11 幸せな日々
幻想郷は今日も平和である。大規模な異変が一定の周期で起きるものの、それ以外の期間は基本的に何も起きない。異変の前兆とも言える事象が発生することは少なくないが、それだって大したことではないと受け流されてしまうのが幻想郷だ。まあ要するにそういうわけで、博麗神社には今日もいつも通り人がいない。
そこに因果関係は存在しないと言っていいはずだが、有事の際にしか頼られることが無いと言ってもいい博麗神社ならば、参拝客がいないのにはそこに原因があるのではないかと思ってしまう。
これだけの戦闘音が響いても騒ぎ立てる人間は一人もいない。この周辺に人がいないからであり、この周辺に人が来ないからである。
縁側に座っている霧雨魔理沙は眠くなりつつある意識を覚醒させるために首を左右に振りながら、目の前の光景を眺める。境内の上空で飛び交う二種類の弾幕。
片方は優美、片方は粗雑。
魔理沙としては粗雑な弾幕でもこの短期間であれば評価に値するものだと感じていたが、博麗霊夢としては納得のいかないもののようで。正直言って戦うには十分なものだし、そこら辺の妖怪と比べ物にならないほどにはなっている――のだが。
「うーん、なんか違うのよねえ。威力自体は申し分ないし、制御も十分に出来てる。ただ、見た目が悪い。勝つこと以上に勝ち方にこだわる奴も少なくないここだと、あんたのそれは致命的ね」
「……そう言われても、残念なことに僕には美的な感性は皆無でして。むしろ単調な色合いにならないようにしてるだけでも大健闘と言いますか……。というかやってみないとわかりませんでしたけど、これ滅茶苦茶難しいですし。色変えるだけでもどれだけ苦労したか……」
「そんなもん分かってるわよ。でもだからって中途半端に止める? その精度と配列じゃスペルカードとしても使えない三流の弾幕よ。紫の従者としてそれはどうかしらね」
「……随分便利な脅し文句になっちゃったなあ。あのですね霊夢さん、別に僕は諦めるとは言ってませんよ。ただ、もう少しだけ分かり易く説明してほしいってだけです」
「それは前言ったでしょ。誰かに何かを説明するのは苦手なのよ。それに、考えるより実際に動いた方がよく覚える。これはあんたのこの一月の伸びを見ても明らかよ。自覚はあるって言ってたじゃないの?」
「ありますけど! なんとなくとふわっとした説明が流石に多すぎるんですよ! せめて教えるときに擬音を使う頻度をもう少し下げてください! そうすれば少しだけでも分かり易くなるはずですから!」
「都運よ。霊夢に丁寧さを期待するのは無駄だと思うぞ? この一か月、霊夢がそういう訴えを一回でも受け入れたことがあったか? 諦めなければいつかはー、とか思わない方がいいぜ」
都運は嫌そうな顔をしながら魔理沙を少し見て、一度溜め息を吐く。そんなことは都運だって百も承知だが、言い続ければいつか霊夢がなにかを理解してくれるんじゃないかという淡い期待を抱いている。
出来ない者の気持ち、弱者の気持ちが分からない。それがこの一か月で都運が霊夢に抱いた印象だった。勿論それだけではないのは重々承知しているし、無慈悲というわけでも無情というわけでもないのも分かってはいるのだが。
感受性が欠けているというか、共感する能力の著しい欠如というか。
さばさばとした性格の姉を見ている気分になる都運だった。
一か月間霊夢からの戦闘指導を受け続けた都運は、そこいらの妖怪ならば相手にならないほどにはなっていた。あくまで戦闘という面においてのみの話であり、スペルカードルールの適用内では正直そこまでの成長は出来ていないのだが。
美しさ、見た目を重視するという点が都運にとっては鬼門であり、どうしようもない所だったりする。美術館の展示物に意味を見いだせる性格ではないのだ。
「失礼ね。短期間でこいつを使い物になるようにしてやろうっていう私の気遣いが見えないのかしら?」
「お前のそれは本来紫に向けられてたはずの八つ当たりだろ。都運が文句あんまり言わない性格だからどうにかなってるけど、ただ結果出してるってだけじゃ実績にはならないだろ」
「どうにかなってるならいいじゃない。間違ってはいないってことなんだから。最適解だけが正解じゃないわ。最短距離を行くことが時には正しい判断だったりするものよ」
