東方繋華傷   作:albtraum

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自由気ままに好き勝手にやっております!

それでもええで!
と言う方のみ第百八十七話をお楽しみください!


東方繋華傷 第百八十七話 迷妄

 慌ただしく、人々が交差する。その動きに規則性なく、走ったり歩いて広いとは言えない通路を行き来する。普段の閑散とした様子とは打って変わって、スクランブル交差点の様に満足に進むこともできない。

 私が小柄であるせいで、体重のある大人たちに押されてしまっているのもある。普通の精神状態なら、彼ら彼女らも私が通れるぐらいに道を開けてくれただろうが、一人残らずパニックに陥り、自分の事で精いっぱいな様子。通ろうとする道がすぐになくなり、見えるのは人々の背中だけ。

 進んでも押され、どんどん目的の場所から離れていってしまっている気がしていたが、建物の位置関係からやはり進めていない。

 くそ、邪魔くさい。心の中で罵りつつも、今度は小さな体を活かして狭い隙間を縫っていく。揉みくちゃにされているせいもあり、その足取りは遅くて重い。

 人ごみの中を歩かなければならないのもそうだが、周囲の喧騒も、嗅ぐだけで気分の悪くなる血の匂いも、私を苛立たせてくる。

 人出が少ないせいで駆り出されているとはいえ、自分の役割だから仕方がないと何度目か無理に納得させた。だが、おしくらまんじゅうをしているのに近い、人混みを歩いているだけで辟易してくる。

 気分に引っ張られる形で、肉体的にも疲れて来た。かれこれ十数分も往復して走ったりしているのもあるが、両手で運んでいる取り回しの悪い白い箱を持っているせいでもある。

 箱の色調は主体を知ろとしている大きな箱で、側面には赤い十字架に近い模様が描かれている。救護を意味するマークが施されたこの箱の中身は、消毒液や包帯や縫合針など、治療に使う道具が一式詰め込まれている。

 大部分の重量を消毒液が占めており、重すぎてぶん投げだしたくなるが、これを待っている人物がいる。今は何が何でも送り届けなければならない。

 いつもならそう遠くはない距離のはずなのだが、人々を避け、たまに無理矢理押して通らなければならず、永遠亭の中が迷路のように感じた。

 走る村人に突き飛ばされたり、行列に流されそうになるが、逆らって逆に押し返して進むが、それをしたところで文句をいう者はいない。その行動よりも大変な事が起こっているため、気にも留めない。

 こんな状況になったのは十数分前だ。博麗の巫女達の戦況が大きく傾き、こちら側への侵入を許してしまったのかもしれない。

 村のある方向から何か大きい音が聞こえたと思ったら、このありさまで、大小はあるが様々な怪我を負った人間が雪崩れ込んで来た。

 ある者は足を引きずりながらも自分でたどり着き、ある者は担架や他の者の力を借りて、途中で運べなくなった者は永遠亭へ助けを求めに来た。

 病院が活躍する状況など、最悪だ。だが、病院としての役割を果たせているのは、永琳の教育が行き届いているからだ。医療に従事している兎たちは、迅速に動いている。

 永遠亭の有用性が見える反面、それもいつまで持つのかわからない。現に看護師でもない私や私の部下たちが駆り出されている時点で、かなり医療がひっ迫しているイメージを受ける。

 私の命令を受けた兎たちが駆けずり回り、医療器具を運んでいる。医療に従事するウサギが怪我の具合やバイタル反応を確認し、怪我人のトリアージを行っている。

 どんな災害な時にだって、永遠亭ではトリアージなどしたことが無い。過去最高の被害を受けていると言っても過言ではない。

 医療器具が置かれている倉庫に通じる廊下からようやく抜け出し、普段なら患者が診察を待つロビーに出たが、いつもの景色とは違う。椅子など邪魔なものは端に置かれ、タオルなどを床に敷き詰め、受け入れられる人数をどうにか確保しているようだ。

