深海棲艦達の一斉蜂起が始まった段階で、大和の記憶の再生は終わった。
「はい……これでおしまい……後は、アンタも知っての通りよ」
気が付くと石壁は、大和の執務室に戻っていた。記憶の中で死んだ東郷提督と、同じ場所に座って。
「……ごめん……そんなに大事な椅子だとは、思わな……かった」
先ほど何も知らずにこの椅子に座った自分を殴りたくなった石壁は、すぐに立ち上がろうとする。だが、大和は首をふって石壁を椅子に座らせておく。
「……良いのよ。もう、70年も前の話だもの」
大和は真っ直ぐと、石壁の左右の瞳を見つめる。
「それに今は……アンタのその姿が……東郷提督の最期と重なって見えるのよ」
石壁の記憶に鮮烈に刻まれた、一人の男の最期の姿。彼の左目は流れる血が入って真っ赤になっていた。そして、届かず砕けた腕は……右腕であった。奇しくも、武蔵の目をもらって左目が赤くなり、戦闘で右腕を喪った石壁の姿と同じである。腕を喪ったのが姉妹艦である武蔵艦内というのも……奇妙な縁を感じざるを得なかった。
「他に選択肢のない……文字通り腐れ縁になる道連れの旅路とは言え……私はもう二度とあんな形で『提督』を失いたくないのよ。だから私はアンタを助ける。私が、私の為に、アンタを死なせない。これだけは、東郷提督に誓って本気よ」
大和は真っ直ぐと石壁の目を見た。そこに、一切の嘘はない。あってたまるか。あの提督の名前に誓ったのだ。それが嘘なら、もう彼女は大和でも南方棲戦鬼でもなくなってしまうだろう。それ程に、東郷提督の名に誓うというのは、大和にとって重い行為なのだ。
「……君の誓い、確かに受け取った」
故に石壁は、その言葉をただ有るがままに受け入れたのであった。
「よろしい。他に聞きたい事はある?今なら大体の事は答えてあげるわよ」
その言葉に、石壁は暫し考え込む。
「……じゃあ、折角なので聞いておきたい。君が東郷提督から抜き出した『アレ』は……世界改変能力の根源は今どこにあるんだ?」
石壁の脳裏に、胎動する『何か』が思い浮かぶ。本能的に理解している。『アレ』こそがすべての元凶だと。
「そうね、いい機会だから教えておくわ。私たち深海棲艦の根拠地、ハワイ諸島のパールハーバー。そこに私たち深海棲艦の総大将である中枢棲鬼という深海棲艦がいるの」
「深海棲艦の総大将……」
「ええ、彼女こそが深海棲艦の親玉にして……私が提督から抜き出した『改変能力』のなれの果てよ」
「なっ……」
その言葉に、石壁が目を見開く。
「苦労したわよ。70年かけて『改変能力そのものを改変』したんだから。私たち始まりの深海棲艦の憎悪をひたすら注ぎ込み続けて、深海棲艦の神とでも呼ぶべき存在に変質させたのよ。この世界の海底から『深海棲艦が無限に湧き続ける』のは彼女が世界に改変能力を使い続けているからね」
余りにもとんでもない能力であった。正しくもって
「ただ、この使い方は本来の能力の使用方法からは著しく逸脱しているから。私たちも……それこそ中枢棲鬼にすら完全には扱えているわけじゃないのよ」
「どういうことだ?」
「例えば艦娘達の存在、例えばあの妖精達のような英霊の再誕、例えば龍脈からの物資精製、例えば海域の浄化による深海棲艦の精製停止……自由に世界法則を改変出来るならこんな機能、最初から作る訳ないじゃない」
「ああ……なるほど……え、じゃあなんで『こういう世界』になったんだよ」
石壁の当然の問いかけに、大和は少し考え込む。
「んー……そうね……私も完全に理解している訳じゃないから少し説明が難しいんだけど……どうやらこの能力って本質的に『揺らぎ』を作る能力みたいなの」
そういって、大和が虚空に指を走らせると。その軌跡をなぞるように光の線が生まれる。
「この線が世界法則だとして……『能力を行使する』のは『紐に力をこめてひっぱる』のに該当するの」
大和が線に指をかけて下に引っ張ると、当然それに合わせて線が歪んでいく。
「こうやって世界に『能力を行使した』ら……当然その反作用が発生するわ」
大和が線からパッと指を離すと、線は勢いよく元の場所に戻り、そのまま『反対側へも』振動する。
「私たちが世界法則を改変すればするほど……深海棲艦の優位になるように弄れば弄る程……その反対の作用もまた発生する。だから艦娘達が生まれたし、なんなら予期せぬ揺らぎから、想像すらしていなかった改変もたくさん発生したわ」
「想像すらしていなかった改変……?」
石壁の疑問に、大和はニィと、意地の悪い笑みを浮かべる。
「そういえば、貴方まだ気が付いていないのね」
「な、なにがだよ」
