* 1 *
柏木の屋敷には秘密がある。
鶴来屋を開く前に建てられた屋敷は、実は隠し部屋とかいろんな細工がしてあった。それをあたしたちが知ったのは、エルクゥの乗ってきた宇宙船が光を放ちつつ隆山にやってきた後のことだった。
その秘密のひとつは蔵の中にある。
朝日が射し込むだけの薄暗い蔵の中に入って、あたしは片隅の木の床にしゃがみ込む。継ぎ目のない幾筋もの床板。何の変哲も見られないそこを押すと、いままでなかったはずの継ぎ目が生まれ、重苦しい音とともに土台ごと床が持ち上がり、口を開ける。下から灯りが漏れていることを確認して、あたしはその中に滑り込んだ。
長く続く梯子を降りて、底にたどり着く。どこからか電気を取って電灯を灯してあるそこは、まず廊下。左右にはいくつか扉が並んでいて、そのうちのひとつに向かっていく。
蔵の地下は恐ろしいくらい広い。たぶん柏木邸の敷地の半分くらいある。どうやってこんな地下室をつくったのかは知らないけど、とにかくここは、代々続く柏木家が、自分たちの祖先の片割れであるエルクゥの道具を集め、研究するために使っていたものらしい。
たどり着いた石造りの重い扉を開けて、中に入る。その部屋にも灯りがあって、中が見渡せた。
中は学校の教室ふたつ分くらいの広さ。あたしにはわからない機材がたくさん置かれている。長い間使われていなかったらしくて、コンピュータとかそういうものは最近になって持ち込んだものくらいしか見あたらない。ほとんどは柏木家の先祖がどこからか持ち込んだ、エルクゥの道具だ。そんな部屋の一番奥には人影がひとつあった。
「どう? 調子は」
「梓姉さん……」
声をかけるまで気づいてなかったのか、コンピュータとエルクゥのなにかの道具が置いてある机の前に座ってる楓が振り返る。
あたしにはなにをやってるのかさっぱりわからないけど、前世の、エルクゥの記憶がはっきりとしてる楓にはここの機材のことも、エルクゥの使っていた道具のこともわかる。エルクゥの襲撃に備えて学校を休学した楓はここで研究をして、変身ブレスレットのようにエルクゥの道具を使えるようにしてくれた。そしていまも、新しい道具が使えるよう、研究を続けていてくれる。
「……もうすぐ、新しいのが使えるようになると思う」
「どんなもの?」
「武器。五人それぞれ専用のものを。やっぱりそれはお約束だし」
真面目な顔をして微妙にわからないことを言う楓。
「なんのお約束かは知らないけど、武器かぁ。いいね。どんなのだ?」
「それは秘密」
ちぇっ、と舌打ちして、楓の肩にポンと手を置く。頑張ってくれよ、と声をかけて、あたしは部屋を後にした。
蔵を出て家に戻りながら、あたしは思う。
――足りない。あたしには、力が足りない。
変身スーツがあって、グレーエルクゥには負けないくらいの力はある。だけどそれじゃ足りない。耕一が苦戦したエスナルっていう女キルイルと渡り合い、倒すためにはもっと強い力と、武器が必要だった。
「倒さなくちゃならないんだ、奴らを」
庭の真ん中に立ち朝日を仰ぎながらあたしはつぶやく。
最初の襲撃はキルイルを撃退することができた。でもたくさんの怪我人も、死人も出た。そんなことはなくさなくちゃならなかった。エルクゥに、鬼に手をかけられる人がもっと減らなくちゃならなかった。
「絶対に、絶対に倒すっ!」
握った拳を振り上げて、あたしは朝日に誓っていた。
* 2 *
『アベノンレッド、勝負だっ!』
『またお前かっ。シルヴィーヌ!』
剣を構えたシルヴィーヌの突撃をアベノンレッドが受け止める。回りで四人のアベノンジャーが戦っているのをよそに、レッドとシルヴィーヌの一騎打ちが展開されていた。
「ふぅ」
あからさまなため息をついて、椅子の上に身体を縮こませたエスナルは膝を抱え直した。もう一度ため息をつき、地球製のテレビで流れているアベノンジャーをじっと見つめる。
「エスナル、莫迦」
ノックもせずに扉を開けて入ってきたバミデリが、椅子の後ろからそんな声をかけてくる。うるさいっ、と振り向かずに声を返して、エスナルは膝の間に顔を埋める。
ディセレルの撤退命令によってエルクゥレッドとの戦いを中断された彼女は、もう一度出撃させてくれるよう食い下がったが、却下された。謹慎を言い渡され、いまは自分の部屋でこうしてテレビを見ながら頬を膨らませていた。
「そこだ! 頑張れ、シルヴィーヌっ。アベノンレッドを倒してしまえ!!」
佳境となった戦いに応援の声を飛ばしたエスナルだったが、シルヴィーヌはレッドに敗北した。怪人が巨大化し、アベノンジャーが呼び出した巨大ロボットとの戦いに入り、エスナルはため息を吐き出してまた膝を抱える。
「この星の、娯楽映像だ。応援しても、結果は決まってる。応援するエスナル、莫迦」
「うるさいっ!」
椅子の後ろに立ち止まっていたバミデリの声に、我慢できなくなったエスナルは振り返って声を張り上げる。太っていると言えるほどの体格をし、身体の線を隠すようなゆったりとした服を身を着たバミデリ。その服の上にひよこのアップリケがついたピンク色のエプロンをしている彼は、食事の盆を持っていた。
