「……こうなっちゃうのか」
太陽も沈んだ頃、神社の境内では都運が肩を落として項垂れていた。もうじき宴会の開始時刻らしい。これはもう今から帰るのは無理だというのを悟らざるを得なかった。というか、ここまで来れば都運にも想像は付いていた。藍なのか紫なのかは分からないが、おそらく今日に限って博麗神社に行くのを許してくれたのはこれが目的だったのだろうと。
勿論、都運の要望を聞き入れるという意味合いもあったはあったのだろうが、本筋はそっちだろう。何の為かは分からないが、宴会に都運を参加させようとしたのはここに藍がいないという事実からほぼ確定的だ。
何の為か。
考えるまでもない。都運に掛かっている幾つもの疑いに対しての措置だろう。直感的に都運はそう理解していた。なんだったら先週白玉楼に連れていかれたのだって、自分に対して向いている疑念から生じているものだというのはとっくに理解していたが、まさかお礼をしに行く機会をそれにされるとは予想していなかった。
宴会があるなんて知らなかったのだから回避できるわけもない。
「なにがだ?」
「……いえ、何も無かった境内も、机とかを並べるとちゃんと雰囲気出るなと思いまして」
「そうだな。それなりに数が来るから割としっかり準備しとかないと不満が出たりするんだよ。無駄に味に煩い奴とかもいるし。そういう苦情は大抵霊夢が受けることになるから、あんまり私は関係ないけどな」
「でも、霧雨さんも料理結構手伝ってましたよね?」
「でも、やっぱりそう言うのは霊夢の役割なんだよ。そのほうが面白いからな」
現代で言ういじられキャラみたいな感じなのかとも思うが、都運の中にある霊夢のイメージとそのキャラがどうしても結びつかない。言われてみれば確かにさっきも魔理沙は霊夢をいじっていたが、どうしても腑に落ちない。まあ、果たして自分が霊夢のなにを知っているのだろうとも思うが。
本人がそういう立ち位置を受け入れているのならば、そこに他者が介在する余地はない。幻想郷の人間関係――というか、生物関係を全くと言っていいほど知らない都運が霊夢の性格に口は出せない。
実際、霊夢は現状の改善よりも現状維持を念頭に置くタイプだからこそ、下手に関係性や立ち位置を変化させない立ち回りをしているのだ。幻想郷の住人は誰も彼も、いつ暴れだしてもおかしくないような不安定な面々ばかりなのだから。
「じゃあ、私はちょっと霊夢を見てくるから、あと任せていいか?」
「はい。えっと、机に布を被せておけばいいんですよね?」
「ああ。よろしくなー」
「…………妖怪神社、か」
幻想郷に来たあの日、魔理沙に連れてこられたこの場所で感じた妙な気持ち悪さは、今も確かに都運を襲っていた。吐き気や怖気がするような類の気持ち悪さではないのだが、なんと言うのだろう。
違和感がある、というのが一番近い表現かも知れない。
全体的に立派な神社であることは間違いないし、歴史があるのも見れば分かるほどなのだが、都運からすれば、博麗神社に参拝客が来ないのは当然の結果であるようにすら感じる。
妖怪神社だからではなく、博麗神社だから人が少ないような。
まあ、催し物がある際――以前の例で言うと、花見や酉の市らしい――は、結構な数の人が訪れるとは魔理沙が先ほど言っていたが、そうでなければ来ないというのは、やはりこの限られた空間の中では異常なような気がするのだ。
妖怪が存在し、化学が侵入していない未開の地において、神に縋ろうという人が少ないというのは一種の緊急事態なのではと思わずにはいられない。
現代の人間の主な信仰対象が科学であるように、なにかしらの信じる物が生きる上では必要不可欠だ。
狭い生活範囲の中で、幻想郷の人々はなにを拠り所としているのだろうか――と、そこまで考えたところで、二週間前のことを思い出した。
人里に辿りついて一番最初に恐怖を感じたあの時の声。
宗教の勧誘だと思ったあの言葉。
あれは明らかに霊夢の声ではなかったし、霊夢にそもそもあんなことをするようなやる気はないだろう。信仰という単語が聞こえたが、人里に住む人の多くはもしかしてその宗教を信仰しているとかだろうか。
ありえない話ではないが、数多くの異変を解決していて、幻想郷を安定させている霊夢よりも信頼のある人物なのだろうか。あの時の少女は。
