リ・エスティーゼの魔王   作:steel fury

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第1話

 二人の少女は窓際に置かれたテーブルを挟んで相対していた。

 窓から注ぐ陽の光が、お互いの共通点である金髪をより美しく輝かせると、誰もが感嘆の吐息を洩らすであろう幻想的な光景が浮かび上がる。年相応の可愛らしいドレス姿もあいまって、まるで妖精がお茶会をしているかのようだった。

 

「――それでね、叔父様ったら可笑しいのよ」

 

 少女の一人が緑色の目を楽しげに細めて、対面に座る友人に言葉を投げかけるが、全て一方通行に終わっていた。

 それでも、彼女が機嫌を損ねることはない。彼女にとって会話の成立が目的ではなく、同じ空間を共有できることに喜びを見出していたからだ。

 彼女の名はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。床に届かない足を軽く揺らしながらも、小さな身体がまとう雰囲気は確かな力強さを感じさせた。

 それは多くの人間を惹きつける明るさに満ちているが、眼前の少女は例外であった。

 

「……」

 

 ラナーは沈黙を続けていた。

 彼女の宝石のような碧眼は何も映さない。かつて、柔和な微笑みをたたえていた顔には無表情が張り付き、小鳥が囀るような愛らしい相槌は久しく耳にしていなかった。

 曇りかけた表情を誤魔化すため、ラキュースは紅茶に口をつけた。

 

「あら……すっかり冷めてしまったわ」

 

 時が経つのは早い。熱を失ったティーカップに指先を添え、ラキュースは思った。

 彼女の中で、あっという間に感じた日々において、ラナーはどれだけ苦しんでいたのだろうか。過去の愚鈍な自分を殴りつけてやりたい衝動と、親しき友の心労に気づけなかった後悔の念は決して消えることがなかった。

 

「メイドに新しいものを持ってきてもらいましょうか。 少し待っててね、ラナー」 

 

 鬱屈した心情に傾きかけていたラキュースは、気持ちを切り替えようと席を立ちかけた。

 

「――ねぇ、ラキュース」

 

「えっ……?」

 

 誰が自分の名前を呼んだのだろうか。首を傾げた彼女は、青い瞳に見据えられていることに気づき、ようやく声の主を悟った。

 

「あっ、え!? な、なに? なにかしら、ラナー!?」

 

 驚きより嬉しさの方が勝り、ラキュースは身を乗り出して返答した。

 しばらく聞いていなかった親友の声色は記憶通りのものだった。自然と口元が緩み、彼女が次に紡ぐ言葉が待ち遠しくて仕方がない。

 

「ごめんなさい。 ずっと前から思ってたのだけど、なかなか言い出しづらくて……」

 

 ラキュースはすべて合点がいった。これまでのラナーの沈黙には意味があったのだ。彼女の中では、何かを伝えようとして、思いとどまるといった葛藤が繰り返されていたのだろう。それを察することができなかった自身の鈍感さに、ほとほと嫌気がさした。

 

「そんな! 遠慮なんてしなくていいのよ! 私たち、友達じゃない!」

 

「ありがとう、ラキュース……それなら――」

 

 少女達の笑顔が交差し、春の雪解けのように止まっていた時間が動き出した。

 過去をやり直すことはできないが、それでも同じ過ちを繰り返さないようにはできる。

 ラキュースは確かな決意を胸に、これから再構築していく二人の関係に思いを馳せた。

 

 

 

 

「――もう二度と来ないで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 打ち上げられる花火は絶えることなく、プレイヤー達の視野いっぱいに広がる。闇夜に色とりどりの大輪が咲くたび、歓声がフィールドのあちこちで響き渡る。誰もが夢中で空を見上げる中、モモンガは飛散した火の粉の行く先を追い続けていた。

 か細いきらめきが地上へと落ちていき、ほどなく消える。その繰り返しを延々と眺める姿には、おおよそ生気というものが感じ取れなかった。それはモモンガの外装がアンデッドだからというわけでない。彼の心中で固まりつつあるものが影響していたのだろう。

 多くの人々に親しまれ、愛されたユグドラシル。その長い歴史に幕が下りようとしていた。

 

 最終日ということもあり、ユグドラシルの中心街はプレイヤーであふれかえっていた。

 残された時間を悔いなく過ごすために、各々の仲間と談笑をしたり、悪ふざけに興じたりしている。そうした人混みをかき分けて、モモンガはふらふらと目的地もなく歩いていた。

 

 どこに行こうが見覚えのある光景が目に飛び込んでくる。そのたびに甦ってくる記憶に、モモンガは悄然と俯いた。

 気が付けば周囲に人の気配はなく、いつのまにか街の外縁部まで来てしまっていた。花火の音は相変わらず聞こえていたが、耳を澄ましてようやくといった具合で、ほとんど静寂といっても差し支えはない。

 

