それでもええで!
と言う方のみ第百八十話をお楽しみください!
会話の長さや仲の良さ等に影響はされるが、
兄弟だろうが、家族だろうが、恋人だろうが、友人だろうが、一時間の間に数回の嘘が存在する。
と心理学者の偉い人の本に載っていた気がする。
針妙丸と正邪は、よく似ている。似ていると言っても性格の話ではなく、境遇や培った能力がだ。特殊な能力者が集まるこの幻想郷でも特に珍しい、数少ない現実改変能力者。
針妙丸は打ち出の小槌を介してでなければ、能力を使用することはできないが、願いを込めるだけでそれを現実へ出現させる。
正邪のひっくり返す程度の能力は、過程や現実への介入の仕方、効果のほどは違えども、現実を自らが好むように改変することができる。
だからこそ当時の針妙丸にとって、似た能力と似た境遇の彼女は唯一の理解者であり、心のよりどころでもあった。
過去に小人が起こした大罪は、現代では殆ど語り継がれていない。長い月日が流れ、何世代も前の話など、おとぎ話とそう変わらない。おとぎ話も語り手がいなければ、次第に廃れていく。話をされることも無くなれば次の世代に伝わらず、皆忘れていってしまっていた。
しかし、全てを忘れたわけではなく、過去の悪事を罰する習慣だけが、現代に悪い形で残ることになる。
過去の出来事では打ち出の小槌を私欲のために乱用し、その代償について全くの無知であったために悲劇が起こった。
傲慢さゆえに起こった悲劇を繰り返してはならないと打ち出の小槌を再度封印するが、この時点で一寸法師の話は殆ど語り継がれていない。過去の事を紡いで伝えていくのが下手な小人は、間違った方向に歩み出してしまう。
小槌を扱う能力を持つと不幸が起こると時間と共に改悪され、打ち出の小槌を扱える能力を持つこと自体が、災厄の前兆としてタブーと語られることとなった。
こんな状況の中。忌み嫌われている小槌の能力を持った針妙丸が生まれたとしたらどうだろうか。不幸や厄として、迫害されるのは火を見るよりも明らかだ。
曖昧な歴史、歪められた事実、それに対する間違った対応。歴史から学ばず、事実を歪曲し続け、顧みることはない。
そして、先代やもっと前の代から正確に話が伝わらず、現代に至っては過去の出来事すら忘れられている始末。自分がいじめられている理由が分からず、いじめている側もなぜいじめているのかわからない状況となれば、理不尽ないじめに鬱憤は溜まり、憤りは爆発する。
そこに、境遇の理解者として手を差し伸べた者がいれば、拒むことなどできないだろう。世界を変えたいと思うだろう。そこをつけ狙われた。
天邪鬼の言葉に、抑圧され続けた針妙丸の心は揺り動かされた。彼女の思想に、目的に、理由に惹かれ、逆様異変のために手を貸した。
たとえそれが、利用されているとなんとなくわかっていたとしてもだ。自分が自分である、自分が必要とされている、欠落した自尊心が欲しかったのだ。
歴史を甘んじた代償は、逆様異変と言う形で払うことになる。
輝針城の中、自分の与えられた狭い部屋だけが針妙丸の世界だったが、外に出たことで世界が開けた。生まれてから、これほどまでに充実した日々は無いだろう。
しかし、充実した日々はそう長くは続かなかった。針妙丸はずっと引きこもってばかりで世間にかなり疎いが、底なしの馬鹿ではない。いじめられるが故に、その原因や理由を突き止めんと行動し、思考するだけの力は備わっていた。
正邪とかかわることが増え、外に出ることが多くなった。そうすれば、自然と他の妖怪と会う機会も増える。すぐに正邪の話と矛盾があることは耳に入ってくることとなり、彼女の評判はそれ以上に集まってきた。
針妙丸と話す妖怪たちは、皆口をそろえて言った。あいつは止めておけ、酷い嘘つきだと。一つのことを聞くと、十個も二十個も正邪に対する誹謗中傷、罵詈雑言が吐き出された。
正邪と一緒にいる時に他の妖怪は寄り付かないが、一人で外にいれば物珍しさに妖怪は声をかけてくる。
自分を騙していると気づくのは早かった。いや、ずっと気が付かないふりをしていたと言った方が正確かもしれない。騙されている事を自覚している時間の方が長かったが、それでも一緒にいたのは、針妙丸が彼女に好意を寄せていただけではない。