「お前はいつも最短距離しか行ってない気もするけど……。ま、都運が納得してるなら私から言うことは無いけど、今回の経験を他に生かすことは無理だっていうのだけは理解しておけよ。都運だから問題が起こってないってだけの話なんだから」
「それで片付けられちゃうのもちょっとあれですけど……、うーん、何が駄目なんだろうなあ」
都運は上に向けた掌で妖力の球体を生成する。弾幕として扱っているものと同じ作り方をしているが、この方が格段に制御が楽だ。赤、青、黄、紫、緑、様々な色に変化させることが今は出来ている。だがこれが実践となると途端に駄目になってしまうのだ。展開する数とか、集中力の分散とか、物理的な距離とかそういう問題ではなく、ただ何となく駄目。
明確に失敗しているのならばそれはそれでいいのだ。直すべき点、修正すべき点が分かり易い。だが、具体的じゃない失敗は意識的に直せない。
だからこそ霊夢は指南役に向いていない。多少練習すれば大体のことが出来てしまうその才覚ゆえに、なんとなく出来ない、という感覚が彼女には理解できない。荒療治を適切な治療法だと信じているに等しいその感性は、強くはあっても正しくはない。
だからこの場合、都運が望みを託しているのは見学している魔理沙の方だ。
「魔理沙さん、なにか気付いたこととかありませんか? これが出来てないとか、あれが足りてないとか」
「……いや、出来てるし足りてる。傍から見ても問題は無い」
「……でもそれだったら――」
「――だから逆だよ。出来過ぎてて、足り過ぎてる。だから上手くいかないんだってことだな」
「はい? あの、もうちょっと分かり易く……」
「都運、弾幕を展開させてから、いつまでその弾幕に集中力向けてる?」
「いつまでって、そりゃ消えるまでですけど」
「そこだよ。意識を向けすぎなんだ。弾幕、特に多くを展開する弾幕の一つ一つにわざわざ意識を裂く必要はない。展開して、少し軌道修正したらそこからはもう流れるままでいいんだよ。お前の場合、最初から最後まで制御しようとしてるから、他のことが疎かになってる。攻撃を避けられず、第二波も撃てないで一方的にやられる。注意力散漫って言うか、集中し過ぎで何も見えてないって感じだな」
「……なるほどね。道理で私の弾幕が近付いても、避ける素振りすら見せないわけよ。自分の攻撃と相手の攻撃の両方に割り振らなくちゃいけないものを、一つだけに集中させた結果があれってわけ……」
言われて思い出してみれば、確かに霊夢は展開された弾幕を細かく操作しているという風には見えない。感覚で全てを行ってしまう霊夢は特にそれが顕著だが、一回の弾幕は一回の攻撃に過ぎないとは言っていた記憶がある。複数の攻撃を噛み合わせることに弾幕の戦略があると。
結局は天才の直感理論だろうと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。天才に対する苦手意識がここで発揮されることになるとは思っていなかった。
まあ、霊夢と都運に実力差が有り過ぎて、助言を全て実践に反映など出来るはずもない話ではあった。魔理沙に言われた今でもそれを実行できるかと言えば何とも言えない。結局どんなことであろうと最終的には反復練習こそがものを言うのだから、一月練習した程度の都運ではたかが知れている。
結局のところ、時間が少ない。
「まあとは言えだ。結局本人がそう認識してればどんな攻撃だろうとスペルカードにはなる。極論、弾幕じゃなくてもな。妖夢とかは剣使ってるし、アリスとかは人形使ってるだろ?」
「……そうですね。魔理沙さんも箒に乗ったままで突進したりしますもんね」
「だな。要は、独創性こそがものを言うわけだ。霊夢に教わるのは良いが、さすがにここらが潮時だろ。後はお前が、自分で見つけていく必要がある。強くなりたいなら、自分で進め」
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「というわけで、一月に渡る僕の修業は終わりを告げました。が。正直言って僕は独創性とか皆無でして、そこで少し、助言を頂きたいと思って。あ、お茶ありがとうございます」