手先が器用なだけではない彼は、キルイルの厨房担当のひとりだった。おそらく彼手製だろう食事は、鶏肉をメインディッシュとしたエスナルの好みの内容になっている。
「……ありがとう」
控えめな口調で礼を言って、エスナルは盆を受け取る。
「なんで力を、使わなかった」
「あたしの勝手だっ」
ディセレルとともに戦闘の様子を見ていたのだろう、バミデリの指摘に叫び声で応え、エスナルは鶏肉の照り焼きを頬張る。
エルクゥレッドは強かった。混血のエルクゥだと思って侮っていたが、剣を交わらせてみれば、その強さはすぐにわかった。
エスナルは自分のことを武人だと考えている。皇家の血を引く女として、ディセレルほどでないにしろ強い精神感応力が自分にあるのは知っている。けれども武人である彼女にとっては、戦いは身体と身体で行うものであって、精神感応力を使って戦うのは、彼女の信条に反していた。
結果として、撤退命令によって決着をつけることはできなかった。だからこそ、エスナルは決着をつけに行きたかったが、ディセレルの許可がなければ船外に出ることは叶わない。バミデリを除く男たちは戦うにしても欲望が見えすぎ、同じ血族である限り、真剣勝負とはなりそうになかった。しかしエルクゥレッドとの戦いは、命がけの真剣勝負であり、同時にエスナルにとって気持ちのいいものだった。
――いつか絶対に、決着をつけてやる。
決意を固めながら、エスナルは残った鶏肉を口の中に放り込み、もぐもぐと噛む。
「ここに来てから、ゲディガの動き、よくない。エスナルは、戦闘隊長。エスナルがしっかりしないと、ダメ」
同族の言葉を使ってもいまひとつ言葉のつたないバミデリだが、見た目から想像できないほど気配りができる上に、頭の回転は決して遅くない。喋らなければ惚けているように見える彼がディセレルの片腕となっているのは、決して力の強さばかりが理由ではなかった。
「わかってるっ。ごちそうさん!」
食べ終えたお盆をバミデリに突っ返し、テレビを消してエスナルは椅子から立ち上がる。身体の大きさの割にはつぶらな目に心配そうな色を浮かべている彼を残して、部屋を出た。
――それでもあたしは、いつかエルクゥレッドと、柏木耕一との決着をつけたい。
握り拳をつくり歯を食いしばって、エスナルはそう考えていた。
*
「おはよう」
声をかけながら教室に入ったけど、いつも帰ってくる返事はどこからもなかった。遅く来る人以外はだいたい揃ってるのに。
自分の机に鞄を置いてなんの気なしに教室内を見回してみると、それを見つける。
「あれって……」
教室の後ろに集まってひそひそと話をしてるクラスメイトのところに行って訊いてみる。あたしが指さした机の上には、菊の花を飾った花瓶が置かれていた。ひとつの机だけじゃなく、ふたつの机の上に。
「梓……。あのね、先生たちが話してたらしいんだけど――」
話を聞いてる間に、拳を握っていた。強く、強く握りしめる。
月曜には置かれていなかった花瓶。火曜の今日になって置かれることになったのは、無惨なまでに切り裂かれた遺体の身元がやっと判明したのがひとつ。それから昨日の晩になって亡くなったのがひとつ。
そのふたりは友達だった。事件があった日も、ふたりは一緒に買い物に出かけていたそうだ。そしてそのときに大量虐殺事件――キルイルの襲撃に遭い、命を落とした。
「なんでこんなことになるんだ……」
教室内には暗い雰囲気が流れている。いつもより来ている人数が少ないのは、早くも一時疎開をしている人が出ているからと、みんなが話していた。
――これが現実なんだよな。
あたしたちはエルクゥファイブとなって、キルイルの襲撃を退けた。でもあたしたちが駆けつけるまでに、多くの人が傷つけられ、命を落とした。キルイルによって。
「あたしは、もっと強くならなくちゃいけない」
クラスメイトたちがひそひそとうわさ話をするのを聞きながら、自分の机についたあたしは小さな声でつぶやく。
担任の先生がやってきて、教室内が静まり返る。挨拶をして、出席を採って、担任はこれから全校集会がある旨だけを告げて教室を出ていった。
クラスメイトたちが体育館に向かう中で、あたしはまだ座って机の上で両手を握りしめていた。
――あたしが強くなって、キルイルを倒さなくちゃならないんだ!
叩きつけた拳は、机にその形のへこみをつくった。
*
配られた資料をひと通り読み終え、峰沢はその信じられない内容に呆然とする他なかった。会議室に集まっている署の人間も同様らしく、左右を見てみると峰沢同様疑問の顔が並んでいるのが見えた。
「以上の資料が、我々が現在までに調べることができたテロリストの情報です」
大学の教室のようなつくりをした会議室の前に立ち指示棒を手にした香坂は、参加している者たちが資料を読み終えた頃合いにそう言った。それを機に顔を上げた人々の口からは、ため息ともつかない声がいくつも漏らされている。
――これは現実なのか?
