東方迷子譚   作:甲光一念

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2 迷い家

 八雲紫、という、妖怪の名を知らないものは幻想郷にいないだろう。それは人とか妖怪とか関係なくそういうことであるし、そこが揺らぐというのは幻想郷が今の形を保っている限りはあり得ないことだ。なんだったら外の世界の妖怪だって八雲紫のことは知っている。それほどまでに彼女は有名で高名だ。

 しかし、そんな彼女のことを知らない者もいる。知っている者からすれば常識知らずと言われても仕方がないようなことでも、生きるうえでその知識を必要としない彼らはそれを知らない。

 外の世界の人間――郷瓜都運は八雲紫を知らない。

 魔女と巫女がその名前を口にしても、この辺り一帯の地主さんか何かだろうかと思う程度には知らない。全くの無知である。だからこそ逆に言えば、その程度のことも知らないままに、数多の妖怪が蔓延る森から抜け出し、人里に辿り着いて、魔女に助けられ、巫女と合流して、彼女の下へと向かっている現状は、奇跡と呼んでいいものだ。

 彼にしてみれば、今自分が跨っている箒、それを浮かせているのだろう前に座る魔女と、そういった道具も使わずに完全に自立した飛行をしている巫女の方がよほど、奇跡と呼ぶに値するものではあるが。

 魔女――霧雨魔理沙の肩を掴んでいるだけなので、本来ならばもっと体の重心が不安定になってもいいはずなのだが、異常なほどに都運の身体は安定していた。頼りない箒の柄に座っているとは思えないほどだ。いや、まあ、痛いは痛いのだけれど。

 しばらく無言で結構な距離を飛んでいたのだが、無言状態を気まずいと思ってしまうのは現代人の性か、あるいは彼の性格か。なにか適当なことを言ってみようと思った。

 

「……あのー」

「ん、どうした?」

 

 前に座る魔理沙は返事をしてくれたものの、横を飛んでいる巫女――博麗霊夢はこちらを見ることさえしない。ある意味では、現代人らしい性格と言って言えなくはないが、これは多分、ただ単純に都運に対して興味がないだけだろうと思う。

 

「えっと、博麗さんって、あの神社の巫女さんなんですか? 確かあの神社も博麗神社とかって……」

「そうそう。博麗の巫女、博麗霊夢。って言っても、巫女らしさとかは欠片もないけどな」

「うっさいわね。そもそも巫女らしさって何よ」

「神聖さとかそういうのじゃないか?」

 

 都運の疑問に答えたのこそ魔理沙だったが、魔理沙の軽口に霊夢は言葉を返した。不機嫌な人特有の語気の荒さのようなものがなかったので、やっぱり自分に興味はないんだろうなと思いつつ。

 

「僕の知ってる巫女さんの格好とはずいぶん違ったので、なんだか不思議な感じです」

「……どっちかって言うと動き易さ重視なのよ。足の先まで袴で覆ってたら動きにくいでしょ」

 

 返事はまた来ないだろうと思いつつ発された言葉だったので、霊夢が口を開いたのに軽く驚く。どうやら会話自体は普通にしてくれる気はあるようだ。魔理沙に呼ばれた時から機嫌は悪そうだったので、先ほどから何度か耳にしている紫という人に会いたくないとかかもしれないなと思った。もしくは空腹か。

 空は少し前に黒に染まった。田舎なだけあるということか、星がやたらと綺麗に見える。そういえばなんだか心なしか空気も美味しいような気がしてきた。今更感が凄いが。

 しかし実際のところここはどこなんだろう。何回か聞いてはいるのだが答えてくれる気配が全くと言っていいほど無い。ゲームとかでよくある禁じられた土地とかなのだろうか。その割には随分と気さくな魔女ではあるが。

 

「あのー、先程仰ってた……紫さん? ですか?」

「うん?」

「その人に会いに行くとどうなるんですか? 最寄りの町までの道とかを教えてくださるとかそういう感じでしょうか?」

 

 会いに行くという行動ばかりが先行して、会ったらどうなるかを聞くのを忘れていたことに今更思い至る。地主か何かかと思っていたところで完全に思考が止まっていた。名前から推測するに女性だと思うのだが、こんな時間に会いに行って大丈夫だろうか。