正邪は手足以外の肌を、私に見せないようにしていた。親睦を深めるために誘っても風呂も絶対に一緒に入らず、暑い夏でも薄手の服を着ることはない。
暑くても、極力肌を見せないようにしているのは、彼女が天邪鬼で逆の事をしようとしているだけではないことは、何となく察していた。寒い冬には薄着にならないのだから。
一度、彼女が風呂に入ってるところを見たことがある。見たことがあるというか、覗き見たのだ。なぜ見せないのか、その秘密に対する好奇心もあったが、異変自体が嘘で別の目的があり、風呂に秘密があるのかどうかを確認するためでもあった。
彼女が風呂に入ってからしばらくして、申し訳ないと思いながら覗いた時の衝撃はいまだに忘れない。石鹸で洗う彼女の体には、大小さまざまな、深い傷が刻まれていた。
ペイントや作り物ではない。前者であれば、石鹸等で落ちるはずであり、作り物だとしても水気で剥がれ落ちることだろう。それが、本物であるのは、いじめで何度も怪我をしている私だからわかった。
傷が本物だとしても、その怪我の大きさは私とは比べ物にならない。切り傷や引っ搔き傷が多く、どれも当時の痛々しさの面影を残している。傷の数は両手どころか足の指を使っても数えきれず、どれだけ彼女が苦労してきたのかを物語る。
いくら妖怪と言えど、傷が深ければ死んでしまう。傷を縫った跡があるが、医療機関で行った痕跡ではない。不格好で、街のヤブ医者でももっと綺麗に縫えるであろう縫い後は、自分で処置をした痕に他ならない。
ここで皆思うだろう、その傷は自業自得だと。誰かを騙し、その報復で攻撃を受けたのだと。だから、私は有らん限りの情報網を駆使して、彼女がやってきたことを調べ上げた。
知り合いなど居らず、小さな情報網だったが、彼女に対する情報は割と簡単に集まった。一つの質問から十も二十も情報が出てくる。大半が罵詈雑言で辟易したが、言葉の端端に存在する情報から、家の場所や行動範囲、どこに居てどこに移り住んでいたのかも割り出すことができた。
だが、彼女が何をしでかし、どれだけの人をどう騙して来たのか。それに対する情報は、全くもって集まることはなかった。友人が話していたという情報から、情報元に話を聞きに行くが、それもまた又聞き。それを言っていた人物に当たるが、もはや情報元を覚えていないなどザラだった。
やっと情報元にたどり着いたと思っても、言っていた本人が覚えていないなど、信憑性が薄い物ばかり。酷い物では、正邪自身に会ったこともないのに、あたかも騙されたことがあると、作り話だったなんて事も少なくない。
いろんな奴を騙して来てるんだ、今更一つや二つそれっぽい話が増えたからって、何か困ることがあるのか。そう言って彼ら、彼女らは笑っていた。
誰に聞いても、どれだけの人に聞いても、正邪とまともに話した人物はいなかった、人数を数える作業すら要しない程に。
高らかに、嘘つきに制裁を下したと胸を張る者はいても、腹を割ってサシで話した人物は一人もいない所を察するに、事実が一つ見えて来た。
彼女は人を騙して嗤い、陥れたことなど一度もなかった。
嘘なら彼女は付く。だが、それは普通の事だ。嘘をついたことが無い人物など、私を含めいないのだから。
嘘のレベルもあるだろうが、大なり小なり人は嘘をつく。親にも、兄弟にも、友人にも、恋人にだって嘘をつく。それは話を面白くするためだったり、自分に非が及ばないようにするためだったり、サプライズのためだったりと、理由は氷山の一角だが様々だ。
何年も一緒に過ごして来たから私にはわかる。正邪が付く嘘なんて、そんなレベルのものだと。天邪鬼が嘘をついたからなんだというのだろうか、過剰に反応することだろうか。
教師だって、教え子に馬鹿にされないように、教えて貰ったばかりの知識をまるで自分の物のように語る。医者だって、余命が僅かな患者に大丈夫だと肩をたたく。どれだけ徳を積んだ人間だって、自分の小さな悪事には目を瞑って自分の善行を説く。
正邪を嘘つきの天邪鬼に仕立て上げているのは、周りだったのだ。そして、ある意味で彼女の言っている弱者が見捨てられていた世界と言うのも、あながち間違いではなかった。少なくとも、正邪にとってはそうとしか見えていなかったのだろう。