「いえ、あ、お菓子もどうぞ。なるほど、まずはお疲れさまでした。よく霊夢に一か月も付き合いましたねと労わせてください。感覚と直感で動く霊夢の言葉ほど助けにならないものもありませんからね」
「それを軽々しく肯定すると後で痛い目を見そうですね……。霊夢さん、勘が鋭いですから。不意打ちとか絶対に通用しない感じですよね。そうなると、いよいよ幻想郷最強、ということになるんでしょうか?」
「まあそうですね。私自身が既に霊夢に破れている故に、あまり何かを言える立場ではありませんが、贔屓目なしで見ても最強の一角に食い込んではいるでしょう」
「一角、ですか? 一強ではなく。他にも、最強と呼べる人物がいると?」
「貴方の身近にもいるじゃないですか。紫様なんかはその筆頭ですよ。霊夢とどちらが強いのかというの疑問には、分からないと返すしかありませんが」
「確かに、霊夢さんと紫様が全力で戦うことは無いでしょうからね。ここ一月で理解しましたが、紫様、霊夢さんの事、溺愛してるみたいですし」
「ですね。どういう関係性なのか具体的には知りませんが、あの溺愛っぷりは見ていて逆に清々しいほどです。隠そうともしていないという点において」
霊夢の下での修業期間を終え、自由の身となった都運はその足で白玉楼を訪れていた。そこまで気軽に訪れていい場所でもないが、妖夢が多くの仕事に忙殺されている以上、話そうと思えば都運の方が訪ねるしかない。別に都運が訪れれば妖夢の仕事を軽減させられるということではなく、妖夢の仕事の一部を都運が手伝い、その空いた時間をお喋りの時間として使っているのだ。
妖夢は自分自身で仕事を無駄に増やしているきらいがある。真面目な性格ゆえの悪癖として片付けるには少々深刻な問題だが、現状で困っていることが無い以上、都運がそこに口を出すことは無い。
一週間に一度くらい訪問して、妖夢の負担を少しだけ軽減するぐらいしか都運にはできないというのが現実である。
別に妖夢本人に頼まれたわけでも、西行寺幽々子に頼まれたわけでもない。都運の個人的な判断による行為だ。しかし、それを突き詰めていくと、都運にとってこれは暇つぶしだったりする。それ以上でもそれ以下でもなく。
「しかし、助言ですか。残念ですが、天才という範疇に含まれなかった私からできる助言と言えば、努力あるのみ、といった具体性も何もあったものではないものになってしまいます。……悔しい話ですが」
「天才……、僕からすれば、お二人とも雲の上の存在過ぎて、妖夢さんと霊夢さんにそこまでの差があるようには感じ取れないんですけどね。そこもまた、歯がゆいところと言いますか……」
「こちらに来てまだ二月、修業を始めてからはまだ一月でしょう? むしろ、一切慢心していないという点で充分とすら言えます。どんな生物でも、急に力を持った者はその力に溺れる。生き物の業です。しかし貴方にはそれが無い。それはとても素晴らしい素質です」
「褒めていただけるのは素直に嬉しいんですけど、そもそも慢心できる環境ではないというか……。紫様や霊夢さんを見ていると、自分が塵芥に思えてしょうがない。十把一絡げの木っ端妖怪だと」
「……ああ、なるほど。失念していました。よく考えれば、霊夢にしろ魔理沙にしろ、紫様にしろ藍さんにしろ、褒めて伸ばすという性格ではありませんでしたね。むしろ苦境に立たせることで成長を促す、という方針の持ち主、というべきでしょうか」
実際それは正しい。魔理沙は割と合理主義者なので、具体的な理論や計画に基づいてなにかの強化を行っていく性格だが、霊夢に関しては真反対の感覚主義者だ。実戦を行えば際限なく強くなってしまう博麗の巫女にとって、計画性など無用でしかない。
指導者としての資質は正直言って皆無な霊夢だが、目の前に立ち塞がる壁としての役割ならばこれ以上の適任はいない。霊夢を相手に修業をして、強くなったなどと調子に乗れるものはこの世にいないだろう。
都運の自尊心がそもそも弱いというのも原因の一つではあるものの、それと反比例するように精神が強いというのが、現在のややこしい状況を作り出してしまっている。
