東方繋華傷   作:albtraum

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自由気ままに好き勝手にやっております。

それでもええで!
と言う方のみお楽しみください。



今回は異次元側の話です。


東方繋華傷 終話 アンモビウム

 荒々しい息使いが響く。普段からあまり運動しないため、走って数分しか経過していないというのに、人生で経験したことの無い程の酸欠に見舞われていた。

 舗装されていない荒れ放題の獣道では走りずらく、体力を余計に奪われてしまう。地面の中から出ている、蛇のように地面を這う木の根に時折足を引っかけてしまいそうになり、何度も転びかけた。

 普段であれば、転んでしまったとしてもすぐに立ち上がればいいだけだが、今の私にそれに費やすだけの時間はない。そして、走る足を止めることも、振り返る余裕も残されてはいない。

 すぐ後ろには、見たことも無い魑魅魍魎達が犇めき合い、私の血肉を啜ろうと追いかけてきているのだから。これは夢なんじゃないかと思い込みたくなるが、襲い掛かって来た人間に似た何かに額を引き裂かれなければ、これほど命からがら逃げることも無かっただろう。

 坂を下りているため、この山から下山しているのはわかるが、後どれだけ続くのか私にはわからない。それでも体力が続く限り、全力で走らなければ明日はない事だけはわかっている。

「げほっ…ごほっ……」

 走り過ぎて、咳が込み上げて来た。しかし、歩調を緩めることも立ち止まることも許されない。それをすれば最後、魍魎たちに食い殺されるだろう。

「はっ…はっ…はっ…!!」

 枝を押しのけ、草木をかき分ける。多少無理やりにでも体を押し込み、障害物を潜り抜ける。走る方向を少しでも間違えれば、追ってきている奴らに囲まれてしまう。

 疾走によるものと緊張で脈拍が強くなっているらしく、走っている最中で周りから罵詈雑言が飛んでくる中でも自分の心拍音が聞こえてくる。

 坂を転ぶのを承知で駆け降りていると、不意に足元に柔らかい感覚がした。柔らかい土でも踏んだのかと思ったが、革靴越しに伝わってくる感触から、違うのを何となく感じたが、特定するに至らなかった。

 それに、自分の踏んだ物などを考える程、今の私には時間も余裕もない。踏み越えてさらに進もうとするが意外に脆く、形が崩れてしまったことで踏んでいた私のバランスが崩れ、地面に倒れてしまった。

 普段の生活で敵意や悪意などを悟れたことはないが、極限状態で身の危険を感じている事で、五感が鋭くなっているのだろう。殺気のような物を感じ、ゾッと鳥肌が立った。

 転んでしまったことで、追い付かれる。それだけが頭の中を埋め尽くし、食い殺され、引き裂かれる恐怖に包み込まれた。

 まだ襲われては居らず、痛みも感じていないが、悲鳴だけが先行して出そうになった。私を追っている者がどんな容姿なのか、見るのも怖いが見えない方がより強い恐怖でしかなく、私は這いずりながらも後ろを振り返った。

 木々が月明かりを殆ど遮ってしまっていたが、その中でも薄っすらと差し込んで来る月光は、私が踏み潰した物体を暗闇に浮き上がらせた。

 降り注いだ光を反射することなく殆ど吸収しているらしく、詳しい色など判別できずに真っ黒に見えたが、それの近くに転がっていた貴金属が光を薄っすらと反射した。

 私を追っているような連中にやられたのだろう。原形をほとんど残していないが、見えた貴金属が腕時計であることはわかった。時計であることが分かれば、それが付けられているのは人間の腕だというのは辛うじて判別できた。そして、その腕が持ち主の体についていない事も。

 ほとんど見えなくて良かったが、死体と思わしき肉体からは薄っすらと湯気のような物が上がっており、ついさっきまで生きていたが、殺されたことを示唆していた。

 吐き気が込み上げてくるが、直前に何も食べていなかったのが功を奏し、嘔吐することはなかった。だが、胃の動く感覚で嘔吐感が込み上げ、無い内容物を吐き出そうとした。

「っ……うぅ…!」

 自分もこうなると察してしまうと、最早悲鳴すら出てこない。乾いた喉に乾いた舌が張り付いて気道を塞ぎ、呼吸すらも苦しくなる。

 アンモニアを分解した際に生成される尿素の独特な匂いが、周囲に立ち込め始めたことで自分が失禁してしまっているのだと遅れながらに気が付いた。

 あまりの恐怖で、膀胱内に貯留していた尿を留めさせておく筋肉が弛緩してしまっていたようだった。普段の生活であれば恥ずかしい限りで、見られた知人にはしばらくの間顔を見せることができなくなっていただろう。