 慌ただしさは、廊下の比ではない。野戦病院と化したロビーを目的の場所に向かって歩き出した。

 今し方運び込まれ、助けを呼ぶ大声。治療の対象から外れたことを、感情を剥き出しにして爆発させる罵声。死にゆく家族、友人を看取り、すすり泣く嗚咽。

 喧々たる音は怪我人側だけではなく、兎側からもだ。周囲の喧騒で情報伝達が遮られるため、自然と大声で指示を出している。機材の要求、バイタルが変化した際の対処、心停止が起こった怪我人に対し、心臓マッサージを施している。

 この状況を作り出した方はもっとひどい有様で、ここにたどり着く前に力尽きた者も少なからずいるだろう。

 しかし、ここにも戦地とは違った戦場があり、地獄がある。死体から流れ出した血液に足を取られそうになりながらも、千切れた腕、内臓に躓きそうになりながら、目的の場所に近づいていく。

 命の重さはどこに行こうが、誰であろうが変わらない。しかし、状況によっては感じ方が変わってくる。ここは戦地と同じぐらい死が身近にありながらも、戦地よりも倫理観が希薄していないため、命の重さは戦地以上に感じるだろう。いや、正常に戻ったともとれる。

「てゐ!遅いじゃない!」

 永遠亭で唯一の医者である永琳が、吐血している患者の腹部を押さえながらこちらへ振り返る。

「仕方ないだろ、これだけの人がいるんだから」

 苦しむ怪我人の局部を押さえている永琳に、救急箱を差し出した。血塗れの手で箱を開き、作り置きしていた薬と消毒液を取り出していく。

 傷口を消毒液で洗浄し、筋肉まで露出している裂傷部に薬を塗り、縫合して素早く包帯を巻いていく。幻想郷ではこういった怪我は珍しくなく、慣れた手つきで治療を終えて次の患者へと向かった。

 怪我の種類は多岐にわたり、その重度も性別や年齢、部位などにより治療が変わるため、幅広い知識と対応できる医療器具が大量に必要になってくる。

 切創と一口に言っても、切断してしまっているのか、千切れかけているか、血管を傷つけてしまっているのかで対応がまた変わってくる。そのため、永琳はともかく他の兎たちは処置に手こずっている。

 しかし、兎たちが手こずっているのは、傷の傷口を見るに、素人目に見てもただの切創でないのは簡単に分かった。刀の傷口のように、綺麗な傷ではないからだ。

 傷口の形から斬られたというよりも強い力で千切れたとか、もっと切れ味の悪い物体で切り裂かれた印象を受ける。

 大量の妖怪が攻めてきて、得物で切り裂かれたものではなさそうだ。病人が担ぎ込まれる前の聞こえて来た轟音は、もしかしたら爆発音だったのかもしれない。

 爆発だとしたら、衝撃波に家屋が薙ぎ払われたのだろう。飛んできた飛散物に体を切り裂かれ、一部を欠損したと思われた。爆発音が聞こえたのは一度だけ、たった一度の攻撃でこれだけの被害が出るというのは考えられない。

 窓の外を見ても景色は竹林しかないが、竹林の奥にある永遠亭は少し標高が高く、村方面の竹は背が少しだけ低い。村までもが見渡せるわけではないが、その上空辺りには目が届く。

 薄っすらと砂煙が漂っており、爆発の強さを物語る。現時点でも永遠亭はひっ迫しているが、あれだけの爆発での被害がこれだけとは考えられない。これからもっと忙しくなるはずだ。

