ドンレミの村はかなりの被害を出しながらも、無事滅びることはならずに済んだ。
バル公からの援軍がたどり着き、無事イングランドの兵士であるブルゴーニュ軍を撤退させたのだ。村の生き残りには、ジャンヌとローズリィの姿もあった。
ドンレミはこの数十年間、幾度も襲撃に合っては復興を繰り返している。そのため、村人達は悲壮感から乗り越えてすぐに復興にあたった。
七歳になっているジャンヌとローズリィも、この頃から大人とほぼ同じような仕事を任されているため、復興を手伝っていた。
復興がある程度落ち着き始めた頃だった。
ある日、ジャンヌがローズリィに相談を持ち掛けていた。
「……………なんで?」
「今日、夢で天啓が降りたのです。リィルに戦いを学びなさいと」
「よく………わからないのだけど」
突然のジャンヌの相談に驚きを隠せられないローズリィ。
しかし、ここでローズリィはある知識を思い出した。それは、ジャンヌが神の声を聞いてその預言の通りに行動したことで聖女と呼ばれるようになった――という伝承だ。
(もしかして………ジャンヌは、最後に神の声に逆らったから火刑にされたのかな?なら、そうならないようにしないと)
「わかったよジャンヌ。私、頑張って教える」
「本当ですか!?ああ、良かった………。家族に話しても馬鹿にされるだけだったので、凄く心配していたんです………でも、リィルなら信じてくれると思ってました」
そう言ってジャンヌはローズリィにとても純粋な笑みを向ける。その微笑みを向けられて、少しだけ疑ってしまった彼女は己を恥じた。
そしてそれを誤魔化すように顔を少し背け、ローズリィはジャンヌに抱きつく。
「あら?………ふふっ。リィルは甘えん坊ですね」
「そう………かな?」
「ええ……」
まるで妹をあやす姉のような笑みを浮かべていたジャンヌだった。
が、突然その顔が暗くなってしまった。
あまりにも唐突に変わったせいか、ローズリィは疑問を口にする。
「?………どうしたのジャンヌ?」
「………本当は、リィルにこんな危ないことを頼みたく無かったのです。それに………私は今も、貴女に間接的にですが、人を殺めさせてしまった事を後悔しています」
「………私は気にしてないよ?」
「私が気にするのです。私がもっとしっかりしていれば、貴女の手は血で染まることは無かった………」
ジャンヌは生粋の聖職者だ。いかに相手が敵であり無差別に人を殺す者でも、人は皆平等であると言った意識が強い。
だからこそジャンヌはローズリィに人を殺めさせたくはなかった。どんな経緯があれ、同族を殺すのは罪だ。
汚れを知らないとても純粋なローズリィに、そんな重荷を背負わせたくなかった。
「リィル。貴女はまだわからないと思います。だから私が貴女の罪を背負います」
「!?………だめ……だめだよジャンヌ。私に罪があるなら………私が償う。人を殺すのが罪なら、私が、ジャンヌの代わりに人を殺す。だから………お願い。自分を追い込まないで?」
「リィル………。私は貴女が心配で堪りません。貴女は善くも悪くも純粋で素直です……。だから、いつか、そんな貴女が取り返しのつかない事をしてしまう。そんな予感がしてなりません」
一人は未来を覆すために、彼女を守ると誓う。一人は妹のように大切にしている彼女がこれ以上罪を負わないよう、神に懇願する。
平和な時代なら、二人は無二の親友として幸せな人生をお互いに送れただろう。
しかし、時代は残酷に繰り返される。それは普遍的であり能動的だ。
だからこそ二人の結末は決まっていて、恐ろしい程に早く、それでいて劇的に終わりを告げるのだ。
____________________
時が過ぎ、二人が16歳になった頃だった。
「リィル。私はこれからフランスを救いに行きます」
「…………………はい?」
普段のように、二人は己の仕事を終わらせて会っていた日だった。
普段とは違う雰囲気を纏うジャンヌがローズリィにそう言い放った。唐突の祖国救済宣言に、いつもボーッとしたような無表情の彼女をして困惑気味だった。
「………ごめんなさいジャンヌ。もう一度言って欲しいのだけど………」
