ふと気が付くと、石壁は見覚えがある部屋に立っていた。石壁はぐるりと周辺を一望し、呟く。
「これは……武蔵の艦長室……?」
見事な調度で高級感溢れるその部屋は、武蔵の艦長室と瓜二つであるように感じられる。だが、違和感が拭えない。
「いや、少し違う……?なんだここは……」
「ここは大和の艦長室よ」
その時、背後の執務机から誰かが声をかけてきた。石壁はその声の方向へとすぐさま向き直り、声の主と相対する。
「君は……」
「イシカベ、貴方の主観では『久しぶり』かしら?それとも『初めまして』かしら?」
そこに座っていたのは、長髪をポニーテールで纏めた長身の美女。かつて石壁が夢の世界で出会った洋装の大和撫子であった。
「……僕の主観では二度目だね。目が覚めたら君の事はさっぱり忘れてしまっていたから、今この瞬間思い出したんだけど」
「あら珍しい、記憶が連続しているのね」
大和撫子は少し驚いた様な顔で石壁の顔を見つめると、合点が行ったという風に笑った。
「ああ、なるほど……『そういうこと』なのね」
「そういうこと……?」
石壁が訝しげな顔をすると、大和撫子は立ち上がって石壁の傍に近寄り、彼と至近距離で目を合わせてくる。
「貴方……『混ざった』わね?」
彼女はその美しい顔を、その風貌に似つかわしくない凶悪な喜悦に歪ませた。まるで三日月を張り付けたが如く口元は弧を描き、眼は愛おしい家族を見るような愛情と、殺したいほど憎い怨敵を見るような憎悪が同居している。喜悦と愛憎がドロドロに混ざった彼女の笑みは、まるで野生のケモノが牙を構えるが如き獣性の美しさを石壁に感じさせた。
「……武蔵の事か」
石壁は彼女の視線が己の左目に集中している事に気付くと、警戒心を強めて女性に向き直った。
「彼女だけじゃないわ」
そういって女性は石壁の体へ密着すると、彼の臍の辺りへとそっと手を当てた。
「貴方の体が『ワタシ』を完全に取り込んだのよ。もしかしたら逆かもしれないけど」
そっと腹を……否、内臓を撫でまわす女性の言葉に、石壁は背筋へ冷たいモノが走る。
「お前は……まさか……ッ!?」
女性は石壁が己の正体に気付いたことを知り、笑みを深くして顔を耳元へと寄せてくる。
「初めまして、提督」
上辺だけは取り繕った清楚な声音で、石壁へと彼女は囁く。
「私は艦娘大和……だけど、貴方にとってはこっちの方が馴染み深いわよね」
大和と名乗った女性は、狂気の笑みで石壁を抱きしめ、その耳元に呪詛を吐く。
「貴方の命を救った戦艦棲姫の姉、その左目に穴を穿った女……南方棲戦鬼よ」
石壁は、目を見開いた。
「南方棲戦鬼……だと!?」
咄嗟に後方に弾けるように距離をとる石壁。大和はそれを追う事はせずに、クスクスと気味の悪い笑みを浮かべたままだ。
「ええ。まあ今は大和なんだけどね?でも酷いわねえ、そんなに怯えなくても良いんじゃない?私が何度、貴方の命を救ったと思っているのよ」
そういうと大和は、先ほどまでの憎悪を引っ込めて、『艦娘らしい』顔つきになる。一見しただけでは、先ほどの般若よりも恐ろしい女性と同一人物とはとても分からない程であったが、それが猶更石壁にとっては恐ろしかった。
「ズタズタになった内臓を何度も何度も繕って、貴方の命を救った大和を信じてくださらないんですか?提督?」
例えば、艦娘大和が実際に居たならば……きっとこんな話し方であったのだろうと石壁は自然に思った。否、これは『大和』の話し方に相違ないと、石壁は確信した。
「……そうか、君はもう『大和』なんだな。ただ、今更そんな話し方されても薄気味が悪い。さっきまでの話し方にしてくれ。取り繕うのも不要だ」
「あら、つまんない奴ね」
そこで大和は南方棲戦鬼だったころの口調へと戻り、表情も花が咲くような微笑みからつまらなそうな女の顔へと変貌した。
「つまらなくて結構だ。本気で殺し合った相手が自分に媚び諂うのを見て悦に浸れる程、僕は楽天家じゃない」
「……まあ、別に良いけどね」
大和は石壁のその言葉に、良いとも悪いとも言い兼ねるといった風情で頷くと、手の中の和傘をくるりと回した。
「……というか、何故君は僕の夢の中で意識を保っているんだ?君、完璧に艦娘という訳でもないし、深海棲艦という訳でもないようだけど」
石壁は、艦長室の適当な椅子に腰掛けて大和へと問う。大和は石壁が座った椅子に一瞬だけ目をやってから口を開く。
「……私にも詳しい事は分からないわよ?だって、気がついたら独りで貴方の夢の中に取り残されていたんだもの」
大和はぐるりと周囲を見回す。その視線は酷くつまらなそうで……或いは、少し寂しそうにも見える。
「あの戦いでアンタと戦って……私は負けた。清々しいくらい真正面からね。それで私は満足した。憎悪の核を砕かれて、肉体は生命活動を停止し、魂は輪廻の輪に戻る……筈『だった』」