 それがわかっているのだろう。永琳は兎たちの手に負えない重症の怪我人だけを扱い、兎たちには比較的怪我の軽い患者に従事させ、効率化を図っている。

「てゐ、兎たちへの指示をお願い」

 通常の業務でも彼女は診察室に籠り、患者との会話や触診で診察を行っているため、誰かに指示を出し、治療をさせるというのはやや苦手だろう。

 私は普段から他の兎に指示を出し、命令を下すことに慣れている。兎たちも直属の上司でない永琳から命令されるよりも、私に指示された方が指令系統的にもスムーズだろう。

 それに、近場の人をランダムに治療するよりも、どれだけのレベルの治療を要するのかで分けた方が、永琳も兎たちもやり易いはず。

 永琳から命令されることに若干の不服さはあるが、普段のマイナスイメージをここで払拭して、今後の悪戯等に目を瞑ってもらう貸しにしておこう。

「いいよ、一つかしだからね」

 丁度、物の輸送に飽きていたところだ。二つ返事で返し、自分の仕事へ移る。治療レベルの段階は、永琳には悪いが素人目で分けさせてもらうとしよう。

 どの兎がどこまでの治療を行えるのかは、おおよそ把握している。怪我人の流れと配置をまずは改善する。

 兎たちに命令を下しながら、ちらりと窓の奥にぼんやりと写る砂煙に目を向けた。これだけの被害を出した爆発など、私でさえもまったく想像がつかない。あれに対処できるなど、博麗の巫女ぐらいだ。あの舞い上げられた砂煙の下では、今もなお戦いが繰り広げられているのだろう。

 あっちはあっち、こっちはこっちの戦いを始めるとしよう。助けた意味がなくなることだけはないようにと、博麗の巫女達に祈る。

 治療を終えた動ける怪我人には、外へ移動して体を休めてもらう。災害時の時のために、ブルーシートをいくつか用意していたはずだったので、そこで休んでもらう。

 自力で動けず、安静が必要な怪我人を備え付けのベットへと移動させていく。これの流れを明確にするだけでも、人の動きがスムーズになる。

 以前から入院していた人の配置やベットの空き状況を確かめるために、病室へと向かうと前の戦闘で怪我を負っている妖怪たちの部屋に付いた。

 烏天狗や河童たちがこの喧騒の中をベットで眠っているが、動けそうな者たちには申し訳ないが移動してもらうことにしよう。

 説明を他の者に任せて次の部屋に行こうとするが、部屋の一角にこの場に相応しくない人物がいるのが見えた。

「………。何してんの?」

「見て分からないかい?入院だ」

 そう言って酒を煽るのは、額から真っ赤な角を生やす鬼だ。幻想郷でトップレベルの戦闘能力が在り、怪我とは無縁というか怪我が見当たらない星熊勇儀だ。

「どう見たって怪我してないじゃん」

 他の妖怪たちは手や足を失っていたりするのも珍しくはないが、彼女は綺麗に五体が残り、切り傷や打撲等の怪我も見当たらない。

「仕方がないだろう?博麗の巫女が一応調べて貰えって永遠亭に向かわせられたんだから」

「酒を飲むほど元気なら、さっさと戦ってきなよ」

 そう言いながら隣のベットに視線を移すと、そこにも病院に来るような人物ではない息吹萃香が眠っている。だが、星熊勇儀と違うのは、彼女こそ重体だからだ。

 全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、氷で冷やされている。ところどころに見える皮膚が、赤く腫れている事から火傷を負っているのだろう。妖怪で、しかも永琳の薬も使っているのにこの状態という事は、かなり容体はよくないと思われた。

「そうだねえ…。支度して、行くとするかな」

 勇義が武器を使って戦うところなど見たことが無いし、服装も病衣に着替えているわけではない。支度することなど無いと思っていたが、萃香の方へ歩んでいくと、眠っている彼女の頭を撫でる。

 戦いには喜んで参加しそうだし、酒を飲んで気にも留めていない様子だったが、内心ではかなり心配しているらしい。酒を飲んでいる時とは違って、真剣な眼だ。彼女なりの励ましでもあったのだろうか。

 二人の仲がどれだけ深いのか、どれだけ強い絆を持っているのかは私は知らない。しかし、こういう時にあまり水を差さない方がいいだろう。別の病室へと足を進めた。

 部屋の状況を確認し、動ける妖怪と人間を入れ替えることで、新たに複数の部屋を用意できた。だが、爆発の規模を考えるとこれでも心もとないため、長椅子等で簡易ベットを確保した方がいいだろう。