机に布を掛けながら、沈み行く夕陽を見る。
「綺麗だなあ……」
「ですねえ……」
「――うわっ!?」
「あ、驚かせちゃいましたか? どうもすみません。随分とボーっとしていらっしゃったので、大丈夫かなと思いまして。こそこそと入ってきたつもりはないんですが」
「あ、いえ、こちらこそ気付かずに……、大声出しちゃってすみません」
いつの間にか都運の近くにいたのは、霊夢と多少だが似た服を纏った少女だった。少し独特な色の髪を伸ばし、ユニークな髪飾りが二つ。一つは蛇、一つは蛙。全体的に白っぽい装束が霊夢とどこかしら対極的であるように感じた。
一番都運が引っ掛かったのが、目の前の少女の、いわゆる現代っぽさだった。別に誰かと比べたわけではないが、何処か垢抜けた感じと言うか。
そして、目の前の少女の声には確実に聞き覚えがあった。今まで思い出していた、宗教の勧誘をしていた少女の声だ。
霊夢と似たような格好ということは、もしかして巫女なのだろうかと思うが、少なくとも博麗神社の巫女ではないだろう。となると他にも神社があるのか。
「えっと、二週間前にここに迷い込んでしまった、郷瓜都運と言います。幻想郷の郷に、胡瓜とかの瓜、都を運ぶで、郷瓜都運です。今は紫様の屋敷にお世話になっています」
「らしいですね。魔理沙さんから聞いています」
「え?」
「断片的な情報だけですけどね。この間外来人を見つけたから、里に見慣れない奴がいたら多分そいつだとも言っていました。それに――何処からどうやって入ってきたか分からないとも」
「――それ、僕に話していいんですか?」
「ええ。聞いてるでしょうし、気付いてるでしょうし。違いますか?」
「…………僕からは何とも」
「ですよね。あ、申し遅れました。私は東風谷早苗と言います。東の風の谷に、早苗はそのままです」
目の前の気さく――というか、パーソナルスペースを気にしない感じの少女に、正直都運は面食らっていた。嫌いなタイプではないが、苦手なタイプだ。なんだかこっちを見透かしたかのように、自信満々に会話を進めてくる。気がつけば主導権を握っているタイプとも言える。下手をすれば魔理沙よりも傲岸不遜なのではなかろうか。
まあ逆に、都運に得意なタイプなどいないのだが。
「東風谷さんは、宴会に参加しに?」
「ええ。さっきまで参加するかどうか悩んでたんですけどね。霊夢さんに聞きたいことが出来てしまったのと、もう一つ目的がありまして」
「目的?」
「貴方に会いに来たんですよ。私も元々外に住んでいた身なので、何か困ってることがあれば相談に乗れるんじゃないかと思いまして」
「…………え?」
少女説明中。
「神様二柱と神社ごと、ですか。なんていうか、途轍もないですね。にわかには信じがたい話と言いますか……」
「まあ、今度守矢神社に来てくださいな。ご気軽なご参拝を私はいつだって歓迎していますから」
「……でも、僕そんな話聞いたことないですよ、外で。神社が本殿ごと、忽然と消滅したなんて、結構な大ニュースだと思うんですけど……。バレないような細工を施してきたとかですか?」
「……まあそれもありますけどね。でも結局、一番の理由は、誰も神社に来ないからです。私たちが幻想郷に来たのも、守矢神社の消滅に誰も気付かないのも、人が神様を信じなくなってしまったからなんですよ」
「人が、信じなくなったから、ですか」
妖夢が言っていたようなことだろうか。妖怪の存在は人間在りきであると。人間が信じなければ、忘れてしまえば妖怪は存在意義を失い消滅してしまうのと同様に、神様もまた、人間からの信仰を糧として成立している存在だ。
科学に傾倒し、偶像崇拝にのめり込む、そんな現代人に神を信じろと言っても無謀ではあると思うが。
ある意味これは、外の世界の人間が神様を見限ったとも、神様に見捨てられたともとれる。
妖怪と同じく、人間とどちらが優位なのかが判然としない。
共存か、共依存か。
共生か、強制か。
どれにしたって、結局現代社会で通じないような関係性には変わりがない。ビジネスライクとギブアンドテイクが求められる世の中で、神を本気で信じる者なんて皆無に近いだろう。
