大井着任から二週間が経過した。その間、少し騒ぎとなった大井を含めても特に問題らしきものはたった一つを除き起こる事もなく、艦娘の人数、艤装の強化、資材の備蓄といった鎮守府の総合的な戦力も着々と強化されていった。
そんなある日の夜、執務室にて提督とサイファーの二人が密談を…吹雪と大淀すらも部屋から外して行っていた。そして、その議題は先述のたった一つの問題についてなのだが―――。
「…一昨日は正直かなり危なかった」
難しい顔でしみじみとそう語る提督。眉間に刻まれたしわの深さが、その言葉の重みを増している。
「ニャー…。で、でも、逆に言えば提督さんが彼女達に慕われているからこそそうなるのでは…?」
「提督としては認められているかもしれんが、男としては完全に舐められているぞ。俺もサイファーも、だ」
「………」
サイファーが擁護の言葉を口にするが、即座に提督に否定される。そして、その否定の内容にサイファーは反論する事が出来ず口をつぐんでしまった。
そのまま、無言の時間が過ぎていく。提督は執務机に両肘を付き、顎を組んだ両手の上に乗せ変わらぬ難しい顔で何かを考え込むかのように俯き、サイファーも悲し気に顔を伏せている。
と、不意に提督が顔を上げた。視線は執務室の壁に掛かっている時計に向かっている。
「…フタヒトマルマル、か。まだ早いな」
「また時間をずらして行くニャ?」
「ああ。しかし、ただ時間をずらしただけでは恐らくもう効果はないだろう。初めての時こそうまく出し抜けたが、二回目は見事に対応されてしまったからな」
「じゃ、じゃあどうするニャ?」
サイファーの問いに、しかし提督は答えずゆっくりと目をつむる。その様子に何やら不穏な物を感じたサイファーは生唾を飲み込んだ。因みに、現在調理場は間宮達に頼んである。間宮、伊良湖、扶桑、山城に加え、サイファーへの弟子入りを希望した大井と、それに釣られて北上も手伝ってくれるようになった上に、鳳翔という新たな艦娘も手伝ってくれる事となったからだ。サイファー一人しかいなかった頃に比べると、今はだいぶ余裕が出来たと言えるだろう。
「…最初に言っておく。俺も決して騒がしいのが嫌いな訳ではない」
唐突に口を開く提督。しかし、その台詞にはそこはかとなく言い訳臭が漂っている。
「しかしだ! やはり憩いの一時くらいはゆっくりのんびり落ち着きたいものだ」
続く提督の言葉にサイファーは首を上下に振る。のだが、言っている事には同意の筈なのに何故かサイファーの脳裏には『同意してはいけない!』というアラートが鳴り響いていた。
「だが! 今のままではその平穏な一時は永久に来る事は無いだろう! そしてこの状況を打破するためには、何としても彼女達の意表を突かなけらばならない!!」
語っている間に心が熱くなってきたのか、言葉の途中で立ち上がる提督。声量も上がり声色にも熱が籠り始めている。
「その為に俺は考えた。考えに考えに考え抜いた。そして、俺は彼女達の意表を突くのに現在最も最適だと思われる行動を考えついたのだ! ……そ、そして、その行動…なの、だが―――」
ここで一旦言葉を切る提督。その先を口にするのをためらっている様で、ヒートアップしていた筈の勢いも一気にクールダウンしてしまい、再び椅子に腰かけてしまった。
突然震えだした口調と言い、この時点でサイファーの嫌な予感も最高潮に達していたのだが、提督が考え抜いた『行動』とやらも気になるのでここは提督が口を開くのをじっと待つ。
しばしの間の後、今までずっと閉じていた瞳を開く提督。そして、意を決したように両目を限界まで見開き、片腕を振り上げながら凄まじい雄たけびを上げた。
「―――おれは女湯に入るぞ! サイファーーーッ!!」
「ニ゛ャア゛!?」
問題とは、ずはり艦娘達が平気で男湯に入ってくる事だ。勿論、提督やサイファーがいようとお構いなしに…というより、その時を狙っている節すらある。
特に最近については気安さの極致にあり、朝潮や由良といった比較的男性の前で裸体を晒すのに抵抗を感じている艦娘すら誘われている有様だ。
対して、提督とサイファーも入浴の時間をずらしたり、清掃中の看板を立てたりといった策を弄してきたのだが、初回こそ成功はするものの必ず二回目には破られてしまう。特に時間に関しては、どれだけでたらめな時間に入っても必ず何人かの艦娘がいるという、ある意味かなり怖い状況にすらなってしまっている。