 ベットの手配を一部の兎に頼み、倉庫にある薬の様子を見に行くことにした。いくら設備があっても永琳の薬が無ければ話にならない。この異変が始まってから、永琳も薬を多めに貯蓄しているだろうが、それでも村で爆発が起こるとは想定していないはず。

 自分なりに脳を回転させ、薬が貯蓄されている倉庫に向かう。不足した分の薬を取りに行き交う兎を追い、倉庫の中に入った。

 広さは六畳程度はあり、壁際には木の棚で治療に使う針や糸、包帯などが保管されている。薬は低温で保存しなければならないらしく、金属製で扉がガラスでできている家庭用の冷蔵庫とは、また違う形状の冷蔵庫に入っている。

 ボトルで作り置きしていたらしい。十数リットルは入る大きなプラスチックの入れ物があと十個ほどあり、しばらくは持つだろう。

 針や糸、包帯の貯蓄も確認しようとした。顔を冷蔵庫とは反対側にある木の棚に向けると、その過程で倉庫内の光源確保で付けられている窓に何かがチラついた。

 虫か何かだろうと思うのには違和感があり、視線を今一度窓の方へと向けた。ガラスを介した奥の景色には、竹林をかき分けて突き進もうとする何かが写った。

 攻撃されて吹き飛ばされたという挙動ではなく、意志を持ってこちらへと向かってきている。しかも、この保管庫に向けてだ。

 私の視線に気が付いた兎たちが我先にと出口へ向かっていくが、不明の来訪者が窓を壁ごと破壊する方が速い。

 木々を破壊する、ガラスを粉砕する破砕音を響かせながら、命蓮寺の僧侶がこちらへと突っ込んで来た。隣の世界から来たのがどういった人間なのか、見たことが無いからわからないが、直観でこいつが異次元から来たのだと感じた。

 棚を破壊しながら異次元聖が私の顔を右手で掴み、逃げようとしていた兎たちをその体躯で薙ぎ払った。衝撃や突っ込んで来た僧侶に吹っ飛ばされ、床を転がり、壁に叩きつけられた。

 妖怪でも戦闘に参加しない者が多いため、今ので起き上がれずに倒れたまま気絶する兎も少なくはない。異次元聖は勢い余って部屋の壁を破壊し、私は掴まれたまま廊下へと連れ出された。

 私が抵抗して声を上げるまでもなく、それだけの騒音が立てられれば、ロビーにいる永琳は何かあったのだと出てきてしまう事だろう。

「てゐ!?…なにが…」

 治療を施している最中だったのだろう。ただ事ではない音に廊下に出て来た彼女が、異次元聖が現れたことで息を飲むのを感じる。いくら死なないとはいえ、丸腰では何もできない。

 こちらでもどうにかできたらいいが、私も私で他人の事を考えている暇はない。私の命は異次元聖の掌で転がされているのと同意義で、少し力を入れるだけで顔を砕かれるだろう。

「あなたに頼みたいことがあってきました」

 笑う異次元聖は脳震盪から立ち直り、状況が飲み込めていない兎の一人を蹴り殺した。右足で踏みつけられた兎は苦しむ間もなく内臓を口から曝け出し、体を潰されて死んでいく。

 脅しだ。他の連中もこうやって殺されたくなければ、いう事を聞けと言葉ではなく行動で示している。

 骨が肉体を突き破って飛び出し、滝の様に流血する兎から足を引き抜くと、裂けた皮膚から体内に残る潰れた内臓が少し零れる。

「っ…!」

 その光景が異次元聖の指の間から見え、自分もその道をただるかもしれないと考えると、恐怖でパニックを起こしかける。しかし、異次元聖の殺気にあてられ、手足を一ミリも動かせない。彼女の癇に障るようなことをしてはならないと本能が言っている。