すなわち、弱いという自覚はあるが傍から見れば十分強いという状況を。
繰り返すが、スペルカードルールを用いない通常の戦闘であるならば、都運の現状は十分なのである。
「スペルカードルールを前提として考えているゆえに、貴方は袋小路に迷い込んでいるとも言えます。単純な戦闘においてならば、幻想郷内でも中堅くらいには食い込めるでしょう。ですからそこまで気落ちする必要はありませんよ」
「……これで中堅なんですか? 一月の間霊夢さんに負け続けてただけなんですけど……」
「毎日霊夢と戦っていたのなら、その効果を自覚することはまず無理でしょう。その自覚をさせることすらなく、おそらく戦いは終結してしまいますからね。霊夢は手加減はしませんが、手は抜きます。成長に合わせて抜いていた手を少しずつ戻していたのなら、成長の実感なんて無くて当たり前ですよ」
「……確かに全然なにも変わらないなあとは思ってましたけど。僕と霊夢さんの間の差が全く変化してなかったからってことなんですか?」
「都運さんの妖力量を見る限り、おそらくは。勿論、紫様の従者としてならばまだまだ力不足でしょうけれど、それはこれから少しずつでもどうにでもなる話です。成長というのは、理想と現実の差異を少しずつ修正していくこと。自分の中に自分の理想がある限り、成長が終わるということはありませんから」
「……理想、か」
都運の呟きは確かに妖夢の耳に届いた。影を帯びたその言葉の真意を追求しなかったのは、聞くべきではないと思ったからだ。確かに、現状都運のことを幻想郷で一番理解しているのは妖夢だろう。以前霊夢に話した兄弟の話も、三週間ほど前に本人から聞いている。
それに関わること、なのだろう。都運にとっての理想像というのは。
妖夢にもある程度の想像はつく。天才である兄姉に抱いている劣等感は、都運にとっては憧れと同義だ。ならば、彼の中にある理想は、兄姉の姿でなくてはならない。だが、それは都運が十年以上を費やしても届かなかった背中であり、到達を諦めた場所だ。
理想に追いつかない現実に絶望したから、都運は今ここにいるのだ。
だから、普通であれば妖夢の言葉は失言だった。
妖夢自身はそう思っていないが。
「……時として、届かない理想もあります。精一杯手を伸ばして、それでも届かない、そんな理想が」
「…………」
「それでも、手を伸ばした分だけ近付きます。届こうと思った分だけ成長できます。挫折しただけ立ち上がれます。少なくとも私は、師匠にそうやって追いつこうとしてきました。未だに、背中も見えませんが」
「……辛く、ないですか? それは、太陽に追いつこうとしているような、虹の根元を見に行くかのような、不毛な行為だとは、思わないんですか?」
「それが不毛かどうかが分かるのは、おそらく私が死ぬ直前でしょう。ああ、やっぱり、って思いながら死んでいくのかもしれません。でも、それは今ではない。何かを行う前から後悔は出来ない、それだけです」
「……行動しなきゃ、後悔も出来ない、ですか。……正しいなあ」
正しいことが正義かと言えばそれはまた別問題だが、少なくとも、行動に移す前から諦めるよりは絶対に正しい。そんなことは分かっている。分かっているのだ。だが十年の積み重ねは軽くない。
生まれながらについた差を認識した時から、都運の負け戦は始まっていた。伸ばした手は兄姉の背中に添えられることなく垂れ下がり、前を見ていたはずの目はいつの間にか足元しか見れなくなっていた。
届かない理想は、自分が一歩進む間に地平線の向こうへと消えていく。
いつしか、追いかけることもしなくなった。できなくなった。
無駄だと気付いてしまった行動をいつまでも続けられるほど、都運の心は強くなかった。
「結果の実らない努力ほど虚しいものもない……、妖夢さんはそう思いませんか?」
「努力ならば全てが実るわけではないというのは、かなり昔に理解しました」
「生まれた時に、教えてくれてればなあ……」
心底思う。もしそうであったならば、生きている時よりも自殺した後である今の方が幸せだなんて感想は、絶対に抱かなかっただろうと。
あの不幸の日々があってこその今だと思っても、その日々に感謝は出来ない自分が、酷く惨めに思えた。