海上を数隻の艦娘が航行していた。彼女たちは石壁の艦隊の面々であり、現在ショートランド泊地から一番近い海軍基地であるラバウル基地へと移動中である。
「まもるもせむるもくろがねの~♪うかべるしろぞたのみなる~♪」
海をゆく石壁一行を先導する天龍が、気分良さそうに歌っている。海を進める事が本当に楽しいのだ。
「ごきげんねえ、天龍ちゃん」
「おう!やっぱり艦娘は海を走ってこそだよなぁ。気分も壮快だぜ!護衛に選んでくれてありがとな提督!」
そういって、石壁の座上する鳳翔へ顔を向ける。
『ああうん、楽しんでくれてるなら嬉しいよ』
石壁は天龍の言葉に若干苦笑する。
「しかし、初めての海上出撃が提督の護衛になるなんて思わなかったよね」
「重大任務ですよ姉さん」
「地道な地方巡業はアイドルの嗜みだよー★」
川内達の言葉の通り、これが石壁にとって泊地にやってきて初めての海上への出撃であった。二ヶ月も経ってようやく初の出撃である。
事の発端は昨日の事。ラバウル基地からの協力拒否の通信缶(手紙を入れて飛行機で投下される筒)が泊地に落下した事であった。
***
「どういうこと!?なんで拒否されたの!?」
「わかりません!『命令にない協力は一切御免こうむる、自力でやってね。どうしてもやらせたいなら大本営に頼んでね(意訳)』という内容がものすごく遠回しかつ丁寧に書いてあるんです!」
そういって青葉が手渡した手紙は、無礼にならないようにものすごく丁寧かつ迂遠ながら、はっきりと『拒否させてもらう』という内容が記載してあった。
「確かに……ものすごく丁寧に拒否されてるぅ……」
石壁は書簡を絶望した顔で読んでいる。
「と、とにかく真意を確かめないと。青葉は電報で『今からそちらに向かいます』って伝えて」
「はい!」
青葉が部屋を飛び出すと同時に、石壁は即座に鎮守府の主力艦隊を呼び出して、出撃命令を下したのであった。
***
「しかし、一体なにが原因なのでしょうか……」
鳳翔がそう呟くと、鈴谷が応じる。
「んー……多分だけど、相当根が深い問題がからんでるんじゃないかなぁ……」
その言葉に石壁が応じる。
『根が深いって、例えばどんな?』
「政治問題、鈴谷が深海棲艦になる前から南方地方の泊地って本土に冷遇されてたし。その辺が絡んでるんじゃないかなぁ……」
『……勘弁してくれ』
鈴谷の言葉に石壁の胃がキリキリと痛みだす。理不尽な政治問題の被害を被るのはもう沢山だ、というのが石壁の偽らざる本音であった。なにせ石壁がここに来た原因からして政治問題であったが故に、そんなイザコザはもうお腹いっぱいなのである。
「まあ、石壁提督なら大丈夫だよきっと」
「ははは……そうであって欲しいよ……」
鈴谷の励ましに、石壁は乾いた笑みで応じたのであった。
***
一方その頃ラバウル基地。
「ねえ聞いた?例のショートランド泊地の連中が今から来るんだって」
「図々しい、あんな要塞まで本土から用意してもらっているくせに、これ以上何を私達に求めるっていうのかしら?」
「きっと戦力だけ借りて、苦労は私たちに押し付けるのでしょう」
「忌々しい……」
ラバウル基地の艦娘達は、これから来るという石壁たちの噂で悪い意味で持ち切りであった。
普段はおおらかな艦娘達までピリピリとした不機嫌さを漂わせており、端的に言って空気は最悪であった。
そんな空気の中大勢の艦娘が波止場に屯していると、水平線の向こうから艦隊がこちらへと向かってきているのが見えた。
「……きたね」
「……ええ、一体どんな人なんでしょうね」
大勢の艦娘が波止場を包囲するように隊列を組むと、そこへと艦隊が上陸を始める。
***
石壁はラバウル基地の波頭を目にした瞬間から、胃がキリキリと痛むのを実感していた。
「……もう帰りたい」
「提督、頑張ってください」
石壁達がラバウル基地にたどり着くと、刺すような鋭い視線が四方八方から殺到したのだ。
百名程の高練度の艦娘達が港にずらりと集合しており、その視線には敵意と殺気が溢れている。人の感情に敏感な石壁からすれば見えている地雷原に上陸しようとしているようなものであった。
想像して欲しい、百名の艦娘から殺気を込めて睨まれる様を。美少女達に憎悪を込めて睨まれるのだ。その迫力は凄まじく、気の弱いものなら過呼吸を起こすこと受け合いである。
石壁の肝は初陣を乗り越えて物理的にも比喩的にも太く頑丈になっているが、それはそれとして辛いものは辛かった。
『……やるしかないか』
上陸が完了すると、鳳翔の艤装から同調を解除した石壁が飛び出した。
「うわっとと」
「提督、大丈夫ですか?」
片目を失い平衡感覚に難のある石壁は、着地の際思わずふらついて鳳翔に支えられる。すると、その様をみたラバウル基地の艦娘達に困惑が走った。
(なにあれ、物凄い傷跡)
(ふらふらじゃない、大丈夫なのあれ?)
