血を吐くような懺悔が終わった。『港湾棲姫』の始まりの物語。彼女の背負う原罪、その全てが審判者へと告げられたのである。
「これが……8年前にあった全てだ……」
全てを語り終えるた彼女は、石壁の目を見つめる。
「石壁提督、貴方には復讐する権利がある。私が貴方の父を殺したように。私を殺し、父の仇を討つ権利が」
彼女は目を瞑った。まるで、断罪を待つように。
「私は……貴方の判断に従う……仇を討つなら、抵抗しない……」
港湾棲姫は全てを黙ったままでいることができた。そのほうがどう考えても都合よく事が運んだ筈だ。
だが、それを良しとしなかった。愚直に、誠実に、全てを打ち明けた。
それが、彼女にとって唯一の誠意だったから。
「……」
室内が沈黙に包まれた。港湾棲姫は語るべきことを全て語り終えたのだ。
そして、ついに石壁が口を開いた。
「僕は……父さんを愛していた」
石壁は真っ直ぐと港湾棲姫を見つめる。
「その父さんを殺した貴方が憎い。叶うなら、仇を討ちたいとも思う」
港湾棲姫は、ただその言葉を聞いている。目を逸らさずに、受け止める。当然だ。これが、己の罪なのだから。
「……だけど」
石壁は、悲しげ名笑みを浮かべた。その顔は、昔日の彼の父によく似ていた。
「父の最期を看取り、その遺志を継いでくれた事を……嬉しくもおもっています」
港湾棲姫は、目を見開いた。
「ありがとうございます……貴方が父さんの遺志を繋いでくれたおかげで……僕は……僕は……」
石壁の左目から、一筋の雫が伝う。
「父さんの死に……向き合えた……」
石壁は、家族を全て失った。姉も、母も、彼の目の前で死んでいった。故に石壁は彼女達の死に、遺志に向き合う事が出来た。
だが、父だけは違う。彼だけは、何もかも知らないまま失った。どこで死んだのかも、何を遺したのかもわからず、彼の死にちゃんと向き合えないまま今日に至ったのだ。
「ありがとう……父を看取ってくれてありがとう……父さんの最期を、感謝で終わらせてくれて……ありがとう」
父が憎悪でも、悲嘆でも、後悔でもなく、『最期に誰かに感謝して死ねた』という事が嬉しかった。
無念であっただろう。苦しかっただろう。後悔もあっただろう。それでも、最期に笑えたならば、それは救いのある終わりだ。父は、港湾棲姫に救われたのだ。
「……石壁……提督」
石壁のその姿に、港湾棲姫は彼の父を幻視した。強くて、優しくて、温かい笑み。憎悪と感謝……相反する感情の狭間で苦しみながら、それでも感謝を選んだ強い人達……彼らは間違いなく、親子であった。石壁堅持は、石壁堅固の背をみて育ったのだ。
「『ありがとう』」
二人の『石壁提督』の言葉が重なる。港湾棲姫の瞳から、涙が流れていく。
「……あ……ああ」
港湾棲姫は、顔を手で覆って、膝をついた。
過去は変わらない。己の罪は消えない。彼の父を殺した事に変わりはない。
だが、それでも今……港湾棲姫は救われた。8年間に渡る孤独な戦いは、無駄ではなかった。
「あぁ……」
涙が溢れて止まらなかった。自分は「人でなし」の筈だった。罵倒され、憎まれ、殺される筈だった。そうされて、当然の行いをしてきたのだ。
だが、そうはならなかった。石壁堅持は『ヒトとして』、港湾棲姫に感謝をしたのだ。
『人間性とは悲しみを解する心だという』
石壁堅固の言葉が蘇る。
『お前は気が付いて居なかっただけで……最初から……ヒトだったんだと……思うぞ……』
心を殺し、人でなしとして生きてきた港湾棲姫は、今ようやくヒトへと戻れた。ヒトの心がとめどなく溢れていく。あのときと……同じように。
「ごめんなさい……貴方の父を殺してしまって……ありがとう……貴方のお父さんのお陰で……私は……『私』になれた……」
港湾棲姫はぐちゃぐちゃな思いをそのまま曝け出す。後悔と罪悪感が、感謝と思慕に包まれて溢れ出した。
「……僕は……貴方の謝罪を受け入れます……父さんへの感謝も……同じように」
「……はい」
石壁は残った左腕を彼女の前に差し出す。
「僕らは同じヒトの遺志を継いでいる。思いは同じ、目指すところも同じ……だから、改めてお願いしたい」
港湾棲姫は、石壁の瞳を見つめる。どこまでも深い優しさと、揺ぎなき力を宿した目だった。魂が震える程に、熱く、美しい目だった。
「過去の恩讐を超えて、共に戦ってくれませんか。この戦争を終わらせるために。父が願った、平和な世界の為に」
答えなど決まっていた。
「……石壁提督」
港湾棲姫は、彼の手をとった。
「貴方のみた
「……はい」
あり得ない筈の出会いが紡いだ、あり得ない筈の絆が……時を超え、恩讐を超えて、今ここに新たな道を作り出した。
その道行きの果てがどの様な結末を迎えるのか、それはまだ誰にも分からなかった。