 しかし、この状況ではそんなものはどうでもよかった。ただの失禁など、直ちに命へ影響は与えないのだから。

 歯が噛み合わさらず、ガチガチと打ち合わさる音が聞こえてくるが、心臓の音が大きすぎるせいで遮られてしまっている。

 すぐに立ち上がって逃げようとした時、人間だった死体越しに、何かが地面に降りて来た。複数人いたはずだが、一番早くに私にたどり着いた者が暗闇の中でも真っ赤に映る瞳で私を捉えている。

「ひっ…!」

 生暖かい水溜りの水を跳ねさせながら、できるだけその者から離れようと藻掻くが、上手くいかない。足が滑って後ろに下がることができない。

 月明かりの中に赤い瞳の持ち主が現れる。どんな恐ろしい格好をしているのかと恐怖していたが、照らし出されたのは金髪で髪には赤い模様の描かれた髪留めのような物をした、年端も行かぬ少女だった。

 一瞬、拍子抜けしそうになったが、私が見ただけで失禁までしてしまった死体を見つけると、特に表情も変えずに時計の付いた腕を拾い上げる。その動作は実に慣れたもので、違和感がまるでない。

 力なく手首から先が垂れ下がる腕を一瞥し、未だに血の滴る腕の断面部分を口元に運ぶと、歯並びの良い白い歯を立てた。

 ゴリっと硬い肉を歯で潰す音と、骨が砕ける小気味いい音が響く。男性と思われる腕を口元から離すと、血塗れの口元が露わとなる。人を食うという行為をするとは思っておらず、もごもごと口元を動かす行為が何を刺しているのかわからなかった。いや、わかりたくなかったのかもしれない。

 呆気にとられ、咀嚼している様子を見上げていると、細かく噛み砕いた肉片を音を立てて嚥下した。美味しそうなものを食べているのであれば食欲をそそられただろうが、今の情景では鳥肌を立たせるのには十分だった。

 そこににっこりと笑う少女の笑顔が重なれば、絶望に支配されて命乞いの一つでもしたくなってしまう。意味もなく許しをこいてしまいそうになった時だ。

 座り込んでしまっている私は、格好の餌であるだろうが、私を追ってきた者たちは確実に飯にありつける方を選んだらしい。金髪少女の横を通り過ぎ、上空から落下してきた複数の小さな少年少女が人間だった臓物に飛びかかっていく。

 わき目も振らずに一心不乱に臓物を食い散らかす様子は、見ているだけで二回目の嘔吐感を誘う。だが、これはチャンスでもあった。少しでも私を狙う人物が減れば、それだけ逃げ切れる可能性がある。

 この時はこんな思考を正常に行えるわけもなく、この恐怖、この地獄から逃れたい一心で私は走り出していた。

 

 他の連中か、それとも人間だった肉片を食い終わった彼女たちが追ってきているのかわからなかったが、すぐに追手が走る私の後方に付いた。

 必死にもつれる足を動かし、空に近くなっていく体力を振り絞って走っていると、不意に視界が大きく開かれた。

 月明かりを塞いでいた木々がいきなり途切れ、降り注ぐ月光を全身に浴びた。明るすぎる光に一瞬、町中に出て来たのかと思ったが、それは間違いだったようだ。

 目の前にはだだっ広い草原が続いている。裏路地を歩いていて、気が付いたらこんな森の中にいた。ここに来た時から、私の居る世界とは別なのだと感じてはいたが、いざ見せつけられると実感せざるを得ない。

 そして、自分が元居た所とは全く違うと感じる大きな要因は二つある。反対側の森には何か炎の球体のような物が煌々と輝き、それに照らし出される形で草原の一部は重力を失っているようにあらゆるものが浮遊している。浮かび上がる物体同士がぶつかり合い、静電気を帯びているのか、時折雷が瞬いた。

 現実離れした光景に、ほんの数秒だが目を奪われた。科学や物理学者ではないが、どうなっているのかが気になった。幻想的な風景に眺めていたのも束の間、自分が追われている身だったことをすぐに思い出し、私は草原の方向へと走り出した。