命蓮寺から助け出した霧雨魔理沙が言っていたことは、当たっていた。私は、針妙丸が罰せられぬように、彼女を裏切ることにした。
当時は、私も周りからあまり情報を得られず、巫女の異変解決がどの程度まで行われているのかがわからなかった。もしかしたら殺されるかも、そう思ったら彼女が心配でたまらなかった。
いざ逆様異変が始まり、巫女達が予想通りに動き出した。戦っていくうちに敗色は濃厚となるが、彼女は最後まで抵抗を続けようとしているのは見ているだけでわかった。
彼女の負けが決まった時、矛先が向かないようにするために私は裏切り、針妙丸を被害者とする道を選んだ。自分が自分の意思で犠牲になるなど、これまでなら考えられなかった。
しかし、その道を選ぶまでには、いろいろとあった。当然だが、最初からその道を選ぶつもりでいたわけではない。
最初の頃の行動原理は自棄や、当てつけ、復讐に近かった。奴らにやられたことを返してやろうと心に決めていたからだ。私は自分が覚えている範囲で初めて、目的を持って騙し、自分の意思で他人を陥れようとした。
針妙丸を割り出すのは思ったよりも簡単だった。誰も寄り付かない、逆様の輝針城周辺にいる小人の話を盗み聞くだけで、彼女の存在を知った。数日かけて小人たちの動きを観察すれば、忍び込むことなど容易だった。
彼女に初めて出会った時の印象は、弱弱しくあらゆる願いをかなえられる力を持つ打ち出の小槌を本当に扱えるのか、心配になる程に頼りのない人物だった。
彼女と話すと、すぐに内情が見えてくる。私と似た境遇の持ち主だったことを知り、騙したことに、騙し続けなければならない事に、深く後悔したことを覚えている。
私の差し伸べた手を嬉しそうに、縋りつくように、掴んでくれた。あの表情を見てからでは、余計に罪悪感が私に重くのしかかった。
そこからでも引き返したくなるが、一度話したことは消えない。私は、どうにか隠し通して、作戦をやり切らなければならなくなった。嘘を事実としなければならないのだ。
他人を騙す嘘だが、予想以上に隠し通すのが難しい。彼女は、私が思っているよりもはるかに好奇心が強く、活発な少女だった。打ち出の小槌を扱える程度の能力を持っていたことで、抑圧され続けたあらゆる感情が爆発し、外の世界への興味が尽きない。
針妙丸が外に出る時には、一緒に行動して他の妖怪たちへ不用意に近づかせないように心がけるが、好奇心の強い彼女では長くはもたない。
出来るだけ早く異変を起こしたいが、あまり焦ってもいい事はない。それに加えて他の妖怪、巫女に悟られないように細心の注意を払わなければならないともなると、胃に穴が開きそうだった。
準備期間がやたらと長引いてしまったのは、情報の少なさだ。過去の異変について調べたいが天邪鬼が動いていると知れれば、博麗の巫女や私をよく思っていない妖怪たちに邪魔やそもそもの計画を潰されかねず、思うように動けなかった。
そもそも、私なんかに情報を教えようとする変わり者などいない。自分の立場も相まって、話しかける相手によっては攻撃を受けることもあり、情報収集は難航を極めた。
彼女と出会ってから一年以上が経過したころ、私が情報を集めようと外に出る時、針妙丸が外を出歩いているのをたまたま見つけたことがあった。
針妙丸には作戦の要であるため、不用意に外に出ないようにと伝えていたが、これだけの時間が経過すれば、彼女を輝針城に縛り付けて置くのは難しかったのだろう。
彼女の同行が気になり、私は見つからないように後を付けた。針妙丸は周りをよく見まわして警戒していたが、誰かに付けられていることが前提で動いていなかったのか、彼女の後を追うのはさほど難しくはなかった。
針妙丸は他の妖怪と会い、何かを話しこんでいるようだった。彼女の数少ない友人とは違う人物であり、相手が話しているターンの方が多い。ただ会話をするというよりも、私のように情報を集めていると言った方が自然な会話の流れだ。
何の情報を集めているのかは遠くて声など聞こえず、一切わからなかった。だが、話していた妖怪の表情から、博麗の巫女等の話ではなさそうだ。
相手の妖怪が眉間に皺をよせ、少し怒っているように見えるのは嫌な話をしていたり、思い出したりしているからだろう。