大和のその語りには、隠しきれない未練の情が漏れていた。
「だけど、ほんの少しだけ、未練が残ったのかしらね……もしも、もしも一つだけ願いが叶うなら……今度は敵じゃなくて、アンタの艦娘になって一緒に戦いたい……とか……」
「大和……」
石壁は大和のその言葉に、彼女の素を見た。今まで彼女と交わした言葉で、一番嘘のない言葉であった。
「……ま、そんな未練だかなんだかよくわからない思いに引っ張られて転生しそこねたんだけど……蓋を開けてみれば私の死体から艦娘を作るんじゃなくて、まさか臓器だけ引っこ抜かれてアンタと一緒に『なって』戦う事になるなんて想像すらしなかったわよ」
「うっ……」
これには石壁も目をそらすしか出来なかった。つまり、本来であれば南方棲戦鬼の体から大和へと生まれ変わって劇的ビフォーアフターする筈が、
「……その、なんというか……ごめん」
石壁もこれには頭を下げる事しか出来ない。
「……まあ、もうそれは良いわよ」
大和は謝られて一応この件を水に流す事にしたらしい。
閑話休題
「はいどうぞ」
「……ありがとう」
会話が一段落した段階で、大和は虚空から二本ラムネ瓶を取り出して、一本を石壁へと手渡した。石壁は一瞬それを口にするか逡巡したものの、諦めてラムネを口中へと流し込んだ。
「……うまい」
夢の中だというのに弾ける甘露の味わいは清々しく、それが現実に存在しないという事実が信じられなくなる。石壁のそんな素直な反応に大和がクスクスと笑い、石壁はビビっていた事がなんだか無性に恥ずかしくなってくる。
気恥ずかしさを誤魔化すようにヤケクソ気味に炭酸を一気飲みする石壁。大和はそんな石壁の姿を微笑みながら見ていた。
(一体なんなんだこの状況は……いやそもそも……)
不可解に次ぐ不可解に、石壁はふと根源的な疑問が湧き出す。カラになった瓶を机上へと置いた石壁は、改めて大和に向き直る。
「……君が大和になった理由も、こうして僕の中にいる理由も理解した……理解したけど、腑に落ちない事がある」
「あら?何かしら?」
大和は飲んでいたラムネ瓶を口元から話すと、石壁と同じく机上へと置いた。
「……そもそも、なぜ君たち深海棲艦は……いや、艦娘もか……『魂』なんていう不確かであやふやなモノをここまで自由に扱う事が出来るんだ?ほんの十年程前まで、魂なんていうものの存在は証明することが出来なかった……だというのに、深海棲艦との戦争からこっち……僕らは当たり前の様に艦娘を、敷いては艦娘の魂に関わる技術を行使し得るようになった」
例えば
「深海棲艦の技術から艦娘が生まれ、それに前後して妖精さんという死者の限定的な蘇りまで発生した。龍脈から物資を生み出すという質量保存の法則の否定まで発生した……何もかもが、可笑しい。可笑し過ぎる……何故僕は、今までこんな状況を『そういうモノ』だと納得出来ていたんだ?」
一つ疑問が生まれる度に、連動して次々に別の疑問が生まれていく。ほんの少し前までリンゴが木から落ちるが如く自明の理だと思っていた知識が、実はリンゴが地から天へと昇っていくが如き天変地異の条理であると気がついてしまったのである。いや、知っていた。知っていたのにそれを疑問に思えなかったのだ。石壁は気が狂いそうであった。
「……なるほど、混ざってくるとこういう影響が出てくるのね」
ボソッと大和がつぶやいた言葉に、石壁が反応する。
「なあ大和、知っているなら、この原因を教えてくれ。このままじゃ……気が狂いそうだ」
石壁が縋るように大和を見つめる。大和は、初めて見る石壁の弱気な姿に少し驚いた様な顔をした後、しばし考え込む。やがて、良いことを思いついたというように……人を食ったような笑みを大和は浮かべると口を開いた。
「……ねえ、そもそもおかしいと思わない?」
「何がだ?」
大和は怪しい笑みを浮かべて言葉を重ねる。
「70年前に沈んだ軍艦が、今頃になって化け物になって復活した事」
それは、誰もが心の何処かで思っていた不可思議。
「深海棲艦は……どうして今頃になって蘇ったと思う?いえ、そもそもどうして生まれたと思う?」
「どうしてって……『そういうもの』だからじゃないのか……?いや、まて、そもそもこれもおかしい。おかしすぎるぞ……」
石壁には、この世界の不思議は理解できない。艦娘達を取り巻く不可思議な理屈は学者ですら解き明かす事は出来ず、『そういうもの』だと丸のみするしか出来ないのだ。
「そのとおり、何事にも理由はあるわ。火のない所に煙は立たない。結果には必ず過程が伴うのよ」
大和は石壁に近寄って、彼の目の前に手を差し出す。