 今から町まで強制サバイバル紀行とかは勘弁してほしい展開である。

 そういえば丸々二日ほど何も食べていないが、特に空腹感はない。異常な状況に見舞われると人間は意外と死の危険を忘れるのかもしれない。サバイバルをすることになったらまず一番にすべきなのは食料の確保だなと、ふざけ半分で想像する。

 

「あー……具体的にどうなるかを説明するのは難しいんだけど、まあ悪いようにはしないだろ。少なくとも野宿よりはよっぽど安全だと思うし、死ぬ心配も多分ない」

「……なんか、言葉の端々から不安が滲み出ているんですが……」

 

 まあとか、思うとか、多分とか、人を不安にさせる単語をよくもまあそんなに羅列してくれるものだ。遭難した少年を無条件で助けてくれるような心優しい人はいないだろうというのはなんとなくわかるが、なんだかさっきから引っかかる部分が多い。

 特に、外から来たという言葉。

 外から来たのが自分だというのは分かる。だが、このご時世、そんな明確に外だの中だの言う山村があるものだろうか。というか本当にここはどこなのだろう。

 確か自分は山を登っていたはずだ。登山コースとかではない、獣道しかないような田舎の山に。誰かの所有している山とかだったのかもしれないが、わざわざ確認を取っている時間も惜しかった。急いでいた。別にぬかるんでいるということもなくスムーズに山を登っていたはずだ。

 それで、どうしたのだったか。

 森の中で目が覚めるまでの記憶がすっぽりと抜け落ちている。荷物が全部なくなっていたということはやはり、誰かに襲われたとかだろうか。急勾配を転げ落ちたとかならば、服がもう少し汚れていなくてはおかしいし、あんな森の中で目を覚ましたことの説明がつかない。

 山を登っている自分を誘拐した誰かが、わざわざあそこまで運んだという可能性はどうだろうか。理由は後で考えるとしても、方法が分からない。確か最後の記憶では昼頃だったはずだ。腕時計を見たから間違いない。だが、目を覚ました時も昼頃だった。

 一日も気を失っていたというのだろうか。

 その割には体のどこも痛くない。傷跡があるわけでもないし、スタンガンを当てられたような火傷の跡もなかった。

 理屈じゃ説明がつかない。

 まるで、神隠しにでもあったような気分だ。

 というかそれ以上に。

 当たり前のように、生身で、箒で、空を飛んでいるこの少女たちはいったいなんなのだろうか。

 

「おっ、見えてきたな」

「…………?」

 

 魔理沙の言葉に反応して、少し体を傾ける。バランスが崩れないか心配だったが、どうも謎の力でバランスは保たれているらしい。

 少し遠くに見えたのは、まるで昔の豪邸。京都に建っている大きい家のような、和風の建築物。

 やっぱりこの辺りの地主なのではないかと、都運が思ってしまうのも、まあ仕方ないことだった。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 玄関から入るのではなく庭に着陸したあたりに、紅白と白黒の遠慮のなさを感じた都運だが、それ以上に慣れているとも感じた。昔のような生活ぶりや、立派な神社の巫女なんかを見るに、この二人はひょっとしてあの人里で結構偉い立場なのではと思う。

 だが、箒の柄の痛みから解放され、なんだか悪いことをしているような気分になりつつ庭に足を付けた都運は、建物の縁側に目を向け、離せなくなった。

 そこに座っていたのは、紫色のドレスを身を纏い、金髪の髪を夜風に靡かせた、とても美しい女性だったからだ。

 注視するのは失礼だというのは理解していても、目線を逸らすことが出来ない。目線を逸らすことの方がむしろ失礼なのではないかと思ってしまうほどに、目の前の女性は美しく、それ以上に儚かった。

 今すぐにでもこの場から消え去るのではないかと疑ってしまうほどに。

 紫、というのがこの女性であると、言われなくても理解することができた。

 

「あら」

 

 女性が声を発したタイミングでようやく顔を動かせるようになった都運は、誤魔化すようにすぐさま視線を左右へと動かす。何回か目はあってしまったので誤魔化せるわけもないのだが、気恥ずかしさからくるささやかな抵抗というかなんというか。

