03
「わりと話し込んじゃったわね」
「そうだな」
空はだんだんと白く染まり、輝いていた星々の大半はすでにその姿を隠している。あと一刻も経たぬ内に、夜明けの光が世界を明るく染め上げるだろう。
机の上に残った紅茶は、既に冷えきっている。
「ーーねぇ」
イシュタルは、椅子に上で自分の膝を抱えながら、窓の外を見つめていた。
たくさんの話を聞いた。なんだかんだで、力ずくとも言っていい程強引に、エミヤから多くの話を聞き出した。
もちろんすべては語ってはくれなかったが、多くの話を聞いた。
かつて彼が抱いた理想を聞いた。それはとてつもなく馬鹿げていて、それでいて輝いていた。
彼が巡る永遠の地獄を聞いた。守護者としての役割。殺し続けることで、世界を守り続ける狂った正義。
王の話を聞いた。英雄王とは全く異なる、やり直しを求めて足掻く騎士王の話。その王はあまりにも、人民を愛しすぎた。
なら、「
――――遠いユメの話。
――――――あんなにがんばって、あんなに人のために尽くしたのに。
――――――――明らかに報われることのなかった彼は、死後さえも人のために捧げたのだ。
「貴方は……、後悔してる?」
なんとなく、そんなことを聞いてみた。
歩んだ道を。英霊となるほどに、ひたすら進んだその信念を。その先にあった、残酷すぎる結末を。
「その道を歩んだことを、貴方は後悔してる?」
なぜこんなことを聞くのか、自分でもよく分からない。本来の神としてのイシュタルなら、こんな繊細で、些細で、人間らしい感傷になど関わらない。
しかしなぜだか、今は無性にエミヤのことが気になった。
彼の人生は決して報われるものではなく、死さえも彼を解放することはない。そんな中で、彼は何を思うのか。
「後悔か」
食器を片付けつつ、エミヤは少し考える。
「してないと言えば、嘘になるな」
地獄の中から救われた。そんな残酷な世界から自分を救ってくれた男は、なぜだか、救われた本人よりも、救われたような顔をしていたから。
その顔があまりにきれいで。自分も、その人みたいになりたいと――、その人みたいに、救いたい/救われたいと願ってしまって。
空っぽの人形は、その願いだけを原動力に、ひたすら道を進んでいって。
最後にたどり着いた先はーー。
「ああ、後悔したさ」
そこにあったのは、墓標のような剣に満ちた無限の荒野だけ。
至ってようやく、自分がからっぽだと気付いた。
そうして後悔した。自分という存在が消滅することを、心の底から願ってしまう程に。
だけど。
「どこかの馬鹿が言うには、それでもどうやら、私の歩んだ道は『間違いなんかじゃない』そうだ」
「え――?」
そんな救いようのあることを、彼は口にした。
「ひどい話だ。ホンモノなんてない、全部贋作の生だったが、それでも、たとえニセモノだったとしても、その夢は、決して、間違ってないと、断言する馬鹿がいたのだ」
そんな世界もあったのだと、エミヤは困ったように微笑みながらイシュタルのほうを見る。
「たとえ借り物の夢で、自分自身から生じたのではないのだとしても。『そうであってほしいという願い』は、尊いものだったと。
そんな馬鹿なことを言うやつに、不覚にも私は敗北したのだ。」
その言葉に、胸が痛くなった。
ああ、なんと救われる言葉だろう。エミヤにその言葉を言ってくれた「馬鹿」に心から感謝する。
そして、同時に悲しくなる。だって「これまで」を肯定されたところで、エミヤの現状はどこまでも救われないのだ。
これまでが「間違っていなかった」のだとしても、エミヤのこれからは、永劫の地獄のうちにある。
「でも、あなたはいつまでも、救われることがないじゃない・・・。」
ぽつりと、そんな言葉をこぼしてしまった。
この悲しみは、この居たたまれない感じは、いったい何なのだろう。
本当に、今夜の私はおかしい。
「もしかして、私を心配してくれているのか?」
「そ、そういうんじゃないわよ! ただ、ただなんか、気に入らないのよ!!」
言い放って、彼から目を背ける。
ああ、なんかもう、気持ちがぐちゃぐちゃだ。
そんなイシュタルの内心を知ってか知らずか、エミヤは口を開く。
「まぁ、私は大丈夫さ。いまの職場は幸運なことに恵まれている。ハードな仕事が多いのが玉に瑕だがね」