「貴方達人類って、今一体、何語で会話しているの?」
その言葉に、石壁は暫し呆然とした後。
「……ッ!?」
ブワッと、冷や汗が流れ出るのを感じた。
「あ……ああ……」
体が震える。
「ジョンさんと話していた時……僕らは……それぞれ日本語と英語で話していた?」
あの時は互いに母国語で勝手に会話していたのだ。なのにまったく違和感なく。自動で翻訳されていた。翻訳されていたことにすら気が付いていなかったし、言葉が通じることになんの違和感すら抱いていなかった。なにせ、『そういうもの』なのだから。
「世界はバベルの塔が立つ前まで戻っちゃったわねえ……あと、なんなら今のアンタたちはもう日本語すら話してないわよ。あの後更に改変が進んで、もう世界は謎の統一言語よ。自動翻訳ですらないわ。一体どんな言語体系なのか、私すらもう認識できない」
石壁は眩暈を感じてしまう。神に与えられた力。真正のチート能力。その規格外さは悍ましいの一言だった。
「こうして深海棲艦を辞めたからこそ理解できるけど……本当に怖い力よねえ……東郷提督が使うのを躊躇う筈だわ。軽々しく使っていい力じゃないもの」
その言葉に、石壁が顔を上げる。
「……この改変は、中枢棲鬼を倒したら」
「戻らないわよ」
無慈悲に切って捨てる。
「一度改変されたら。もう戻らない。茹で上がった卵はもう生卵には戻らないのと同じようにね。だからこそ東郷提督は慎重に慎重を重ねて、最低限の改変にとどめようとしていたの。私達みたいに遠慮なしに改変したら戻せるわけがないわね」
じわりじわりと、今も改変は進んでいる。その事実に、石壁は恐怖を感じた。
「改変を止めたかったら、中枢棲鬼を倒すことね。彼女が死ねば、もうこれ以上改変の力は使われないわ」
「……それしかない、か」
石壁は、遠い目をしてため息を吐いた。
***
それから暫し休息した後。知り過ぎてしまった世界の裏側の知識と、先ほどまで見ていた過去の映像を思い出しながら、石壁は疲れたように言葉を紡いだ。
「でも……僕等は皆……70年以上も前の、まだ誰も生まれてすらいなかった時代の事が原因で……今になっても殺し合いを続けているのか……」
石壁が椅子にこしかけたまま項垂れる。大和はそんな石壁を感情の読めない無表情で見つめながら口を開いた。全部先の時代の、文字通りの尻拭い。それが、この戦いの本質なのだ。徒労感を感じるなというほうが、無理な話である。
「元凶の一人である私がいうのもどうかと思うけど……歴史っていうのはそういうものよ。積み重なった過去の先に現在があって、積み上げていく現在の果てに未来がある。私も、アンタも、ずっと繋がってきた歴史のバトンを偶然今という現在で受け取っただけ……受け取る前の走者が、どんな道を突き進んでいたとしても、ね」
歴史は無数の因果の繰り返しで進む。一つの歴史的事件の背後には、無数の積み重なった因果が存在するのだ。どうしようもない過去の因果を、今生きる人間が背負い、そして次へと繋いでいく。それは自然と、積み重なった過去の方向性を延長するような形になっていくものだ。
『歴史にIFはない』というのは、一つの選択にIFを加えても、結局のところ積み重ねた過去が歴史の大勢を決してしまうからなのだ。サラエボ事件がなくても第一次世界大戦は起きただろうし。真珠湾攻撃を行わなくても、いずれ太平洋戦争は勃発した筈である。そうしなければ、同じ過去を背負い進んできた大勢の人間が、納得出来なくなるから。
それでも
「だけどそもそも本物の歴史があって、僕等の生きている歴史が改変された偽物で、偽物だから法則が滅茶苦茶なんでしょ?アイデンティティの否定なんて次元じゃないよ」
石壁は正史から分岐し、余りにも恣意的に歪められた自分たちの世界に現実感が持てなくなりつつあった……世界レベルのアイデンティティの破壊。それによって石壁は今まで必死になって紡いできた自分たちの戦いを、進んできた道を、丸ごと全て否定されたように感じてしまう。そんな石壁をみて、大和は口を開いた。
「それは違うわよ」
その否定には、強い力が籠っていた。少し気の抜けていた石壁は、姿勢を正して大和に向き直る。
「正史正史と繰り返したけど……これはあくまで変異の基準になった世界を分かりやすくするために、暫定的に正史と定めているだけよ。私の……いえ私達『深海棲艦の基準』は、東郷提督が生まれ育った歴史を基準としている。だから改変前が『正史』になる」
大和は空中に、またしても一本の線を生み出す。左から右へ、続いていく線は、やがて二つ、三つ、四つと枝分かれを始めて行く。
