犬と太陽   作: 池田 

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第1話

 垣根の間。

 

 いない。

 

 壊れたブロック塀の陰。

 

 ここにもいない。

 

 「どこだ……」

 

 電柱の裏、空き家の庭、橋の下……。

 

 そこにも、どこにもいない。

 

 炎天下の午前中の事だった。

 

 ネクタイは緩み、Yシャツはでろんとだらしなくズボンからはみ出し、汗だくで息を喘がせている中年が一人。アスファルトの上で日光に灼かれながら、住宅街で不審な動きを繰り返している。

 

 それが俺だ。もう、こうして二時間ほどになるのだが、満足の行く結果を得られていないのは一目瞭然だった。

 

 「犬ッコロ一匹に見合う労力じゃないな、これは……」

 

 天を仰ぐと、忌々しい太陽が雲一つ無い空に浮かんでいた。予報によると、これから更に気温が上がるらしい。

 

 

 「それでは少々お待ちくださーい」

 

 「っはぁ……」

 

 外は相変わらず晴れ渡っているが、俺の周囲は冷気が取り囲んでいた。

 

 ちょうど昼飯時なのと、体が水分を求めたのがわかったので近くのファミレスに逃げ込んだのだ。ウェイトレスが差し出してくれた水を一瞬で飲み干したあと、メニューをぼんやり眺めながら午後の予定を考える。

 

 「……まぁ、やることは一緒なんだが」

 

 立ってしゃがんで背伸びをして、先ほどまで俺がやっていた間抜けで孤独なかくれんぼは、伊達や酔狂ではない。歴とした仕事だ。

 

 犬が逃げたから探してくれ。それもなるべく早く。

 

 小さな探偵事務所を営む俺に、久しぶりに舞い込んだのはそんな依頼だった。気の弱そうな婆さんが、余りに悲痛な声で頼むものだから、思わず二つ返事で受けてしまった仕事だが……。

 

 「まさか、ここまで過酷な作業になろうとは……」

 

 俺もとんだお人好し野郎である。

 

 そんな訳で、俺はこうして真夏の昼に住宅街を徘徊するゾンビと化したのだ。通報されなかっただけ良かったとしよう。

 

 「それにしても、もう少し効率の良い探し方は無いだろうか?」

 

 とりあえず午前中は、婆さんの家の周辺を虱潰しに捜索したのだが、労力の割に得るものが少なすぎた。午後からはもう少し実りある行動をしたい。

 

 「……やはり、涼しそうな場所を探すべきか?」

 

 この気温だ、犬だって暑さには弱いはず。木陰の多い場所なんかを重点的に調べるのはどうだろう。ついでに俺の体力の消耗も抑えられる。そうすれば少なくともこれまでのような徒労に終わるような結果にはならないと思うが……。

 

 「お待たせしましたー」

 

 そんな思案する俺の目の前に、先程注文した料理が運ばれてきた。

 

 「ホットドッグになりまーす」

 

 「……ホットドッグね」

 

 ぴったりだな、と呟くと、それを聞いていたらしいウェイトレスが不思議そうな顔をした。

 

 

 

 蝉が元気だ。みんみんみんみんとやかましい。これが彼ら流のセックスアピールだと言うのだから虫とは不思議な生き物だ。

 

 さっきファミレスで決めたセオリー通り、俺は木陰の多い場所を中心に犬を探していた。今歩いているあたりは神社や公園が隣接しているエリアで、さっきの住宅地と比べれば段違いに快適だ。出来ればここにいてほしいものだが。

 

 公園に足を踏み入れると、ゲートボールを楽しむ老人の一団や、網と虫かごを携えた元気な小学生たちの楽しげな声が聞こえてきた。

 

 もしかしたら何かしら情報を得られるかもしれない。俺はなるべく怪しまれないように、彼らに向かって婆さんから預かった写真を見せながら、この犬を見なかったかと聞いてみた。残念ながら直接目撃した、という話は無かったが、虫取り少年の一人が興味深い話をしてくれた。