「全部教えてあげるわよ?何故、私達が生まれたのか……何故、この戦いが始まったのか」
大和の笑みが歪む。心底に楽しそうなその歪な笑みをみて、石壁は悪魔が人を誑かす時の笑みは、こういうものなのだろうなと思った。
「知りたくないならこのまま無視していればいい。でも、知りたいと思うなら……」
この手を取れ。大和はそれ以上言葉を発することなく、石壁の選択をまった。
「……」
石壁は困惑する。知る筈のない……否、この世の誰もが知る由もない理外の知識。それは正しく悪魔の知識である。蛇に誑かされて知恵の実を食べたアダムとイブは楽園を追放された。では、深海棲艦からそんな知識を受け取った自分は、一体どうなってしまうのか?石壁が尻込みするのも当然であった。
だが、同時に石壁は知りたいとも思っていた。70年もの過去の亡霊たちが始めたこの戦争が……自分の大切な故郷を、家族を奪ったこの戦いが……一体何故始まったのか……何故、自分たちが戦わねばならないのか……考えても意味がないと忘れ去ろうとしていたその根源的な問いへの答えが、今目の前にあるのだ。
「僕……は……」
大和はじっと、石壁の逡巡を見つめ続けている。彼女はさっき言った通り、『どちらでもいい』のだ。石壁が苦心の末知ろうとしないならそれで良いし、知りたいならそれでも良い。どちらにせよ、石壁が苦しむのが目に見えているから、それで良いのだ。
石壁は暫し考え、悩んだ末に決断した。
「……よし、決めた」
石壁は、大和の手を掴んだ。
「教えてくれ。何故、この戦いは始まったんだ。お前たちは、一体何者なんだ」
真っ直ぐ大和の目を見て、石壁は問うた。問うてしまった。
「……うふふ。私、アンタのそういう土壇場で向こう見ずになるところ、好きよ」
大和は楽しそうに笑うと。石壁の問いに答えた。
「じゃあ始めましょうか。始まりは今から七十余年前……第二次世界大戦のまで遡るわ」
石壁の意識が急速に薄れていく。大和の記憶の中に入り込もうとしているのだ。
「今から見せるのは、歴史が文字通り分岐してしまった全ての始まり……私達深海棲艦のルーツよ……ねえ石壁アンターー」
意識が途切れる寸前、大和のこんな言葉が意識に届いた。
「--歴史改変SFって、聞いたことある?」
そこで、石壁の意識は途切れた。
***
石壁が気が付くと、そこは厳粛かつ煌びやかな装飾が印象的な部屋になっていた。
『……ここは』
『ここは1941年の皇居よ。見なさい、太平洋戦争時代の指導者がそろい踏みだわ』
大和の声だけが、石壁の脳裏に響く。その声につられて周囲を見渡せば、歴史や戦史の教本で見かけた顔ぶれがずらりと並んでいる。
『凄い顔ぶれだ……』
『ちなみにこれは、私の記憶を貴方に見せているだけだから……一切干渉は出来ないわよ』
『君の記憶……?ちょっとまった、この時代に艦娘や深海棲艦達は居なかった筈じゃ?』
『もう少ししたら説明してあげるから、今は記憶に集中してなさい』
大和がそういった瞬間、その場に居た者達の中で唯一陛下の御前に立つ男へとお声が掛かる。
「
「はっ!身命を賭してこの大役を成し遂げてみせます!」
陛下の勅令に、再敬礼で応じる一人の男性。年の頃50近いが、未だに髪は黒々としており、眼は力強く爛々と輝いて覇気があった。ガシリとした体格に、日に焼けた精悍かつ丹精な顔つきが良く映えていた。
『あれは……戦時中の内閣総理大臣にして連合海軍総司令長官の……東郷忠……』
『その通り、彼こそが太平洋戦争の末期までその神算鬼謀によって
『未来をしっている……あ……ッ!?』
その言葉に、意識を失う前に聞いた大和の言葉が脳裏に蘇る。
『歴史……改変……』
石壁は、己が何かとんでもない、知ってはいけない何かを知ろうとしている事を悟った。知れば、己の寄る辺となる大前提が、ガラガラと崩れ去るのではないかと思える程の、何かを。
そして、それは正しい。大和は石壁のその反応を楽しむように、容赦なく言葉を紡ぐ。
『ええ、大体アンタが想像した通りだと思うわよ?彼こそがこの狂った世界の最大の原因の一人。本来歩む筈だった歴史を正史とするなら、私達が生きているこの
知恵の実を食した始まりの人は、己が裸であることを知ってしまった。
『ーー神という存在が、
知恵をもってしまったら、もう無知には戻れないのだ。
オリジナル……原作。美術作品において原作者自身による写し (レプリカ) ,原作者以外の人物による模写 (コピー) ,あるいは偽作などに対する原作品を意味する。
【原作者がある作品を改作した場合,その改作も (第二の) オリジナルと認められる】。
(ブリタニカ国際大百科事典、オリジナルの項より抜粋)
遂に明かされた謎の大和撫子の正体。誰にもよそうできなかっでしょうね()