東方迷子譚   作:甲光一念

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8 半死半生

「……博麗さんから、逃げ延びる? 僕がですか?」

「ええ――とは言っても、逃げる必要はないのかもしれないけどね。あの霊夢相手に、今の貴方が真っ当に会話をできるのであれば。あるいは、説得できるのであれば」

「……それは、博麗さんの仕事――幻想郷においての、博麗の巫女としての役割と関係があるんですか?」

「紫から聞いていたのかしら? それとも本人から?」

「……いえ、なんとなくそうだろうと思っただけです」

 

 なんとなくと言うには、都運の言葉はあまりにも核心を突き過ぎていた。とはいえ、別に永琳にはそこまで会話を掘り下げる義理もない。漠然とした回答しか返せないのであるならば、そこに必要以上に食いつく理由もないだろうと彼女は判断した。

 だが、永琳の後ろで疑惑の眼差しを向け続ける兎は、都運の発言をそれなりに重要なものだと判断していた。別に確証があるわけではないが、放置していい類のものではないと漠然と感じた。それこそ漠然とし過ぎていた。こんな曖昧な意見で、師匠の言葉を遮るわけにも行くまいという考えが鈴仙の思考をそこで止めた。

 二人からの多少の疑念を感じながらも、都運は自身の言葉を変える気は無かった。ある程度の予測は付いていたからだ。外から不明な手段でやってきた人間である都運をやたらと警戒していたところに、その予感はあった。

 

「彼女の役割は人間を妖怪にしないことよ。基本的に、この幻想郷においての人間という存在は妖怪にとっての生命線。外から来た貴方に分かり易く言うなら、そうね、血液を体全体に送る心臓だとでも思ってちょうだい。それが集合したのが人間の里」

「……………………」

「理解しているようでなによりだわ。その人間の中から妖怪が生まれるというのが具体的にどういう状態を指し示すかはわかるかしら?」

「……癌細胞、のようなものですか」

「その通り。全ての妖怪が癌細胞だという意味では勿論ないけれど、人里に現れた妖怪は間違いなく有害な存在であり、放置しておけば人間に明確な傷跡を残すことになる」

「なるほど。だから、人間から妖怪になった僕の身が危ない――かもしれない、というわけですか」

「ええ、かもしれない。でも、霊夢に対して警戒するならば、そのかもしれないで十分よ。百聞は一見に如かず――と言うのならば、直に話に行けばいいけど、おすすめはしないわ」

 

 目の前の女性の真剣な顔から、おすすめはしないという婉曲な言い方は、もっと直接的に殺されるだろうと言っているのと同じだと理解した。不器用な示し方ではあるが、おそらくは都運の身を慮ってくれているのだろうことも。

 ただ、その一方で別に死んでも構わないと思っていることも明らかだった。というよりむしろ、厄介事が増えるくらいならばさっさと死んでくれとすら言いたいのだろうと思う。そこまでは流石に下衆の勘繰りだろうかとも思うが、時折目の端に浮かぶ冷徹さは、隠そうともされていなかった。

 都運は、目の前の医者がどういった類の生物なのかを知らない。妖怪なのかもしれないし、あるいは特殊な人間なのかもしれない。だが、少なくとも真っ当な人間ではないということだけは確信することが出来た。至極残酷――ではなく、至って合理的と評するのが正しいだろう。冷静と冷酷が紙一重であるように。

 そもそも、幻想郷に真っ当な人間などいるのだろうか。

 

「……ですけど、半分だけとはいえ妖怪になってしまった以上、僕は外の世界に逃げることもできないのではないですか? 外の世界で生きられなくなった妖怪が集まったのが幻想郷なんですよね?」

「それは正しいけれど、認識としては少し違うわね。その言い方だと外には妖怪がいないように思っているようだけれど、そんなことはないわ。むしろ、結構いると言ってもいいほどに」

 

 そういえば、妖夢は外の世界では妖怪が生きるのは難しい、とは言っていたが、無理だとは言っていなかった。人間が妖怪を信じなくなっているとは言っても、ある程度の人たちは信じているものだからギリギリ生存できているということだろうか。

 というか、全妖怪からの賛同は得られていないのだ。全ての妖怪が幻想郷に移住しているという解釈こそてんで的外れだったと今更思い至る。幻想郷の規模で、全ての妖怪を収容することは果たしてできるのだろうかという疑問はあるが。

 

「更に加えて貴方は半人半妖。今から外に出ても人間社会に解け込むことはそこまで難しいことではないでしょうし、選択肢の一つくらいには入れておいてもいいんじゃないかしら?」