 血液の匂いが充満していた廊下が、さらに強い血と独特な内容物の匂いが上書きしていく。慣れない兎や人間が耐えきれずえづく声が聞こえた。

「当然、引き受けてくれますよね?」

 異次元聖は、言っている。引き受けなければ殺すと。私や兎では終わらず、この場にいる全員を血祭りに上げるが、どうしますかと永琳に問いかける。しかしその問いは、選択肢と言えるものではない。

 彼女の人としての雰囲気がかけ離れているため、その異質さに兎や怪我が比較的軽い人間たちが動けずに固まっている。今の静寂は長くは続かず、何きっかけがあればすぐに我先にと永遠亭から逃げ出すことだろう。

 彼らも、私を掴む彼女にも、できるだけ刺激を与えない方がいい。いつ殺されてもおかしくはない、村人たちも私も。

「ここに来たという事は、何かしらの治療を必要としているのよね」

 永琳も異次元聖の癇癪に触れぬように、ゆっくりと優しい声で話す。内心は彼女もあせっているのだろうが、私や村人たちがパニックを起こさないようにするためでもあるだろう。

 その声は私の助けにもなり、何とか平常を保っていたか細い精神をつなぎ留めた。暴れ、叫び散らしたい欲求をどうにか飲み込んだ。

 なんとか一時は精神を落ち着かせることはできたとしても、のちの状況次第では即座にその糸は千切れてしまうだろう。自分をいつまで取り繕うことができるか、いつ頭部を握り潰されるかわからない。緊迫した状況と奴の気迫に圧倒され、手や足が小刻みに触れる。口を動かす筋肉も痙攣し、歯と歯がカチカチと打ち合わさる。

 それが彼女の殺戮衝動を助長してしまうのではないかと気が気でなく、抑え込もうにも死を超越できるほどの精神力を持ち合わせていない私には不可能だ。震えは止まらず、生きた心地がしない。

 異次元聖を間近で見た兎の一人は、あまりの恐怖で失禁してしまっている。濃い血の匂いにアンモニア臭が混ざり込み、悪臭が際立つが、今更気にする者などいない。そんなものが自分の生死にかかわることは無いからだ。

「さすがは医者ですね。話しが速くて助かります」

 そう呟いて嗤う異次元聖は、今までに見たこと無い程に悪意に満ちた笑顔を作って見せた。長年生きて来たとしても、こんな奴は見たことが無い。世界の広さを実感するとともに、彼女が私を殺さない未来を想像できなくなった。

 目的を果たした途端に利用価値がなくなったと、永琳も含めて鈴仙のように全員殺されかねない。体中から冷や汗をかいているのか、背中を雫が垂れていく。私の勘は宛にならないが、今回ばかりは本当に嫌な予感がする。

 自分を犠牲にして異次元聖に永琳たちを向かわせる度胸はなく、命乞いばかりが頭の中を過ぎっていく。こんな時にさえ保身や悪知恵ばかりが浮かんでくる自分が嫌になった。

「その怪我かしら?」

 距離を置きつつも異次元聖へ診察を始める。緊張からか、少し上ずっているように聞こえるが、口調はいつも通りだ。

「ええ、これです」

 血がこびり付き、滴り落ちている足で床に足跡を残しながら、数歩前に出ると下手な動きをすれば殺すと私を掲げ続ける。

「これを治してもらいたくて来たんですよ」

 そう呟きながら異次元聖が私の頭を掴んだまま左腕を差し出した。私の角度からは永琳に見せている傷は見えないが、左腕には右腕と同様にびっしりと入れ墨が彫られている。

 一般的なイメージである、龍や鬼など派手な絵柄が彫られているわけではなく、黒い様々な形をした文字の様なものが彫られているようだった。

「そう…なのね…。あなたぐらいなら、その程度の怪我は訳ないと思うのだけれど?」

「いやいや、そんなことで来るわけないじゃないですか。入れ墨ごと傷を治せって言ってるんですよ」

 無理難題なことを異次元聖が言い始めたことで、私は雲行きが怪しくなるのを感じた。聞いた話では、薬は当人の回復能力を向上させる代物であるため、回復の際は本人のDNAという金型に合わせて肉体が構築されていく。遺伝子関係なく外傷的に作り出された入れ墨など、治せるわけがない。

