『戦後処理』を含めた話に入ります。
かなりキツイ話が何話か続きますので
ご注意くださいませ
ある時、熊野にお茶に誘われた石壁は、彼女の部屋にやってきた。
現在の泊地の寮は山の中の壕であるため少しばかり陰気ではあるものの、花を置いてみたり壁紙を貼ってみたりと随所に女性らしい工夫が見て取れる部屋であった。
とはいっても買い物すらできない泊地である以上、どうしても物は少なめではあるが。
石壁が暫く座布団に座っていると、熊野がお茶をもってやってきた。
「……良い香りがするね」
「……ふふ、でしょう?今回は特に自信作ですの」
そういいながら、石壁の前のカップにポットからお茶を注ぐ熊野。
このハーブティーは熊野が物資調達班の妖精さんに混じって山の中に自生する植物を集めて作ったハーブティーだ。山菜採りのついでに陸海軍の妖精さんに教えてもらった、お湯で煮出すと美味しいハーブや薬草を見繕って作ったのだ。
「では、いただきます」
「……どうぞ」
石壁がカップをとって口元に運ぶ。所謂『お茶』の香りではないが、手作りだけあって他にはない独特の良い香りがする。
「……うん」
石壁がにっこりと微笑む。
「おいしい」
「……よし」
石壁の感想に、熊野が小さくガッツポーズをする。
「島に自生する植物からハーブティーを作るなんて、熊野はすごいな」
「ふふ、もっとほめてくださいまし」
エヘンと胸を張る熊野に、若干石壁は苦笑しながら続ける。
「本当においしくなったね。最初の頃は苦い漢方薬か臭みの強い青汁みたいな代物だったのにね。まあアレはアレで味があったけど」
「う、うるさいですわ!」
市販のハーブティーなんて届かないこの最果ての泊地でなんとかしてハーブティーが飲みたいと思った熊野は、暇を見つけてはコツコツと草を集めて自作ハーブティーに挑戦していたのだ。ガッツとバイタリティ溢れるお嬢様である。
「この前鈴谷と三人で飲んだのは酸味が強すぎてびっくりしたよ」
「香りをよくするのに気を回しすぎて、酸味の強い香草を複数まぜたのが敗因でしたわ……」
石壁は息抜きもかねて出来上がったハーブティーをしょっちゅうご相伴になっていたが、ここまでの味は初めての出来であった。
二人でハーブティーを飲んでいると、ふと、熊野が石壁に声をかける。
「……ねえ、石壁提督」
「なに?」
熊野が入れたハーブティーを美味しそうに飲んでいた石壁が、顔を上げる。
「石壁提督は、何か夢はございまして?」
「……夢?」
石壁はソーサーにカップをおいて、首をひねる。
「夢……夢か」
石壁は今まで日々を生きるのに精一杯であったから、改めて夢を問われると少し考え込んでしまう。
「そうだなぁ……地方の小さな鎮守府でデスクワークでもしながらのんびりと暮らしたいかな」
「まあ……ふふ、ある意味、石壁提督らしい夢ですわね」
熊野は石壁の小市民的に過ぎる夢を聞いて、楽しそうに笑った。
「ははは……まあ、夢なんて上を見れば見るほど果てがないからなあ、これぐらいが僕にはちょうど良いんだよ」
「……そうですわね」
熊野は、石壁のちょっと困ったような苦笑を見ながら考える。
(……そんなありふれた、地に足のついた『夢』ですら、この人にとっては儚い幻想なのでしょう)
熊野はいままで石壁と接してきて、朧気ではあるがこの男の内面を掴み始めていた。
(石壁提督の心の奥底には、癒えない傷があるのでしょう。それが今の彼を彼たらしめる原点であると同時に……彼の心を締め上げている苦しみの源泉でもある)
石壁はかつて家族も、友も、故郷も、何もかも全て失った。今の世界では珍しいという訳ではないありふれた悲劇だ。だが、ありふれているからといってそれは絶対に小さな悲劇ではない。
(石壁提督は失った家族や故郷への憧憬を、自分の仲間に重ねているのでしょうね……部下の死を過剰に恐れるのも、幼い頃の戦火の記憶がトラウマになっているから……そんな彼が、どうしてこんな役職についてしまうのか……ままなりませんわ……)