 

「霊夢に魔理沙じゃない。こんな夜更けにどうしたの?」

「夜更けってほど更けてないと思うが……、まあ遅くに尋ねてきたのは素直に謝るが」

「それにあんただって無責任ってわけじゃないんだから、仕方ないと思って」

 

 そう言うと、三人はほぼ同時に都運の方へと顔を向ける。和風の豪邸など間近で見たことのなかった都運は、思った以上に荘厳な建物にも目を奪われてしまっていて、その視線に気付かなかった。

 だが、三人の会話が途切れたことはおかしいと思ったのだろう。顔を横に向けると、魔理沙がこちらを顔を向けていて軽く驚く。

 紫の視線にもその段階で気付き、前を向きなおすと口を開いた。

 

「えっと、は、郷瓜都運です。きょうって読む方の郷に、胡瓜とかの瓜、都に運ぶで、郷瓜都運、です。人里で困ってたところを、霧雨さんに助けていただきまして。じ、実は、気付いたら森で倒れてたりなんかしてて、えっと……よろしければ最寄りの町なんかの場所を教えていただけると助かるなーと、いう、話でして……」

 

 改めて考えると、自分の置かれている状況が奇妙過ぎて上手く説明ができない。ただでさえ見られて緊張しているというのに、話す内容さえあやふやではもうどもるしかない。

 だが、紫はその話に引っかかるものを感じた。

 

「はじめまして。八雲紫ですわ」

 

 やはり彼女が紫さんだったらしい。いや、八雲さんが正しいのかと内心で考えつつ、そういえば全く会話が嚙み合ってないということも考えた。まあ自己紹介は大事だしとは思うものの。

 

「……郷瓜さん、一つお尋ねしてもよろしいかしら?」

「え? あ、はい」

 

 逆に質問されるというのは予想の範囲内ではあった。もしここが排他的な村とかだった場合、どうやってこの場所までたどり着いたとかそういう不穏な質問をされてもおかしくないだろうなとはなんとなく考えていたからだ。

 霊夢と魔理沙は、紫の言葉に少しだけ戸惑っていた。

 外から幻想郷へと人が迷い込んでくる事象は、『神隠し』と通称される。目の前の少年もその例に漏れるものではないはずであり、問答せずとも外の世界へと送ってしまっていいはずなのだ。

 八雲紫にはそれをなしうる力がある。

 都運はそんな二人の様子に不思議を感じた。

 彼からすればこのような問答が行われるという展開は言ってしまえば予定調和であり、空を飛んでいる最中も想像できたものだった。だが、ここまで自分を連れてきてくれた二人は戸惑っている。

 問答無用で自分をどうにかしてしまうつもりだったのだろうか。同年代に見えたが人とは何を考えているか分からないものだなあ、なんて冗談半分に考えつつ、質問を待つ。

 

「森の中で倒れていたと、言っていましたね?」

「……はい」

「どの辺りかというのは、わかりますか?」

「えっと……すみません、適当に進んでただけだったので……」

 

 見覚えのないのどかな森からどうにか町まで辿りつこうと必死だったので、道中に目印をつけるなんていう発想もなかったし、ただひたすら真っすぐ進んでいただけだったとは言っても、もう途中に見た池の場所もわからない。もう一度手探りで地図なしハイキングでもすればひょっとしたら戻れるかもしれないが、戻りたくはない。

 紫は扇子を広げ、口元に当てる。

 その様子が恐ろしいほど様になっていることに、実際に微かな恐ろしさを感じる都運。

 

「……倒れていた場所から、人里までどのくらいの時間歩きましたか?」

「……四十分、くらいですかね。多分。日の傾きかた的に……」

「……四十分?」

 

 黙っていた霊夢が声を上げ、都運がそちらに顔を向ける。面倒臭そうな表情を浮かべていた顔には、都運に対する明確な疑念が浮かび上がっていた。

 そんなに変なことを言った覚えのない都運としては、そこまで疑いの眼差しを向けられても困るのだが、やっぱり日の傾きかたとか適当なことを言ったのが原因だろうか。いや、でもそんなに大きくは間違ってないはずなんだけどと、心の中で自分に言い訳。