「ええ、そういった薬はあることにはあるわ」

「それじゃあ、今すぐに貰えますね?」

 腕を見せていたが、手のひらを差し出して永琳に薬を寄越せと促した。しかし、歯切れが悪く、いつになっても薬を渡さないのは、取引を持ち掛けようとしていたり渋っているわけではない。

 緊急性の高い事態で、入れ墨等を考慮している暇はない。だから手元にないと言いたいのだろう。いわゆる時間稼ぎだ。

「今は手元にはないの、診察室に備蓄しているので取ってきてもいいかしら?」

「良いというわけがないでしょう?その中の物でどうにかしなさい」

 異次元聖のいう事はもっともだ。薬の素人である奴は毒を盛られたとしてもわからない。ならば、人を救命することが前提で作られている薬を使えという事なのだろう。

 例え、救急箱の中身であっても、中の物でも組み合わせによっては毒になるだろう。彼女にとっても賭けに近い。

「これは単純な回復薬だし、人間用に調整しているからあなたにこの薬は弱すぎる」

 どちらも退かぬ状況に、二人の間にぴり付いた空気が流れだす。異次元聖の細まった眼に、睨まれているような気がして視線を背けた。

 一触即発で、本当に生きた心地がしなくなってきた。三十秒先だって生きていられる気がしない。逃げ出したくなってきたが、手を振りほどけるわけもない。

 こんなことなら、勇義にさっさと出て行けと追い出さなければよかった。そうでなければ、あれだけ心強い味方もいないだろう。戦闘に長けている鈴仙がいない事も、そう思う要因だ。

 イライラしているのか、私の顔を掴む異次元聖の手に力がこもっている。頭蓋の歪む痛みから逃げようとしても、万力で締め付けられているように奴の手を引きはがせない。

「仕方ないですね」

 異次元聖はそう呟くと、小さくため息をついた。聞き分けてくれたのだと淡い期待を抱くが、目の奥にぎらついた殺意が収まっていない。むしろ、強くなっているような気がする。

 異次元聖の腕に長く刻まれていた銃創が再生し、入れ墨の一部が抉られて途切れているのがよくわかる。

「じゃあ、ここにいる全員皆殺しにして、新しく入れ墨を入れ直すとしますか」

 笑って見せる異次元聖だが、表情と話す内容があまりにも乖離し、聞いた直後は何を言っているのか理解できなかった。

 しかし、殺意が周囲から私へと向けられ、手始めに死ねと言いたげに、腕に力が込められれば、嫌でも現実を教えられる。

「うぐっ……ああああっ!?」

 激痛に叫び声をあげてしまう。人間や兎たちがパニックを起こさないように声を上げるべきではないのだが、簡単に抑えられるものではない。

 絶叫から恐怖が伝搬する。あんなに静かで二人の会話しか聞こえていなかったはずなのに、私の声を引き金に異次元聖が来る前よりも、けたたましい阿鼻叫喚の絵図を作り上げていた。

 私一人の声では、永遠亭で治療を受けている人間、治療を施している兎側たちの怒号を遮ることができない。彼ら、彼女らの叫び声は永遠亭内にこだまして相当な物なのだろうが、痛みで意識が遠のきだしていることで、耳には殆ど届くことはない。

 徐々に指が頭にめり込み、握り潰されるまでに時間がかからないだろう。全員を皆殺しにすると宣言した異次元聖は、その他大勢と同じ程度の存在に時間など割かないと思われるからだ。

 自分の中での痛みの最高潮に達し、朦朧とした意識で目の前が真っ暗になりかけた時、頭を圧迫していた異次元聖の手が離された。

「くぁあっ!?」

 半分投げ出される形になり、すぐ後ろに放り投げられた。握り潰されそうな圧迫する痛みからは解放されたが、骨や肉体、神経等の体に残るダメージが永続し、しばらくは叫び声を止めることができなかった。