 わき目も振らず、どれだけの人数が追ってきているのか、まだ追われているのかすらも確認することも無く、気力と残り少ない体力をふんだんに消費しながら、私は走り続けた。

 鬱蒼と生える草が邪魔で仕方ないが、無理やり前に足を突き出して走っていると、前方に川が見えて来た。遠目から見ても大きいと分かっていたが、近くに来ると私が両手を広げても足りない位には川の広さがありそうだ。流れは急ではないが、深さがわからない。

 これを渡るのにはかなりの時間を要してしまう。あまりもたもたしていたらそのうちに捕まって食い殺されてしまうかもしれない。だからと言って、迂回したとしても体力が尽きれば、どっちみち殺される。

 見た所、私を追っているのは背の低い子供ばかりだ。もしかしたら、川が深くて渡るのに時間がかかったら、追うのを諦めるかもしれない。

 私は、ずっと走って足の感覚が無くなり始めた所だったが足に鞭を入れ、スピードをできうる限り上げた。川の縁ギリギリで足腰に力を込め、走ってきた勢いをつけて川を飛び越えようとした。

 三メートルか四メートルはありそうだった川をなんとか飛び越えようと跳躍したが、半分も行かぬ手前で最高高度に達し、ちょうど真ん中あたりに私は足から落下した。

 水しぶきとその音を盛大に立てて落下した川は、大人の私でも川底に足が付かない程に深く、上に伸ばした腕が水面に出ない程だった。

 冷たい水が緊張して火照った体の熱を奪う。命を狙われている状況でなければ、心地いい水の冷たさを謳歌したいところだったが、すぐに向かって居た方向へ泳ぎ出した。

 川の流れが比較的緩やかだったことと、金槌ではなかったことで、多少横に流されはしたが、川の反対側に泳ぎ切ることができた。

「ぷはっ…!」

 水面から顔を出し、浅瀬から水を吸って重くなった衣類と疲労で重い身体を引っ張り上げた。火事場の馬鹿力が働いているのか、思っていたよりも簡単に体は飛び込んだ場所から対岸に付くことができた。

「はぁ…はぁ…」

 疲労で鉛のように重い体を引きずるようにして進もうとするが、追手が来ていないか後ろを振り返えると、目の前には腕を食い千切っていたあの少女が立っていた。

「ひっ…いやああああああああああああっ!!」

 苦労して渡って来た川をどう渡り切ったのかわからないが、彼女の服には一切水が付いていなかった。唯一ある水気と言ったら血ぐらいだったが、それが流れていないところから、跳躍で渡り切って来たのだろうか。

「こ…こないで…!」

 腰が抜けてしまったのか、それとも、体が諦めを受け入れてしまったのか、力が抜けて立ち上がることもままならなくなってしまう。

「大丈夫だよ。私はもう一杯食べたから、お姉さんは食べないで上げる」

 その少女はそう言うと、未だに齧っている先ほど食べていた人間の指を食い千切り、丁寧に骨を噛み砕いている。

 恐怖で思考が回らず、その少女が何を言っているのか理解できなかったが、私は再度弾かれたように走り出していた。重い体は意外にも動いてこれた事には驚いたが、腰を抜かしていなくて良かったと頭の片隅で思った。

 それからどれだけ走っただろうか。十分か、二十分か。わからないが、不意に視界の先に月明かりや山の斜面に見える日の玉とは別の光源が見えた。

 それは、よく見る自然な光ではなく、電気を主流に動く光だと何となく感じた。光に吸い寄せられる虫のように、体力が無くなって覚束無くなってきた体をそちらの方へと向かわせる。

 ある程度の近さになってくると、やはりそれは民家だったようで、窓とカーテンの隙間から光が漏れている。一軒家で、その家以外には何もなさそうだったが、せっかく見つけた文明の一辺と人の気配を頼らない手はない。

 木の扉に向かい、飛びかかる様に荒っぽく扉を二回叩いた。少しの間、息を整えながら返答が来るのを期待していたが、反応が無い。不安を感じながらももう一度扉を叩こうとすると、ドアノブが半回転してゆっくりと開かれた。

