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日が落ちて暗くなった後、伊能は要塞のとある見張り台の上で煙草を吸っていた。こっちに来る前に買った残り少ない煙草である。
「……」
伊能は普段煙草は吸わない。だが本当に時々、こうやって煙草を一本すって倦怠感に身を委ねるのが好きだった。
「……ふぅ」
伊能が深く息を吐きだす。煙がゆらりゆらりとゆられて消えていく。
「……」
見張り台の欄干の部分は平らになっており、そこには徳利とぐい吞みが一つ置いてあった。伊能は煙を吐いた後に、そこにトクトクと酒を注ぎ、一息で煽った。
タバコの煙と夜の星を肴にした一人酒である。哀愁の漂うその背中は、普段の騒々しい伊能とは打って変わって、落ち着いた大人の男の渋さを漂わせていた。
しばしそうやって伊能が佇んでいると、背後からカツンカツンという足音が近づいてくる。
「みつけたであります」
「……あきつ丸か」
伊能が振り向くことなくそういうと、暗闇の中からあきつ丸が歩いてきた。真っ黒い服で色白なあきつ丸が暗闇から出てくると、まるで幽霊が黄泉の国からやってきたようだ。
「よくここがわかったな」
「長い付き合いで有ります。将校殿の行動は、なんとなくわかるでありますよ」
「……それもそうか」
二人が出会ったのは伊能が陸軍憲兵抜刀隊にいたころである。艦娘登場後の人類の巻き返しが始まる少し前、やっと戦線が膠着し艦娘の本格的量産が始まった直後であった。伊能は本土決戦末期に召集され、戦死する前にあきつ丸を呼び出す事が出来た。それからずっと、二人は一緒に戦ってきたのだ。
深海棲艦を海に叩き出した後は、伊能は陸軍からの出向で陸軍の提督として海軍士官学校へと入学し、石壁達とであった。人に歴史がありというように、伊能は伊能で、己の戦いを生きぬいてここにいるのである。
「……飲むか?」
「では、有難く」
伊能がそういいながらぐい吞みを渡すと、あきつ丸はそれを受け取った。
「……」
「……」
とくりとくりと杯に注がれる酒に月と星が映り込む。それを見つめてから、あきつ丸もまた一息でそれを飲み干した。
「ふう……」
あきつ丸は、そう息をはくと、杯を伊能に渡す。
「返杯であります」
「……うむ」
あきつ丸から受け取った杯に、またとくりとくりと酒が注がれていく。月下で酒を渡しあう二人の男女の姿は、兎に角絵になった。
「……」
伊能は、あきつ丸と同じように一息でそれをあおった。
「……うまいな」
「……そうでありますな」
杯をコトリと欄干におく。それから二人はそろって空を見上げた。
「この、最果ての泊地で一つよかったと思うのは、この夜空の美しさでありますな」
都会の明かりの無いこのショートランド島では、本当にたくさんの星が空に見える。古代の船乗り達が見つめたのと同じ、澄み切った夜空の宝石たちがそこにはあった。
「そうだな、本土ではこんな星はまず見えまい」
文明が作り出した不夜城の明るさは、天すら照らして星々の煌きすら隠してしまう。
忙しなく動く人の世が止まる日はない。昼も夜も、休むことすら忘れてしまった人々の営みは、止まることなく世界を動かしている。
そんな当たり前が当たり前になる前の空、人が文明の発達と引き換えに失ってきたモノだった。
「こうして二人で酒を飲んでいると、本土奪回作戦が終わった後を思い出す」
「……そうでありますな、あの時もこうして、二人で酒をのんでおりましたな」
本土から深海棲艦達を叩きだした数年前の決戦。陸軍の兵士達が艦娘と共に死に物狂いで戦ったそれは、伊能の陸軍時代の最後の作戦であった。
「本田、富永、松田、高田……」
ポツリポツリと伊能が名前を呟いていく。一人一人顔を思い出すように、何十人もの名前を挙げていく。
「……」
それをあきつ丸は無言で聞いていた。
「……陸軍憲兵抜刀隊……第4小隊……勇敢な奴ら『だった』」
「……ええ、忠勇無双とは、彼等の事をさすのでありましょう」
無数の命を湯水のように消費したその一大作戦は、確かに人類側の勝利に終わった。だが、失われた命の多さは、尋常ではなかった。
「位牌すら用意してやれなかったからな……お前と一緒に仏壇の代わりに、星々に酒を捧げてから飲んだ」
死ねば星になると古人は言った。ならば夜空は戦友達と顔を合わせる場所なのだろう。文字通り星の数程旅だった輩(ともがら)を思いながら、伊能は杯へと酒を注いだ。
「……あの時の、弔い酒の味は忘れられんよ」
「……そうでありますな」
これは弔い酒。先に逝った戦友を弔うための酒である。伊能が注いだ酒を飲むのを見ながら、ぽつり、とあきつ丸がつぶやく。
「……また、本土決戦時代の仲間が逝ってしまいましたなあ」
「……ああ」
伊能が杯を置く。
「……」
タバコを吸って紫煙を吐き出す。風に揺らめいて消えていくその煙に、あきつ丸は先に逝った仲間の姿を重ねた。
「……」
「……」
ゆらりゆらりときえていく煙を二人で見ていると、伊能が口を開く。
「……騎兵隊長を」
先の戦いで逝ったその男を思いながら、続ける。
「アイツをここへ誘ったのは、俺だ」
伊能は本土で燻ぶるかつての仲間の中で、最も強い妖精たちに声をかけた。騎兵隊も、その一つであったのだ。
「アイツに俺はこう声をかけた。『石壁と一緒に来るなら、絶対に後悔はさせぬ。己の命を後悔無く使わせてやる』とな……」
あきつ丸はとなりの伊能の顔を見る。欄干に肘をのせて空を見る男の顔から感情を読み取る事は難しかった。
「突撃の前にアイツから言われたよ。『自分は命の使いどころを見つけられた。ありがとう伊能提督……ここに誘ってくれて……そして……』」
伊能は一拍おく。
「『どうか、ゆっくりとこちらへ来られよ……さらばだ『戦友(とも)』よ……靖国で君達の息災を祈っているよ』……とな」
伊能はそこまで言ってから、タバコを口にあてて吸った。ぽっかりと闇に浮かぶ赤い点が、まるで線香の火のようだと、あきつ丸は思った。
「ふぅー……」
伊能は目をつむったまま、煙をはく。
「……」
「……」
二人は沈黙の仲でしばし空を見つめる。
「……さらばだ、『戦友(とも)』よ。地獄で会おう」
そういって、伊能はタバコを灰皿に落とすと、歩きだした。振り返ることなく、歩き去っていく。
「……さようなら、気高い人」
あきつ丸は消えていく紫煙を見つめながら、そうポツリと呟いた。
あきつ丸の声と共に、手向けの煙は風に吹かれて消えていった。