「……つまり、現状僕が取れる選択肢は、外の世界に逃げるか、博麗さんを説得するかのどちらか、ということになるんでしょうか」

「大雑把に分ければそうなるわ。霊夢を説得するというのなら、それ相応の覚悟は必要だけれどね」

 

 結局、どういった選択をするにしたって、紫や藍には意見を仰がなくてはならないだろうと都運は思う。もし厄介事を起こす前に死ねと言うのならばそれに抗う術はないし、抵抗する意思もない。不法侵入者の世話を今まで見てくれた恩返しとしては、少しばかり釣り合わないものではあるだろうが。

 そもそも、自分がこんな所に来た、理由は。

 それだった、はずなのだ。

 

「そういえば、一つ訊いてもいいかしら?」

「え? あ、はい、なんでしょうか?」

「紫から聞いたのだけれど、山を登っている最中にここに迷い込んだというのは本当かしら?」

 

 どこの山だったのかとでも聞かれるのだろうか。確かに、目の前の女医が外から来たのであれば日本地図も把握しているだろうし、具体的に迷い込んだ、入り込んだ場所を聞かれてもおかしくはないが。

 

「……はい、本当ですけど、それがどうかしましたか?」

「貴方はどうして山に登ったの?」

 

 その質問は、今まで誰もしてこなかった質問だった。紫も藍も、霊夢も魔理沙も、早苗も妖夢も。必要以上のことを聞く必要はないと思っていたのか、それとも、都運が無意識のうちにそういった話題から話を逸らしていたのか。だが別に、都運自身にはそれを隠す理由は無かった。進んで言いたいことでは勿論ないが、聞かれれば特に躊躇なく答えていただろう。

 だから、その質問を真正面から投げかけられても、都運は動揺することは無かった。

 むしろ、動揺していたのは永琳の後ろにいた鈴仙だ。

 その疑問は、絶対に聞くなと八雲紫に言われていたはずのものだったから。

 

「……回答の前に、一ついいですか?」

「一つでいいの?」

「はい。……貴女は、その答えがもう分かっているんですよね?」

「どうしてそう思うのかしら?」

 

 ほとんど時間差なく返答があったことから驚いてもいないようだ。どこまで想定通りなんだろうかと思うが、恐らくはほとんどそうなのだろう。まあ、他人に行動を束縛されるのは、慣れているから今更特別思うこともない。

 

「……いえ、なんとなくそうだろうと思っただけです」

「それは貴方の逃げ口上なのかしら?」

 

 笑いながら言う永琳を見ながら、どう答えたものだろうかと悩む。目の前の医者の性格的に、おそらく直球に言っても変な空気になることは無いだろうが、そこまで赤裸々に言ってしまうのもなんともという感じだ。そもそも、生き恥なのだ。人生そのものですらあるし、都運そのものでもある。

 

「僕は」

 

 都運は。

 

「死ぬために」

 

 自殺のために。

 

「山に登りました」

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

 今度の宴会の料理をつらつらと考えながら、霊夢は賽銭箱周りを掃除していた。別に綺麗にしておけば参拝客の増加が見込めるだろうとか、そういうことを考えていたわけではないが、汚い所には誰も寄らないというのは万人の共通認識だ。巫女としての役割を疎かにするつもりもなかった。

 そういえばと思う。魔理沙が突然外来人を連れてきたのも丁度一か月前の話になる。時間の流れは速いものだが、それ以上に、警戒していた自分に馬鹿馬鹿しさも覚える。

 今でも不信感自体は確かに霊夢の胸中に存在してはいるが、結局霊夢に何かを考えるとか、不安に思うとかは性に合わないのだ。なにかが起こったらその時に解決すればいい。結論としては結局それで落ち着いてしまった。

 霊夢らしくはあるが、悪く言えば思考の放棄だ。せめて、懸念くらいは持っておくべきだった。まあ、人がなにかに対し警戒心をずっと抱いていられるわけもないので、仕方がない話ではあるのだろうが。

 

「こんにちは、博麗さん」

「……まだいたのね。てっきりもう、幻想郷から出ていったものだと思ってたけど」

「いやー……その点に関しては言い訳のしようもないですね。余計な心労をお掛けしているようで申し訳ない限りです」

「別に心労ってほどじゃないけど……」

 

 魔女や妖怪とは違い、ごく普通の振る舞いとして、ごく普通に階段を上ってきた郷瓜都運は、そんな風にごく普通に霊夢に声をかけた。無意味に驚かせたり、無闇に悪戯もしない、何処にでもいる人間として、都運は博麗神社にやってきた。人間として霊夢と会話をするために、ここに来た。

