面の間でも起こっており、地面を踏みしめて前方に押し出す力と、同じ分だけ地面に力が加わっている。その反作用のみを反転させ、前方に進もうとする作用の力に反作用を重ねた。
倍とまではいかずとも、奴の予想を大きく裏切る速度となった。流れの乱れは対応の遅れを促す。前進した力を使いながら、迎撃体勢の整っていない奴に拳を叩き込む。
脇腹に拳を抉り込ませ、天邪鬼を吹き飛ばした。筋肉や脂肪など柔らかい部分とは違い、肋骨の硬い感触を感じる。肺や心臓を保護する役割のある肋骨は、かなりの強度を持っており、強化されていれば数百キロの衝撃にも耐えうるが、今回はそんな丈夫な骨が拳のダメージで数本折れたようだ。
今までのダメージとは違う苦悶の表情は、ひっくり返すこともできず、まともにダメージを受けたことを示唆している。他の世界いる自分を倒すというのは、こんなにも簡単だとは思わなかった。
受け身を取ることも、魔力で体を浮かせて体勢を整えながら着地することは無い。地面を跳ね、木に叩きつけられたまま動かない天邪鬼の元へゆっくりと歩み寄っていくが、骨が折れたことと激痛の波にのまれているのだろう。浅い呼吸を何度も繰り返し、胸を押さえて蹲っている。
「どうですか?このまま戦って、勝てそうですか?素敵な信念は役に立ってそうですね~」
倒れたまま動かず、痛みを引かせようと荒々しく呼吸する天邪鬼の首を持ち、木へ叩きつけた。木が歪むほどに押し付け、正邪に力の差を見せつける。
徐々に首を絞める力を上げていくことで、気道の通り道が狭まり、呼吸のたびに喘鳴している。掴んでいるのとは逆の手を掲げ、どこでもいい、殴りつける。
「さあ、殺して見せてくださいよ。ほら、ほら!」
殴るごとに天邪鬼の顔が血で濡れていく。口や鼻の粘膜が切れているようで、初めは口や鼻周りだけだったが次第に皮膚が裂け、額や頬からも血が滲む。
血だけではなく痣も増え、見るに堪えない酷い顔になっていく。まだまだこの程度では終わらせない、顔の原型がなくなるまでぐちゃぐちゃに捻り潰してやる。
「っ…ぐっ!」
顔を潰すために振り下ろしていた拳が奴の能力で急激に後退し、一時的とはいえ大きな隙を晒すことになる。殴られる最中で、抵抗する意思が見えないと思っていたが、タイミングを計っていたのか。
「私は何を勘違いしていたんでしょうか…おかげさまで目が醒めましたよ…っ!」
能力を除いて、正邪からの初めての反撃だ。握った拳を私の先ほどあれだけ暴力を振るわないと謳っていたが、こうもあっさりと意見をひっくり返してきたところを見るに、やはり嘘だったか。
崩れ落ちていた体勢から上へ拳を振り抜く一撃、当たったとしても大してダメージはないが、当たる必要はない。上への攻撃に集中している正邪の脇腹へ弾幕を叩き込んだ。
「うっ…あぁっ……!?」
避けることにお向きを置いていたことで、致命傷を与えることはできなかったが、弾幕が身体を貫通した。穴が穿たれ、正邪の姿勢が大きく崩れた。拳は虚空を切り、何にも当たることなく腕が伸び切った。
「私も心苦しいんですよ~?弱者をこうして殺さないといけないなんて」
血が溢れる、ぽっかりと開いた腹部の穴を押さえ、天邪鬼は膝を着こうとする。この程度では終わらせず、防御するしぐさすら見せない彼女の顔面へ横から拳をお見舞いした。
立て直し、拳の進む方向を反転させることができなかったのだろう。まともに真正面から振られた拳に顔が跳ね、頭に釣られる形で正邪が吹き飛んでいく。
「あぐっ……っ……」
満身創痍。後、一手か二手と言ったところだろう。私の攻撃で死ぬのが先か、それとも奴の心が折れるのが先か。
私にとってはどちらでもいいのだが、後者であれば楽しいのは明らかだ。どう化けの皮が剥がれるのか見れるのであれば面白そうだ。
そう思いながら倒れ込み、朧げな瞳で迫る私を見上げている正邪の方へ歩みを進めていると、足元に紙切れが落ちているのが見えた。
手のひらに乗るぐらいの大きさの紙は、文字が書かれた更半紙ではなく、特殊加工されてそう簡単には色褪せず、破れない写真のようだ。
砂などがこびり付いておらず、風化していない様子から落として間もないだろう。私は写真なんてものを持っていない。この周辺で誰かが争った形跡もないため、今しがた吹き飛ばした正邪が落としたものか。