私の事を調べているのだと、すぐに想像がついた。その日だけでなく、他の日に彼女を尾行して予想は確信に変わった。針妙丸は以前拠点にしていた周辺や、私を襲ってきたことのある妖怪たちに接近しているからだ。
私の事を調べる要因になった理由は、おそらく彼女の友人たちだろう。人狼の影狼やろくろ首の赤蛮奇からの入れ知恵があったに違いない。二人も当然私の事をよく思っておらず、付き合いを止めさせようとしていたからだ。
その人物だけだと情報が偏ったり、確証が取れないと考え、他の妖怪たちにも話を聞くようにしたと考えられた。私の悪い情報など、簡単に集まることだろう。知らない因縁を付けられることなど、日常茶飯事だ。
私がどう思われて、どういう事をしてきたのか。彼女は連中が作り上げた天邪鬼で、私と言う人間性を決めてしまう事だろう。なぜか、苛立ちや焦りを感じた。
こういう風になるのは時間がかかってしまっていた以上は、避けられないと思っていたが、もう少しという所で、間に合わなかった。
これまでの苦労が水の泡となったことで、落胆した。彼女から情報が洩れ、逆様異変は起こることなく消滅する。異変を起こせなかった悔しさもあるが、それ以上に心に何かが残る。モヤモヤとやるせない思いが立ち込めていた。
どう帰ったのか、覚えていない。おぼつかない足取りで、気が付くとなぜか彼女の部屋へと向かっていた。私と言う人物を知ったことで、彼女の元から消えた方がいいはずなのに、なぜか部屋へと続く扉を開いていた。
自分が情報を集めている事を知られないためにか、先に帰ってきていた針妙丸がこちらを振り返り、いつもの笑顔を向けてくれたことに、私は困惑した。普通、自分を騙している人物に対し、こんな笑顔は向けられないだろう。
彼女は特に表情を隠すのが苦手なはずなのに、いつものにこやかな笑顔を向けてくるため、固まってしまっていた。反応を示さない私に、針妙丸が首をかしげた。
何でもないと言うと、クスっと小さく笑う。彼女に、悪意や嘘と言う物が感じられない。口調や目線からも違和感のない彼女は、本当に私の情報を集めていたのかすらも怪しい素振りだった。
私から離れ、いつものように椅子に座ってくつろぐ彼女に、私は少しの間動けなかった。昼間に妖怪と話していたのは、私とは関係のない事を話していたのだろうかと。
そんなことが脳裏を過ぎるが、最悪を想定するべきだと頭を切り替えた。いつでも、ここから離れることができるようにだけ、準備しておかなければならない。また、心が傷つかぬようにと。
その後数日経ったが、彼女から詰め寄られて罵詈雑言の嵐を吐かれる様子がないく、余計に混乱したのを覚えている。
危うく、私から言い出しそうになるほどに、彼女は動かなかった。私に裏切られていると確証するのにはまだ情報が集まっていないのか。それとも異変の直前に、計画をぶち壊すつもりなのか。
いくら考えても、針妙丸がどうするつもりなのか全く分からなかった。私が酷い奴という事を知った時点で、一緒にいる意味はない。たとえ直前に突き詰めるつもりでも、今まで通りに立ち振る舞えるかと言ったら、性格上彼女には難しいと思う。
もしかしたら、彼女は私の事を探るために情報を集めていないのではないか。そう思い、私は博麗の巫女や異変に対する情報収集を中断し、針妙丸について調べることにした。
調べると言っても、私が他の妖怪に質問を投げかけるわけではない。博麗の巫女の情報を集めていた時と同じく、変わらずこちらに危害を加えてくるだろう。
針妙丸が聞きに行くところを先読みして待つことは難しいが、いつも妖怪たちが集まる場所ならわかる。数日間かけて妖怪の集まる場所に張り込んだ。彼女の動きは妖怪たちの間で、少し噂になっているようだ。
思った通り、針妙丸は私の情報を集めていたようだ。妖怪たちの話しぶりから、私が何をしたという身に覚えのない話を、話した様子だった。ここまでわかっているのに、彼女の表情が変わらない事と私を裏切らない理由がわからず、確認することにした。
私は鬼の端くれでそれなりに酒は飲めるが、彼女は酒がかなり弱い。それこそ、飲み過ぎると記憶が無くなる程に。そこを利用し、輝針城の厨房からくすねて来た酒を、彼女と飲むことにした。