「神奈子様も諏訪子様も、結局は人からの信仰無くしては神性を維持できませんから。人の見ていない神はその存在を保てない。捨てる神あれば拾う神ありなんて言いますけど、実際、捨てられる神ばかりですよ。神様の国日本は、一体どこに行ってしまったのやら……」
「……形が変わっちゃったんでしょうね。人が信じるもの、心の拠り所にできるものが、あまりにも現代には増えすぎてしまった」
「その通りです。化学は発展し過ぎてしまったし、信じる物も溢れすぎた。それだけです。それだけだからこそ、手の打ちようがない」
「…………」
「ここは、本当に最終手段でしたから」
都運には、守矢神社の三人がどういう衰退を体験してきたのかは分からない。軽率なことなんて言えるわけもない。机に布をかぶせるのを手伝ってくれてる今、沈みゆく夕日を見ながら彼女が何を考えているのかなんてわからない。
親でもなく、兄弟でもなく、二柱の神と共に、ここに永住することを決めた少女の心境なんて、わかるはずもない。そんな無礼で烏滸がましいことを言う気なんてない。
願わくば、ここで死にたいと思っている自分に、そんな資格はない。
――――――――――――――――――――――
「いやー、今回も集まったな! って言っても、いつもよりは大人しい面子か?」
「萃香もいないし、レミリアもいないしね。悪酔いする奴らがいないだけでも、お酒がいつもより美味しく感じるもんだわ」
「賑やかな方が酒は旨いと思うんだけどなあ。都運はどう思うよ?」
「いや、僕はお酒飲めないので……」
「そういえばさっきから飲んでないな? なんだなんだ、遠慮してんのか? どうせどっかから集まってきた安酒やら謎の酒やらばっかだし、ほらほら飲め飲め」
「外の世界では二十歳以下は飲酒禁止という風に決まっていましてですね」
「おいおい、ここは幻想郷だぜ? 外の世界のルールなんか気にすんなよ」
「飲みたくない奴に無理矢理飲ませないの。また私の時みたいに早苗がアルハラとか何とか言ってくるわよ」
「アルハラ……、アルコールハラスメントですか?」
「あるこーるはらすめんと? って言うの? マナーがどうとか早苗は言ってたけど、なんの略かは忘れたとかも言ってたわね」
「宴会の場でその単語を出したのになんの略か忘れるって……、逆に凄いですね」
むしろ前時代的であるこの幻想郷において、数少ないコミュニケーション手段である酒を否定することを堂々と言ったのもなかなかに感嘆すべき愚かさではあると思うが。まあ、よっぽど霊夢が強引に飲ませようとしたのだろうと都運は予想する。
前時代的飲みにケーションは現代人の若者には受け入れがたい所があるのも確かだ。
「アルコール……、要するにこれはお酒の事なんですが、お酒に弱い人に対してだったり、立場の弱い人に対して強引に飲酒を進めることをアルハラという風に言いますね」
「店主が店員に大量に飲ませるみたいな感じか?」
「そうですね。この俺の酒が飲めねえのか、みたいな感じだと完全にアルハラです」
「うん、ぴったりあの時の霊夢だな」
「……そんなこと言ったかしら?」
「酔ってる間のことは都合よく忘れるんだよな、こいつ」
昼間の閑散さが嘘のように、日没後の博麗神社は賑やかだった。もはやここは神社ではなく宴会場なのではないかと考えてしまうくらいには、今の方がその本分を果たせているというか。
しかし、なるほど、これは確かに。
真っ当な人間ならば近づくことすら恐れるようになるのも納得できる話だ。
具体的に誰が一体なんなのかまでは都運には分からないが、それぞれが謎の威圧感を放っている。正直言って都運だって、近くに霊夢と魔理沙がいなければこっそりと神社の敷地内から逃げ出していただろう。
都運が周囲を見渡していると、見覚えのある少女が近寄ってきた。
「霊夢さん、少しいいですか?」
「ほらきた」
「はい?」
「いや、こっちの話ですから。気にしないでください」
「はあ。で、霊夢さん、少しいいですか?」
「いいですかって……、ここじゃ駄目なの?」
「まだ不確定な話なので、少し隠した方がいいかと思いまして」
「……わかったわ。全く、気分のいいところに……」