 

「で、今日は何の用? 今日は宴会の予定はないけど」

「別に僕は宴会の日を狙って来ているわけではないです……。今日は少し、博麗さんとお話をしたくて」

「話?」

「はい。まだ未定ですけど、その内僕はここから帰ることになるでしょう。その前に、誰か一人くらいには、僕がここに来ることになった遠因を話しておいてもいいんじゃないかと、思ったんです」

「……なんで私に白羽の矢が立ったのかしら? そういう話は、一時的とはいえ主である紫か、同僚の藍か、最初にあんたを見つけた魔理沙とかにすべきじゃないの?」

「別に大した理由はありませんよ。博麗さんが一番、僕の話を真面目に聞かなそうだなって思っただけです」

 

 一瞬だけ都運の発言を流した霊夢だが、発言の違和感に気付くと怪訝な顔を都運に向ける。

 

「真面目に聞いてほしい話じゃないんです。碌でもない話ですから」

 

 笑顔を浮かべながらも、目線を霊夢に向けながらも、その眼はどこか違うところを見ていた。まるで、過去の自分を顧みるような眼。過去の自分を、見下すような眼。

 その眼にどんな感情が籠っているのかを、霊夢は知らない。知ることはない。誰かに理解される類の話ではそもそもないのだ。

 それでも、真剣な話だというのは理解できてしまった故に、霊夢はそれを断れなかった。場所を縁側に移し、お茶とお菓子を出して、会話が再開される。

 

「……博麗さんには、僕が山を登っている最中に幻想郷に入ってしまった、というのは話しましたっけ?」

「紫から話は聞いてるわ。登っている最中に気が付いたら森の中だったって」

「そうですね。これは紫様にも言っていないんですけど、僕が山を登ったのは、別に運動の為とか、健康の為とか、そういう前向きな理由じゃなくて、もっと後ろ向きな理由なんです。後ろ向きって言うか、逃げ……ですかね」

 

 都運は霊夢を見ない。ただ前を見て、横で霊夢が聞いてくれていると信じて話している。教会でする懺悔のように、神社でする告白を、巫女が聞いてくれている。適当に聞いてくれている。今までの人生で誰にも話したことのなかった、彼が抱えてきた何か。

 

「兄弟がいるんです。二人。兄と姉で、凄い人です。幼い頃から二人とも天才だって言われてて、事実、僕も二人に対してそう思います。誰でも、あの二人にはそういう評価をするでしょう。それ以外に形容できない。言い表せない。そうなると当然、弟の僕にもそういう期待が圧し掛かるわけで、でも僕は、その期待に応えられるだけの才覚を持ち合わせていなかった」

「…………」

「出来損ないだったんです。あるいは出涸らし。欠陥品で、不良品。自分でもそういう自覚はあって、なんだかここにいることが、あの二人の弟であることが場違いであるようにも思えてきて……、どうしてここにいるんだろうとか、そういう風に気付けば考えてしまっている自分がいて、でもそれに疑問を抱くことも出来なくて、自分に失望する余裕も無かった。分かってはいたんです。あの二人みたいにはなれないって。どこにでもいる凡人なんだから、もっと大人しくしておくべきだって」

「…………」

「比較されて、落胆されて、期待されて、失望されて……、疲れて、気付けば二人を無視するようになっていました。親からも大して干渉されなくなっていたんで、もういないものとして扱ってくれって、言外に二人に訴えたかったのかもしれません。優しくしないでくれ、って。出来た人間で、出来過ぎた人間だった。二人とも。誰からも期待されて、誰の期待にも応えられなくて、だからといって努力しても追いつけるわけなくて、どんどん二人とも遠くなっていって……そんなことが、十年くらい」

「…………」

「だから、山に登りました。登山用の山なんかじゃなくて、田舎の、獣道しかないような、誰の山かもわからない、誰にも死体が見つからないような山に登って、死のうとした。自殺しようとした」

「…………」

「その結果、僕は幻想郷に入って来てしまった。申し訳ない限りですよ。自殺志願者の出来損ないが、里の主のお世話になってしまっている。巫女の、魔女の、迷惑になってしまっている。……多分、何処に行っても迷惑しかかけられない奴なんでしょうね、僕は」

 

 そこまで言うと、都運は口を閉じた。話しにくい何かがあるのかとも思ったが、どうやらこれで話は終わりのようだ。実際は、もっと細かい色々があったのだろう。筆舌に尽くしがたいような苦行のような日々があったのだろう。だが、彼がそれを語ることはない。もうこれ以上を霊夢に話したくないと思ったのか、自分自身がもう思い出したくないと思ったのか、そこまでは霊夢には分からなかったが、聞いていて愉快な話ではなかったのは確かだ。