立ち止まって拾い上げ、誰が映っているのかを確認しようとすると、正邪が手を伸ばして制止するが、距離が開いていて全く届かない。
裏面が見えていた為、裏返すと現像された写真が目に入る。その人物には覚えがあった。思い出そうとしても、もうずいぶんと前の事で顔もよく思い出せないが、こんな顔をしていたか。
白い歯を見せ、屈託のない笑顔をこちらに向けている針妙丸の写真だ。前の会話では、まるで自分は針妙丸を大切にしていると言いたげな言動をしていたが、随分とキャラ付けが凝っているな。
だが、どうせ嘘なわけだし、どうでもいいか。片手で持っていた写真を両手に持ち変え、おもむろに引き裂いた。この弾幕が飛び交い、爆発が起こっている世界の中で、紙の破れる音と言うのはよく耳に残る。
爆発や怒号に慣れてしまっている耳に、無機質な紙の音は非常に場違いで、朧げな正邪の耳にもしっかりと届いたようだ。
写真を真っ二つに切り裂くと、ボンヤリと焦点の定まっていない正邪の瞳に光が戻り、こちらが何をしているのかを悟ったようだ。彼女の瞳が怒りに満ちていく。
これ以上こちらが干渉せずとも、そのまま気絶して無意識へ落ちていきそうな気配だったが、どうやら引き戻したようだ。早く決着をつけるのには、逆効果だったようだ。
貫いた腹部からは血を滲ませながらも正邪は立ち上がり、こちらへと敵意を向ける。確実に戦う意思は、牙はへし折ったと思っていたが、いまいち足りなかったらしい。それでも貫かれた腹部を回復させることもできておらず、敵になりうるだろうか。
「…っくそ……野郎ですね…!」
いやはや、ここまで来ると奴の嘘の演技を貫こうとする姿勢には、天晴と言う他ない。自分の命よりも嘘が勝るとは思ってもいなかった。
本当に写真を破り捨てたことを怒っているようにしか見えない気迫があるが、張りぼての怒りなど取るに足らない。すぐに化けの皮が剥がれるだろう。本物だろうが、世迷言だろうが、関係ない。これで終わりだ。死にぞこないを死へ送ってやるとしよう。
捨てた写真を踏みにじり、正邪へ向けて歩みを進めようとすると、腹部から血を垂れ流す正邪の顔が一層険しくなり、歯を噛み締める。
「人はそう簡単には変われません…天邪鬼は、どうしたって天邪鬼にしかなれません………。実現できやしない、体裁は…捨てる…!」
私よりも先に、今度は正邪からこちらへ歩み、忌み嫌っていると豪語していた暴力を振るうために向かって来た。その考えになるのには遅すぎたし、戦力の圧倒的な差にしても戦いが始まった時点でこいつの負けは既に決まっているようなものだ。
私を殺すための計画や、裏をかく狡猾さが見えない。ただ己の感情に任せ、怒りに身を委ねた半ばやけくそに近い。口の端から垂れる血を拭うこともせず、拳を私の顔へ叩き込もうと振りかぶる。
その動作だけでも、こいつがこれまでに肉弾戦を一切やってこなかったことは、手に取るようにわかる。不慣れで蠅が止まる程に遅い拳を払いのけ、怒りをむき出しにする正邪の顔面へ拳を叩き込んだ。
ただの人間なら、顔面の骨が砕けて陥没しているだろうが、強化された肉体はせいぜい鼻が折れる程度にとどまり、衝撃で顔を上へと跳ね上げさせた。
「ふぐっ…!?」
今ので体勢が大きく崩れた。進む意思があったとしても、体が付いて行っていない。殴ってくださいと言わんばかりの腹部や胸に、数度拳を叩き込んだ。
膝が折れ、前のめりに倒れて来た天を仰いでいる正邪の顎へ更に拳を送り出す。受け止めたり避ける動作などあるわけがなく、拳を打ち込まれると地面へ膝から座り込んだ。
顎を殴る前は倒れまいとする抵抗が見られたが、殴った後にはそれがない。完全に牙を打ち壊したと言っても過言ではないだろう。
だが、これだけやられたとしても地へ突っ伏さず、座ったままの姿勢を維持しているのは抵抗の表れだろうか。その精神は評価するが、いくら抵抗したとしてもこれで終わり、頭を潰してお仕舞いととしよう。
「さあ、死ね」
初めて自分と同じ姿をした者を殺すが、存外呆気ない物だ。これまで殺して来た者と同じく、頭を叩き潰してやる。拳を掲げ、気絶しかかっている天邪鬼へ振り下ろした。
意識をほとんど失っているため、これまでのように衝撃の反転や避けようと受け流す行動ができない。打ち出の小槌で強化された拳をまともに食らうことは、すなわち死を意味する。