自衛隊がこの二日ほどで調べられた事実は、峰沢の想像を絶するものだった。
地球の人間であることすら疑わしいテロリストの死体の検死の結果、彼らの身体は普通の人間とまったく変わるところがないと判明した。あれだけの事件を起こした犯人の実体は、ただの人間だったという事実。それは当たり前の事実のはずであったが、むしろテロリストの正体は鬼であった、と言われた方が納得できそうなくらいに峰沢には感じられていた。
自衛隊は報告書で他に、目撃者の証言にある屈強な身体についてはいまだ不明であること、彼らが身につけていたプロテクタースーツについてはこれからの検証になることが書かれていた。
テロリストの遺体を自衛隊に取り上げられた形になっている警察側からの発表は、被害状況と現場検証の報告くらいしかできなかった。
「テロリストが身につけていたスーツについてはこれからさらなる検証が必要ですが、いま現在わかっているところでは、拳銃弾、小銃弾では貫通できないことが判明しています。また刃物についても傷をつけることはできませんでした。それはレーザーメスといったものも同様です」
――よく調べたものだ。
取り上げられてなにもできなかったのも確かだが、警察ではテロリストの遺体からスーツを脱がすこともできなかった。それを自衛隊は、陣を敷いてから一日足らずという短時間でそれだけで調べていた。驚くよりも先に、峰沢は検査の方法と手段が気になっていた。
――おそらく、人間だと発表しながら、人間としての扱いはしてないだろうな。
淡々と続ける香坂の言葉に、署員のひとりが手を挙げる。
「ならば小銃による攻撃も無効ということですか?」
「弾丸の貫通による殺傷は困難と思われます。しかしながら硬質のプロテクターではない部分については、貫通こそしないものの、衝撃を完全に消すことはできないようです。ですから例えば――」
横を向いて控えていた自衛隊員に頷いて指示し、香坂は二丁の銃を持ってこさせる。一般の警察では使われることが少ない、小銃よりもさらに大きな銃を。
「このショットガン。それも動物に対して使う小粒の散弾を詰めたものではなく、大粒のもの、もしくは単弾の、いわゆるスラッグ弾によって、直接的な殺傷ではなく、衝撃によるダメージを与えることは可能だと思われます。またこの対戦車ライフル。手持ちで撃つには鍛錬と訓練が必要ですが、これであれば衝撃によるダメージもあり、場合によっては内臓に対してダメージを与えられる可能性もあります」
――つまりテロリストが出てきたときには自衛隊に任せろ、ということか。
それについては峰沢にとって願ってもないことだった。すでに彼は五人の部下を失っている。テロリストとの戦闘によって対峙した者の命が失われることには変わりないかも知れないが、自分の部下をこれ以上失うことだけは願い下げにしたかった。
「テロリストの装備は現在の日本でつくることができない程に高度なものであり、事件現場を検証する限り、彼らの力は通常の人間では考えられないもの、――まさに鬼と称するに足るほどのものであります。我々は彼らに対するいまよりも有効な武器の開発を始めています」
報告を終え、香坂は手元の資料をまとめて会議室内を見回す。峰沢は思い切って手を上げ、立ち上がった。
「今回の事件を起こした犯人の正体を、自衛隊の方ではどのように考えていらっしゃいますか? 目撃者――いや、生存者は皆、犯人たちは短剣で、そして素手、もしくは爪のみで市民を死に至らしめ、そして建物を破壊しています。いくら強靱な人間といえどコンクリートの壁を思い切り殴れば、壁よりも先に手を痛めます。しかし彼らは壁の方を破壊して見せている。今回の事件は少なくとも通常の人間が起こしたものとは思えません。犯人への対処法もそうでしょう。その正体をどのようにお考えなのか、お聞かせ願いたい」
睨みつけるように香坂の目を見つめる峰沢。
これまでの自衛隊の動きを見ていて、彼には予感があった。自衛隊、もしくはそれよりももっと上の組織が、今回の事件を把握している、と。もしかしたら香坂は犯人の正体を知り、光の襲来以来その対処のために動いて来たのではないかと考えていた。
「正体については、いまのところわかりません、としか答えることができません。検死の結果を見る限り犯人たちは人間であり、それ以上の事実は見つかっていません。遺伝子の検査も行っているので、それの結果が出ればまたわかることが増えるかも知れませんが、いまのところ言えるのは報告書の通りです」
――嘘だな。
そう峰沢は直感していた。香坂のあまりに余裕のある答えに、不審を感じる。なにしろ自衛隊は、もう一度同様の事件があった場合、犯人を排除するために人員を派遣せねばならないのだから。多くの犠牲を払う可能性が高い戦闘をする部隊の隊長は、香坂自身。自分が戦わないとしても正体不明の人外の力を示す者たちとの戦闘は、それなりの動揺を招いてもおかしくはなかった。
かすかに笑みさえ浮かんで見える香坂に、もうひとつ質問をぶつけてみる。
「あなた方は、今回だけではなく、また同じような事件が、この隆山で発生するという確信がある、というように見えますが、そこのところはどうなのでしょう?」
「……」