しかして、艦娘達の意表を突く為に、下手をすれば法的に人間を止めなければならない方法に走ってしまった提督。そして、なし崩し的にサイファーもその道連れにされてしまうのだった…。
現時刻はマルヒトマルマル。信じられない程の広さを誇る大浴場に、二つの人影があった。勿論、提督とサイファーだ。
「ヌハ、ヌハハハハ…! どうだサイファー? 久しぶりにゆっくりと風呂に浸かる感触は!?」
上機嫌に笑いながらサイファーにそう訊ねる提督。笑い方が少しおかしいのは、男性にとっての不可侵である筈の場所に入り込んでしまったところからくる、背徳的な高揚感からだろう。
「お、落ち着かないニャ…。全く落ち着かないニャ…!」
対するサイファーは、忙しなく周囲に視線を巡らせながら提督の質問に答える。時間が時間なので、周囲に人影は全くない…もしかしたら男湯の方には何人か入っているかもしれないが…のだが、持ち前の貞操観念が今の状況に警告を鳴らしているのだろう。
「落ち着かないのは俺も同じだから心配するなっ! それにしても、だ…」
大声であまり自慢にならない事を言いながら、改めて周囲を見回す提督。
「…まったく。こんなに広い浴場なら素直にこちらを使えばいいと思うんだがなぁ…。提督業に就いてからそれなりには経つが、一昨日の事と言いやはり女性には理解不能な個所があるな」
「そう言えば、一昨日何があったニャ?」
ブツブツと愚痴る提督に、サイファーが不思議そうに尋ねる。一昨日は就業時間の食い違いから提督とサイファーは別々に浴場に入ったのだ。
「…ああ、あまりにも貞操観念の無さが酷かったので、流石にここは一発言わねばなるまいと思い立ったのだが、話の流れから何故か性教育を施す事になってしまってな」
「手さえ出さなければ問題は無いと思うニャ」
「無論、俺も口頭だけで終わらすつもりだったが、あろう事か一部の駆逐艦娘達から実演をさせられかけたのだ」
「じ、じつ…!?」
提督の口から放たれた衝撃の言葉に、サイファーは思わず絶句してしまう。
「それまで面白そうに見ていた他の艦娘達…あの時は川内、阿賀野、陽炎、秋雲の四人だったかな…も、流石にこれ以上は不味いと判断したのか、それとなく俺を庇ってくれた。そして、その隙に俺は一目散に浴場を後にしたって訳だ。無知な少女に手を出すなど、男の風上にも置けん行為だからな」
「…そ、それは…。ご愁傷さまとしか言えないニャ…」
遠い瞳をしながらつらつらと語る提督に、サイファーも労いの言葉を掛ける。のだが、
「…正直に言えば、無知シチュ自体はドストライクなんだが、童貞がそんな状況を上手くこなせる訳がない。あんなもの上手くこなせるのは、それこそエロ本とかに出てくる、行為は初めてとか口走りながら手慣れた手際で玄人なプレイを敢行する、ファッション童貞位のもんだ。現実で童貞が女性を満足させられるとか思わない方が良いぞ。三次とニ次を混同しちゃだめだ」
状況の所為かストレスの所為か、何やら暗い欲望の様な物を口から垂れ流す提督。サイファーとしてもどうして良いか分からず、ただ黙って明後日の方向を見つめていた。
「提督、それにサイファーさんも。女湯の具合は如何ですか?」
「はっ!!?」「ニャグッ!!?」
不意に二人に降りかかる声。慌てて声のした方を振り向くと、ニコニコといつもと変わらない柔らかい笑みを振りまく、バスタオルを体に巻いた鳳翔の姿があった―――。
「提督自らが規律を乱すのは流石にどうかと思いますよ?」
「気をしっかり持ちなさい。一時の感情に流されては駄目」
浴場のど真ん中で正座させられている提督に赤城と加賀の叱責が飛ぶ。この二人も鳳翔に誘われて浴場に来ていたそうだ。
「お二人とも、その辺りで勘弁してあげて下さい。提督も追い詰められた故に奇行に走ってしまった訳ですし、提督だけを責めればいいという問題でもありません」
そんな中、笑顔を崩さない鳳翔が二人を宥める。そして、もともと二人もそれほどには怒ってはいなかったようで、この鳳翔の言葉にあっさりと引いてくれた。
そうして、提督の目の前に移動し、しゃがんで視線を提督に合わせる鳳翔。
「良いですか提督、それにサイファーさんも。今更女湯に入るなとは言いません。が、もし入るのでしたら一言声を掛けて下さい。それで十分ですので」
