石壁はル級の案内に従い、港湾棲姫の執務室へとやってきた。
(もう後戻りは出来ない……もしも交渉が失敗したら……その時は……)
石壁は手の平に汗が滴るのを感じる。己の進退、オーストラリアの人々、部下の皆の命……今までで一番多くのモノが己の肩に乗っているのだ。交渉の決裂は即ち、この先に起こるであろう様々な悲劇の引き金となる。
(……しかも……楽には死ねないだろうな)
石壁は今まで大勢の深海棲艦を殺して来た。直接、間接を含めればその数は2万を優に超えるだろう。彼が助力した結果動き出した他の泊地の分を含めるならもっと増えていく筈だ。
イシカベの名は、今や人類にとって英雄であり、深海棲艦にとっては虐殺者の代名詞なのだ。恨まれ、恐れられているのが当然であり、即刻殺されるのが必然だといえるだろう。
(……恐れるな、負ければ死ぬ。今更の話だ)
汗を握りつぶす。丹田に力を入れる。空気を吸って吐き出す。思考がクリアになって、肝がすわる。怖気づくな。今まで己が乗り越えてきた修羅場を思い出せ。
数秒で、精神状態を制御する。気持ちを鎮火させるのでは無く、腹の底へ闘志を収めた。ジリジリと熱を発する闘志が、心を熱し、奮い立たせる。思考は冷静に、心は熱く、闘志は滾らせる。
石壁は今、将として【戦場に立った】。彼を包む空気が、一瞬で張り詰める。側でその変化を見ていたル級は我知らず唾を飲み込んだ。
(……これが、『イシカベ』か)
ル級はその様を、まるで抜き身の刀身のようだと思った。幾度もの死闘を超え、何千、何万もの血を吸い、傷付いた、歴戦の名刀……それが、彼女が抱いたイメージであった。
「……ル級さん、開けてください」
「……分かりました」
自然と、彼の言葉に従ってしまった。そうするのが、自然だと思ったから。
石壁は遂に、港湾棲姫の元へと辿り着いたのだ。
***
案内された執務室のデスクで港湾棲姫は待っていた。真っ直ぐと己の眼前に迫る男の顔を凝視している彼女は、驚愕を顔に貼り付けている。
(なんだ……?驚愕に、納得はわかるけど……寂寥感に、罪悪感……?)
石壁は港湾棲姫の感情に奇妙なモノを感じながらも、一礼し名乗った。
「はじめまして。僕の名前は石壁堅持、大日本帝国海軍の中将であり、貴方達と最前線で向かい合っているソロモン諸島方面軍の総司令官をしています」
石壁の名乗りを聞いて、ハッとした様に名乗りを返す。
「……あ、ああ。私は港湾棲姫だ。深海棲艦のオーストラリア方面軍の総司令官を努めている……まずは座ろうか」
対面する形で座りあうと、港湾棲姫は先程までの動揺を飲み込んで平静へと戻る。流石に方面軍の総司令官だけあってこれぐらいは出来るのだ。
話し合う体制に入り、まず口を開いたのは港湾棲姫であった
「……貴方が石壁堅持だと言うのは本当なのか?階級章は、大佐だったようだが?」
まず気になったのはそこ。
「大佐として任地に趣き、短期間で一気に昇進したせいで階級章が大佐のままだったんです。本土に帰りしだい、受領する予定でした」
「……それが事実だとして、何故死にかけて漂流していたんだ?暗殺されかけたって報告には書かれていたが、どこまで本当なんだ?」
「あ、基本的に全部本当です。任官の為に本土に帰る途中、船ごと爆破されて暗殺されかけたんで」
「……は?」
「大本営がやったという証拠ですが、迎えの人間が大本営直属で動いていたからですね。どうやら僕の功績が邪魔になったようで」
「は??」
「南方諸鎮守府の協力体制を破壊して、南方海域攻略の主導権を本土に戻そうとしたのかもしれませんが。大体は逆恨みだと思います」
「はぁ????」
1から10まで理解不能といった顔でさっきとは別の意味で驚愕に目を丸くさせる港湾棲姫。
「まてまてまてちょっとまて……え?どういうことなの??なんでイシカベが暗殺されるんだ???どうして大本営が暗殺するんだ????味方の鎮守府の協力を妨害するんだ?????」
至極もっともなツッコミに石壁からハイライトが消える。改めて列挙すると酷すぎて草も枯れ果てる状況だ。
「……バックグラウンドも含めて、一から説明しましょうか?」
「……頼む」