「夜分遅くに失礼します!助けて貰えませんか!?」

 焦りで叫ぶように、縋る様に言った私とは対照的に、落ち着いた声色の返答が帰ってくる。

「やあ、ここまで来るのには大変だったろう。入ってくれて構わない」

 その女性の優しい声色には心を落ち着かせる効果があったが、その容姿を見て私は自分でも顔が引き攣るのを感じた。

 彼女は先ほど私の目の前に現れた少女と同じぐらいの身長で、頭には鼠のような耳と腰からは尻尾が生えていた。一目見ても、さっきの者たちと同じく人間でないことが分かった。

「っ…!!」

「取って食いはしないから安心しなよ。まあ、出会い頭に信用しろっていう方が難しいけれど、引き返すよりはマシじゃあないかい?」

 確かに、私にはいくあてもなければ、この状況を打開できるだけの力もない。なら、辛うじて話の通じそうなこの少女といた方が安全だろうか。いや、もしかしたら、寝静まったころを見計らって殺される可能性も少なくはない。

 いろいろな思考が頭の中を巡り、どうするか決めかねていると後方では、風の音か何かが走る音かは判別できないが草が揺れる音がする。あの地獄には戻りたくはなく、それに押される形で私は彼女の家の扉を潜っていた。

「よく来たね。ここまで来れるとは運がいい」

 彼女はそう呟きながら左手で杖を突き、右足を引きずって部屋の隅にあるタンスへと向かう。遅い動作で扉を開き、中から洋服を取り出した。

「びしょ濡れだから、着替えると良い。サイズが合っているかわからないが、とりあえず風邪をひかないように着替えてくれ」

 彼女は私の場所にまで引き返してくると、バスタオルと一緒に洋服を手渡された。足を引きずったまま彼女は部屋の真ん中に置いてある机へと向かう。重く、遅い動作でやっとの思いで椅子に座り、一息ついた。

 頭部に生えている耳は片側だけで、もう片方の耳はなぜか無い。前に何かあったのはわかるが、それを聞けるだけの余裕が私には無く、いつ食われるかわからない怖さに立ち尽くしていた。

「そんなに緊張せず、とりあえず着替えて座ったらどうだい?」

 彼女に促されるがまま、恥ずかしさも通り越して渡された洋服と下着を身に着けた。かなり大きく、服はブカブカだったが着れない事はない。

 今の現状では我慢することにして、簡素な机の反対側にあった椅子へと腰を下ろした。緊張しているのが伝わっているらしく、彼女は最初の時のように優しい口調で再度口を開く。

「それで、いろいろあって驚いてるだろうが、何か聞きたいことはあるかい?」

「………。ここは、どこなんですか?」

 この場所に来て、一番最初に思った事を彼女に質問として投げかけた。

「ここかい?ここは幻想郷。あらゆるものが最終的に行き着く場所さ。…もう見たし、襲われただろうけど、外の世界にはいない妖怪なんかがそうだね」

 あの少女の顔が脳裏にチラつき、身震いした。水に濡れていたからでも、寒いからでもなく。ただ恐怖で私の体は震えてしまう。

「そして、最初に言っておこう。…変に期待を持たないようにね。この世界からは帰れない」

 私の心を見透かしているようで、次に投げかけようと思っていた質問を先に帰されてしまった。

 自分の足元がやっと見えていたというのに、それすらも見えなくなっていき、一寸先も見えない暗闇の中に放り出されたような感覚に陥った。あの恐怖と、これから一生付き合っていかなければならないと考えると、死んでしまった方が楽ではないかと言う思考さえも湧き出てくる。

「そんな……」

「すまないね。以前は、これを言わなかったせいで、少しいろいろあったから、今は最初に言う事にしてる」

 帰れない。その事実に打ちのめされ、しばらくの間、私は彼女に返答することもできずに、木の机をただただ見下ろした。あらゆる絶望や思考が渦巻き、涙が溢れてくる。

 かなりの長時間、泣いて感情の整理をしようとしても、そう簡単に割り切れるものではなく、私は認められずに意味もなく思考を巡らせていた。

「なんで、帰れないんですか?」

 ずっと泣いていて、このまま暫く寝込んでしまいたかった。寝て、起きればいつも通りの生活に戻れるのではないかと淡い期待をしてしまいたかったが、額の傷の痛みや追われた時の恐怖はこれが現実であることを証明している。

