ゆうぐれせんとう、ふたりきり   作: 池田 

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第1話

太陽は間もなく地平線に到達しようとしている。

 

 

私は橙に染まったアスファルトの上を歩いていた。

 

 

商店街は買い物客が行き交い、それなりに活気を見せている。

 

 

主婦やサラリーマン、学生や親子。

 

 

そんな彼らを横目にしながら、私は桶を片手に進んでいく。

 

 

しばらくすると、目的の場所が見えてきた。

 

 

のっぽの煙突、そこから立ち昇る白い煙。

 

 

そして「ゆ」と大きく書かれた暖簾の前で佇む彼女。

 

 

「あっ!ソーニャちゃん遅いー!」

 

 

そう膨れる彼女に、「悪かった」と一言。

 

 

ついでにフルーツ牛乳をおごる約束をすると、彼女はそれで納得したらしい。

 

 

「へっへー、ソーニャちゃんが奢ってくれるなんて珍しいなー」

 

 

そんな上機嫌な彼女に手を引かれながら、私は暖簾をくぐったのだった。

 

 

 

 

 

 

以前来て以来、私達はそこそこの頻度でこの銭湯に通っていた。

 

 

最初こそひどい目に遭ったが、なんだかんだで私はここが気に入っていた。

 

特にアパートに一人暮らしの私にとって、泳げるほどの大きな浴槽のある場所は魅力的だったのかもしれない。

 

ここでは膝を抱える必要も無いし。

 

 

寝てるんだか起きてるんだか分からない番台に券を渡して、脱衣所へ。

 

 

客は私達以外誰もいなかった。こんなので果たして経営が成り立つのだろうか。

 

まぁそのおかげで気兼ねなく湯船に浸かる事が出来るのはありがたい。

 

 

「今日も誰もいないねぇ」

 

 

「そうだな……」

 

 

「潰れないのかな?」

 

 

「普段はそれなりにいるんだろ、きっと」

 

 

「ま、貸し切りって考えれば悪い気はしないね!」

 

 

そう言って、彼女はさっさと服を脱いで湯気の中へと向かっていく。

 

 

私も慌ててそれに続いた。

 

 

浴室へ入ると、生暖かい水蒸気が私を包み込んだ。

 

 

「はぁ……」

 

 

深呼吸をすると、体から余計な力が抜けていく。

 

こちこちになった筋肉が、ゆっくり解きほぐされていくような。

 

 

「うりゃ!」

 

 

「ひぇっ!?」

 

 

弛緩しかけていた筋肉が、一気に硬直した。

 

まるで冷水を浴びせられたような……。

 

 

と言うか、実際浴びせられたのだ。やすなに。

 

 

「やった!大成功!」

 

 

「貴ッ様ぁ!なーにが大成功だふざけやがって!」

 

 

「あっあっ浴室内で暴力はぁ!」

 

 

「うるせえ!」

 

 

持っていた桶を顔面に投げつけてやると、流石に奴も大人しくなった。

 

こうなることがわかってるくせになぜいちいちつまらないイタズラを仕掛けてくるのか……。

 

 

「うぅ……!」

 

 

「へへへ、ごめんごめん」

 

 

「うわっぷ」

 

 

冷えた体を擦っていると、今度は温かいシャワーを浴びせてくる彼女だった。

 

狙いがヘタクソなので、私の顔面に何条もの水流が直撃する。

 

 

「ほらほら、背中流すからそっち向いて」

 

 

「わ、わかったから顔はやめろ顔は!」

 

 

プラスチックの小さな椅子に腰を下ろして、彼女の方に背中を向ける。

 

背後からは石鹸をボディタオルで泡立てるクシュクシュと言う音が聞こえてくる。

 

 

「それじゃあ、いきますよー」

 

 

「変な事したらぶん殴るからな」

 

 

「しないってばぁ」

 

 

ふわりとした泡の感触のあと、少し遅れてざらざらしたタオルの生地が背中を滑っていく。

 

背中についた一日の疲れが、汚れと一緒に落ちていく。

 

 

気持ちがいい。

 

 

「ソーニャちゃんってさぁ」

 

 

「……なんだ」

 

 

「体ほっそいよね。ちゃんと食べてるの?」

 

 

「まぁ、一応……」

 

 

「一応って……じゃあ今日は何食べたの?」

 

 

「朝は携帯型栄養食で……昼は購買の焼きそばパン」

 

 

「なにそれダメじゃん……」

 

 

とりとめのない会話をしている間にも、私の背中はどんどん綺麗になっていく。

 

肩のあたりから、腰の方までまんべんなく。

 

 

そして最後に、シャワーが石鹸をすべて洗い流していった。

 

 

「ふぅ……」

 

 

思わずため息が漏れる。

 