 頭を鈍器で殴られたようなそんな痛みが頭の中を反響していたが、握り潰されかけた時程の激痛ではなく、なんとか持ちこたえた。

 痛みが引けば、それだけではなく周りにまで目が行くようになる。あまりの痛みに涙を流してしまっていたのか、頬を液体が伝うのを感じる。手の甲で拭うと涙や汗とは違う感触が指先に当たる。

 手を見下ろすと真っ赤な血がこびり付いてくる。話された瞬間に異次元聖の爪が引っかかってしまったのか。しかし、そうなるとなぜあの状況で私を放したのかがわからなくなってくる。

 見上げると異次元聖の前に勇義が立ちはだかり、私を掴んでいた右手を捻り上げている。とっくに永遠亭を後にしていると思ったが、支度に時間がかかっていたのだろうか。それとも、奴が来るのを見て引き返して来てくれたのだろうか。

 病室の外壁に穴は開いておらず、勇義が入り口から入ってくるところも見ていない。まだ病室にいたのだろう。戦いに行けと促してから少し時間が経っている。それだけの時間があったのに何もしていなければ、普段ならキレ散らかしているところだが、今回は彼女に助けられた。

「弱い者いじめはよくないよなあ。お前さんも、骨のない奴ばっかりじゃあつまらんのじゃないかい?私が相手になってやるさね」

 勇義は私を助けるために、壁を破壊しながら病室から出て来たのだろう。瓦解して足元に積み重なる瓦礫を蹴飛ばし、構えもあったものではない体勢で異次元聖の前へと陣取った。

 兎を一人踏み殺している異次元聖にそうやって迎えるのは、鬼である彼女しかできない荒業だ。下駄をカラカラと鳴らし、大きく踏み込むと万物を破壊する拳を繰り出した。

 対する命蓮寺の僧侶も、勇義と同様に構えはない。奴が鬼ほどに力を持っているとは思えないし、以前に見た戦い方とは異なる。魔力で形成された巻物を取り出す様子はない。

 肉体が肉体を殴りつけた音とは思えない打撃音。鼓膜が震える感覚がわかる重音が、腹の底にまで響く。鬼の攻撃を受けたはずなのに、僧侶は吹き飛ぶことはない。

 異次元聖の腕に描かれた入れ墨の意味を、私はここでようやく理解した。それが巻物の代わりなのだと。

 ただ腕力で戦っている勇義よりも、魔法で強化した異次元聖の方が攻撃力が勝ったのだろう。勇義の攻撃に耐えた僧侶の拳が叩き込まれたと思うと、こちらへ向けて吹き飛ばされた。

 人間や兎の大部分が逃げているため、ロビーに吹き飛ばされたとしても問題はないだろうが、すぐ後ろに私が居ることが問題だ。

「うああああああああああああっ!?」

 逃げていないことを配慮してくれたのか、吹き飛ばされてきた勇義に巻き込まれたが、ぶつかるのではなく抱き上げられたため衝撃はなかった。大胆な立ち回りをしているくせに、思ったよりも周りが見れている事に驚いた。

 そう思ったのも束の間、抱き上げてくれた勇義が私の事を放り投げた。内臓が浮かぶ、無重力に近い状態に陥るのは気分が悪い。日常の生活でそんな状態になることなどなく、咄嗟の対応が遅れた。

 足から着地することができず、背中から床へと落下した。残っている救急箱や村人の私物、血まみれの服や血だまりなどが残されており、その上を転がり込むことになる。

 私のではない血でまみれ、物にぶつかり、体の節々を傷めた。助けて貰っておいてだが、文句の一つでも言いたい。だが、こんな状況で冗談や意地悪など、意味のない事をするとは考えられない。

 不満を飲み込み、顔を上げると私を助けてくれた勇義が窮地に立たされていた。これまでの事からそんなことが起こるとは思っていなかったが、彼女もそうだっただろう。

 あらゆる兵器を弾く、彼女の無敵と言える肉体を、異次元聖が打ち出したと思われる弾幕が撃ち抜いたのだ。

 




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