 彼女に殺されるかもしれない、外で私を追い回した連中に殺されるかもしれない。死ぬのにも、訳が分からない内に死にたくはない。少しでも状況を理解することに努めることにした。

 ここで気持ちを切り替えることができたのは、私が精神的に強い人間だからではなく、半分は自棄に近かったのかもしれない。

「…幻想郷にも前は秩序があって、外から来た君みたいな子を巫女が送り返してたけれど、それが無くなった。今では送り返す巫女が居ないみたいなものだからね。私としても帰らせてあげたいところだけど、それは難しい」

「何があったんですか?」

 起こったことの理由がわかれば、何か打開策が思い浮かぶかもしれず、とりあえず小さな少女に問いかけた。

「戦争だよ。長くて、大きな戦争。世界と世界を股にかけて、負けた方が滅ぼされる大きな戦……外の風景を見て何となく想像がついたと思うけれど、ここは負けた側なんだ……と言っても、その戦を始めたのはこちらだから、自業自得とも言えるけどね……。君からすればたまった物じゃあないだろうけど」

 なぜその戦を始めたのかと聞きたくなったが、今更聞いたところで意味も無いか。

「それじゃあ、その戦いで巫女が死んでしまったんですか?」

「いや、生きてはいる」

 戦争では死ななかったが、負傷して再起不能になってしまったとかだろうか。そう思っていると、彼女は続けて呟いた。

「ただ、死んでるのと変わりない」

「どういうこと?」

「三から四十年は前だったかな…戦いで致命傷を受けて仮死状態になった。幻想郷と、外の世界を隔てる結界があるんだけれど、それを操る妖怪が辛うじて彼女を生き永らえさせてる」

 妖怪と聞いて、普段なら笑い飛ばしていたかもしれなかったが、人の腕を齧る少女や、目の前の鼠の耳を生やした少女を見れば嫌でも理解できる。

 こんな土地で、仮死状態を生きながらせるだけの医療技術があるとは思えない。何か特殊な力で行っているのだろうか。私が飛び越えられなかった川をいつの間にか渡っていた金髪の少女のように。

「生きてはいるけど、意識が無いってことよね?じゃあ、その妖怪に出してもらうように頼めない?」

「無理だね。彼女は自分の事で手一杯だし、能力の全てを幻想郷の維持に使ってるから、君を外に出すだけの余裕はないと思う」

 ほんのちょっとでもこちらにさく時間は無いというのだろうか。彼女の言い草から、意地悪な性格と言うよりも、本当に時間を割く余裕がないのだろう。

「なぜ?」

「妖怪と聞いても驚かないところを見るに、あらゆる者が跋扈するのだと分かっているようだね。…この世界には、龍がいる」

 どんな返答が帰ってくるのか待っていると、そんな回答が返ってきて少し驚いた。神話やおとぎ話ではないか。

「それって、ドラゴンとかってこと?」

「そう。君にとってはそっちの方が馴染みがあるかもね。龍神って言って、あらゆる神よりも上位に存在してる」

 それがどうしたのだろうか。私を出せない理由に龍の話がどう繋がってくるのか。わからず、黙って耳を傾けた。

「彼女はその存在から恨みを買ったと言えばわかりやすいかな?」

 ああ、そういう事か。彼女が私に時間を使っていられないというのは、その神様に殺されないようにするためという事だろう。

「君もこの世界に入って来たときはそこにいただろうが、その妖怪は無縁塚に毎日行き来してる。貝殻を消しにね」

「貝殻?」

「そう。馬鹿げてるように聞こえるだろう?…まあ、確かにただの貝殻だが、存在としてはかなり大きい。この世界に龍神が現れるのには三つの条件が必要になる。空…いわゆる天。そして雨、最後に海の存在だ。三つのアマが揃う時、龍神は幻想郷へと姿を現すことができる」

 彼女が貝殻を消すために探しに行くという理由が分かった。この世界に龍神を入れないためか。

「天はいつでもある。雨は天候によって。海は無縁塚に時折現れる貝殻。それを消すことは彼女にとって生命線であり、この世界の維持だけが今の最優先だ……君の事を送り返すのに力を使うわけもない。そうし続けていなければ、命だけではない…この世界も危ういからね」