こいつを殺せば、後は世界に混沌を巻き起こすだけだ。自分と同じ姿の人物を殺すよりも、霧雨魔理沙を暴走へ導くだけの簡単な仕事になるだろう。天邪鬼の額へ、拳を叩きつけた。
鈍い音、確実に正邪の頭部を捉えた感触。頸椎が折れるでも、頭が潰れるでも何でもいい。そう思いながら渾身の力で振り下ろした腕を持ち上げるが、ボロボロの天邪鬼にダメージが加わった様子はなく、浅く呼吸を繰り返している。
「あれ?」
当たり所がよかったのか、それとも、こいつにまだ能力が使えるだけの意識が残っているのだろうか。
いや、後者はない。衝撃方向をひっくり返されたのであれば、手にダメージが少なからず来るはずだが、それがない所を見るときちんと奴にダメージを与えられているのだろう。殴った時に頭が傾き、衝撃が逃げてしまったのだろうと結論付けた。
次こそ確実に仕留めよう。首の骨を折るため、今度は喉元に向けて拳を振り下ろそうと拳を掲げ、正邪が意識を取り戻す前に振り下ろした。
今度は外さないし、殴った際にこちらに帰ってくる反作用もひっくり返して威力を高め、確実に首をへし折ってやる。首だけではなく、頭もまとめて砕けるように打ち出の小槌での力を最大限に発揮し、正邪の顔を叩き潰した。
「……くひっ…!……あ?」
どんな形であろうと、奴を殺した。それを殴る前に確信できるほどに魔力を使ったはずだったのに、一度目に振り下ろした時よりも打撃音に覇気が無く、生物を殺した時の威力を感じられない。
血肉が弾けておらず、首の骨が折れる音や感触もない。知らず知らずのうちに、衝撃を反転されたのかと思ったがそうではない。徐に叩きつけていた腕を上げようとするが、腕が言うことを聞いていない事に気が付いた。
持ち上げようとしていた腕が逆にずり落ち、私の肉体を離れて地面へ落下した。水の混じる音を響かせて腕が無造作に地面を転がり、切断面から赤黒い血を零し出す。乾いた地面に赤色の水たまりができていく。
こちら側の切断面からも血液が漏れ出し、地面に第二の水たまりを作っている。全くもって理解ができない。これだけの優位性があり、それは未だに崩れていない。そのはずなのに、なぜ私がダメージを受けているのか。
正邪に抵抗した仕草は見られなかった。能力を使った痕跡もない。これが何かしらの幻覚か、もしくは夢なのではないかとさえ思えてくるが、腕を失った激痛が脳を駆け巡り、現実を突きつける。
「っ…!?…なっ…!?」
第三者からの攻撃と結論を出すまでに、かなりの時間を要した。こんな奴に加勢する者がいるはずがないと思っていたからだ。第三者が目の前に来た段階で、ようやく敵意を現れた人物に向けるに至った。
「せえええええええええいっ!!」
他の人物達とは一線を画す声だ。博麗の巫女や霧雨魔理沙、私とも違う舌っ足らずな幼い子供の声。何とも懐かしい、十年弱ぶりに彼女の声を聴いた。叫び声はあまり聞いたことが無かったが、覚えている音は記憶の中で照らし合わせずとも今は亡き針妙丸の声だと割り出した。
身長が立った私の腰よりも低いぐらいの針妙丸は、打ち出の小槌を振りかぶると腹部へ叩きつけてくる。反応が遅れたことでひっくり返す程度の能力が間に合わなかった。
打ち出の小槌が針妙丸の願いを聞き入れ、その力を発揮させる。淡青色に輝く魔力が弾け、小槌へ送り込んだ分の魔力を消費し、私を後方へ吹き飛ばした。
計算して飛ばしたのかは知らないが、丁度私が吹き飛ばされた方向には木が無く、掴める物がないため十数メートル程滑空し、地面へ落下した。
「っ……ああああっ…!」
地面を滑り、数秒かけて残った腕と足で止まった。腕からの激痛に思わず声を絞り出す。ダメージ自体負うことが無いため慣れておらず、痛みに誘発されてパニックを起こしかけるが、打ち出の小槌の魔力を使い、千切れた右腕を再生させた。
「はぁ…はぁ……!」
この短時間で二度も腕を失ったが、これ以上は体験したくもない痛みだ。激痛に唸りつつ、現れた第三者を見上げた。
幼い小さな子供にしか見えないが、これでも立派に成人している小人。すぐに私が反撃しないと見定めたのか、体の向きを変えた。
私と言う支えが無くなったことで、地面に倒れ伏せている正邪に、淡青色の光を輝かせる打ち出の小槌で軽く叩いた。