それから石壁は、ひたすらに語り続けた。今まで大本営がどういう行動を取ってきたのか、南方がどういう立場にあったのか、自分がどんな仕打ちを受けてきたのか等々……離島棲鬼に話した内容よりさらに踏み込んで、仲間の命に係わる内容以外殆ど全部ぶちまけた。
港湾棲姫は最初は困惑していたが、話を聞いている内に、段々と目から光が消えていった。そして飛行場姫撃破の前後の裏事情を説明されると、遂には完全なる無表情になり目からハイライトが消え去った。
「ーーというわけで、僕らは完全に大本営を出し抜き、南方の諸鎮守府が一致団結し、オーストラリア攻略の準備を済ませました。そして作戦開始前に本土に呼び出されて……」
「……船ごと爆破された、と」
「……はい」
執務室が沈黙に包まれた。ル級も含めて皆目が死んでいる。港湾棲姫は石壁の言葉からこちらを騙そうとする悪意を感じる事が出来なかった。しかも、今までの戦況と石壁の言葉がぴったり符号してしまった。何度分析してもよく分からなかった、大日本帝国の不可解な行動の理由が説明できてしまったのである。
「……貴方の国は全力で内ゲバしながらその余力で戦争しているんだな」
「……反論できない」
港湾棲姫はしばし目頭をもんで深呼吸を繰り返すと改めて石壁に向き直った。その目は真剣で、先程までの弛緩していた空気が再び張り詰める。
「事情はわかった。貴方が石壁本人であるというのも信じよう。ここからは互いに方面軍の最高司令官として話そう、石壁中将」
「ええ、分かりました」
ここからが本番である。石壁も再び気合を入れて港湾棲姫に向き直る。
「では改めて問うぞ、貴方は何故己の身分を明かし、私に会談を申し込んだ?」
『一切の嘘を許さない』港湾棲姫の目はそう語っていた。少しでも欺こうとするなら、その場で石壁は殺されるだろう。
「この街を、シドニーを戦場にしたくないと思ったからだ」
故に石壁は真っ直ぐと言葉を返す。嘘偽りの無い己の心情をぶつける。
「何故だ……?何故シドニーを気にかける。ここは我々深海棲艦の支配地域なんだぞ?」
人と深海棲艦は、ずっと戦争を続けてきた敵同士なのだ。本来石壁が気にかける必要などない。
「……少し話がそれるけど。港湾棲姫さんは、この戦争、どういう結末を迎えると思う?」
「何?」
その話の変化に港湾棲姫が戸惑っている間に、石壁は話を続ける。
「僕は、このままいけばこの戦争に大日本帝国が勝つと考えている。どういう過程を辿るにせよ、大局的な人類優位は揺るがない。オーストラリアの陥落も、そう遠い事じゃない」
「……」
それは港湾棲姫も感じている事。鉄底海峡が陥落した時点で、この戦争の大局はもう決しているのだ。
「でも、本当の意味で戦争が終わるのは……きっととんでもない未来の話になるんじゃないかと考えているんだ」
それは、ずっと見ないふりをしていた事。いつまで戦い続けねばならないのかという話。
「今のこの戦争は、人と深海棲艦という根本的に異なる種との生存競争だ。人が勝つにせよ、深海棲艦が勝つにせよ、種として相手を根絶させるまで戦争は続く」
当たり前だが、ひとり残らず滅ぼすということは、最後の一人にまで必死に抵抗されるという事だ。
「世界中の海の底を総ざらいして、一人残らず深海棲艦を殺し続けるんだぞ。10年20年じゃない、下手をすれば僕らの子供、孫の代まで戦争が続くかもしれない。その間に流れる血の量は……想像もしたくない」
血で血を洗うという言葉の通り、世界中の海を血で洗い流す事になるだろう。種の存亡をかけた絶滅戦争というのは、そういうものだから。
「でもそれも仕方がないと思っていた……人と深海棲艦が共存することは不可能の筈だから。人と深海棲艦が共に生きていける世界なんて、夢物語の筈だから……でもーー」
だがもしもーー
「ーーその夢物語が、不可能じゃなかったとしたら?」
ーー殺し尽くす以外の選択肢があるとすれば、どうなるだろうか。
「この街では人と深海棲艦が、殺し殺される敵対種ではなく、当たり前に生きる隣人として生きている。『人類と深海棲艦の間には、相互理解など不可能』だという大前提が崩れているんだ」
石壁の言葉に熱量が増えていく。考えないふりをしていた、あり得ないと切って捨てていた未来。
「つまり……