 さっき言っていた、この、幻想郷とやらの維持の事もある為か。一番帰れる可能性が高いというのに、それができないのが歯痒い。

「……。わかった………。ただ、もう一つ聞かせてほしい事があのだけれど…」

「何かな?」

「最初に前に色々あったって言ったわよね。これまでに何人ぐらいここに来た人がいるの?」

 そう聞くと、少しばつが悪そうだ。なぜばつが悪そうなのかは、何となくわかった。家は一軒しかないというのに、何度もこういった話をしたことがあるかのような言い草だった。話した人はどこに行ったのか。

「……。これまでに君も含めて五人ここに来た」

 さっき彼女は戦争があってから3~40年は経過したと言っていた。これだけの時間が経過しているというのに、それしか人が来ていないところを考えると、どれだけ運が良かったのだろうか。改めて身震いした。

「その人たちはどうなったの?」

「みんな死んだよ。一人は病気…残りは帰るのを諦めきれなくて、ここを出て行ったきりだ。多分4人とも妖怪に食われて死んだ」

 元々飲んでいたお茶を左手で取り、彼女は呟いてから一口飲んだ。湯気が立つほど熱いらしく、一息ついた。

「………」

「君には選択肢がある」

 言葉を失っていると、彼女が口を開いた。絶句している私に、慰めの言葉をかけるとは違いそうだ。

「今すぐに決めなくてもいいけれど……私を信用してここに残るか、信用できずに出て行くか」

 正直な話、決めかねている。彼女とは会ったばかりで信頼関係は無いに等しい。その人物を信用しろと言う方が難しく、寝首を掻かれてしまう可能性も捨てきれない。

 しかし、だからと言って外に出る勇気もない。あんな風に食い散らかされて死にたくはない。話しの通じなさそうな外の連中よりも、少なくとも会話はできる彼女の方がマシに思えた。

「残る以外の選択肢はないでしょ?」

「まあ、そうかもね。……ただ、ここに残るからには条件がある。見ての通り、右手と右足が不自由なものでね。私一人では家事をするのも一苦労だ。だから、労働の人員としてカウントさせてもらうけれどいいかい?」

 確かに杖を突いて歩いている様子から、かなり生活には制限がありそうに見える。杖の石突きの摩耗具合からも、普段から使われて嘘でないことが伺えた。

「大丈夫。ただ、食べないでよ」

「食べる食べないは私にじゃなくて、外の連中に言ってくれ」

 冗談交じりに言ったつもりだが、その返答は笑えない。確かに、無害そうではあるが、どちらかと言えば襲われるとしたらあの金髪の少女とかだろう。

「それに、私は殺す側じゃなくて…看取る側だ」

 含みのある言い方にどういうことか聞こうと思ったが、もしかしたら、例の戦争で大切な人とかを失ったのかもしれないと思うと、言葉が出なくなってしまった。

「君はベットに寝ろ。私はこっちの椅子で寝る」

 作りはいいものではないが、ソファーに似た長椅子にヨタヨタと少女は歩み寄り、腰掛けた。

「いや、ここはあなたの家なんだから、あなたがベットで寝た方が…」

「明日はつらくなるよ。移動させるのも難しいから、最初から寝て貰った方がありがたい」

 彼女が何を言っているのかわからない。確かにかなり走ってきて、普段使わない筋肉を使ったせいで筋肉痛になるかもしれない。けれど、その程度であれば、我慢できる。

 そう思っていたが、少女はこちらの話も聞かず、ソファーに横になると瞼を閉じてしまう。あまり長い事電気をつけっぱなしにしているのは迷惑になるかもしれない。

 ついていた明かりを消し、私も彼女が指さしたベットの布団へと潜り込んだ。彼女の穏やかな声で少し落ち着いて、いろいろと考えることが多かった事で忘れることができていたが、改めて静寂に包まれると、先の妖怪と思われる少女たちの事が思い浮かんでしょうがなかった。

 緊張で心拍数が上がり、いつものように寝ることができなかった。私が眠りに付けたのは、真っ暗だった空が白み始めた頃だった。

 

 普段感じたことの無い身の危険や死の恐怖が、精神や体に相当負荷を与えていたらしく、次の朝、私は高温でうなされながら起きる事となった。

 

 

 

 村は一人の少女と一人の妖怪から始まった。

 数年に一度、何とか妖怪の魔の手から逃れた人間が私の家へと逃げ込むことで、少しずつ人数を増やした。子を成して世代を紡いでいき、数十年、数百年の年月をかけて村を大きく発展させた。