淡青色の魔力が弾けると、こちらから見ていてもわかる程に、正邪の顔色がよくなっていく。腹部から流れ出し、小さな血の水たまりを作り出していたが、その広がりに拍車がかかる。
ほとんど閉じかかっていた瞳が開眼し、小槌で叩かれた正邪が勢いよく飛び起きた。自分の傷が回復しているのが信じられなさそうにしているが、目の前の少女についてもかなり驚いているようだ。
彼女たちの世界線がどういった流れなのかはわからないが、こちらとは大きく変わらないだろう。二人が一緒にいるという事は、逆様異変がまだ起こっていない準備期間中なのだろうか。
針妙丸は馬鹿が付くほどのお人好しではあるが、裏切った人物とその後も行動を共にするのは考えられない。裏切る前だから正邪があれだけ感情を高ぶらせたように見せたのも辻褄があう。
それなら都合がいい。関係を壊させ、できた隙をついて二人纏めてあの世に送ってやろう。正邪も針妙丸さえ死ねば戦う理由もなくなり、戦意を喪失するはずだ。
顔や胸、腕や脚。体中のありとあらゆる部分から痛みが発せられていたはずなのに、いつの間にか痛みが全く感じなくなっていたことで、自分は死んでしまったのだと勘違いしてしまいそうになった。
自分の体をまさぐり、怪我が狸に化かされたように、綺麗さっぱり無くなっているのを確認した。すでに完治しているのにも驚いたが、もっと驚愕する原因が目の前に立っている。
「っ……姫…!……どうしてここに…いるんですか」
驚いたどころではない。追われ、追う関係性で、攻撃を仕掛けてくることはあったとしても、助ける理由など一切ないはずなのに。
「別に、散歩してたらたまたま見知った顔がいたから助けに入っただけ」
こんな終わった世界に散歩に来るほど能天気ではない。どんな子供だろうが気が付く嘘だ。どんな形だろうと、どんな理由があろうとも裏切った私を、助けてくれた。
「いつまで鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるの?戦うんでしょ?」
そう言って、逆様異変の前と変わらない調子で、こちらに小さな手を差し出してくる。霧雨魔理沙の言葉が頭の中を過ぎるが、それでも裏切った対象が目の前にいるのはかなり気まずい。
「そう、ですが……私は…」
「正邪」
どう言葉を紡いでいいかわからず、口ごもっていると、見かねた彼女が私を遮って口を開いた。
「私は正邪が言ったこと、間違ってると思う」
彼女は何に対して違うといっているのか、何を言われるのか全く分からない。予想ができず、若干身構えてしまう。
「人は変われるよ。何者にでもなれる。城の中に引きこもって外に出ようとしなかった私を変えて、外へ連れ出してくれたあの時みたいにね。…私は、正邪が本当に変わろうとしてるなら、変われると思う。なろうよ、天邪鬼以上の者に」
まさか、そんなところから聞かれているとは思わず、咄嗟に返答を返すことができない。たとえ頭が回ったとしても、上手く返答などできたかも怪しい。
彼女が言うように、こんな捻くれに捻くれた私が、変われるだろうか。表面が、見てくれだけが変わったのでは意味がない。本質から変えなければ、すぐにひっくり返ってしまうだろうからだ。
「私に…なれると思いますか…?」
「うん!」
本当に、あの時とはまるで立場が逆だ。
「なれるよ、絶対!」
伸ばしかけていた手を、針妙丸が掴んでくれた。しっかりと、力強く握り、座り込んでいた私を引っ張り起こしてくれる。体格差的に難しそうだったが、思ったよりも簡単に私は起き上がれた。
「奴さんも起きたみたいだし、頭を切り替えていこう」
「……そう…ですね」
私の服にこびり付いた砂を払い落としながら彼女はそう言って、吹き飛ばした異次元正邪の方へ向き直るが、私はまだ混乱していた。状況が変わり過ぎてついていけていない自分がいる。
「姫……あの……」
「話はあとだよ正邪。終わったら聞くから」
そうだ。今は目の前の敵に集中しなければならない。せっかく針妙丸が絶望的な状況を打開してくれたのだ。この波に乗らなければ後がない、気持ちを切り替えなければそれこそあっさりとひっくり返されるだろう。
一度、彼女に伝えたかったこと、言いたかったことを忘れ、自分と全く同じ姿の敵に向きなおった。
次の投稿は、4/30の予定です。