石壁堅固の日記
●月△日
長期の航海を終え、久しぶりの休暇を貰った。
我が家へ帰った俺を子供達は元気に迎えてくれた。
家屋は何も変わっていないように見えるが、人は違った。
子供達は成長期という事もあって、見る度に大きくなっているのを感じる。
娘は高校生になったこともあって、少女から女性へと変わっていく。若い頃の妻に似てきた。
性格が俺に似て若干ガサツなのと機械弄りに夢中なのが少し気になるが……まあきっとなんとかなるだろう。
息子は小学校の卒業を控えているが。身長は小さめでガタイが細身だからまだまだ子供って感じだ。
二次性徴が始まればぐっと大きくなっていくだろう。俺はあんまり背が高くないから抜かれるかもしれないな。
子供を子供扱い出来るのはあとどれくらいだろうか、成長は嬉しいが、少し寂しくもある。
●月□日
少し前まで小さかった子供達はいつの間にやら大人になろうとしている。
それが嬉しくもあり、寂しくもある。
親がなくとも子は育つというが、何もせずに放任する事はしたくない。
俺は親として子供達に何をしてやれるだろうか。何かしてやれたのだろうか。
そう妻に問うたら、楽し気に笑いながら「子供達は貴方の背中をみて育っていますから安心しなさい」と断言されてしまった。
彼女にそう言われると、『そうなのか』と納得してしまうから不思議だ。
俺には勿体ない程、出来た女性だとつくづく思う。彼女が居るからこそ、子供達も元気でいられるのだろう。
そう思って礼を言ったら、妻は見惚れる様な優しい笑みでこう言った。
「私が良い母で居られるのは、貴方が居るからなんですよ」と。
……その不意打ちはずるいと思う。本当に、彼女には勝てそうに無い。
●月●日
嬉しい事があった。
息子が俺の後を継いで、俺が護りたいモノを護ると言ってくれたんだ。
俺を見つめる息子の目は子供らしい澄みきった目だったが、同時に力強く真っ直ぐな男の目でもあった。
息子はまだ子供だなんて思っていたが、堅持はもう一端の男になろうとしているようだ。つくづく、子供の成長は早い。
親としては軍人なんて止めておけと言うべきなのだろうが、俺の背中を見てそう思ってくれたのだと思ったら嬉しくて仕方がなかった。
将来本当に俺の道を継いでくれるのか、それとも別の道を選ぶのかは分からないが、どちらにせよ堅持の人生だ。好きに選べばいい。
しかし、俺の後を継ぐということは軍人になるという事なんだが、今の堅持では優しすぎて向いていない気もする。
そういえば、俺も昔親父に似たような事を言ったような気がする。あの時の親父はこういう気分だったのだな。
親父が爺になって、俺が親父になる程の時間が流れて、いつの間にか息子が一人の男になろうとしている。
やがて俺も爺になり、息子も大人になるのだろう。きっと、それはすぐ先だ。
堅持が自分の道を進むその日が楽しみだ。
●月×日
明日より我が家を離れ再び長期の航海になる。
久しぶりの我が家での団らんは温かく、楽しいものであった。
何時までもここで皆と過ごしたいと思う。離れたくないと思う。
だからこそ、俺は海に出なければならない。
故郷を、そして家族を護る為に、戦う。それが俺の選んだ道なのだから。
子供達が安心して夢を追う事が出来るなら、俺はそれで幸せだ。
***
■■■日
敵■人型■■海■■不明■■■■■■■■
砲撃■■■効か■■■■■■■■■■■■
■艦隊■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■米軍■■■■■■■■■■■轟
■■■■■■■■■■撤退■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■遅滞■■■
■■■■■■■■■■■■時間■■■■■
■■防衛■■■■■■■■■■■■最後■
■■■■■■■■■■護る■■■■■■■
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■■■■
皆、死んでしまった。
苦楽を共にした戦友達も、僚艦の兵たちも、同盟国の艦隊も
皆、死んでしまった。
俺だけが、助かった。否、助けられた。
あろうことか、俺達の艦隊を皆殺しにした怪物の手でだ。
何故俺を助けた。何故、俺だけを生かした。
あのまま仲間達と共に死ねれば、どれだけ楽だっただろうか。
腸が破れたせいで、腹の中に糞便が漏れていた筈だ。
近いうちに破傷風になるだろう。どの道俺も、もう長くない。
苦痛と後悔と無力感に苛まれる。
この度し難い無能のせいで死んだ仲間達に、故郷の皆に、そして家族になんと詫びればいい。
最早俺には何も出来ない。家族を護る事も、我が家に帰る事も出来ない。