「世界は無数に枝分かれしていく。歴史にIFがないのは、一つの
大和の作り出した分岐線は、小さな分岐を無数に繰り返しながら壁へ……マクロでみれば大差ない、ミクロで見れば大違いの場所へとそれぞれが接地した。
「分岐点が同じでも……通着点と過程は変えられる……時代の流れの中で、大勢の人がそうやって、よりよい未来へと明日を繋ぐ為に戦ってきたのよ。私や東郷提督だってそう。アンタだって、あれだけ必死になって
「……ッ」
大和の言葉に、揺らぎかけたアイデンティティが急速に固まる。なんのことはない、この世界が過去を改変された世界だとか、法則がねじ曲がった世界なのだとか、そんなものは関係ない。関係など、ないのだ。『石壁達の世界』は他にはないのだから。
「ああ、その通りだ。僕の……僕等が進んできた道は、誰にも否定出来ないし、させない。僕等が積み重ねた過程を、僕が否定してどうするんだ」
石壁は、残った左腕を強く握りしめた。石壁にとっての本物は、単純にして明快。惚れた女と愛する仲間達の存在である。故に彼等と共に歩み、共に掴んだ結果は、全てが本物なのである。石壁本人がどれだけ傷つき、揺らぎ、暗中に道を喪おうとも……それだけは揺るぐ筈が無かった。
「……まったく、世話のやける男ね」
自分を討ち果たした
「……と、流石にそろそろ、夢の終わりね」
段々と、石壁の姿がぼやけ始めた。長く眠り続けた石壁の夢が終わり、現実へと帰る時が来たのである。
「次にこうしてあう日が来るのか知らないけど……まあ精々頑張んなさい。これからアンタがどの道を選ぶのかは知らないけど、精々よく考えて『納得できる道』を選ぶ事ね」
「……ああ、ありがとう大和」
素直に礼を言われて、大和は調子が狂うと言いたげにそっぽを向いた。
「--ああ、言い忘れていた事があったわね」
だんだんとぼやけていく視界の中で、もう殆ど見えなくなった大和が振り向いた。
「もう別世界とはいえ、東郷提督に関わる力は史実由来……故に彼の世界の影響を大きく受けているわ」
泡沫の夢が終わる。夢と現、二つの世界が混ざっていく。
「だからもしもアンタがーーーーの道をーーーーなら」
ぼやけた視界の中で、大和が笑ったような気がした。
「----尊きお方を、訪ねなさいな」
そこで世界が暗転した。
***
「……うっ、ここ……は」
石壁が目を覚ますと、開けた視界に映ったのは真っ白い板張りの天井。シーリングファンをしばし呆然と見つめた後、左右へと首を振る。窓から吹き込む心地の良い日差しが今が昼間である事を教えてくれた。
「……どこだ?」
「あら?気がついたの?」
石壁のつぶやきに反応して少女の声が響いた。その声に反応して目をやると、そこには一人の少女が執務机に座っていた。少女はこの南国には不釣り合いな服を着こんでいる。フリフリのフリルが大量についた黒っぽい服装は、所謂ゴスロリと呼ばれる服であったのだ。この南国でこの様な服装を着込んでいれば、普通なら半日と経たずに倒れるだろう。にもかかわらず涼し気な顔をして椅子に腰かけている彼女の姿はまるで妖精の様に幻想的ですらあった。
「き、きみは一体……?」
少女は手元の書類を机に置いて椅子から立ち上がると、ゆっくりと石壁へと近寄る。段々としっかりしてきた思考で彼女を冷静に観察していると、少女の正体に見当がついてきた。この病的なまでに青い肌には見覚えがある。そして何よりも……変質した己の肉体が叫ぶのだ。
“コイツは己と同類だ”と。つまりそれは人でも艦娘でもなく……
「し、深海棲艦……!?」
深海棲艦であるということだ。石壁が直感に従って思わずその正体を口走る。一瞬で看破されたという事実に少し驚いて目を丸くした少女であったが、直ぐに微笑みを浮かべる。
「あれ?もう分かっちゃったのかしら?」
少女はそう悪戯っぽく笑うと、胸元に手を当てて宣言した。
「御明察よ。そして貴方の最初の疑問にも応えてあげましょう」
石壁は猛烈に嫌な予感がして冷や汗を流す。
「ここは深海棲艦のオーストラリア方面軍管轄。ニューカレドニア島の前線基地。そして私はーー」
少女は笑みを深めて宣言した。つまり石壁は----
「--この前線基地の司令官を務める離島棲鬼よ。大日本帝国の軍人さん?」
----敵軍の手に落ちたのである。
●活動報告に『東郷提督に関わる諸所の設定』を追加しました。
東郷提督に関して劇中で分かっている事を纏めつつ
彼のチート能力についての説明をしています。
読まなくても一切影響はございませんので、気になった方だけご覧くださいませ。