 戦争が起こる前の村に比べれば規模としては小さいが、周りの妖怪たちの気分次第で滅ぼされるような大きさではなくなった。だが、それでもまだまだ遊んでいる余裕などない。

 数十人規模の人間の集まりを飢えさせずに維持するのには、もっと村を発展させていかなければならないが、村の領域はこれ以上広げるのは難しい。

 数百年も時間が経てば自然はかなり回復し、荒れ果てた荒野だった幻想郷の原型は残っていない。だが、残っているのもある。

 あの戦争後からずっと存在する、小さな太陽と重力を失った大地だ。霧雨魔理沙と思わしき巨人が法則を捻じ曲げたようだが、捻じ曲げられた法則は未だにそれが正のように機能し続けている。

 あれがこの世界でも異常な状態だと分かっている人物は、私を含めて数人しかいないだろう。そして、それらのせいで、我々の活動領域の拡大が難航している。

 無重力の領域には、当然ながら田畑を作ることも住むこともできない。小さな太陽からは離れている事で大したことはないが、微量ながら放射線が出ている。私たちの居る場所には殆ど届いていないが、そちらの方に活動範囲を伸ばすのは得策とは言えない。

 とはいえ、その逆側に行こうと思っても、川が境界線となってそこから先は魍魎たちがひしめく鬱蒼とした森が広がっている。

 誰もあそこには入ろうとは思わないだろう。ただでさえ森に踏み込まなくても川の近くではトラブルが絶えないため、村人の頭痛の種になっている。

「…」

 まあ、何とかなるか。落ち着いてお茶でも飲んでいれば、その内打開案の一つか二つは思いつくだろう。

 それよりも、気になるのは妖怪たちの動向だ。森がかなり広く拡大したおかげで、村の門をたたく人間は数年に一度ぐらいの頻度でしか来ない。

 毎日幻想入りする人間がいる状態であるはずであるはずなのに、この頃ではこちらを襲撃してきそうな素振りが見られた。恐らくだが、スキマ妖怪が裏にいる。

 数百年前は余裕が無かった。今でも常に命と幻想郷の危機が紙一重で存在している状況で、前とさほど変わらない。だが、昔のように式神を連れているため、負担が多少は減ったのだろう。

 その奴が妖怪や妖精たちをそそのかしたと考えられた。スキマ妖怪が一番最初に考えるのは幻想郷の存続。数百年もの長い期間ずっと苦しみ悶え続け、言葉通りに生き地獄を味わっている、形だけの博麗の巫女は未だに顕在しており、辛うじて幻想郷の体を成している。

 幻想郷としての体の他に、もう一つ足りない物がある。恐怖のバランスだ。法則のねじれの理由を知っている人物はほぼほぼ居ないと言ったが、幻想郷の在り方についても、覚えている者は少ない。

 なぜなら、文明や文化を築くような妖怪たちは数百年前の対戦でほぼほぼ死んだからだ。毎日を生き、あくる日も幻想入りした人間を食い散らかす事しかしていない妖怪ばかりであるため、世界の在り方など、頭にない連中が多い。

 村への襲撃が極端に少なくなったことで、人間たちも妖怪に恐怖を抱きにくくなっている。だから、そのバランスを正すために妖怪たちを焚き付けたと考えられた。

 知識や戦略ではスキマ妖怪には到底かなわない。だが、私は自分の役目を全うするまでだ。

 私はそう思いながら、晴天で晴れ渡る空を見上げた。暖かい風が吹き抜け、周囲の草むらと私の頭よりも高い位置に立ててある釣竿を揺らした。

 あれから数百年。一日でも思い出さない日は無い。それほどまでに、あの出来事は私の心に深く刻み込まれたのだ。

 心の傷は時間が癒してくれるというが、私の場合はそうでもなかったようだ。その気になれば、鮮明に思い出せる。庭師に無残に殺されたあの子たちを、私を庇って死んだ姿を眩ますのが得意な痩せた友人を。

