東方迷子譚   作:甲光一念

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7 半人半妖

 博麗神社での宴会より一週間が経過したその日、郷瓜都運は体調を崩した。ここまで幻想郷で過ごした三週間、ただの一度だって体調不良に陥らなかった彼が、起き上がれない。具体的にどこがどうとかを説明出来るだけの余裕も無いほどに苦しむことになった。

 それはあまりにも突然だった。いつも通りの朝に、いつも通り起きてこない都運を心配した藍が様子を見に行ったらその時にはすでに都運は頭を抱えていた。声をかける藍が目に入っていない、どころか、その声すらも聞こえていないその姿は、藍に謎の危機感を抱かせるには十分だった。

 すぐさま紫に声をかけ、これにどう対応するかを相談した結果、永遠亭へ連れていくことになった。ごく自然な流れではあるが、これは紫が、現在の都運を、月の頭脳である八意永琳に見せる必要があると判断したということでもあった。

 賢者である八雲紫をもってして、外界から這入ってきた人間になにが起こっているかを理解することが出来ないというのは、藍にとってもはや異常事態ですらあった。しかし、生きていることすら不思議なほどに苦しんでいる都運の現状に即してはいて、だからこそその判断を適切だと感じざるを得なかった。

 苦しむ都運を気遣いながら力任せに、紫の隙間を使って永遠亭まで運び、永琳に事情を説明する。何か思うところがあったのか、考えているような素振りを見せながら、都運を寝かせる布団を弟子に用意させた。

 

「で、都運が今どういうことになっているのか、貴女はもう理解しているのかしら?」

「かもしれない、くらいなら四つくらいは想定しているけれど、実際には彼の身体を調べてみない事には分からないわね。ただ、今の段階ではっきり言えるのは、別にあれは病気の類ではないということだけね」

「病気の類ではない。……やっぱり、彼の身体に起こっている変調は――ここ故の、ということかしら?」

「その可能性はあるわ。というか私としては、それが一番あり得ると思っているくらいよ」

 

 紫と永琳が向き合って会話をしているとき、患者を寝かせておく部屋として使われている和室の前で、鈴仙は目を細めた。師匠の様子を見て、なんとなく襖の向こうにいる患者がどういう状態なのかを察した彼女としては、ここからどうなるのかを考えざるを得なかった。

 まあ、まず間違いなく、霊夢が出張ってくるだろうと思う。

 いつの間にか鈴仙の隣にいた藍は、襖の向こうから聞こえてくる呻き声、あるいは叫び声に表情を歪ませながら、呆れた顔を浮かべている元月の兎に話しかける。

 

「鈴仙、あれは――あいつは今どうなっているんだ? 紫様はある程度理解したようで、医者と話しているが、私としてはさっぱりだ。お前の様子から見るに、概ね察しは付いていると言った感じだが」

「……ここから一週間ぐらい、あの人間は苦しむことになるわ」

「一週間? どういう計算で導き出された期間なんだそれは?」

「いや、一週間っていうのは最短でってこと。もしかしたら永遠にあのまま苦しんでるかもしれないし、明日には死んでるかもしれないし、一年後くらいにようやく治まるかもしれないし――ってくらいの適当な話よ。結局、あの人間の順応性次第だから」

「順応性? …………まさか」

 

 目が見えなくて匂いもわからなくて耳も聞こえなくて自分がどういう体勢なのかもわからない。身体が浮かんでるんだか埋まってるんだかも判別出来ないし、四肢がきちんとあるのか、五体満足なのかも理解が出来ない。ただ痛い。許容できないほどに。

 どうして自分がこうなっているのかもわからないしこれから自分がどうなるのかもわからない。わかっているのはただただ体調が悪いという事実。どうすればいいとか考えることすらできない身体の内側からの破裂するかのような痛苦。

 昨日の夜まで。いや、こうなる直前まで、別に体調におかしい所は無かった。突然、突如、何の前触れもなく、気付いたらこうなっていた。それすらも思考することは出来ない。自分がどうなっているのかが一切把握できない。