予想外の鳳翔の言葉に、提督は驚きの表情で今まで下を向けていた顔を上げ、その隣で申し訳なさそうに提督と鳳翔達を交互に見遣っていたサイファーも驚愕の視線を鳳翔に向ける。
「これだけ男湯を蹂躙しておいて、女湯には入るなというのは流石に不公平ですからね」
そんな二人の視線に、クスクスと笑いながら返す鳳翔。鳳翔の後ろにいる赤城と加賀も頷いているのを見るに、今ノリで決めたとかではなく、以前から浴場について話し合いでもしていたのだろう。
「ですが、やはり艦娘の中には例え提督と言えど男性の前で肌を晒すのは恥ずかしいという者もいます。ですから、入る前に一声だけ掛けて下されば有難いという事ですね」
そう言って、提督に手を差し出す鳳翔。その手を提督がとると、鳳翔は手を引っ張って提督を立たせてしまった。
「では、ご一緒させていただきます。たまには、ゆっくりのんびりと…ね?」
湯船へと提督を促す鳳翔。あくまで提督の後ろを付いていく奥ゆかしさ、迸る大人の余裕、溢れ出る母性と様々な要素をふんだんに発揮する鳳翔に、提督とサイファーは勿論、赤城と加賀も口を挟む事が出来ず、ただ黙って先頭を歩く提督に付いて行くのみだった。
「困った時は仰って下さいね。いつでも匿いますから。何なら明日もかまいませんよ」
久方ぶりのゆったりとした入浴に、すっかりご機嫌となった提督とサイファーが浴場から出て行く際に鳳翔が投げかけた言葉。対する二人は謝礼の言葉と共に浴場を後にした。
「流石ですね鳳翔さん。見事な対応です」
「私も見習いたいところです」
鳳翔、赤城、加賀の三人だけになった浴場で、一連の鳳翔の行動を賞賛する赤城と加賀。さらに、
「鳳翔さん凄い! 暁も鳳翔さんの様なレディになりたいわ!」
「岩場の陰から見させて頂きました! やっぱり鳳翔さんは大人の女性って感じがしますね!」
何処から湧いて出てきたのか、暁と吹雪の二人までもがいつの間にか加わり鳳翔を称え始めた。
「「二人ともいつの間に!?」」「あら…」
突然現れた暁と吹雪に驚く赤城と加賀。鳳翔は驚きこそしていないが代わりに少し困った様な表情を浮かべる。
「例の卯月が見つけた変な穴を逆にたどってきたのよ!」
「わ、私は止めたんですけど、どうしてもと断り切れずに…」
赤城と加賀の質問に、自信満々に答える暁と申し訳なさそうに口を開く吹雪。と、その時だ。
「あっ、時雨! 赤城達がいるっぽい!」
「…本当だ。ねえ、提督を見なかったかい?」
今度は脱衣所の方から夕立と時雨が顔を出す。どうやら二人して提督を探している様だ。
「少し遅かったですね。提督でしたら、たった今上がった所ですよ」
「ううーっ! 女湯の方に入っているのは盲点だったっぽいーっ!」
「こっちに入っていたなんてそれは幾らなんでも…でも、仕方ない…のかな…?」
赤城の答えに悔しそうに地団太を踏む夕立と、いろいろと複雑そうな時雨。しかし、ここで予想だにしない人物から予想だにしない言葉が放たれる。
「その事ですが、無断で女湯に入った事はしっかりと注意しましたので、次回からは男湯に戻ると思いますよ」
「「「「…へ?」」」」
出際に提督にかけた言葉と明らかに食い違う発言をする鳳翔に、赤城、加賀、暁、吹雪の四人は思わず頓狂な声を上げながら鳳翔を見つめる。
「分かったっぽい! じゃあ、明日こそセイコウイとかいうのを見せてもらうっぽい!」
「…夕立、あんまり提督に迷惑かけないようにね」
しかし、夕立と時雨は先ほどまでの鳳翔達と提督、サイファーとのやり取りを知らない。なので、色々と危ない理由で燃えている夕立を時雨が宥めながら何処かへと去ってしまった。
「…あ、あの、鳳翔さん。さっきと言ってる事が全然違うんじゃ…?」
恐る恐ると言った感じで切り出す吹雪。対する鳳翔は、
「御免なさいね。でも、私も女ですから気になる殿方と一緒にいたいと思うのは、貴女達と一緒ですよ」
と、申し訳なさそうに答える。
「で、でも! それだったら鳳翔さんも私達と一緒に入ればいいじゃない!」
しかし、その答えに納得していないらしき暁が大声で反論する。だが、その反論には鳳翔は困った様な笑みを浮かべながらただ一言、
「…暁ちゃん。一人前のレディに…大人になるって悲しい事ですね…」
と、言葉通りに悲し気な口調で諭すのみだった。
以前からちょこっとだけ黒い鳳翔さんを書いてみたかった。