 

 「もしかしたら神社にいるんじゃないの?」

 

 「神社?」

 

 「この公園、近くに神社あるでしょ。そこに野良猫とか野良犬がいっぱい集まってるんだ。すぐそこだよ」

 

 「なるほど……ありがとう、そこを探してみるよ」

 

 「それ、おじちゃんの犬?」

 

 「いや、人から頼まれて……」

 

 「ふーん……ま、いいや。よくわかんないけど頑張ってね」

 

 「あぁ、君もな。虫取り少年」

 

 そのまま真っ直ぐ神社の方へ向かうと、彼の言っていた通り野良猫がたむろしていた。人に慣れているのか、俺の姿を見ても逃げる素振りすら見せない。しかし、いるのは猫ばかりだ。犬の姿はどこにもない。

 

 空振りか?

 

 そう思って引き返そうとした次の瞬間、俺は確かに聞いたのだ。

 

 蝉の鳴き声にかき消されそうな、ワンという小さな声を。

 

 声のした方へ目を向けると、賽銭箱の上に座る一匹の犬がいた。俺はすかさず写真を取り出して、目の前のそれと見比べる。

 

 間違いない、こいつだ。

 

 二人……いや、一人と一匹の間に奇妙な緊張が走る。ここで逃げられては台無しになってしまう。犬のすばしこさにこの中年の足で追いつくのはほぼ不可能だ。なんとしても今、この瞬間に捕まえておきたい。

 

 犬は俺を見据えたまま微動だにしない。その佇まいは場所の影響もあってか、ある種の神々しさすら感じる。

 

 何か、ないか。

 

 この状況を打破する何か……。

 

 「あっ」

 

 ポケットをまさぐっていると、もう一つ婆さんから預かったものが手に当たった。そうだ、これならば……。

 

 「食いつけ!」

 

 決着は一瞬だった。俺の手から放り出されたジャーキーが放物線を描いて空中を飛翔し、地面へと落ちる数秒の間。犬は電光石火の早業で飛び上がり、見事に空中で餌をキャッチして咀嚼を始めた。

 

 「……所詮は犬、か」

 

 つけっぱなしのリードを拾い上げ、俺は無事に犬を確保した。犬はというと、そんな事にはお構いなしでなんとも美味そうにジャーキーにかじりついている。

 

 「とりあえず電話しておくか……」

 

 なんだか妙に疲れたが、とにかくこれで俺の仕事はおしまいだ。数回の呼び出し音の後、電話に出た婆さんに無事捕まえましたよ、と伝えると、彼女はそれはもう嬉しそうな声で何度もお礼を言うのだった。

 

 

 

 

 

 さて、それから数日後。俺は仕事に恵まれない日々へと逆戻りをしていた。

 

 「やっぱり暇よりかは炎天下でさまよう方がマシだよなぁ……」

 

 そうボヤいても仕事が増える訳じゃなし。一応ポスターは出しているはずだが、それでも一向に客が増える気配は無い。もしかしたら、探偵向いてないんじゃないか……。

 

 そんな消極的な考えが頭をかすめ始めたとき、事務所のチャイムがなった。

 

 「おや……もしかしてこの前の活躍が少し広まったかな」

 

 なんだ、やはり探偵向いてるのかも。少し明るくなった心持ちで客を出迎える。今度は気弱そうな主婦が一人。雰囲気が何となくこの間の婆さんに似ている。

 

 「どうぞどうぞ、さぁおかけになって……」

 

 「ありがとうございます……今日はお願いが……」

 

 「いえいえ、こちらこそ。それで、一体どういうご用件で?浮気調査に尾行だってなんでもやりますよ」

 

 こういう不安そうな相手には、こうして自信満々に話して安心感を与えてやるのが俺のモットー。その方が話も進めやすい。

 

 そんな俺の様子を見て彼女も安心したのか、一息ついてから依頼内容を告げてきた。

 

 「じつは、家からインコが逃げ出しまして……」

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 


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