 

「貴女にしては随分と軽率だった……ということになるのかしらね。あるいは、彼自身にそういったものがここに来る前から内在していたのか。どっちにしても、最終的な判断はここでは下せないけど」

「……一応聞くわ。元に戻す手段は?」

「あるわけがないでしょう。分かっていることを確認しないで頂戴。確定的にこの変化は不可逆でしかないし、これは明確な種の変化よ。無かったことにしたいなら殺すくらいしかないと言っておこうかしらね」

「……軽率、で片づけるには、少し大きすぎるわね、これは」

「いいんじゃないの? ひょっとしたら明日には死んでるかもしれないわよ?」

「貴女のそういうところは好きだけれど、貴女のそういうところは嫌いだわ。……失敗を無かったことにしようなんて醜い考えを、私は一度だって持ったことはない。今回も同じ。管理者として、今回の件には向かい合う義務がある」

 

 笑いながら吐き捨てた永琳に、きっぱりと紫は言った。結局のところ、それは成立しているようでいて成立していない会話であり、どうしようもないくらいに失敗でしかない。

 八雲紫がなにかを失敗するというのは極めて珍しいことだ。彼女の失敗というのは次の成功のための布石であり、言うならば計算通りの失敗でしかない。しかし、この場合の落ち度は完全に紫にあった。

 失敗を成功と捉える者、失敗を失敗としない者。

 両者のスタンスはまるで対極的ではあるが、両者ともに優秀であるという事実には変わりなく、最終的には成功で終わらせるだけの頭脳を有している。

 しかし今回のこれは、どう転がしても、良いこととして終わらせることは出来ないだろう。

 紫は、そう考えた。

 腕を組んだ藍は、鈴仙に問う。

 

「……都運はまだ、こちらに来て三週間程度しか経っていない。こんな短期間でなるものか?」

「八雲が近距離にい過ぎたのかもね。外の世界の人間っていう耐性のない状態で、大妖怪の間近にいて何の変調も起こさないなんて、希望的観測って言われても仕方ないと思うけど?」

「……もしそうなれば、奴を外の世界に帰してやることも、もはやできない、か」

 

 今現在都運の身に起こっていることは、実際そこまで珍しいことではない。異常なことでもない。彼の生活から考えれば当然の成り行きであり、幻想郷においては自然な結果だ。だが、自然な結果が自然に馴染むかと言えば、それはまた別の話であり。

 問題は、それが幻想郷のルールに抵触するかもしれないという点だ。

 そうなれば、彼女が来る。

 博麗の巫女が、反した命を刈り取りに。

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

 それから、十日後の朝。

 つまるところそれは、郷瓜都運が幻想郷に入って来てから丁度一か月が経過した日の朝ということだ。鳥の囀りで目を覚ました都運は、直前までの苦しみを完全に忘れていた。というか、時間感覚など保っていなかった。いつも通りの朝を迎えたのだと思っていた。

 だが、目が覚めたその部屋は、確かにこの三週間自分が寝ていたのと同じく、和室ではあるけれど、その内装が明確に異なっていた。天井も違う。知らない天井だった。

 寝てる間に別の場所に移されたのだろうかと一瞬考えて、自分の身体の違和感に気付いた。

 なんというのだろう、今まで自分の身体ではなかったものが、とうとう自分のものになってしまったかのような――今までの間違いを正されたような感覚とでも言うのだろうか。

 体調はともかくとして、果たしてここはどこなのだろうか。寝ているうちに外の世界に送り返されたという可能性もないではないが、まあまず無いだろう。そう断言できる程度には都運は紫を信頼していた。まあ、信頼が信用とイコールになっていないのが難しい所ではあるが。

 布団から出て立ち上がり、襖を少しだけ開けて外を覗く。廊下の様子を見ても、ここがマヨイガでないというのは一目でわかった。毎日毎日掃除していればそりゃあ見分けもつくようになる。