 モモンガの足取りは重くなっていき、家屋の外壁に倒れこむように背中を預けると、そのまま地面へと座り込む。

 動きを止めると、今まで息を潜めていた負の感情が膨れ上がり、彼を自暴自棄な衝動に駆り立てる。このまま全てを手放して子供のように泣き叫ぶ事ができれば、どんなに楽になるだろうか。それを理性が押し留めるのは、サーバー停止までの貴重な時間を無駄にしたくなかったからだ。

 

「あと、五分か……」

 

 骨だけの右手を名残惜しげに見つめながら、モモンガは呟いた。

 この世界は間もなく終わりを迎える。ユグドラシルにおける彼の分身も、跡形もなく消え失せてしまうはずだ。自らの片割れの末路に哀れみを感じたが、モモンガにできることは、最後の瞬間まで一緒にいてやることぐらいだった。

 

「生殺与奪を握られてるなんて……死の支配者(オーバーロード)がとんだお笑い種だな」

 

 現実での自分の姿と重なってみえて、思わず苦笑がもれる。

 だが、今はもう違う。ユグドラシルの終焉を受け入れたあの日から、モモンガを縛るものは無くなっていた。会社に辞表をたたきつけ、サービス終了まで惜しみなく仮想現実に費やせる環境を手に入れていたのだ。

 それは彼が生まれて初めて味わう本当の自由で、これまで心の隅に留まり続けた重圧から解放された瞬間だった。

 

「楽しかった――」

 

 視界の端で流れるチャットが勢いを増し、先程とは比べ物にならない規模の花火が次々と打ち上げられる。

 モモンガの傍に微かな光と音が届くたび、この世界で過ごしてきた日々が脳裏に浮かんでは全身に染み渡っていく。

 異形種狩り。最初の九人。多くの仲間との出会い。アインズ・ウール・ゴウンの結成。輝かしい黄金時代。去っていく友人達。惜別と新たな高揚。そして、ユグドラシルのサービス終了。

 十二年もの長きにわたり仮想現実で繰り広げられたドラマは、モモンガにとっては紛うことなき『リアル』だった。 

 

「本当に、楽しかったんだ――」

 

 彼は救いのない地獄へと戻るつもりはない。会社を辞めた以上、現実で生きていく手段もありはしない。ならば、自ずと残された道は決まってくる。

 モモンガはこの愛すべき世界と共に果てる覚悟を決めた。そしてようやく、少しの憂いもなく、晴れやかな心境に至ることができたのだ。 

 

 カウントダウンは残り数秒を刻み、プレイヤー達の盛り上がりは最高潮に達する。 

 それに合わせてモモンガの眼窩に宿る灯火も静かに消えていく。視界が暗闇に閉ざされる直前、不意に両親の顔を思い出した。おそらく死を意識したせいだろう、長らく記憶の底に埋もれていた父と母の笑顔は、彼を穏やかな微睡みへと誘った。

 

「――……ありがとう」

 

 自然と零れた感謝の言葉は誰に向けられたものだったのか。あまりに対象が多すぎて、本人すらも分からなかった。

 

 かくしてユグドラシルは終焉した。

 だが、モモンガの物語は終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラキュースは外へと数歩踏み出したあと、緩慢な動作で背後を振り返る。

 そこには、豪華だが落ち着いた雰囲気を醸しだすヴァランシア宮殿がそびえていた。初めてこの建物を前にした時、息をのむような荘厳さに、人知れず王家への畏敬の念を抱いたものだ。

 しかし、今となっては、まったく正反対の感情しか湧いてこなかった。

 

「お迎えに参りました、お嬢様」

 

 正面へと顔を戻すと、アインドラ家に仕える老齢の執事が深々と頭を下げていた。

 彼の後ろでは小型の馬車が停まっており、牽引役の二頭の馬は待ちくたびれたと言わんばかりに鼻を鳴らしている。

 執事の労をねぎらうように、ラキュースは軽く頷いた。続けて彼女から差し出された手を、執事が恭しく取り上げ、主従はそのまま馬車へと乗り込んだ。

 

「お顔の色が優れませんが、いかがなさいましたか」

 

 着席と同時に、執事は対面のラキュースに問いかける。

 長年の経験によって培われた眼力は、小さな肩が一瞬だけ震えたのを見逃さなかった。ラキュースが赤子の頃から世話を任されていた執事には、彼女の心の機微は手に取るように分かる。全てを悟った彼は、慈愛を多分に含んだ苦笑を浮かべた。

 

「本日はお疲れでしょう。 道中は不自由かもしれませんが、お身体をお休めになってください」

 

 それ以上の追及はなく、ラキュースは内心で執事に感謝を述べた。

 しばらくすると、乾いた鞭と馬の嘶きに次いで馬車がゆっくりと動き出す。静まり返った車内には、蹄鉄が石畳を一定の感覚で叩く音だけが響いていた。

 