その質問に香坂は、恐ろしいほど揺らぎのない瞳で峰沢の目を見つめてくる。
「あるかも知れませんし、ないかも知れません。としか答えることはできません。ですが我々は、今回の事件の犯人が再び市街に現れた場合を考えなくてはなりません。そのために派遣されてきたのですから。もし次、同じテロリストが現れた場合には我々が対処いたします。鬼退治は、自衛隊にお任せ下さい」
口元に笑みを見せ、しかし笑っていない目で峰沢を睨みつけてくる香坂。軍人、という言葉がまさに似合うような彼の視線を受け止めながら、峰沢はさらに質問を重ねる。
「もしまた同様の事件が発生し、そしてそのときも今回街を救ってくれた者たち、エルクゥファイブと名乗った者たちが現れた場合、彼らのことはどうするのでしょうか?」
「エルクゥファイブと名乗った者たちの装備や力はテロリストと同等だと思われます。正義の味方を気取ってはいますが、彼らが暴れれば同じことが起こるのは明らかです。捕らえるのが最善でしょう。どんな方法を用いたとしても。それが叶わないならば、テロリスト同様我々の排除対象になるでしょう」
――気に入らないな。
質問を終えて椅子に座った峰沢は香坂に聞こえないよう、ふんっ、と鼻を鳴らす。
エルクゥファイブと名乗った者たちが言葉の通り正義の味方であると、素直に信じられるほど峰沢も子供ではなかった。だからと言ってテロリストと同じ扱いをするのもどうかと思う。
『昔話の次郎衛門でも復活してくれれば』
そんな幸子の言葉を思い出す。
――昔話の英雄、次郎衛門が鬼を退治したように、エルクゥファイブが現代の鬼を退治してくれれば、と思ってしまうな。
自衛隊の意図はわからず、状況が気に入らない方向に進んでいくことに、峰沢はそんなことを考えていた。
*
ロッカールームには誰もいなかった。
いまは放課後。陸上部は部活中だから、この時間はあんまりここに人が来ることはない。
女の子が着替えると言ってもやっぱり汗くささがかすかに香ってる。それから整髪料や化粧の匂いが入り交じってて、男の子のロッカールームとは違う匂いがしていた。
「はぁ」
懐かしいその匂いに、あたしは思わずため息をついていた。
学校こそ休学しなかったけど、陸上部には休部届けを出していた。だからこの一ヶ月、ここに訪れることはなかった。たった一ヶ月なのに、なぜかこの場所をあたしは懐かしいと感じてしまっていた。
けっきょく、うちの学校でキルイルに襲われたのは五人。三人が亡くなって、重傷と軽傷がひとりずつ。けっして人数の多くないうちの高校でも、それだけの被害が出ていた。
「奴らを倒さないと。地球から追い出さないとっ」
小さく口にしながら、あたしは拳を握る。それからひとつのロッカーの前に立った。
ロッカールームの隅にあるそのロッカーの名札は、日吉かおり。いまこのロッカーは名札が残るばかりで、誰も使ってはいなかった。
二週間前、かおりは柳川にさらわれた。そして身も心もぼろぼろにされてしまった。
彼女直筆の名札にそっと触れ、あたしは目をつむる。
かおりが受けた恐怖は、どれほどのものだったろうか。どれほど苦しい時間を過ごしたのだろうか。あたしにはそれを伺い知ることはできない。
柳川は倒した。でもいまはキルイルがいる。かおりが鬼によって受けた恐怖が、もっと多くの人に降りかかろうとしていた。
「倒す。絶対に――」
「あれ? あ、梓先輩だぁ」
「ほんとだ。久しぶりですぅ~」
つぶやいたとき、部屋の扉が開けられ、陸上部員の女の子がふたり入ってきた。
「久しぶり。調子はどう?」
無邪気に笑うふたりに、あたしも何事もなかったように微笑みを返す。
「えぇーーっ、タイムはあんまり……」
「だってこの前、ケーキ食べ放題行っちゃったもんねぇ」
笑いあうふたり。ひと月前ならあたしもその中にいたはずなのに、ふたりの様子はどこか遠く懐かしいもののように思えていた。
「でもそれより、いまはあの事件だよね……」
「自衛隊の人が巡回してるし、あんなこと二度も三度もないと思うけどさ。そうですよね? 梓先輩」
「ん……。あーっ、そうだね」
適当に応えながら、でもキルイルが隆山にいる限り、あと二度でも三度でも、同じような事件が起こるだろうことはわかっていた。
「疎開とかしちゃってる人もいるけど、大丈夫ですよね」
「……」
答えることができなくなったあたしは、扉の方に足を向ける。
「帰っちゃうんですか?」
「まだ家の方とか、忙しいからね」
かけられた声に振り向いて苦笑いを浮かべる。また一緒に走りましょう、という朗らかな笑みを背中で受けながらあたしはロッカールームを出た。
――絶対にキルイルを倒す。そしてみんなを守るっ。
そう強く決意しながら、あたしは学校を後にした。
* 3 *
「出かけるのか? 梓」
「ん? うん。ちょっとね」
学校から帰ったあたしはシャツにスカートの少し薄着の私服に着替えて、すぐにまた出かけるために玄関で靴を履いていた。後ろからやってきた耕一の声に振り返って頷く。
「なにかあってもすぐに駆けつけられるから、大丈夫」
「わかった。……また、あそこか?」
「うん――」
いつものだらしない服装からすると、ポロシャツにジーパンという、ちょっとはマシな格好をしてる耕一は、あたしと並んで靴を履く。こいつもどこかにでかけるらしい。