(鳳翔さん寄りかかられてなんか少し嬉しそうなんだけど何アレ)
ヒソヒソと艦娘達が話し合う。どうせ本土のいけ好かない提督が出てくるんだろうと思っていたところに、ものすごく傷だらけで眼帯をしたフラフラの提督が出てきたのだ。見た目だけなら歴戦の提督だが、ふらつく貧弱な体躯は『半死半生の病人です』と言われたほうが納得出来そうな様子であったのである。それは混乱するだろう。
「や、やあ皆さんこんにちは、ショートランド泊地の総司令長官の石壁です。は、初めまして」
石壁がなんとかひきつった笑顔を浮かべて挨拶をすると、益々場に困惑が広がった。どう対応したものか、という空気が蔓延する。
艦娘は基本的に善人ばかりである。にくい敵が相手なら殺意も維持できようが、フラフラの病人を相手に殺気を向け続けられる様な者は少数派であった。
どうみても半死半生の人間一人に対して、百人規模で殺気をぶつけていたのだという事実に、気不味いモノを感じた艦娘も多かった。
「え〜っと?その……?」
反応が無いためどうしたものかと石壁が固まる。
(ど、どうすればいいの?)
(こんなの想定してませんよ?)
(誰かなんとかして……)
なんとも言えない空気は、ラバウル基地司令の秘書官が迎えに来るまで続いたのであった。
***
(ん?こっちに向かってきているあの艦が秘書官の人かな?)
それから数分後、波止場に秘書艦の人がやってくる事に気が付いた石壁は、とっさに鳳翔に耳打ちした。
(鳳翔さん、僕にいい考えがある。ここから先は僕一人で行くから、みんなは通された場所で待っていて)
(えっ!?だ、大丈夫なんですか提督!?明らかに我々は歓迎されていませんよ!?)
(大丈夫、問題ないよ。いくら敵意があるからって殺されはしないだろうし、向こうも僕一人の方が油断するだろう)
石壁の正気を疑う言葉に鳳翔は食い下がるも、石壁はその考えを変える気はなかった。あんまりと言えばあんまりな歓迎から、石壁は本格的に自分たちが警戒されていることを察して、ラバウル基地司令の元に単身出向く事で警戒心を削ぎにかかったのである。石壁はこういう多少命がかかるかもしれない部分での肝の太さは、既に並みのモノではなかった。
(じゃあ僕は行くから)
(……本当に、気を付けてくださいね)
「ここからは僕一人でいいから、皆はラバウル基地の適当な場所で待たせてもらってね」
「「「「えっ!?」」」」
その場に居た全員が驚愕の声を上げる。
そういって杖をつきながらフラフラと一人で歩いていくその姿は、ショートランド泊地の面々どころかラバウル基地の面々すら大丈夫なのかと不安にさせたので、そういう意味では石壁の警戒心を削ぐという作戦は成功したと言ってもいいだろう。
(大丈夫なの鳳翔さん!?)
(提督を、信じましょう)
鳳翔達は石壁を見送るしかなかった。
***
石壁が秘書艦につれられて執務室にむかった後、石壁の艦隊の面々はラバウル基地の食堂に通された。ラバウル基地の食堂は、一階建てトタン張りの倉庫の様な佇まいで、よく言えば軍事拠点らしい、悪く言えば安っぽい作りの建物であった。万が一の防火の為に独立した建物になっているらしい。こういった建物が基地の各地に分散配置されているのである。
「大丈夫かしら……石壁提督」
「まあ、大丈夫でしょ。なんだかんだいって石壁提督根性あるし」
龍田が心配そうに言うと、隣にいた鈴谷が軽い口調で応じる。だが、さっきから机をトントンと叩く指の動きが忙しなく、鈴谷も心配でしょうがないのが見て取れた。
食堂に通されてもう結構な時間が立っているが、未だに石壁は戻ってこない。
今のところ艦娘側の敵意もマシになっており、石壁の考えは正しかったと言えるだろう。だが、時間が経過して石壁の衝撃が抜けると共に、食堂の空気は悪化し始めていた。
石壁の艦娘達は心配でピリピリし始め、ラバウル基地の面々はやっぱり納得できないという空気が蔓延していく。そしてついに、とある艦娘が口を開く。
「ふん、あんな姿みて心配もされないなんて。人望無いのね、アンタ達の提督」
「……あ?」
繰り返すが、石壁の考えは正しかった。警戒心を削ぐという彼の作戦は成功したのだ。
だが、今日この場に居たのが己の秘書艦を含めた石壁艦隊でも高練度の面々であったという時点で、石壁の作戦は大失敗であったのだ。