 少し沈黙。自分から謝るべきなのだろうかと都運が考え始めたとき。

 

「霊夢、魔理沙、貴女たち今日は帰りなさい。説明はまた今度するわ」

「…………」

「……わかった。でも、こいつはどうするんだ?」

 

 都運を指さしながら魔理沙が言う。やはりサバイバルだろうかと思っていると、この場の誰にとっても予想外の一言が飛び出した。

 

「今日はうちに泊めるわ。色々と聞きたいこともあるし……いいかしら、霊夢?」

「……説明はしてもらうわよ」

「わかってるわよ」

 

 そう言うと霊夢はさっさと飛んで行ってしまった。巫女服の形的にスカートだったので、振り向くわけにもいかず視線をウロウロさせていると、魔理沙がこちらに手の甲を向けた。反射的に同じ動作をすると、霊夢の後を追って魔理沙も箒に跨って飛び去っていった。

 ようやく、じゃあなっていうジェスチャーかと思い至ったときには、この場に二人だけになっていた。

 これだけ大きい屋敷に一人で住んでいるわけもないだろうとは思ったので、そんなに二人きりという感じはなかったのだが、見知らぬ女性であり、なにより不気味なほどの静けさという状況は、都運を不安にさせるのに十分だった。

 

「上がりなさい。玄関からね」

 

 気付いたときには紫はもう立ち上がっていて、畳んだ扇子で右を差していた。そういえばここ庭だったなと思いながら、曖昧な返事を返し、奥へと消えていく紫を横目に玄関へと回る。

 歩きながら考える。

 これからどうしようかと。

 さっき紫は、都運をうちに泊めると言った。なんだろう。口封じ的なこととかされちゃうんだろうかと冗談めいたことと並列で、真剣に考える。正直言ってそこまで迷惑をかけるつもりは都運にはなかった。少なくとも、厚かましくも誰かの家に一晩お世話になるなんてことは微塵も考えていなかったし、そうするくらいならサバイバルの方がましだとさえ思う。

 今泉影狼との邂逅の際にも述べたが、彼は恩を受けるということを嫌っている。

 嫌っているがゆえの登山の決行、とも言えた。

 彼の心情的には断るのが正解なのだが、先程、色々聞きたいことがあると言っていた。それがなんなのかは予想すらできないが、まともに答えられるような質問があるだろうかという懸念はある。

 気絶するまでの経緯も、人里までの道のりも、何も覚えていないのだから。

 だがまあ、質問には答えよう。

 親切にもここまで連れてきてくれたあの二人の少女に明日お礼を言って、どうにか頑張ってこの山村から出て行こう。

 そう思いながら、目の前の玄関を見つめる。

 当然のことではあるが、インターホンのようなものはない。人の家の玄関を開けるというのはどうにもなんだか嫌な感じがしてしまうのだが、上がれと言われた以上開けないわけにもいくまい。

 

「お邪魔しまーす……」

 

 鍵の開いていた玄関で、弱々しい声を出しながらカラカラと引き戸を開ける。

 

「いらっしゃい」

 

 戸を開けた直後、そう声をかけてきたのは、さながら陰陽師か、法師のような格好をした女性だった。頭には角のような、あるいは昼間に見た女性のような、二本の尖がりがある帽子をかぶっていて、そういえば紫も帽子をかぶっていたなと連想する。

 

「私は八雲藍。まあ、紫様の従者のようなものだ」

「あ、郷瓜都運です。こんな遅くにすみません……」

 

 名字が一緒なのに従者という部分に引っかかるものはあったが、きっと複雑な家庭の事情なんかがあるのだろうと自分を納得させる。

 

「紫様が許したんだ。お前に文句を言う権利は私には無いさ。ついてこい、紫様が待っている」

 

 そう言うと藍は都運に背を向け、さっさと廊下を進んでいってしまう。慌てて都運は靴を脱ぎ、あとを追いかけようとするが、その途中で動きが完全に止まる。

 藍の背中。いや、腰の下あたり。

 そこに付いている、いや、普通は付いていないそれ。

 狐の尻尾――九本の尻尾。

 これは、複雑な家庭の事情なんかが、あったりするのだろうか。

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