「俺もちょうどでかけるところだ。一緒にそこまでいこう」
らしくない優しい笑顔で言った耕一に、うん、と応えてふたりで屋敷を出た。
「思えば梓、ちゃんと変身ポーズとか考えてるのか?」
「あっ、忘れてた」
「お前が発案者だろぉ~」
「そうだったね。ゴメンゴメン」
一緒に駅の方に向かって歩きながら、あたしたちは他愛ない会話で盛り上がる。
「そっちの方は楓が詳しいみたいだからね……」
「楓ちゃんって意外と詳しいみたいだよな。そういう趣味だったのかなぁ」
一見弾んでるように思える会話は、しかし上滑りしている。考え込むように空を仰いだ耕一の表情は曇っていた。
「じゃあここで。俺はあっちに用事があるから」
「ん。わかった。夕食時までには戻るね」
商店街の入り口で立ち止まって声を掛け合い、あたしは耕一に背を向けて駅の方に向かおうとする。
「無理するなよ、梓」
「なんだよ、突然」
かけられた言葉に振り返ってあたしは苦笑いを浮かべる。
「お前が一番無理しそうだからな。これは俺たち全員の問題だ。お前だけが背負ったりするなよ」
真面目な顔で言う耕一に笑顔で応えて、踵を返して駅へと向かっていく。
*
拝啓、柏木耕一様。
お元気にされていますでしょうか? 私は先日病院を退院でき、まもなく大学にも復帰する予定です。
ついに地球に飛来した鬼が動き出したようですね。テレビで見ていて恐怖を感じています。あのときのことを思い出してしまって、怖いです。もし隆山だけでなく、他の場所にも鬼が現れるようになったらと思うと、眠ることもできません。
柏木さんに対しては、頑張ってという以外の言葉がありません。私には怪我などせぬよう祈ることしかできません。
いつか戦いが終わって、また一緒に講義が受けられることを祈っています。
短くて済みません。また手紙を書きます。
小出由美子より。
――頑張ってるんだな、由美子さんも。
急いで書いて送って来たのだろう、由美子からの手紙はそれだけの内容しか書かれていなかった。それでも耕一は安堵を覚えながら、読み終えた便せんを畳み封筒に収めた。
まもなく三週間くらいになる前、柳川という刑事が由美子や響子、そして日吉かおりを襲った。鬼であった彼を倒した耕一たちは三人を助け出し、病院へと連れていった。
柳川は由美子たちに深い傷を残した。身体と、心に。しかし由美子は回復の兆しを見せている。まだ影は残っているだろうけれど、とりあえず大学に復帰するということに、耕一は安心していた。
「待たせちゃった? 久しぶりだね、耕一くん」
そんな声をかけてやってきたのは、相田響子。ウェイターにコーヒーを注文して耕一の前に座った彼女は、微笑みを浮かべる。
柳川の元から助けられたことで、響子は耕一たちが柳川の同類であることを気づいていた。早々に病院を退院した彼女は柏木屋敷を訪れ、そのことを耕一たちに問いつめてきた。それをごまかすことができず、自分たちが鬼の血筋であることを、柳川の同類であることを話していた。また隆山に新しい鬼――エルクゥが襲来したことも話した。その事実を秘密にすることを約束して。
そんな響子から電話があったのは今日の午前中。突然情報交換がしたい、と言ってきた彼女は、いまは鬼のことを調べていると告げた。勤めていた雑誌社を辞めフリーになり、隆山に残る鬼の伝説を、そして光の襲来のことを、さらにいまは隆山に入り、先日の大量虐殺事件のことを調べている、と。
そんな響子に呼び出され、耕一は梓と別れた後、商店街のこじんまりとした喫茶店にやってきていた。
「とりあえず、っと。これね。私が調べられたのはいまのところこれだけ」
言って響子は鞄の中から分厚い書類を取り出す。受け取った耕一はぱらぱらとそれを眺める。
隆山に残る鬼の話についてが半分以上。それから光の襲来についてが少し。あとは先日のキルイル襲撃事件に関して、警察の発表や現場にいた人から得た情報などがまとめられていた。
「こんなに……。いいんですか?」
「いいのよ。仕事でやってるのが半分、耕一くんたちに協力したいから、っていうのが半分なんだから。まぁ、できたらそのうち、エルクゥファイブの取材ができればいいなぁ、なんてね。隆山を守った英雄、エルクゥファイブってけっこう有名になってるよ? 一気に人気者だね、耕一くんたち。正体は明かせないだろうけどね」
そんなことを言って笑う響子に、耕一は困って苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「正直なところ、当たり前の取材だけじゃあダメなのよ。警察だってほとんどなにも把握してない。たぶん耕一くんたちの方がいろいろ知ってると思うの。だからもし取材先を教えてくれると嬉しいな、なんてね」
「そういうことでしたか……。それなら自衛隊がいま――」
耕一は簡潔に話せる範囲でのキルイルのこと、自衛隊のことを話した。メモを取りながら響子は難しい顔をする。
「けっこう難しい取材になるわね。でもやってみるわ」
「隆山はいま、危険ですよ。もしまた彼らが、キルイルの狩りが始まったら……」
「いいのよ、そのことは」
心配する耕一に響子は笑みを返す。
「私は鬼というものを知ってる数少ない人間のひとりよ。だから、もっと知りたいの。知らなくちゃ、いけないの」