 

「……出ていいのかな」

「起きたんだ。おはよう」

「うわあぁ!」

 

 襖と襖の狭い隙間から除いていた都運を廊下側から覗き込む目とその声に驚き、都運は身体を逸らしてそのまま後ろに尻もちをついた。呻き声を上げた後に尻をさすりながら、襖を開けたその少女を見上げる。

 

「…………?」

 

 平たく言えば、その少女は女子高生のようだった。ブレザーとスカート、首元のネクタイにその下のブラウス。ただ、一際都運の目を引くのはその服装ではなく、頭の上で燦然と輝く兎の耳だった。

 さながらバニーガールが如きそのうさ耳は、確固たる存在感をもってしてそこに鎮座していて、一瞬だけだが都運から思考能力を完全に奪った。

 複雑な顔を浮かべた都運に怪訝な顔を浮かべる少女だが、あまりその理由には興味がなかったらしい。ついてきて、と短く言うと、身を翻して廊下を進んでいってしまう。思考能力を取り戻した都運は、置いて行かれてはたまらないとすぐさま起き上がり廊下に出る。

 マヨイガも白玉楼も、一般庶民の都運からすればとんだお屋敷だったが、ここはまた別方向にとんでもない屋敷だというのを歩いているうちに痛感した。そうなるとますます、自分はどうしてここにいるのかが分からなくなってくるのだが。

 それにしても、耳だなあ、と思う。

 藍の尻尾の様に、見はしないが。

 

「あ、今のうちに最低限説明しておくけど」

「え、あ、はい」

「ここは永遠亭。まあ、診療所、みたいなものとでも思って。あんたは十日前に患者としてここに運ばれてきて、今日ようやく目を覚ましたのよ」

「……十日?」

「……時間感覚が曖昧になってるみたいね。無理もないとは思うけど。その辺りの説明もしなくちゃいけないか」

 

 幻想郷というものが存在した時点で、都運の中の常識は大分壊されたような気でいたのだけれど、寝ていたらいつの間にか十日間、二百四十時間、一万四千四百分、八十六万四千秒が過ぎていたというのは、意味が分からなかった。

 押し黙ったままただ後ろをついていく。頭が痛い気がしたが全然そんなことは無かった。むしろ体の調子は信じられないくらい良い感じだ。

 ある程度歩いたところで少女が襖――ではなく扉を開けて部屋に入った。和風の屋敷にそぐわない金属製のドアだったが、続いて入ってみれば理由はすぐに分かった。

 その部屋の中には、外の世界の病院で見るような医療機器が複数並べてあったのだ。

 そして、都運を見つめる女医。

 こっちに来てから常々思うことなのだが、幻想郷の美人率は何なんだ。

 

「そこに座って頂戴。今のうちに貴方に何が起こったかをざっと説明するわ」

 

 片手で示されるまま、女医の前に置いてある椅子に腰かける。

 

「私は八意永琳。ここまであなたを連れてきたのは鈴仙・優曇華院・イナバよ。私が貴方にこうして名前を教えるのは、これからの貴方にこの情報が不可欠だからということを頭に入れておいて」

 

 こうして少し言葉を聞いただけで、目の前の女性の頭が良いということが伝わってくる。今だけでなく、先を見据えて都運に語りかけているというのを感じることが出来る。

 

「えっと、僕は十日間眠っていたとのことなんですが……」

「眠っていた……、まあ、眠っていたのでしょうね」

「なにか、病気とかなんですか? それに、聞いてるとは思いますが、僕は外から来た人間でして――」

「貴方はもう人間じゃないわ。厳密に言えば半分だけどね」

「…………は?」

「郷瓜都運はもう人間じゃなく、半人半妖ということよ。別にそこまで難しい話じゃないでしょう?」

 

