その男がやってきてから、グループの雰囲気が一変してしまったことは事実だった。
かつては湧きあいとして、優しい雰囲気に満ちていたはずの屋上も、今は捨て鉢な、どこかさばさばとした自由な空気が流れている。
それぞれに、練習をしてはいる。
だが、支えあいや助け合いという意識は薄れている。
「あっ……」
渡辺曜が、ステップのひとつを間違えた。
誰かが、即座に舌打ちを打つ。
それが誰なのかを、誰も探ろうとはしない。
だってそれは、全員の心の代弁だからだ。
おどけた声で、千歌が言った。
「ちょっと、曜ちゃ~ん、だめだよ、ふざけたら」
あえて口に出したのは、幼馴染への優しさだったのかもしれない。
いいや、絶対にそうなのだ、と、国木田花丸は想う。
言葉に出すことによって、上手くステップを踏めなかったという「おイタ」を指摘し、その場だけで終わらせようとしたのだろう。
だが、曜は怯えたような声を上げた。
「ひっ。そ。その。わ、私だけじゃないヨーソロ……」
ヨーソロという語尾が弱々しく空気に消え入る。
しらじらしいキャラ付けなので、消え入って正解だったとは思うが。
「なに? どういうこと?」
折角、軽い雰囲気で終わらせてあげようとしたのに、という不満をにじませた顔で、千歌が問いかける。
曜は、恐る恐るという様子で、口を開く。
「いや、その。私がさっきのステップでずれたのって、そもそもその一小節前の部分で、ピギィちゃんがひとテンポ遅かったのが原因だから」
ピギィちゃんというのは、かつてルビィちゃんと呼ばれていた存在のことだ。
先日の一件以来、もはや誰もルビィとは呼ばず、ピギィと呼ぶことが定着し始めている。
『あぁ~あ、せっかく終わらせようとしたのに、始めちゃったよ』という顔をしながら、千歌が苦笑いする。
「そうなの? ピギィちゃん」
「ぴ、ピギッ!!」
びくん、と体を反応させ、ルビィが千歌を見る。
「あの、その、る、ルビィは……」
「どうなの?」
「しゅ、しゅいましぇん……」
はぁ~、と、千歌がため息をついた。
と同時に、曜がほっと溜息をつく。
ルビィは、とりあえず怖くて謝ったのだろう。
だがこの場合それは最悪の選択だ。
自ら罪を認めたことになる。
千歌からすれば、『せっかく穏便に済ませようとしてやったのに』、だし、曜からすれば、『これで私は助かった』だろう。
「おじさん、またピギィちゃんだってぇ」
曜が、自分に責任が回ってこないうちにさっさと罪人を確定してしまおうと、フェンス越しにグラウンドを見つめていた慶一に呼びかける。
「あぁん? またこいつか」
慶一が振り返った。
「てめぇな、今いいところだったのに、ふざけてんじゃねーぞ」
言いながら、ヘッドをフォンを外す。
かすかに聴こえてきたメロディは、『Fenceの向こうのアメリカ』だ。
学校の屋上のフェンス越しに米軍基地が見えるとは思えないのだが。
校庭をランニングするソフトボール部の少女たちを眺めながら、アメリカに占領された日本を憂いていたとでも言うのだろうか?
いや、たしかに野球はアメリカ文化だが。
どうせ太ももを見ていただけだろう。
「おぃ、ピギ公」
「ふ、ふぎっ!」
声をかけられただけでルビィは硬直する。
「またおイタしたんか」
「ひゃ、ひゃい……」
肯定しなきゃいいのに、根が素直すぎるのか、肯定する。
「お灸!」
「ぴぎゃっ!!」
ルビィのお腹に強い一発が入る。
「へ、へぎぃぃぃ……」
苦しそうにお腹を押さえてうずくまると、そのまま動かなくなる。
痛くてたまらないのだろうが、慶一は容赦ない言葉をかける。
「お前さ、またふざけてんの? 痛いと丸くなって動かないって何それ? 団子虫かなんかなわけ?」
その言葉に、誰かがくすりと笑う。
「いま笑ったん誰じゃい!?」
即座に慶一が振り向いた。
笑い声がぴたりとやむ。
「いいか。これは教育的指導だぞ。失敗した人間が学びを得られるようにしてることだ。笑わせるつもりでやってるんじゃねーぞ」
「「「「はいっ!!!!!」」」」
Aqours一同、敬礼。
すっかり慶一に飼いならされている。
そのあとも、音に合わせた厳しい特訓は続いた。
慶一は、暴力的で滅茶苦茶だが、音楽的なセンスや演出のイロハはきっちりと心得ている。
彼は、ステージでの見栄えを創るのは、動きの切れそのもの以外にはないという持論に基づき、徹底的なダンスレッスンをメンバーにさせていた。
具体的には、従来までの『歌に合わせて踊る』ことからの脱却と、『リズムに合わせて踊る』ことへの突入だ。
慶一は言った。