いつもは私が知り得なかった演技力と理性で、私への怒りを抑えているのだろうが、酒が入れば理性のタカが外れやすくなる。今まで溜めてきた分が、それこそ溢れ出て感情的になることだろう。
彼女は酒が弱いことを知っているため、誘ってもあまりうなづいてはくれない。一か月ほどの時間をかけて晩酌に誘い、ようやく一緒に飲むに至った。
その日は、私が彼女と絶対に異変をやり遂げようと心に誓った日だったから、今でも昨日の事のように思い出せる。
晩酌も終盤に差し掛かり、酒瓶に満杯にあったはずの酒も底を尽きかけて来た。私としては、まだほろ酔い程度だったが、彼女はかなり酔っている様子だった。
「ヒック…」
アルコールで血流がよくなっているのか、顔が赤い。酔いで頭がぼんやりして働かないのだろう。グラグラと体を左右に揺らし、酒のあてで持ってきた燻製された肉を頬張っている。
先ほどまでは彼女も楽しそうに飲んでいたが、今日はなんだか嫌に飲むスピードが速い気がする。以前に飲んだ時は、二時間ほどの時間をかけていたが、今回は一時間もかからずにベロベロになっている。
早く聞けるからいいのだが、様子がおかしくなってきているのは、やはり私に対する鬱憤が溜まっていたのだろう。肉を飲み込むと、今度は落花生などの穀物類を口に放り込んで噛み砕いていくが、その姿からも苛立ちが溜まっているように見える。
以前晩酌した時には、この位の段階で既に記憶が無かった。もう一杯か二杯ほど呑ませてから、本題に移るとしよう。
「姫…今日はずいぶんと酔っぱらってますね」
「そんらこと……ヒック…らい…」
しゃっくりを上げる針妙丸は、呂律が回っていないほど酔いが回っているのに私へお猪口を差し出した。依然としてムスッとしたまま差し出し続けるお猪口へ、私は酒を注いだ。
日本酒特有の独特な香りがする透明な液体を八割ぐらい注ぐと、彼女は一息で全て飲み干してしまう。私も酔わせるためとはいえ、少し心配になってくる。
「姫、そんな飲み方…体に悪いですよ?」
かなり無理して飲んでいたらしい。私が彼女の肩に触れると、ドミノが一気に瓦解するように、机に突っ伏した。
「う~~~~~っ……」
このまま放っておけば眠ってしまうため、本題へと移ることにした。ボーっと壁を見つめる彼女を軽く起こし、質問を投げかけた。
「姫」
「う~~…うん?」
いつものしゃっきりとした、活発な様子とはかけ離れたおぼろげな顔でこちらを見上げた。ただ聞くだけなのに、私の心拍数はなぜか上がっていた。緊張し、手が汗ばむ。
「なぜ……姫は…………。嘘をついて裏切るかもしれないと思っている私と一緒にいてくれるのですか?」
「そんらの……正邪は噓つきらないし……裏切ららいから、……だよ」
「なぜ、そう言えるんですか?」
「どう…して…?……だ…だって…」
ゆっくりと言葉を紡いで話しているのか、かなりしゃべるペースが遅い。飲ませ過ぎたかもしれないと思っていると、急に彼女の雰囲気が変わった。
定まらない思考で、理由を探ろうとした針妙丸の眉が急につり上がった。さっきまでも逆八の字になっていたが、今は苛立ちと言うよりも怒っていると言った方が近い。
「……だって…!…だってあいつら凄いムカつくんだもん!!!」
「………へ?」
私が予想した答えと違う、斜め上の回答がやってくる。やはり酔い過ぎているのだろう、前後の会話があっていない。
解答の軌道を修正しようとするが、完全に感情が爆発して、彼女は石炭を大量に積まれた蒸気機関車のように暴走を始めた。
「どいつもこいつも、正邪とロクに話したこともないくせに!!勝手な事ばっかり言いやがって!!」
いつもの彼女の口調ではない。彼女の本性と言うか、感情に身を任せて鬱憤で話している。握った両手で力任せに机を殴りつけた。ガシャンと皿や酒瓶が跳ね、陶器質な音を立てる。
最初、彼女が誰に対して怒りをあらわにしているのかわからず、止めようとした口を噤んで耳を傾けた。
「騙されて酷い目にあったとか言うくせに!詳しい内容を言えた奴なんて一人もいない!!正邪が騙して、誰かを陥れてたことなんてないよ!あいつらの方がよっぽど嘘つきだよ!」