二人の巫女が並んで少し離れた場所に移動したのを見て、都運は自分がいるせいだろうかと思ったのだが、魔理沙が特に何も言わないことから、あの二人のああいう会話はそんなに珍しいものでもないのだろうと推測する。
魔理沙と二人きりの状況を受けて、都運はそういえばと思い出した。
「そういえば霧雨さん、さっきは聞き忘れちゃったんですけど、助けてもらったお礼をさせていただきたいんですよ。なにか僕にできることってありますか?」
「ん? いや、お礼とかそんなの別にいいよ。お返し目当てに声かけたわけじゃないし、むしろなんかそういうのを受け取ると不純になる気がするし」
「ん、それはまあ、確かにそうなんですけど……、命の恩人に何も返さないっていうのは、もう暴挙だと思うんですよ。どんな些細なことでもいいので、なにかありませんかね?」
「些細な、なあ。そういうのって逆に思いつかないんだよな……」
在り来たりなお願いこそ最も難しいという気持ちは理解できなくもないが、そこまで深く考えて欲しいと都運も思っていたわけではない。肩を揉めと言われたら揉むし、草むしりをしろと言われればする。意味のあるなしは関係なく、ただなにかしらの形で恩を返したいというだけなのだ。
ある意味、魔理沙の性格と最も噛み合わないのが都運かも知れない。
恩を返さないと気が済まない都運と、恩を受けることに抵抗のない魔理沙。
「うーむ……、じゃあ」
「はい」
「とっとくっていうのは駄目か?」
「……保留ってことですか?」
「そうなるな。今は特に本当に何も頼むことがないんだ。だからそのうち、私がなにかお前にやってほしいことなんかが出来たら、その時に改めてって感じ」
「……僕はいいですけど、僕が帰るまでにお願いしますよ? 多分、一回出たらもう二度とここには来れないでしょうし……」
「都運ならなんかの拍子にころっと入ってきそうな感じはあるけどな」
「どういうことですか……」
幻想郷になにかが自然に入ってくるのに、適切な方法は一つしか存在しない。
外の世界で忘れられ、存在を認識されなくなること。
つまり魔理沙は、都運ならばいずれそうなるような気がすると遠まわしに言っていたのだが、それを知らない都運はその意味を察することが出来ない。それが悪意在りきの発言だったならば、都運も何かを感じ取ることは出来ただろうが、魔理沙の場合は本心がつい零れてしまったといった感じだ。
ただ、これはほとんど魔理沙の逃げ口上だった。恩とか言われても気まぐれで助けただけの魔理沙からすれば困った話だ。
「……賑やかですね。いつもこうなんですか? 博麗神社の宴会って」
「そうだな。呼んでもないのにどっからか聞きつけてくる奴が多いんだ。だからもう最近じゃ誰かを呼ぶこともしなくなってきたしな」
「…………いなあ」
「…………ん?」
「――いいなあ、こういうのって」
それは、都運の口から余りにも自然に発せられた、紛れもない本音だった。
笑い声、騒ぎ声、そういったものに対して向けられた羨望の混じった視線と、絶対に手に入らないものを見るかのような諦念の混じった言葉。それが都運のどういった経験から来ている言葉なのかは魔理沙には分からなかった。だが、良いものではないというのだけは分かった。
幻想郷に入ってくるのに足る理由が、都運にあったとするならば。
今まで考えてこなかったそれは、果たして。
「……どうせ近い内にまた開かれる。そん時は、私がお前を迎えに行ってやるよ」
「え? ……いえ、遠慮します」
「だから、遠慮なんかしなくていいって――」
「この光景を僕は、きっと一生忘れないでしょうから」
細めていた眼を、都運は閉じた。
それは笑っているようにも見えたし、むしろ泣いているようにも見えた。
人の感情の機微に聡い魔理沙も、今の言葉がどういう意味なのかを理解することは出来なかった。理解させるつもりもなかったのだろうが、それでも、都運は嘘を吐かない。必要以上も望まないし、人に迷惑をかけるのも望まない。
結局、都運が魔理沙にこの時の恩を返すのは遥か先の話になる。
誰も望んでいない形で、仇を返すことになる。
だが現在、そんなことを知らない二人は、ただ隣り合って座っていた。
二週間後の騒乱は、誰も予想できない形で目の前に迫っていて、その予兆となる異常もまた、確実に着々と進行していた。