 落ち込んでいた気分転換をするために趣味の釣りをしていたというのに、昔を思い出してまた余計に気分が落ち込みそうになってしまった。

「ナズーリンさん。魚は釣れた?」

 ため息をついて竿を見上げた私に、後ろから昼の休憩に自宅へと戻る農夫が声をかけてきた。

「いいや、餌ばかり取られているよ」

 傍らに置いていた魚籠を逆さにひっくり返し、ボウズである事を見せる。そりゃあ大変だと彼は背負った農具を肩にかけ直し、笑いながら後ろを歩いて行った。

 糸を川に垂らしてからだいぶ時間が経った。餌のミミズがきちんとついているかどうか確認するために試しに竿を持ち上げてみると、針に括り付けていた餌は綺麗さっぱり無くなり、水滴を滴らせる針だけが帰って来た。

「……。またやられた」

 餌のミミズが入っている箱に手を伸ばし、次に期待しようと思ったが、今のが最後だったのを思い出す。今回は駄目だったと諦め、私は帰路に付くことにした。

「はあ」

 今日はごちそうにはあり付けなさそうだ。片手で竿を畳み、バックへと入れた。邪魔にならないように背負い、左手で杖を持つ。

 何百年もこれでいる為、さすがに慣れた。けれど、未だに不自由は感じ続けている。今更戻ることはできないが、普通に歩けていた頃が懐かしい。その頃に戻りたいかどうかは別であるが。

 歩き出して暫くすると、気温もあるが体を引きずって歩くせいで、体力を余計に使って汗が額に滲んで来る。息を切らし、杖を力強く突いて体重を預けた。杖の石突きが硬い石に接触するごとに、甲高い乾いた音が響く。

 子供や大人とすれ違うごとに挨拶をかわした。街はずれの古い家へ向かっていると、地面に転がっていた石を踏んずけてしまい、転んでしまった。

 なんとか手で体を支えたことで、頭から地面に落ちることは防いだが、周りに人も見えず、起き上がるのにまた一苦労しそうだ。こういう時、周りに誰かいればいいのだが、そう都合よくはいかない。

 もう少しで家に着くころだが、疲れた体を休めるために一息つくことにした。道から逸れて、草むらに腰を下ろした。目的もなくこうして時間だけが過ぎる状況では、すぐにいろいろと考えてしまう。

 近くにいて、こうした時にすぐに手を貸してくれる人物か。

 友人を作ったこともあり、伴侶と共に過ごしたこともあったが、今では過去の話だ。時の流れは残酷で、寿命や病気で皆死んでしまった。

 今では過去の話と言ったが、意図的に周りの人を避けているわけではなく、忙しい時期であるためにそういうタイミングが無いだけだ。

 仲のいい人間が死ぬというのは、やはり悲しいし寂しさがある。しかし、交友関係を断つつもりもない。

 必然か、偶然かはわからない。勝手に勘違いしているだけかもしれないが、私は誰かの死に立ち会う運命にあるのだと思っている。

 水蜜や一輪、小傘。特にぬえはおそらくそんなつもりは無いだろう。ただ、ここまで誰かの死に立ち会うことになるのであれば、嫌でもそう感じてしまう。あの、死ぬべき時に死ねなかったことで余計にだ。

 座ってそんなことを考えていると、爛々と光を放っていた太陽を遮る形で雲が流れて来た。直射日光が当たらなくなっただけで、体感の温度が一℃も二℃も変わってくる。

 しばらく休もうかとも思ったが、太陽を塞いでいる雲の大きさから、すぐに太陽が顔を出すのがわかる。陽光で焼かれる前に、さっさと帰ってしまうことにした。

 背負っていたバックを落ちないように背負い直し、杖に体重を預けて立ち上がろうとした。踏ん張ろうとした足元に自然と目が行くと、白い花が咲いているのが視界に入ってくる。

 これまではずっと空を見上げていた為、気が付かなかった。こんな馬鹿みたいに変わった世界でも、数少ない以前と変わらずに咲き誇る花は私だけでなく人々の心を癒す象徴でもある。

 それを踏み潰さぬよう、注意を払いながら私は立ち上がり、再度帰路についた。重い足取りで獣道を進み、見えて来た家へと向かう。

 後どれだけ、この世界が続くかわからない。後どれだけ、私も生きられるかわからない。だが、彼女たちが自分の運命を全うするために託したと信じ、世界が終わるその時まで私は誰かの死に立ち会い、看取り続ける。

 




良かったら他の話も読んでみてください。



異次元ナズーリンは異次元ぬえの能力にて、異次元聖から死んだと誤認させられて生き延びました。


他のちょっとした設定は、ユリオプスデージーにて
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