 半人半妖という言葉には聞き覚えがあった。紫に連れられ白玉楼を訪れたとき、妖夢から聞いた言葉だ。確か、半分人間で半分妖怪だから半人半妖。幻想郷にはそういう存在が少なからずいるとも聞いた。それがなんだっけ。郷瓜都運が半人半妖と言ったのか。

 都運は環境の変化には敏感な人間だ。自分の周りの些細な変化をいち早く察知できるように昔からずっと生きていた。だが、それは軽く受け入れられる言葉ではなかった。ただ、それを素直に信じればスムーズに考えられることが一つあった。

 目が覚めた直後に感じた、間違いを正されたあの感覚。

 あれは確かに、間違いを正されたのだと。

 永琳の隣に立つ鈴仙は、都運を見て異様な気味の悪さを感じる。脳が現実についていけていないゆえの反応の薄さかと思ったが、そうではない。むしろ、今の自分の状況に得心がいっているかのような様子だ。

 地上では師と姫の、月ではまた別の顔色を窺いながら生きてきた鈴仙は、自分のその見立てがそこまで間違っていないことを確信する。目覚めて今までの僅かな間に、自分自身から何かしらの違和感を感じ取っていたのだろうか。

 

「話を進めるわ。貴方はどうして自分が妖怪になったかの理由はわかるかしら?」

「……いえ、皆目」

「妖怪の傍にい過ぎたのよ。ただの妖怪ならいざ知らず、八雲の傍に長期間い過ぎた。たかが三週間と思うでしょうが、この幻想郷でも比肩する者は少ないほどにあそこの三人の妖力は濃い。外界から来た、なんの耐性もない人間がマヨイガに住んだりしたら、こうなるのは当然の流れとも言えるわ」

「……妖力を、取り込み過ぎた、ってことですか? 中てられたってことですか?」

「中てられた、が正解でしょう。毒素ってわけではないから、影響を受けたと考えるべきね」

「……戻る方法は?」

「ないわ。断言してもいい」

 

 だろうとは思っていた。感覚的に何かを感じていたわけではないが、説明が仕方のないことだと言い聞かせるかのような語り方だったことから、不可逆の現象なのだろうと大方の予想はついていた。

 だが、自分が妖怪から人間に戻る方法がないとなると、それは同時に、ある二つの事実が明確に都運に突き付けられることになる。

 都運はこれから幻想郷で暮らしていかなくてはならなくなったということ。

 外の世界に戻るのが、ほぼ不可能になったのであろうということ。

 それに対して文句、苦情と言ったものは都運にはない。そもそも真っ当ではない手段で幻想郷に入り込んでしまったのであろう都運であるし、これはある意味その報いなのだろうと一応の折り合いをつけることはは出来る。

 だが、自分が妖怪になった事実が誰に迷惑をかけるかという問題はさておくとしても、目の前の医者は、不可欠だと言った。目の前の二人の名前が情報として不可欠だと。

 つまり、他に問題があるのだ。

 全てを見透かしたような医者ですら、多少言い淀むような何かが。

 

「……僕はこれから――……いえ、紫様は現状に対して何か言っていましたか?」

「……それは後で本人から聞きなさい。今貴方が向かい合わなくてはいけない問題は別にあるわ。向かい合って、逃れなければならない大きな問題が。露呈していない今のうちに、ある程度の対策を考えなくてはいけない。まあ、理屈が通用する相手なのかどうかに関しては何とも言い難い所だけれどね」

「相手? ……僕が妖怪になったことで……、僕が半人半妖になったことで、何かしら動く切っ掛けを得る方がいるということですか?」

「切っ掛け、というより、それが本分と言う方が正しくはあるけれど、まあそうね」

「僕が知ってる方ですか?」

「幻想郷にいる以上、知らないなんてありえないわ。会ったんでしょう? 博麗霊夢には、もう」

「……え?」

 

「貴方はどうにかして、霊夢から生き延びる、あるいは、逃げ延びる手段を考えなくてはならないということよ。可及的速やかに、ね」

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