誰よりも命の大切さを尊ぶ石壁が、命を数字として使い潰さざるを得ない役職についている現状そのものが、本来ならあってはならない事態であった。彼が望むささやかな夢(平穏な日常)すら儚い幻想でしかないのだ。そう思うと、熊野は悲しくなった。
(まあ、そんな貴方だからこそ。私は貴方を支えたくなるのでしょうけど)
熊野は石壁の事が好きだ。部下として、仲間として、人間として。彼との一時を好んだ。彼のためなら己の命をかけてもよいと思えるほどには、石壁のことを好いていた。
そして、もしかしたらほんの少しくらいは、石壁の事を男性として好いていたかもしれない。彼にもし告白されたなら少し悩んでからストンと受け入れてしまう程度には、彼のことを好いていたから。石壁と出会ってから二ヶ月弱しか経っていないとはいえ、要塞での共同生活は本当に濃い日々であるから、二人が仲良くなるには充分な時間であったのだ。
(……なんて、ね。あら、お茶がもうありませんわね)
そんな風に思っていると、石壁のカップにもうお茶が無いことに気がつく。
「あのーー」
「じゃあさ、熊野の夢はなにかあるの?」
「ーーえ?」
石壁が熊野の顔を見ながら問うと、一瞬だけ熊野は呆けた。
「わたくしの……夢?」
「そうそう、僕だけ話すのは不公平だし、熊野の夢も教えてよ」
「そうですわ、ね」
熊野は石壁のカップにお茶を注ぎながら、少し考え込む。
「……わたくしは、こうやって、提督や鈴谷とお茶を飲みながらお話しているのが何よりも好きですわ」
「……うん」
熊野は手元のお茶と、石壁の顔を交互に見つめる。
「だから……こうやってお茶を一緒に飲める日がずっと続いて欲しい、というのが夢なのでしょうか……提督と、鈴谷と、わたくしの三人で」
熊野が微笑む。その笑みは慈愛に満ちており、見ているとホッとする様な優しい笑みであった。
「……ふふ、わたくしもあまり人のことは言えませんわね」
「……はは、そうだね」
二人の夢は、どちらもありふれたものであった。だが、本当に素晴らしいモノは、そういったありふれたモノの中にこそあるのだと、二人は知っているのだ。
「じゃあさ、今日は鈴谷がいないけど、次は三人で一緒にお茶をのもうか」
「そうですわね、また美味しいハーブティーを準備しておきますわ」
そういいながら、熊野は小指を差し出す。
「約束ですわ、提督」
「ああ、約束だ、熊野」
二人の小指が絡む。子供でもしっている約束の呪文を歌いながら、かるく手を揺する。
「「ゆびきった」」
そこまで言ってから、二人は小さく笑った。
ありふれた、小さな小さな約束であった。ともすれば数日以内に果たされたであろう、ありふれた約束であった。
だが、ありふれた日常とは、太平の時代にのみ許された宝物であり。そうであるが故に、乱世に生きる二人には……あまりにも儚い幻想であったのだ。
この翌日、泊地は南方棲戦鬼の動きを察知し、戦闘態勢に移行。数日後には要塞を舞台にした決戦が行われたのである。
***
「……はは……熊野め」
石壁は病床で目が覚めてすぐに、戦いの被害報告を持ってこさせた。止める医者を無視して、普段滅多に使わない上官としての絶対命令で持ってこさせたのだ。
「三人でお茶しようって、『約束』したじゃないか……それなのに……それなのに……」
そこには大勢の『英霊』の名前が刻まれており、その中にも石壁の約束の相手の名前があった。
「僕の……命令で……しんじゃった……」
熊野は、戦没した。もう居ない。
「はは……は……」
その事実に、石壁の心が澱む。大勢の部下の死が、数日前まで共にあった者達の死が……熊野の死が、石壁の心を締め上げる。
「苦しい……」
石壁の心が悲鳴を上げる。
「誰か……」
石壁の心に亀裂がはしる。
「助けて……」
それでも、彼はまだ、涙を流せなかった。この期に及んでまだ、彼は総司令官であろうと、痛みの中で藻掻き苦しんでいた。
「……」
石壁は、遂に、死んだ目をして黙り込んだ。溢れ出しそうな悲しみや苦しみを、総司令官の仮面で無理やり押さえ込んだのだ。悲鳴を上げる心を無視して、溢れそうになる涙を枯らして、石壁は総司令官であろうとしていた。
石壁のもとに、伊能が、そして鳳翔がやってくるまで、あと少し。