突如として横から飛び込んできた看過できない言葉に、鈴谷はピクリと能面の様な表情を浮かべてそちらをむいた。
そこにはオレンジ色と緑色の弓道服をきた艦娘がいた。
先ほどの言葉をぶつけてきたのは、オレンジ色の服を来た、ショートヘアで意思の強そうな艦娘である。彼女は飛龍、大日本帝国海軍の二航戦の一隻である。かの人殺し多聞丸が座乗していた帝国海軍きっての武闘派の艦娘である。
「飛龍、言い過ぎですよ。事実だからって言ってもいいことと悪いことがありますよ」
飛龍を諌めているようでまったく諌めていない、無礼な言い草を相方の艦娘が続ける。緑色の服で、黒髪をツインテイルに纏めた彼女の名は蒼龍。飛龍と同じ二航戦に所属する艦娘である。
「「「「「……」」」」」
石壁の艦隊の面々は、二人の言葉を聞いて一様に黙り込んだ。石壁の顔を潰すまいと、怒りを押さえ込んでいるのだ。
そう、彼女らも自分たちが置かれている状況がよろしくないというのは知っている。ここで反抗すれば、石壁提督に迷惑がかかると知っていたのだ。彼女達はそういう気づかいができる艦ばかりだ。
「おいテメェ!なんてこと言いやがる!そんな陰口恥ずかしいと思わねえのか!!」
一人を除いて。
空気を読まないというか、良くも悪くも素直な天龍が、真正面から飛龍に突っかかる。天龍からすれば圧倒的アウェーであるにも関わらず、まったく遠慮の無い反論に飛龍が鼻白む。
「な、なにようるさいわね!助けを請いに来たくせに生意気なのよ!礼儀知らず!」
「そうですよ!少しは遠慮したらどうですか!」
「礼儀知らずはどっちだ!?自分の提督をあんな風に言われて黙ってられるか!」
飛龍からすれば石壁の有様に出鼻を挫かれ、苛立ちまぎれにちょっと突っかかってみただけだったのだが……売り言葉に買い言葉、一度始まってしまった罵り合いは止まることなく加熱していく。
「ふん、アンタ達の提督は部下の躾もできないのね!!まるで狂犬だわ」
「狂犬で結構だ!俺達の提督は女が腐った様な陰険な連中しか育てられないお前達の提督とは違うんだよ!主人の為に全力で噛み付いてやるよ!ワンワン!」
飛龍が投げた喧嘩を天龍が全力で撃ち返した。おちょくる様に犬のなき真似をすると、飛龍達の目が怒りで釣り上がる。流れ弾(暴言の行き先)が自分達の提督にまで及んだせいでもう止まらない。導火線に火がついたのだ。
「本土でぬくぬく暮らしていた連中には言われたくないわよ!!というかアンタ達本土の提督はどいつもこいつも厚かましいのよ!!」
「どうせ本土から潤沢な支援をもらってるんでしょう!?その上力を貸せなんてふざけないでください!!あなた達の提督の無能をここに押し付けないでくださいよ!!」
「「「「「あ”ッ!?」」」」」
そして遂に爆弾が起爆する。飛龍と蒼龍のその言葉が、石壁隷下の艦娘達の地雷を踏み抜いた。
「テメェ……言うに事欠いて俺達の提督が……『本土の力をかりてるだけの無能』だとぉ……!?お前らこそふざけてんじゃねえぞ!!」
天龍が怒りのあまり怒鳴りつける。
「……あったま来た」
目の座った鈴谷が艤装を展開する。
「……」
鳳翔は微笑んだままだが、目が笑っていない。
「なによやる気!?いいわよやってやるわ!!」
「上等です、ボッコボコにしてやりますよ!皆!出てきてください!!」
その言葉と共にゾロゾロとラバウル基地の艦娘が集まってくる。
「「……」」
一触即発の空気の中、ピリピリとした緊張が場を包む。
***
鎮守府の見張り台。
「えーっと、今日からお昼の合図はラッパと太鼓を鳴らすんでしたよね?」
「ええ、ラッパと半ドンを合わせた方が分かりやすいだろうとのことで」
「了解、じゃあいくよー」
***
<パパパパパウワードドン
その瞬間、お昼を告げるラッパと太鼓が鎮守府に響いた。そしてそれが開戦を告げるゴングとなった。
「「「「「「ぶっ殺す!!」」」」」」
数十名の艦娘が入り乱れての大乱闘が始まった。
~おまけ~
やめて!ラバウルの協力拒否で、鎮守府再生計画を焼き払われたら、闇の手術で石壁と繋がってる南方棲戦鬼の胃袋でも燃え尽きちゃう!
お願い、死なないで石壁!あんたが今ここで倒れたら、泊地の皆はどうなっちゃうの? チャンスはまだ残ってる。直談判に成功すれば、計画はまだ成功するんだから!
次回、「石壁死す」。デュエルスタンバイ!