さて次はやすなの番だな、と振り返ろうとしたその時。

 

 

お湯とは別の温かいものが、私の背中に密着した。

 

 

「な……」

 

 

「んー……」

 

 

やすなが、私に抱きついているのだ。

 

一体何事かと私が狼狽えている間にも、彼女はずっとそうやっている。

 

 

「お……おい!」

 

 

「なーにー?」

 

 

「いや、何してるんだお前……」

 

 

「くっついてる」

 

 

さも当たり前のように、やすなは私の体にぐりぐりと頬を擦り付けてくる。

 

いつものイタズラ……と思ったけど、それとはまた少し違った雰囲気で。

 

 

そしてどういう訳か、私もあまり嫌な気はしなかった。

 

 

「なぁ、いつまでそうやってるつもりだ」

 

 

「うー……」

 

 

「聞いてるのか?」

 

 

「聞いてるよ」

 

 

少し身じろぎしてみても、離れる気配はまったくない。

 

どうしたものかと考えあぐねている私と、微動だにしない彼女。

 

 

「ソーニャちゃん、あったかい……」

 

 

浴槽から溢れ出るお湯の音の間、彼女がぽつりと呟いて。

 

 

「こんな風になるなんて、想像も出来なかったなぁ」

 

 

少しずつ、少しずつ。

 

 

言葉を紡いでいく。

 

 

「……どう言う意味だ?」

 

 

「私ね、今までずっと……何ていうか、普通の子って言うのかな。そんな感じだった」

 

 

「今は普通じゃないのか?」

 

 

「殺し屋と忍者が友達なんて普通だと思うの?」

 

 

「いや、それは……」

 

 

確かに改めてそう言われると、返す言葉が見つからない。

 

言葉に詰まる私をよそに、彼女は淡々と続ける。

 

 

「誰かと一緒にお風呂入ったり、お祭り行ったり、海に行ったりさ」

 

 

「……あぁ」

 

 

「そんな友達が出来るなんて、思ってもみなかったなーって」

 

 

「お前ならそんな友人の一人や二人、簡単に作れるだろ」

 

 

なんたって、殺し屋にも物怖じしないくらい馬鹿なのだから。

 

 

「私って、本当は臆病だからさ」

 

 

しかし彼女は、首を横に振る。

 

 

「だから、こう言うこと出来る友達なんて、ソーニャちゃんくらいしかいないんだ」

 

 

「……そうか」

 

 

「だからさ」

 

 

私を抱く彼女の手に、更に力が込められる。

 

少し、苦しい。

 

 

「……だから、私……その……何ていうか」

 

 

「……なんだよ、はっきり言え」

 

 

「もっと、ソーニャちゃんと一緒にいたいなぁ……って言うか」

 

 

「はぁ……?」

 

 

最初は彼女が何を言っているのかわからなかったけど。

 

それが恐ろしいほどに遠回りな告白である事に気がつくのに、そう時間はいらなかった。

 

 

一瞬で頭が真っ白になって。

 

逆に顔は耳まで真っ赤になって今にも燃え上がりそうだ。

 

 

なんでよりによって、この場所で。

 

このタイミングで。

 

 

そして、どうして。

 

 

「……どうして、私なんだ?」

 

 

「それは……」

 

 

「……とりあえず、背中洗うから離れろ。あっち向け」

 

 

そう言うと、彼女は素直に拘束を解いた。

 

 

私は体を反転させ、さっき彼女がしたようにタオルで石鹸を泡立てる。

 

タオル越しに背中に触れると、彼女の体が私の手を柔らかく押し返してきた。

 

 

「なんでだろうね」

 

 

彼女が小さく呟いた。

 

 

「呆れた……それくらい嘘でも考えておけよ」

 

 

「でも、本当によくわかんないし。強いて言えば……たまたま隣に居たから、かな?」

 

 

「なんだそれ……」

 

 

呆れたふりをしてみたけど、しかし彼女の言うことは少し理解できた。

 

人が人を好きになる理由なんて、そう簡単に言い切れるものじゃないし。

 

 

私だって、考えたことがなかったし。

 

 

何より今考えるべきは、彼女から向けられた好意に私はどう応えるべきなのか。

 

 

ただ、それだけだ。

 

 

「流すぞ」

 

 

「うん」

 

 

シャワーのお湯が、彼女の背中を滑り落ちていく。

 

白い泡が消えて、その下の柔らかい肌が現れる。

 

 

「よし、終わり」

 

 

「……ありがとう」

 

 

そのまま彼女は、ずっと向こうを向いたまま。

 

 

何を考えているんだろう。

 

 

恥ずかしさに打ち震えているのか、それとも。

 

沈黙から何かを読み取ろうとしても、彼女の背中は何も語ってくれない。

 

 

「ね、ねぇ……」

 

