その日石壁は執務室でペンを握り、紙に何かを書き込んでいた。
「うーん……やっぱダメだな」
石壁の目の前にはぐっちゃぐちゃのサインが大量に書き込まれていた。どれもこれもロクに読めたモノではない。
なんとか判読できるモノでもナ辟臣又十土位の解像度が荒すぎる字体である。
口土 土 十寸
そんな惨憺たる状態のサインを見て。石壁は大きくため息を吐いた。
「最低限『石壁堅持』ぐらいは自筆で書けないと色々不味いんだよなあ……」
何故石壁がこんなことになっているかと言えば単純明快。利き腕が吹っ飛んで左手で字を書いているからである。
「あー……クソ……ッ!なんでこう公文書っていうのは、どいつもこいつも手書き手書き手書き手書き!手書きばっかりさせるんだ!」
不平不満が口から飛び出た瞬間、手の中の鉛筆が突如として『砕け散った』。慣れない作業で力の制御を誤ってしまったのだ。
「あー!?もうまたかよおお!!」
やってられるか!と言いたげに石壁がペンを放り出す。そこには同じく砕け散った鉛筆の残骸が何本も転がっていた。忘れがちだが石壁の肉体は人外化しておりレンガ程度なら簡単に粉々にできる超パワーを持っているのである。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』とは言うが、人類史上空前絶後のスーパー過ぎたる過剰パワー過ぎてマジでどうにもならなかった。
「無線電信で本土に『腕吹っ飛んで名前書けないんで署名欄ハンコと拇印でいい?』って聞いたら……『前例がないから確認に時間がかかる。とりあえず手書きでなんとかして』だって???こっちは手が無いんだよバカヤロー!あとこのパターン大体ダメな奴だろチクショー!!!」
キーッ!っと久々に石壁が発狂する。英雄石壁は飛行場姫には勝ててもお役所仕事には勝てないという、悲しすぎる現実であった。
「はぁ……はぁ……むなしい……」
一通り発狂した後、一周回って冷静になった石壁が顔を上げると。
「あの~~石壁提督……?その、いま大丈夫ですか……?」
手にお盆をもったまま。とっても困った顔の間宮が立っていた。
「ーーーー」
今の痴態を見られていたという事態に思い至った石壁はピシリと硬直する。
「ま、間宮さん、いつからそこに」
「えっと、ノックしたんですけど反応がなくて。急に怒鳴り声が聞こえたんで何事かと思って入ってしまいました」
「おう……もう……」
つまり大体全部である。石壁は数分前の自分を死ぬほど恨んだがもう遅い。
「だ、大丈夫です。こういう状態なら誰だってイライラしちゃいますからね!ほら、差し入れのアイスクリームです。一緒に食べましょう!」
「う、うんありがとう」
間宮に促されて休憩用のソファの方へと誘導されていく石壁。羞恥心でいっぱいいっぱいだった彼は、間宮の優しみに溢れた対応に流される事にしたのだった。
***
怒りと羞恥心と気温的な暑さで茹っていた石壁は、アイスクリームのお陰で大分冷静さを取り戻してきていた。その結果、現状の違和感に気が付き、石壁は間宮へと話を切り出す。
「……そういえば間宮さん?今日は君休みじゃなかったっけ?」
「えっと……はい……そうなんですけど……」
間宮はとても言い難そうに、申し訳なさそうに、あるいは少し恥ずかしそうに口を開く。
「休みが久々過ぎて、何をすれば良いのか分からなくなっちゃって……」
「本当マジですいませんでした!」
その言葉に即座に頭を下げる石壁。原因に身に覚えがあり過ぎて謝るしかなかった。
「ああ!大丈夫ですから!怒ってないですから!」
ここで改めて、この泊地における間宮の仕事について触れておこう。
間宮は兵站管理部門の大黒柱であり、泊地の食糧事情の責任者であり、ショートランド泊地全体のバックアップを続けてきた艦娘である。
大量の食糧を管理輸送できる給料艦である間宮だ。本来であれば食糧関係だけやっていれば良かった筈なのだが、幸か不幸かこの間宮は本当に優秀だった。物資と人員の差配に抜群極まる適正を示し、元々食糧関係の元締めであったことも相まって、あれよあれよという間に仕事がゴリゴリに増えていったのである。
「誰かがやらないといけない仕事でしたし。それなら裏方でしか働けない私が最適だったんです。石壁提督の指示は何も間違ってませんでしたよ」
赴任からこっち、ショートランド泊地は常に時間が足りない、人が足りない、戦力が足りない、本土からの私怨はあっても支援は無し。ナイナイ尽くしの地獄のような状態だったのである。そのような状況で使える人材を遊ばせておく理由は一切なかった。各々出しうる力を尽くして足掻き続けた今日までの日々で、間宮は眠っていた管理職の適正がもう抜群に開花しちゃったのである。