ヒートアップしている彼女は止まらない。私が見かける前から情報を集めていたとすると、数か月と言う時間を要したことだろう。その間に溜まっていた鬱憤をここで吐き出しているのだろう。
さっきまで呂律が回らなかったのが嘘のように、饒舌に怒り散らかしている針妙丸は、お猪口に酒を並々注いでいる。
「おまけに作り話が殆どだったなんて、ふざけんなって話だよ!何が今更一つぐらい増えたからって問題ないだよ!正邪の苦労、迷惑も考えろ!!」
ムカつく!と針妙丸は自分のサラサラの髪を指で荒々しく掻き毟っている。彼女の言葉を聞いているだけなのに、熱い物が込み上げてくる。
ずっと昔に、生まれながらの性なのだと諦めて受け入れた不条理、酷い理不尽さ。それらに押しつぶされて壊れてしまわぬように、自分を守るために気にしないように、心の奥底へ無理やり感情を押し込んでヘラヘラと笑っていた。嫌味や憎まれ口、罵倒を受けても楽しそうにするフリをしていた。
言動と行動に対する思考の矛盾に心が蝕まれ、壊れ行く心に不安がのしかかる。今でも苦しい、どれだけの時間が経過しても苦痛を受け流せない私の感情を、代弁してくれているようで、気が付くと涙をこぼしていた。
涙など、等の昔に枯れてしまっていたと思っていたのに、歪んだ心にはまだ雨を降らせるだけの力が残っていたようだ。俯いていた視界が歪み、瞳から溢れた涙が頬を伝う。
膝に置いていた手の甲に涙が滴り落ち、やがて皮膚の上を重力に惹かれて床へ落ちていく。
「あんな奴ら、正邪の苦労を一度その身で味わってみればいいんだ!!ぜぇぇぇったいに異変を成功させようね!正邪…って、あれ!?どうしたの!!?」
今更ながらに私の状態に気が付いたらしい。口に含もうとしたお猪口を机に戻し、目を白黒させてこちらに向きなおった。
私が泣いている所を見るのは初めてだったのだろう。焦って右往左往する彼女に手を伸ばし、力一杯抱き寄せていた。
風呂上がりの石鹸の良い匂いが、酒で上がっている体温が、彼女の柔らかい体が私を優しく向かい入れ、包み込んでくれる。
最初は驚き、体を強張らせていたが、すぐに緊張を解くと私の背中や後頭部に手を回し、泣きじゃくる私を受け入れてくれた。
針妙丸へ何か気の利いた言葉でも返せればよかったが、感情が高ぶっている私に言葉を返す余裕などあるわけがない。受け入れてくれる彼女に甘えに甘え、泣いた。
数十年分、数百年分が一気に押し寄せ、ひとしきり泣いた。泣いて、泣いて、泣き続けて、泣きじゃくって、泣き疲れた。
途中までは、何かを私に語りかけたり、頭を撫でてくれていた針妙丸も、酔いのせいか眠りに落ちてしまっている。静かな寝息を立て、私に身を預けている。
どれだけ泣いたのか、時計の針の角度が変わってしまっている。それだけの長時間、私に付き合ってくれた彼女を、床の上で寝させるわけにはいかない。布団に横にさせた方がいいだろう。
輝針城の中でも、一番端が彼女の部屋だ。そこで呑んでいたのが功を奏し、すでに敷かれている布団まで移動し、彼女を横にするだけでいい。
彼女を放したくなくて、離れたくなくて、抱きしめたまま私も疲れた体と心を癒したいが、勝手に布団に潜り込むのは気が引ける。布団を肩まだかけ、離れようとすると私の手を小さな針妙丸の手に掴まれた。
いくら酔っていても、抱き起して移動させたのであれば眠りから覚めてしまう。気を付けていたつもりだが、気づかれてしまった。
「正邪……おいで…」
眠気眼の針妙丸は、心の中を見透かすように両手を広げている。散々泣いた後に、まだ甘えてしまってもいいのか、わからないでいた私を彼女が無理やり布団の中へ引きずり込んだ。
小人用の小さ目の布団で、手や足先が出てしまう。体を丸め、受け入れてくれた針妙丸を抱きしめた。
「えへへ」
彼女は破顔し、笑みを浮かべていたが、数分と立たずに寝息を立て始めた。私も寝ようと彼女の体温を感じたまま、瞳を閉じて眠りにつく。いつも、悪い事ばかりがフラッシュバックし、就寝するのに時間がかかっていたが、今日は不思議と眠気を感じるのが速かった。
私はこの時に心に決めた。どんなことがあろうとも、私を信じてくれた彼女だけは助けると。たとえ、どんなことになろうとも。
次の投稿は6/11の予定です。