許してくれなくていい、恨んでくれて構わない……だが……それでも……
どうか……無事でいてくれ……どうか
***
件の化け物は、何故か俺を助けようと必死になっている。
相当の地位にいるようだが、毎日毎日、自ら俺を看護していた。
皆を殺したそいつを憎いと思う。
多くの人を殺しながら、俺を助けようとするのは滑稽とも思う。
人とは明らかに違うその力を、恐ろしいとも思う。
だが、それと同時に、どうしようもない現状を変えようとするそいつの事が
どうしようもなく哀れに思えた。
***
彼女の名は、港湾棲姫というようだ。
戦争で海の底に沈んだモノ達の憎悪が元になって彼女達は産まれるという。
それが正しいなら、彼女達は俺達人類の業そのものだ。
人の憎悪が元になって生まれるから、人を憎み、襲い掛かる。
そういう生き物なのだという。
だが、港湾棲姫は憎悪だけで動いていない。
否、憎悪だけで『動けなくなった』のか。
憎悪を元にしているということは、彼女達は『感情』を持っているという事だ。
港湾棲姫は、憎悪からくる破壊衝動と、彼女が持つ自らの感情の狭間で動けなくなったのだろう。
憎悪で動く化け物にもなりきれず、感情で動くヒトにもなれず、その間で立ち竦む事しか出来ない。
握られた手は、温かかった。不安気に揺れる目は、迷子になった子供のようだ。
いや、子供なのだろう。彼女は、子供だ。
どうして、子供と、殺し合わないといけないんだろうか。
***
段々、意識をたもっていられなくなってきた
もう、あまり長くは生きられないだろう。
意識がある間に、港湾棲姫に遺言を残すことにしよう。
もう俺に出来る事は、これぐらいしかない。
敵であり、仲間の仇である相手に、最期の願いを託す事になるとは思わなかった。
つくづく、俺は、どうしようもない奴だ。
***
どうやらもう■■みたいだ
めが■すむ いきができな■
てがふるえて じもうまくかけない。
み■な ぶじだろうか いきていて くれるだろうか。
ただ それだけが きがかりだ
■■■こ、■■え、けんじ
どうか、げんきで
***
港湾棲姫と別れた石壁は、独り、父の日記と向き合っていた。
「……父さんより、上の階級になっちゃったな」
染み込んだ血を掬うように、黒ずんだ手帳を撫でる。かつて感じた父の温もりを探すように、やさしく指を添わせた。
「僕は、港湾棲姫を赦す……貴方の最後を看取った……貴方を父の様に慕うあの子を……赦します」
石壁は全てを飲み込んだ、寂しげで、悲しい笑みを浮かべる。悲しみも、憤りも、恨みも、全て己の胸に収める。
「だから……今だけは……僕を許してください……」
石壁は。拳を固く、硬く、堅く握りしめた。
「ああ畜生……畜生……」
握りしめた拳から血が滴る。日記に染み付いた黒ずみを、石壁の恨みが塗りつぶす。
「なんで父さん達が死ななきゃならなかったんだよ……ッ」
人の心は、単純なモノクロではない。石壁は港湾棲姫の罪を赦した。港湾棲姫の行いを許した。港湾棲姫の戦いを認めた。彼女を仲間に迎え入れた。
「姉さんを焼いた奴が憎い。母さんを撃った奴が憎い。故郷を滅ぼした奴が憎い」
全て真実だ。石壁の言葉に、嘘は全くない。
「父さんを殺した港湾棲姫が……憎い……」
でも、憎い。恨めしい。悲しい。苦しい。この感情は、事実なのだ。それを感じないほど、石壁は
「だけど、全部……飲み込むよ……父さんがそうしたように……僕もこの恨みを飲み込んで前に進む……」
だがその全てを飲み込むと石壁は決めた。恩讐を超えて、未来を共に掴むと誓った。
「恨みは忘れない。感謝も忘れない。全て……全て僕の胸に収める。憎悪と復讐の応酬は、ここで終わらせる」
復讐の連鎖は、ここで断ち切る。そう決めた。決めたのだ。
「だから少しだけ……夜が明けるまででいいから……受け止めてくれ……父さん……」
赤い憎悪に染まった日記に、透明な雫に落ちていく。罪を洗い流すように。怒りを鎮めるように。恨みを……水に流すように。
「うう……うあぁ……ああぁぁぁ……」
石壁はただ、泣いた。恨みも悲しみも寂寥も怒りも、全て押し流すために、泣いた。
これは己の心に区切りをつける為の、別れの儀式。涙をもって憎悪を禊ぎ、明日へ進むための時間。亡き父を想う、遅くなった弔いである。
夜が明けるまで、まだ時間はあったーーーー
石壁堅持は英雄であっても聖人ではない。という話。
港湾棲姫に感謝しているし、共感しているし、好感を持っているし、心底から共に戦うことを受け入れています。
でもそれはそれとして、父の仇に恨みは当然に抱くし憎悪も感じます。今回の話で石壁はそれら『区切り』をつけました。この話は石壁にとっても港湾棲姫にとっても、ここで終わりです。