日々の糧食の管理だけでもそのタスクは莫大なのに、日用品から武器弾薬の補給網の構築維持管理、オリョールクルージング作戦の物資差配、最近本土から送り込まれた山のような物資の在庫整理等々……どう考えても一個人の身に余り過ぎるタスクを全部請け負っていたのである。
当然だが、石壁も仕事が多すぎるのは重々承知していたので『無理だと思ったら補助に入るからすぐに言ってくれ』と念押しをしたうえで任せたのだが。ここからの間宮の奮闘は凄まじいものだった。
「それに私、人に指示を出すのは得意でしたからね!石壁提督から『好きにやって良い』って言われたから案外なんとかなりましたし!」
「それで本当になんとかなっちゃうのは君だけだからね……」
間宮は事前に石壁から『兵站部門に必要になる一切の人事と指揮権を一任する』と大きすぎる権限を
徹底的な効率化と分業化、己の必要最低限の指示で手足のように動かせる組織体制を0から作り上げてしまったのだ。普通この辺りの組織作りや運営ノウハウの指導は大本営から送られてくる大淀の仕事なのだが……この泊地にはそもそも大淀が居ない。居ないのだ。沈没したとかそういう話じゃなくて派遣すらされていなかったのだ。
結果、間宮の間宮による間宮の為の独自的過ぎる組織が形作られ……冗談抜きで間宮抜きで泊地が回らなくなっちゃったのである。
これに気が付いたとき石壁は本当に頭を抱えた。間宮が休めないのだ。月月火水木金金とかそんな次元じゃない。毎週月月【月】火水木金金【金金】位の過剰労働。何度も改善を試みたのだが、次から次へと……本当にもう次から次へと厄介ごとが雪崩れ込んできて、むしろ仕事は増え続けたのであった。
そんなこんなで間宮の有能さに甘えに甘えて甘え続けて、ありとあらゆるリソースを戦場に回す事が出来た石壁達は、本当にギリッギリのラインで飛行場姫を打ち破ったのである。石壁の初期艦にこの間宮がいなかったら、絶対にここまで来れなかった。戦いの土俵にすら上がれずに組織崩壊を起こして壊滅していただろう。
「でも今は休めるようになったから大丈夫ですよ。大淀さんがようやく来てくれましたし」
「ああ……うん……」
だがここにきてようやく泊地に大淀がやって来たのである。もちろん大本営が送ってくれた訳ではない。ドロップ艦の中に偶然大淀が居たのである。既に建造限界まで艦娘を増やしたと思っていた石壁だったが、色々あって成長したのか新規のドロップ艦の建造に成功したのだ。
その上新城達の連れてきた大淀が一人、増援としてラバウルから一時的に送られてきた大淀が二人……大淀四人態勢で『なんとか』間宮の仕事を代替することに成功したのである。
***
『石壁提督幾ら何でも間宮さんに仕事を任せ過ぎです』
『艦娘に労働基準法は適用されませんけど、それでも訴えたら勝てますよコレ』
『聞いてるんですか提督?間宮さんだって女の子なんですよ。休ませて甘やかして下さい』
『もっと労わってあげてください。仕事はしばらく私たちがなんとかしますから』
『『『『いいですね石壁提督』』』』
***
前後左右を四人の真顔大淀に包囲され、正座状態でエンドレス説教を受けた記憶がフラッシュバックする。大淀達は『事情は重々承知しますが……』と、前置きした上でそれでも苦言を呈さざるを得ないという状況であったのだ。
石壁は終始『ハイ』『ハイ』『ソノトオリデス』『マジスイマセン』と同意と謝罪を繰り返すBOTと化し、彼女たちの協力もあってようやく間宮は休暇に入ったのである。
その為仕事に次ぐ仕事で休みの過ごし方が分からなくなったというのは。石壁にとって本気で謝るしかない状況であった。
「その……それで僕の所に来たって事は何か良い暇つぶしでも探しているの?」
恐る恐るという感じに石壁が問うと、間宮は苦笑する。
「だから怒ってないって言ってるじゃないですか。私お仕事は好きですし……でも何か暇を潰せないかと思ったのは合ってますね」
「う~ん……ショートランド泊地には暇つぶしが出来るような施設が殆ど無いからなあ……」
成立からこっち、殆ど全部戦闘の為の施設しか建ててこなかった弊害であった。
「そうなんですよねえ……買い物すら出来ませんし……」
「ううん……ラバウルに頼んで酒保商人(軍の許可を得て商店を経営する商売人の事)の二、三人派遣してもらおうか。といってもすぐに出来る訳じゃないし」
石壁は首を捻りながら考える。
「ううん……間宮は何かやりたい事とかある……?僕に手伝える事なら手伝うけど……」
その言葉に、間宮は少し考え込みーー
「……それじゃあ。やりたい事が出来たので石壁提督に手伝ってもらっても良いですか?」
ーー少し顔を赤らめて、上目遣いに頼み込んできたのだった。
***
それから1時間後、鍵のかかった執務室にて石壁は間宮の『お願い』を叶えていた。
「ああ、ダメです提督。そんなに力入れちゃ」
「くっ、でも難しくて」
二人っきりの執務室に石壁と間宮の声が響いている。
「そう、そうです……そのまままっすぐ進んでください」