 言葉を挟む隙も無いほどに、都運の話は怒涛とも言える勢いを持っていた。

 勿論霊夢は同情しない。掛ける慈悲など持ち合わせていない。それはもう、博麗の巫女としては当然のことではあったが、だが、霊夢は別に人の心を持ち合わせていないわけではない。

 

「聞いてくれてありがとうございました。やっぱり博麗さんは、僕が思った通りの人でしたよ」

「私はどういう人だと思われていたわけ?」

「さあ? ここで的外れなことを言って、要らぬ恥をかくのも嫌ですし、僕の心の中だけに留めておくことにします。苛っとしましたか? 人を苛々させるのが僕ですから、勘弁してください」

 

 別に霊夢は苛々はしなかったが、本人がそうであることを望むのならばそのままにしておこうと思った。おそらくは都運も、霊夢が感情を乱されていないことなど分かっていただろうが、それでもそういう言葉を選んだ。郷瓜都運はそういう人間であると、少しでも深く霊夢の認識に刻むために。

 少しだけ顔を上に向けた都運に、霊夢は問う。

 

「あんた、ここから出たらどうするつもりなの?」

「どうする? ……あー、どうなんでしょう。一人で生きていくだけの生活力もないですし、結局家に戻ることになるのかもしれませんね」

「あんたはそれでいいの? もう二度と戻らないって決めて出たはずの家に、そんな簡単に戻ることになって、それを受け入れられるの?」

「……もしかして心配してくれてるんですか? ……嬉しいなあ。人から心配されたのなんていつぶりだろう。ま、今まで何とかやれてたんですし、大丈夫なんじゃないですかね。それに、別に大丈夫じゃなかったら、もう一度山に登るなりなんなりしますよ」

 

 それは、死ぬということだ。本来なら一度で十分だったはずの死の経験を、もう一度自分から味わうということだ。不気味だ。理解が出来ない。なぜそんなことを、彼は笑顔で言えるのだ。

 霊夢は自分が死んだらどうなるかを考えたことはない。考えるだけ無駄だからだ。人間である以上死から逃れることは出来ないし、死んだらそこで終わりだ。冥界に行き来できてしまう幻想郷ならば、終わりというわけでもないのかもしれないが。

 だがそれでも、死にたいと思ったことはない。

 

「……一か月」

「え?」

「この一か月、あんたはどうだったの?」

「……今までの人生全部より、充実した一か月でした」

 

 そう言うと都運は立ち上がった。いつの間にか湯呑みは空っぽになっていて、その表情は晴れ晴れとしたものだった。ため込んでいた全てを吐き出したような、吐き出してしまったような、そんな。

 もう散ってしまって、徐々に緑色が広がっている木々を見ているその背中に、霊夢は危うさを感じた。それは雰囲気とかそういうものではなく、純粋に霊夢の直感によるものではあったが、その直感こそ、最も信頼に足るものだった。

 別に霊夢に都運に対して配る気などない。ただそれでも、霊夢はそうだとしても、紫は違う。幻想郷はそういう場所だったはずだ。

 

「……別に」

 

 霊夢は、一瞬だけ逡巡した。それが、気恥ずかしさから来たものか、それとも自らの直感からのものなのかはわからなかった。分かっていたら、ひょっとしたらその先の言葉を飲み込んでいたかもしれない。その一言が、これから先にどれだけの影響を与えるか分かっていれば。

 

「――無理して出ていく必要ないんじゃないの? 紫だって、一月も住ませといて今更簡単に出ていけなんて言わないわよ。駄々の一つでも捏ねてみてから、どうするか決めれば?」

 

 霊夢のその唐突な言葉に、都運は驚いたように振り返る。驚いたように。詰まる所厳密に言うならば、都運は驚いていなかった。笑顔を浮かべて、霊夢を見ていた。

 笑顔の都運と目が合った霊夢は、なにかを感じ、そして察した。

 

「あんた……、まさか」

「――やっぱり、博麗さんは僕の思った通りの人でした。僕の思った通り、優しい人でした」

 

 続けて都運は笑いながら、なんの悪意もなく言った。

 

「ああ、言い忘れてたんですけど、どうやら僕、半人半妖になっちゃったらしくて、いやはや、参っちゃいますよねー」

 

 その言葉を聞いた霊夢は、自身の迂闊と負けを認め、額に手を当てた。

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