「……石壁、貴方はまさか」
石壁が何を言おうとしているのかを察した港湾棲姫は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「僕は、このシドニーの姿に希望を見た……『人と深海棲艦の共存』という
「……っ!!」
それは、一人の身には余りにも大きすぎる夢。あり得ない筈の選択肢だ。実現に際する困難は無限にも思え、茨の生い茂る道なき道を進む事になるであろう。常識的に考えれば、あり得ない話だ。
だが、それでも……否、だからこそ、その言葉は……その夢物語はーー
「僕一人では無理だろう……だけど、もし貴方が……深海棲艦穏健派の最大派閥が力を貸してくれるなら。この夢物語を現実に出来るかもしれない。だからもし……もし貴方が、僕と同じ未来を夢見るなら」
ーー余りにも、温かかった。
「共に、戦ってくれないか」
石壁は頭を下げた。彼は言葉尽くした。思いを伝えた。夢を魅せた。後は、港湾棲姫の選択しだい。彼の夢物語に、乗るか否かだ。
「私……は……」
港湾棲姫が口を開いたーー
***
石壁は来賓用の客室にて休んでいた。時刻は既に夜半であり、周囲は静まり返っている。
「……さて、どうなるか」
石壁は窓辺の椅子に腰かけながら、昼間の事を思い出す。
『一晩だけ、考えさせてくれ』
それが港湾棲姫の回答であった。これだけの重要事項だ。一時の保留も仕方がなかった。
石壁の提案を彼女が飲めば、小さな希望が見えてくる。飲んでくれなければ……後はもう石壁に出来る事はなくなる。
港湾棲姫の選択次第では、明日の朝日が人生で最期のモノになるだろう。いや、場合によっては寝ている間に全てが終わっている可能性すらあった。
にも拘らず、石壁は恐怖を感じなかった。腹が座ったというのもある。だが、それと同時に昼間の港湾棲姫の様子が気になっていたのだ。
「彼女は僕を知っている……いや、僕を通して別の誰かを見ているのか?」
自分に向けられている不可思議な感情、親近感、罪悪感、寂寥感……凡そ、初対面の相手に向ける感情とは言い難いそれらの感情。そこから石壁は港湾棲姫という存在が、自分になんらかの複雑な思いを抱いているという事を察していた。だが、その正体が一切不明だ。
「うーん……わからん……」
その時、石壁の部屋の扉が控えめに叩かれる。
「……どうぞ?」
石壁は腰を浮かせて、念の為すぐに動ける状態になってから尋ね人を招き入れた。扉を開いて入ってきたのは、先ほどまで思案していた人物であった。
「夜分遅くにすまない。少し、貴方に話したい事がある」
港湾棲姫は何かを胸元で抱え、処刑を待つ罪人の様な顔つきで石壁を見つめた。
***
石壁は港湾棲姫をソファへ座らせると、対面へと座り彼女が話し出すのを待った。
「……石壁提督、私は貴方の申し出を受け入れても良いと考えている。オーストラリアの人々にとっても、我々穏健派の深海棲艦にとっても、それが最善だとそう思っている」
その言葉は石壁にとっては嬉しいモノだった。だが、港湾棲姫の顔色は優れない。
「だが……このまま申し出を受け入れれば……私は貴方に対してとんでもない不義理を強いる事になる……」
「どういうことですか……?」
港湾棲姫は微かに震える手で、一冊の手帳を石壁に差し出した。
「これは……」
差し出されたそれを手にとった石壁は、手帳を確認する。そこそこの古さを感じさせる手帳であったが、表紙には通常の経年劣化とは明らかに異なる黒ずみが出来ていた。恐らくは、血糊が染み付いているのだろう。血で消えかけている部分にはうっすらと『diary』とかいてあるようだ。
「日記……?」
ひっくり返して裏表紙を確認すると、持ち主の欄に見慣れた名前が記載されていた。
「『石壁』……え……?」
己の姓が刻まれている。だが、石壁はこの様な日記など持った事は無い。しかし、遥か過去の記憶が囁くのだ
。
「この日記……まさ……か……」
知っている。自分はこの日記を、知っている。年月という蓋をこじ開けて、その日記の持ち主を引きずり出す。
「……それは大日本帝国海軍の少将、
そう、この日記は。
「ーー貴方のお父さんを、殺したんだ」
かつて深海棲艦と戦い死んだ、彼の父の日記だったのだ。