そう言って苦笑する。
それに。
「それと、昔ひとりの少女と約束したんだ」
「約束?」
「ああ。・・・そういえば、その少女は、君によく似ていたな」
そう言って、エミヤはにやにやと笑う。
「・・・どういう意味よ」
「そのままの意味だが?」
「全然わかんないわよ・・」
「そうか。まあ、説明する気もないがね」
「・・・そう」
エミヤの態度にはイラっとくるが、それ以上に今は気になっていることがある。
「それで、約束っていったい何なのよ?」
エミヤがかつて交わした、現在へと繋がる約束とはいったい何だろう。
「いや、そんなに大げさなことではないのだがね。
ほんの些細な約束だよ」
「だから、何なのよ」
エミヤは少し渋った後、やや照れくさそうに口を開く。
「ある少女と約束したのだ。
・・・おれも、『これから、頑張っていく』って」
だから、頑張るのだーー、と。
そんな、青臭い、少年のようなことを、青年は口にした。
「――――」
涙が零れた。
「イシュタル――?」
次から次へと、拭っても拭っても、涙が止まらない。突然のことにエミヤは焦るが、そんなことは知ったことではない。
彼女は泣いていた。どうしようもないほど悲しくて、それでいて同じくらい嬉しくて。わけの分からないごちゃ混ぜの感情が、次々溢れだしてきて。
我慢できず、立ち上がる。
ポケットから宝石を取り出す。
英雄王からくすねた、神代の魔力が込められたとっておき。用いれば現代においてでさえ、魔法の真似事ができること間違いなしの、とんでもなく高価でレアな赤い石。
鑑賞用にとっておいたそれを握りしめ、イシュタルはエミヤに突撃し、正面から抱きついた。
「っ!? なにを」
「――
宝石が光輝く。
万華鏡のように色鮮やかな光が部屋中に放たれ、世界を虹色に染め上げる。
魔力がうねり、弾け――、
そしてなにも見えなくなった。
気付けば、荒野に立っていた。
「ここは――」
目の前に広がるのは、無数の剣が連なる大地。ガラクタから聖剣に至るまで、古今東西あらゆる種類の剣がここにはある。
それはすべて贋作なれど、限りなく本物に近く、それでいて、どこまでいっても偽物でしかありえない。そんな剣を無限に内包した世界は。
「私の固有結界?」
それは、世界を塗り替える大魔術、固有結界。
この世界は、エミヤという英霊の持つ心象風景に他ならない。しかし。
「・・・どういうことだ」
そもそもエミヤは、自身の宝具を発動した覚えはない。
それにこの世界は、エミヤの知るものとやや異なっている。
エミヤの心象世界とは、その歪な生涯を反映するかのような、他を拒み続けるどこまでも孤独なものだった。
剣はまるで墓標のようで、乾いた風が砂をまきあげる。天では巨大な歯車が無機質に回転し、世界に熱を送り続ける。
なにも生かさず、ただ剣を産み出すだけの鍛鉄の世界。それが「
だというのに、今やその地面には草花が咲いている。それらは現在進行形で広がり、荒野に生を産み出している。
空は厚い雲に覆われているものの、地平線の向こうには雲のない白んだ空が広がり、今にも朝日が昇ろうとしている。歯車は停止し、世界は静寂に包まれていた。
「――」
視界の先に小高い丘がある。
ちょうどその丘のむこうから、少しずつ朝日が上っている。そこに、こちらに背を向けて誰かが立っていた。
――そこに、いるのは。
丘に向けて歩きだす。
一歩一歩、近づいていく。その後ろ姿を、その背中を、かつて自分はよく知っていた。
彼女の背中を、かつて自分は追いかけていたのだから――。
丘を登りきる。
訪れるはずのない夜明けが世界を照らしつつある中、彼女はゆっくりとふり返り、エミヤと対峙した。
「――君は」
赤い洋服に、黒のミニスカート。艶やかな黒髪は下ろされ、腰に届きそうなほど長い。
その瞳の色は、赤ではなく青。
彼女の姿を、エミヤはよく知っている。
「・・・凛、なのか」
かつてマスター/サーヴァントとして共に戦ったときよりも幾分か大人びているが、間違いない。
だって自分は、彼女と、多くを共にしたのだから。
「久しぶりね、アーチャー」
そう言って彼女――かつて、遠坂凛と呼ばれていた少女は、にっこりと微笑んだ。
〈続〉