「こ、こう?」
「そうです。そのまま、ゆっくり、ゆっくり……そうです。上手ですよ」
「よ、よし……」
しゅるりしゅるりと、二人の衣擦れの音が響く。
「あ、失敗した……」
「大丈夫ですよ。もう一回です。頑張れ。頑張れ」
「う、うん」
間宮の腕が石壁の手に重なり、導かれていく。
「こっちです……そうです。力を抜いて優しく扱ってください」
「……」
「石壁提督……?」
「ね、ねえ間宮……」
石壁は顔を赤らめて言葉を紡ぐ。
「これ……楽しいの……?」
現在石壁はにっこにこの間宮の膝の上に座らされて、書き取りの稽古を文字通り手取り足取り「手伝われて」いた。
「はい!とっても楽しいです!」
心底から楽しそうに石壁の左手に自分の左手を重ねている間宮に、石壁は赤い顔で苦笑するしかなかった。
「そ、そう……」
本当に楽しいという気持ちは伝わって来たので、石壁は『手伝われる事を手伝う』というよく分からない特殊プレイを再開する。
「……折角の休みなんだから、もっと自分の為に使ってくれて良いんだよ?」
本人が楽しんでいる事にどうこういうのは無粋か?とは思いつつも、どう考えても休日にすることではないと石壁は呟く。
「……違うんですよ提督」
カリカリと、間宮と石壁がペンを動かす音が響く。
「私がやりたいから、こうやって石壁提督を手伝っているんです」
間宮の言葉が真剣さを帯びる。
「私は鳳翔さんのように提督の心に寄り添えません。明石さんのように提督を護る道具も作れません」
重ねられた手に少し力が入る。
「武蔵さんのように提督と共に戦場に立てません。伊能さん達のように友として在る事も出来ません」
彼女の迷いを表すように、ペンが止まってしまう。
「青葉さんのように情報を武器に提督を護れません。鈴谷さん達のように提督の傍で戦えません」
壊れ物を扱うように、間宮の手が石壁の手の甲を撫でる。
「工兵の皆様のように防御陣地も作れません。砲兵隊の皆様のように提督の戦術を遂行する事も出来ません」
まるでバラバラになった後繋ぎ合わされたが如く傷だらけのその手を……ほんの数か月前まで存在しなかった傷に指を添わせる。
「でも……私だって……」
間宮の声が震える。
「貴方を……支えたいんです……」
失われた右腕、その根元に間宮の右手が添えられる。失われた大切な体を嘆くように。いま此処に生きている石壁の存在を確かめるように。
「私たち三人は一番最初に貴方に“呼ばれた”艦娘……貴方の魂に最初に寄り添った、同じ道を行く
それは即ち。
「“この人の力になってあげたい”……この世に呼ばれてから今日まで……この思いだけは、揺らいだ事は無いんですよ」
艦娘は己の命の在り方を自ら定める事が出来る。初期艦娘が呼び出した提督の影響を大きく受けるのもこれが原因だ。
石壁と石壁に呼ばれた艦娘達に共通する根源的な特徴は“奉仕者”であることだ。間宮明石は言うに及ばず、唯一の戦闘艦である鳳翔でさえ、本来であれば練習教導艦として使われていた艦であり戦闘向きではない。石壁も、石壁の初期艦たちも本質的に『自分の為に誰かに奉仕する存在』なのだ。
鳳翔も明石も石壁の為に己の限界に挑み、死力を尽くし続けている。それは間宮もまた同じであったという事だ。石壁を支える為に、石壁に足りない部分を全て補う。その覚悟でもって今日まで泊地を支え続けてきたのである。間宮もまた、己の在り方を己で定めているのだ。
「なのに……私は……私は……」
結局、貴方を護れない。その言葉を続けようとしてーーーー
「間宮」
ーーーー石壁の言葉がそれを遮る。
「字の訓練はまだ終わってない」
「……ッ!」
石壁は優しく、温かい声音で続けた。
「『手伝ってくれ』……君が頼りなんだ。この年になって字の訓練なんてカッコ悪い所、鳳翔さんに見せたくない」
その言葉が間宮に一番必要であると知っているからこそ、石壁は間宮に頼み込む。その気遣いに、間宮は愛おしさを感じながら返事をする。
「……はい!」
もう一度、石壁の手に間宮の手が重ねられた。
「私の休日の間に、字を書けるようにして見せます」
「ああ、ありがとう間宮」
再び、部屋にペンが走る音が響く。
「間宮、これだけは伝えておくよ」
少しずつ綺麗になっていく文字を見つめながら、石壁は言葉を紡ぐ。
「君たち三人の誰か一人でも欠けたら、きっと僕は倒れてしまう。あの日あの時君達を呼び出してからずっと……僕は君達に支えられて立っているんだ」
「……」
「だから……あまり思いつめたり無理はしないで欲しい……心配になる……」
余りにも石壁らしいお願いに、間宮はくすりと笑った。
「提督が無理をしなくなったら考えます」
「……善処するよ」
会話はそこで途切れ、後はずっとペンが動く音だけが響いた。
それ以上の会話は、必要なかった。
石壁君が大概重たい男なのと同じように
石壁君の初期艦も大体重い女ばっかりだったという話