 二人を乗せた馬車はロ・レンテ城の門をくぐり、中央通りへと差し掛かっていた。

 このまま領地へと帰ってしまえば、再び王都に戻ることはないだろう。宮殿から離れていくにつれて、ラキュースの後ろめたい気持ちは暗さを深めていく。

 常人であれば、そのまま淀んだ思考に沈んでいくはずだ。そして、答えを得ることなく、心に刺さった棘を抱えて生きていくのだ。

 

 しかし、ラキュースは違う。

 彼女は聡明だが幼きゆえに知識が不足している。肉体的な強さも小さな身体に相応のものでしかない。無知で、なおかつ無力で、さらには――とてつもなく無謀だったのだ。

 

「――今すぐ馬車をとめてちょうだい」

 

「お嬢様……?」

 

 怪訝そうに問いかけた執事は、一抹の不安を感じていた。というのも、この状況に既視感を覚えていたのだ。差し出がましいことだが、早急に彼女を諫めなければ、とんでもない事態に発展すると直感が告げていた。

 

「いったい何を仰って……っ!?」

 

 胸のざわめきが彼を突き動かす前に、出鼻を挫くようにラキュースが勢いよく立ち上がった。

 

「聞こえなかったのかしら? 馬車をとめてと言ったのよ」

 

 狭い車内を統べるかの如く君臨する少女は、ピンクの唇を真一文字にし、翠の瞳に決意の色を浮かべている。どこかで見覚えがある姿は、執事の記憶を激しく揺さぶり、かつてアインドラ家に騒動を巻き起こした大事件へと結びつけた。

 

 ――そうだ! あの時のアズス様にそっくりだ!

 

 執事がまだ若い頃の話だ。現当主の兄弟であるアズスが、突如として冒険者になると宣言し、大勢の猛反対を振り切って出奔したのだ。あれから幾十数年、叔父と姪の関係であるアズスとラキュースの姿が重なって見える。まさかこんな日がこようとは思いもしなかった。

 

「……もういいわ。 自分で勝手に降りるから」

 

 呆然としている執事を尻目に、ラキュースはドレスの裾を乱暴に掴むと、力任せに破り捨てた。

 引き裂かれた布の隙間からは、白いドロワーズが顔を覗かせ、令嬢には到底似つかわしくない無残な恰好となり果てる。

 対する執事の反応は絶句である。いくら優秀とはいえ、想定外の事がこうも連続しては当然ともいえた。そしてようやく思考が状況に追い付く頃には、ラキュースは外へと繋がる扉に手をかけていた。

 

「お、お嬢様……!?」

 

 目の前で繰り広げられている不可解な行動と、先程の彼女の言動とが一本の線で結ばれると、執事の顔から血の気がひいた。

 

「なぁっ!? なりません!! おやめください!!」

 

「心配しないでちょうだい! 必ず戻ってくるから!」

 

「そういう問題ではございません!!」

 

 絶叫に近い制止の声を物ともせず、扉は無情にも開け放たれた。

 ラキュースが身を乗り出すと、多くの民衆が行き交う光景が視界に飛び込んできた。馬車は以前変わらずの速度で進んでおり、驚く人々の顔が次から次に後ろへと流れていく。

 思わず足を竦ませたが、それも一瞬のことだった。直後に伸ばされた執事の手は空を切り、少女の身体は宙を舞っていた。

 

「――うぐぅっ!!」

 

 解放的な浮遊感を味わえたのも束の間、着地の衝撃は予想以上に凄まじく、ラキュースは勢いのまま地面を滑るように転がった。二転、三転とするうちに彼女の全身は土にまみれ、輝かしい金髪もくすんだ色に変わっていた。

 突然の出来事に、通行人たちは唖然とした表情で地に伏せた少女を眺めていた。

 

「いたたたっ……」

 

 よろよろと立ち上がったラキュースを、安否を気遣う騒めきが取り囲む。

 土埃と鼻血で汚れた顔で罰の悪そうに苦笑するも、視界の端で年齢に不似合いな俊敏さで馬車から降りてくる執事を見つけ、大慌てで群衆の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 ラキュースは痛みを堪えて、第三王女のいる王城へと駆ける。

 数年間育んできた友人関係をラナーが拒絶した理由。その背景に潜むものを、ラキュースは薄々だが勘づいていた。頼りげない両足を懸命に動かすのは、その確証を得るためだった。

 

 ラキュースは思う。きっと、宮殿は第三王女の自由を奪うための牢獄で、ヴァイセルフ王家という頑強な檻が全てを阻んでいる。そして、固く絞められた錠前を開けることができる鍵は、既にラキュースの手には無い。

 

 

 

 だけど、もし、それでもラナーが救いを求めてきたのならば――

 

 

 

 ラキュースは走り続けていた。

 ロ・レンテ城の奥深く、ヴァランシア宮殿で待つ親友のもとに向かって。

 

 

 

 


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