笑っているけれど、辛そうな目をしている響子に、耕一はそれ以上なにも言うことができなかった。
「耕一くんも、鬼なんだよね。あの人と同じ」
そう言って響子は書類に置いた耕一の手に自分の手を添える。
「あの人と同じ鬼なら、あなたもあれくらい激しい――」
最後まで言わせずに、耕一は響子の手を振り払って立ち上がる。今日はありがとうございます、と頭を下げて喫茶店の伝票を手に取った。
「ゴメンなさい、私、忘れられなくて……。あんな風にされたのに、私は……」
響子の肩にポンと手を置いて、耕一はそのままレジへと向かう。支払いを終えて、彼は喫茶店の自動ドアをくぐった。
――由美子さんにも、響子さんにも鬼の、エルクゥの影が残ってる。
気持ちいいほど晴れ渡った空を仰ぎながら、耕一はそれを思う。キルイルによって、それがもっと多くの人に広がっていってしまうということを、改めて考えていた。
*
公園のベンチに座り、長瀬は不気味なほど晴れ渡った空を見上げていた。
昼間のいい時間であるのに、公園に人影は少ない。事件があって以来、自衛隊の巡回によって街が落ち着いてきているとは言え、決して前ほどの活気が戻ってきたわけではなかった。
「ほれ」
長瀬の座っているベンチに気配も足音もさせずにやってきた男は、一枚の紙を差し出す。普通のサラリーマンに見えるきっちりとしたスーツを身にまとう彼からそれを受け取った長瀬は、ちらりと内容を確認し、紙を折り畳んで胸ポケットにしまった。
「調べるまで半信半疑だったが、怪しいな、自衛隊は。しかしいいのか? ひとりで、それも報告なしだろ?」
「んー。まぁ、署の内部も忙しいですからねぇ」
とぼけて長瀬はまた空を仰ぐ。
柳川を失って以来、長瀬は相棒をつけていなかった。署内が騒がしいからという理由はその通りだったが、いつか柳川が戻ってくるのではないかという思いがあるのも確かだった。ひとりで勝手な動きをしているのは刑事課長や、おそらく峰沢にもばれているだろうと予想していたが、いまのところなにも言ってくることはなかった。
「派遣されてきた自衛隊は特殊部隊だ。北海道に配置されてる空挺とかとは違う。作戦行動の履歴は非公開。ある意味内閣の公安以上に秘匿性の高い作戦で動いてる」
誰もいない公園で、世間話でもしているような笑顔を浮かべたまま話をする男。自衛隊が来て数日でここまで調べられたのであれば上等というものだった。
相手が自衛隊となれば国家を相手に調査をしているも同じ。おおっぴらなことはできず、信頼と能力のある情報屋に頼むしかなかった。そんな情報屋の中でも、まだ長瀬が中央で仕事をしていた時代につきあいのあった、政治家や警察、自衛隊方面の情報に強い人間に話を持ちかけ、今回の情報を得ることができていた。
自衛隊が不穏であることは、署内の人間ならば誰でも感じていることだろう。香坂の率いる隊は、まるで最初から隆山の事態を予想していたかのように組織されていた。情報屋に渡された紙の中では、光の襲来からその動きは始まったとあった。香坂の部隊はテロリストのことを、――鬼のことを事前に察知していたのだろう。
――幻蔵はなぜ、自衛隊と行動を共にしているのだろう。
幻蔵の片親が隆山出身であることを、長瀬は記憶していた。それがどうして自衛隊と一緒に行動しているのかはわからなかったが、一連の香坂隊の動きには幻蔵も関わっているのだろうことは予想できていた。
「もう少し調べてみる」
「あまり無理はしないでほしいですね。相手が相手ですから」
わかってるさ、と手を振り、情報屋の男は去っていった。
長瀬もベンチから立ち上がり、公園の外に停めておいた車に乗り込む。車を走らせてすぐ、無線から無機質な口調の幸子の声が聞こえてきた。
「やはりきたか」
つぶやいて、長瀬は無線の誘導に沿って車を走らせ始めた。
*
少し重い扉を横に開けて部屋の中に入る。壁のすべてが真っ白に塗られたそこは、病室。ためらうことなくあたしはそこに踏み込んでいって、ひとつしかないベッドに近づいていく。
ベッドには表情のない女の子がひとり横になっていて、浅い息を繰り返している。目は開いているけれど意識がないのか、あたしが近づいても反応はまったくなかった。
「かおり……」
その女の子はかおり。あたしの後輩の日吉かおり。
学校から帰ってきたあたしがやってきたのは、かおりが入院している病院だった。心神喪失状態のために個室に入ってる彼女は、声をかけても反応することはなかった。
柳川って刑事のところからかおりを助け出して、もう三週間近くが経とうとしていた。一緒に助けられた小出由美子っていう耕一の知り合いは一週間で、相田響子って女の人はたった三日で退院した。でもかおりは、三週間近く経ったいまでも退院できないでいる。
椅子を持ってきてかおりの側に座る。
「もっと早くに助け出してやっていれば……」
助け出したとき、かおりはまだかすかにしゃべれる状態にあった。そのとき彼女は、あたしの名前をずっと呼んでいた。
でもけっきょく、かおりを助けることはできなかった。身体に受けた以上に深い傷を心に負って、彼女は壊れてしまった。喋ることもできなければ身体を動かすこともできず、ただ点滴で栄養を摂って、眠ったり、目を覚ましてもいまのように、うつろな瞳でただ天井を見つめるばかりだった。