 

「な、なんだよ」

 

 

沈黙に耐えきれなくなったのか、それとも何かを決意したのか。

 

 

彼女がおずおずと、こちらを振り返る。

 

 

見ると手もかすかに震えていて、言葉もなんだかおぼつかない。

 

 

「あ、の……その……」

 

 

「……だからはっきり言えってば」

 

 

「き、キスしたらわかるかなぁ?」

 

 

「はぁ……?」

 

 

あまりに唐突で、斜め上な提案に私は呆気に取られた。

 

いきなり何を言い出すんだこの馬鹿……。

 

 

「そういうことしてみたら、なんとなくだけど……わかるんじゃないかなって」

 

 

「わかるって、何が」

 

 

「いろいろと……」

 

 

「話にならん……」

 

 

多分、彼女も自分で何を言ってるのかわかっていないんだろうな……。

 

 

呆れる私を置いてけぼりにして、彼女は目を瞑り唇をこっちに突き出してくる。

 

 

まぁ、なんというか……。

 

 

少なくとも、本気なんだと言うことは十分に伝わってくる。

 

 

「そ、ソーニャちゃん!はやく!これ結構恥ずかしい!」

 

 

「あのなぁ……」

 

 

そして彼女が本気で私に向かってくる以上は。

 

私も本気で彼女に向かい合わなければならない、と思う。

 

 

どんな形であれ、これはきっとやすななりに勇気を出した結果なのだろうから。

 

 

だからいつものように、私はそれに付き合ってやるんだ。

 

 

しかし、それにしたって。

 

 

「……じゃあ行くぞ。本当に良いんだな」

 

 

「い、いいよ!ほら!」

 

 

「くそっ、もう少し雰囲気って物がないのかお前は……」

 

 

「そう言うソーニャちゃんだって……!」

 

 

それにしたって、ファーストキスがこんな形で訪れるなんて夢にも思わなかったなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ、ぷはぁ!うまい!」

 

 

「そうか、良かったな」

 

 

「人の奢りだと更においしい!」

 

 

「こいつは……」

 

 

腰に手を当てて、ぐいっと一気に飲み下すと言う典型的なスタイルでフルーツ牛乳を楽しむ彼女。

 

約束通り、私の奢りだ。

 

 

脱衣所は相変わらず、私達以外に客は居ない。

 

 

「また今度奢ってね!」

 

 

「あまり調子に乗るなよ……!」

 

 

そして私達も相変わらず、二人で大馬鹿を演じている。

 

しかし、今はフルーツ牛乳まみれの彼女の唇が、さっき私と口づけを交わした唇と同じだと言うのはなんだか不思議な気分だ。

 

 

結局、キスをしてみたところで彼女の言う「いろいろと」は正直よくわからない。

 

 

一応私達は、これで恋人同士になったということなのだろうか?

 

 

そう言うには少し変化が少なすぎるし。

 

 

でも、決定的な事はしてしまったし。

 

 

「……ソーニャちゃん?」

 

 

「あ……」

 

 

悶々と考え込んでいる私の顔を、少し不安そうに覗き込む彼女が目の前に。

 

 

「どしたの?」

 

 

「いや、別に……」

 

 

「じゃあ早く帰ろ!暗くなっちゃうよ」

 

 

そう言って彼女は、私の手をとって出口の方まで引っ張っていく。

 

 

彼女の手はいつものように。

 

 

強引で、お構い無しで。

 

 

だけど楽しそうで、底抜けに明るくて。

 

 

なんだか色々悩むのが、本当に馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

 

 

「わ、わかったから引っ張るな……!」

 

 

彼女はいつだって、自然体だ。

 

 

だから私も、いつものように彼女と付き合っていけば良い。

 

 

好きになる理由なんて、後からいくらでも考えれば良い。

 

 

今は、それで十分なんだろう。

 

 

「今度はいつ来ようか?」

 

 

「もう次の話か……」

 

 

「今度はコーヒー牛乳奢ってねー」

 

 

「お前な……」

 

 

「お嬢ちゃん達」

 

 

「え?」

 

 

「はい?」

 

 

脱衣所を出て、靴を履き替えようとしたその時。

 

不意に番台の老人が、私達を呼び止めた。

 

 

「あの、何か……?」

 

 

「あぁ言うことは、なるべくお家でやりなさいね」

 

 

「え」

 

 

「それじゃ毎度あり」

 

 

「えええええーーッ!」

 

 

気づかれてた。

 

 

気づかれてた!

 

 

気づかれてた!?

 

 

「み、見られてたのかな」

 

 

「さぁ……もうどうでもいいや……」

 

 

二人でうなだれながら、家路へとつく。

 

 

夕日より真っ赤な私達の後ろに、長い影法師が伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、その銭湯に行きづらくなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

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