「お前らのダンスを見ていると、反吐が出る。お前らは、言葉に媚びているよ。ダンスを、歌詞に合わせた動きだと思い込んでいる」
「ち、違うんですか?」
問いかける梨子に慶一は不敵に笑った。
「あぁ。まったく違うね。ブラックミュージックのダンサーを見てみろ。奴らは、リズムそのもので踊っているんだ。リズムがあって、ギターやホーンセクションがあって、それにつられて体が自然に動き出すんだ。それはナ、自己表現なんだよ。歌じゃない。歌詞じゃない。踊りそのものが自己表現なんだ。それは独立しているべきなんだ」
「独立……」
「そうさ」
この言葉に、不思議な感動を覚えるものも多かった。
「……目から、うろこだわ!」
「……マァベラス!」
果南と鞠莉が、目をうるうるさせてつぶやく。
以外にチョロイ思考をしているらしい。
「言葉に引きずられるから、ダンスがそれ以上のものを表現できないのね。それは、言葉から解放されていいんだ」
「そうだ、そのとおりだよ!」
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい!」
そこに横やりが入る。
黒澤ダイヤだった。
「歌詞というのは、アイドルの歌にとってとても大切なものですわよ? 女の子の繊細で移ろいやすい気持ちを表現する、とても重要なものでしょう? それをないがしろにするだなんて……」
「そ、そうだわ!」
善子も参戦する。
「同胞の言うことでも、さすがに同意できない! 言葉とは、魂の宿るもの!」
ぎろり、と慶一が二人を睨んだ。
「俺は何も、言葉をないがしろにしろだなんて言ってねぇ」
「そ、そうなんですの?」
「あぁ。それに縛られるなと言っているだけだ。言葉のイメージに体の動きが束縛される必要がないと言いたいだけだ!」
「そ、それなら、まぁ……」
強い口調になんとなく言い切られるダイヤ。
続いて。
「おぃ、堕天使!」
「な、なによっ!?」
「お前こそ、本当に言葉を大切にしたことがあるのか?」
「ほへ?」
「言葉だよ、言葉!」
「そ、それってどういう……」
慶一がぐぃっと善子に顔を近付ける。
「お前さ、普段から堕天だのダビデだの666だのアイズ・イン・ザ・スカイだの口にしてるよなぁ」
「だ、堕天以外は別に……」
「適当にサイケなことっ言ってるけどさぁ、意味、わかってる?」
「ふぇ?」
「お前さ、いったいどんなグルに学んだわけ? なんかマハリシ・ヨギみたいな精神的支柱があるの? そもそもお前、聖書ちゃんと読んでる? 俺一応カトリックの中高一貫校出てるから、それなりに詳しいよ? 知識勝負する? 出エジプトって何かわかる?」
「あ、あへ……」
一言も答えられず、善子が口をパクパクさせる。
「言葉を大事にしてねーのはお前自身だよ……」
慶一の一言に、善子は立ちあがれなくなってしまった。
そんなわけで、とりあえずは徹底的なリズム特訓と相成ったわけである。
いったん、自分たちの音楽は捨て、リズムが主体の、ブラックコンテンポラリーな音楽に合わせて、延々とステップを踏んでいく。
それは、いうなれば肉体への苦役だ。
だが、確実にこの数週間で、音の捉え方が変わってきている。
音を、メロディではなく、バックのビートでとらえるということを体と脳が理解し始めている。
さらに慶一は、なにも全員があわせたように同じ動きをする必要はないのだということを彼女たちに教え込む。
「なぁ。ステージを見ていてさ。綺麗にそろった動きというの整然としているかも知れねぇけどさ、それって時々、つまんなくねぇか?」
「ホワット!?」
「誰か一人ぐらいは、一つの音節ごとに主役になって、めちゃくちゃに動いたっていいんだぜ? 予定調和のロックなんて死んでるのとおんなじだよ。ぶっ壊せ。時には踊り狂え!」
「オウ! なんてジーニアスな提案! さすが私の慶一デスね!」
鞠莉が慶一に抱きつく。
彼女はもはや、信奉者と化している。
「おいおい、俺はお前だけのものじゃないぜ? 困った娘だ」
嬉しそうに慶一が鼻の下をのばす。
「ぶ、ぶぎっ……」
その時、地面で丸くなっていたルビィがかすかにうごめいた。
ようやく少し楽になったらしい。
その無様な姿を、一同が嘲笑の目で眺める。
「あ、まだいたんだ」
「早く立ち上がってよね。いつまでも先に進まないわ」
梨子が、さも正論そうに言う。
「やれやれ、だね」
そもそもの元凶をつくったはずの曜がアメリカンハードボイルド風に肩をすくめると、どっと笑いが起こった。
「す、すごい……ずら」
国木田花丸は、そんな様子を見つめながら、茫然とつぶやいた。
(下に続く)
すいません。上下のつもりが、一話伸びました。