これが鬼によって引き起こされた被害者のすべてだった。ある者は死に、ある者はこうして身体や心に深い傷を負う。鬼が、エルクゥがもたらすものはそんなものばかりだった。
シーツの上に出ていたかおりの手にあたしの手をそっと重ねる。暖かさはあるのに、ぴくりとも反応のないその手。あたしはそんなかおりのことが悲しくて、泣きそうになる。
――絶対に、絶対にキルイルのことは倒す。
かおりの顔に向かって、あたしはそれを誓う。
できる限り、奴らの手にかかって死ぬ人が増えないように。かおりのようになってしまう人が増えないように。
「奴らを殺して、殺して……、全滅させてやるんだっ。たとえ、あたしがどうなろうとも、絶対に――」
固く、固く、あたしはそれを誓っていた。
* 4 *
男たちは嬉々とした表情を浮かべて扉から出ていった。その場に残されたのは椅子に座ったディセレルと、その後ろに立つバミデリ、それから柳川の三人だけだった。
「大変なんだな、お前も」
「まぁな」
疲れた顔をして額を押さえているディセレルに、柳川は思わずねぎらいの言葉をかけていた。
「水……」
「ありがとう」
細やかな気遣いで、なぜかちゃんと日本語を使ってバミデリはコップをディセレルに手渡す。それをひと口飲んだ彼女は、ふぅ、と息をついた。
城とも言えるキルイルの宇宙船の奥からほとんど出てくることがないミフィルに代わり、ディセレルは船内の統括をほとんどひとりでやっている。細かなところまで、ほとんどひとりで。例えば食事をつくるのはバミデリなどの調理担当であったが、材料の調達はディセレルが行っていることだという。――食材を強奪しているという話を聞かないことから考えるに、おそらくどこからか買っているのかと思われるが、柳川にはその資金源が皆目見当がつかなかった。
そんなディセレルは今日、柳川の身体の精密検査をしているときに男のエルクゥたちに呼び出され、彼らの要求を突きつけられた。地球に来たというのに狩りができないことを不満に思う彼らは、大人数でまるで子供のようにディセレルに詰め寄り、けっきょくディセレルが根負けする形で出撃が許可された。
水を飲み干し、ディセレルは大きくため息を漏らす。椅子から立ち上がり、乱れてしまっていた服装を整えた。
「実際のところ、私も見てみたかったからな」
「なにをだ?」
「エルクゥファイブを、だ。お前を倒したという、柏木という血筋の者をな」
まだ少し疲れた表情を浮かべてはいるが、気力を取り戻したらしい彼女。
「お前と同様にエルクゥファイブ――柏木の一族とやらはエルクゥの真のエルクゥの力が使えるようだな。ならばそれを見てこよう。狩りが始まれば、地球人の戦闘力ではどうにもできない以上、エルクゥファイブが出てくるはず。私は直接この目で、その様子を見てこよう。柳川、お前は自分の部屋で待っていろ」
笑みが戻ったディセレルはバミデリを伴って会議室を出ようとする。ふと振り返って、彼女は言う。
「できれば彼らにも協力を取りつけたいところだ。いまは無理だろうが、な」
*
「我々の偽装は完璧だ」
目深に被ったフードの中で、それは小さくつぶやいてほくそ笑む。吊革につかまった仲間からは同意の答えが返ってくる。
夕刻が迫ろうとしている隆山を走る路線バス。駅前へと向かう車両のひとつはいま、全身をすっぽり覆い隠す灰色の外套をまとった者たちに占拠されていた。杖を持った老人や買い物帰りらしい主婦が椅子に座って彼らのことをじろじろと見ているが、見られている者たちはそれに気づいている様子はなかった。
外套の者たちは、ある者は椅子に座って窓に張り付くように外を見、ある者は網棚の上に上がろうとして落下し、したたかに腰を打ち付けてうめいていた。そして椅子に座れないものたちは皆、吊革につかまって整然と並んで立ち、右に左に揺られていた。
「おっ、ここだ。さて、俺が……」
「ふふっ。俺様が先に押してやったぜ」
「くっ。押そうと思ったのに――」
おそらく普通の人間では理解できないだろう言葉で、次停まります、と書かれたボタンの押し合いを終え、彼らはバスが停まるのを待って車両の前方へと押し寄せる。
「ちょっと待て。ディセレルから渡されてる小遣い、足りてるか?」
「あぁ~。大丈夫だ。どうにか足りる。しかし――」
「しかし?」
「帰りに買ってくつもりだったCDが買えなくなった」
話し合っている三人が代表して、三十人近い外套をまとう者たちの支払いを済ませる。
彼らが降り立ったのは駅前広場だった。夕刻が迫りつつあるいまの時間、そこには帰宅のために電車を降り立った社会人や遅い家路についている学生でごった返していた。
ひとりがおもむろに外套を脱ぎ捨てる。それを合図に全員が外套を脱ぎ、その姿を現した。
見た目にはいま駅前を歩いている人々とどこも変わらない体型の彼ら。しかしその服装は、着物と洋服を掛け合わせたような奇妙なデザインをしていた。
「さぁ、狩りの始まりだっ!」
高らかに宣言し、その者――キルイルエルクゥの男は注目する人々の前で光をまとった。
*
香坂の号令によって二台のトラックに次々と自衛隊員が乗り込んでいく。彼らの手にはそれぞれ、ショットガンや対戦車ライフルといった大柄の銃が握られている。