「もう………しょうがないリィルですね。だから、私はこれからはフランスを救いに行ってくると言っているのです」
ローズリィは思考を放棄した。
あの後。ヴォークルールへ行くと言った彼女を慌てて止めたローズリィだったが、鉄の意思を持ったジャンヌを止められる筈もなく。
妥協案としてローズリィも付いて行くことになった。
最初はローズリィを巻き込むことを渋ったジャンヌ。しかしこの頃、ローズリィが男装して騎士の称号を得ようと、オルレアンで武功を上げる計画を立てていた事を知ったジャンヌが、なら自分と一緒にいた方がましだと考えて妥協したのだ。
それから二人はお互いの両親に旅に出ることを告げて、ドンレミの村から出ていった。
ローズリィの父は元々公領の兵士なので、快くローズリィを旅立たせた。しかし、ジャンヌの家族はそうもいかなかった。
最終的に、ジャンヌがローズリィの世話をするために必要なことだと説得し、何とか二人は了承を得たのだった。
二人はジャンヌの親類のデュラン・ラソワに頼み込んでヴォークルールに向かった。するとジャンヌはヴォークルールの守備隊隊長だったロベール・ド・ボードリクール伯の下に向かい、シノンの仮王宮を訪れる許可を願い出た。
当たり前のようにジャンヌは当人に会うことなく門前払い。守備兵達に嘲笑を持って追い返されてしまったが、今度はローズリィがボードリクール伯の下へと訪ねにやって来た。
そしてローズリィはあろうことか、ヴォークルールの守備隊全員に戦いを申し込んだのだ。
「まったく、昨日と言い今日と言いなんでガキはこう面倒なんだ」
訓練所の観客席にて、一人の守備兵が訓練所の中央にいるローズリィを見ながら苛立った様子で呟いた。
騒がしくなってきた門前に興味を引かれた待機中の守備兵が来てみれば、一人の子供が門番の兵士と言い争いをしていたのだ。
どちらかと言うと門番達が何か騒いでいただけだったが、ローズリィは目敏く守備兵達に声をかけると宣誓布告をした。
彼女が宣戦布告をした当初は兵士達もジャンヌ同様鼻で笑って追い返そうとした。
しかし、ローズリィから守備兵とはこんなにも臆病だったのですか?と逆に嘲笑され、流石にプライドを刺激された一人の兵士がローズリィの相手をすることになったのだ。
今の彼らはイングランドとの戦争において劣勢となっており、常に余裕が無い業態である。そんな彼らの前に現れたローズリィは子供とは言え、彼等にとってはあまりにも目障りな存在だったのだ。
兵士は刃の潰れた鉄剣を、ローズリィもまた刃の潰れた細い剣を構える。
「ガキが。あんまり調子に乗ってると痛い目を見るぞ」
「……………」
「ッ!知らねーからな!」
ローズリィはただ無言のままだった。
そんな彼女の態度に苛立った男がローズリィに向かって剣を振り下ろす。
「おらぁ!」
ただしそんな単調な動きである男の剣など、子供の頃から鍛練を積んでいるローズリィには当たらない。
ローズリィは余裕を持ってその剣を避けると、無防備となったその懐に飛び込み膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐぼぁっ!?」
可憐な見た目からは想像の出来ない力で蹴られた男は、吐瀉物を撒き散らしながら後方へと勢いよく吹っ飛んでいった。
それを見た他の兵士達は、今の光景を見て平然としていられなかった。
「お前ぇ!何しやがった!」
「よくも俺達の仲間を!」
興奮したように押し寄せる観戦していた兵士達。その目には先程の光景が何処か信じられないような、それでいて理不尽な現象を拒絶するような目であった。
彼等が拒絶するのは今起こっている現象か、はたまた劣勢となっているフランスに対してか。
人間はあり得ない現象に見舞われた時、驚きと共にまず否定的になる。それは程度の差こそあれ、人間の本質だ。
無謀だとわかっているのか、わかっていないのか。ただ彼等はこの日理解しただろう。
後に英雄と呼ばれる力の一端を。
この日、ボードリクール伯に訓練中の守備部隊が一人の少女によって壊滅させられたことが伝わった。