駅前にて先のテロリスト事件と同様の事件が発生したとの報告がきてから約三分。自衛隊は出撃の準備をほぼ終えていた。隆山警察署第三駐車場に建てられた仮設住宅前には、あとは出撃を待つばかりとなった装甲車とトラックが並んでいる。
上面に機関銃を装備した大型の装甲車にエンジンがかけられ、次々と出発していく。自衛隊員を乗せたトラックもまた、装甲車を追うように出発した。
「くっくっくっくっ」
その様子を見て不気味な声で笑っているのは、幻蔵。
出撃する様子のない彼は白衣姿のまま、遠くなっていくトラックを眺めていた。
「これでまたサンプルが手に入る。できれば生きたままのサンプルがほしいところだがな」
つぶやきを漏らし、彼は第二駐車場の方へと足を向ける。残された自衛隊員が出撃していった仲間の安否を思う不安な顔をしていたいが、彼はそれを気にする様子など一遍もなかった。
不気味な笑い声を残し、彼は第二駐車場の自分専用の研究施設へと向かっていく。
*
「確か豚の切り落としは一昨日使っちゃったから……」
かおりの見舞いを終えたあたしは、気分を入れ替えるためにも家のことを考えつつ電車に揺られていた。
県庁所在地とかほど大きくない隆山では、たとえ退勤時間と言っても電車が満員になることはない。それでも席に座ることができなかったあたしは、吊革につかまって今日の夕食のことをずっと考えている。
「特売の時間にはちょっと早いかなぁ。一度家に帰ってお金取ってきた方がいいかな? でも一度帰るともう一度出るのは面倒だよなぁ」
おばさん臭く愚痴を言いながら、あたしはそろそろ夕日に染まってきた駅前の様子を電車から眺める。
電車がホームに入るまでの短い時間で見ることができた駅前の様子は、グレーのプロテクタースーツを身にまとう者たちが駅前に集まった人々に襲いかかるという、凄惨な風景だった。
「で、今日は肉がいいか、魚がいいか……。耕一は肉の方が好きみたいだけど、魚もバランスよく食べないといけないからなぁ」
駅名を告げて停まった電車から降りた。あたしと一緒にたくさんの人が電車を降りて改札へと向かっていく。
自衛隊が来て以来、街は表面上の落ち着きを取り戻してる。疎開した人もいるけど、普通あんな事件が二度も三度も起こるなんてことは考えないからだろう、昼間に用事もなく街を出歩く人は少ないけど、この時間の改札口はスーツ姿の人々で溢れていた。
「ちょっとおじさん。なに?」
改札口を抜けて駅舎を出たところで、背の高いスーツを着た男の人があたしに背中からもたれかかってきた。邪魔だから両手で押し返すと、たたらを踏むことなく男の人は道路に倒れてしまう。どうしたのかと見るまでもなく、その男の人には首から上がなかった。
夕食の献立を頭の隅に追いやって、見上げた駅前広場。目に飛び込んできたのは、逃げまどう人々とそれを追うグレーエルクゥの姿。
「なんだこりゃあ?」
あたしは思わずそんな言葉をつぶやいていた。
冬になると真っ白になって綺麗な駅前の広場は、いまは血で彩られていた。散らばっているのはゴミなんかじゃなくて、死体と、切り取られた手足や頭。女の人たちは広場の一カ所に集められ、グレーエルクゥに逃げ出さないよう監視されて震えていた。
――かおりみたいなことになる人が、増える……。
すでに何人の人がキルイルの犠牲になったんだろう。
このまま襲撃が終わって、集められた女の人たちが連れ去られたら、どんな目に遭うんだろう。
なにも考えられなくなっていた頭の中に、だんだんとわき上がってくるもの。
――殺す。全員、殺す。
思いとともに身体は一瞬にして熱くなった。
すべてのことが頭から吹き飛んで、グレーエルクゥの数が二十人以上いることも、幹部らしいグレーじゃないスーツを身にまとう奴が三人くらいいることも、あたしの思考には入ってこなかった。そして耕一たちに連絡をすることも、思いつきはしなかった。
「お前らあたしが全員殺してやる!!」
叫び声とともに左腕を掲げて右手の指を添える。膨れ上がる怒りとともに、あたしはエルクゥブルーへと変身していた。
「残酷な現実、冷徹な決意」 了
次回予告
敵に突撃をかけたあたしはグレーエルクゥも幹部も一気に打ち倒し、さらに駆けつけた援軍もぶち倒して勝利を収める! 次回、梓の強さ! 請うごき――。
「――そうなるといいな」
なんだよ、耕一。他にどういう展開があるって言うんだよ。
「いや、まぁ、ねぇ……」
「まぁ……」
「うん……」
そこでそっぽ向くんじゃないよ。千鶴姉も、初音も、なんでそんな微妙な顔してるんだよ。っていうか、楓もあからさまに残念そうな人を見る目を向けるんじゃないっ。
「さて、やっとわたしがお前たちと相まみえることになるのだな」
って、突然出てきて誰だよっ。
「なに、次回になればわかるさ」
「レッド! 首を洗って、待っていたか?!」
「いや、そういう展開でもないんだが」
なんでみんなあたしを置いてけぼりにするんだよっ。
この次回予告まではあたしが主役だろ!
「次回、柏木戦隊エルクゥファイブ第四話『新たな力、真の力』、請うご期待」
楓! お前の主役は次回だろ!
あぁ、もう!! あたしの締めの言葉ぁ~。
次回につづく……